徐福=神武天皇 [転載禁止]©2ch.net
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中国のネット上で出回り続け、もやは中国人の中では定説になっているこの説について語りましょう >>179
>推古天皇の父、仁徳天皇は男性だ。
欽明天皇だろw 推古天皇の父が男性だから何なんだw?
>70歳未満で崩御してる天皇は、病気か、何かの争乱に巻き込まれた
>のが原因の早世。
>紫衣事件で有名な後水尾天皇も85歳まで生きてる。
奈良時代以降の天皇で70歳以上生きてるのは、光仁、桓武、陽成、
白河、後亀山、正親町、後水尾、明正、霊元、後桜町、光格、昭和、
そして今上陛下のほかにいたっけ?20代〜40代で亡くなってる天皇
がザラだぞ。しかも長生きした天皇でも50や60でできた子どもに
最終的に皇位継承させてるのって後水尾天皇だけじゃん。なんでそれ
を古代で一般化できるんだ? 天皇家つまり大王家の御先祖の誰が百年生きようが、百五十年生きようが、
それがどうしたというのだ?
そんなふうに文句ばかり垂れているおまえの先祖だって、150年生きたかもしれないんだ。 >>181
継体天皇が即位したとき老齢だったという説を
俺は>>178で否定している。安閑天皇や宣化天皇
が欽明天皇より40歳も年上だったら既にたくさん
妻や子どもがいただろう。安閑天皇が老齢で子ども
一人いないとか不自然だと思うんだよな。 ちなみに、明治30年生まれで、大正5年に、旧氏族で役人だらけのこの家に嫁いできた
私の曾祖母はいつも言っていた。家の一番奥に、100歳を超える怖いおばあさんがいて、
ことあるごとに奥の部屋から出てきては、家のものを怒鳴りつけていたのだそう。
嫁いできたばかりの頃、そのおばあさんが怖くて、祖母はしょっちゅう実家に逃げ帰って
いたそうだ。
祖母はこのあたりでは最も大きな商家のお嬢さん(今も祖母の実家は大きな会社を経営し
てる)で、甘やかされて育ったから役人の厳しくてけちけちした雰囲気が辛かったはずだ。。
それはさておき、大正時代でも100歳を超えるおばあさんが元気で、家族を怒鳴りつけて
いた。昔の人は早死にだというのは間違っている。
昔の人が早死にをしたのは、過酷な労働や戦争のせいであり、人の寿命が百年というのは、
源氏物語の中にも書かれている、いつの世も変わらない常識だ。 とにかくわが国の皇室の歴史は世界に自慢できるほど長い
のは確かだが、紀元前の建国とかあからさまな嘘は恥ずかしい。 >>185
武烈天皇も、愛する女性が他の男性と結ばれて、結局子を作らぬまま死んだ。
愛する人と結婚できないとか、結婚はできても子宝に恵まれないということはよくある話だ。
孝徳天皇も、姉の娘(姪)と形式上の結婚をさせられたけど、形式上の妻である姪をとても
大切に扱い、最後まで手を触れることもなかった。
人は年を取れば必ず子ができるものという考えは甘すぎる。
現代でも40歳、50歳になってもまだ子ができない人は多い。 聖武天皇と光明皇后はものすごく愛し合ったけども(少なくとも聖武天皇はものすごく
光明皇后を敬いその意のままに国を治めた)、二人の間には男の皇子が育たなかった。
女の子しか生まなかった天皇、男の子をたくさん生んだのに誰も天皇にはならなかった
という天皇は少なくない。 >>187
天皇制に基づく中央集権国家である日本国を、大和国家の大王たちが建国したのは7世紀のこと。
7世紀までの大和国家は、まだ中央集権国家ではなかったが大王を中心とする国家だったのは事実。
大和国家が神武天皇による建国であるという建国の物語は、何も恥ずかしいことではない。
それはこの優れた中央集権国家を治める天皇を権威づけるために書かれた歴史なのだから。
むしろ誇るべき歴史だ。 代々皇統を守りつづけた大王たちの中で、7世紀に皇位にあった皇極帝が、中央集権国家
を建設しようと思い立った。
弟や皇子たちの手を借りて、そうして皇極帝の夢は、最終的にかない、670年頃には、
「日本」と言う名の国が完成し大王のことを「天皇」と呼ぶことが決まり、とうとう701年、
現代まで続く天皇制国家が完成する。
670年頃までは天皇が「大王」と呼ばれていたし、まだ日本は「大和国家」だった。
それでも大和国家時代の大王たちこそが日本国を建設した事実は変わらない。
大和国家時代の大王家(皇室)のことは、宋書倭国電に登場する5世紀初め以後の大王たち
のことしかわからない。4世紀までの先祖のことは大王家に伝わる伝承でしかわからない。
ただ、はっきりしているのは、人には親がいて、親にはその親がいる。
5世紀初めの大王(おおきみ)讃の前にも大王がいて、その前にも大王がいたということ。
大王(おおきみ)の先祖が、いつから大和地方でそれなりの集団を率いていたのかは、
それはわからない。
伝承によれば、大和地方でそれなりの集団を率いるための即位を最初にしたのは神武天皇
だったということ。 天皇の系図だけに着目すれば神武天皇が紀元前の人物になる
可能性はきわめて低い。もし神武天皇が紀元前7世紀や徐福
が生きたとされる紀元前3世紀末の人物ならば記録に残った
大王の人数が不足しているということだ。
おい、聞いてるか自民党の山谷えり子。あんた民主党政権の
時代に参院決算委員会で枝野幸男に今年が皇紀何年で今の陛下
が何代目に当たるか質問しただろ。山谷、あんたは本気で大昔
の天皇が百何十歳生きていたとか信じているのか?
おい、枝野。お前もなぜそれは科学的におかしいと突っ込みを
入れなかったんだ。知りませんじゃねーんだよ。 >>1
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. 皇室に伝わる伝承のなかに、古代のお年寄りの記憶違いがあって、実際には紀元前3世紀で
あろうと、紀元前1世紀であろうと、そんなことはどうでもいいんだよ。
伝承なんだから。 とりあえず、神武天皇の時には、大和を本拠地に決めたばかりの小集団であった
倭の国が、紀元421年には、日本列島の諸集団を代表するほど大きな国となっており、
朝鮮半島でもある程度の影響力を持つほどに成長していたことが『宋書』の中に示さ
れている。
まだやっと大和を本拠地に定めたばかりの神武天皇は、おそらく紀元前660年頃だと
計算する人がいても、紀元前300年頃だろ、という人がいても、この日本国を建設した
のは、倭王讃の子孫である皇極帝らなのだから。 沖縄でも、琉球王国の最初の王は、源為朝の息子だという伝説がある。
源為朝と言うのは、源氏(清和天皇の子孫)。日本国の天皇の子孫が琉球王国を
建てたのだ、という伝承は、琉球王府の権威を支えた。
秦の始皇帝の命を左右した人が、日本国を作ったのだと言えば権威になった時代が
あったのでしょうけど、あまりにも突飛な印象を受けます。 徐福は古代中国における、もっとも有名な詐欺師、盗っ人である。
方士であって日本においても王になることは目指すことはない。
対馬、隠岐、壱岐、五島、済州島などで船大工、海運商にでもなったと思われる。
隠岐だと出雲と同じだけどね。 これだろ? >>197
源為朝も、古代日本における、もっとも有名な乱暴者(犯罪者)で、朝廷(天皇)から
追討を受けたとされる。
そんな死刑になったキチガイの暴れん坊が、王を目指すことはありえない。
それでも、その為朝の子が琉球初代王と言われている。
本国から逃げた極悪人が、近隣の国で王を名乗ることは大いにありうる。
可能性はゼロではない。 でも、面白行っちゃあ面白い仮説だな。
へぇ、あの秦の始皇帝をだまして、最終的には秦を亡ぼすにつながったともいえる、
あの詐欺師(不老不死の薬があると始皇帝をだまして国家運営を怠らせた)が、
神武天皇だった、か。。。
紀元前6世紀だか紀元前3世紀だかの神武天皇の性格や人格やそういうものはべつに、
紀元7世紀の天皇制国家建設とはまったく関係がないんだから。
紀元前3世紀の徐福が神武天皇であったとしても、
7世紀の、独立国日本国の誕生までは、千年ほどの差がある。
徐福が神武天皇であってもなにも問題はない。面白いだけだ。 てかさあ、紀元前に王権の存在を示すようなものが
日本で見つかったとしても、それが神武天皇の一族のもの
とは決めつけられないよね。天皇家が日本最初の王家とは限らないのよ。
弥生時代の豪族たちが神々とされた可能性もなきにしも非ずだ。
日本国を作った人が神であればイザナギを指してるかもしれないし
オオクニヌシを指してるかもしれない。神武天皇が国見をする話で、
イザナギとオオナムチ、ニギハヤヒが日本国を讃えている記事
がある。この三神(三人)が神武天皇が大和に来る以前のその地の
支配者だったのだろう。どの神も天皇の系譜と繋がってくる。
日本には天皇家より昔オオナムチという支配者がいたから皇祖神が
その神から国を取り上げる神話を作らざるを得なかったのかもしれない。
国譲りは神話上の虚構に過ぎなかったから、天孫降臨の場所が九州の
田舎になり、神武まで3世代を過ごすという妙な話の展開になったのだろう。 だいたい古代中国の王を象徴する鼎と龍が両方とも伝わってないじゃないの。
徐福が神武天皇だなんて2億%ないね。 >>201
徐福は皇族じゃないでしょ。王朝に伝わるものを持っているはずがない。
命からがら逃げたわけでしょ。 BC200年に実在した徐福を、当事存在しなかった記紀の王朝に比定する愚が判らん。
徐福王朝が存続したとして徐福が持ち込んだ中国土器の製造を継続するとは限らない。
古墳時代に墓である皇統の遺跡は有っても、奈良や京都はその地でそのまま発展している。
遺跡の多くは滅びた者の遺跡である。
BC1000年から周〜春秋戦国の遺民が呉越方面より
軍船で死滅回遊魚的に黒潮で九州〜紀伊半島、関東に渡来している。
秦の始皇帝時代にかけては山東方面からの移民も増え
対馬航路を使って楽浪郡を置いた前漢と交流を持つものもあらわれる。
農耕文化を中心とする村社会に国家形成と結びつく横の繋がりに関して銅鐸文化に注目する。
銅鐸は中国の王朝に殷周より伝わる鎛が原型である。 秦にも秦公鎛がある。
そこから国家形成の古墳時代に向けて、弥生文化が自然発生でないことが理解された以上
日本王国誕生に中国の王朝文化の中枢を知る人が影響した可能性は高い。
徐福時代である可能性が有るならば、当然、徐福である。 >>202-203
また狂言詐欺か。
台湾ニグロティックブタピーデ。
で、中国から縄文弥生期に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>204
農具は持っていこうと思わなかったのではないか
農業は現地の倭人に引き続きやらせて、自分たちは支配者として収まるつもりだった >>205
ハイ、破たん。
そんな保育園児みたいな回答が通用するほど考古学は甘くないんでな。
台湾ブタチックインドシナピーデ。 >>206
徐福集団は3千人の若者、職工らとともに佐賀の諸富に上陸し水田稲作、絹その他
多くの物を普及させた(いいな沿海州豚 >>201
徐福(ホアカリ/ニギハヤヒ(ニニギ)。天御中主神/イザナギ/スサノオ/天照皇大神、、、)の子孫らが権力争いの末に天皇家が勝ちのこった。
神武天皇のモデルは数人いらっしゃいますが、全て徐福の子孫たち。 >>206
だって農具を持って行くことを
始皇帝が許すか?
別に軍事征服行動じゃないし 徐福が来たのは日本か沖縄だろう
朝鮮半島なら地続きだ
母国が恋しくて徐福のお供が脱走して
勝手に帰国しかねない
それに不老不死の薬を持ち帰れないなら、
徐福は帰国しても死刑だ
それで朝鮮半島に徐福がいて、いつまでも帰国
できないと始皇帝が分かれば、
遼東半島の秦軍が地続きに来る恐れあり
だから海を隔てる島国へ逃げ込むはずだ >>209
徐福は始皇帝の許可なんてとってないよ。
始皇帝を散々だまして、そろそろ限界だと思った時に行方をくらましたんだよ。
なんでも持ち出せたはず。
たしか徐福が始皇帝のところから逃げたのは紀元前3世紀末。弥生時代に入ってすでに
100年くらい経っているころ。
中国製農具を伝えたのは徐福だったって可能性もあるわけね。
まぁ、証拠が何もないから、想像して楽しむくらいしかできそうにないけど。 >>212
弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、
紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。
採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。
2003年に国立歴史民俗博物館(歴博)が、放射性炭素年代測定により行った弥生土器付着の
炭化米の測定結果を発表し、弥生時代は紀元前10世紀に始まることを明らかにした。 新 弥生時代
早期(先I期) 前1000 前900
前期(I期) 前800 前700 前600 前500 前350
中期(II - IV期) 前350 前300 前200 前100 0
後期(V期) 100 200 徐福も少年少女三千人と技術者と弓兵を連れて行って、
よくずっと束ねられたもんだよな
みんな早く秦に帰りたい 家族に会いたいと思っていただろうに >>212
馬鹿?
で、どこに中国系農具があるの?
証拠遺構名とその中国系農具は?
. >>216
私はそんなマニアじゃないしオタクでもないから、遺跡のことまでしらない。
ただ知っているのは、中学校の頃に覚えた
「大陸から渡って来た鉄器は大陸でも新しい技術で、量が少なく貴重だった」
「青銅器は祭祀に、鉄器は農具や武具に使われた」と言う話だけ。
鉄器を伝えたってことは、農具や武具に使うものだってことも教えてくれたんじゃないの? そもそも、ゆうべあたりどっかにも書いた気がするけど、
弥生時代のことを延々語るようなことって、
よっぽどな暇人じゃないかと思うんだよ。
日本史で、私たちにとって重要なことは、もっと他にあるんじゃない? へぇ、始皇帝をだまして秦帝国崩壊の一要因をも作ったあの徐福が
日本に来て、大活躍とかをしたの?もしそうだったらおもしろいなぁ!
程度の話でしょこれ。 >>213
それはほんとうにおもしろくない話だね。
私が中学の時、400万年前に直立歩行のアウストラロピテクス、
50万年前に火と言葉の北京原人ジャワ原人、って覚えたのに、
最近中学生にきいたら、700万年前にアウストラロピテクス、
100年前に北京原人ジャワ原人だって。
あまりに大きく変わりすぎて面白くない。
私はやっぱり文字で記録が残されてる歴史のほうが好きだな。
そのために古文や漢文の勉強も頑張ったわけだし。 >>217
あのな考古学偏差値40未満の方。
日本には縄文弥生を通して中国人が渡来定着した証拠遺構も
その生活痕たる中国系土器も中国系農具も一切ないの。
考古学では常識過ぎる事だからな。
>>219
だから、ただのフィクションだっつーの。
中国人の勝手な妄想が江戸時代に日本にも入った ただのフィクション。
徐福を証明する証拠遺構も証拠文物も何にもない。
全然面白くないし、迷惑千万、不愉快だよ。 >徐福を証明する証拠遺構も証拠文物も何にもない。
それ、私が最初に書いたんだけど?
何の証拠もないから、ただの面白い仮定話にすぎない、って。
なんで不愉快なの? >>199を含め、この話が、単なる面白い仮説だって書いたのは私。
琉球の祖が天皇の血をひく源為朝の子だとか、
そういった面白い伝説っていくらでもある。
証拠も何もない、この面白い仮説に、信ぴょう性を持たせようとあれこれ語るのも、
この仮説の矛盾を証明しようとやっきになるのも、
どっちも同じ愚かな行為。 中国式農具って鉄製農具だろ
縄文〜弥生初期の倭国の技術力でそんなものを生産できるわけないじゃん 中国系農具とは、石スキ(石耜、石鋤)という石刃の農具の事だ馬鹿。
弥生の農具にいつ石刃の農具が伝わったんだよ?
石耜は刃が石製である事以外は弥生の木スキとほぼ同じ農具だが、
刃の形状がやや異なり、刃先が尖っている。
石鋤は弥生には無い農具で、刃の短い除草具。 初期の青銅器、鉄器がほぼ大陸産だってのは無視か?
1万年単位で狩猟民だった縄文人に土器の変化と
青銅器の渡来と水田耕作の為の土木技術が同時に起こるのは偶然か?
徐福は中国正史の三国志に記録された伝記であって
記紀のようなデタラメの時代作りの神武や神功皇后よりは実在の信憑性は有るぞ。
そもそも、発見できないものは存在しないなどと言う
考古学の無能性を考古学の見識で主張してどうする。
考古学が好きな、邪馬台国は
九州上陸点付近から、南に水行30日、陸行1月の場所に有る、
これ以外の日本情報は九州のみであり中国史では600年まで畿内に入った事が無い。
探しようが無いだろ。
考古学は、無いものでをちゃんと探せ。無能。 >>226
大陸産じゃなくて朝鮮産だろサギサギ台湾ブタ広鼻ブタロピテクス。
で、どこに中国青銅器があるの?
出土遺跡名とその中国青銅器は?
. アラシに反論した訳ではなく会話の成立する投稿子を
排除するのを抑えたかっただけです。 レス、イラネ。 >>226
定住し、農耕し、交易しているのに「狩猟採集民」とはw
水田耕作してなけりゃ全部狩猟採集民ならば、欧州は全部そうなるが。
また、水稲稲作してりゃ「高度な文明」を持つならば、マダガスカルは高度な文明人だな。
日本人にかけられた呪いだよ。
「水稲稲作(=優れた文化)を持った渡来人」がやってきて日本に文明をもたらせた。 渡来人は確かにやって来たんだよ。
アフリカからな。
だけど、支配者としてやってきた渡来人はいなかった。
少しずつ人の交流として流れ着き、交易し、やがては日本に住み着き縄文人の中に溶け込み
「日本人の祖先の一部」となった。
九州だけにやって来たわけじゃない。 でも秦も漢も魏も晋も、万里の長城より北は支配できていない
すなわち領土が日本海に到達していない
そうなると大陸から日本へ渡るには、まず最初には九州に上陸することになる 弥生土器の出現を考えると、渡来人が来たのって、九州北部に最古水田が現れる50年以上前で、
しかも山陰あたりだぜ。
だから渡来人は渡来時に稲作を持ってきていないし、しかも渡来人は朝鮮土器を作らず、
全然違う土器を作ってしまった。
つまり、渡来人の故郷は朝鮮ではないという事なんだよ。 山陰だったら出発地は朝鮮半島の日本海沿岸か高句麗か渤海の地域だぞ >>178
日本書紀の長寿は作られているな。
だけど、その目的が、卑弥呼=神功皇后とするためってのは同意できない。
天皇家には、いや古代の有力者たちには「アマテラス」伝説が共有されており、
王統を巡る争い、政略結婚もみんなに共有されてたんだよ。
先祖がどこの誰かもろくに知らない都会のリーマンにはわからないことかも分からんがな。
天皇家や将軍家じゃなくとも、400年前に先祖がやってきて娘に婿に入ってこの家の始祖になった
ってな話は、古い家なら庶民でも伝わってる。
ましてや王家を作る人々がたかだか300年前の先祖の事を一切知らずにいた無知無能の輩だったとは
お花畑にも程がある。
まさか、王仁博士が文字を伝えるまでは文盲の土人だったととでも信じ込んでいるのか?
王仁博士は文字を伝えたのではない。手習いに最適な「書物」を持ってきたのだ。
卑弥呼の時代にすでに税を取り役人がいたと史書が伝えているのに、なにゆえ文盲と信じるのか?
文盲の未開人があの大きな古墳を作ったと信じているのか、それとも作るたびに「渡来人」
とやらをお招きしたとでも思うのか?
文字が書けない未開人なのに、渡来要請はどうやってするのだろうな?
法隆寺を見たことがないのか?
二人や三人の大工を連れて来たところであんなものは作れんよ。
すべての新しい文化や技術はすべて渡来人がもたらしてくれたものであり倭人は
未開の海の底に沈んだまま、という歪な歴史観はどうしてこんなに蔓延しているんだろう。
卑日カルトに日本人全部が染まってしまっているようだ。 >>231
漢の支配が及ばなかったのは半島南部の『韓』だけであって
漢四郡の全盛期には遼東郡から広がって楽浪郡は平壌地域まで
帯方郡はソウル周辺、玄兎郡は現北朝鮮域、臨屯郡は東岸だよ。
扶余、高句麗に押されて313年には消えた。
これによって日本は傀儡立国させた百済を高句麗との戦争に借りだして
400年までに高句麗馬と捕虜牧童の国内への強制連行で
軍事施設としての御牧での馬の国内生産化を成功させている。
これが、日本百済の親睦の歴史であり、空白の4世紀だよ。
400〜500年の倭の五王はこの半島利権交渉の為
日本の統一王朝として初めて、利権の絡まない南朝の南京建康に出向いた。 すまん、徐福スレだったw
大陸から日本への渡来人は移民と言っても朝鮮半島に逃げた
箕氏朝鮮〜衛氏朝鮮、始皇帝の重労働などで逃げた遺民と言うよりは
一応船を持った将軍や豪族なわけで、ある程度の開拓ビジョンは有ったし
社会性も理解できた、と思うんだよね。
資産を持ち込んだ、アメリカ大陸移民とかと同様としても、インディアンやアフリカ人とは違って
日本側の縄文人は農耕労働への参加や外部接触に融和的だったんじゃないかと思う。
銅鐸祭祀などで集められて、労働によって保存食が与えられるとかで
墾田開拓だって、日本的な自然崇拝やシャーマン信仰が保護されて、
日本的村社会を維持できて族長がそれなりに待遇されて、奴隷化じゃなきゃ歓迎だと思うね。
ちゃちゃっと、融合しちゃってんじゃね? 日本人種を形成した北方モンゴロイド形質の渡来人は縄文晩期に渡来したものだよ。
その後の甕棺墓から夥しい数の北方モンゴロイド形質の弥生人骨が出土してくる。
この縄文晩期に渡来して拡散した北方モンゴロイド形質の渡来人がメインであって、
古墳期の朝鮮帰化人などは日本人口がすでに何百万の時代に来た、あまり日本人種の
形成には絡んでいない。 徐福が神武ってのは考えにくいな。
徐福が来た頃に国家が統一された形跡は一切ない。
その頃は100のクニに分かれていた時代。
紀元200年頃には30あまりの国になる。
だけど、日本の各地に徐福伝承がある。
多くの船に分乗して日本を目指した。台風かなにかに巻き込まれたのか、船はばらばらになり
おそらくは難破したものもあり、無事だったものも各地に漂流しそのうちの幾つかが
陸にたどり着き地元民に助けられた。彼らは「徐福」と名乗ったが「徐福の船」だったのか、
リーダーが1人徐福となのったか。
いずれにしろ、どこでも100人単位で無事に上陸したようには見えない。
難破し漂流し、生き残ったのが若く健康な男しかいなかったのだろう。
徐福が来たとは伝わるが、徐福の子孫と伝わる家はない。
そして、伝承があるのは古くからの遺跡があり人が住んでいた場所だけだということ。
徐福本人は無事だったかどうかはわからない。
少なくとも、彼が連れて出た3000人のうちの幾人かは無事に生き延びた。
立派な道具や新しい何かが見つかることはないし、そういう伝承もない、ただ漂流民が
流れ着いただけである。
しかしまあ、周が滅びる時、同じように圧迫から逃れてやって来た集団がいたのだろうな。 徐福が神武天皇なら何で神武天皇に幼名なんかあるんだっつーのw
神武天皇の最初の本名と言うか、幼名はサノノミコトと言うんだよ。
サノ様なんだよ。
それに徐福が神武天皇なら何で「徐福」という文字一つ遺さなかったのか?
故郷の漢服や木沓、主食だった水餃子くらい遺すでしょ。
だいたい故郷の主食だった水餃子くらい食べたいはずなんですよ。
日本にだってコムギはあったんですから、作って食べない理由がない。
天皇なんでしょ?w >>234
うん、日本書紀の天皇の長寿は作られているとしか思えない。
日本書紀の編者が神功皇后をヒミコやトヨの時代の人物であるか
のように印象づけてるのは天皇家の歴史を知らなかったからじゃ
なくて、中国人が読んだとき日本国の歴史の古さに感銘を受ける
ことを狙って「わざと」神功皇后の記事に魏志を引用したのだろう。
神功皇后のように昔の天皇が実際より過去の人物に設定されると
それに後続する天皇の寿命が間延びし生没年まで過去に引っ張られて
しまう。だから5世紀のある天皇を倭の五王の誰かに比定してみても
天皇の正確な生没年を算定しないことには比定が正しいという保証がない。
天皇家が自分たちの過去の歴史について無知だったわけがない。朝廷の
役人はちゃんと漢字のような文字で記録を取っていた。たぶん日本書紀
ができた時点ではそれを真に受けない上手な解釈のようなものが存在した
が、やがてそれが忘れ去られてしまって、神代の神話は史実、日本は
日本書紀の記録通り紀元前7世紀の建国で古代の天皇たちは百歳を超える
長寿だったというオカルトじみた読み方しかできなくなったのではないだろうか。 >>239
その幼名は、帝紀に書かれたものでしょう?
帝紀が書かれたとき、だれも千年も前のことなんて知らなかったはずだから、登場人物の名前は、忍壁皇子たちが名付けたのでは? 存在しない神武に実在の徐福を比定したら
神話だろ? 神々が日本列島を創る前に渡来した香具師を
天皇に比定したらマヌケだろ? 実はアメノミナカヌシかクニノトコタチあたりが
徐福なんです、みたいなオチか >>243
徐福なんて渡来してないから、おまえがマヌケ。 徐福は黄金の島ジパングを探しに来たが
まだできてなかったんでアメリカ大陸を発見した。
だな。 >>207
水稲稲作は徐福が来るよりももっと以前からやってたからそのせつは破綻している。 >>240
本来の伝承に近いのは古事記なんだと思うよ。
日本書紀は、中国に提出するために作った「正史」だ。
見えを張ってちょっと盛ったのさ。
神話が盛ってあるってのは日本に限ったことじゃない。
ちょっと「盛ってある」記紀を。デタラメだから信じてはいけないと全部を否定するのはおかしい。
それならば中国の神話も、旧約聖書もそうしなければならないはずなのに、それはしない。
日本の神話や歴史書だけを否定する立場は、ものすごく異様だ。
見え張って130才の天皇を作ったことは否定するのに、神が人間を作ったことは否定しないんだな。
五賢帝の神話は信用するのに、天孫降臨なんてでっち上げだと否定するw
アダムの肋骨は無視を決め込むのに、国産みはでっち上げだと否定する。
ギリシャ神話のポセイドンはさすが欧州様!と持ち上げるのに、ワダツミ神話はでっち上げw 見え張って天皇の寿命を130歳に設定したぐらいまだ許せるだろ。
130歳で亡くなったと書いてあるからそんな天皇はもとから存在し
なかったと断言する左翼学者の発言のほうが大いに問題ありだろ。 >>249
現代人なら神話を歴史上の事実や科学的事実とちゃんと区別しようねw。
でないと歴史や科学の勉強ができないぞ。
キリスト教原理主義と違うんだから
天皇制は神代の神話が批判されたぐらいで壊れませんよw
イザナギとイザナミは大八洲国とその上に山川草木を産んだ後で
太陽の神と月の神を産みだしてるけど、地球も日本もできた後で
太陽と月が誕生することじたいおかしいよねw
アマテラスとスサノオの誕生にしても、アマテラスとスサノオの
誓約で生まれる神々にしても生物学的にあり得ない方法で生まれてるw。
アメノオシホミミはスサノオとのセックスでアマテラスの
神聖なま〇こから生まれたわけでもないのに、人間が鮫とセックスして
子供ができるわけないのに、やれ神武天皇のお祖母ちゃんは海神だった
とかやれ天皇はアマテラスに遡れば女系だのとか真面目に議論する
奴らがいるから頭痛いw。
天孫降臨からひ孫の神武天皇まで179万2470年とかコーヒー吹くわw。 アマテラスの神聖なま〇こ!これはまた卑猥な発言だ
で、科学が進歩していない時代の古代や中世の人は
神話を文字通り信じていたと?当時の人はキチガイ
だったってことかな? 徐福が童男童女三千人を連れてきた理由がわからない
さすがにこれは始皇帝が許したからできたことだと思うが、
何でこんな必要があったのか?
始皇帝には、不老不死の仙薬を持っている仙人への貢ぎ物代わりの奴隷という意味で説明したのか?
でも徐福が最初から(本音で)東の島国で王になりたいなら、
童男童女よりも秦の精兵三千のほうがよかったのではないか?
それとも精兵を三千人貰うとなると、将校級(漫画「キングダム」でいえば、三千人将か)が徐福探検隊の指揮を執ってしまい、
その将校級が東の島国で「王」になってしまうので、徐福が嫌がったということなのだろうか?
>>248
鉄砲伝来もポルトガル人が種子島に伝える前からあったという説もある
複数のルートから稲作文化が日本に伝わってもおかしくない 日本書紀も古事記も、どっちも欽明天皇あたりまでは正確じゃないよ。
そして、欽明天皇以後の歴史は、日本書紀のほうが正確。
古事記はあくまで元明天皇におべっかを言うために書かれたものだからね。 >>253
おまえ詐欺やめろよ台湾ブタチック半ニグロ。
徐福なんて来ていない。
本当なら「徐福」という漢字一つくらい遺すはずだろ。
中国人の定着した証拠遺構も無いし、その生活痕たる中国系土器も中国系農具も
何一つ伝わっていないし、漢服や木沓や主食の水餃子などの中国式の生活文化も
何一つ伝わっていない。
それと稲作は朝鮮からでほぼ100%確定している。
稲作が伝わった当時の中国のイネは中粒種と短粒種が約半々の割合で混交して
出土しくるが、日本の最古水田で出土した日本最古の炭化米は短粒種だけ。
稲作が伝わった当時の中国の農具は石耜という石刃のスキと石鋤という石刃の
除草具だが、日本の最古水田で出土した日本最古の農具は石刃の農具は無く、
木製のクワとエブリという両方とも当時の中国には無い農具であり、スキが
伝わったのはそれから200年以上も後の事で、やはり木製であった。
中国の石刃の農具は永遠に伝わる事はなかったのである。 >>255
「台湾ブタチック半ニグロ」というネーミングセンス何それww
はいバイバイキーンwwwおまえのレベルに合わせたよww >>256
台湾ニグロティックブタピーデの方が好きか?
淡褐色で黒人的造形の顔立ち。
鼻の穴がよく見える広鼻、ブタ広鼻が特徴。 俺は直鼻だが。
おまえは鼻の穴がよく見えるインドシナ華南ブタ広鼻だろw
クッサイ汚らしい醜悪極まりない鼻。
afb1b3鼻。
東南アジア。
ヨゴレ。
汚物。 徐福到来を示す遺物って
陶ケンって石笛だって聞いたよ。 >>259
普通はそこまで鼻の悪口にこだわる人、いやそもそも鼻の悪口を思いつかないから、
おまえは豚鼻ってことね
自己紹介乙 >>260
で、中国から縄文弥生期に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>261
この台湾ブタチックニグロピーデ!
この黒人的造形ブタ!
この鼻の穴がよく見えるインドシナ華南ブタ広鼻!
このウンコ色肌!
この突顎!
この巨大タラコ唇!
このafb1b3の塊!
この汚物!
このヨゴレ! >>260
>陶塤(とうけん)土笛の謎、日本では縄文時代から日本海沿いを中心に
100個ほど出土してるが、朝鮮半島からは一つも出土していない。どうして?
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12043460662.html
その一つが「土笛」です。弥生時代の土笛は、陶塤(とうけん)とも呼ばれる焼物の
笛で、起源は中国。河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前)の遺跡
などで出現しています。
2014/08/12 - 陶塤の出土は殷から周時代にかけて. 中国大陸と日本列島間の
交流があった可能性を表している。 陶塤が朝鮮半島から全く出土していない
ことから、. 中国との直接交流があったということだろう。
「中国古代の陶塤にその形と指孔の状況が酷似している」(国分 1968:190)と
指. 摘、以来「陶塤」や「土笛」として紹介 ...
朝鮮半島において塤形土製品の出土が知られていない。 >>263
「僕の頭は幼稚園児並みです」という>>263の自己紹介でした ありがとうございました >>264
沿海州から入ってきた土器だからだろ。
日本海側は縄文時代から平底円筒土器など沿海州沿岸の土器文化の影響を受けた土器が
見られるが、土笛は刻目突帯文土器と同じ時代に同じ山陰地方に現れるため、
沿海州沿岸から入ってきた土器と見ていいだろう。 沿海州って当時は中国王朝の支配下ではなく、匈奴の支配下だろう
匈奴と日本海沿岸の倭国が交流していれば面白いが、ちょっと考えにくいけどなあ >>265
この華南ニグロティックブタピーデが祖先の台湾ニグロティックブタピーデ!
このニグロ造形の醜悪極まりない顔面!
このウンコ色の肌!
この突き出したニグロな口元!
この鼻の穴がよく見える華南ブタ広鼻!
このメラニン色素たっぷりの色の悪い巨大タラコ唇!
この東南アジア遺伝子afb1b3の塊!
この汚物!
このヨゴレ! >>267
考えにくいもなにも、縄文時代から日本海側と沿海州沿岸が交流していたのは
もう考古学の常識だぞ。
彼らは日本の黒曜石を持ち帰っている。 水餃子ってそんなに昔から食べられてたのか?
中国で小麦が盛んに食べられるようになったのは
唐代より少し前「テンガイ」が発明されて製粉できる
ようになり胡食がさかんになったあたりでは? 餃子は春秋時代にはもう食べられていた事が分かっている。
水餃子だけじゃなく、鬲で蒸す蒸餃子も多かったと思われる。 >>268
君は他人からウンコ色の肌と言われてたんですね
可哀想にw >>242
徐福だって、神武天皇と同じくらい、実在の確証はないでしょ。
徐福が本当にいて、始皇帝をだました、と言う可能性と同じくらい、
神武天皇の即位以来ずっと皇室が存続し続けたという可能性はあるし、
そして実は徐福が神武天皇だったという可能性も、それらの可能性の1%くらいはあるかもしれない。 >>251
おもしろい人だなあ。
その調子だと、「お月様に映る影はウサギがおもちをついている姿よ」と言われてもいちいち
コーヒー吹いてくれそうね。
「皇室が大和国家の元となる集団を率いるようになったのは、神武天皇の時からで、
それはおよそ1000年ほど前の話なんだよ」と言われたら、普通は「そうなんですね」と思うはず。
「皇室の氏神は天照大神だよ」と言われもおそらく普通は「へぇ、面白いですね」くらい。
コーヒー吹くって…反応激しすぎ。
きっと、自分の家や親の出身地の氏神をきいてもコーヒー吹いちゃうんだろうね。 神武天皇から今上天皇まで72世代とされている。
本当に建国から2600年経ってるなら一世代26年として
100世代に達していてもよさそうだ。孔子の子孫について
も同じことが言える。孔子家の系図は途中で省略されてる
か無理に血筋で繋げたかのどちらかだろう。
一世代26年間隔で71世代子供を作っていったとすると1846年。
神武天皇と今上天皇はそれぐらいの年齢差があると見做してよいのでは? 皇紀が二千年年を超えていないと嫌な人って
まさかキリスト教と張り合ってるんじゃないだろうな? 徐福も始皇帝も孔子も、餃子を入れた蒸籠を鬲にセットして、蒸餃子にして食べてたんだね。
春秋時代から今と変わらない点心があるんだから、中国料理は驚きである。
何にも伝わっていないがw
春秋時代にはもう蒸餃子や水餃子を食べていたんだから、
同時代にはもうワンタンスープや肉まんもあったんじゃないかな? >>277
歴代天皇の中に、記録に残ってない(天皇記や帝紀をまとめた時、情報がなかった)ため、他の天皇の御代に入れられてる天皇がちょくちょくいるかもしれませんよ。
>>278
帝紀・天皇記および記紀がまとめられた時点では、
まだキリスト教は西洋人(今でいう欧米人)の宗教にすらなっていなかったし、そんなことはないです。
西洋人がローマ帝国を駆逐した後、正式にキリスト教を西洋のものとしたのは11世紀のことです。 313年のミラノ勅令でローマ帝国はキリスト教を公認しているんで、
キリスト教は西洋人の宗教でしたよ。
ローマ帝国外のドイツ北部より北に住むゲルマン人の宗教ではなかっただけで、
すでに4Cにはヨーロッパの大部分の宗教でした。 >>281
ローマ帝国はいまの西洋人が駆逐した東欧人ですよ。
キリスト教は、もともとローマ帝国(東欧人)の宗教でした。
今の西洋人がローマ帝国を駆逐して、そして11世紀以後、ローマ教会を、正式に自分たちのものにしたのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています