官位とかについて緩く語ろう2、関連質問・雑談OK [転載禁止]©2ch.net
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なんだか最近停滞状態から急速に伸びているのでたてました。
多少脱線しても官位に関係しての話題はOK。
「質問するな」は禁句です。
前スレ:官位とかについて緩く語ろう、関連質問・雑談OK
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1352423608/l50 そこまで突き抜けると小者のくせに生意気だと怒る以前に笑いを取れるんだろうな。 遅レスだけど関東系?の官位云々って東百官のことじゃない?
あと戦国期は官途状とか受領名が多いからごっちゃになって誤解や齟齬になってるよね ご教示ください。
結城合戦前後の足利持氏与党の官位についてです。
桃井憲義が左衛門督、結城持朝が右馬頭などに見られる、持氏派の人々の官位が高すぎるように思うのです。
桃井憲義という人は桃井の嫡流だそうで、また持朝は氏朝の嫡男で下総結城の世嗣ではありますが、氏朝が中務大輔であったことを考えると官位がインフレしているように見えます。
これらの官位は、本当に朝廷から受けたものなのでしょうか?持氏が味方をつなぎとめるために乱発したとかはないのでしょうか? 60です。
>>61さま
コメント、ありがとうございました。
>>62さま
関連書籍をご教示くださり、御礼申し上げます。
紹介いただいたページの概略を読んだだけですが、桃井憲義についての言及がありました。
関東公方府への配慮というのか、ある種の措置があったようです。高価な本ですが、是非読みたいと思います。 同書では、桃井憲義の左衛門督や宣義の左馬権頭、佐竹義人の
右京大夫等は持氏が独自に任官させたのだろうとしているね。
下位の武家官は員外化が進んでいたけれども、督についてはまだ
そこに至っていない状態で、桃井憲義と同時期に正親町三条実雅
が左衛門督であるということだし。
幕府に対抗して、細川氏の官である右京大夫と畠山氏の左衛門督
を称させることで両家になぞらえたのではないか、と推察されていた。 60です。
>>64さま
ご教示、ありがとうございます。
>>62でご紹介いただいた本を、昨日借りることができて、ご指摘の部分は読みました。
桃井憲義の左衛門督は、持氏の考えに基づく任官であることは納得できました。
佐竹を京兆家に、桃井を管領畠山家になぞらえるという著者の推論は、
証明は難しいでしょうが、なかなか面白い考えだと思いました。
それでは、斯波武衛は誰なのだと疑問が出ますが、著者は篠川御所に言及しています。
しかし、根本的なこと、持氏はなぜそのようなことを考えたでしょう?
鎌倉公方は将軍と同等であると、形(組織)でも示したい?
あるいは自分が本当に将軍になったら、新しい三管領家を作るとか? 代々将軍家への対抗心が強い家だし、子息元服時に慣例を破って偏諱を拝領せず「義氏」と名乗らせたのもこの時期。
将軍への反抗の一環でしょう。 >>66
将軍に反抗するのはいいとして。
朝廷にもケンカ売ってることにならないだろうか? 無知で申し訳ないが、江戸時代に旗本クラスでも○○守と名乗って
いましたが、武家官位に権威はあったのでしょうか
乱造し過ぎて何の権威もなかったのでしょうか >>72
旗本で任官できる家、ポストは限られてたから名誉だった。 守名乗りについては朝廷から○○守の官記や口宣案を貰うので朝廷の文書上では官職とは言えるが
武家官位制において有官とされるのは大臣大中納言参議中少将侍従のみで
四品と諸大夫は○○守と名乗っていたとしてもそれぞれ従四位下無官、従五位下無官とされていた
武家社会では守名乗りはその名の通り三郎や藤吉郎や次郎三郎などの「名乗り」と同じもの(またはその上位互換)として運用されている
事実、公方によって諸大夫に仰せ付けられること(朝廷文書上の従五位下○○守の発令とは別の手続き)によって官記等の発給を待たずに○○守と名乗れるようになり
例えば大岡越前が能登守から越前守になったように他の名乗りに変えるときは「改名」と言われ官記の発給はない
中世の官途書出、受領書出の流れを汲む、諸大夫以上が名乗れる格の高い名乗りと考えるのが妥当
武家の諸大夫の身分や席次だが、御役人と無役とで異なると思われる
御役人は「大概順」という序列表により席次が決まる
諸大夫はその内「布衣以上」というカテゴリー(諸大夫または布衣に仰せ付けられる「重き御役人」)に含まれ
「布衣以上」は必ず「布衣以下御目見以上」よりも上席だが
「布衣以上」の中では「仮六位」とされる「布衣」役であっても一部の諸大夫役より上席の役があったりする
無役の場合(役を退いた場合も同様)の席次は四品以上、万石以上、交代寄合、表高家、寄合、小普請組支配の順だが、
四品以上を除き、それぞれのカテゴリーの中で領知高・知行高などの順(同高であれば家督順)となり、諸大夫・布衣・無位無官の別は席次には関係ない
ただ、当然藤吉郎よりは筑前守の方が社会的に偉そうに見られるのは言うまでもない 73さん74さんありがとう
理解が足らず申し訳ありません
73は朝廷からの任官の場合を指しているのでしょうか
74は江戸期の○○守は官位と言うよりは一定の地位に就いたものに
許される自称だったと言うことなのでしょうか 公儀にオーソライズされているので自称ではない
また二義的とはいえ朝廷から位記官記口宣案が出ているのでその点でも問題ない
それでも「名乗り」として運用されていたということ
「改名」にしても例えば大岡越前が京都に行ったとしたら
公家連中には正式な辞令の出ている「能登守さん」でなく正式な辞令の出ていない「越前守さん」と呼ばれる
朝廷での正式な文書手続なしに遷任したのと同じ
というより正式な辞令が出ているかどうかなどは特に問題にしていなかったというべきか
曖昧に思われるかも知れないが事実として当事者たちはそのように運用していたので
自称か正式なものかという近代知的な厳密な区別を適用するのが適当とは思われない 14 名前:日曜8時の名無しさん
投稿日:2016/09/14(水) 02:48:50.92 ID:XXhJDK7B
千代の富士が従四位を追贈されたけど、
戦国時代だと今川氏親や細川政元、三好長慶と同じか・・・結構高位だな 今日のNHKあさイチに名前を「大将」と書いて「だいすけ」と読む人が出た。
「将」は、かみ・すけ・じょう・さかん、の「かみ」だ。
どうしても 「だいすけ」と読みたいんなら「大佐」と書くべし! >>78
中将、少将はすけ(次官)だよ。将の字に「かみ」の意味はなさそう。
人名で「すけ」は普通にあるみたい。
http://kanji.jitenon.jp/kanjib/911.html 徳川幕府の番頭の最高位は従四位少将だから、従四位ってのは幕府の番頭さんのトップの官位なんだな 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
UQRPU 江戸幕府の将軍が死亡して、次の将軍が朝廷から正式に任命されるまでの期間。
これは厳密に言うと将軍の位は空席ということになるのかな? 頼朝の征夷大将軍は鎌倉殿の最終的な権威付け・箔付けって感じでええのん?
幕府は前右大将で職制や法的根拠は得ていたって解釈でおk? 先日亡くなった元自民党幹事長の野中氏に正二位か正三位かが贈られたらしいじゃん
かなり高くね? 首相でそうなん?
じゃ、正一位や従一位には誰がなるの? 俺の大伯父は従三位を追贈されてたけど
これってかなり高位? >>91
正一位は、大正6年に織田信長に贈位されたのが最後(その前が秀吉)。
戦後の従一位は、牧野伸顕、松平恒雄、幣原喜十郎、鈴木貫太郎、吉田茂、佐藤栄作。
現在の先例だと、生前に大勲位貰ってる総理経験者が従一位だろうね。中曽根大勲位は従一位貰えそうだし、首相在任が長い安倍総理も生前大勲位から従一位コース。 >>93
詳しい解説サンクスです
ちなみに皇族の方にはそういうのは贈られないのですかね
あと、高そうなのは最高裁長官とか衆参議長とか日銀総裁とか? あるテレビ番組で森友文書改竄した財務省は解体してしまって、徴税と国有財産の管理分けた方が良いという意見があったけど
もしそうなら民部省と大蔵省復活がいいな >>93
> 正一位は、大正6年に織田信長に贈位された
信長は大正天皇のご先祖のひとりである浅井長政を殺害した人物だが
その点は問題にならなかったのかなあ? >>96
正一位東照大権現徳川家康に殺された石田三成も今上天皇の先祖だから問題にしないと。 献金勤皇の親分の信長が問題になるわけないよ
今見たいに革新革新権威なんぞぶっつぶすなんて変なイメージない時代だし >>92
国会議員で閣僚経験ありました?もしくは大企業の社長?もしくは省庁の事務次官? 県知事経験者なら、従五位下、大きな県の知事なら従四位上くらいかな?
東京都知事経験者なら武蔵守、愛知県知事経験者なら三河守任官くらいしても
いいかもしれない 武蔵国と東京って、山城国と京職っぽいから東京職って令外の官作って都知事は東京大夫で 初歩的な質問ですまないが。
真田幸村は関ヶ原の前に従五位下になっているわけだが。
九度山に配流されている間も、この官位は剥奪されないで有効なままなの? 家は官位を持っているんだけど、
他の家の事わからない、自称、騙り・・・など
よくわからない類
「松傾」のような名前の家、
〜代々、そういう家、家が絶えるまで? このような名前の家なんだけど
『天王宮 山王院 菅野』
どういうことだと思う?
『天王』意味などを調べてみて お前たちのしていることは、
すべて逆だからな
という話 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
TQ0 邪馬台国畿内教の教条
邪馬台国が畿内に確定すれば
天皇の大陸への臣従史観が証明され
日本が天皇を御旗にあげて再び大日本帝国になり
中国・韓国に侵略戦争を仕掛けるための士気を損なえる
ゆえに邪馬台国を畿内とさせなくてはならない
パヨクは頭おかしいでほんま 地名+守で名乗るけど
あれって地名はどうやってつけるの?
そりゃ肥後の人が肥後守だったらわかりやすいけど
九州となんの関係もない人が名乗ったりしてない?
その場合、なぜ肥後という地を選んだのか?選ばれたのか?
あと、名乗りって言っても、同時代に肥後守なんてたくさんいただろうに
ごちゃごちゃにならなかったのだろうか 正式な官位じゃなくて自称〇〇守なら、「お前は〇〇守名乗っていいぞ」っての主君が許可してたから、同じ家中ならかぶらないでしょ。ある家の当主は代々〇〇守だから他家は遠慮するてのもあるし。
あと、令制国は大国上国中国下国の4ランクあるから、名乗る人の家格や勢力によって選ぶ、という要素もある。
織田上総介の上総はAランク、本多佐渡守の佐渡はcランク。 大上中下なんて中世には関係なくなってるんだが
成功(じょうごう)でググって勉強しろ >>112
いやそれはおかしい
成功は王朝国家の話で、>>109が言ってるのは王朝国家が形骸化して受領名が実態を失ったアクセサリーとなった時代のことなんだから、全然関係ないよ。 成功は南北朝期まで続いているよ
王朝期から時代が下るごとに令制国の大上中下のランクは意味を成さなくなっている(代わって全く別の「相場」のようなものができている)
>>109の言っている受領がアクセサリーになった時代では尚更大上中下なんて関係ないので全く反論になっていない
初学者にありがちなのが時代が下っても令の条文が貫徹されてるかのように思い込むこと
要は官職要解で理解が止まってる
近世期の守名乗りは文字通り「名乗り」として運用されている
つまり三郎とか藤吉郎とか次郎三郎とかと同じで
諸大夫以上が名乗れる格の高い名前と解するべき
どの名乗りを選ぶかは先祖の由緒、当人の希望(好み)、同じ苗字内での空き状況(混同を避ける為同苗同称はダメ)などの理由が考えられるが
「長男でもないのに何故三郎なのか」と言うのと同じで掘り下げてもあまり実りがあるとも思われない 今好きなのつけていいって言われたら
やっぱ日向守だよな 音も字も一番かっこいいわ われがスメラギが世界を一統なされたあかつきには
巴威略守
馬達加斯加守
阿羅斯加守
利馬守
などの名乗りが出るであろう >>115
よう!惟任殿!
ほいじゃあ俺は美作守かな。ちょっと噛みそうだけど。 >>115
大和守も良くない?
シンプルでいて力強い 畏れ乍ら、お訊ね致しますが、江戸大名らが秋田城介や太宰大弐を避けたのは理由がありましょうか? 岡野友彦氏著「源氏長者−武家政権の系譜」(吉川弘文館)がとても参考になりました。 そんな本出てたのか
新書はボロクソに言われてたけどそちらは如何に 書き直し版で、かなりのクオリティになっています。
売り文句どおり、「日本とは何か」というものに迫っていると感じますし、
コンパクトなボリュームながら、平安期・嵯峨朝以降、明治維新までの通史を俯瞰できる良書です。 岡野氏はWikipediaもそうですが、熱心なファンをおもちなんでしょうかね 摂関政治と院政との連続性、大御所(家康)権力と将軍(秀忠)権力との比較、
このあたりの議論は秀逸ですね。 お前たちに官位なんて無いだろう。
とくに近代、明治〜平成、その辺りの人物、どこの池沼なんだ。
他のスレでも近代(〜位とか)の話をしているのがいたりw 本当に・・・w
官位とか誰から与えられた(貰った)ものなの、
テレビに出てくる人?から貰ったの? >>128 >>129
日本史では官位を勝手に名乗る私称が増え、
さらにその延長として自分の名前にも官位風の名前をつけることが定着した
こっちは現在にも続いているぞ
杉下右京の右京、阿久津主税の主税、市原隼人の隼人
さらに〇兵衛とか〇介、〇輔は官位由来と考えられている >>111
江戸時代は同姓で被らなければ勝手に名乗ってよかったらしい。
例えば鈴木薩摩守という人がすでにいたら他の鈴木さんは
薩摩守は名乗れない。
自由とはいえさすがに武蔵守は名乗れなかったみたいだ。 >>125
徳川家康は江戸幕府大大企業創業者兼カリスマオーナー会長
秀忠は創業家の御曹司にして難題発生時に大御所に大所高所を仰ぐ現場社長 今の官位スレには低能しかいないのか
数年前とは比べるべくもない 三種の神器っていうのは古代に造られたものを継承してるのか?
それとも時代の途中で新調されたりしてんのか? レプリカかもしれないよ。外国人所有ってことが開かれた世界に大いにベースだと思う。霊力が
ないとは思わないけど。 >>135
・天叢雲剣
日本武尊が東征の折に持ち出し、草薙剣に改名するも帰京中に折去した為模造品(草薙剣形代)となる(本物は熱田神宮御神体)。
その後源平争乱で安徳天皇と共に檀之浦に水没した為、宮中賢所の剣を代用品にする。
更に南北朝の動乱で後醍醐天皇が持ち出し、南朝が事実上敗北吸収された時に北朝に引き渡す折に偽物を掴ます、という事を数回繰り返し、「どれが本物か」判らない状態に。
・八尺瓊勾玉
これも南北朝動乱で剣と同じく本物は行方不明。
・八咫鏡
天皇の身辺に置くべしとされた剣と勾玉とは違って宮中賢所に安置され続けた為、これだけは代々伝承されたオリジナル。
但し賢所が度々火災に見舞われた為に焼けてしまい灰を箱に収めてある。
因みに愛新覚羅溥儀が自伝「我が半生」で、
昭和天皇から三種の神器を見せられたが、王府井の骨董屋の軒先に転がっている程度の代物だ、と書いているが
「我が半生」の内容は虚偽が多いと後に本人が語っているので信憑性は低い。 明治になって領有した地にちなんで、樺太守とか満州守とか作らなかったのか
アフリカヌスとかゲルマニクスみたいだが 樺太は、廃藩置県でウヤムヤのうちに廃止になって名誉称号ですらなくなって久しい時期に領有確定、
本土編入は敗戦直前。
満洲国に至っては、傀儡政権とはいえども、建前上は独立国。 鷹司松平って、従四位下の叙爵のとき、藤原朝臣? それとも、源朝臣? 臣籍の氏姓は必ずしも父系継承でなくてもいいんだよね?
橘諸兄とか、皇別摂家とか 戦国時代。
織田信秀が朝廷に献金して官位もらったという記録があるが。
尾張から京都までの間に敵国があるが、どうやって送金したのだろう? 朝廷への献金横取りしたら朝廷から逆賊扱いされるんじゃない? 献上中の塩鮭を強奪したら朝敵指定されて滅んだ所なかったっけ 商人とか移動しまくりだろうし偽装すれば簡単に行けたのでは? 前田利家を遅れて清華成させて、さらにあれして、これして…
大西先生の著作、良いですね。 自衛隊の統合幕僚監部は他の三監部と差別化を図るために統合幕僚府、略して幕府に改称、
もしくは現在、統幕とは別に「統合司令部」なるものを創設するという構想があるらしいけどそっちを幕府、
あるいは征夷府とかにしてそのトップに征夷大将軍を設置。
江戸時代以前のそれとは違い、あくまで制服組のトップであって防衛大臣の下。
大将軍がダメなら征東大使よろしく「征夷大使」でもいいよ。 どの役所が何年頃まで機能したというリストはない?
例えば、京職は14世紀頃まで一応活動してたらしい
何がきっかけで京職は機能を停止したのだろうか?
京職
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E8%81%B7
>次第に治安権限を検非違使に奪われていくことになる。だが、その他の行政面では依然として京職は一定の役割を果たしており、14世紀頃までその活動がみられる >>155
1職員がいる
2職務を遂行している
3事務所がある 民部省や大蔵省が機能してなかったらどこが朝廷や皇室の会計や財産管理やってたんだろう。
江戸時代にも朝廷は幾ばくかの領地持ってたということは誰かがその管理してたってことだろうし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています