日本語の起源 [転載禁止]©2ch.net
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高句麗、百済支配者階級の言語だと矛盾は無いんだけど。。どう? >>2 文化の起源と血統の起源は=では無いよ・・特に、島国の日本は・・。 新羅=朝鮮人 百済・高句麗が日本人の祖先で古代日本語を話していたのが自然だと思う。 そもそも百済の支配者層の言語と新羅の言語とは別系統。 血統的に元々違う。 【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、 進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。 この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、 金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、 先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、 いずれもこちらの説が有力であることを示している。 ソース AFP http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2798334/7175562 百済の支配層で使われていた言語と被支配者層で使われていた言語は違っていたので、 被支配者層(今の韓国人の系統)とは別民族で言語が違っている 百済の支配層と同じ系統である高句麗とその後、滅亡、消滅している為、朝鮮半島内に痕跡はほとんど残っていない。 高句麗、百済、日本の三足烏の伝説が新羅以降の朝鮮半島に見られない 遣隋使や遣唐使だけでなく遣新羅使やは通訳が同行していたという記録があるが、 遣百済使に通訳が同行していた記録は無い。 三国史記に記されたいわゆる「高句麗語」が上代日本語と類似性を示す (高句麗と百済の支配者層は同祖) http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG ▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。 今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと いう学説が提起された。 7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍 (禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界 権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。 墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐 軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に 残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。 文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と 見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺 国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯 一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。 墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。 彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか っただろう」と主張した。 ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」 http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>4 中国の史書によれば、倭人が認識された頃には高句麗。百済という国は存在していません。 日本人の起源 〜遺伝学電子博物館 http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった のである。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系 統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統 のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人 が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。 http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg 本土の日本人は縄文人と無関係だった http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg 縄文人の言葉に渡来系弥生人や飛鳥以降の渡来人の言葉が 少しずつ混ざって出来たのが日本語と考えるのが自然だと思う 渡来系の言語がベースであればもっと日本語に似てる言語があるはずだし 日本語に最も近い琉球語や次に近いアイヌ語も縄文語がベースと思われるからね 日本語と朝鮮語は似ているところが少しあるだけで基本的には大きく違う その似てる部分が渡来人成分という事 >>17 日本語と朝鮮語は、方言レベルの違いだよ。 アイヌ語は全然違う。地名に残ってる程度。 学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」 に発表された日本語の起源? 朝鮮人が慰安婦問題を、アメリカで提訴するのに似ている気がする。 >>18 日本語と朝鮮語はそんなに近いという専門家は一人もいないよ。 >>18 何を持って近いと言い張るの? 専門家が必死になって近い証拠を探しても見つからないんだよ。 あ、日本に来てみたら似たような言葉がたくさんあって驚いたのかい? そりゃそうさ、近代以降の用語は和製漢語で朝鮮も中国も使ってるからね。 漢字語だけじゃなくつけものとかかばんとか随分そのままらしいな。 そういうのは「言語の起源」には役に立たないんだよ。 朝鮮ね テレビを見ている限りでは似ていないよ 報道など見てないの? ・ミサイル、ロケットを打ち上げました、 パレード、軍隊が行進しています いますぐ知りたいというのなら、 そのような動画を見るとわかるよ アイヌの動画もあるのかな? そのままのコトバを使用し会話をしている動画 『アイヌ 会話 動画』 なんでもいいから、 このように検索して観てみればいいんだよ 観ていると面白いよ 「あれは伝説の神話だな」とわかるから 大野晋が唱えた、タミル語説は、おそらく一部は正しいんだろう。 「日本語の起源がタミル語で印度からやって来た」というのは違う。 日本語とタミル語に似通った言葉を伝えた人達が同じってこと。 東南アジアに農耕を伝えた人達もそうなんだろうな。 印度の稲作地帯には、Y-DNAがO2aの人がいる。 弥生の始まりの頃じゃなくて、もっと以前にやって来た。 日本語の本質はやはりアルタイ語族であり、今は滅びた扶余系諸語に属すると思われる。 現在僅かに復元された高句麗語は、日本語と同族の言語であったこと示唆するものである。 かつて、滿蒙から半島にかけて、燕に近接した倭人国があったといわれており、この民族が半島を南下して 弥生人として日本列島に入植したのであろう。 だったら、弥生人集落は朝鮮土器の集落になってなきゃオカシイだろうがカス。 ところが、弥生人集落は登場から沿海州南西部に特徴を同じくする土器集落なんだよ。 もう弥生人の故郷がどこか分かるよな馬鹿でも。 扶余は満州中部以西だろ。 沿海州南西部とは土器文化が違うんだよ。 しかしながら弥生開始土器と土器の特徴が一致するのは沿海州南西部の シニガイ文化期だけで、それ以降の沿海州南西部が同じ集団かどうかまでは 分からんけどな。 数ある渡来系弥生人のうちの弥生土器を伝えたグループがそれだって話だろ >>32 どうせいつものサギサギ湾ブタだとは思うけど、 じゃあ、その他の渡来系弥生人が渡来した事を証明する証拠遺跡とその証拠文物は? . 湾ブタって、おえい、とか言ってる人の事じゃないの? >>34 ほれ死ねいw ◆在日中国人 在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。 中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を 取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。 広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、 狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と 呼ばれることが多い。 独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が 外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。 既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する 神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、 兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。 このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が 顕著である[3]。 なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住しているといわれる、 [要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する 神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、 兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。 このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が 顕著である[3]。 なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住しているといわれる、 [要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA 最近、あちこちに縄文語とか言ってるバカが現れて本当にこの国は大丈夫なのかと心配になる では、縄文語では1・2・3はなんと言うんですか 頭、口、手足は何と言ったんですかと聞くと何も答えられない 「でも日本語の起源は縄文語なんだー」「でも縄文語は最高なんだー」と喚いてる 要するに、どこぞの国の「万葉集は古代○○語で読める」とか、偽国宝みたいなものなのです 【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、 進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。 この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、 金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、 先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、 いずれもこちらの説が有力であることを示している。 ソース AFP http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2798334/7175562 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった https://www.youtube.com/watch?v=eXnvo9cGesk 22:40-22:48辺りを見てみましょう @ 日本列島に最初に入って来て北方に抜け沿海州に回った連中が縄文芋作夷人です A その次に南西諸島九州から朝鮮半島へと抜けて行った連中が縄文稲作倭人です青銅器も実はこれが持ち込んだ可能性が有ります近親で西アフリカに残ったのがダン族ですね途中インドで別れて西方に引き返した連中はユダヤダン族です B 弥生人は北方の陸路は魏に塞がれていた滅亡呉の難民が鉄器と蚕織業を携えて船で東海に向かってショットガン風に散り散りに諸島や半島に渡ったものでしょう 番外 朝鮮半島の付け根で母親が漢人に犯されて産まれた或る男子で父親に逆方向向き背乗り漢語名を付けられて育てられ精神を兇暴な帝国主義者に改造されて南方の親戚筋に襲い掛かったのが檀君で >>4 うーん逆だね 新羅人は南方から九州を渡って半島に入った稲作倭人(=後期縄文人)の系統だよ 北から回って来た寒くて芋作を捨てて漁労民化した夷人(=前期縄文人)と混淆していたかも知れない そもそもシラって床下風通しスースーの掘立高床式建築の事らしいから寒冷地の狩猟民族では思いつけないしねw 百済は北方に向かってはヒャクサイやペクチェを名乗って居たが南東方に向けてはクダラを名乗り続けて居た つまり百済は稲作倭人国クダラの王権をまんまと背乗りして乗っ取った滅亡済系か高句麗系かの支配して居た国で 高句麗に対しては私達の王族は親戚同士ですと持ち掛けたり燕等に対しては私達百済の民は同じ中華人ですと持ち掛けて高句麗の自国への南進を抑制して居たんだよ 現代の大韓民国に於ける国民の歴史認識や政治感情が統合失調症状態になっているのはこれ等の史実を亡命上海両班の創作した建国理念に照らし合わせると是認できなくなるからです 45 新羅(秦韓)の経路ならはっきりしてるぞ 渤海迂回の半島南部に三韓成立だろ 韓(迦羅)氏の連中が日本にきたのはハッキリしてんのね〜 出雲風土記の呼び方も斯楽木だからね 新羅とは呼んでないんだね 僭称中臣氏である亡命百済人藤原氏の治世は長かったから(今でも外務省は藤原氏の牙城なので中韓相手になるとgdgd外交になっている) その間に日本史や日本語史もおかしな形に捏造されているけど(文科省も酷い様子だろうね宮内庁はまあ仕方無いけどw) 捏造の時々に散々批判も浴びて完全には改変できなかった様子で嘘を明かす証拠は日本中の随所に残りまくってるねw 斯楽木と呼んでたものを後に中国の文献だか文字だかが入ってきて 新羅と書いてあった! シラギじゃなくてシンラだよな〜 でもシラギと呼んでたからそのまま当て字で使うか〜 ってとこじゃないのかね? >>8 >高句麗、百済、日本の三足烏の伝説が新羅以降の朝鮮半島に見られない 三足烏はインドや東南アジアではガルーダ(神鷲)と呼ばれる想像上の鳥と碧眼の持ち主であった始皇帝が秦帝国に持ち込んだ中東オリエントの手引き烏伝説の混合した概念なので 東アジアでは縄文芋作夷人または秦以降の中国人が支配層に居なかった国即ち稲作倭人のみが支配者層を形成して居た新羅にこの概念が存在して居なくても当然です 今の半島のやつらが使ってる韓人(カンジン)とかつての韓人(カラヒト)ってのが同じもんかど〜かが問題だね〜 カンジンって中国漢音だろ 韓人はあくまで迦羅人のこったからね〜 斯楽木=白木の方が意味を取り易いしどの道床下開放掘立建築ですよ? 漢字一文字で一音です 愛という漢字も初めはマ、メと発音しましな 愛児と書いてメゴとか 47 藤原氏って百済だったんかい? 新羅かと思ってたよ 日本のなんかの文献にも書いてなかったかな? 高句麗人が入部したのが武蔵、新羅人が入部したのが常陸 少数だがその名前はでてくるね 高麗神社は高句麗遺民のやつらが建てたもんですし 百済の近尚古王だっけかな? 百済王氏となってなんたらかんたら 子孫生き残ってるのか? 陸奥守なんかにもなったみたいだが 新羅、高句麗、百済あとは迦羅(任那日本府)の連中が日本にきてるのは間違いないよ そりゃ下手すりゃ日本の中の神話にチョンコ半島の話なんかも混ざるわな 当の本人が日本にきてるんだからよ >>56 どうりで北関東の方言は朝鮮語(新羅語)の発音にそっくりなわけだ 「本土クラスター」の遺伝的地域差(理化学研究所) http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/e/5/e5a9adbb.gif 中国(朝鮮)−近畿−九州−東海北陸−関東甲信越−北海道−東北−アイヌ >>58 加羅には濊も含まれる 渤海やその先祖達も多く来たし 斉からの移民も多かっただろう 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>49 ちなみに新羅系から禅譲を受けて居ない或は沿海州系王朝ともされている李氏朝鮮では 三足烏に加えて西方から双頭の鷲の評判も聞こえて居たせいでしょうか 三頭三足のキングギドラが創作されて居ますw 韓国は当時から宇宙の起源だったのです 後代にはGHQの日本弱体化政策に呼応して宇宙怪獣キングギドラが日本列島を襲った事件は皆様の御記憶にも新しいですね(ネタバレ そもそもが違うんじゃないの? 家の近所に朝鮮、韓国出身の人々が住んでいる、 子供の頃このような事を言ってたよ ・夏休みになったら、 韓国のおばあちゃん(おじいちゃん)の家に行くんだ ちなみに家の場合は ・群馬(母親の実家)に行くんだ >>55 公教育をガチでGHQが仕切って居た直後の文部省指導要領では国威回復の為か蘇我氏が百済系そして藤原氏が新羅系として検定教科書に記載されて居ました その後には 蘇我氏百済系 藤原氏百済系 蘇我氏新羅系 藤原氏百済系 蘇我氏高句麗系 藤原氏新羅系 蘇我氏百済系藤 原氏新羅系 と変転し近年では 蘇我氏高句麗系 藤原氏新羅系 を都合良しとしていますが 藤原氏が百済系で無かったのなら白村江まで兵站戦を延ばす愚行には決して及ばなかった筈ですし 現代に於いて学説が二転三転する内にも一度たりとも百済系が奸臣扱いされなかった経緯を鑑みても 藤原氏の正体が亡命百済人であった事は明白です なお藤原氏は百済王族では在りませんでしたから 奈良時代を通じて勢力を拡大した藤原氏と外様皇族に配された百済王族との間には一貫して確執が有り 藤原氏が権勢を確固たるものにして平安遷都する際に桓武天皇妃に百済姫を迎えて手打ちするまでそれは続きました >>53 失礼しました シラは意味的には シラ=高倉 ですから シラキ=高倉柵(城) で在って新羅から来たのでは無く南方から来て九州で分流したか寧ろ出雲から新羅に渡ったとする方が自然な解釈とできるのでは無いでしょうか シラ即ち床下開放の掘立高倉建築なんて防黴防菌防虫防鼠に腐心して居た南方の連中の発想でしか在り得ません キングギドラを操って居たやたらとタカ派な宇宙人こそが藤原系旧華族官僚で在るとするのが東宝怪獣映画の正しい観賞方法ですw 差別をしているのではなく 名前を二つ持っている人は何なんだろう 通名というの? 工作員のようなものなのかな 昔は何とも思っていなかったけど、最近になり、何かおかしいな?? >>60 例えば北関東方言の何という言葉が、朝鮮語(新羅語)の 発音に酷似しているの? >>6 >紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に・・・・・・・・・・ BC200頃、日本列島の何処に大挙来住したの? 北部九州ならば既に稲作が導入されておるから、先住民文化に与えた 多大な影響というのは何が伝播されたというの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 現存のいかなる他国の言語とも遠い言語でしょう日本語は、旧石器時代とかなら大陸にも日本語的なものはあったかもしれんが 昔は漢字オンリーだったんだよ 文法が今ね中国とは違うがな >>76 結果を都合のいいように解釈するとこうなるんだろうな。 「すぐれた文化を教えてやった」っていう。 >これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。 ここから導き出されるのは、「この時点以降に分岐拡散した」ということだけだ。 >この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる >「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」 そもそも、その時期に大量に渡来人がやって来たという証拠はない。 すべての考古学者が否定するだろうね。 日本の考古学者が誰も見たことがない「大量の渡来人」の証拠をどこで 見つけたのか不思議だね。 ま、元々、手法が進化生物学のものを流用とかムチャすぎだしな。 比較言語学では日本語と朝鮮語との分化は少なくとも5,6千年以上前と されていることからすれば、先に結論ありきのトンデモ説にしか見えんね。 大量の渡来人って535年のインドネシアの大噴火の時じゃないかな 噴火はジャワ島が二つに割れてジャワ島とスマトラ島になったほどの威力で 世界各地に異常気象をもたらした ヨーロッパでは異常気象に伴いペストが蔓延したし、中国大陸や朝鮮半島では飢饉が発生するなどして 政情が不安定になり、難民が日本に逃げてきた。 これが大量の渡来人の正体 >>81 ちょっとググってみたら、論文主のリー・ショーンって東大の院生で 血統的にはガチ韓国人だね。おまけに言語学でも歴史学専攻でも ないしw >>84 聞きかじりの「弥生紀元前300年開始説」を当てはめたんじゃないかな。 こういう意味不明な結論を「導き出す」からコリアンの論文は信用出来ない。 【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来する 「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、 先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、 いずれもこちらの説が有力であることを示している。 http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2798334/7175562 イギリスの雑誌に院生の論文が載っただけで「根拠」になるのかw ネイチャーとかじゃなく、「英国王立」だから白人様の 王室にお墨付きをもらったきになってるのか。 日本人の起源 〜遺伝学電子博物館 http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった のである。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系 統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統 のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人 が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。 http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 超音波テロの被害にあっています。 卑劣極まりない被害にあっています。 何が起こったかわからないときから、 わかってみれば、 まだ世の中に知られていない超音波テロ。 世の中のどれだけの音の振動源・発信源が 使用されているのかわからないが、 多数の振動源・発信源がシステム化され、 ネットワークを通して、 超音波・音波を集中させて 対象を攻撃するらしい。 人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、 卑劣な被害にあっています。 聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 「もらいました」という声とともに、 形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく 超音波テロの加害者の声。 聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 超音波による物理的な力で、 ものが飛び、ものが壊れる。 それが人間の体に対してまで。 身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。 頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。 聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。 人間の体を壊そうとする超音波テロ。 日本国中、どこにいても超音波で襲われる。 車に乗っている人間が襲われる。 歩いている人間が襲われる。 自宅で超音波の攻撃を受ける。 被害を訴えても信じてもらえない。 罪もない人間が超音波で襲われる。 「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、 「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに 強烈な超音波の攻撃。 叫ばされ、いたぶられ、それを口実にまた攻撃され、 超音波テロの、残酷残虐で、卑劣な攻撃の被害にあっています。 心の底から被害を訴え、祈っています。 天に神に届きますように。 以前は気にならなかったというか知らなかったけど、こういう板でものすごい 工作員がいるんだなあ。 科学的かのような引用付けてさあ。 その執拗さは恐ろしいもんがあるな。 嘘を1万回唱えて、気がついたらいつの間にか日本人は「韓国人」の子孫だって いう説が教科書に載ってたりしてな。 稲作の伝播経路|写真http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.jpg 稲作伝来の経路は、幾つか考えられています。しかし黄河以北の大陸や南西諸島・南九州には、 当時の稲作が行われていた痕跡は確認されていません。よって稲作道具の類似性からみて、 稲作は朝鮮半島南部から伝来してきたものと考えられます。 http://www.ranhaku.com/web04/c3/1_01map.html 日本人の起源 〜遺伝学電子博物館 http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった のである。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系 統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統 のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人 が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。 http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg >>99 一番下の図を見るとわかることは、 現代日本人はミャンマーやマリアナ諸島、 弥生人はフィリピンや南中国と 関係が深いんだな 記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 東京大学大学院医学系研究科 総合研究大学院大学 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html 研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイト を一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分 を含む日本列島人のDNA分析を行った。 その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する 本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団とし ては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>101 これって、縄文人のはどこのを使ったのか書いてないけどどうなんだろ? 使うデータによっていろんな結論が導き出されているなw ミトコンドリアやY-染色体、Gm遺伝子だと、台湾との間には断崖絶壁があるのにね。 ◆成 果:日本列島の3人類集団(アイヌ人、本土人、琉球人)間およびそれらと他の人類集団との遺伝的近縁性を確定した。 ◆新規性:101年前に提唱されたアイヌ・琉球同系説を最終的に証明し、またアイヌ集団が本土人および北方集団と遺伝子交流をしてきたことがはっきりした。 デタラメ書いてるのか 日本人の起源 〜遺伝学電子博物館 http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった のである。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系 統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統 のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人 が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。 http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg 超音波テロの被害にあっています。 卑劣極まりない被害にあっています。 何が起こったかわからないときから、 わかってみれば、 まだ世の中に知られていない超音波テロ。 世の中のどれだけの音の振動源・発信源が 使用されているのかわからないが、 多数の振動源・発信源がシステム化され、 ネットワークを通して、 超音波・音波を集中させて 対象を攻撃するらしい。 人や社会が襲われ、罪もない人が超音波で襲われ、 卑劣な被害にあっています。 聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 「もらいました」という声とともに、 形のあるもの、ないもの、奪っていき、壊していく 超音波テロの加害者の声。 聞こえる声、音。超音波テロの加害者の声。 超音波による物理的な力で、 ものが飛び、ものが壊れる。 それが人間の体に対してまで。 身体の表面を突き抜け、内臓を攻撃される。 頭蓋骨を突き抜け、意識を失わされる。 聞こえる声、認識できない声で、精神的なダメージ。 人間の体を壊そうとする超音波テロ。 日本国中、どこにいても超音波で襲われる。 車に乗っている人間が襲われる。 歩いている人間が襲われる。 自宅で超音波の攻撃を受ける。 被害を訴えても信じてもらえない。 罪もない人間が超音波で襲われる。 「見続けるのがいやだから、殺して終わる」、 「証拠隠滅だ」という超音波テロの加害者の声とともに 強烈な超音波の攻撃。 叫ばされ、いたぶられ、それを口実にまた攻撃され、 超音波テロの、残酷残虐で、卑劣な攻撃の被害にあっています。 心の底から被害を訴え、祈っています。 天に神に届きますように。 よかったな 見ていて気づいたけどな〜 半島のやつらってのはありゃ中国系だわ 日本の浅間山荘事件なんてのもありゃ多分、あっち (前略)小浜さんは形質人類学の立場から日本列島の、東と西に住む人びとの差異をいろいろな角度から指摘されておられます。 その中で私(網野善彦)がもっともショックを受けたのは、朝鮮半島人と、近畿、瀬戸内海沿岸の人びととがきわめてよく似ており、形質上は同じであると指摘されている点です。 そしてそれに対して、山陰・北陸と東北の人びとと近畿人との差異は、朝鮮半島人と近畿人との違いに比べて、はるかに大きく、 東北、北陸の人びとはむしろアイヌに近いと小浜さんは強調しておられます。 これは頭部の特性、短頭、中頭、長頭をはじめ、身体的な特質から導き出された結論ですが、さらに衝撃的だったのは小浜さんの、被差別部落に踏み込んだ発言でした。 小浜さんは大阪大学の方ですから、ここまで立ち入っておられるのですが、この論文の書かれた時期には、 被差別部落民は朝鮮半島から渡ってきた人たちだというとらえ方をする人たちが、関西では少なからずあったと思います。 これに対して、小浜さんはとんでもない誤りで、むしろ部落を差別している人びとの方が朝鮮半島人にそっくりで、 差別されている被差別部落の人びとは、東日本人、東北北陸型の人びととむしろ形質上はよく似ているとされています。 小浜さんは被差別部落の人びとが朝鮮半島からきたなどということはまったくの誤りだと強調されているのです。 (網野善彦『宮本常一『忘れられた日本人』を読む』(岩波現代文庫,2013)137-138頁) ◆在日中国人 在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。 中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を 取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。 広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、 狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と 呼ばれることが多い。 独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が 外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。 既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する 神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、 兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。 このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が 顕著である[3]。 なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する 神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、 兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。 このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が 顕著である[3]。 なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。 日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 朝鮮人は満州に何度も攻めこみ負けた時民族浄化されてるから 日本人と近い部分が殆どなくなって自分達も何者か分からなくなってる 日本人に近い存在だと捏造して喜んでいる 記者会見「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 東京大学大学院医学系研究科 総合研究大学院大学 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html 研究グループは、ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)(注1)を示す100万塩基サイト を一挙に調べることができるシステムを用いて、アイヌ人36個体分、琉球人35個体分 を含む日本列島人のDNA分析を行った。 その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する 本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団とし ては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。 アイヌ語単語は、フィンランド語似。かつ、フィリピン語似。 スワデシュ・リスト 207 個の単語の検証(鑑定) http://www5d.biglobe.ne.jp/ ~the_imai/etymology/Grimm%27s_Law_in_J_20_A.html#swa ---アイヌ語の単語は、「ウラル語系」と「ポリネシア語系」のものが多いです。 縄文人171例,土井ヶ浜を主体とする渡来系弥生人153例,古墳時代人276例,鎌倉時代人220例, 室町時代人124例,江戸時代人194例,現代日本人180例および北海道アイヌ187例の頭骨につき, 22項目(ただし江戸時代人については20項目)の形態小変異の出現頻度が調査された. 頭骨の形態小変異の出現頻度は,骨格の計測的特徴と異なり,日本の歴史時代を通じてほとんど不変 であったことが明らかにされた. 古墳時代から現代にいたるまでの日本人グループ間の距離はいつれも小さく,有意でないものが ほとんどであった.したがって,これら日本人グループは単一集団に属すると見なされた. これに対して,縄文人および北海道アイヌと上記の日本人グループとの距離はいづれも明らかに 有意であった. 調査した8グループは大きく2つのクラスターに分割された.すなわち,縄文•アイヌ群と弥生•古墳• 歴史時代日本人群とである.後者のクラスター内では,古墳時代から現代までの諸グループは非常 に密接に関連しており,現代日本人の人類学的特徴は古墳時代まで遡れることが強く示唆された. 渡来系の弥生人も明らかに古墳時代以降の日本人グループに分類されるが,それらとはやや距離を 置く傾向にあった.この傾向は,国外の資料も含む12グループについて行なったクラスター分析で も同様に認められた.すなわち,弥生人は蒙古人よりもやや遠い距離で古墳時代以降の日本人グル ープと結合していた. 縄文人と北海道アイヌの関係については,我々の従来からの主張,すなわち縄文人-特に東日本の 縄文人のアイヌへの移行,が繰り返された. https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/98/3/98_3_269/_article/-char/ja/ 日本語単語のソックリさんは「サンスクリット語」に多い、です。 スワデシュ・リスト 207 個の単語の検証(鑑定) [日本語] http://www5d.biglobe.ne.jp/ ~the_imai/etymology/Grimm%27s_Law_in_J_20.html#swa --- ソックリさん単語の内訳(7 言語結果)。 【趣】 57% シュメール語, 【悪】 30% アッカド語, 【土】 30% トルコ語, 【賛】 81% サンスクリット語, 【民】 60% タミル語, 【有】 52% アルバニア語, 【蛇】 7% ヘブライ語。 作為的操作していません。 名前(namae)とnameが同じだもんなw 日本語は英語と兄弟!とか、あほらし。 日本語の内5000語くらいヘブライ語に近いってじっちゃんが言ってた 日本が全ての元 全文明の元が日本 全宗教の元が神道 全言語の元が日本語 >>128 仏教用語だけだろ?日本語の発音ではない。 インド人と日本人の同祖論は認めない。 日本語の起源とは、流入したエリートのペルシャ人、ポルトガル人、英国人の使っていた単語(借用語)を日本語風に日本国内でアレンジしたものである。 こんなところだろ? 日本語の文法はまさに不思議としか言いようがない。体系的に作られた記号のようなハングルとは発音方法も全く違う。 ちなみに、日本語の文法と韓国語の文法がSOVで同じとか言う輩がいるが、関取語とかモンゴル勢の影響であって、 日本語の古語の文法じゃないからね。 遺伝子的にインド・ヨーロッパ語族のハプロが日本に存在しないから シルクロードを文化のドミノ倒しによって伝搬したと想定できる 渡海文明築いたのはインド人でもアーリア人でもなくサモア人だけどな 中南米原産のイモ類が日本に伝わったのが縄文時代 土器類の運搬運び手は彼ら ダルマ大使やら古代南方仏師のモデルになってるのやつらだけどな 通常に考えてサモア人が北上して大陸に広がったのがモンゴル人 D系統のチベット、アイヌ種とはまた違う話になってくるわけさ >>143 NとCかなあ。フィンランドだとNはモンゴロイドの遺伝子だと聞くが。 南方起源系を書くとこうやって荒らすことを考えると 朝鮮系に都合が悪い真実なんだな 考古学的には北方要素が強いが 言語学的には南方要素が強いよね 日本人の先祖の圧倒的多数は弥生人でなくてはならない。 弥生人は、紀元前300年以降に朝鮮半島からやって来た人でなくてはならない。 すべての遺物は、朝鮮半島で先に現れていなければならない。 歴博の年代観は捏造であり、認められない。 日本人と日本語のルーツは「韓半島」であり、天皇家のルーツもそこである。 縄文人は滅びた先住民であり、痕跡が残っているだけである。 南方起源は捏造である。 すべての人類学的指標は、韓国人こそが日本人の先祖であることを示している。 Y-DNA Dは源氏は幻である。 縄文遺跡は今の日本人とは無関係である。 こんなところかな。 必死になって「日本人は韓国人の子孫」にしたいみたいだね。 >>149 人類学的にも民俗学的にも南方要素が強いんだよね 土器が発生する前に南方から北上したと考えれば 全ての学問的に筋が通るんだけどね 単に南方語から分岐したばかりの昔の北方語なだけなんだろ。 Gm遺伝学的には北方要素が強く、言語はどちらの要素もある。 Y-DNAはどういえばいいのかわからん。 Gm遺伝子は、病気と関わるから淘汰っていうか、日本人の起源解明には 向かないんじゃないかなあ。北から南へ綺麗に勾配があるし。 mtDNAはどちらもあり。 大陸も半島もよく似ているからなあ。 旧石器人は南からやって来て、三万年以上前に日本列島へ渡った。 そして、それが縄文人の核となった。 最終氷期以前、シベリアにたどり着いた人がいた。 彼らは氷期が終わると各地に広がった。 欧州へ、アメリカ大陸へ、中原へ。 そんで、欧州ではウクライナ近辺にたどり着く。 東アジアは、今の満州にたどり着く。 その2つの集団は、長らく交流があった。 一万年くらいあるからな。。 そのルートでゴマやひょうたんが伝わった。日本へも。 海辺の集団は、船であちこち交易し、いろんなものを伝えた。 縄文海進が進んだ頃、住処をなくした人たちが各地に分散した。 このうちの一派が日本に着いて縄文人に溶け込んだ。 大陸ではOの集団は大陸全体に散らばっていった。 南の集団は稲作をはじめ、北の集団は満州で焼き畑をやってた。 短足扁平と下戸は起源が別なんだろうなあ。 北にいた人も、集団がいくつかあって、ツリ目に特化した集団は、 人数もそんなに多くなかったとかさ。 ああ、違うな。 Rはもっと前に別れたのか。 最終氷期以前に西ヨーロッパまで行ってたのか。 >>154 中国南部のブタみたいな鼻の穴が丸見えの6cm超級の広鼻、あるいは鼻がベチャーと 潰れ広がったベトナム鼻のクッサイ汚らしい巨大タラコ唇褐色原人が祖先のタイワピーノ。 で、南方から旧石器人が来た事を証明する証拠石器は? . >>153 それは言語学的にはあり得ない 北と南はまるっきり言語が別だよ 仮に分岐したとするなら出アフリカ後すぐの8万年くらい前まで 遡らないといけなくなる 縄文が始まる前に、北からと南から大陸へやってきた人たちが日本列島へやってきた。 最終氷期に、バイカル湖のほとりで越冬した人がいた。 越冬地はチベットにもあったという説がある。 もっと南の人は、どうしていたんだろうな? 中原は堆積物が多すぎて、見つけるのが困難なのかな。 氷河期の最寒冷期の中原の植生はどうだったのか? 中国語だけが変わってるんだよな。 人口が多いから圧倒してるように見えるけど。 ウラルアルタイ系祖語、オーストロアジア語祖語、これがベースで、アジアの 南北で。 日本語は、ベースは北方系で、単語が南方系を取り込んでいる。 南方系っていうのが、割りと新しいのだろう。 東南アジアの古い先住民の言語はぜんぜん違うらしい。 5〜6000年くらい前に、あるいは4000年くらい前に稲作を持って故郷を追われた 人々が、辿り着いた先で現地の言葉と融合して出来上がった言葉が「南方系」で、今のインドや東南アジア各国の多くの 故郷は、中国語が圧倒してしまって残っていない。 中国の少数民族の言語がどうなっているかわからんけどな。 中国語って、いつごろどこでできたんだろう? やっぱり「殷」なのだろうか? >>160 日本語はベースが南方で北方の文法を取り込んでいるんですよ ベースが北方ならLRの区別があるはずです 旧石器時代から南方から人が来た痕跡がありませんので詐欺師は自戒するように。 南方系と言っても南方に広まってるだけで ルート自体は北かもしれませんよ 丸木舟が無い時代にスンダランドから日本までイカダでやって来れると思う? スンダランドから日本までサーフボードでやって来るのと同じだよ。 仮に運良くやって来れても一人でどうやって子孫を残すんだってな話で。 で、スンダランドから朝鮮まで北上した事を証明する石器は? >>163 ルート自体じゃなくてルーツ自体の間違いだろ?w アルタイ地方に最初に侵入した連中はイラン方面から入った南方人だよ。 北方は元南方なんだよ。 北方が元南方なら ルーツが南でルートが北じゃないですか? そういう意味か。 南方でもイラン方面の南方とインドシナ方面の南方があって、 アルタイの最初の集団は前者の集団だろう。 今のイランはアルメニア人種とアラビア人種の混合地帯になってしまって 南方のニオイがしないけど、アラビア半島も南部に行くと、褐色で 広鼻の人たちがけっこうまだ残っている。 アラビア半島 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔! 赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。 それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。 この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。 台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。 赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。 gm遺伝子 http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) アフリカを出た時は一つのグループだったようだし、その後に南北に分かれて 一万年後に再開するわけだ。 寒冷適応する前は、顔つきも「南方系」のままだろ。 旧石器時代の大陸のモンゴルより南に、寒冷適応した人骨は見つからん。 アルタイに侵入してすぐに古モンゴロイドになった訳じゃないだろ。 古モンゴロイドになる前にアルタイから来たのが第一派旧石器人だろうな。 古モンゴロイドになって樺太から入ったのが第二派。 北方モンゴロイドになって沿海州からやって来たのが弥生人。 オリジナルからほとんど変化してないのが古モンゴロイドだよ 古モンゴロイドは最初から古モンゴロイドじゃないぞ。 元は中東の方にいた原始人類とも原始コーカソイドとも言われている 人種から変化したものだよ。 インド人に似た集団だと思うが。 最初の旧石器人は褐色の人種だったかもしれんな。 それが2万年前に樺太からやってきたアイヌの祖先と思しき 白い肌の人種が南下してきて混成して黄色になったのかもな。 沖縄人は8000年前の九州縄文人だから、その頃までには縄文人は 今の肌の色になっていたという証拠だろう。 アイヌが褐色の旧石器人だよ 北方にいるから薄くなっただけだよ 本州人の方がアイヌよりも北方形質が強いんだよ 昨年末、安達弘志氏が「卑弥呼は満鮮にいた」という本を出版し、 卑弥呼の意味、漢籍に記された壱與の名とその業績などを解明した。 山形明郷の説を「卑弥呼満鮮説」の初歩編、或いは入門編として古代史の真実の海に漕ぎだし、 安達氏の「卑弥呼は満鮮にいた」を決定的解明編として真実の結論に至る。 そして邪馬台国問題は終了したのだ。 >>164 え?氷河期だからそんな遠い航海をする必要はないですよ。 朝鮮半島だって、半島ではないし、長江の河口がずっと沖合だし。 日本語の骨格は北方系で、南方系の単語を多く含む。 でも、おかしいなあ。 南方語を使ってた「水稲稲作」を持ったY-DNA Oの人たちは、元は北方系じゃ ないのか?だって、Nといっしょにいたんだよな? つーことは、北回りでやってきた北方系のはずなんだがな。 Nと共に北回りでやってきて、どこかでNと別れ、南に進んだ。 そして長江で稲作を始めて四方に散らばった。 O2は水稲稲作をする以前に、畑作を始めた頃に別れた。 もっと南へ進んだ一団(O1中心)が水稲稲作を始めた。 >>183 氷河期でも太平洋側まで凍て付いていた訳じゃねえだろがカス。 おまえボルネオからイカダ一つで日本の太平洋側まで来て証明してみろよ。 >>184 そんなYみてえなゴミテクニカル見てるから余計分かんなくなるんだよ。 渡来人は稲作が伝わる数百年前に出雲あたりに刻目突帯文土器を伝えた集団で、 刻目突帯文土器は沿海州南部にあったある時代の土器に特徴が一致。 朝鮮から稲作を導入した最古水田の連中は朝鮮土器を全く作らず、 前出の土器ばっかり作る。 半島から持ち込んだと見られる壺が一点あるだけ。 この朝鮮から稲作を連中がおまえには半島人に映るか? >>187 氷河期だからそんな遠い航海をする必要はないんだろ?w だったらボルネオからイカダで東京湾までやって来いよw やって来たらみんな信じるだろw 何を好き好んでボルネオ原住民が氷河期真っ只中の日本列島に来る? それって美味しいの? はい 南方説論破wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 5万年前の東南アジアは魔境 大蛇やオオトカゲや肉食獣の棲み処でありジャワ原人の子孫の縄張り+マラリア発生地帯w 出アフリカしたアボリジニ達さえスンダランドを素通りして南半球のオーストラリアを目指した もし日本人に南方の血が入ってたとしたら なんでインパール作戦で大量の日本兵がマラリアで死ぬの???? 南方の血と言ってもほんのわずかだし 時間も経ってるからねえ >>189 住みやすい所は他の奴が住んでいるからだろ >>192 日本人の先祖が東南アジアを通った頃は、氷河期だったから。 ハノイが種子島の気温くらいだろ。 温暖になってハマダラカが増えてから耐性を獲得したんじゃないの? 日本には南方の石器が一切伝わってません。 日本には南方の石器が一切伝わってません。 大切な事なので二度言いました。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 途中で別の石器に切り替えたんだろ 短期間に移動したわけじゃないんだから 無人ならともかく、切り替えたなら、切り替えた石器の元々の先住民が いるって事だろ。 そうは簡単に移動できんよ。 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは 中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。 ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。 しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。 というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。 それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に 伝わってしまっている。 しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も 最古水田にはさっぱり伝わっていない。 日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>199 縄文弥生時代に於ける日本の超古代稲作は引き鋤なんて使う地域より更に南からやって来た深田水稲作で 初期には沼沢に籾ばら撒いて株も毎年刈らず適当に実った稲穂だけを穫って居たんですよw 腰まで水に浸かって歩いたり田船に乗って巡ったりして採ってたんですよ中国人や韓国人の想像力の及ぶ範囲じゃ有りません 江南?もっと南じゃないですかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww? >>199 >石刃の農具もない。 後期弥生の遺構からは石包丁が出て居ますね まあ石包丁自体実は戦前から蔓延ってる朝鮮学者による捏造かも知れませんがねw だって深田で腰まで水に浸かって稲穂包丁を用いる際には 水に浮かぶ木包丁や竹包丁と 水に沈む石包丁の どちらが重宝したでしょうねぇwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>192 慢性マラリアに罹って気怠い人生を送る羽目になっても好いんなら日本人でも熱帯の連中と変わらない程度の確率で生き残れるよ試して見る? しかし南方系を蔑視して日本人のルーツから外そうとしている連中はボロブドゥールの建造物群なんかも朝鮮半島から伝わった事にしたいのかなw? >>196 比較する南方の石器が旧すぎるんじゃないですか?いきなりジャワ原人のと比べてるとかw https://www.youtube.com/watch?v=eXnvo9cGesk 22:40-22:48辺りを見てみましょう @ 日本列島に最初に入って来て北方に抜け沿海州に回った連中が縄文芋作夷人です A その次に南西諸島九州から朝鮮半島へと抜けて行った連中が縄文稲作倭人です青銅器も実はこれが持ち込んだ可能性が有ります近親で西アフリカに残ったのがダン族ですね途中インドで別れて西方に引き返した連中はユダヤダン族です B 弥生人は北方の陸路は魏に塞がれていた滅亡呉の難民が鉄器と蚕織業を携えて船で東海に向かってショットガン風に散り散りに諸島や半島に渡ったものでしょう 番外 朝鮮半島の付け根で母親が漢人に犯されて産まれた或る男子で父親に逆方向向き背乗り漢語名を付けられて育てられ精神を兇暴な帝国主義者に改造されて南方の親戚筋に襲い掛かったのが檀君です 縄文人は弥生人の奴隷狩りで捕らえれれて古墳を造らされたんだよね 庚午年籍なんかに記載されてる各戸の男女奴婢がその末裔 日本語を北方のなにかと南方のなにかの混合物と捕える説はもう時代遅れだな 縄文人は北方モンゴロイド形質がこの世に出現する前に列島に定着した古い人種だったし 日本語も世界中で語族が成立する以前に列島にやってきて独自に発展したものだ 北方と南方を一種類ずつでしか考えないからダメなんだよな 男女奴婢か 調子こいて自分らはその末裔だ〜なんて言う20世紀〜に蜜入国した朝鮮人みたいのまで現れるからな まず西洋のやつらの口出しでも封じるか 朝鮮人見ててもやつら盗みやらブン屋くせ〜のに乗せられて被害利権くせ〜のしかやらね〜からな やってることなんざ乞食と一緒よ これ日本の常識ならとっくに殺してまんがな 庄屋だの調子こいてやられたやつらは自業自得やけどな 法律なんてものが一切なくなったらそりゃ常識ってのが適用されるからな ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは 中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。 ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。 しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。 というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。 それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に 伝わってしまっている。 しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も 最古水田にはさっぱり伝わっていない。 日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 スワデシュリスト見ててなんとなく思うんだが 朝鮮語って日本語アイヌ語中国語ツングース語モンゴル語から満遍なく語彙貰ってる感じがあるな さすが7000年前まで無人だっただけあるわ 自前のものがどこにもない そのことだけは自信持って言うよ 流行語ってのを潰せば少しは変化なくなるかの 仏教用語で坊主らが広めたのもかなりあるし中国文献を取り寄せて候(そおろお)だの無理に翻訳したのもあるからな そおろお!だの誰が使うんだい?ってんで消えたけどな 昔は漢字オンリーでそれにカタカナの接続点を付けて無理に読んだんだぞ 漢語学習ってな 明治になって漢字をいっさい排除してカタカナオンリーに文屋なんかが使うのは切り替えたんだよ 昔の小説だの読めばカタカナオンリーだからな 戦後になったからだで 漢字とひらがな使った現在形になったのわな ひらがな自体は平安時代に女流文学の公家の女性らが発明したものらしいがその記録でもあったんだろ 主に恋文なんかに使われたらしいからな カタカナが男文字ってのは別に男たちがカタカナオンリーで使っていたわけではない 通常、文章のやり取りは漢字を使い漢字の接点にカタカナを当てたりした漢語学習のときの習慣からだよ 土佐日記だの変な宣伝はいいからよ(⌒▽⌒) あの辺の出身者ロクなのいないなw はっきり書いとくわな 天皇の名称から天皇家の家紋・宗教・言語すべて西方のいいとこ取りでよく分からん >>221 幕府海軍でアイアイサーの訳語に良ぅ候(よぉそろ)が当てられて、今も航海士が使う ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは 中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。 ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。 しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。 というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。 それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に 伝わってしまっている。 しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も 最古水田にはさっぱり伝わっていない。 日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >> 中粒種か短粒種って区分けはあまり意味が無いってやってたけどな。 境目ははっきりしてるわけじゃないし。 >>329 じゃあ、それらは全部揃って朝鮮半島に出てくるのかな? 半島の北から南にかけて順に現れるのか。 じゃあ、半島の北にはどっから伝わったんだ? >>230 境目ははっきりしてるが。 http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=vg4djwCXLlYJ& ;p=%E4%B8%AD%E7%B2%92% E7%A8%AE+%E7%9F%AD%E7%B2%92%E7%A8%AE&u=https%3A%2F%2Fwww.omicnet.com%2Fre ports%2Frice%2FRiceTypeAndUnit.pdf#search='%E4%B8%AD%E7%B2%92%E7%A8%AE+%E 7%9F%AD%E7%B2%92%E7%A8%AE' >>231 半島の農具は新石器時代から石クワが出土するため、クワの無い長江江南と 比較すれば半島に軍配が上がる。 稲作と一緒に伝わったのは長江江南に無いエブリとクワなんだから。 日本語の一番の古語だけ集めた辞典とかないかな アジ=鴨とか、カケ=鶏とか、ハニ=土とか あんまり現代人には馴染みのないくらい古い言葉 情報が少ないとそれだけ研究は遅れる 縄文の血は絶えたが文化と言語の痕跡は残っただけの話 Y染色体の調査で絶えてないと結論付けられたと思うが 朝鮮語・アイヌ語も含めて、日本列島周辺は魔境なんだよね 語族のわからない孤立集団 アイヌなんかは縄文人から分化した上地域も近いのに全くの別言語だし このうちのどれかでピジンが起きてないとおかしいと思うんだよね 地理的に朝鮮語とアイヌ語は(それぞれ別の言語と接触して)クレオールっぽい 一番もとの形を伝えてるのが日本語のような気がする アイヌ 縄文+オホーツク 日本 縄文+ツングース+扶余 朝鮮 縄文+ツングース+扶余+モンゴル+中華 ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは 中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。 ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。 しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。 というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。 それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に 伝わってしまっている。 しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も 最古水田にはさっぱり伝わっていない。 日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 ポリネシアも土着系の言語だったかもしれないが、奈良時代の貴族の日本語とは違う。 扶余諸語と似ている語句はあるかもしれんが、発音が違う。 これは、日本人とは扶余族とは違う集団であることを示しているのではないだろうか。 漢字は中国からの借用語なだけで、日本語の起源は不明。アンドロノボ文化とかアファナシェヴォ文化の流れは一部あるかもしれない。 扶余は満州内陸部の集団だろ? 縄文晩期の渡来人は沿海州南部、沿海州南岸の集団。 粛慎の1000年くらい前に沿海州南岸にいた集団だよ。 関東弁と関西弁ほどの違いはあっただろう。 沖縄では72年前の沖縄戦で日本軍による住民虐殺事件が起きている。 例えば、久米島守備隊住民虐殺事件がその一例で、実は久米島以外でも日本軍による住民虐殺事件は多数あったといわれている。 この歴史的事実を知れば、「沖縄出身者は日本民族である」と主張する日本政府の嘘が分かるはず。 沖縄出身者が日本民族であるなら日本軍がその沖縄出身者を虐殺するわけがない。 90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日) >>88 狗邪韓國は何人の領土? 95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日) >>90 領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう 金官国の全身とするのが通説です ↑ この衝撃的な失言を落とすために スレ乱立して板操作しておりますですよ そう発音に注目すべきだと思う あの遅上がり 遅上がりのルーツがわかれば日本語のルーツもわかると思う 基層が詳細不明の縄文語だからよくわからなくなってるんだろうね ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と 生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの 導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。 ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 日本語は日本列島内で独自に発明された言語 数詞のヒト(1)は葉っぱの様な薄い物の一端を持って「ヒラヒラ」と振り扇いだ音、フタ(2)はそれの中ほどを持って両側を「パタパタ」と振り扇いだ音から来た擬音語である そしてミ(3)とム(6)、ヨ(4)とヤ(8)という倍数の対は同様の母音の入れ替わり法則を持ち、これに類似した法則を有する言語は日本列島の外には一切存在しない これこそが日本語が3万年以上前に他のアジア人と分岐して日本列島へやって来た人々の言語である証左である >>215 件の江南遺跡が後からカバーした別の新しい農耕技術の遺跡って発想は無いのかね? 写真見てないけど朝鮮半島最古水田と同様に4000年くらいオーパーツの浅田遺構なんじゃ無いのw? 江南は7000年前のカボト文化から耜(スキ)が主力の耕作用農具。 この頃は骨耜。 その後、5000年前の良渚文化で石耜と石鋤が登場して春秋時代まで 中国の主力の耕作用農具になる。 石耜はそのまんま石刃のスキ。 石鋤は石刃の除草用農具で日本には伝わっていない。 ところが日本の最古水田には石耜も石鋤も伝わっていないどころか、 スキという農具自体がない。 変わりに当時の中国にはない耕作用農具のクワとエブリが出土した。 全て木製で。 耜(スキ)が伝わったのは最古水田が登場してから200年以上経ってからで、 やはり木製であった。 江南の耕作用農具だった石耜も石鋤は永遠に伝わる事はなかった。 石鋤においては木製のものも伝わる事はなかった。 日本人がチョンに近い遺伝子を持ってるのは倭人が新羅から王の娘を差し出させてパンパンにして子を産ませたからであって 決して異民族が自発的に日本列島にやって来たからではない 射精エベンキはそこんところ勘違いしないように ◆日本に稲作が伝わった当時の江南の耕作用農具 石耜、石鋤 ◆日本に稲作が伝わった最古水田・菜畑遺跡から出土した耕作用農具 クワ、エブリ 江南の耕作用農具が伝わっていないどころか、江南にはないものが伝わっている。 というチョンの妄想 実際には色の染まってない服しか着れないペクチョンは半島民だっていうwwwwwwwwwwwwwww 英国人が絶叫した糞喰いチョンの文化を日本になすりつけないでね^^ 日本史より謎な金儲けできる方法とか グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 OSGAG ヤハウェ信仰を持ったヘブライ語のようなコトバ アルタイは明確に違うし モンゴルやトルコの影響に過ぎない 困った事に、スレは日本語の起源ではないと言えるんだよ。すれ違いだね。 あえていうと、倭語。任那(伽耶)諸語。 姫氏語。雛人形見ればわかるけどね。 高句麗語、は高句麗語独特で違うね。仏教系の鼻詰まりの百済語でもない。また、騎馬系の唐語ではない。 拓跋語 鮮卑語 つまり つんぐーすとげるまんのげんご 鮮卑語にせよ、匈奴語にせよ、どちらにせよ、バイカル湖周辺 バイカル湖周辺は日本人の故郷 あんな過疎地が故郷なわけねーだろ! 我々の方から向こうに行ったんだろJK 日本人のDNAの大半がバイカル湖周辺をルーツとする事は確定した事実だぞ 人類のルーツはバイカル湖じゃなくてアフリカだろ! バカも休み休み言え 日本語の起源を考えようとも極東で日本語が一番古い 言語なため、起源が見つからないパターン。 人類のルーツはアフリカだと言って、アフリカ諸言語に 日本語の起源を求めようとも、ネアンデルタール人の言語に 起源があったりして見つからないパターン。 日本人のルーツが分かって きた。 南方渡来は結果的に、なんかしただけで全くの嘘。日本人の先祖はフィン人。スオミ人。バイキング。 温泉好きだし。和人はフィン人。 騎馬民説は全くの嘘。 高天原はフィンランド アフリカ→中東→中央アジア→アルタイ地方→朝鮮半島→日本列島 アフリカ→中東→中央アジア→アルタイ地方→バイカル地方→樺太→日本列島 アフリカ→中東→インド→東南アジア→中国→日本列島→樺太→バイカル湖→朝鮮半島→日本列島 >>283 石器の流れと全然違ってるじゃん。 インドシナ中華ブタ広鼻チーノ。 無スレ。スレ無。 日本語はフィン語です。 スレは別です。 >>285 第一波の話だからこれでいいんだよ 第二波、第三波は別ルートだから 樺太からの伝播もあるしな。 日本語と朝鮮語の開きは少なくとも5000年以上だとか。 つまり、少なくとも5000年以上経たないと日本語と朝鮮語ほどの差は出ないんだそうな。 日本の縄文時代っていうのが、人類言語の起源なのになんで伝搬が必要だよ。 弥生土器渡来人が独自集団形成して繁殖したって説はおかしいと思うぞ。 明治維新で薩長が主流になっても、江戸言葉が標準化しただろ。 琉球やアイヌのローカル性から標準化の歴史すっ飛ばして 縄文人語の起源に届くのかよ。 日本にはローマ帝国やモンゴル帝国支配下で言語文化が途切れた歴史なんて無いヨ。 日本語族は現存する世界中の他のどの言語よりも古くに成立した世界最古の言語系統であり日本列島で独自に発展したものである 縄文時代って言葉一つじゃないだろ。 同じ時代に、ニューギニアとかみたいに、谷筋川筋ごと浦ごと浜ごと別の言語、尾根二つ三つ越えたら掟やお祭りが全く違う、みたいな 状況だったんじゃないの? 日本はそこまでひどかった痕跡はない 縄文時代には交易圏が海を越えて築かれていた 隣同士で殺し合うニューギニアとは全然状況が違う ていうか琉球諸島ですら隣の島や下手すると島内でで言葉が通じなくても語族は同じ日本語族だぞ >>293 交易なんて最前線の少人数だけが商いに必要な単語だけ知ってたらできるで。 白海・北極海沿岸で盛んにラップランド人やノルウェー人と交易したロシア人の一派のポモール人とか、商いに必要な単語だけ ノルウェー語やサーメ語から導入した単語と同義語を複数併用してた。 どうかすると、言葉なんか通じなくても、提供できるものを並べて、欲しいものを指さして、やりとりするだけ。 キャプテンクックがハワイに到達したときも、そうやって、釘等金属片と食料を交換している。 北米西部のインディアンも相互に言葉が通じない部族どうしが、お互いに出会わないようにしながらも、交易していたことが 19世紀に到達した白人に観察されている。 やり方は、見通しの良い場所に相手の喜びそうな産品を置き、一旦去る。それを見た交換相手の部族が自分の方の産品を 携えてその場所へ行き、見合った分量・品目を置いて去る。それを見ていた最初の部族の者が交換品を回収に行く、というやり方。 互いに見合う品目・数量でなければ次の交易が期待できなくなるので、交易が途絶えること恐れて十分な財を渡し、また 過度に得ることも戒められるので過分な量なら持ち帰らず残して合図したという。 或いは、話す言葉の違う異民族が隣合って住んでいたり、同じ町に混ざって住んでたりなんて、歴史上いくらでもある。 邑里国家時代の古代ローマが、言語の系統の全く違うエトルリア人とラテン人が一つの城市に混ざって住んでいただろ。 >>294 海洋民族が船を使って各島を行き来する日本列島をコーカサスやニューギニアみたいな交通が極めて不便で非常に特殊な状況だった語族蝟集地帯と一緒くたにしたらいかんよ >>295 ニューギニアのメラネシア人もマレー人もミクロネシア人海洋民族ですけど。 >>297 ニューギニアは違うゾ 主に5万年前に陸地だったスンダランドを歩いてきて島内に定着してきた無数の民族集団だゾ 古文ってさ 今の日本人には勉強してなきゃ読めないわけだが あんな古文が当たり前の時代の日本語が 現在の日本語と同じとは思えない なにいってんだ 記紀の文章の中にすら今使っても完全に通用する言い方あるだろ >>298 歩いて来れるはずねーだろ。 でなきゃあ、ウォーレス線みたいなもの無いわな。少なくとも、新生代に入ってからは陸続きになってねーよ。 人間が出てきたのは、新生代の後半の第四紀以降だで。 >>303 論点はそこではない サフルランドへ渡る海峡部は葦船を使っただろうが渡海はそこだけだ ニューギニア原住民が遠洋の島々に渡ったことはなく、彼らはどう考えても海洋民族とは呼べない >>304 別に遠洋に行かなくても、地続きのニューギニア島内で数十の語族に数百の言語があるじゃん。 あんたの言う「ニューギニア原住民」が何を指し示すか知らんけど。 ニューギニア島の東西には、海洋民族のマレー人、メラネシア人、ポリネシア人がいて、ニューギニア島にも渡ってきて住み着いてる。 ラピタ文化圏の範囲だし。 >>305 オーストロネシア人はニューギニアの原住民ではなくつい数千年前に沿岸や周辺島嶼に住み着いた新参でしかないだろいい加減にしろ! 数千年も住んでりゃ、立派な原住民だろうて。 そもそも日本語だって、そんなに遡れないだろ。或る程度まとまった形で概要が判るのが1300年前、 支那の記録に出てくる地名や人名や高位者の称号やらの断片的なものから単語が何となく日本語っぽいなあでも2000年は遡れていない。 匈。日本語は、華夏語。高句麗語では無いね。句は白人のこと。ドル語。 匈奴(ガド)族が華夏に文明を築き、イスラエルに移動して文明を築いたってこと。 華夏が文明の地。 キリスト者は逆を教えられてるねんね。 >>308 パプア諸語に大きなものが4〜5語族と、系統関係不詳の言語が40以上。 >>314 ニューギニア島は、せいぜい日本の二倍くらいの島だよね。 なんで、そんなに言語が多様化したんやろ? それとも、研究が進んでなくて、相互の関連性が未だつかめてないだけとか? 渡来は先住民の文化に呑まれたではなんでいけないのかね? アイヌは先住民の言葉が渡来の言葉に呑まれたんだろ? アイヌは縄文人とオホーツク人の混血で アイヌ語はどちらの言語が主かは不明 >>315 もともと、そういうのが当たり前。 ローマが邑里国家レベルだった時代にも、言葉の違う異民族が7つ8つアペニン半島に居たことが出てくる。 農牧業・金属器の使用で軍事圏や政治圏の拡大で、たまたまその中の中核的な集団の用いていた言語によって 多数の小集団の言語が塗り替えれてしまった。 ニューギニア島は熱帯多湿気候で農牧業の生産性が低くとりわけ穀物の生産貯蔵に向かず、近世まで人口希薄。 人が少なすぎて、銅器・鉄器を作る文化を維持できない、広域の軍事圏・政治圏を形成せず、小集団がそれぞれに 違う言語を持った状態を保っていた。 先史時代だからといって他民族分立が当たり前とは限らないけどな 非文明的な生活を営んでいても広範囲に分布する語族は少なくない 結局は気候や地形に左右される >>318 なるほど、サンクス。 >>319 貴方の見解も参考にします。 中国ですら秦の始皇帝が文字の統一を命じてから、言語の統一も進んだという 日本語も漢字という文字が初めて導入されたことで、言語の統一が進んだのではないか? 古文書の書簡をみても、話し言葉は方言が強くても、書き言葉では方言が出てこない場合は多い 電車のなかで、何語かききとれないとき、 ハングルと日本語がいつも間違うくらいイントネーションっていうか、アクセント似てる 学術的に違っても本当に似てる 中国の言葉は間違えないくらい日本語とは異質なくらい違う 中国語はむしろ漢字表記の字幕をみたほうが、意味が少しわかることがある アクセントの形式でいえば日本語とアイヌ語と朝鮮語と呉語とチベット語とパンジャブ語が同じトーンアクセントの仲間なんで これらの言語は聞いた感じは似てると言える 上代時点で縄文系の語彙+中国南方から渡来した人々の語彙+アルタイ系の語彙&文法 かな? 縄文語の発見って本に 日本の方言から比較言語学的に縄文語を 再構すると、縄文語は 九州縄文語と裏日本縄文語になって 九州縄文語が琉球方言と表日本縄文語に分かれ 表日本縄文語がいわゆる関西弁になったという。 関西弁のアクセントは、 中国語の四声の影響であろうだそうな。 九州に中国語を母語とする人たちがやってきて 彼らが縄文語を習得するのに、母語の四声を活用して縄文語の同音異義語を区別して話すようになった、という。 すると なぜ素の縄文語が裏日本縄文語 いわゆるズーズー弁と分化したのか不思議で本には書いてなかったのだが、 これまた最近、モンゴル人力士が喋る日本語はズーズー弁になりがちと聞いて まだ→まンだ となるこの音韻対応は アルタイ語であるモンゴル語の影響であろう ということを耳にした。 出雲の古伝によると 出雲人はインダス文明のドラビダ人でシベリア アムール川を下って日本に来たらしいから 一応、つじつまが合うなぁと。 >>325 弥生人と江南人は無関係 Y染色体ハプログループが全然違う 江南に多いO1b1と日本と朝鮮に多いO1b2の分岐年代は二万年以上前に遡り しかもO1b2の比率が最も多いのは縄文系形質の強い南琉球人だ 縄文人は自ら大陸に航海して江南の稲作を列島に持ち込み、朝鮮半島から有用な人材を徴用して自らの血に取り入れた >>328 江南から朝鮮半島に稲作文化伝播→朝鮮半島から日本に稲作文化を持った朝鮮人渡来の流れが今の主流じゃん 江南から朝鮮を経て稲作文化と共に言語も伝播したってだけで遺伝形質まで伝わったとは俺も思ってないよ >>317 古代東北のエミシもアイヌ系統の言葉を話していたと思われるからアイヌ語は縄文人の言語を受け継いでると思う >>329 朝鮮のような寒冷地に稲作文化などないだろいいかげんにしろ! 朝鮮人が稲作を伝えたニダだったら米とか農機具の名前が朝鮮語と同じになるはずだがそんなことは全くないだろ 一応石包丁は朝鮮半島と共通のものを使ってて 名前も칼 khar(刃)や갈다 kar-ta(研ぐ、すりおろす、削る)と刈る kar-uとか낫 nas(鎌)と鉈 nataなどは似てるし、 遼寧式銅剣も伝わってて倭人が鉄を三韓まで取りに行ってるから刀工文化に関しては朝鮮半島経由と認めるがな >>329 朝鮮半島にも中国から渡来定着した痕跡たる三足や耳の付いた中国系生活土器と 土壁の中国系住居の痕跡遺構がない。 従って、朝鮮半島の稲作は遼東半島から導入したものと考えざるを得ない。 それと、日本の最古水田の弥生人たちは朝鮮土器を一切作っていない。 搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。 従って、稲作は弥生人が彼ら自身の手で朝鮮南部から導入しただけだと考えざるを得ない。 朝鮮南部から、じゃなくて江南から 朝鮮南部は経由地に過ぎず、海上交通により倭人は韓人よりも先に中華文明に接触している(山海経の地理の記述に倭があっても韓がないのはそのため) 倭人は江南から導入した稲を朝鮮と同様の形式の刃物で刈って縄文から独自に単純化した形式の弥生土器で炊いて食べた もちろん騎馬民族征服説などというのはウソッパチで実際は倭人の方から主導して主に朝鮮半島から職人や美女を連れてきて混血していたというのが事実 >>331 クワは朝鮮語でクウェンイと言うんだが。 クワは稲作が日本に伝わった当時の中国にはない農具。 中国にはない農具が日本最古の耕作用農具として最古水田に伝わっている。 しかも石刃の中国系耕作用農具ではない。 しかも中粒種のイネがない。 >>334 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具は? . シャセーエベンキがが出てくるとややこしくなるからすっこんろ 괭이とやらは日本語からの借用だろ? 中期朝鮮語での対応語がないし、wiktionaryの用例も戦後のものばっかだ https://ko.wiktionary.org/wiki/%EA%B4%AD%EC%9D%B4 >>336 文盲は死んでろ 石刃はチョンコランド型だっつんだろこの腐れエベンキ顏 >>338 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具は? 早く出せよおまえ! >>339 ゼ、ゴンボグバンバサゾグビュグギダヂュグシュグギュンギベドギギザンヂュグゴブベギボグガブジョグボググパ? ザジャブザゲジョゴラゲ! >>340 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠は? さっさと出せよおまえ! >>341 ゼ、ゴンボグバンバサゾグビュグギダヂュグシュグギュンギベドギギザンヂュグゴブベギボグガブジョグボググパ? ザジャブザゲジョゴラゲ! 言語は遺伝子に乗ってるわけではないしなあー。 アメリカとか血の量ではアングロ系2割よか少ないのに、英語が一番通じるだろ。 有史以前の日本列島はルネサンス期の新大陸みたいなもんだからねえ 日本列島は新大陸ほど他の地域からの交通が不便ではない 独自性を保つのに充分でなおかつほどほどに人が行き来できる程に大陸から隔たっている 病原菌が入り込まなくて原住民が抵抗力を持たなかったために原住民が大幅に数を減らしたとか、外来の民族に乗っ取られたということはなかった 日本語や弥生文化は日本列島内部で発生したものであり、日本列島外から来たエイリアンなどではない もし外来の民族がそのまま日本列島に定着し原日本人を駆逐したのであれば大陸の一地域の言語や文化がそのまま移入されていなければならない それにも拘わらず実際には弥生人は北方と同じ形式の石包丁で南方の稲を収穫して食べている 江南や南朝鮮と繋がりのある南方系支石墓の被葬者は縄文系の形質が強い これは日本列島側の住民の手によって日本列島へ選択的に文化や血統が移入されたからに他ならない >>345 江南との関係を証明できる中国系土器や中国系耕作用農具などの中国系文物が 何一つないため、結局、支石墓は全て朝鮮南部から導入したと考えざるを得ない。 >>342 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は? 今すぐ出せよおまえ! >>306 ニューギニア先住民はメラネシア人だな。 >>347 支石墓は朝鮮半島から導入したので間違いないだろう。 農具の類似性等も考えれば、半島南部以外には考えにくい。 ただし、ではその半島南部へ誰がもたらしたのか?はまだ不明である。 そして、当時の半島南部が「先進地域」だったわけではないということだ。 出てくる遺跡は少ない。そして、半島南部には縄文人の痕跡が多数存在する。 九州の支石墓には縄文系の人が葬られている。 中国東北部から南進した人々と半島南部の倭人が出会い、そこで水稲を受容したことも考えられる。 農耕そのものは、もっと以前から行われている。 「半島南部にいた縄文人(倭人)が稲作を受容し、日本列島へ持ち帰った」 というのが最も矛盾が少ない。 北方モンゴロイド形質が増えるのは、後の時代の移民によって。 >>315 ニューギニアにたどり着いてからの年月が長いこと(4万年くらいじゃないかと) 「高地」で谷ごとに言語が違うこと つまり、交流できないほど隔離された土地にばらばらに住み着いて長い年月が流れたこと が原因だろうと言われているね。 彼らは低地には行かなかったらしい。低地にはマラリアやその他危険な生き物がいるから。 ニューギニア高地の「村毎語族」は相互に交易もしてるし戦争もやってる 交渉があれば言語の均一化が進むという理屈の貴重な反例 >>353 朝鮮半島の支石墓は遼東半島から伝わってきたもの。 支石墓だけでなく、土器や稲作や金属器など、ほとんどのものが遼東半島の 影響を受けて先史時代の朝鮮半島の文化は成立している。 朝鮮半島に縄文遺跡はないし、最古水田の土器はすでに弥生土器である。 黒川式縄文土器が山陰方面から流れてきた山ノ寺式弥生土器に押し退けられるのと ほぼ同時に最古水田が現れるのである。 しかし、最古水田では朝鮮系土器が全く作られなかった。 従って、稲作は九州北部の弥生人が彼ら自身の手で朝鮮南部から取り入れただけだと 考えざるを得ない。 朝鮮半島に、日本に文化や人間を大量に送り込むような土壌があったのならば、その痕跡が あるのならば何の問題もないんだよ。 それが存在しないから、今に至るまで「弥生人はどこから来たか?」とか「稲作はどこから来たか?」 と議論になってるわけだ。 だけど、半島で古い遺跡は僅かしかない。日本に大量に移民を送れない。 言語が全く無縁である。 中国の史書が書くのは半島南部は倭人が住んでいるということ。 半島南部から伝わったことは間違いない。だけど、それはそこに住んでいた倭人が持ち込んだ ってことになる。じゃあ、人体の形質が変わるほどの移民はどうなったのか? 分かることは 「水稲稲作を持った弥生人が渡来して弥生時代が始まった」とが間違いだってことだ。 100万人説は現在では否定されているにも関わらず、カルト信者が存在する。 騎馬民族説と同じだ。 範東アジア語の中から縄文語が生まれ、そのベースの上に耕作に関わる単語が 取り入れられて現在の日本語に繋がった。 本来なら、朝鮮語はもっと近くてもいいはずなのにそうではない。 ということは、稲作が伝わった時代の半島南部の言葉と今の朝鮮語は別物なんだろう。 新羅の言葉が起源らしいが、彼らは秦の使役から逃れてきた人という伝承がある。 いわゆる「漢人」ではなく、周縁の民族だった。 稲作を伝えた時代にはそこにはいなかった訳だ。 遺伝子的に日本人と韓国人が近いのは確かだろう。 だって「半島南部」は倭人の国だったわけだから。 遺伝的には「朝鮮人」というのは、中国人と倭人と扶余系のミックスだ。 日本人の先祖が朝鮮人だからではない。逆。 白村江で取り残された倭人系の人々が後の朝鮮人の一部になった。 言語学者によれば、中国語はアジアの言語の中では異質らしい。 中国語だけが変わっている。 >>357 朝鮮半島には縄文遺跡も弥生遺跡もない。 単に交流や交易を通じて、支石墓や稲作や金属器などの文化や技術を 弥生人が取り入れていただけだというのが実態である。 渡来人は縄文晩期の山陰あたりにせいぜい数人から数十人規模の渡来だけだろう。 農耕を取り入れた事で安定した食料確保が可能になり、日本の中で人口爆発しただけなのである。 >>355 それは個々の民族集団が長距離の移動をしないからだな 隣村同士で交易するのと海を渡って遠くの島と交易するのとでは訳が違う >>358 汎東アジア語なんてあったとしても3万年前とかそこらだろ 稲作とか全然無関係 祖語があった根拠はないが仮に非常におおざっぱに分けるとして、 日本語朝鮮語アルタイ諸語は印欧語などの同類であるユーラシア大語族、中国語はデネ・コーカサス大語族 この時点で東アジアという枠組みからは大きく外れているし、それらをまとめるノストラティック大語族となるとユーラシアアフリカ北米に跨るとんでもない広範囲に及ぶ 不思議なのは、「目」や「手」「芽」「根」「葉」のような基礎語彙と思われる単語が 南方と似ていること。縄文語にそれがなかったとは思えないが。 それとも、モンゴロイドが分岐する以前から使われていたのか、それとも栽培が 始まった頃にすでに使っていたのか。縄文中期にはすでにゴマやひょうたんを作っている。 すべて「日本が教えてもらった」というのが正しいのかどうかわからんが。 耕作の用具に関する言葉は朝鮮語と似たものがあるらしい。 現在の朝鮮語に残っているということは、新羅の支配層は農耕民ではなくその言葉を 持っていなくて他民族の言葉を取り込んだのであろうということ。 まあ、現在の朝鮮語の多くは中国語になってしまってるけどな。 「山」「川」も中国語だもんな。漢江とか。 近代語は日本語で。 >>362 「目」「芽」 これらは日本語と朝鮮語で共通して同音異義語 me(<*mia)とnunなので祖型で*mnarみたいな形が想定できる 「葉」 これは平らな物体を表現するための擬態語パラパラ(*par)の仲間だろう 南方に限らず全世界的に普遍 「根」 ne(<*nai)はナル(生る)やナラス(均す)やナヰ(地震)の仲間で地面と関係する 朝鮮語のnada(生える)やnara(<narah;国)、ツングース語のna(土地)に類似語を求めることができる 「手」 スタロスティンはこれを朝鮮語やモンゴル語の単語と同祖と推定している http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?single=1& ;basename=%2fdata%2falt%2faltet&text_number=+362&root=config どれも特段南方と共通とは考えられん 日本人は南洋の人々と共通の祖先をもちたいという願望が生み出した幻だろう 南洋って、ポリネシア人か? なら、アウトリガーカヌーが伝わるだろうし、ポリネシア人自体、 3000年くらいの歴史しかない。 >>335 道具の言葉は似たのがあるらしいな。 だけど、それって「朝鮮語→日本語」っていうのは確実かな。 道具の言葉の故地(今は消えた言語)→半島南部(倭人の言葉)→後の朝鮮語 という可能性を否定できない。 何故なら、稲作と一緒に伝わったのなら稲作に関する言葉も似ていなければならないが、 それは全く別物なんだよな。 >>363 日本人学者に、「南方に願望がある」とは到底思われないけどなぁ。 村山にしてもそうだけど、南方説をとる人ですら、最初は北方説の研究をしていたが、 北方説の筋の悪さに絶望して南方へ目を向けたという例が多い。 南方寄りといっても、最初は(文化的共通点がある)長江流域との関連を探る人が多く、 こと言語では北アジアの比ではない筋の悪さ(華南の諸言語なんて日本語との関連性は壊滅的)に絶望して、 大野のようにインドまでぶっ飛んでしまう人も出てくる。 オーストロネシア語との比較なんて、文化も遺伝子も何もかも、傍証となる共通点が全く無いのだから、 そのゆえに、比較言語学としては予断の入りにくいわりとまともな学説が展開されている。 おまえさんの*mnarのようなあまりにもふざけた例は、村山などは決して言ってないw >>361 いや、祖語はあるよ。あるに決まってるw ただし、古すぎるけどな。 出アフリカの時点で、言語は一つだろう。 >>326 その本は知らんけど、ズーズー弁は出雲弁って説があるらしいな。 要するに、今の東北にはアイヌ語に関係する地名が多いが東北弁はアイヌ語に近い訳じゃない。 東北弁は、後から移入された。 どこから? 国譲りで追い出された出雲人が東北へやってきてズーズー弁を持ち込んだ、と。 >>368 ですね。 出雲口承によるとブリヤート人に連れられてアムール川を下ってきたそうだし、 出雲人は東に北に追いやられたそうなので。 考古学者に言わせると旧石器時代の 使用石器分布と方言分布が重なるから 日本語につながる縄文語はかなり古く 安定して存在したと言えるだろう、だそうです。 ズーズー弁は土着のアクセントだと考えた方が良い 沖縄、鹿児島、高知、山陰、そして東日本一体という広がり方を考えると ある地点からズーズー弁が広まったと考えるより 日本はもともとズーズー弁の地域で後から瀬戸内海中心に非ズーズー弁文化が栄えたと考えた方が自然だろ ところが、通時的にはいわゆるズーズー弁は比較的近年の発生なんだよなあ。 江戸中期ごろの山形県内陸付近が文献上の初見で、 それ以前には、いかなる文字資料もそのような発音の存在を示唆しない。 桃山時代の宣教師文献ですら、東日本や九州の発音の差異については詳細に記述しているのに、 東国で母音の音価が違うとは一言も言ってない。 googlearthを見ていて思うことだが、日本のムラには二種類ある。 近畿圏のように、家がくっついてムラがキュッとまとまってるやつ。 家がバラバラに建ってるやつ。 砺波の散村とか特殊なやつだけかと思っていたら、関東以北は家がばらばらだ。 砺波の散村まではいかないけどね。 オレは関西の田舎人だから、「ムラ」っていうのはこれでもか!というくらいきゅっと 詰まってるもんだと思ってた。 で、出雲もバラバラなんだよね。 「ムラ」というか「集落」なのに集まっていないというか。 関東も東北も、近畿のムラからみれば、うまく表現できないが不思議な感じがする。 土地が広いからかと思ったけど、奈良盆地は土地はそれなりに広いがムラは詰まってる。 島根は山の中は土地が広いわけじゃないのにバラけてる。 東北でも、日本海側はまたちょっと違う。 京都、大阪、奈良、滋賀、兵庫、福井、石川、新潟、鳥取、岡山・・あたりは固まったムラ。 岐阜や静岡がバラけてるのが以外だったけどな。北陸は富山だけがちょっと違う。 九州はちょっとわからん。平野部は都市化しすぎと、干拓地とで。 でも、朝倉あたりは詰まってるな。 開拓大平野あたりはばらばらになってるところが多いらしいが、愛知の様に江戸時代にすでに 大干拓地だったところはわかりにくい。 >>366 正確には「日本語が朝鮮と関係ないどこかの言語と関係していることに願望がある」だな 最も似た言語を話す朝鮮を嫌い蔑むあまり冷静な考察力を失って日本語を朝鮮半島を飛び越えたツングースと南方の隣人オーストロネシアのアマルガムにしようとする だがそれらの試みは悉く失敗に終わる なぜなら日本語(の語彙)が縄文人の血統と同じくらい古くからの独自性を持っているからだ 日本語の語彙のオーストロネシア語起源説なんか今日日言い出したら一笑に付されるレベルだ あれくらいの一致ならドラヴィダ語はもちろん印欧語でも見つかる >>372 出雲平野(宍道湖西岸)の散村は、そんなに古いもんじゃないよ。 あと、松江城下町の「孤立した東国風味の文化」も、そんなに根が深いものじゃない。 松平の殿様が意図的に導入したものだから、それほど根が深くない。 この松江の東日本風文化の到達域は、本当に松江城から半径数kmぐらいの範囲だけで、 そこを出ると、「やっぱりここも中国地方である」という文化になる。 出雲地方はたしかに独特の文化をもつところだが、 その「なんちゃって東国性」は、実際に訪れるとあまりに過大評価されすぎのようにも思う。 >>366 >おまえさんの*mnarのようなあまりにもふざけた例は、村山などは決して言ってないw 比較言語学の大家であるスタロスティンが日本語と朝鮮語とモンゴル語の「目」を意味する語を同源認定している http://starling.rinet.ru/cgi-bin/response.cgi?single=1& ;basename=%2fdata%2falt%2faltet&text_number=1473&root=config Proto-Altaic: *ni̯ā̀ むしろ逆に「目」が南方の言語に似た語彙のなどあるのか示して貰わなければクッソふざけてるのはおまいさんなんだってはっきりわかんだね あば・あふ あばら骨 あばら家 暴れる あばれる 暴く あばく 焙れる・炙れる あぶれる 溢れる あふれる 敢ふ あふ 堪える。我慢する。持ちこたえる。 沿海州の少数民族の言語との関係をもっとよく調べるべきだろう。 >>374 出雲平野のは新しいと思った。 そこじゃなくて、山間部のことだよ。 >>366 日本と反対側のオーストロネシア諸語の分布の端っこにあたるニューギニアら辺は、系統不詳の言語が40とか50とかあるよ。 縄文時代・弥生時代の日本もそんな感じで、オーストロネシア諸語のいくつかが流れ着いてナンボか影響したのかもしらんけど、 全く違う系統の言語が多数ひしめき合っていて、その中の一つの日本語の祖にあたる言語が或る時期に急伸長して樺太・千島・ 北海道を除く日本諸島の大半を覆うようなことが起こったんじゃなあの? >>369 ブリヤト人自体が12世紀〜14世紀くらいに言語をモンゴル語に切り替えてる集団だからな。 それ以前に何語を喋っていたかはよく判らない。 モンゴル帝国の拡大に伴って、北地タイガ地帯の産の貂皮や鹿茸を食糧や金属器に交換する交易の利のために 言語自体を切り替えた結果だ。 >>354 交易できないほど隔絶はしてないだろ。 バナナ、甘蔗、サゴはニューギニア内陸原産で、紀元前には熱帯アジアに広まっている。 逆に、中部の高地地帯にも、域外の原産の甘薯、檳榔、カヴァが入ってきているし、内陸のパプア諸族と、 北東沿岸部のメラネシア系諸族との身体的な差異も殆ど無い。 >>381 遠くへ行けない ニューギニア高地が独自の文化圏になっているのは 周辺の低地が疫病の蔓延する不潔な土地である上に見知らぬ人間はとりあえず殺す狂暴な人食い族だらけだからだ こんなところではせいぜい隣同士で物々交換を繰り返すしかない オーストロネシア人もニューギニアには沿岸のごく一部にしか入植しなかった >>379 ありえないな 縄文人の文化程度を過小評価しすぎだ もしそうだったら縄文時代の遺構から遠方との交易の証拠が見つかるなんてことはないだろう 日本列島は清潔な環境であり、海上交通が容易 縄文人の殺人の発生率も極めて低く平和な時代であったことも判明している ニューギニアやコーカサスといった言語蝟集地帯とは全然状況が異なっているのだ ニューギニアから渡来定着したら、南方の石器や土器があるはずだろ。 馬鹿は死ねよ。 >>373 >>375 スタロスティンだって、アルタイ仮説以前に、まともな日朝祖語の構築すらできてないじゃないかよwww 北アジアプロパーの問題はともかく、こと日本語に言及するなら、 大家も権威もへったくそもあるものか。その程度に過ぎん。 小泉保が晩年発信した電波本(ここで言及されてるww)よりはマシだろうけど。 そもそもだなあ、 日本語の起源に取り組もうとするすべての比較言語学者は、「朝鮮語に絶望する」ところから始まるんだぜ? これは「全員」といっていい。全員が全員、 「日本語と朝鮮語との比較言語学的関係の厳しさに絶望する」ところから始まる。 一見よく似ているようで、実際に比較言語学の方法論を適用すると、不漁も不漁、網になにも引っかからなくなる。 せいぜい指折り数えられる程度の借用語だけの世界で、これではアイヌ語と変わらない。 北方説も南方説も果てはインド説まで、「朝鮮語との間は系統関係無理」という話の先にあるものだ。 >>385 朝鮮語に絶望するがそれ以外に求めようとすれば更なる絶望を味わうのだ 日本語族は他に類を見ない太古から独立した言語、それでいいじゃないか ナンバーワンよりオンリーワン! 使用人口一億二千万人だぞ、全世界の言語を語族別に話者カウントしてったら 印欧、シナ・チベット、ニジェール・コンゴ、アフロ・アジア、南島、ドラヴィダときて テュルク語の次に多いぞ http://www.vistawide.com/languages/language_families_statistics1.htm 約35000年前に朝鮮半島から旧石器人が入ってきたときにはもう言葉を持っていたんジャマイカ? 朝鮮語との開きが約35000年もあれば、もう何ら接点もない言葉になるだろ。 そこに樺太から侵入した旧石器人の言葉と沿海州方面からの弥生人の言葉が混ざれば、 もう朝鮮語との関係は全く無くなるだろ。 >>382 文化圏を形成するということは、そこそこ往来が盛んな証拠じゃんよww ヒトビト、ヤマヤマ、等の重ね言葉による複数表現は南方にしか見られない 35000年前は北方にもあったのではないか? それか、日本列島内で独自に作り出されたか。 >>382 なんであり得ないの? 本州の広さが大体23万平方キロ、差し渡しが距離が1200キロ。 規模が近い、イタリア半島(面積25万平方キロ、差し渡し距離1000キロ)が、地中海圏と地続きのヨーロッパとから影響受けまくってなお、 邑里国家を建設する段になっても、多民族割拠状態。 古代地中海の二大海洋民族から文化的影響受けまくりながらもエトルリア語は結構遅い時期(紀元前1世紀後半=帝政期の頭くらい)まで 残っていた。 紀元前5世紀にはラティウム地方の1つか2つかの邑里でしか使われていなかったラテン語がその後急伸長するけどな。 日本語も似たような過程で、大和盆地か河内方面から、政治圏・軍事圏の拡大に伴って急伸長して塗り替えていったんじゃないんかよ? 35000年前、朝鮮半島から侵入した旧石器人が遺した日本列島最古の人類の足跡は 日本列島のはるか北西にあるアルタイ地方から入ってきた石刃技法という石器である。 その後、弥生期が終焉を迎えるまで日本には南方や中国から入ってきた石器も土器もない。 弥生末に中国からもらってきた金印と銅鏡があるのみである。 >>391 面積の問題ではない イタリアは外部と陸続きであるためつぎつぎといくつもの民族が外部から入って来る ローマ帝国が健在な間ですらもゲルマン人に侵入されていたことからもそれは明白だ だいたいイタリア半島には地形的な独立性があまりない 一方で日本列島は海によって大陸と隔てられており、それを渡るためには造船技術と材料と人手が必要となる そのため民族丸ごと渡って来るなどという事態にはならず、少数の外来民族が多数の在来民族に同化するのが常だ 日本本土に渡るためには朝鮮半島からも沿海州からも3つの広い海峡を渡る必要がある 日本列島は単一民族を形成するのに世界で一番適した立地と地形だ 縄文晩期の渡来人は海峡を渡ってない気がしますね。 そのままダイレクトに日本海を縦断して山陰に来た気がします。 なぜなら、その後の飛鳥時代以降に沿海州方面からしばしば日本まで渡来してくる 人々はみな、日本海縦断で来ているからです。 沿海州方面から佐渡島だったり、渤海使などは着岸地が東北から山陰まで いつもバラバラです。 海峡を渡ってないのですよ。 >>394 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は? 今出せよインドシナ中華ブタ。 >>391 概ね同意かな。ただ、日本語族の発祥地は、大阪奈良ではなく、北九州だろうと思う。 具体的には、遠賀川式土器を作る集団の言語で、これが弥生文化とともに一気に広まった。 更に突き詰めれば、おそらく福岡市板付遺跡の部族の言語だっただろう。 言語は、放っておいても通時的かつ内在的にどんどん多様性を増していくものだが、 1万年の縄文語云々を言うにしては、日本語族の多様性は、琉球方言まで見ても、それほどでもない。 日本語全方言が系統的に1点に収束する祖語の成立時を、 せいぜい2000年から2500年前とみるのは、妥当な線と思われる。 >>397 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は? 早く出せよブタ広鼻インドシナ中華。 >>98 証拠は? 畿内なのか九州なのかとか割れてる時点で考古学的証拠がないからテキトーなことぶっこいてるんダルルォ だいたい件の板付遺跡だけどさぁ 同時期の稲作遺構は岡山まであるし、稲の取引は畿内まで及んでたこと判明してんだよなあ 最低でも北部九州から瀬戸内を経て畿内に至るまでの範囲に縄文時代晩期までには盛んに行き来があったことがはっきりわかんだね http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03/tottaimonnki_no_inasakuiseki2.jpg >>400 単に稲作ガーという話じゃないよ。弥生中期に、板付遺跡で、日本式稲作のプロトタイプが確立する。 農具から圃場のスタイルまで、ここで今につながる日本式稲作の基礎が完成する。 縄文農耕とも、弥生前期の北アジア風の渡来要素を強く残す農法とも大きく違う。 これが、隣の筑豊に波及し、更に遠賀川式土器とともに西南日本全域に広がる。 おそらく、これを確立・拡散した部族集団と日本祖語が不可分一体。 >>402 別語族どころか通じない程離れた方言を話していた証拠ですらないな 交易に従事するために共通の言語くらいあるだろう 農耕や国家を取り入れなかった筈のアイヌですら樺太北海道千島本州北端に及ぶ広大な同一言語圏があったというのに それよりも有利な状況の倭人が地域ごとに言語がバラバラであるなどという道理がない 北米大陸の先住アメリカンやオーストラリアのアボリジニはそれぞれ民族的には親しく 物資の流通からして巨大な交易圏があったが SVO/SOVやら「主語」があるないやら膠着屈折孤立やら格の配分やらの よく言われる基準で言えばばんらばんら 単語単位ではそれなりの近似性はあるんだけどね >>404 いうほどバラバラではないだろう オーストラリア原住民の言語の大部分はパマ=ニュンガン語族 北米も数えられる程の数の語族でしかなく、アルゴンキン語族、ナ・デネ語族、ユト・アステカ語族など広範囲に分布のある語族は多い あれだけ広大な土地で新たな人の流入がある大陸を日本と同列にはできぬな 日本と比較するならアフリカ大陸の傍にありながら長らく無人で、近隣のバントゥー系でななくより遠方の東南アジアからやってきたマレー・ポリネシア人が最初に住み着いたマダガスカルの方が状況が近い マダガスカルの人種系統は長い間、謎とされていたが、土器の系統でスラウェシ辺りのインドネシア近辺と最終決定されたとナショナルジオグラフィックで前に言ってたわ。 そこに後から入ってきたアフリカ黒人と混血して今に至るのだとか。 土器系統の精度はまさにカミソリの刃のよう。 最終決定は土器のはず。 これは世界考古学で一致している。 中国から来た来た詐欺の中華サギブキよ。 という事は板付遺跡の土酋の子孫が神武天皇なんですか!? 神武東征は弥生人全国拡散過程の関西ルートのお話だったという事ですか? >>393 独立性あるの? 土人の丸木舟で容易に渡れる距離だし、朝鮮海峡、対馬海峡、壱岐海峡、関門海峡、津軽海峡、宗谷海峡、間宮海峡、それぞれ 対岸に陸のあること容易に肉眼で視認できる。なんの障壁も無いのと同じ。 むしろ、南から海洋民族が入ってくる方が難しいじゃん。目視で陸が視認できない距離の海があるから、向こう側に陸が有る確証を 持ってないと渡航が不能だ。 >>403 言葉なんて通じなくても交易くらいできるしなあ。 >>405 広域の語族がある一方で、カリフォルニアだけで40くらい語族・孤立語があったからなあ。 16世紀からのヨーロッパ人の侵略と、銃器・馬匹の持込に伴って、社会が激変して、滅亡した言語とか言語的独自性を失った部族とかが 多数あったんじゃないの? >>412 丸木舟は比較的高度だぞ もっと容易な葦船が一番土人な船な 対馬海峡は3回も渡海が必要 縄文時代の時点で既に倭人は黒曜石を日本海の向こう側に、沖縄特産の貝殻を中国大陸に輸出していた 航海術を持たない大陸民族は朝鮮半島でドン詰まり、選ばれた人材だけが海洋民族である倭人に連れられて日本列島へ渡りそこで混血する それが渡来人の実態だ >>413 どちらにしろ稲作の伝播と日本語族とを結びつけるのはナンセンス 本土の日本語と琉球諸島の言語は紀元前2世紀〜6世紀の間に分岐したと結論付けられているが、琉球諸島で稲作が開始されたのはそれより後の8世紀〜10世紀だ 板付遺跡(弥生文化)と日本語の起源とは無関係と言わざるを得ない >>415 極東の葦は濡れると水を吸って沈むので船にはできません >>416 バカいうな 実際に作って実験して台湾から与那国島まで渡っておるわwwwww 弥生時代の新言語が日本語であるならば、それが日本列島全体に波及した時期と状況が問題になる。南西諸島には弥生文化は及んでいない。モノ、技術及び日本語が個別に南西諸島に普及したとき、日本語は外来語として、と言うに止まるだろう。 しかし実際には与那国島にまで日本語族が伝わっている。日本語族の広がりは相当に不思議な現象だと思う。 日本語を日本列島外のどこか特定の言語と結びつけるという行為自体がもう無意味 日本語族は世界中に数ある語族のなかで使用者数上位を占める有力な言語群であり、 大和言葉の様な開音節の言語もあれば宮古語の様に子音のみで単語が構成されうるものもあり、音韻体系の多様性に関しては両極端の広がりがある 我々の言語が他に類を見ないものだということをいい加減認めるべきなのだよ >>415 埴原和郎の人骨の形質のコンピューター解析によると、渡来系弥生人骨は朝鮮人には 全く似ておらず、北方の沿海州のウリチなどの北方民族の人骨に極めて近い数値を 示すんだよ。 縄文人がわざわざ沿海州に何度も何度も出向いて連行してきたとは思えないね。 それに渡来系弥生人は縄文系弥生人と別々に住んでいた事も分かっている。 そこから考えると、渡来人はかなり差別的な集団だった事が伺える。 >>417 航行断念したんじゃなかったっけ? 救命伴走してた船で曳航して海岸付近だけ葦舟で漕いだせたけの。 中国南部に由来する可能性が高いもの。 銅鐸、下戸遺伝子、国生み島生み神話のモチーフなど。 これらは大阪湾に分布の中心を示す。 春秋時代と同時代の弥生時代前期末、環大阪湾の風習は一変する。 淡路島でBC4世紀の銅鐸が出土。 銅鐸などの金属加工の技術、金属器を使った製板技術が必要な木棺、方形周溝墓、井戸の技術、灌漑技術を伴った水田、分銅の製作などが一斉に認めるようになる。 方形周溝墓、木棺も畿内中心に広がっていく。 九州を素通りし、渡来人が中国大陸から畿内に直接渡来したと考えられる。 >>421 台湾から与那国は知らんが 高知から伊豆諸島は葦船で渡ったらしい http://kamuna.net/ 1996年より古代の民族移動が葦船により海を超えていた可能性を検証する国連の公式プロジェクト”EXPEDICION MATARANGI””に参加。 南米チリからマルケサス諸島まで葦船8000kmの航海、バルセロナから大西洋上のカボ・ベルディ諸島まで5000kmの航海など太平洋、大西洋をのべ13,000km航海。 2005年には自身のプロジェクトで高知県から伊豆諸島まで葦船で日本初の外洋航海を行う。 >>423 で、中国南部で出土した銅鐸の証拠現物は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、 その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と飲食器が中心の中国系青銅器と 土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と 龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? . >>422 で、その江南から導入した中粒種のイネと石刃の中国系耕作用農具の証拠現物は? さっさと出せよインドシナ中華ブタ広鼻タラコ唇ハノイ原人 ネトウヨの多いスレだな 常識的に考えて、半島南部の韓族から稲作を伝授された九州の倭人が日本語族の発祥に決まっているだろう。 いや古代日本の賎民制から勘案するに一種のカースト文化が想定されるから、韓族が天孫族で倭人がシュードラの部民だったのかもな シュードラとか言ってる時点でウンコエベンキの妄想なんだよなあ 稲作と無関係に日本語族が分布している事実から目を背けるな >>429 どこのゴキブリなのか知らないけど、 そろそろ頭の病院に行ったほうが良いんじゃないのか >>428 当時の半島南部に、「日本よりはるかに進んだ文明の痕跡」がないんだけどね。 あったら誰も文句は言わんよ。 当時の半島に「韓族」なるものの文化は存在しない。 「ひとかたまりの進んだ文化」が移入された痕跡はない。 日本の弥生時代は、少しずつ新しいものが増えて少しずつ変化していく。 突然鉄と文明を持った支配層が現れるわけじゃない。 水田を作っても、相変わらず竪穴住居に住み、どんぐりを採集し、環濠集落は徐々に 大規模になる。 土器も縄文系の土器を相変わらず作り、少しずつ変化していく。 遠賀川式土器を人の移住だと決めつけるのは正しいのか? それ以前に突帯文土器が広がっている。 何かが広がったら、「渡来人がやって来てムラを作った!」というならば、玦状耳飾が 日本中に広がるのは渡来人じゃないのか? まあ、縄文人は新しもの好きの好奇心旺盛な民族だったんだろう。 旅が好きで、あちこちに出かけ、旅人を歓迎し、いいものはすぐに受け入れる。 縄文と弥生の明確な区別は、おそらく意味のないことで、現代に残る「渡来人」の 遺伝的影響は、1500年に渡る少しずつの移民の影響だろう。 そこにない技術があったとしてそれが全体として優れた文化かどうかは別の問題 稲作は効率の良い食糧生産の手段だったから移入されたというだけ どちらにしろ日本語の起源とは無関係 記紀の記述は、日本海側が結構多い。 水田を作るには「水」が必要だ。現在の「大平野」を見て勘違いしてるやつがいるけど、大平野は新しい。そして危険だw大雨が降ると洪水になる。 洪水になるほど水があるから田んぼを作れると勘違いしている。 大量の水は制御できない。関東平野が今のようになったのは江戸時代だ。 江戸時代、大きな町は日本海側に多かった。知らんやつも多いけどな。 あの雪深いど田舎が何故? 平野があっても水がなけりゃ水田は出来ない。関東平野の台地は広々としているが 水田は作れなかった。山の上まで耕した「千枚田」は西日本の日本海側に多い。 あんなところに作らなくても、千葉や茨城の大平原に移住すれば良かったじゃん?と思う。だけどやらん。出来ない。 雪はダムだ。冬に水を溜め込み、少しずつ下流に流す。 豪雪地帯に古代の人口が多いのは「水」がありダムがあったから。 古墳時代、越(福井から新潟)、丹波(京都と兵庫の北部)、因幡〜出雲の記述が多く、「ど田舎」で大平野もないのに何故?と思うのは、そのへんを知らんから。 ああ、滋賀も出てくるな。滋賀も豪雪地帯だ。伊吹山の10mは有名だ。 制御可能な水がある地域に水稲稲作が広まり、人口を増やした。 「渡来人」が軍事力で植民した痕跡はまったくない。 日本語は。日本列島にいた縄文人の言葉であり、「方言」はありながらも国家が税を 徴収するために文書化した大和言葉で一体を保った。 「ラテン系言語」が、ローマ崩壊後にばらばらになり、後に「国家語」として 「独立」したのとは別の道を歩んだ。 日本人の古来の世界観にインドとシナはあってもチョン半島はシナの一部で存在しないので、チョン半島起源の日本文化はありません。残念でした。 >>428 最古水田の弥生人たちは朝鮮土器をさーっぱり作っていない。 搬入した朝鮮無文土器の壺が一点出土しただけ。 最古水田に韓人なんて居ない。 沿海州から渡来した北方系弥生人が第一倭人。 縄文系弥生人が第二倭人。 >>427 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と飲食器が中心の中国系青銅器と 土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と 龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? 早く言えよクッサイ汚らしい台湾のブタとボルネオニグロの中間種。 >>414 アマゾンのあたりの先住民の言語状況はどうなってんでしょ? ジャングルの中に生きてるから、ヨーロッパ系勢力の影響を あんまり受けていないのではないかと勝手に推測しとるんですが… >>414 も言っているけど歴史的に言語の統合が進むのは 外部からの強力な圧力が原因である可能性が高い 粒状の語族間の交易があるだけでは言語の統合が起きないというのは ニューギニア高地が良い例 >>431 九州北部から山陰で北方モンゴロイド形質の渡来系弥生人骨が数千体出土してるから、 渡来人があった事だけは確かなんだわ。 ところが、この渡来系弥生人骨をコンピューター形質解析にかけると、朝鮮人骨とは 全然違っていて、沿海州の北方民族に近い形質の数値を示してくる訳だ。 それに朝鮮系土器がメインの弥生遺構もないんだわ。 一番多く朝鮮系土器が出土した遺構でも全体の3割ほどで、オリジナルの朝鮮土器とは かなり違った作りなので、これらの作り手は弥生人自身だろうね。 搬入した朝鮮土器を基に弥生人自身がコピーしていただけ。 渡来人自身の土器は最初の弥生土器である刻目突帯文土器で、沿海州南西部の 青銅器時代頃の土器文化と文様の特徴が一致している。 ベンベンは鴨緑江と豆満江の区別もできない池沼だから黙ってろンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwww オベンキランドブタニガーとは無関係 日本語族は日本語派と琉球語派とに分かれ 琉球派語は北琉球語群と南琉球語群とに分かれる 日本語派と琉球語派の分岐年代は大和王権の成立・拡大の時期と重なり、境界線も大和王権の支配が及んだ限界(トカラ列島と奄美諸島の間)に一致する 北琉球語群(奄美語、国頭語、沖縄語)はかつて縄文文化があったが大和王権の支配下になかった地域に分布し、 南琉球語群(宮古語、八重山語、与那国語)は縄文文化がなかった地域に分布している 少なくとも8〜10世紀のグスク時代初頭まで下らないと琉球諸島で稲作は開始されない もし琉球の諸言語が日本本土が稲作を受容した以降の新しい時期に初めて琉球諸島にもたらされたものだとしたら、 現在の北海道方言の様に各地の方言が混ざった没個性的な新方言となることだろう しかし実際の琉球の言語は本土と比較しても琉球諸島内各地域を比較しても非常に異なっており、グスク時代の入植者によって初めて日本語族が琉球諸島にやってきたとは考えられにくい 稲作の普及・弥生文化と結びつけることができるのはあくまでも日本語派(日本語、八丈語)だけであり、日本語族それ自体は弥生文化以前から存在していたと考える他ないだろう 最新の遺伝子解析の結果、縄文人の遺伝子は周辺国の遺伝子よりも古く それとは大きく異なってることがすでに判明しているのだから 日本語の起源といっても単純な話ではないことはわかる さらに、近年神社を中心に岩に掘られた文字が多数あらためて発見され 海外からシュメール文字との同一性が指摘されるなどしており 従来の歴史学からは何も見えなかった世界に 多様な分野からの総合的なアプローチが問題の核心に迫ろうとしている 要するに日本語が一番古いから、手掛かりが見つからんのだわ。 >>442 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と 三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと 漢字の金石文と龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? さっさと言えよ台湾ブタチックトムヤムクン。 >>445 神代文字はトンデモだが日本語の起源は世界一と言って過言ではないレベルで古いというのは事実 >>445 いわゆる「ペトログラフ」は田舎史家の暴走だから捨てとけ 最大の「論拠」がムーの連中にんなこと言ってもねえw >>403 アイヌは、わりと歴史が新しくてね。よくいわれる13世紀以降だけの話ではない。 あれはアイデンティティの問題で、言語系統の問題とは必ずしもリンクしない。 北海道の続縄文文化自体が、やはり2000年ぐらい前に北海道道央付近で発生して、 まずは5世紀頃を中心に道南・東北を南下し、北上する大和民族と東北南部で衝突した後、 大和との戦いに敗れて、今度は北方に移動し、北海道道北を押さえて、樺太や千島へ広がっていく。 アイヌ語も、おそらくこの2000年前前後の道央文化の担い手の部族の言語が一気に広がったものだろう。 軍事衝突とは言っても、民族レベルでの文化交流はかなりあり、 8世紀頃の道南・道央では、大和の影響を受けてかなりレベルが高い農耕も行われていた。 >>448 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、 その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と 三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと 漢字の金石文と龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? 早く言えよおまえ! 素戔嗚命の話、酒を飲ませて酔いつぶれる隙に八岐大蛇の寝首を掻くというような発想が出る時点で、 日本人は神代から酔っ払い易い体質なんだよ。 酒飲んでヘベレケで寝潰れたりしない人はガリなら、そんな作戦思いつかない。 >>453 >北海道の続縄文文化自体が、やはり2000年ぐらい前に北海道道央付近で発生して、 >まずは5世紀頃を中心に道南・東北を南下し、北上する大和民族と東北南部で衝突した後、 >大和との戦いに敗れて、今度は北方に移動し、北海道道北を押さえて、樺太や千島へ広がっていく。 >アイヌ語も、おそらくこの2000年前前後の道央文化の担い手の部族の言語が一気に広がったものだろう。 >軍事衝突とは言っても、民族レベルでの文化交流はかなりあり、 >8世紀頃の道南・道央では、大和の影響を受けてかなりレベルが高い農耕も行われていた。 よく東北の蝦夷は先住民と言われるけども、あれは半分でまかせだよね。 弥生時代の稲作農業は青森県北端まで達していたのだが、古墳時代初期の寒冷化によって稲作が不可能になって、弥生文化は宮城県南部、つまり多賀城付近まで後退する。 恐らく東北弥生人は死滅したか、土地を放棄して南に移住していったのだろう。 そして入れ違いに無人化した東北に入ってきたのが北海道の続縄文・擦文文化人。 これが後に蝦夷と言われる人達となる。 西欧で4世紀からの寒冷化がローマ帝国を南に退かせたのと同じような構造だ。 南に撤退した弥生人が倭人で、北海道から移住してきた人が蝦夷。 古代の大和政権には往古の昔に日高見国を服属させたという伝承があり、東北蝦夷から日高見国つまり東北地方を奪い返すのは征服ではなく自分たちの権利の回復と考えていた。 弥生時代に東北地方を蝦夷に奪われた記憶が神話化して弥生人達に残っていた証拠なのだろう。 続縄文文化がアイヌだか知らんけどよ エゾ(蝦夷)ってのが樺太アイヌを指すエンチウ enciwと同じ語だって説はどこまで信じれるんかね? もしそうならエゾの初出である平安時代中期になって初めて大和朝廷の支配域とアイヌの領域が接することになったと言える訳だがどうなんだろう 811年の「三十八年戦争」終結から2世紀以上の長きにわたり秋田と気仙を結ぶラインから北には郡が設置されていなかった様だが、 その頃の北東北は原アイヌだけの土地だったのかそれとも元は倭系民族の住む土地だったのが混住地となったのかどちらなのか 恐らく「えみし」はアイヌ語のenchu。上古の関西方言で訛って発音されたもの。そして「えぞ」は平安時代の東北方言でenchuを鈍って発音したもの。 両者同じものの可能性高し。 >>457 奥羽のエミシは縄文人がアイヌと弥生人に分岐する前のまま取り残された連中だから 強いていえばアイヌと和人の中間。移行形態。 今の東北人は蝦夷と混血しているものの基本は大和政権が送り込んだ移民の子孫。 北海道アイヌはあの広い土地に住んでいたにも関わらず、全盛期でも人口は3万〜4万ほど。 ちなみに江戸時代末期の衰退期の北海道アイヌは2万強。 江戸の街だけで150万人いた倭人と混じったら消えてしまうほどの少数民族。 農作してない民族は農作民に吸収される運命にある。 それは人口比が比較にならないから。 東北蝦夷は農業をしていた移住民に同化されたと思われる。 マタキなどの山岳民に一部に蝦夷の習俗を残してね。 エミシに蝦夷の漢字が宛てられたのは何ででしょうか。 文献的にたぶんこれかなとあてはめたのか、より根拠があるのか。 もしかして「蝦」が「エビ」だから音の似てる「エビス」「エミシ」に充てたってオチか? >>448 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、 その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と 三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと 漢字の金石文と龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? さっさと言えよおまえ! >>458 エミシ emisiとエゾ ezoとエンチウ enciwの原型を考えるならemciwとかそこらへんだろ 元々何語なのかすら謎だけどwwwww アイヌ語のユーカリも倭語で起源譚をあらわすユカリ(縁起)と同語源だよな 倭語とアイヌ語で言語同士の借用は結構あると思うわ。 その系統の語で一番有名なのが「カムイ(神)」だな 神(カミ)のミは乙種なので元はmuiだったと想定されている 原日本語を原アイヌ語が借用した例だと思う(「上」「被る」「皮」「壁」など上部を意味する似た発音の語があるので日本語側の発祥だろう) 北海道のど真ん中に江別古墳群という遺跡がある。 ここは大和政権から下賜されたと思われる品々が大量に出土している。 まだアイヌ文化が生まれる前の時代、本州以南が奈良時代・平安時代だった頃の話だ。 恐らくアイヌは巷の想像以上に大和からの強い文化的影響を受けている。言語面でも日本語とアイヌ語には単語レベルで色々と関わりが見られる。 そもそも大和文化の影響が無ければ、続縄文文化からアイヌ文化への変遷もありえなかった。 相当古くから大和文化が入り込んでいたことは間違いないだろう。 俺は江別古墳群は倭人の遺跡ではないかと思ってる。 江別古墳の副葬品も土師器や須恵器などもある。 アイヌ人ならば擦文土器を用いていただろう。 江別古墳群や茂漁古墳群の構造はアイヌの墓と若干異なっており、道外から渡った役人や有力者じゃまいか? 飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。 北海道の石狩平野のどこかに大和政権の政庁があって、江別古墳はその官人の墓か何かじゃないのかな? 縄文時代には北海道と本州以南とで原日本人と原アイヌとして区別できる文化の差異はあったんだろうか? 長きにわたる縄文時代の間にそれら2言語集団へ収束していった形跡があれば完全に日本語族は日本列島独自のものと言い得るのだが アイヌは縄文人+オホーツク人で どちらの言語の文法が優先されてアイヌ語になったのかは不明 日本人は縄文人+弥生人+渡来人で どの言語が優先されて日本語になったかも不明 >>468 > 飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。 そんなことまでしていたのか。もっと知れ渡るべきだよな あさ、ひる、よる の 「ひる」 血を吸う「ひる」 怯えたりする意味の「ひる」 この三つはどれも同じ語源だろうか 日本語の起源は韓半島です。 今でも福井弁などは韓国語に似ていると思います。 もののあはれ の あはれ と あばれる の あばれ は 語源が同じなのかどうか >>448 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と 三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと 龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? 今言えこのサギ中華ブタジジイ! >>1 アヴェスター語。イタリア語ケルト派。ケントゥム語。 文法もSOVだし。 閉鎖性のあるウラル、アルタイ系の中華系言語は明確に違う。銀行員と喋ったら一発でわかる。 兄弟というか親戚言語の古代朝鮮語が失われてるのが辛すぎるな。 中国側文献にまとまった朝鮮語資料は無いのかね? 燕とか幽州牧の文庫に朝鮮の通詞用の資料があったり? 日本にやってきた渡来人も、自分用の覚え書きを百済語で書かなかったのかしらん? 百済寺や金剛組の文書に百済語の日記とか残ってないの? 兵火で失われたのか。 百済語は王都からの木簡が見つかって 一部は判読されてる 数詞がやっぱり朝鮮語に近いってことまで判明してる 詳しくはこのカイカイchのスレを見てくれ https://kaikai.ch/board/10116/ 古代日本は百済や高句麗とは通訳不要だったというのはヨタ話だったか 通訳不要だったら一々別の民族名で呼んでない 三国史記の高句麗語だとされている日本語に酷似した地名も黄海道から京畿道にかけての沿岸部に集中しており、おそらくこれは「帯方界」に攻め入った倭人が付けた地名であり本当の高句麗語ではないと思われる >>482 最初に接触したところとか、有力な一邦とかの名前で呼ぶことはよくあるじゃん。 最初に接触したのが伽耶だったから、全部ひっくるめて「カラ」。 意味が最大に拡大したときに「カラ」の範囲は支那圏のすべてで、「唐」の訓まで「カラ」。 その「唐」も、日本が交流を持った中では有力の度合いが抜きん出ていたので、「唐土」「唐人」「唐辛子」「唐物」「唐黍」等々、 漠然と外国を指し示す意味合いが付いている。 ずっと新しい時代にもこういう癖は治ってなくて、UKがイギリス、Netherlandsがオランダ、明治のころはDeutsches Kaiserreichが プロイセンというふうに、最初に接触したところか最有力支邦かついつい呼んでしまう しぼむ 萎む すぼむ 窄む しぼる 絞る すぼまる しばる 縛る しびれる 痺れる しぶい 渋い しべ 蕊・蘂 日本語族の発祥地は、北九州だろう。 紀元前8〜9世紀に縄文と弥生の混合文化が北九州の玄界灘沿岸に発祥し、わずか400年で彼らの文化は西日本一帯に急激に広がっていった。 そして濃尾平野近辺で拡大が一時停止(東日本系縄文人との葛藤か?)して数百年後、二回目の拡大が起きて今度は青森県北端まで稲作文化が広がる事になる。 この日本最古の農耕遺跡で縄文と弥生の混合文化だった菜畑遺跡や板付遺跡には、朝鮮半島南部の松菊里文化と共通する家屋が出土している。 右派の人の気分を害するかもしれないが、日本の農耕は恐らく半島起源だろう。 縄文時代1万年の歴史にしては、日本語族は琉球方言まで見ても、それほど多様性があるわけじゃない。 もし日本語が縄文語の末裔ならば、日本各地の言語はパプア諸語のようにバラバラだった筈だ。 という事で、日本語の祖語は今から3000年ほど前の福岡市板付遺跡の部族の一言語であったろう。 彼らは遠賀川式土器を作る集団の言語で、これが弥生文化とともに一気に広まったという訳だ。 日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。 天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。 わかりやすく言うと一番偉い人がいたでしょ、 半島周辺に住んでいたんだよ 半島=本国、本拠地 >>485 弥生文化が朝鮮半島の影響で産まれたのは間違いないだろうが、松菊里つまり韓国の無文土器文化人が韓族であるとは考えにくい。残念ながら、韓国の歴史教科書には絶対に載せられないような話なんだわ。 wikipediaに上手くまとめられているので以下抜粋だ。 朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。 これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。 またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。 これは自分の所感に過ぎないが、日本語はウラル諸語の故地である遼河流域から朝鮮半島→日本列島に押し出されたウラル語族の縁戚ではないのかな。 韓族は日本語族を半島から追いやった女真系統の侵略者だと思うわ。 >>448 で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、 その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と 石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と龍信仰と亀卜は? で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている サギサギ考古学者の氏名と所属団体は? 早く言えサギサギブタチーノ! >>485 >日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。 >天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。 記紀にいう『筑紫の日向の久士布流多気(くしふるたけ)』は、宮崎県じゃなくて、菜畑遺跡の近くの福岡市西区日向峠のクシフルタケの事なんだろうね。 天孫降臨が弥生文化の渡来を象徴していたとは面白い話だ。 となると、ニニギノミコトは菜畑遺跡の酋長、高天ヶ原は朝鮮半島の事か!? >>485 一つの村の人々が自民族語だけでなく隣接する民族のことばを3つも4つも使って意志の疎通を図るニューギニア島の状況は極めて特殊なだけであり それを日本列島に当てはめることはできない 縄文文化ははじめ9つの文化圏がありそれが晩期には4つに収束した それらが別々の語族なのかは不明だが、土器などに一定の様式がみられる以上それに見合った濃密な交易や人の行き来のあったブロックが形成されていたことは間違いない >>487 日本語族日本列島外起源説は全く信用できない もしそのような民族が直接日本列島移住してきていたとしたら作物の他、什器、墓制、住居などの様々な事物の作り方がそのまま移植されていなければならない筈だ だが実態は明らかにそうではない また板橋義三が高句麗語として抽出した日本語に類似した三国史記における地名は黄海道及び京畿道に集中しており、松菊里のある忠清道の地名にはその様な傾向は見られないことも、松菊里が倭人の遺跡であることを否定する材料として挙げておく >>485 稲作は2万%朝鮮南部からで正しいが、稲作をもたらした集団も菊里型住居を もたらした集団も朝鮮土器を全く作らない、あるいは搬入土器からコピー土器を 少量作るだけで、朝鮮土器がメインの集落遺構じゃないんです。 全ては九州北部の弥生人が朝鮮南部からパクってきただけ。 渡来人を知りたいのなら、彼らがメインで作っていた刻目突帯文土器を追いかける事。 刻目突帯文土器は九州北部で稲作が始まる少なくとも50年以上前のBC11C頃に 島根あたりの山陰に伝わった土器。 >>493 ああ、それか。 それは華南半ブタ半ニグロの台湾ウンコ色ブタ広鼻チーノ。 EEのか? EEんやで ※EE=射精エベンキ(Ejaculation Evenki) >>1 スキタイ語。アルタイにも近い。それをトルコ人が解釈したのが音読み。 >>495 ボルネオ黒人をウンコ色というか、黄褐色にしてブタ広鼻にしたような 醜悪極まりないインドシナ中華ブタというか、 ブタみたいな顔したベトナムがかった人種というか、 ベトナムっぽくてブタみたいな顔した人種というか、 華南人な。 とにかく見ただけでクサい。ハノい。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。 もっと簡単に言うと、ブタゴリラみたいな顔な。 見ただけでクサい。 クッサイ汚らしいハノいものです。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。 黄褐色、エラ張り短顔、ブタ広鼻、突顎、巨大なタラコ唇。 ブタとベトナム人の中間種。 見ると、ハッカクくせえウンコのニオイを嗅がされたような不快な気分になる。 クッサイ汚らしいハノい醜悪極まりないものです。 日本の歴史は、朝鮮の歴史。マジで驚くほど似てるから。 見た目でいうと 背が高くて色白の韓国人が一番カーストが上 東南アジアはアンタッチャブルだね ジャップはその中間かな で、実際にカンコックに行ってみると、背の高さも肌の色もほとんど変わらないが、 顔の彫りがちょっと浅くて、頬骨がボコッと飛び出て角張った、輪郭がやけに カクカクと角張った味気のない、つまんねえ顔した貧弱な顔立ちの中央モンゴロイドがそこにいるだけw カンコック人は顔がぼやけていて、日本人の方が顔面偏差値が10くらい高いですw 面白いブログを見つけた ウラル諸語やベトナム語との関係を論じるのは新鮮に感じた http://www.jojikanehira.com 【韓国起源説】「グラ」の語源は日本語か、韓国語か 韓国語の世界はいっそう豊かになる https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1529810579/149 149 名前:(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 13:45:29.57 ID:9NM7CJ0M 嘘(うそ) - 語源由来辞典 ttp://gogen-allguide.com/u/uso.html だと、平安前期には「空言(そらごと)」、平安末期から室町後期に「うそ」になったとある 類語でおもいつくのは、「疑う(うたがう)」と「違える(たがえる)」 つまり、「う」は強調の接頭辞ではないだろうか 「絵空事(えそらごと)」、「う+空言(そらごと)」 絵空事を言うな、う空言を言うな →縮まって、うそらをいうな →うそをいうな ちなみに 「空(そら)」は「から」とも読む、「から」とは「空虚」、何もない、いつわりの意に通じる となると、「いつわり」・「つわり」なんかも関連性があるのだろうか ほかにも、こういう言葉が見つかるかもしれない う・で、う・なじ >>372 昭和50年代の大阪府北部、豊中市上新田とか吹田市山田西とか、要は千里ニュータウンの開発から除外さた隣接地区や 箕面市粟生や牧落、旧西国街道山崎路に沿ったところは、田んぼや果樹園に家がポツンポツンというような散村だったけどな 豊中市熊野町あたりだと、すでに田んぼがつぶされたところに家が建て込んで、もとの兎川沿いの集落と、東豊中町や西泉丘 の新しい街区との境が分からなくなっていたけれど、あきらかに広くて古い家が、新しくて小さい家の間にまばらにあって、 そこがもともとの熊野田の農家だったことが分かった。 朝倉あたりが詰まってるって、それって、甘木だけだろ。親戚が筑前町四三嶋とか石櫃にいるけど、家が詰まってるのは駅か 386号線の役場や学校が詰まってる近辺だけだぞ。 3軒4軒集まって建ってるようなところは相続で分割したもともと1軒の家の跡だし。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ 念のためにのせておきます 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 U2E ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる