すなわち「大墓公阿弖流為」について、「大墓」はアイヌ語の「タイ・ポ(tay・po)」で
「小さな森」の意味であり、読みは「たいぽのきみ」又は「たいぼのきみ」だったとされます。
「公」は大和朝廷が与えた称号です。
 ところで菅原さんはなぜ「タイ・ボ(小森)」なのかと問うて、「それは『阿弖流為』のチャシ(砦)
の丘だったとされる現在の新幹線水沢江刺駅の東方およそ800mの所にある小高い『田茂山』こと、
別称『羽黒山』を称してであります。彼はその『タイ・ボ』のチャシの主であり、かつ、『タイ・ボ』
の村の族長であり、そして『タイ・ボ』のチャシに祀られる地主神の司祭者でもあったと推定されます」
と述べるのです。

 次に「あてるい」ですが、その語源はアイヌ語の「アル・テク・ルイ・イ(ar・tek・ruy・i)」
で、音韻変化して「アツテクルイイ(attekruyi)」となります。その意味は「片方の・腕の・
凄い(強い)・人」だそうです。
 そして菅原さんは「この名前から推して、『あてるい』こそは、エミシの鍛冶集団を率いていた
人物で、エミシの騎馬戦用の刀『わらび手の刀』を鍛えた刀匠たちの長でもあり、後に一関の舞草辺りに
住んで日本刀の元祖といわれる舞草刀を世に出した舞草鍛冶にその伝統を伝えた鍛冶集団のリーダーだっ
たのではないでしょうか」と述べるのです。
 もう一つの語源は、アイヌ語の「アク・テク・ルイ・イ(ak・tek・ruy・i)」で、その
音韻変化形の「アツテクルイイ(attekruyi)」で、その意味は「矢を射る・腕・凄い・人」
となると言います。そして「この名前から推測して、『あてるい』こそは、射的の名手としての誉れ高い
エミシの人たちの中にあって、特に秀でた『弓の名人』だったのではないかという推定が成り立つように
思われます」と書いています。
 私はゲリラ戦を戦い、政府軍を打ち負かした戦略家でもあったアテルイは、やはり「弓の名手」という
武人の姿が似合うように思いますが、ともあれアテルイの名が見事にアイヌ語で解き明かされたことに
感銘します。
http://emisi.com/kawara/33/33book-sugawara.htm