BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。

粗製灰陶で出来ている鬲や鼎です。

灰陶も鬲も鼎もさっぱり伝わっておりません。

秦王朝のシンボルであり、祭器であり、死後、墓に埋葬されるはずの鼎も
土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。

古代中国の主力の農耕具だった石鋤などの石刃の農耕具もさっぱり伝わっておりません。

縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。

中国青銅器は飲食器が中心のはずですが、鬲や鼎のみならず、様々な器形の酒器も
さっぱり伝わっておりません。

中国青銅器の表面を飾る文様である龍文はもちろん、龍信仰さえ伝わっておりません。

様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。

漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物なども全く出土しません。

徐福なんて来ておりません。

ただ無知で馬鹿で頭の弱い知恵遅れだけがダマされる創作です。