忍者について [転載禁止]©2ch.net
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忍者使って調略しまくってたのは、やはり信玄と家康というイメージだが
結局、具体的に何をやってたのかはわからないんだよな
秘密工作だから当り前だけど 99%嘘
500年後の人たちが
500年前の日本に仮面ライダーがいたと思っちゃうようなもんさ >>6
え?
実際に忍者と呼ばれる人たちが実在して、戦国末期の世の中で
諜報活動をしたり、ゲリラ戦したりしてたのは紛れもない事実なんだが? 忍者って脚色されたイメージが強すぎて、
逆に忍者そのものがフィクションだとか思ってしまう>>6みたいな人が結構いるよな 松尾芭蕉は伊賀の生れってだけの理由で
勝手に忍者認定されてしまってる感が強い 忍者といえば三河の上郷城攻略戦だな
およそ280人の甲賀者が松平氏に雇われて
出陣
事前に半分が城内に潜入、残り半分が城外から攻撃
城兵が応戦した隙をついて城主を討ち取り
城主の妻子(今川氏真の叔母と従兄弟)を捕虜にする
その後今川に対し家康の妻子との人質交換を要求し、築山殿と信康を取り返した
これにより織田、徳川の同盟が機能するようになり、歴史は大きく変わった >>6
同感だなww
99%は大げさだけどww
ただ宣伝も忍者の仕事だからなww
それを考えたら、今頃はあの時代の忍者も墓の中で
満足げに笑っているだろうてww かの昔、光瀬龍の「夕ばえ作戦」という少年向けSFがあった
NHKのドラマにもなったな。主役は今は某番組で座布団はこびをしている山田くんだった。
「夕ばえ作戦」では、当時超人的な能力が過剰に描かれていた忍者の実像はリアルではこうだったのではないか
というのが一つのテーマで、当時の現代っ子がタイムマシンで過去に行き、忍者に対抗する話だった。 ところが、最近某漫画誌でリメイクされたこの作品、このリアルな忍者というテーマはばっさ
り切ってしまい、いつものありきたりな忍者で描いていた…。 編集のゴリ押しか、脚本の押井が悪いのか、若手漫画家がテーマを理解していなかったのか? >>17
そのドラマについては何も知らないけど、一般的に、
能力が過剰に描かれるのを否定する、という場合、大抵は逆に
能力を過小に描いてしまうんだよね。
まあ、テレビなんてそうでもしないと視聴率取れないから仕方ないのかも知らんが、
型に嵌った右か左か・表か裏かじゃなくて、
もう少しまともにものを見られないの?とはいつも思う。 もうだめだろこれ
忍び装束や手裏剣や煙でドロン!のイメージが付きすぎてる
妖怪みたいな嘘と割り切らないと
史実史料解き明かそうにも全部薄いし
ただの工作員ならどの時代、どの地域にもいるんで珍しくともなんともないし >>21
だから、イメージつきすぎているのはあなた個人の問題なのであって、
実際に忍者がいて、活躍してたこと自体は
嘘でも何でもないんだって みちのく忠臣蔵として有名な「相馬大作事件」は忍者合戦でもあった。(リアルにw)
相馬大作は津軽藩主を狙撃しようとした南部藩の人。相馬大作の親友が、忍者間宮林蔵!!
対する、津軽藩は津軽藩用人(藩主の秘書みたいなモン)笠原八郎兵衛率いる忍者軍団「早道の者」!
早道の者は変装し、南部藩に潜り込み、相馬大作を裏切った事件の生き証人たちを南部藩から次々に逃げ出させるコトに成功。
3人の証人たちを江戸の奉行所に集め、証言させ相馬大作を言い逃れできなくさせた。
裁判後、南部藩に最後に残った同藩出身で1人の証人の妻となっていた女を無事に津軽藩に脱出させることも成功する。
南部側は篠山藩主で奉行所の裁判官である青山忠裕に接触に成功。相馬大作の死罪は免れなかったが、やけに相馬大作に
同情的な判決文を作成させることに成功。また、江戸庶民に津軽藩の悪口を広げまくる! >>17-19
夕ばえ作戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E3%81%B0%E3%81%88%E4%BD%9C%E6%88%A6
> 現代から見れば「江戸時代の人間は体格も悪く、低い栄養状態から力も劣る」が前提となっており、
> 「大人の忍者よりもスポーツで体を鍛えた中学生の方が強い」設定となっている。
これはこれで全くリアリティないというか、
ステレオタイプな先入観に過ぎないって気がすごくするけど。 >>23
つけ加えるならば、相馬大作が師事した平山行蔵が忍者(伊賀組同心) >>24
そこまで否定すると少年モノの小説じゃなくなるw
当時はスポ根全盛時代。やたら武道で鍛えまくった体格の良い中学生ならば勝てるという描写だった。 ちなみに、山田くんはその体格の良いスポーツやってた少年そのものじゃないからねw
念のため。 『太平記』に、高師直が「屈強の忍の者」を使って放火させたというのが、古い例でしょうか。
『日葡辞書』では「シノビ」を潜入する者としていますが、江戸時代の史料では『和漢三才図会』
以下、忍を潜入する行為そのもの、実行者を忍の者と呼んでいます。
忍術使いという言葉もありましたが、この辺になると芝居用の虚構が入って来る。
敵地に潜入するのが忍で、実行者が忍の者であれば、出身は地侍でも宗教者でも芸能者でもいい。
『和漢三才図会』には「甲賀にこの術をよくする人が多い」と書かれていますが、元々忍専業の
人や忍の里があったわけではないでしょうね。
城や陣に潜入するのと、敵国に変装して赴くのとは、元々別技能だったのではないかという気が
します。『日葡辞書』の定義では、後者にまで言及がない。
「草」という言葉も実際は草に紛れて偵察して来ることで、他国に根を張って情報収集云々は時代
劇の世界のようです。 >>25
伊賀組同心が忍者やってたのなんて江戸時代の初めのほうだけだろ ☆ 総務省の『憲法改正国民投票法』のURLですわ。☆
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/
☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願いします。☆ まずみんな待って
本当に語り合いたいなら忍者でひと括りにして議論するのはおかしい。
伊賀者は農民から発展したタイプ
甲賀者は古代豪族が土着した地侍連合
武田の三ツ者や伊達の黒脛巾は大名が組織した特殊部隊
尼子の鉢屋、北条の風魔は元々定住する地を持たない遊芸者の集団
こんな成り立ちも中身も違うものを一緒くたにして語ろうなんて無理がある。 まずみんな待って
本当に語り合いたいなら大名でひと括りにして議論するのはおかしい。
徳川松平は一門から発展したタイプ
前田池田は織田豊臣から生き残った濃尾集団
酒井本多榊原は徳川が組織した旗本部隊
仙台の伊達や薩摩の島津は元から在地の田舎者集団
こんな成り立ちも中身も違うものを一緒くたにして語ろうなんて無理がある。 >>32
徳川家臣の場合
酒井や石川は土豪だろ
榊原や本多は旗本だが シナの春秋戦国時代の墨家か何かが、日本に流れ着いて、
都の近くの伊賀、甲賀あたりに住みついたものではないのか? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>36
まあそんな感じだろうな
火遁とか水遁とか明らかに仙道由来だよな 幕末維新のときも忍者は活躍したのですネェ?
アレだけ隠密を使っていたのに、幕末維新期は
そういった隠密を使ったとの話は聞かないのですが?
ところが、京都の調停工作では金をばら撒いただのといった話は
良く聞くのですが? エベンキ族はアパッチ族に匹敵するほどの武力の持ち主だった・・・ 真面目に語ると
本物の正真正銘の忍者はカメハメハ一族と犬上家だよ。 毒饅頭とかあるだろ?
萩市在住の追剥が御萩を売り歩いていたらしい。
牡丹餅と見せかけて、馬糞を売り歩いていたらしい。 御萩と見せかけて、味噌糞の人種に犬の糞を売り歩いていたらしい。 昔のCMになかった?
脱いだら凄いんです
それとも脱いでも凄いだった?
あのようなのも忍者の宣伝だと思う リアルというか本当の忍者は
女なのかもしれないよ
創作された忍者ではなく、本当のニンジャ 何か恐ろしいな。
現代でも我々が知らないところで忍びの者が暗躍しているとは。 西 甲賀忍び 伊賀忍び 根来忍び
東 甲州透破 風魔乱破 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
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岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
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http://goo.gl/QE1SCY 中学生の時、親父に呼ばれて
「ここに座れ、おまえに言わなければならないことがある」
と言われていったい何事だと思ったら
「我が家は忍者の家系なんだ。代々○○様をお守りする役目がある。
なぜなら先祖が(中略、処刑されるところを助けられたとかの話)。
何もないとは思うが万が一命令が来たらおまえも命を投げ出しでお勤めするんだぞ」
とか真顔で言い出してリアクションに困り、うっかり
「はっ。かしこまりましたw」とか答えてしまったわ
「わかったら行け」でそれっきりだったけど、あれは何の冗談だったんだろうな 柳生って忍者なん?
雑賀衆ってどんな忍法使うとったん?
伊賀甲賀ばっか有名で他の地方の忍者はもっと頑張れよ 忍者という語源は司馬遼太郎だか山田風太郎あたりが使い出したのが定着したらしい
昔は透破や乱破とか草とか間者とか言われて忍びなんて言われていなかった >>63
昔といったって江戸時代の万川集海には既に忍者という言葉が出てくるぞ
誰に吹き込まれたのかしらないがまともに自分で調べる術を持たないと
そうやって恥をかく 甲賀は世界遺産認定目指しているらしいが車でドライブすると面白い
ただの田舎の土の道だったであろう想像できるきれいに整備されたアスファルト道が田んぼの中に続くのだが
それがアリの巣のようで一旦甲賀に入ってしまうとなかなか出るのに時間がかかる もちろん信号はほぼない
伊賀方向へ抜けようとしているのだが甲南へが戻っているのだ
鎌倉武士の末裔の俺を出し抜きやがってと苦笑いながら走っている。 クノイチの語源って諸説あるけど
どれが正しいのかね
いつから使われだしたのかね 日本の戦国時代の忍者も、これだけあることないこと言いたい放題の
過剰な宣伝がまかり通っているのだからな。
昭和冷戦時代のスパイ工作だって、あと50年もしたら
日本の戦国時代の忍者みたいにあることないこと
過剰に騒がれるのだろうな。 世界規模で忍者の存在は知られてるのにその実態の話になると途端にみんな口を閉ざす
知らないもんだから茶化すくらいしか出来ずに議論できないっていう
みんな知ってるのにみんな知らないという不思議な人たち
日本史上初めて忍者を使ったのは聖徳太子だという。志能便と書かれたその人物は大伴細人というらしい。
もともと大伴氏は物部氏と並ぶ大王家の軍事力を担う一族で、物部氏が国軍的な役割で大伴氏は近衛軍である。
貴族文化全盛だった平安時代においても藤原氏に排斥されたとはいえ武人の故実を伝える武官家だった。
応天門の変で失脚した伴大納言こと伴善男を最後に公卿を輩出することはなくなり日本各地に土着していった。
伴氏の血脈として有名なものに鶴岡八幡宮宮神主や、平安期に大隅国肝属に下向しのちに戦国大名化した肝付氏もいる。
肝付氏には始祖・伴兼行が伝えた家伝の野太刀術があり、これはのちに分家の薬丸家が継ぎ幕末から明治にかけて門下生たちが数々の重大事に関わった薬丸自顕流の源流となる。
少し話が逸れたが、面白いことに甲賀にも伴氏の末裔がいる。
三河伴氏の流れのようで戦国時代も伴姓のままの伴長信などの名が見える。
織田信長に使えた滝川一益の滝川氏もこの伴氏の家系で、ゆえに一益忍者説がある。
滝川氏は楠木氏説もあるがこちらならば服部氏や根来の津田算長や杉ノ坊妙算、照算を出す津田氏などもいたりする。
信長の乳兄弟・池田恒興もこの滝川氏で、池田姓は母方の名字である。
やべぇ長くなってきたから切り上げ 忍者定番のあの格好って
あの時代にそういうファッションしてたって文献なんてひとつも出てないよね
昭和あたりでどっかの漫画家か絵師がああいう絵を描いてそれが定着しちゃったと聞いてるが >>72
あのイカれ創作画家が描いたからそれが史実という保証はない
もしその絵が北斎の創作なら忍者ファッションの起源は北斎ということになる 実際の所、町人に紛れて潜伏するなら町人の恰好だよな てゆーか後で忍者の存在から格好から仕事ぶりまで全部バレてるんじゃ意味ねーじゃんじゃねーの? 忍術の研究とか忍術書が多く書かれたのは平和な江戸時代に入ってから
戦国時代が終わって活躍の場が無くなった彼らはもはや過去の遺物として朽ち果てて行くだけ…
そんな彼らの足掻きが忍術の研究、開発と文字化だった
だから現代に伝わる忍術や忍び道具の大半は実戦で使われたこともないし、彼らが頭の中で考えた机上の空論で出来た代物でしかない(実際に有用かどうかは別にして) 時代劇で大名が家臣と作戦会議してる時
屋根裏にちゃんと忍者も敵忍者に聴かれないよう待機してんの? >>78
マジレスしちゃうと…
屋根裏に隠れて盗聴するようなことはしない
見つかる危険性が高い上に生還の望みが薄いし、捕まれば尋問もとい拷問される
リスクが高すぎる
そういう意味では現代のスパイや諜報組織と同じようなやり方をする
シギントはもちろん出来ないからヒューミントを主体とする
それに江戸時代にはもはや各藩は内治にしか注力しないから諜報活動をすることはまずない
幕末の動乱まではね
そして戦国時代の話だとするとそもそも忍者と忍者でない人の境目が曖昧なのでどこを切り取って話すかはなかなかに難しい 幕府が地方の有力藩に謀反の動きがあるかどうかを知る必要がある
諜報活動するとしたらそのへんくらいだろうな 戦国物の作品でよく忍者が城に忍び込んでるけど、小城というか小砦で警備が薄いならまぁできないことはないだろうけど基本忍び込まない
近場で敵情偵察はする
戦中なら忍者だけじゃなく物見も同じようなことするけど
家康が攻めた三河の鵜殿長照居城・上ノ郷城は甲賀衆が城内に入り込んで放火してるけど、
これはフィクションで描写される忍び込みとは違って、現代戦における特殊部隊の突入作戦のようなもの
一般兵とは確かに異なる突入の仕方だけど彼らが突入すれば終わりじゃなくて、突入して城内を混乱撹乱開門させることで一般兵の城内突入する支援をするのが任務 戦国時代の平時の任務って言ったらやっぱり敵地の情報収集だけど…
忍者って言えるか分からない集団がいるのがややこしい
本業はどちらかと言えば商売人だけど交易で往来する人たちから情報収集してそれも含めて商売する土豪
各地を廻って興行する隷属民でない利点を買われて雇われる芸能衆
全国行脚、聖地巡礼、廻国修行の支援をしてもらう代わりに情報提供を行う宗教系団体
川運や海運を担うことから広範囲に人脈がある川賊や海賊とも呼ばれる土豪
彼らを忍者と呼んでいいのかどうか
でも彼らのような存在を省いてしまうと戦国時代の情報網や伝達手段なんかの全貌が靄に包まれてしまうし、彼らまた忍者と同じように戦働きさえするもんだから忍者の定義が分からなくなってくる
そもそも有名な伊賀忍者もその実態は半農半士で、忍者どころか農民であり武士でさえある
忍者ってなんだろう? 今のスパイだって、実際は新聞の切り取りをして、
スクラップブックを作る作業が大半だそうだからな。 http://pin.it/K9aiJ1i
火車剣も爆発すると言う意見も有るが
ベルセルクの小型爆弾の様な威力は有るのかだが
着火から何秒後程度に爆発するのかだが
http://www.ninja-museum.com/ninja-database/?p=4386
此れは忍者用の防弾着なのかだが
忍者以外も使用した可能性は無いのかだが
具足の胴だけが分離され着用される例も有るのかだが
ninja-museum.com/ninja-database/?cat=731
忍者装束も内部に鏡や手裏剣等を装備すれば
鎖等無く共防御力は意外と有るのかだが http://www.ninja-museum.com/ninja-database/?p=4374
左の足袋は室外では草鞋を装備していたのかだが
ninja-museum.com/ninja-database/?p=46
こうした火矢に爆発するタイプは有るのかだが
matome.naver .jp/odai/2142406890347013401/2142431776488566803
http://www.eniguma49.sakura .ne.jp/gunnzi,heiki/kanagawa,izu/fuumaitizoku/fuumabuki.html
捕火方と言う忍者の使う火炎放射器(此れは火薬で熱した砂鉄を6m飛ばす物の様だが)も有るが
果たして戦国期には使われたのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%AD%A3%E6%88%90
>小牧・長久手の戦いでは伊勢松ヶ島城の加勢で伊賀甲賀者100人を指揮し、鉄砲で豊臣方を撃退している(成島の『改正三河後風土記』)。
忍者も戦場では銃を多用していたと言う事だろうが
発射速度の問題で弓も併用され
近接戦時は手裏剣も併用していた可能性も有るのかだが
忍者も手裏剣術を学んでいるとは限らぬ訳だろうが
農民が武器として用いる鎌・鎖鎌が使える者は
農民に偽装する者も多い以上は多かったのかだが members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/foots/warazi00.html
>木綿や絹の布で編んだ草鞋もあり、鷹野草鞋・切れ草鞋・火事場草鞋と呼ばれる。水に濡らすと強靱で釘を踏んでも抜く事も無いと言うが、水を吸うと重くなり使いにくいとも聞く。
此れは忍者等が撒菱を回避するのに
使用する可能性も有るのかだが http://blog.goo.ne.jp/takasumi-jinja/m/201112/2
山伏の使う八目草鞋と言うのは
農民も山岳移動時に使用した様だが
耐久性の高い此れを忍者が多用した可能性も有るのかだが
山岳で無く共障害物を乗り越える際に此れは有用では無いのかだが
members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipment/foots/warazi00.html
>その強靱な事から、麻、棕櫚、山葡萄の皮を使った草鞋が、戦場において軍用の草鞋として武士に使用されたという。
特に麻で編んだ草鞋を藍染めした物が有名である。
http://photozou.jp/photo/show/1849954/99506395
上の鍋島直茂の具足の草鞋は藍染なのかだが
こうした藍染をした耐久性の高い八目草鞋を
忍者が使用した可能性も有るのかだが
少なく共底は布製で濡らせば撒菱にも対抗出来る様な物を使用した可能性も有るのかだが
此れは藍染はされていたのかだが 城内から討って出て来た敵兵に紛れて城に侵入と言うのも
漫画等では有るだろうが
極少数ずつなら或いは可能なのかだが
騎馬武者では無く余り管理されていない雑魚足軽や武家奉公人に紛れると言うのが
基本なのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%88%80
>また筒状になった鞘をシュノーケルのように使って水中に隠れるときに使ったともいう。しかし物理的にみて鞘はシュノーケル代わりに使うには長すぎてよほどの肺活量をもつ者でなければ呼吸が難しくなる為、
>現在ではその方法は実際には用いられなかったのではないかと考えられている(分解できた可能性はあるが現存しない)。
仮に分解可能な物が現実に無く共
脇差や短刀の鞘ならシュノーケル代わりとする事は
有り得ると言う事なのかだが http://www.budoshop.co.jp/Yoshimine%20/Ninjya/Ninjya4.pdf
本物の忍刀は脇差サイズで鍔も角ばらないが
尖ったこじりが装備されていると有るが
(忍術書にも脇差を使用せよとは確かに有るが)
此れは現存するのかだが 忍甲冑は忍者服の下に装備される例も有ると言うが
http://photozou.jp/photo/show/1849954/243656127
上の下腹巻の様な形で装備されるのかだが
絵に有る様に袴の下に此れを装備しては草摺が干渉して
可成り動き難い可能性も有るのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%88%80
>忍秘伝や万川集海といった忍術書には忍刀の記載がなく「折れにくいよう重ね厚く幅広い脇差および錐刀を用いる」という内容が
>剣術の項にあること(江戸時代以降は武士階級以外の庶民は役所に届出がありさえすれば旅の護身用や仇討ち認可などの理由により大脇差までの携行が許された)、
忍者用の脇差が分厚く幅広なのは
刀に対抗する為なのかだが
大脇差の携行は有ったのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85
>忍者は上忍、中忍、下忍に身分が分かれているように一部で信じられているが、実際の万川集海の記述は上忍とは「人の知る事なくして、巧者なる」者である。
とは言え指揮官や兵等の役割は有るのは
確実と言う事なのかだが https://jp.pinterest.com/pin/421016265135411696/
背後の羽織は忍者用なのかだが
地味でも模様の有る物は有るのかだが
忍者服自体に模様が入る物は果たして有るのかだが 甲賀の忍術書に毒薬配合や夜襲方法 江戸期の古文書から
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H0W_Q7A430C1000000/
>鉄砲の砲術書や馬術、居合術
居合術での敵暗殺等と言うのも有るのかどうかだが
>ハンミョウは当時、毒があると信じられていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%81%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%A7%E3%82%A6
>同じ科のマメハンミョウもカンタリジンを持ち、その毒は忍者も利用した。
マメハンミョウには毒は現実に有る様だが
insectcuisine.jp/?p=422
>例外的に猛毒カンタリジン(致死量30ミリグラム)を体液に持つ昆虫がいて注意を要する。マメハンミョウは特に毒の量が多く、乾燥粉末数頭分で致死量といわれている。
粉末数頭分等致死量に必要では
手裏剣一発で敵を暗殺等は出来ぬ訳だろうか >>102
>敵が外に逃げ出したら、毒を含む手火矢で攻撃する
外に逃げた敵に火矢を使用するのは
果たして意味は有るのかだが
外でも敵が密集している内は有効なのかだが https://kotobank.jp/word/%E8%B6%B3%E8%BB%BD-25257
>犬を使い暗闇に働き,
>夜半に“歩立(かちだち)”で敵城に忍び入る〈足軽ノ兵〉など,
こうした忍者的な足軽も
音を発さない事を考慮して布に包まれた鎖や
布に包まれた鎖のシコロの有る様な帽子兜を装備していた可能性も有るのかだが
革包・錦包胴も音を発さない可能性は有るだろうが
こうした任務には使われたのかだが http://ennoozunu.blog.shinobi.jp/%E5%BF%8D%E8%A1%93/%E7%8B%B8%E9%9A%A0%E3%82%8C%E3%81%AE%E8%A1%93
>もう一人は脱出できず、狸隠れの術で柚子の木の上に隠れた。
>追っ手のものも彼を見つけられず、家の人々は再び眠ってしまった。
敵に忍者や忍術の知識の有る者が居れば
狸隠れの術等は通用するのかだが http://ncode.syosetu.com/n2851cy/7/
>猿回しに変装した忍者が、飼いならした猿を武家屋敷の高い塀を登らせて、門に回らせて閂かんぬきを取らせて潜入したという術もあります
こうした術も敵に忍者が居る或いは忍術の知識が有る者が居れば
防がれる可能性も有るのかだが
http://ncode.syosetu.com/n2851cy/7/
>懐に隠し持った数匹のネズミを解き放ち、「なんだネズミか……」とゴマかしたシーンがよく使われ、
>伊賀流はネズミ、甲賀流はネコをよく使ったそうです。
此れも敵に忍者が居る或いは忍術の知識の有る者が居れば
見破られないのかだが
http://ncode.syosetu.com/n2851cy/5/
>「狐きつね隠がくれ」
狐という動物は狩人や捕食動物に追われると水中に逃げ込み、ハスの葉、藻もなどの水草を頭にかぶり、鼻先を水面に出して隠れる知恵があったといいます。
http://photo-pot.com/?p=3692
蓮の葉も水面から浮いている場所が有るし
ここの下に黒い竹筒や忍者刀の鞘を出せば
発見は暗い状況では特に難しく成る可能性も有るのかだが
ncode.syosetu.com/n2851cy/5/
>忍者が追われたとき水中にもぐって竹筒をシュノーケル代わりに潜水して身を隠す術。犬の匂いによる追跡もふりきれます。
此れで犬の追跡迄は果たして逃れられるのかだが
木の葉隠れ・狸隠れの術では無理と言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) 忍者装束もリバーシブルに成っていたり
隠しポケットが有れば
武装や忍者道具を投棄しても
此れを検査されれば忍者と発覚する危険が有るだろうし
果たしてそう言う構造と成っているのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%8A%AC#.E6.A6.82.E8.A6.81
>南北朝時代に、越前国鷹巣城(現・福井県高須山)攻防戦に於いて、南朝方の武将・畑時能が愛犬「犬獅子」を偵察犬として用いた逸話が『太平記』に記録されており
こうした犬に忍者の木遁・水遁の術が
見破られた可能性は有るのかだが https://www.ninja-isyo.com/index.php?dispatch=pages.view&page_id=10
甲賀忍者の忍者装束の場合昼は
茶染め(柿渋色)
夜はクレ染め(焦げ茶色)を使用したと可能性も有ると言うが
伊賀忍者は
昼も紺色を使用したのかだが
昼は紺を薄めた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%B9#.E9.9C.B2.E8.8D.89.E8.89.B2.E3.83.BB.E8.8A.B1.E8.89.B2
上の花色等を使用した可能性も有るのかだが
忍者服も派手な色で無ければ特に
何を使用しても問題視はされない可能性も有るのかだが
浮世絵の自来也等の服の様に
部分的に派手な色が入る例は有るのかだが (V)o¥o(V)(V)o¥o(V)(V)o¥o(V)
フォッフォッフォッフォッフォッ・・・
分身の術 忍術に魚遁の術等と言うのも有るが詳細は不明の様だが
魚とみなされていた知能の高いイルカやシャチ・鯨を利用して
何かする術の可能性は有るのかだが 魚遁の術も漫画等に有る様に
イルカや鯱・鯨に爆弾を積んで特攻等と言うのは
流石に有るのかだが
現代でもイスラム勢力等が犬や馬・ラクダ等に爆弾を仕掛けて
特攻させているのが現実だが
戦国時代等でも牛や馬等に爆弾を背負わせた可能性は有るのかだが ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A7#.E5.87.A7.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E9.80.B8.E8.A9.B1
>甲賀隠術極秘』(芥川家文書)には、源義家による奥州合戦金沢城責めの時、
>服部源蔵という芥川流の小柄な人物がいて、大凧を作らせ、大風が吹いている中、乗せて、空中より火を降らして、焼き討ちにしたという記述が残されている
此れは後の時代には
行われていた可能性は有るのかどうかだが
ameblo.jp/lovenoruyuri/entry-11544012154.html
人に凧を乗せるのは不能では無いが
強い風が安定しないと危険と言う事なのかだが >>115
そんなコスプレのいい加減な写真引っ張ってこないで元の忍秘伝から持って来いよ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E8%80%85#.E6.9C.8D.E9.83.A8.E6.B0.8F.E4.BC.9D.E8.AA.AC
足軽や賊が忍者として利用されている例も有るのかだが
賊は兎も角足軽に何処迄潜入技術は有るのかだが
遁術迄賊は使えるのかだが
足軽や賊の忍者は特段忍者的な装備は無いと言う事なのかだが
地味な服を装備させる程度は有るのかだが 漫画等に有る忍者と天狗の関連性は何処迄有るのかが
忍者の使う九字は修験道の物であり
http://www.takaopress.net/tengu/shugendou.html
修験道は天狗と関連性は有る訳だろうが
忍者の崇拝する飯縄権現の顔は烏天狗と言う事だろうか http://www.sankei.com/west/news/170518/wst1705180004-n1.html
息袋も持続時間はどの程度なのかだが
此れを使用した後遠方に逃れて竹筒や鞘を使うと言う様な方向も有るのかだが
船底に爆弾を仕掛けると言う様な事は行われたのかだが 忍者勢力も徳川等に付いて一刻も早く戦乱の時代を終わらせようと言う勢力と
戦争が終わっても過酷な収奪は続きそれをやる支配階層も固定化するとし
其れが民の真の幸福等なのかとして
戦いを続ける勢力に分かれていると言うのも漫画等では有るだろうが
現実には果たしてどうなのかだが museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=638&toNews
絵巻だと具足を着ている賊が多いが
彼等が忍者に潜入用に利用される際は
具足等装備していたのかだが
安い革包胴だけなら余り音は発さないと言う事なのかだが https://data.ukiyo-e.org/harvard/images/HUAM-CARP02929.jpg
上の浮世絵の犬には首輪・リードが有るが
良く見ると猫同様に鈴迄有るが
忍者の犬に鈴迄は装備されているのかだが
http://morimiya1.exblog.jp/iv/detail/?s=7111784&i=200712%2F22%2F79%2Ff0145879_10405486.jpg
猫同様錫が無い首輪も有る様だが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
猫の首輪に鈴が付いたのは江戸期の様だから
戦国期の犬に鈴は無いと言う事なのかだが
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/diary/2012/01/td.html
平安期の信貴山縁起絵巻に犬の首輪は有るが
http://www8.plala.or.jp/spiritvoice/rekishie.html
犬には基本的にリードは無いのかだが
http://www.marutar.com/2013/20130821131341.htm
犬用鎧等も有るが此れは忍者犬には装備されたのかだが
pinktentacle.com/images/samurai_dog_armor_2.jpg
上の犬用鎧は胴正面は防護出来ないが
馬鎧同様保護する物も有るのかだが
捜索用なら耳や目は露出している可能性も有るのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/840765824154980702/
欧の場合軍馬攻撃用に
装甲を装備した犬等が使われていたのかだが
攻撃用にしては頭部に装甲は無いが捜索用の可能性は無いのかだが
馬を攻撃する西欧の犬は同様の犬の迎撃で排除された例も有るのかだが
大型の犬に容易に排除された可能性等は有るのかだが
大型の犬は人間のピストル等の飛び道具が命中し易い可能性も有るのかだが https://pbs.twimg.com/media/CH4uAAmUkAAU7PQ.jpg
上の漫画の様に忍者犬が馬を操作する事は不能でも無いと言う事なのかだが
人間がやられた時に馬を突入させたり
代え馬を誘導する等と言う様な事は有り得るのかどうかだが
worldnetter.com/dog-uma-150106
上は犬が果たして馬をコントロールしているのかだが
不可能では無い様にも見えるが
http://commonpost.boo.jp/?p=54867
馬を地上で犬が誘導出来るなら
乗ってコントロールは出来ないのかだが
http://omiwadiary.seesaa.net/article/145331741.html
左の猿も馬はコントロールしているのかだが
https://www.youtube.com/watch?v=rHMsuiVJuSg
熊も自転車に乗っているなら
犬も馬程度はコントロール出来ないのかだが pinterest.jp/pin/414120128219219887/
此の犬用鎧は頭部も防護されているから
攻撃用の物と言う事なのかだが
人間では無く馬を攻撃した可能性が高いのかだが
16世紀ではピストルで容易に排除された可能性も有るのかだが
日本には秋田犬サイズの犬でさえ江戸期の物の様だから
上の様な大型の犬用鎧は無いのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%8A%AC
戦国期にも居た秋田犬の原型の秋田マタギ犬は
体高は柴犬同様の40cmか此れよりやや大きい程度なのかだが
秋田犬同様の70cmは無いのかだが
https://www.min-inuzukan.com/shikoku.html
体高55cmの四国犬等も居るが
戦国期も同様のサイズだったのかだが
狩猟用の岩手犬(マタギ犬)は闘犬用の秋田犬よりやや小さい
体高55−60cmと言うが
戦国期も同様のサイズなのかだが https://ameblo.jp/wa500/entry-10310566363.html
「北条氏康は資正に対する報復のため、何度も武蔵岩付城、松山城に攻め寄せた。
しかし、常に太田側の援軍が現れ、北条軍は撤退を余儀なくされた。
実は、資正は軍用犬を飼いならして活用していたのである。
訓練させた犬を数匹、城に置き、敵が攻め寄せてきた場合には書状を入れた竹筒を犬の首に結び付けて城外に放ち、味方と連絡を取り合っていたのである。
北条側が配下の風魔一党に命じて人間の使者を捕殺しても、犬の使者までは完全に捕殺できず、常にその軍事行動が太田側に筒抜けになっていたのである。
これは日本史上の「軍用犬」の起源とまで言われている」
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
まず例の犬を最初に忍び込ませ、城側の警戒程度を調べ、
厳しい警戒がなされていて、隙のない時にはこの犬一匹だけが激しく吠えながら走り出て来ます。
しかし敵が寝入って、警戒の夜回りも行われていない時には、走り出て来ると尾を振って知らせますから、この犬を案内に立たせて塀を乗り越え、城の中に突入し、
喚き騒ぎ立てて好き勝手に斬りまわると、数千の敵軍は驚き騒ぐばかりで、城が落とされないことなどありません。
日本の忍犬・軍用犬は攻撃用では無くこうした事が
主体だったのかだが 忍者が戦場で乱戦に成った後
近距離で手裏剣や石・目潰しを投げると言う様な事は有ったのかだが
通常の騎馬武者等はどうなのかだが ninjahouse.net/main/buki.html
>捕火方(とりびほう) 筒の中に鉄砂と火薬を詰めて点火、発射する火炎放射器。
http://img-cdn.jg.jugem.jp/c28/2529388/20140127_786566.jpg
上に此れの現物らしき物も有るが
果たして江戸期の物なのかだが http://ninjahouse.net/main/buki2.html
>飛苦無(とびくない) 「くない」を投擲用に薄く改良したもの。
此れは手裏剣と異なり確実に忍者専用の飛び道具なのかだが
果たして何処迄使用されたのかだが
https://www.hayashi-ryu.com/blank-2?lightbox=dataItem-iqc6h6xd
苦無に紐を付ける例も有るが攻撃用には何処迄使われたのかだが
分胴的な運用だけでは無く
通常の投擲後に回収するのに使用された例は有るのかだが
HUMAN MACHINE GUN | World's Fastest Knife Thrower
https://youtu.be/GmLGJXOPGEE
平たいナイフ・棒手裏剣ならこうした高速連投も出来るのかだが
星型手裏剣ではどうなのかだが
https://www41.atwiki.jp/bukipedia/pages/201.html
上の様な高速連投が出来るかも知れぬ平板型の棒手裏剣も有るし
http://img-cdn.jg.jugem.jp/548/2682854/20121216_848846.jpg
上に此れの現物も有るのかだが
穴が開いているのは小苦無であり確実に忍者用と言う事なのかだが
how to: multi throwing knife/shuriken
https://youtu.be/AI35TRTJKRw
上の様に重ねて星型手裏剣を同時多数投げる方法では
個々のコントロールは何処迄出来るのかだが
平板型棒手裏剣も重ねて同時に放れるだろうが
同時多数に放るなら針の様な細い手裏剣を纏めて放つと言う方向も有るのかだが
こうした事は流石に行われたのかどうかだが 16 & 18 meters Bo-Shuiken throwing
https://youtu.be/PvEGdAQf-Ng
移動ターゲットにこの距離からは流石に当てられるのかだが
http://ninjack.jp/ninjaten-09/
>曲者であることをわかりやすくするために、忍者が劇の中において黒装束で描かれることが多くなりました。
>1760年くらいから黒装束で描かれる比率が増していき、
とは言え此れは現実の忍者装束を
参考として書かれた可能性は無いのかだが
http://ninjack.jp/ninjaten-09/
>忍者が手裏剣をよく使ったのも、劇で使われたのが走りだったようです。
とは言え現実にそうした事が
多用された事を反映した物の可能性も有るのかだが http://www.angelfire.com/weird/hopeychan/bios/misao.html
こうした形で指の間に多数の手裏剣を持ち投げる例も漫画等では多いが
平たい手裏剣を使えば無理でも無いかも知れぬが
何処迄個々のコントロールは可能なのかだが
個々のコントロールが余り出来ないなら
束ねてポケット等に入れた物を同時に通常に掴んで放る方が簡単に持て
高速連射も出来ると言う事は無いのかだが 忍者用鎖帷子も胴正面のみ格子鎖装備程度なら
可成り軽量と出来
布で包まれて音を発さないタイプとすれば潜入時も使えないのかだが
浮世絵の忍者は鎖装備の例が可成り多いだろうか https://item.rakuten.co.jp/ninja/item-094kk/
上の様な肩の出た服は忍者専用では無いが
http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg
http://articleimage.nicoblomaga.jp/image/150/2013/3/0/30ead2965a10bca09176d41960f42948df158c571377474871.jpg
左の春日権現験記絵等に存在する訳だろうか
春日権現験記絵の場合はよく見ると袖が後ろで結ばれている様に見えるし
袖の有る服をこうした着方をしていた可能性も有るのかだが
一方で信長が袖を外した湯帷子を着ていたと言う記述も有る訳だろうか
photozou.jp/photo/show/1849954/187795419
この聖徳太子絵伝の袖が無い様に見える服も
後ろで袖を結んでいる可能性も有るのかだが
恐らく四幅袴を忍者がこうして短く着る例等は有るのかだが
http://blog.goo.ne.jp/tombo624/e/17fbf2629cb00a84f48e7b013705d158
江戸期にもこうした着方は有る訳だろうか
https://news.walkerplus.com/article/26061/112031_615.jpg
上の様な短い袴は確か無いだろうが
四幅袴を股立にすれば可成り短くは成る訳だろうが
そうした格好で潜入をした忍者等は果たして居るのかだが
忍者も余程高温或いは機動性が必要な任務でも無い限り
内部に装甲が無い事を晒す事は
基本的に問題と言う事は無いのかだが
忍者も外観は最大限重装備に見せた方が良いと言う事は無いのかだが
布や革で装甲が包まれていると見せて
中は何も無いか軽装と言う方向も有る訳だろうか 忍者が目潰しを遠距離から風に乗せ流して
視界を妨げると言う様な事が漫画等で有ったかも知れぬが
現実にこうした事は行われたのかだが 卵に入れた目潰し等は遠距離では命中せず
http://photozou.jp/photo/show/1849954/102446738
上の様な息で吹き付けるタイプも射程はどうなのかだが
遠距離の風上から目潰しを拡散される方が厄介と言う事なのかだが
此れを回避する為に水中に逃げる等と言うのも有ったかも知れぬが
目潰しを吸い込んでやられる可能性も有るのかだが >>138
此れを回避する為に水中に逃げる等と言うのも有ったかも知れぬが
目潰しを吸い込んでやられる可能性も有るのかだが
水中に出ずに呼吸できる
http://www.sankei.com/west/news/170518/wst1705180004-n1.html
上に有る息袋を多数搭載した
50km/hー80km/hで泳ぐ飼いならしたイルカやシャチ類等に乗り
高速に脱出と言うパターンも有るのかだが イルカを捕るな、
イルカを殺してはいけません
このような報道などがあったけど、
何だったんだろう
映画もあったでしょ 『ボーボボ 田ボ』
ユーザーのアイコンというの?
『□』内
イルカみたいじゃない? ボーボボ?
みんな、応援してくれてありがとー
このような事を言っていない?
これも同じような話なのかな
『何者にもなれないお前たち』 私(俺)のために、ありがとー
このような事を言っているでしょ、何の話なんだろう そのモモタロウという作品は、
最終的に・・・結婚して・・・継承するというストーリーでしょ
調べてみると、和歌山県? wiki 和歌山県
>7 和歌山県にゆかりのある人物
陰謀? トンデモ話?だと思って調べてみたほうが良い
『ワイによって助けられる』
秦氏 ユダヤ説など、それとサザエさん? ◇間者◇鎖帷子頭巾 籠手一対など 鎧部品・防... - ヤフオク!
http://pin.it/td7iBew
この鎖帷子は耳に穴が有るが
外部の音を把握する事を重視する忍者用と言う訳でも無いのかだが pin.it/dLrEjR6
上に有る様な女忍者が着ている様な袖無し服が現実には有るのかと前に書いたが
https://pbs.twimg.com/media/DGHvy55UwAA39il.jpg
上の12世紀後期成立の扇面法華経冊子には有るが
https://pbs.twimg.com/media/DGHvzkuUQAAOFUG.jpg
右の鎌倉末期の石山寺縁起にも有るのかだが
此れは袖を後ろで結んでいる物の可能性は無いのかだが 雲遁の術と言うのも有る様だが
此れはどう言う物なのかだが
高い山の雲の有る部分に逃げるか
平地の雨が降る雲に紛れ込むと言う様な物なのかだが 忍者がそれほど優秀なら、
忍者が作った国が一つや二つ有ってもおかしくないのに。 真田はそうだってよく言われるよね。
にしても広い日本国中で狭い小国いっこだけだが。 下位の忍者は専業では無いと言うが
足軽が多いのかだが
接近戦は騎馬武者程
目潰しでも使わなければ強くは無い可能性も有るのかだが
銃や弓は多いと言う事なのかだが
忍具は何処迄使えるのかだが
潜入用の物は基本的に使えるのかだが
下位の非専業忍者も戦場では
通常の足軽用貸具足を装備すると言う事なのかだが 雑魚忍者は専用の忍び装束も無く
地味な服を着ている程度であり
潜入技術も高度な物は無いと言う事なのかだが
貸し用の鎖帷子程度が装備される例も有るのかだが
足軽同様に装甲が無い例も多いのかだが 忍者が火縄の火を夜間秘匿する為に
ホイールロックやスナップハンスの銃を使う可能性は有るのかだが
精度が低く共弓を使うより威力面で必要と見れば
此れを使う可能性も有るのかだが
(銃身が精度の高い日本製なら
やや遅発的でも問題は生じない可能性も有るのかだが)
犬に音や匂いを把握される危険は
此れでも有ると言う事なのかだが クナイと刀銭って似てるよなぁ。
何か関係あるのかな。 忍者が半弓を使用していると言う様な意見も有るが
https://blogs.yahoo.co.jp/kuroken3147/62044430.html
半弓は通常の弓と余り変わらない182cmも有るから
90cmの鯨半弓や此れ以下の物が使用された可能性も有るのかだが 大筒も散弾等の残弾が尽きた場合
余った火薬を詰めて
ベルセルクのガッツが虫を焼いた様に
火炎放射器的な利用を忍者等がした可能性は有るのかだが
忍者の火炎放射器には火薬に加え鉄粉が入る訳だろうし
無駄な火薬等持たぬ可能性も有るのかだが
http://www.eniguma49.sa kura.ne.jp/gunnzi,heiki/kanagawa,izu/fuumaitizoku/fuumabuki.html
忍者の火炎放射器・捕火方も6mの連続放射が可能なら
散発的にしか撃てない散弾より使える局面も有るのかだが http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>彼の甥に所大夫房快舜と言うとんでもない無頼僧がいました。また中間に悪八郎と言うミツクチ(兎唇)の大力自慢がいました。
それ以外に犬獅子と名付けた、不思議な犬を一匹飼っていました。この二人の者と一匹は闇夜になれば、帽子兜(眉庇のない兜)と言う粗末な兜をかぶり、
鎖帷子を着て足軽に扮して出かけたりします。またある時には大鎧を着けて七物(武士の持つ七種の武器)を携えることもあります。
そのように色々と手口を変えて、敵の向かい城に忍び込みました。その手法としては、まず例の犬を最初に忍び込ませ、城側の警戒程度を調べ、
厳しい警戒がなされていて、隙のない時にはこの犬一匹だけが激しく吠えながら走り出て来ます。しかし敵が寝入って、
警戒の夜回りも行われていない時には、走り出て来ると尾を振って知らせますから、この犬を案内に立たせて塀を乗り越え、城の中に突入し、
喚き騒ぎ立てて好き勝手に斬りまわると、数千の敵軍は驚き騒ぐばかりで、城が落とされないことなどありません。
>この神話に思い合わせても、犬獅子の行動も特に珍しいものではないと言われていたのです。そこでこの犬が城中に忍び込み、
敵兵の様子を探ってみれば、三十七ヶ所の向かい城を構築し、逆茂木を設置して、塀をも築き終えた攻城側の兵士らは、毎夜一、二の城を落とされては、
甲冑を捨て、馬をも失ってしまうような恥をかくことが多いので、敵の強いことはさておき、味方に笑われることを恥じるばかりに、
見つからないように兵糧を差し入れたり、こっそりと酒肴なども送り込み、頼むから我々の城に夜討ちなど仕掛けないでくれと、畑に頼み込まない者などいませんでした。
太平記の彼等は事実上忍者及び忍者犬と言う事なのかだが
後の時代でも同様の事は行われたのかどうかだが http://pin.it/EDz49qQ
軍用等の藍染で強化された麻製草鞋が有ると言うが
此れは上の物なのかだが
忍者が耐久性の高い此れを多用していた可能性も有るのかだが
兵は必ずしも絵巻等を見る限り
此れは装備していないと言う事なのかだが 忍者が頭巾の上に面頬を装備している例も
漫画等に有ったかも知れぬが
pin.it/lyiwxcdhghq6q5
上を見る限り可能かも知れぬが
現実にこうした事は行われたのかどうかだが pinterest.jp/pin/343610646562925998/
Mortal Kombat: Legacyでは
通常の頭巾では無いが
鼻の有る面頬の下に布が有る例も有るが
鼻は出す必要は必ずしも有るのかだが 「正忍伝」読了。
作者、名取兵左衛門。名取とは匿名という意味で、本名は藤一水子正武だといわれている。
堂々と、忍者とは盗人であると書いてある。ありえんだろ。ぶっ殺すぞ、忍者。
盗人から見た日本の歴史が書いてある。
盗人を手下としてよく使ったのは、聖徳太子、源義経、楠正成、徳川吉宗であるという。
忍者の起源をたどると、中国の黄帝や孫武にまでさかのぼるという。
夏王朝を滅ぼしたのが、盗人を従えた伊尹であると伝わっているので、忍者は王朝を滅ぼす技術であったのは常識のようだ。
忍者は、よく人の近づくものが良いとされ、美男美女を堂々と人のよく近づくものとして認識している点は凄まじいの一言である。
「人の善意は最大の隙なり。」と書いてあるよ。ありえねえよ。
大将と敵大将の使者についていくことが牛馬の術というらしい。
「喜怒哀楽愛悪欲」この七つの心はもともと先天的に人が持っている感情だと述べている。
忍者は、盗賊であり、武家に仕える盗賊が忍者といわれるわけだね。
侍の盗賊が武家に仕えているのが忍者であり、名も地位も流派もどんどん変わっているようだよ。
「正忍記」が奏上された1681年は、徳川吉宗が紀州藩主だった時で、確かに、
江戸将軍ではなく、紀州藩主の徳川吉宗に奏上されたものである。
徳川吉宗は、1684年に将軍になって、お庭番という公儀隠密を制定して忍者を従えたのです。
盗賊の頭である徳川吉宗が将軍家をのっとり、増税したのは本当に善政だったんでしょうかね?
ぼくには疑問に思えてきました。 ごめん、まちがえた、まちがえた。
1684年は徳川吉宗が生まれた年で、将軍になったのはずっと後だ。
紀州藩に奏上された忍術書「正忍伝」が伝わり、紀州藩出身の吉宗は将軍になった後、
公儀隠密の改革をしている。 >>157
真田は忍者連邦国家
半分は、出浦対馬之守系(武田(透っ破)忍軍
と 甲賀系 滋野一族(海野、祢津、望月)
それに 雑賀衆(筧十蔵)
いわゆる 真田十勇士 のモデル http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>この二人の者と一匹は闇夜になれば、帽子兜(眉庇のない兜)と言う粗末な兜をかぶり、 鎖帷子を着て足軽に扮して出かけたりします。
またある時には大鎧を着けて七物(武士の持つ七種の武器)を携えることもあります。
忍者の鎖帷子と忍甲冑の使い分けの様な事が
太平記時代に行われていたと言う事なのかだが
大鎧も音は余り発さないと言う事だっただろうが
徒歩での逃げ足を考慮して鎖が使われる例も多かったのかだが >>179
http://cubeaki.dip.jp/taiheiki/taiheiki/taiheiki21-30/taiheiki-22-1.html
>この犬を案内に立たせて塀を乗り越え、城の中に突入し、喚き騒ぎ立てて好き勝手に斬りまわると、数千の敵軍は驚き騒ぐばかりで、城が落とされないことなどありません。
30kgもの大鎧を装備して
こうした事はやり難いから鎖を装備したのかだが 戦国期には帽子兜は有るのかだが
同時期の忍者には秋夜長絵巻や清水寺縁起絵巻等に有る軽装の兜が装備された可能性は有るのかだが
こうした物が消えた後はシコロの短い頭形兜等が利用された可能性は有るのかだが 日本史より謎な金儲けできる方法とか
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