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♪邪馬台国東遷説 その15 [転載禁止]©2ch.net
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0853日本@名無史さん
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2018/01/30(火) 22:48:20.18
邪馬台国
0854日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 23:14:11.61
不思議なんだよね。
2013年以来、学者は勿論、一般人にも、畿内説を連呼する狂人はいないのに、インタ−ネットの世界では、目立つのだよね。
0855日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 06:44:38.84
邪馬台国は東征していない
邪馬台国は九州にあったが、その後の政権が東征
0856日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 06:59:02.72
>>855

狗奴国が邪馬台国を滅ぼすか吸収合併して東征したという説もあるな。
0857日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 09:16:40.94
>>856
壹與が告諭されているから、その時点では邪馬台国は存続している。
0858日本@名無史さん
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2018/03/09(金) 09:18:40.23
卑弥呼の前の男王70〜80年が筑紫の日向三代なら、倭国大乱で逃げ出したのが神武、その後に成立したのが卑弥呼政権だ。
0859日本@名無史さん
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2018/03/10(土) 01:10:20.07
新燃岳や阿蘇山の噴火により噴煙が天まで届いている情景を見て、
我々は天から降りてきた天孫だという神話を作りあげたからだろう。
ほんとはシナから来た海神族なのだが。
船に帆を立てて、空と海がぶつかる水平線から近づいてくる情景も、
天から降りてきているように見えるかもしれない。
0860日本@名無史さん
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2018/03/10(土) 05:26:38.62
>>858

倭国大乱が発生した範囲だな。

九州だけが大乱だったのか、それとも西日本全域が大乱だったのか。
0861日本@名無史さん
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2018/03/10(土) 06:52:37.12
>>860
だから、倭国(阿波)国内での争乱と言ってるんですよ。  

中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。  @阿波
0862日本@名無史さん
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2018/03/10(土) 08:16:31.73
>>860
九州北部だけ。
しかしそこから神武東征が始まるから、玉突きで影響はあっただろう。
0863日本@名無史さん
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2018/03/10(土) 08:29:58.93
>>862
>しかしそこから神武東征が始まるから、玉突きで影響はあっただろう。  

中国の三国(魏・蜀・呉)ならいざ知らず、卑弥呼の時代に大軍を率いて西日本一帯を戦い歩くことなど不可能。 あまりにも兵站を無視しすぎ。  @阿波
0864日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/11(日) 00:27:45.63
邪馬台国も海神族だから船で北九州、広島、岡山、
そして淡路島、住吉、和歌山から奈良のルートで侵攻している。
邪馬台国は海神族の国で北九州にも親戚の海神族の国があり、
広島にも海神族の国があった。海神族が同胞を集めて奈良にある国を
侵略したということだ。
0865kimiaki harada
垢版 |
2018/03/11(日) 12:15:19.13
著作権は原田 君明にあります。

韓国対馬仏像盗難事件  これが日本に渡来したは、800年〜700年以前の時
鎌倉時代
韓国盗賊は、秀吉朝鮮出兵時に盗まれたと韓国捏造教育に基づいて犯行自供
安土桃山時代 豊臣秀吉 関白太政大臣になったのは400年から450年前である。
時代が300年程前で大きくズレている。
韓国朝鮮において、儒教台頭し仏教が迫害を受けていたらしいですが、
壊される位ならと日本近所に売りに来たと考える方が自然である。
対馬に対し仏像被害返還と賠償支払うべきである。韓国仏像帰国させたいのなら
800年分保管料を支払い謝罪すべきである。収監も要求する。

時にNHK 沖の鳥島 特集などで
韓国 アホ学者気取りが未だに朝鮮先進国気取りを2000年前にしてた虚像を暴く
韓国 前方後円古墳の実態は、任那日本府 後であり
鉄は当時 日本岡山県 備前長船 鉄生産地 からもたらされている可能性にやの
行き着くと思われる。
皇紀は2670年 韓国 前方後円古墳は1世紀  神后皇后時代に近い朝鮮討伐
日本武尊命は関東に鉄を求めて伊勢大名時代に関東・小笠原勢力と同盟に至っている
つまり、3000年から3500年前には、鉄は日本で現地生産されていた。
須佐の男時代に朝鮮討伐あり 森も木もありません不毛大地では、農作物も育たず
戦費を回収出来ませんで面白くありませんと帰国したみたいです。
貨幣経済は平安になってからであり、物々交換主流時代である。 
不毛大地の朝鮮と日本では国力に差があり過ぎて、中国は高い値で売れる方に先に
売りに来る。唐辛子が良い例である。高句麗も中国属国であった太古昔より後進国韓国と
思う。ハングルは15世紀 世宗王を待っても貴族両班弾圧し、農業潅漑設備水路も
日本が併合後に持ち出しで作った位 農業3千年以上遅れていた。
物々交換の時代 金延べ棒 銀延べ棒 鉄延べ棒は貴重であり高価であった
出土品は日本からで任那持って来た鉄延べ棒 =当時お金で差し支えないと思われる。
唐辛子同様に鉄は日本からで朝鮮にもたらされたと考える方が、日本鉄生産と時期
年代はの符号して行くと考えられる。 古代朝鮮優位説等在日コリアンと韓国学者
願望論に過ぎない。
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 12:01:07.02
2013年、畿内説は破綻しました。。。。
0867日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 21:04:37.59
東遷説のみなさん

遥々そんな遠方から、なにが嬉しくて、不便な内陸の、しかも湿地帯にやってくると信じるの? ご教示ください。  @阿波
0868日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 21:07:32.05
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/16(金) 06:55:45.39
九州に限らず、縄文時代の遺跡は平野部ではなく、山中にあるものが多い
山中といっても山岳地帯でもないけれど、山の方の盆地のような開けたところに多い

そういった場所に高天原を求めればよいのでは?
0871日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/16(金) 08:02:37.73
>>869
高天原は、交通手段が船だった。
アマとはそもそも、海のこと。
海原の中にある孤島だよ。
少なくとも5世紀頃は沖ノ島を高天原と見立てて大規模な祭祀が行われた。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/16(金) 08:06:00.93
海の男(天津神)が陸の女(国津神の娘)に婿入りするのが、記紀で繰り返されるパターンだよ。
0873日本@名無史さん
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2018/03/16(金) 08:41:51.86
斑駒がいるから海じゃないだろ
0874日本@名無史さん
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2018/03/16(金) 08:54:36.03
>>869

>山岳地帯でもないけれど、山の方の盆地のような開けたところ


人吉なんかまさにそうだが、でもここは古代史では特に目立った動きがないんだな。
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/16(金) 11:07:04.06
対馬で馬を飼っていたんじゃない?
0877日本@名無史さん
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2018/03/16(金) 23:10:41.97
>>872
>海の男(天津神)が陸の女(国津神の娘)に婿入りするのが、記紀で繰り返される

日向三代は天津彦が海神の娘を娶る物語が繰り返されるんだが?

どこかで認識がねじれてないかい?
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/16(金) 23:32:19.93
神話がどこまで当時の状況を反映しているか分からないが、
高天原では田を作り、機織りがいる描写があり、弥生社会のように描かれている

そのままに読むなら、
無良田、食海物自活、乘船南北市糴な対馬や
耕田猶不足食、亦南北市糴と書かれる壱岐を高天原に当てるのは難しいだろう
0879日本@名無史さん
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2018/03/17(土) 07:22:31.19
>>878
>高天原では田を作り、機織りがいる描写があり、弥生社会のように描かれている


県西部の急傾斜地農法 「世界農業遺産」に認定  徳島新聞朝刊 平成30年 3月10日

傾斜地農耕システムは、斜度40度にも及ぶ急斜面の畑で急斜面を水平に利用するのではなく、急斜面のまま作物を育てる独自の農法で、美馬・三好・つるぎ・東みよしの各市町で雑穀や野菜を生産している。
日照量に応じて作物を選び、カヤを土壌流失の防止に役立ててきた。カヤ場と呼ばれる採草地を確保し、秋にはカヤ刈り、「コエグロ」を作る。先人たちの知恵と技術、工夫が今の剣山系の傾斜地に詰まっている。
急傾斜の畑は、雨などの影響で土が流出しやすいことから、カヤを土にすき込んだり、畝と畝の間に敷き詰めたりする工夫が生み出された。
大型機械は使用できないため、流れ出た土をかき上げる6本刃の鍬「サラエ」など独自の農具も開発された。
栽培されているのは、ソバやアワなどの雑穀やジャガイモ、ハクサイといった野菜のほか果物など少量多品目の作物。シコクビエやタカキビなど地域固有の品種も生産している。
乾燥させるために刈り取ったカヤを円錐状に束ねて肥料や飼料を保存する「コエグロ」は、「カヤグロ」とも言われ、地域の冬の風物詩にもなっている。

阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。
まさにそこは、高天原「空・ソラ」の地なのである。  @阿波

http://www.shurakumachinami.natsu.gs/02system-page/system_sangaku.htm
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 08:28:47.27
>>877
世代ごとに海と山が入れ替わるんだよ。
あと、天津神は海の神のこと。

大山祇は陸の神だろ。
ニニギの妃となった木花咲耶姫は大山祇の娘。

天津神であったはずのスサノオは、大山祇(ニニギの時とは別の世代)の孫である奇稲田姫を娶って国津神となる。
大己貴命はスサノオの娘であるスセリビメを娶り、大国主となった。

国津神は女系相続で、大山祇または大国主の名が継承されている。
そこに男子相続の天津神を婿として定期的に迎え入れている。
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 08:31:43.26
本来は海の神であった天津神が日向三代として陸上に居座り、国津神が綿津見神として志賀島やら宗像、遠賀川へと追いやられていくようになる。
そのきっかけとなったのが、出雲の国譲りなんだよ。
国津神どうしの関係が明示されていないところに問題がある。
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 08:35:00.28
このようにして成立したのが、伊都国男王と書かれた日向三代。
三代とされているのは、その後で倭国大乱があり失脚して、神武らが東に脱出してしまうから。
混乱の後に共立されたのが卑弥呼となる。
王統は再び女系相続となり、壹與、神夏磯姫、田油津姫と続く。
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 10:41:16.97
国津神が在地の首長で天津神が中央政権だよ
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 11:44:56.17
倭国の主権が国津神から天津神に移譲されたんだよ。
後視的には天津神が中央政権に見えるが、はじめからそうだったわけではない。
ニニギが高天原から筑紫に降臨した、つまり天津神が移動したことも明記されている。
王都がある九州北部の支配者が入れ替わった。
0886日本@名無史さん
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2018/03/17(土) 12:15:05.87
>>880
>世代ごとに海と山が入れ替わるんだよ。

そりゃまたずいぶんと調子がいいな
豊玉毘売と玉依毘賣はともに海神の娘だろ
それを二世代連続で娶っているぞ

それに世代ごとと言うが、海幸・山幸は同世代の兄弟で海と山だ

天孫降臨以降、在地の神の娘を順に娶って土着化していくのは見て取れるが、
天津神が海神、国津神が山神というのはちょっと牽強附会が過ぎるだろう
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 12:41:08.34
>>886
>天津神が海神、国津神が山神というのはちょっと牽強附会が過ぎるだろう

まさかここに疑問が出されるとは思いもしなかったよ。
天津神は海人の神の表記を変えただけだし、その本拠地の高天原も、海原(あまはら)に接頭語をつけただけ。
おそらく対馬海峡をもともと支配していた部族だったのだろう。
0889日本@名無史さん
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2018/03/17(土) 12:44:33.64
>>886
>それに世代ごとと言うが、海幸・山幸は同世代の兄弟で海と山だ

そうそう、アマテラスとスサノオも、兄(姉)が海を、弟が陸を支配している。
天津神と国津神は非常に近い親族でもあり、しばしば兄弟で王が並び立つ。
でもそのことは>>884と矛盾するわけではない。
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 13:00:21.15
なぜこの島を、天津神の本拠地から外すんだい?
「天」御虛空豐秋津根別
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 13:05:19.75
>アマテラスとスサノオも、兄(姉)が海を、弟が陸を支配している

おーい!
イザナギが言ったことは、アマテラスが高天原を、スサノオが海原を統治するように、だぞ
最終的には、アマテラスはそのまま高天原を、スサノオが黄泉の国を治めるようになるけれど

妄想を楽しむにしても、基本事項はずらさないようにしようぜ
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 13:10:56.64
基本事項を外すから妄想  妄想を楽しんでいるのに茶々を入れるなんて・・・
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 13:16:00.95
日本神話は
ヤマト系の天津神と
イズモ系の国津神という2本の縦軸をより合わせながらできている

造化三神では高御産巣日神がヤマト系、神産巣日神がイズモ系
国生みの神では、イザナギがヤマト系、イザナミがイズモ系
三貴子ではアマテラスがヤマト系、スサノオがイズモ系

次の代が対応が悪いけれど、
大国主がイズモ系で、ニニギがヤマト系

そして、ヤマト系(というのもおかしいけれど)の神武天皇が
イズモ系の媛蹈鞴五十鈴媛命を娶って、皇統が始まる

記紀は父系原理で書かれているように見えるけれども、
皇統の母系の祖としてイズモ系の国津神が描かれていると考えればよいのではないかな
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 14:16:21.22
>>891
>イザナギが言ったことは、アマテラスが高天原を、スサノオが海原を統治するように、だぞ
>最終的には、アマテラスはそのまま高天原を、スサノオが黄泉の国を治めるようになるけれど

ここは謎。
記紀に収録されるまでに、情報が捻じ曲がったのか。
結果としては、アマテラスが海を、スサノオが陸を支配している。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 14:22:03.15
>>893
>記紀は父系原理で書かれているように見えるけれども、
>皇統の母系の祖としてイズモ系の国津神が描かれていると考えればよいのではないかな

基本としてはそうだと思う。
ただし、ヤマト系というのは表現としてよろしくない。
なぜなら、ヤマトが登場するのは神代の巻の末尾に過ぎない。
天津神と国津神の方が正しいだろう。
また、イズモ系についても、記紀の出雲が現代の出雲とは限らない。
根の国、黄泉の国などと近く、大山祇が大国主や大己貴と同系またはただの言い換えであった場合、出雲も黄泉の国も博多湾沿岸である可能性もある。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 14:45:01.14
>>894
>ここは謎。

説明できないなら、論として破綻があるんだよ

何でも一つの原理で説明できる、という考えは、科学ではなく宗教
妄想は科学より宗教と相性がいい
0897日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 15:03:03.93
>>896
説明できた方がいいのかできない方がいいのか、わからんコメントだな。
説明できない部分があると正直に言っているのに。
イザナギの指示とは異なった結果になってしまった、ということだろう。
しかしそれ以外の部分はむしろすっきりと説明できる。
もともと福岡平野(後の奴国)に大山祇とか国津神とか言う勢力がいて、それを追い出すように対馬海峡から天津神が糸島平野(後の伊都国)に上陸した。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 15:05:47.16
ついでに書くけど、昔は上り坂をヒラ、下り坂をサカと言ったのだそうな。
黄泉比良坂は、黄泉の国への峠(ヒラサカ=上り下り)を意味することになる。
福岡周辺で峠と言えば、日向峠。
関係あるかな?
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 15:08:28.04
また韓国起源説か
0900日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/17(土) 15:15:32.45
韓国まで行かないよ。
対馬海峡だよ。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 00:11:48.68
黃泉比良坂は出雲にあるんだよ
九州説の人は何でも九州だと言いたがるから困る
0902日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 01:51:06.58
>>722
私は
>早すぎるとごくふつうの畿内説になってしまう
に一票

神武の東征(というか移住?)はあったと思うけれど、決して大王ではなく
磐余彦と呼ばれたように磐余の小領主と見る
しかし後代の大王の血筋の畿内における初代として「ハツクニシラス」と
のちに呼ばれるようになる


そして神武は崇神の5代前くらい
その五代の間に在地勢力と婚姻を繰り返し土着化する

邪馬台国の頃の各地は彦姫制で、姫の祭祀王が権威を、彦の政務王が権力を持っていたと考える
倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼でヒメ王=祭祀王として共立され、倭国の祭祀が前方後円墳
(前方後方墳も可)として統一された
そしてその時のヒコ王=政務王が弟の崇神天皇で、共立倭国ができたときの 政務王=権力者として
「ハツクニシラス」の名を持つ

こんなところで、どうだろうか?
0903日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 07:07:13.90
倭国の名称は九州北部。
倭国の名前を出さなければその通りです。
0904日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 07:30:37.43
>>902
8世紀以前の奈良盆地に、繁栄を誇った痕跡があれば納得できますが、
なるほど、倭国の王都だと思えるものが8世紀以前の奈良盆地に有りますか?
まず、それを先に示すべきでは。  @阿波 
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 11:44:42.03
3世紀半ば以降、当代最大の古墳は常に畿内にある
古墳の築造という土木工事は、動員できる人口を誇示するモニュメントと言える
最大の動員人口を誇る地域が栄えていないとどうして言えるのか
古墳時代以降は畿内の優越が一目瞭然だから、邪馬台国東遷説を唱える人は
古墳時代の開始を遅らせることに躍起になっている
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 11:58:09.61
栄えていようがいまいが、中国に情報が届かないところなら意味がない。
邪馬台国とは、関係ない。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 11:59:00.06
>>904
いいことを言うな。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 11:59:44.13
畿内は強いぞすごいんだぞ。

ああ、そうですか。
で?
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 13:17:24.55
その強い畿内を差し置いて弱小地域が倭王に除せられることはない
出雲でも明白に北部九州より強い王権が認められ、大陸との交渉が確認できる時点で
九州説は死んでいる

投馬国(上古音でヅマ)を出雲国と考えれば、
水行20日7万餘戸とちょうど合うし、さらに10日水行で丹波に上陸し、
陸行1月で大和に向かう旅程は、弥生末期の強大な地域王権の発達が見られる地域を
順に巡っており、倭国の情勢を報告する役割を課せられた魏使(除正使)の行動として
非常に合理的と言える
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 13:56:17.02
>>909
>その強い畿内を差し置いて弱小地域が倭王に除せられることはない

魏がその存在を知らなければ意味はない。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 13:58:47.50
>>909
>出雲でも明白に北部九州より強い王権が認められ、大陸との交渉が確認できる時点で
>九州説は死んでいる

出雲は纒向よりも九州北部と強く結びついている。
出雲と筑紫が弥生時代の強者であるという図式に変わりはない。
まして、出雲から筑紫に政権交代したことが史書に明記されているのだから、むしろ九州に王都が移動したことを裏付けている。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 14:11:58.35
魏志倭人伝では狗奴国が邪馬台国の南にあるのに隋書倭国伝では東にある
記紀でも南九州から近畿に東遷してる
狗奴国から大和朝廷になったと考えるとすっきりしそうなんだが
0913日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 14:15:27.83
中国にとって興味がある産物が北部九州にほとんど産しないからな
0914日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 14:32:38.82
記紀の筑紫の日向は福岡県。
宮崎県が日向と命名されたのは、後の景行天皇の時。
筑紫の日向は、イザナギが禊をした住吉のある福岡県の博多湾-高祖山周辺。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 14:51:39.02
筑紫も日向も倭人伝にはないからな
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/18(日) 19:50:34.85
>>911
>出雲から筑紫に政権交代したことが史書に明記されているのだから、むしろ九州に王都が移動したことを裏付けている。

はいはい、お薬飲みましょうね
出雲では、西谷墳墓群で巨大墳墓が累代的に作られ続けているのに、
北部九州では、14×12メートルの小さな墓を卑弥呼の墓の候補にしなければならない始末

どこに、政権交代の証拠があるのかな?
思い込みは証拠にならないんだってば
0917日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/19(月) 08:37:40.19
記紀に出雲の国譲りの話しがあるよね。
その後は出雲国造家が墳墓を作るから、墓制が変化している。
考古学的状況は、記紀を否定していない。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/19(月) 08:50:18.42
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、
0920日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/19(月) 09:20:41.09
>>917
>その後は出雲国造家が墳墓を作るから、墓制が変化している。

この出雲国造家の墳墓って、どれを想定しているんだい?
前方後方墳のことを言っているなら、単に畿内で始まった墳墓祭祀を受け入れた
あるいは、墳墓祭祀の確立に参加したってだけなんだか?
0921日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/26(月) 20:53:42.34
>>919
その自称考古学者と若い古代史研究家たちの名前を5人ずつ挙げてみな
当然、研究機関に所属する学識経験者のことであって、まさかお前のような偏った
歴史好きのど素人が古代史研究家を自称しているんじゃないよな?w
そんな幼稚なレベルで話しているのなら、「お遊び」のまま終わるよ
自分がオナニー自慢をしていることにも気づかないままね
0922日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/27(火) 07:36:51.91
>>920
四隅突出型墳
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 12:12:08.25
>>922
>四隅突出型墳

これ、出雲国造家とは関係ないだろ?
もっと範囲広いぞ?
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 13:15:06.62
出雲の領土を継承したなら、広範囲でいいよね。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 13:18:34.38
>>924
>出雲の領土を継承したなら、広範囲でいいよね。

出雲国造家は、大国主に仕える立場だぞ?
出雲国造家が高天原を裏切ったから、国譲りの談判が必要になった

出雲国造家は、出雲の領土を継承していない
924の頭の中でどんな妄想物語になってるのか、教えてくれよ
0926日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/30(金) 13:57:58.03
>>925
はあ?
記紀を読み直せよ。
0928日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/01(日) 11:49:55.09
時間がワープしてるね、いろいろと。
「弥生時代は九州が優勢で先進!」ってわめくやつ。
確かに弥生後期までは九州が先進なんだよ、誰も否定していない。
だけど、三世紀の始めのことなんだ。
紀元前にどんなに九州が先進的であっても、関係ない。
200年頃の最大の古墳は丹後の赤坂今井古墳
0929日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/01(日) 12:01:40.67
卑弥呼は弥生時代だし、古墳の年代は確かなものではない。
0931日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/01(日) 14:07:29.84
いい質問だ。
どう思う?
0933日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/01(日) 19:59:37.52
赤坂今井は、弥生墳丘墓の扱いが多いと思う
出雲の西谷9号墓も大きいし、吉備の楯築墳丘墓も72メートルある

こうした各地のローカル王権の発達から取り残されているのが九州なんだよな
0934日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/02(月) 07:25:22.91
王都である伊都は伝統の方形周溝墓を守り、地方では好き勝手に田舎のお大臣が大きな墓を競っていたんだね。
九州北部の特殊性こそ、そこが魏の使いも逗留する倭の王都であった証だよ。
0935日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/02(月) 08:44:11.00
>>934
>王都である伊都は伝統の方形周溝墓を守り

それなのに古墳時代に入ってすぐ端山古墳を作るよね
後追いでしかも小さなやつを
伊都国の実力なんてこんなものだよ
国造ではなく県主レベルの豪族に過ぎない

そもそも、伊都国が邪馬台国の都なら「伊都国、女王之所都」って書かれなきゃいけないだろうが
邪馬台国と伊都国が別に書かれている時点で、伊都国が都なんていう誤読が成立する余地は
最初からない
0937日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/02(月) 10:16:57.56
>>935
卑弥呼より後のことを持ち出して、何か意味があるの?
0938日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/02(月) 22:47:47.35
>>937
卑弥呼の時代と古墳時代の始まりは同じ時代なんだよ
そして弥生時代の終わりと古墳時代の初期は、古墳を作るかどうか以外の違いはない
だから、古墳時代の始まりを見れば、その時期=卑弥呼の時代の倭国の中心が分かるんだよ
0939日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/02(月) 22:52:43.75
>>936
>伊都国は京

なぜ「伊都国女王之所都」と書かれずに「邪馬壹國女王之所都」と書かれたのか、
説明できた人がいないんだが
0940日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 07:44:45.18
卑弥呼の時代と弥生時代の終わりは同じ時代なんだよ
そして弥生時代の終わりと古墳時代の初期は、古墳を作るかどうか以外の違いはない
だから、弥生時代の終わりを見れば、その時期=卑弥呼の時代の倭国の中心が分かるんだよ
弥生時代の倭国王墓は全て福岡県にあるんだ
0941日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 09:26:40.02
>>939

帯方郡からの使者がなぜ邪馬台国ではなく伊都国に宿泊するのかがよくわからん。
0942日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 09:38:33.28
>>941
>帯方郡からの使者がなぜ邪馬台国ではなく伊都国に宿泊するのかがよくわからん。

帯方郡からの使者がなぜ邪馬台国ではなく伊都国に宿泊する理由を教えて進ぜよう。
それは、伊都国が一大率(筑紫忌部)をして、大陸出入りを監視するための言わば税関所だったから。

大陸からの往路 玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への復路  出航地(平戸市周辺)

伊都国(直方)は大陸往復路の分岐点である。 
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率が置かれたんだね。  

伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば税関所。
その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波
0943日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 09:45:18.72
畿内や阿波には滞在しなかった。
しかし卑弥呼に会って金印や国書を渡している。
つまり卑弥呼は伊都国から簡単に行き来した範囲にいた。
伊都国から不弥国までの筑紫が当時の倭国の王都、いわゆる女王国であった。
0944日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 09:49:39.55
>>943

魏使が九州で留まっていようがいまいが、「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。
倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。
子供みたいに延々と無意味な論争は時間の無駄。   
こういう痕跡を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波
0946日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 10:19:23.02
>>944
使いが逗留した伊都こそ中心地。
阿波は筑紫の支配下の工業地帯。
そんなところに卑弥呼はいない。
0947日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 11:05:50.65
>>946
>使いが逗留した伊都こそ中心地。

伊都国(直方辺り)は倭国(阿波)への単なる通過点。  又、大陸へ渡る単なる通過点。  @阿波
0948日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 11:16:17.39
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば税関所。

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波
0949日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/03(火) 13:41:52.19
>>948  訂正
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、出入国管理局。

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波
0950日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 00:10:31.24
>>941
>帯方郡からの使者がなぜ邪馬台国ではなく伊都国に宿泊するのかがよくわからん。

遠いからだよ
水行、陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、邪馬台国に着くまで
宿泊しないって訳にはいかないだろ

倭国に着いたら、とりあえず伊都国に泊まって、そこで用が済めば帰ればいいし、
女王の都に用があるときはがんばって、2ヶ月かけて邪馬台国まで行く

いずれにしても、伊都国には泊まるから郡使往來常所駐となるってことでいいんじゃないの
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 07:28:42.54
>>950
>女王の都に用があるときはがんばって、2ヶ月かけて邪馬台国まで行く

宿泊なら、途中の寄港地もすべて宿泊していたはず。
まさか帯方郡から纒向まで一泊二日では移動できないだろw

何度もあったはずの魏の使いは九州北部、それも福岡から一度も出た形跡がなく、卑弥呼に会って金印を与えている。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 07:43:41.96
>>951
>魏の使いは九州北部、それも福岡から一度も出た形跡がなく

それはない。  四国の阿波にきた形跡、あるよ。 若杉山知ってるし、中国産朱も持参してるし。  @阿波
0953日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 07:45:06.82
>>952
阿波への道のりが説明されていない。
0954日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 07:49:33.60
>>953
>阿波への道のりが説明されていない。


はい、これが阿波への道のり

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。
0955日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 08:13:54.35
>>951
>それも福岡から一度も出た形跡がなく

南至投馬國水行二十日。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。

これを無視または誤読してるから、福岡から出ていないなんていう寝言が言えるんだよ
0956日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 02:52:51.39
>>955
行程の解釈で様々な説があるが、正解はわかってない。
誤読?何をもって誤読とすることができるのかい?
陳寿が何を考え、何を見て記述したかわからないのだが?
錯かんの可能性もあるし。
だからこそ、どの説もはっきり"誤読"と言い切れないし、通説の解釈が正解とも限らない。
文献的に様々な可能性を考え、考古学的根拠で確認していくしかない。
今のところ九州説が一歩リード、というところか。
0958日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 07:45:36.25
>>956
>だからこそ、どの説もはっきり"誤読"と言い切れないし、通説の解釈が正解とも限らない。

通釈がなぜ通釈とされているか、きちんと調べて自分なりの考えを示せばいいじゃないか
通釈で不都合だと思うところがあれば、「根拠」を示して論じればいい

「帯方郡から」とするのが不合理な理由は「東南」ではなく「南」至邪馬壹國となっているから

魏志倭人伝の冒頭に「倭人在帶方『東南』大海之中」とあるし 邪馬壹國までの水行10日陸行1月が
帯方郡からの全行程ならば、当然「東南」でなければならない
0959日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 08:12:42.88
>>958
そもそも、その通説の根拠が見当たらないんだよなぁ。
誰が通説が正解だと論じてるのかい?
〜思われる、〜だから〜解釈するのが妥当、止まりじゃないかい?

説が出尽くした感はあるけどね。
0960日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 08:16:53.68
>>958
東南でなければならないというのは、少しでも畿内に近づけたいからかな?
帯方郡から筑紫なら、南で十分なのだけれど。
0961日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 08:38:16.11
>>958
いや、倭人の住んでる所と邪馬台国は違うでしょう。
東南は倭人が"いる"所の広範囲を示し、
南は"邪馬台国"という限定的な範囲だね。

邪馬台国が北部九州のみを指すのなら、南は妥当ということになる。

全て行程を直線的に読み、"南"も正しく、日程も距離を示すのであれば、邪馬台国は日本じゃないな。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 08:51:21.07
>>960
十分だという理由は?
0963日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 09:37:01.45
>>961
>東南は倭人が"いる"所の広範囲を示し、
>南は"邪馬台国"という限定的な範囲だね。
>邪馬台国が北部九州のみを指すのなら、南は妥当ということになる。

なるほど。
この説明は合理的ですね。
0966日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:35:39.18
>>959
>そもそも、その通説の根拠が見当たらないんだよなぁ。
>誰が通説が正解だと論じてるのかい?

ほら、また根拠なしでごまかす

大陸の史書の地理・旅程記事で、
途中からいきなり「起点からの表記」になるものはない

要するに、大陸史書の表記法の標準に合わない「異端の読み方」だって言ってるんだよ
こっちは根拠を示しているんだから、反論も根拠をつけてどうぞ

これに対する最もシンプルで有効な根拠は、
大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれればいい
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ

がんばれ!
0967日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:43:44.02
>>960
>東南でなければならないというのは、少しでも畿内に近づけたいからかな?

違うよ
魏志倭人伝の表記=撰者の認識が「東南」であるという意味だ

>帯方郡から筑紫なら、南で十分なのだけれど。

魏志東夷伝の表記では、韓が方4千里で、
循海岸水行、歴韓國、乍南乍「東」、到其北岸狗邪韓國、七千餘里
とあるから、まず南へ四千里行って、そこから「東へ三千里」行ったところが
狗邪韓國という認識になっている
末慮国上陸後も
東南陸行五百里到伊都國
東南至奴國百里
と、東南に進み続けている

それを、南と書くことはない
大陸の認識としては帶方「東南」大海之中の国なんだから、起点が帯方郡なら
「東南」でなければならない

南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
を帯方郡からと読むのは、明らかな誤読だよ
0968日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:45:18.28
>>961
>邪馬台国が北部九州のみを指すのなら、南は妥当ということになる。

この時点で、妥当じゃないんだよ

>全て行程を直線的に読み、"南"も正しく、日程も距離を示すのであれば、邪馬台国は日本じゃないな。

だから、旅程をそのままに読んでも仕方がないと言っている訳だ
要するにあてにならないってこと
0969日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 11:06:29.97
>>968
>要するにあてにならないってこと

結論が先にあるんだろう?
0970日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 11:30:22.48
>>969
>結論が先にあるんだろう?

九州説はそうなんだろ?
帯方郡の「南」を、無理に正当化しようとするし
0971日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 12:43:56.20
南と書いてあるからだろ?
畿内説のように南を東と読み替えるような破廉恥なことはしない。
0972日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 14:29:41.59
>>971
>南と書いてあるからだろ?

その前に、帶方「東南」大海之中と書いてあるのと矛盾する

南と書いてあるのは、帯方郡からではおかしいし、福岡平野からでも南に水行はできない
つまり、記載をそのままに受け取ることはできない、が結論だ
0973日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 16:31:55.60
>>972
東南は"大海"を修飾してるなら、帯方郡の東南にある大海の中に、となるな。
さらに範囲が広がるなぁ
0974日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 16:34:53.56
>>972
で、君はどこに邪馬台国があると思うんだい?
君の解釈だと、邪馬台国は倭人がいる国ではない事になってしまうが?
0976日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 16:39:05.58
>>966
まず、それなら直線的行程の中に里数から日程記述に変化している記述をしりたいなぁ。

場所の地理的説明ではなく、行程でね。
後、放射読みだったら意味がないよ?
0977日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 18:30:31.46
>>976
相手の質問・要求に対して、逆質問で返すのは詐欺師の基本だよ?
まずは、そちらが論証すべきことを、先に論証するのが筋だ

漢書/列傳 凡七十卷/卷九十六上 西域傳第六十六上/大月氏國
大月氏國,治監氏城,去長安萬一千六百里。不屬都護。戶十萬,口四十萬,勝兵十萬人。
東至都護治所四千七百四十里,西至安息四十九日行,南與罽賓接。

大月氏国、監氏城に治す。長安を去ること萬一千六百里。都護に属さず。
戶数は十萬,人口四十萬人,勝兵は十萬人。
東の都護の治するところに至るに四千七百四十里、西に安息国に至るに四十九日行、
南は罽賓に接す。

これを見ても分かるように、全行程は最初に書かれるもので、途中に起点からの
全行程が入るのがおかしいって分かるだろ?

それに勝手に「放射読みだったら意味がないよ?」とか付けているが、
こっちはそんなことを主張したことはない

そして、ここに挙げた大月氏国の地理は、大月氏国基準だと放射読みだが、
安息国への情報としては、
西域都護まで里数
大月氏国まで里数
安息国まで日数 となっている訳だ

問題ないだろ

さあ、大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれ
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ

がんばれ!
0978日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 18:34:56.30
>>974
>君の解釈だと、邪馬台国は倭人がいる国ではない事になってしまうが?

「私の解釈」ではなく、「陳寿の認識」では、倭国は南へと
伸びていく列島となっていて、現実の日本列島に当てはめると
「倭人がいる国ではない事になってしまう」んだよ

つまり、旅程記事はあてにならない、だ

>で、君はどこに邪馬台国があると思うんだい?

となれば「倭国は南へと伸びていく列島」という「陳寿の認識」を修正して
考えていくよりないってことになる
0979日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 12:00:39.19
そして「水行」の大陸史書の地理・旅程記事での用例を見ると、
海岸沿いの海の移動であることが分かる

そうである以上、北部九州、奴国周辺からの水行は、
「日本海の山陰地方沿岸を東へ」、というのが一番考えやすい
可能性としては、
「瀬戸内海を東へ」
「九州東岸を南へ」
「九州西岸を南へ」
もあり得るが、これらのルートではないって、5万戸の投馬国、7万戸の邪馬台国の
比定地が得られない

であるなら、日本海の山陰沿岸を東へ水行し
投馬国(出雲国)5万戸を経由し、邪馬台国(大和国)7万戸に至るのが、
一番齟齬のない旅程となる
0981日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 12:22:38.47
>>980
同意
0982日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 12:27:02.87
>>979
剥げ同
0983日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 12:28:23.65
なぜ出雲と大和と特定できるのか。
なぜ阿波と吉備ではいけないのか。
0984日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 12:33:58.78
>>983
比較の問題
0986日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 13:03:49.18
>>985
吉備でもいいが、出雲のほうがより妥当
0987日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 13:06:28.48
>>980
>東じゃ論外

九州説はそこしか頼るところがないからね
そして、根拠なしに一言だけ書くのはいつものこと

そもそも魏志倭人伝の記述通りでは、どこにも行き着かない

だから>>974でも書いたように
「倭国は南へと伸びていく列島」という「陳寿の認識」を修正して
考えていくよりないってことになる

そして、北部九州から水行して行ける、考古学的に確認できる大勢力を求めることになる
0989日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 13:08:29.08
>>988
直ぐ上のレスも読めないアホ
0990日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 13:16:41.17
要するに畿内説は結論先にありきの論理性のない思い込み。
0992日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 14:15:02.09
>>990
>要するに畿内説は結論先にありきの論理性のない思い込み。

論理性って言葉が使いたかったんだな? 無理しなくていいんだよ?

前提1
陳寿の記述通りではどこにも行き着かない
 ↓
陳寿の記述は倭国が南北に伸びる列島であることを前提にしている
 ↓
現実の日本(倭国)は、南北に延びる列島ではない
 ↓
現実の日本列島に合うように修正する必要がある

きわめて論理的だろ?

前提2
大陸史書の地理旅程記事での「水行」は海岸沿いのの海の移動
 ↓
水行の起点は北部九州(奴国・福岡平野周辺)
 ↓
可能な経路は
1「日本海山陰沿岸を東へ」、2「瀬戸内海を東へ」、3「九州東岸を南へ」、4「九州西岸を南へ」
の4通りが考えられる
 ↓
上記4経路のうち、投馬国五万戸と邪馬台国七万戸にあたる考古学的に確認できる大国がある経路を選べばよい
 ↓
投馬国:出雲国、邪馬台国:大和国と考えれば、上記の条件を満たす

と、こちらもきっちり論理が通ってるだろ?

卑彌呼共立以前の段階で、巨大墳丘墓を作れるローカル首長が居なかったところは考慮に入らないんだよ
0993日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 14:26:00.28
短里の報告書を長里で解釈していたから、朝鮮半島と九州の南北の長さを過大に評価していただけだよ。
本州と四国は、海の東にも倭人がいると記録されており、方角を間違えていたわけではない。
0995日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 15:58:46.04
勝手に変えて読めばどこにでも行き着く
そんなこと、する意味がない
つまり使い物にならない
0996日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 16:06:54.13
終わり
0997日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 16:11:31.09
>>993
>本州と四国は、海の東にも倭人がいると記録されており、

九州説はいつもこうやってごまかそうとするが、
女王國東「渡海千餘里」復有國だ
幅600メートルの関門海峡は、九州説のいう短里であってもどうやっても千里にはならないだろ?

本州を渡海千里の国とするのは、あまりにも恣意的なこじつけ

>短里の報告書を長里で解釈していたから

そもそも短里などというものはない
紀元前3世紀の秦の始皇帝の度量衡の統一から卑弥呼の時代までに400年以上経過している
辺境だから古い度量衡が残っていたとするのは、妄想に近い憶測

倭地が漢土から萬二千里の彼方というのは、淮南子に見られる世界の果てまでの距離に合わせ
司馬懿の功績を顕彰するための数字あわせで、短里などというものはない

短里を前提とする論説はそれだけで破棄してよい
0998日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 16:13:48.85
>>994
>前提から間違ってる

どこがどう間違っているかを「根拠」を挙げて論じられない時点で
九州説の立場を取る人間の能力の限界が明らか

基本的に個人の感想レベルのことしか書いてないのが九州説の書き込みの常
0999日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 16:15:40.67
古墳時代に入れば、畿内が倭国の中心になることは明らか

そして、標準的な編年では、古墳時代の始まりと、邪馬台国の時代は重なる

東遷説の成りたつ時間的な余裕はない
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