日本語の起源 [転載禁止]©2ch.net
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恐らく「えみし」はアイヌ語のenchu。上古の関西方言で訛って発音されたもの。そして「えぞ」は平安時代の東北方言でenchuを鈍って発音したもの。
両者同じものの可能性高し。 >>457
奥羽のエミシは縄文人がアイヌと弥生人に分岐する前のまま取り残された連中だから
強いていえばアイヌと和人の中間。移行形態。 今の東北人は蝦夷と混血しているものの基本は大和政権が送り込んだ移民の子孫。
北海道アイヌはあの広い土地に住んでいたにも関わらず、全盛期でも人口は3万〜4万ほど。
ちなみに江戸時代末期の衰退期の北海道アイヌは2万強。
江戸の街だけで150万人いた倭人と混じったら消えてしまうほどの少数民族。
農作してない民族は農作民に吸収される運命にある。
それは人口比が比較にならないから。
東北蝦夷は農業をしていた移住民に同化されたと思われる。
マタキなどの山岳民に一部に蝦夷の習俗を残してね。 エミシに蝦夷の漢字が宛てられたのは何ででしょうか。
文献的にたぶんこれかなとあてはめたのか、より根拠があるのか。 もしかして「蝦」が「エビ」だから音の似てる「エビス」「エミシ」に充てたってオチか? >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
さっさと言えよおまえ! >>458
エミシ emisiとエゾ ezoとエンチウ enciwの原型を考えるならemciwとかそこらへんだろ
元々何語なのかすら謎だけどwwwww アイヌ語のユーカリも倭語で起源譚をあらわすユカリ(縁起)と同語源だよな
倭語とアイヌ語で言語同士の借用は結構あると思うわ。 その系統の語で一番有名なのが「カムイ(神)」だな
神(カミ)のミは乙種なので元はmuiだったと想定されている
原日本語を原アイヌ語が借用した例だと思う(「上」「被る」「皮」「壁」など上部を意味する似た発音の語があるので日本語側の発祥だろう) 北海道のど真ん中に江別古墳群という遺跡がある。
ここは大和政権から下賜されたと思われる品々が大量に出土している。
まだアイヌ文化が生まれる前の時代、本州以南が奈良時代・平安時代だった頃の話だ。
恐らくアイヌは巷の想像以上に大和からの強い文化的影響を受けている。言語面でも日本語とアイヌ語には単語レベルで色々と関わりが見られる。
そもそも大和文化の影響が無ければ、続縄文文化からアイヌ文化への変遷もありえなかった。
相当古くから大和文化が入り込んでいたことは間違いないだろう。 俺は江別古墳群は倭人の遺跡ではないかと思ってる。
江別古墳の副葬品も土師器や須恵器などもある。
アイヌ人ならば擦文土器を用いていただろう。
江別古墳群や茂漁古墳群の構造はアイヌの墓と若干異なっており、道外から渡った役人や有力者じゃまいか?
飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。
北海道の石狩平野のどこかに大和政権の政庁があって、江別古墳はその官人の墓か何かじゃないのかな? 縄文時代には北海道と本州以南とで原日本人と原アイヌとして区別できる文化の差異はあったんだろうか?
長きにわたる縄文時代の間にそれら2言語集団へ収束していった形跡があれば完全に日本語族は日本列島独自のものと言い得るのだが アイヌは縄文人+オホーツク人で
どちらの言語の文法が優先されてアイヌ語になったのかは不明
日本人は縄文人+弥生人+渡来人で
どの言語が優先されて日本語になったかも不明 >>468
> 飛鳥時代の阿倍比羅夫は渡島の後方羊蹄(しりべし)に郡領を置いているし。
そんなことまでしていたのか。もっと知れ渡るべきだよな
あさ、ひる、よる の 「ひる」
血を吸う「ひる」
怯えたりする意味の「ひる」
この三つはどれも同じ語源だろうか 日本語の起源は韓半島です。
今でも福井弁などは韓国語に似ていると思います。
もののあはれ の あはれ と
あばれる の あばれ は 語源が同じなのかどうか >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
三足や耳の付いた中国系青銅器と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと
龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
今言えこのサギ中華ブタジジイ! >>1 アヴェスター語。イタリア語ケルト派。ケントゥム語。
文法もSOVだし。
閉鎖性のあるウラル、アルタイ系の中華系言語は明確に違う。銀行員と喋ったら一発でわかる。 兄弟というか親戚言語の古代朝鮮語が失われてるのが辛すぎるな。
中国側文献にまとまった朝鮮語資料は無いのかね?
燕とか幽州牧の文庫に朝鮮の通詞用の資料があったり?
日本にやってきた渡来人も、自分用の覚え書きを百済語で書かなかったのかしらん?
百済寺や金剛組の文書に百済語の日記とか残ってないの?
兵火で失われたのか。 百済語は王都からの木簡が見つかって
一部は判読されてる
数詞がやっぱり朝鮮語に近いってことまで判明してる
詳しくはこのカイカイchのスレを見てくれ
https://kaikai.ch/board/10116/ 古代日本は百済や高句麗とは通訳不要だったというのはヨタ話だったか 通訳不要だったら一々別の民族名で呼んでない
三国史記の高句麗語だとされている日本語に酷似した地名も黄海道から京畿道にかけての沿岸部に集中しており、おそらくこれは「帯方界」に攻め入った倭人が付けた地名であり本当の高句麗語ではないと思われる >>482
最初に接触したところとか、有力な一邦とかの名前で呼ぶことはよくあるじゃん。
最初に接触したのが伽耶だったから、全部ひっくるめて「カラ」。
意味が最大に拡大したときに「カラ」の範囲は支那圏のすべてで、「唐」の訓まで「カラ」。
その「唐」も、日本が交流を持った中では有力の度合いが抜きん出ていたので、「唐土」「唐人」「唐辛子」「唐物」「唐黍」等々、
漠然と外国を指し示す意味合いが付いている。
ずっと新しい時代にもこういう癖は治ってなくて、UKがイギリス、Netherlandsがオランダ、明治のころはDeutsches Kaiserreichが
プロイセンというふうに、最初に接触したところか最有力支邦かついつい呼んでしまう
しぼむ 萎む すぼむ 窄む
しぼる 絞る すぼまる
しばる 縛る しびれる 痺れる
しぶい 渋い しべ 蕊・蘂 日本語族の発祥地は、北九州だろう。
紀元前8〜9世紀に縄文と弥生の混合文化が北九州の玄界灘沿岸に発祥し、わずか400年で彼らの文化は西日本一帯に急激に広がっていった。
そして濃尾平野近辺で拡大が一時停止(東日本系縄文人との葛藤か?)して数百年後、二回目の拡大が起きて今度は青森県北端まで稲作文化が広がる事になる。
この日本最古の農耕遺跡で縄文と弥生の混合文化だった菜畑遺跡や板付遺跡には、朝鮮半島南部の松菊里文化と共通する家屋が出土している。
右派の人の気分を害するかもしれないが、日本の農耕は恐らく半島起源だろう。
縄文時代1万年の歴史にしては、日本語族は琉球方言まで見ても、それほど多様性があるわけじゃない。
もし日本語が縄文語の末裔ならば、日本各地の言語はパプア諸語のようにバラバラだった筈だ。
という事で、日本語の祖語は今から3000年ほど前の福岡市板付遺跡の部族の一言語であったろう。
彼らは遠賀川式土器を作る集団の言語で、これが弥生文化とともに一気に広まったという訳だ。
日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。
天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。 わかりやすく言うと一番偉い人がいたでしょ、
半島周辺に住んでいたんだよ
半島=本国、本拠地 >>485
弥生文化が朝鮮半島の影響で産まれたのは間違いないだろうが、松菊里つまり韓国の無文土器文化人が韓族であるとは考えにくい。残念ながら、韓国の歴史教科書には絶対に載せられないような話なんだわ。
wikipediaに上手くまとめられているので以下抜粋だ。
朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。
これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。
これは自分の所感に過ぎないが、日本語はウラル諸語の故地である遼河流域から朝鮮半島→日本列島に押し出されたウラル語族の縁戚ではないのかな。
韓族は日本語族を半島から追いやった女真系統の侵略者だと思うわ。 >>448
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と龍信仰と亀卜は?
で、中国南部から下戸遺伝子中華ブタが畿内に渡来定着したとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?
早く言えサギサギブタチーノ! >>485
>日本神話で天孫降臨は筑紫のクシフルタケとある。
>天孫降臨を弥生文化の誕生と捉えれば、これは非常に意義深く歴史的示唆を与える話であろう。
記紀にいう『筑紫の日向の久士布流多気(くしふるたけ)』は、宮崎県じゃなくて、菜畑遺跡の近くの福岡市西区日向峠のクシフルタケの事なんだろうね。
天孫降臨が弥生文化の渡来を象徴していたとは面白い話だ。
となると、ニニギノミコトは菜畑遺跡の酋長、高天ヶ原は朝鮮半島の事か!? >>485
一つの村の人々が自民族語だけでなく隣接する民族のことばを3つも4つも使って意志の疎通を図るニューギニア島の状況は極めて特殊なだけであり
それを日本列島に当てはめることはできない
縄文文化ははじめ9つの文化圏がありそれが晩期には4つに収束した
それらが別々の語族なのかは不明だが、土器などに一定の様式がみられる以上それに見合った濃密な交易や人の行き来のあったブロックが形成されていたことは間違いない
>>487
日本語族日本列島外起源説は全く信用できない
もしそのような民族が直接日本列島移住してきていたとしたら作物の他、什器、墓制、住居などの様々な事物の作り方がそのまま移植されていなければならない筈だ
だが実態は明らかにそうではない
また板橋義三が高句麗語として抽出した日本語に類似した三国史記における地名は黄海道及び京畿道に集中しており、松菊里のある忠清道の地名にはその様な傾向は見られないことも、松菊里が倭人の遺跡であることを否定する材料として挙げておく >>485
稲作は2万%朝鮮南部からで正しいが、稲作をもたらした集団も菊里型住居を
もたらした集団も朝鮮土器を全く作らない、あるいは搬入土器からコピー土器を
少量作るだけで、朝鮮土器がメインの集落遺構じゃないんです。
全ては九州北部の弥生人が朝鮮南部からパクってきただけ。
渡来人を知りたいのなら、彼らがメインで作っていた刻目突帯文土器を追いかける事。
刻目突帯文土器は九州北部で稲作が始まる少なくとも50年以上前のBC11C頃に
島根あたりの山陰に伝わった土器。 >>493
ああ、それか。
それは華南半ブタ半ニグロの台湾ウンコ色ブタ広鼻チーノ。 EEのか?
EEんやで
※EE=射精エベンキ(Ejaculation Evenki) >>1 スキタイ語。アルタイにも近い。それをトルコ人が解釈したのが音読み。 >>495
ボルネオ黒人をウンコ色というか、黄褐色にしてブタ広鼻にしたような
醜悪極まりないインドシナ中華ブタというか、
ブタみたいな顔したベトナムがかった人種というか、
ベトナムっぽくてブタみたいな顔した人種というか、
華南人な。
とにかく見ただけでクサい。ハノい。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。
もっと簡単に言うと、ブタゴリラみたいな顔な。
見ただけでクサい。
クッサイ汚らしいハノいものです。 全然ヘイトではなく、見たまんまの形容。
黄褐色、エラ張り短顔、ブタ広鼻、突顎、巨大なタラコ唇。
ブタとベトナム人の中間種。
見ると、ハッカクくせえウンコのニオイを嗅がされたような不快な気分になる。
クッサイ汚らしいハノい醜悪極まりないものです。 日本の歴史は、朝鮮の歴史。マジで驚くほど似てるから。 見た目でいうと
背が高くて色白の韓国人が一番カーストが上
東南アジアはアンタッチャブルだね
ジャップはその中間かな で、実際にカンコックに行ってみると、背の高さも肌の色もほとんど変わらないが、
顔の彫りがちょっと浅くて、頬骨がボコッと飛び出て角張った、輪郭がやけに
カクカクと角張った味気のない、つまんねえ顔した貧弱な顔立ちの中央モンゴロイドがそこにいるだけw
カンコック人は顔がぼやけていて、日本人の方が顔面偏差値が10くらい高いですw 面白いブログを見つけた
ウラル諸語やベトナム語との関係を論じるのは新鮮に感じた
http://www.jojikanehira.com 【韓国起源説】「グラ」の語源は日本語か、韓国語か 韓国語の世界はいっそう豊かになる
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1529810579/149
149 名前:(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2018/06/24(日) 13:45:29.57 ID:9NM7CJ0M
嘘(うそ) - 語源由来辞典 ttp://gogen-allguide.com/u/uso.html
だと、平安前期には「空言(そらごと)」、平安末期から室町後期に「うそ」になったとある
類語でおもいつくのは、「疑う(うたがう)」と「違える(たがえる)」
つまり、「う」は強調の接頭辞ではないだろうか
「絵空事(えそらごと)」、「う+空言(そらごと)」
絵空事を言うな、う空言を言うな →縮まって、うそらをいうな →うそをいうな
ちなみに
「空(そら)」は「から」とも読む、「から」とは「空虚」、何もない、いつわりの意に通じる
となると、「いつわり」・「つわり」なんかも関連性があるのだろうか
ほかにも、こういう言葉が見つかるかもしれない
う・で、う・なじ >>372
昭和50年代の大阪府北部、豊中市上新田とか吹田市山田西とか、要は千里ニュータウンの開発から除外さた隣接地区や
箕面市粟生や牧落、旧西国街道山崎路に沿ったところは、田んぼや果樹園に家がポツンポツンというような散村だったけどな
豊中市熊野町あたりだと、すでに田んぼがつぶされたところに家が建て込んで、もとの兎川沿いの集落と、東豊中町や西泉丘
の新しい街区との境が分からなくなっていたけれど、あきらかに広くて古い家が、新しくて小さい家の間にまばらにあって、
そこがもともとの熊野田の農家だったことが分かった。
朝倉あたりが詰まってるって、それって、甘木だけだろ。親戚が筑前町四三嶋とか石櫃にいるけど、家が詰まってるのは駅か
386号線の役場や学校が詰まってる近辺だけだぞ。
3軒4軒集まって建ってるようなところは相続で分割したもともと1軒の家の跡だし。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
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