徐福=神武天皇 [転載禁止]©2ch.net
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中国のネット上で出回り続け、もやは中国人の中では定説になっているこの説について語りましょう >>231
漢の支配が及ばなかったのは半島南部の『韓』だけであって
漢四郡の全盛期には遼東郡から広がって楽浪郡は平壌地域まで
帯方郡はソウル周辺、玄兎郡は現北朝鮮域、臨屯郡は東岸だよ。
扶余、高句麗に押されて313年には消えた。
これによって日本は傀儡立国させた百済を高句麗との戦争に借りだして
400年までに高句麗馬と捕虜牧童の国内への強制連行で
軍事施設としての御牧での馬の国内生産化を成功させている。
これが、日本百済の親睦の歴史であり、空白の4世紀だよ。
400〜500年の倭の五王はこの半島利権交渉の為
日本の統一王朝として初めて、利権の絡まない南朝の南京建康に出向いた。 すまん、徐福スレだったw
大陸から日本への渡来人は移民と言っても朝鮮半島に逃げた
箕氏朝鮮〜衛氏朝鮮、始皇帝の重労働などで逃げた遺民と言うよりは
一応船を持った将軍や豪族なわけで、ある程度の開拓ビジョンは有ったし
社会性も理解できた、と思うんだよね。
資産を持ち込んだ、アメリカ大陸移民とかと同様としても、インディアンやアフリカ人とは違って
日本側の縄文人は農耕労働への参加や外部接触に融和的だったんじゃないかと思う。
銅鐸祭祀などで集められて、労働によって保存食が与えられるとかで
墾田開拓だって、日本的な自然崇拝やシャーマン信仰が保護されて、
日本的村社会を維持できて族長がそれなりに待遇されて、奴隷化じゃなきゃ歓迎だと思うね。
ちゃちゃっと、融合しちゃってんじゃね? 日本人種を形成した北方モンゴロイド形質の渡来人は縄文晩期に渡来したものだよ。
その後の甕棺墓から夥しい数の北方モンゴロイド形質の弥生人骨が出土してくる。
この縄文晩期に渡来して拡散した北方モンゴロイド形質の渡来人がメインであって、
古墳期の朝鮮帰化人などは日本人口がすでに何百万の時代に来た、あまり日本人種の
形成には絡んでいない。 徐福が神武ってのは考えにくいな。
徐福が来た頃に国家が統一された形跡は一切ない。
その頃は100のクニに分かれていた時代。
紀元200年頃には30あまりの国になる。
だけど、日本の各地に徐福伝承がある。
多くの船に分乗して日本を目指した。台風かなにかに巻き込まれたのか、船はばらばらになり
おそらくは難破したものもあり、無事だったものも各地に漂流しそのうちの幾つかが
陸にたどり着き地元民に助けられた。彼らは「徐福」と名乗ったが「徐福の船」だったのか、
リーダーが1人徐福となのったか。
いずれにしろ、どこでも100人単位で無事に上陸したようには見えない。
難破し漂流し、生き残ったのが若く健康な男しかいなかったのだろう。
徐福が来たとは伝わるが、徐福の子孫と伝わる家はない。
そして、伝承があるのは古くからの遺跡があり人が住んでいた場所だけだということ。
徐福本人は無事だったかどうかはわからない。
少なくとも、彼が連れて出た3000人のうちの幾人かは無事に生き延びた。
立派な道具や新しい何かが見つかることはないし、そういう伝承もない、ただ漂流民が
流れ着いただけである。
しかしまあ、周が滅びる時、同じように圧迫から逃れてやって来た集団がいたのだろうな。 徐福が神武天皇なら何で神武天皇に幼名なんかあるんだっつーのw
神武天皇の最初の本名と言うか、幼名はサノノミコトと言うんだよ。
サノ様なんだよ。
それに徐福が神武天皇なら何で「徐福」という文字一つ遺さなかったのか?
故郷の漢服や木沓、主食だった水餃子くらい遺すでしょ。
だいたい故郷の主食だった水餃子くらい食べたいはずなんですよ。
日本にだってコムギはあったんですから、作って食べない理由がない。
天皇なんでしょ?w >>234
うん、日本書紀の天皇の長寿は作られているとしか思えない。
日本書紀の編者が神功皇后をヒミコやトヨの時代の人物であるか
のように印象づけてるのは天皇家の歴史を知らなかったからじゃ
なくて、中国人が読んだとき日本国の歴史の古さに感銘を受ける
ことを狙って「わざと」神功皇后の記事に魏志を引用したのだろう。
神功皇后のように昔の天皇が実際より過去の人物に設定されると
それに後続する天皇の寿命が間延びし生没年まで過去に引っ張られて
しまう。だから5世紀のある天皇を倭の五王の誰かに比定してみても
天皇の正確な生没年を算定しないことには比定が正しいという保証がない。
天皇家が自分たちの過去の歴史について無知だったわけがない。朝廷の
役人はちゃんと漢字のような文字で記録を取っていた。たぶん日本書紀
ができた時点ではそれを真に受けない上手な解釈のようなものが存在した
が、やがてそれが忘れ去られてしまって、神代の神話は史実、日本は
日本書紀の記録通り紀元前7世紀の建国で古代の天皇たちは百歳を超える
長寿だったというオカルトじみた読み方しかできなくなったのではないだろうか。 >>239
その幼名は、帝紀に書かれたものでしょう?
帝紀が書かれたとき、だれも千年も前のことなんて知らなかったはずだから、登場人物の名前は、忍壁皇子たちが名付けたのでは? 存在しない神武に実在の徐福を比定したら
神話だろ? 神々が日本列島を創る前に渡来した香具師を
天皇に比定したらマヌケだろ? 実はアメノミナカヌシかクニノトコタチあたりが
徐福なんです、みたいなオチか >>243
徐福なんて渡来してないから、おまえがマヌケ。 徐福は黄金の島ジパングを探しに来たが
まだできてなかったんでアメリカ大陸を発見した。
だな。 >>207
水稲稲作は徐福が来るよりももっと以前からやってたからそのせつは破綻している。 >>240
本来の伝承に近いのは古事記なんだと思うよ。
日本書紀は、中国に提出するために作った「正史」だ。
見えを張ってちょっと盛ったのさ。
神話が盛ってあるってのは日本に限ったことじゃない。
ちょっと「盛ってある」記紀を。デタラメだから信じてはいけないと全部を否定するのはおかしい。
それならば中国の神話も、旧約聖書もそうしなければならないはずなのに、それはしない。
日本の神話や歴史書だけを否定する立場は、ものすごく異様だ。
見え張って130才の天皇を作ったことは否定するのに、神が人間を作ったことは否定しないんだな。
五賢帝の神話は信用するのに、天孫降臨なんてでっち上げだと否定するw
アダムの肋骨は無視を決め込むのに、国産みはでっち上げだと否定する。
ギリシャ神話のポセイドンはさすが欧州様!と持ち上げるのに、ワダツミ神話はでっち上げw 見え張って天皇の寿命を130歳に設定したぐらいまだ許せるだろ。
130歳で亡くなったと書いてあるからそんな天皇はもとから存在し
なかったと断言する左翼学者の発言のほうが大いに問題ありだろ。 >>249
現代人なら神話を歴史上の事実や科学的事実とちゃんと区別しようねw。
でないと歴史や科学の勉強ができないぞ。
キリスト教原理主義と違うんだから
天皇制は神代の神話が批判されたぐらいで壊れませんよw
イザナギとイザナミは大八洲国とその上に山川草木を産んだ後で
太陽の神と月の神を産みだしてるけど、地球も日本もできた後で
太陽と月が誕生することじたいおかしいよねw
アマテラスとスサノオの誕生にしても、アマテラスとスサノオの
誓約で生まれる神々にしても生物学的にあり得ない方法で生まれてるw。
アメノオシホミミはスサノオとのセックスでアマテラスの
神聖なま〇こから生まれたわけでもないのに、人間が鮫とセックスして
子供ができるわけないのに、やれ神武天皇のお祖母ちゃんは海神だった
とかやれ天皇はアマテラスに遡れば女系だのとか真面目に議論する
奴らがいるから頭痛いw。
天孫降臨からひ孫の神武天皇まで179万2470年とかコーヒー吹くわw。 アマテラスの神聖なま〇こ!これはまた卑猥な発言だ
で、科学が進歩していない時代の古代や中世の人は
神話を文字通り信じていたと?当時の人はキチガイ
だったってことかな? 徐福が童男童女三千人を連れてきた理由がわからない
さすがにこれは始皇帝が許したからできたことだと思うが、
何でこんな必要があったのか?
始皇帝には、不老不死の仙薬を持っている仙人への貢ぎ物代わりの奴隷という意味で説明したのか?
でも徐福が最初から(本音で)東の島国で王になりたいなら、
童男童女よりも秦の精兵三千のほうがよかったのではないか?
それとも精兵を三千人貰うとなると、将校級(漫画「キングダム」でいえば、三千人将か)が徐福探検隊の指揮を執ってしまい、
その将校級が東の島国で「王」になってしまうので、徐福が嫌がったということなのだろうか?
>>248
鉄砲伝来もポルトガル人が種子島に伝える前からあったという説もある
複数のルートから稲作文化が日本に伝わってもおかしくない 日本書紀も古事記も、どっちも欽明天皇あたりまでは正確じゃないよ。
そして、欽明天皇以後の歴史は、日本書紀のほうが正確。
古事記はあくまで元明天皇におべっかを言うために書かれたものだからね。 >>253
おまえ詐欺やめろよ台湾ブタチック半ニグロ。
徐福なんて来ていない。
本当なら「徐福」という漢字一つくらい遺すはずだろ。
中国人の定着した証拠遺構も無いし、その生活痕たる中国系土器も中国系農具も
何一つ伝わっていないし、漢服や木沓や主食の水餃子などの中国式の生活文化も
何一つ伝わっていない。
それと稲作は朝鮮からでほぼ100%確定している。
稲作が伝わった当時の中国のイネは中粒種と短粒種が約半々の割合で混交して
出土しくるが、日本の最古水田で出土した日本最古の炭化米は短粒種だけ。
稲作が伝わった当時の中国の農具は石耜という石刃のスキと石鋤という石刃の
除草具だが、日本の最古水田で出土した日本最古の農具は石刃の農具は無く、
木製のクワとエブリという両方とも当時の中国には無い農具であり、スキが
伝わったのはそれから200年以上も後の事で、やはり木製であった。
中国の石刃の農具は永遠に伝わる事はなかったのである。 >>255
「台湾ブタチック半ニグロ」というネーミングセンス何それww
はいバイバイキーンwwwおまえのレベルに合わせたよww >>256
台湾ニグロティックブタピーデの方が好きか?
淡褐色で黒人的造形の顔立ち。
鼻の穴がよく見える広鼻、ブタ広鼻が特徴。 俺は直鼻だが。
おまえは鼻の穴がよく見えるインドシナ華南ブタ広鼻だろw
クッサイ汚らしい醜悪極まりない鼻。
afb1b3鼻。
東南アジア。
ヨゴレ。
汚物。 徐福到来を示す遺物って
陶ケンって石笛だって聞いたよ。 >>259
普通はそこまで鼻の悪口にこだわる人、いやそもそも鼻の悪口を思いつかないから、
おまえは豚鼻ってことね
自己紹介乙 >>260
で、中国から縄文弥生期に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>261
この台湾ブタチックニグロピーデ!
この黒人的造形ブタ!
この鼻の穴がよく見えるインドシナ華南ブタ広鼻!
このウンコ色肌!
この突顎!
この巨大タラコ唇!
このafb1b3の塊!
この汚物!
このヨゴレ! >>260
>陶塤(とうけん)土笛の謎、日本では縄文時代から日本海沿いを中心に
100個ほど出土してるが、朝鮮半島からは一つも出土していない。どうして?
https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12043460662.html
その一つが「土笛」です。弥生時代の土笛は、陶塤(とうけん)とも呼ばれる焼物の
笛で、起源は中国。河姆渡文化晩期(かぼとぶんかばんき・約6500年前)の遺跡
などで出現しています。
2014/08/12 - 陶塤の出土は殷から周時代にかけて. 中国大陸と日本列島間の
交流があった可能性を表している。 陶塤が朝鮮半島から全く出土していない
ことから、. 中国との直接交流があったということだろう。
「中国古代の陶塤にその形と指孔の状況が酷似している」(国分 1968:190)と
指. 摘、以来「陶塤」や「土笛」として紹介 ...
朝鮮半島において塤形土製品の出土が知られていない。 >>263
「僕の頭は幼稚園児並みです」という>>263の自己紹介でした ありがとうございました >>264
沿海州から入ってきた土器だからだろ。
日本海側は縄文時代から平底円筒土器など沿海州沿岸の土器文化の影響を受けた土器が
見られるが、土笛は刻目突帯文土器と同じ時代に同じ山陰地方に現れるため、
沿海州沿岸から入ってきた土器と見ていいだろう。 沿海州って当時は中国王朝の支配下ではなく、匈奴の支配下だろう
匈奴と日本海沿岸の倭国が交流していれば面白いが、ちょっと考えにくいけどなあ >>265
この華南ニグロティックブタピーデが祖先の台湾ニグロティックブタピーデ!
このニグロ造形の醜悪極まりない顔面!
このウンコ色の肌!
この突き出したニグロな口元!
この鼻の穴がよく見える華南ブタ広鼻!
このメラニン色素たっぷりの色の悪い巨大タラコ唇!
この東南アジア遺伝子afb1b3の塊!
この汚物!
このヨゴレ! >>267
考えにくいもなにも、縄文時代から日本海側と沿海州沿岸が交流していたのは
もう考古学の常識だぞ。
彼らは日本の黒曜石を持ち帰っている。 水餃子ってそんなに昔から食べられてたのか?
中国で小麦が盛んに食べられるようになったのは
唐代より少し前「テンガイ」が発明されて製粉できる
ようになり胡食がさかんになったあたりでは? 餃子は春秋時代にはもう食べられていた事が分かっている。
水餃子だけじゃなく、鬲で蒸す蒸餃子も多かったと思われる。 >>268
君は他人からウンコ色の肌と言われてたんですね
可哀想にw >>242
徐福だって、神武天皇と同じくらい、実在の確証はないでしょ。
徐福が本当にいて、始皇帝をだました、と言う可能性と同じくらい、
神武天皇の即位以来ずっと皇室が存続し続けたという可能性はあるし、
そして実は徐福が神武天皇だったという可能性も、それらの可能性の1%くらいはあるかもしれない。 >>251
おもしろい人だなあ。
その調子だと、「お月様に映る影はウサギがおもちをついている姿よ」と言われてもいちいち
コーヒー吹いてくれそうね。
「皇室が大和国家の元となる集団を率いるようになったのは、神武天皇の時からで、
それはおよそ1000年ほど前の話なんだよ」と言われたら、普通は「そうなんですね」と思うはず。
「皇室の氏神は天照大神だよ」と言われもおそらく普通は「へぇ、面白いですね」くらい。
コーヒー吹くって…反応激しすぎ。
きっと、自分の家や親の出身地の氏神をきいてもコーヒー吹いちゃうんだろうね。 神武天皇から今上天皇まで72世代とされている。
本当に建国から2600年経ってるなら一世代26年として
100世代に達していてもよさそうだ。孔子の子孫について
も同じことが言える。孔子家の系図は途中で省略されてる
か無理に血筋で繋げたかのどちらかだろう。
一世代26年間隔で71世代子供を作っていったとすると1846年。
神武天皇と今上天皇はそれぐらいの年齢差があると見做してよいのでは? 皇紀が二千年年を超えていないと嫌な人って
まさかキリスト教と張り合ってるんじゃないだろうな? 徐福も始皇帝も孔子も、餃子を入れた蒸籠を鬲にセットして、蒸餃子にして食べてたんだね。
春秋時代から今と変わらない点心があるんだから、中国料理は驚きである。
何にも伝わっていないがw
春秋時代にはもう蒸餃子や水餃子を食べていたんだから、
同時代にはもうワンタンスープや肉まんもあったんじゃないかな? >>277
歴代天皇の中に、記録に残ってない(天皇記や帝紀をまとめた時、情報がなかった)ため、他の天皇の御代に入れられてる天皇がちょくちょくいるかもしれませんよ。
>>278
帝紀・天皇記および記紀がまとめられた時点では、
まだキリスト教は西洋人(今でいう欧米人)の宗教にすらなっていなかったし、そんなことはないです。
西洋人がローマ帝国を駆逐した後、正式にキリスト教を西洋のものとしたのは11世紀のことです。 313年のミラノ勅令でローマ帝国はキリスト教を公認しているんで、
キリスト教は西洋人の宗教でしたよ。
ローマ帝国外のドイツ北部より北に住むゲルマン人の宗教ではなかっただけで、
すでに4Cにはヨーロッパの大部分の宗教でした。 >>281
ローマ帝国はいまの西洋人が駆逐した東欧人ですよ。
キリスト教は、もともとローマ帝国(東欧人)の宗教でした。
今の西洋人がローマ帝国を駆逐して、そして11世紀以後、ローマ教会を、正式に自分たちのものにしたのです。 >>281
ローマ帝国はいまの西洋人が駆逐した東欧人ですよ。
キリスト教は、もともとローマ帝国(東欧人)の宗教でした。
今の西洋人がローマ帝国を駆逐して、そして11世紀以後、ローマ教会を、正式に自分たちのものにしたのです。 今でいう欧米人が、ローマ帝国の領土を奪ってローマ帝国を東欧に遷都させたのは4〜5世紀、
その語もローマ帝国を武力で脅かし続け、8〜10世紀にかけては、その宗教までも奪い取る
べく、ローマ教会(キリスト教)、ローマ帝国に介入や脅迫を続けます。
そして11世紀、とうとうローマ帝国が、「西方はゲルマン(今でいう欧米)に任せる」として、
分離しました。 それはさておき、
天皇記や帝紀・旧辞、記紀が書かれた7世紀から8世紀前半までは、
キリスト教はまだ東欧人(東ローマ帝国)が独占して世界には広まってなかったので、
>>278の言っている、キリスト教との関係は可能性がありません。 欧米人の大半はゲルマン系じゃないぞ。
英語にしたってラテン語に由来する単語が半分占めている。
フランス以南は全部ラテン系ですよ。
アメリカにしたって、合衆国やカナダ以外はラテン系ですよ。
合衆国ですら半分近くはもとはラテン系の人々ですよ。 >>286
民族だの遺伝子だの言語だのの話じゃないよ。国家の話だよ。
ローマ帝国を駆逐した西ヨーロッパの人たち(代表:フランク王国)が、
公式にローマ教会をのっとったのは8世紀なのか11世紀なのかという話だよ。
というか、そもそも、それすらスレチ。
大事なのは、「キリスト教の影響で記紀が書かれたわけではない」ということ。 >>274
徐福は神武天皇(モデルは複数人)ではないけど、(モデルらの)その祖先。
3000人余を引率して再度渡来した際には
有明海〜佐賀に上陸。
ニギハヤヒと号して、北九州地域を治めていた出雲帝国から分家して間もない宗像王家(出雲の西王家、神門臣家の出身)に取り入り
末女のサヨリ媛命/市杵島媛命と政略結婚(二人目のイザナミ)
物部王家(〜天皇家)の祖「ホホデミ」を生む。
後には九州物部王家の当主は歴代ホホデミを襲名していたとも。
、、、キキ神話の神武天皇の諱(又の名)がホホデミと伝わる。
徐福が初回渡来時にはホアカリと号して、
石見の五十猛海岸に上陸。
先立って事前工作員のホヒを出雲帝国側に送って上陸許可ほかを取り付けた上での事。
出雲の王家の女(高光媛命)と政略結婚して五十猛/カゴヤマを生む(高光媛命=一人目のイザナミ)
日本列島の大半を支配領域とする出雲帝国の簒奪を謀って
所謂、大国主神(ヤチホコ)と副王(スクナヒコ/粟島/事代主)を相次いで殺害。
、、、(天沼矛を下ろして地上世界(出雲帝国)をかき回して、、、ヒルコ(大国主)とアワシマ(事代主)を流す行) 皇紀が二千年を超えていないと嫌だという人っていうのは
記紀編纂者でなくて今の右翼を指してるんだろ まあ、とにかく日本にある古代の遺跡をどんどん発掘調査
していこうや。その上で紀元前600年頃にも大和平野に
国家権力が作られた形跡が見られるというか、当時からの
支配者の一族が飛鳥時代頃まで続いていたかどうかぐらい
遺伝学的な調査で解明できるんじゃないの?天皇家が遺伝学的
に縄文人に近いか当時の中国人に近いかもちゃんと判明するだろう。 古人骨からそんなにいろんな種類のゲノム採取できんじゃないの?
ミトコンドリアDループとか安定した部分だけが高確率で採取できるだけ。
あんまり感度上げると神の手のコンタミがおき、再現実験ができないから相手にされていない。 >>289
たったの二千年?と書いている人もいたよ、
そのような記録を残したからいけないとか ▢▢力夫氏のwiki
何かの専門家が書いたり、
編集したものでしょ
文字、文章を残さなかった
と書いてあったり
もれ(仮)も同じ考えなんだけど、
どうなっているんだと思う >>292
ひょっとして10万年以上前から
日本列島に天皇がいたと?
それって竹内文書ですかね? 郷に入っては郷に従え
これと同じような意味だと言っている人もいた
もののけ姫? 昔の科学を知らない人が
天災や自然現象や病原菌などを神のせいにするため
神をつくりました。時代が下って
支配者と被支配者ができると、統治のために
神に加え、宗教をつくりました。
宗教も科学も政治も法律も芸術も、すべて分離していません。
本気で神を信じ、平和と豊かさのために神に祈り、
戦いに勝つために神に祈りました。
宗教は政治であり、法律であり、科学でした。
天皇制もキリスト教もそんなもんだろう。 >>297
そうよね、いちいちコーヒー吹くほど反応するのがおかしい 実在した徐福を架空の神武に比定するなら
神武の正確な年期位は確定しろよ。 徐福が実在したというのは確定済みじゃないでしょ。
あと、比定という日本語の意味わかる?確定するものじゃないよ。 BC200年〜AD266年まで、九州倭国が漢〜魏に朝貢してた事実が有って
徐福が神武で九州から東遷なんてできるわけがない。
300年には九州平定で朝鮮出兵して350年に百済を建国させ
高句麗と戦争しなければ400年に高句麗馬の移入によって、
甲斐や信濃に御牧が成立という歴史上、考古学上の重要事実が成り立たない。
大和朝廷は畿内、中国、北陸、関東で勢力を形成していった以外は有り得ず
400年以前の記紀神話はデタラメであり、九州起源の神武は存在し得ない。 https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home
このサイトは、邪馬台国畿内説の立場で
神武天皇はヒミコと同時代の人物で、ヒミコが若いときの夫だった。
ヒミコは天照大神でも倭迹迹日百襲姫命でも神功皇后でもなく、
なんと媛蹈鞴五十鈴媛命のことだったのだ。
彼女の五代前が倭国王帥升であり、帥升とは素戔嗚尊である。
スサノオは架空の神ではなく実在した人物だったのだ。
記紀編纂者は、(白村江の戦で負けた悔しさに加えて?)過去に
日本の始祖王スサノオが中華の皇帝に土下座して朝貢した事実を
恥ずかしくて書きたくなかったので、彼を遠い神話の時代に飛ばした。
その結果後続する天皇の寿命が間延びして百歳を超えることになった。
神武天皇ことイワレヒコは女王ヒミコの婿に過ぎなかったが、
記紀編纂者は彼が婿入りする道中の話を勇ましい大王の東征物語にでっち上げ、
彼を初代天皇に設定し彼より偉大だったヒミコの存在を隠蔽した。
そして夫婦とも860年ほど前の紀元前660年へ飛ばされた。
女王の時代から男王の時代に交替するのは、第7代孝霊天皇の頃からと
考えられる。箸墓古墳の時代である。
どうです、なかなかよく出来た話でしょう。 >>304
なんか同意できます。
しかし、宮下文書をよく読んだほうがいい。 徐福が神武天皇(かその祖先)だとすると、
秦から持ってきた大船に兵を満載すれば、東遷はできるだろうな 中国系陶磁器、中国系農具、中国系金属器、漢服、木沓、戸建ての家屋、餃子食、
原始漢字。
当時の中国の生活文化が何一つ伝わっていない。
あほです。 中国系陶磁器、中国系農具、中国系金属器、漢服、木沓、戸建ての家屋、
餃子食、 原始漢字。 当時の中国の生活文化が何一つ伝わっていない。
だから中国(秦以前)と日本は何も交流がなかったと?
それは暴論なのでは? 稲作の起源は猪苗代湖
文明を発明したのは縄文人(シュメール人)
古代エジプト王国(邪馬台国)を作ったのは縄文人(シュメール人)
天皇(スメラミコト)はシュメール人のミコト 日本書紀が魏志倭人伝、晋書を引用してる分、神功皇后=卑弥呼のがまだマシ。 http://hello.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1409417295/707
707 名前:0510 ◆XtGOTOMAKI @転載は禁止[] 投稿日:2014/08/31(日) 19:31:03.10 O
私は推古天皇の末裔だよ
◆Dq0510MAKI >>302
徐福の渡来が日本の古代史上最大の出来事、かつタブー。
神武(古代史)は徐福と出雲の王家筋の女たちの子孫ら(モデルが複数。)の遠縁同士による権力争い。
神武の即位したという年代(約2600年前)は、出雲帝国が王制(帝制。オオナモチ、スクナヒコの正副の王による共同統治)を始めた年代をパクパクしたものだという事が
出雲の古老らの伝承等から分かります?
同じく出雲の古老らの伝承では、
徐福が渡来した時期は出雲帝国の第8代のオオナモチの八千矛(西の王家、神門臣家)と同じく第8代スクナヒコ(副王)の八重波津身(東の王家、富家)の統治下の事。 >>312
以上の事からその年代をほぼ同定する事が出来ます?
初回に渡来した時にはホアカリ(天火明命)と号して出雲帝国の王家の女と婚姻して帝国の乗っ取りを画策して正副二人の王を殺害(ヒルコとアワシマに反映)
結局は失敗して出雲側から逐われる身と成って母国に逃げ帰ったらしい。(イザナギの国生みの失敗の話) 出雲帝国初代から徐福の時代まで400年も経ってるのに
出雲帝国の王がたったの第8代目ということはないだろう。
徐福の子孫から神武天皇が出たならまだ分かるが、
徐福の時代からまもないところに神武天皇を置くと
天皇家の系図はやっぱり省略系図なのかって話になる。 BC300年には関東方面も開拓が進んでいたわけで
徐福は先行移民の多い九州や和歌山、畿内には上陸しないと思うね。
神武は実在してないし、東遷なんて無い。 船団は秦の最新技術なわけで、おそらく島。
畿内豪族に加わるなら淡路島がアヤシイ、あるいは出雲豪族になったなら隠岐。
隠岐は縄文の黒曜石交易有ったんで戦争有ったかも?だけど小さいから・・・
沿岸部が開けてないなら静岡から鎌倉あたりも、開拓地としては良いかも。
武器って言っても弓矢と剣じゃいきなり戦争しないし軍人多けりゃ開拓で喰えない。
荘園の生活基盤が出来てから、市場開拓で外交するだろうね。 マンガでは、
徐福は卑弥呼の先祖だって書いてあったな。
グランドジャンプのこううんりゅうすいっていう本宮ひろ志のマンガ
今週号より 安彦良和の漫画、ナムジでも邪馬台国の開祖は徐福と
いう設定。ヒミコをアマテラスに比定している。
宋史日本伝によると天御中主尊から数えて18、9世代目が
天照大神で、徐福から数えてそれぐらいの世代の末裔が
ヒミコという可能性は決してありえない話ではない。 古事記で天之御中主神を1世代目、高御産巣日神を2世代目…と数えた場合、
アマテラスやスサノオは13世代目。>>304は倭国王帥升をスサノオに比定
している。帥升の時代の後漢の安帝は劉邦から数えて13世代目。劉邦と徐福
は同時代人だから、帥升の先祖を12世代遡ると徐福に行き着く可能性がある。
つまり日本神話の神々は徐福の家系図上の人物
なんじゃないかな 徐福=神武天皇ということは、
皇室が中国人由来ってことなの?
そんなのいやあ・・・
と言いながら、
徐福は古代ユダヤ人だから、許す。 >>320
徐福は畿内皇室に食い込んだ豪族で中臣とか曽我だったり
滅びた安曇とかでも良いけど、
多分、秦氏銅鐸の、銅鐸祭祀を知ってたし、誰かが持ってきてるから
死滅回遊的、呉越からの漂流遺民ではない相互交通可能な船舶を持つ弥生人である。
邪馬台国以降、九州豪族の朝貢を知って富国強兵政策に転換した原因の豪族だよ。
秦の方士、徐福なら間抜けの古墳政策化は無い、けど400年後だし・・・
三代以降の、子孫は馬鹿だった。 そんなモン。 日本の古代史で一番馬鹿な奴は
始皇帝を破滅に導いた、古墳制を導入した、ダレか・・・
実在し得ない神功皇后って事で良いだろwww
始皇帝陵的、仁徳陵は多分、600年の斑鳩宮、法隆寺同様
開国の見栄で作ったと思うぞ。 >>309
シュメールに渡った縄文人がシュメール人だからね
逆にして流布してる工作員には注意だお じゃあ、シュメール人とはいったいどこから来たか。
高い文化を持っていた。
宇宙人? なるほど。
じゃあ縄文人は原人からどうやって文化性を持った人類になったの? 高皇産霊神の正体
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-09-9takamimusubi.html
吉野ケ里遺跡は徐福一行から別れた人々が作った集落。
神皇産霊神(飛騨王国)は高皇産霊神(徐福の系統)と力を合わせて
日本を統一した。
始皇帝・徐福・新羅の三系統の秦氏はどれも異なる時代に
日本に渡来した徐福の子孫。
神武天皇は呉の太白(その子孫が伊弉諾尊)の系統であり、
徐福からすれば女系子孫である。 じょふつは、神武天皇の60年程前の人物。
誤るべからず。 >>330
徐福伝説は昔からある 両サイド(徐福否定派肯定派)とも、
現代の政治と歴史を混同したり、
自分個人の政治思想から歴史を結論ありきでみるものではない >>331
徐福の子孫らが相争って(数人の神武)勝ち残ったのが天皇家。
1人目の神武は徐福の孫、天村雲命。
いわゆる欠史八代中が概ね天村雲命から始まる王朝。
第8代のいわゆる孝霊天皇の時に、九州の物部王家筋が攻め込んで来て(身内の葛城族の裏切りと造反も遭って)孝霊天皇は大和を放棄して吉備へ逃避。吉備国を建る
、、、ニギハヤヒの話。
その九州から入府した物部王家組?も葛城族に取り込まれ同化。
ニュー倭国も三代100年程を数えた時、
九州の物部王家の本命筋が東征を開始。
いわゆる崇神は東征の準備中に宮崎で死去。
遺志を継いだ三兄弟が実際に出師して
その途上、上の二人が死去。残った末弟、イクメ大王が熊野から上陸。高倉下の子孫らから執拗な攻撃を受けてまさに進退此処に窮まるも、
秘密情報を得て葛城の登美家(建角身)に密使を送りその内応、手引きを得て無人の野山を往くが如く進軍。
イクメ大王はイワレの地に至り駐屯。(イワレ彦)
それを目の当たりにした先の王家は大和を維持する事敵わず。是非も無しと大王や側近、民らは逃避。
イクメ大王(祖は徐福/ホアカリ/ニギハヤヒ(=ニニギ))は新たな大倭国大王と成った。
登美家(出雲の東王家、富家の分家。天日方奇日方命が祖)=金鵄 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています