九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】 [転載禁止]©2ch.net
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古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。 >>849
>格助詞にデが存在しないから
>以上終わり
>>850の書き込みが遅くなって、恥の上塗りをさせてしまってごめんな
>>850でも書いたとおり、「デ」は「ニテ」を一字にした接続助詞だ
「二」が格助詞だから、問題ないだろ
バカなことでがんばったものだね >>843
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これ、今までにも何度か否定してきたけれど、この説文解字の注は
左傳曰。凡邑有宗廟先君之主曰都、無曰邑。
で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない
それに、細かいことを言い出したら、墓と廟は違うから、伊都国にも廟はないよ
これは、伊都国が都であることの理由にはならない >>845
>この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
>距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
これが無理がありすぎなんだよ
大陸の史書の、地理・旅程記事で「飛ばして読んでもいいところ」というのが、
他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる
大陸の史書の、地理・旅程記事で
「距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したもの」
というのが、他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる >>851
接続助詞が名詞につかず
接続助詞は動詞にしかつかない。
お前は古文も落第だな。 >>852
>で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
>「都」の定義でもなんでもない
説文解字とはこういうもんだけど
左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
お勉強が足りません >>854
昔の人が書き下したから文語体になってるだけで
現代人が書き下せば現代文になるのは当然
アンタはアホじゃな。 >>852
説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの >>854
「ニテ」は、現代語でも、古文でも、漢文の書き下しでも使うよな?
これを、文法的に解釈してくれ >>856
>左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
ここが嘘、
古典文における用例を引用して、漢字の意味の「成り立ち」を「解説」したもの
「定義」はしていない
そして、言語はその意味内容が変わっていくものでもある
「説文解字に書いてあるから、この字の意味はこれに『決まってる』」式の言説には
意味がない
>お勉強が足りません
半可通の言い訳ですね >>858
>説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
>この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
で、「周禮:距國五百里爲都」の部分で、
「周礼では、こういう使い方をしている」ということだけを示しているに過ぎない
で、
>下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
清の段玉裁が、周礼の中の該当部分を引用して示してくれていて、
周礼の左氏春秋伝の解説で、「先王の廟があるところを都、ないところを邑とする」
と書いてあるだけ
周礼が書かれたときには、そういう定義だったというだけ
それがその後ずっと、未来永劫、都の定義として通用する訳ではない >>861
魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w >>861
意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ つまり、都は"先王の廟があるところ"だから、
故郷でも京でもどっちの解釈も"あり"でしょ
卑弥呼の先王の廟がある所でいいと思うよ
この件は倭人伝の解釈のどの説でも問題なさそうだが 都は"先王の廟があるところ"は元々の意味で、魏代には都は都。 >>862
>魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w
そうだよ?
説文解字に書いてあるのは魏代の意味じゃないだろ?
何を言ってるんだ?
頭悪いんじゃないか? >>863
>意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
>誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ
オレもそう言ってるんだが、>>858が説文解字に書いてある意味が正しいとか抜かしてるからさ >>866
>エビデンスは?
魏の都は洛陽
曹操の墓は西高穴2号墓で、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村にある
洛陽じゃないね
さらにその前代は、安徽省亳県の城南一帯の古墳群が、曹操一族の墓
曹操の父・曹嵩と、祖父の曹騰の墓と推定されるものがここにある
これも洛陽じゃないね
ということで、魏の都は先王の廟とは無関係 >>859
ニテは
中国語で
於
字をつかうから
ニテの出番はない >>870
もう少し前だと、後漢末期、董卓滅亡の少し後から魏への禅譲まで後漢の都は許県、曹操の墓が作られる地域に近い位置だったけど、
その先帝にあたる霊帝の墓所は洛陽だったしね
霊帝と献帝のあいだには廃帝(弘農王)がいるけど、廃帝は「先帝」にならないことも多い、特に「少帝」の場合。
(といっても、弘農王の墓所は洛陽だから、霊帝の墓所とあまり位置は変わらないけど) >>867
説文解字は魏晋代にも普通に使われてるだろ、違うというなら魏代の意味が分かる字書を出して来いよ
オツム大丈夫かw 当時は都の事を「京」「京師」と呼んでおり、晋代に世宗司馬師に廟号が送られた結果、
諱の師を避け「京師」が、師と似た意味を持った都の漢字を使い「京都」と呼ばれる様になった。
ここから、「都」という漢字は三国時代当時にはまだいわゆる都を表す意味は無かったということ。 史記における「所都」の用例
「又有?鹿故城,在?州東南五十里,本?帝所都也。」
「?鹿故城在山下,即?帝所都之邑於山下平地。」
「河東縣二里故蒲坂城,舜所都也。」
「陶城在蒲州河東縣北三十里,即舜所都也。」
・・・・・ 漢書における「所都」の例
「郊處各在聖王所都之南北」
「亳,殷所都也。」
「?邑,有??,詩?國,公劉所都。」
「朝歌,紂所都。」
・・・・・ 後漢書における「所都」の例
「臨?本齊國所都,即齊王宮,中有壞臺也。」
「?,文王所都,在京兆杜陵亭。」
「絳,晉國所都。」
「?,文王所都,在?縣東。」
「鎬,武王所都,在上林苑中。」
・・・・・ 史記以降、普通に都は今の首都と同じ意味で使われてるってことでOK? よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
執筆時点からすると、すべて過去みやこだったとこなんじゃね まあ、語源や来歴を想像で書いてるんだから間違いや勘違いも多かったってことだわな 説文解字は今でもバイブルだけどね
説文入門
「漢字の成立と用法について分類した六書によって各字の本質的意味を解き明かす。
成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、
権威をもった基本的な字書として重んじられている。」 >>882
>よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
説文解字は後漢代の西暦100年成立で、史記と漢書は成立しているが、
四書五経やその注釈書から語義を採っているのが多いんじゃなかったかな >>856みたいに「用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの」だから、
それ以外の意味は認めない、的なことを言わずに参考にすればいいんだよ
三雲南小路遺跡があるから伊都国が都、なんていうのは暴論 結論は、邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である。
共立後の卑弥呼のいたのは伊都国でFA >>888
>邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である
これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
所都は普通に王宮を置いたところだぞ >>887
>それ以外の意味は認めない
誰もそんなこと言ってないと思うんだが
当時の意味・用法を知りたいだけなんだけどね >>889
>これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
>所都は普通に王宮を置いたところだぞ
こう言い切る根拠をぜひ教えてください >>871
>ニテは
>中国語で
>於
>字をつかうから
>ニテの出番はない
無駄に改行が多くて引用しにくいな
まあいいや
於に対応する書き下しでは「ニテ」を使うのを認めるんだな?
ならばまさに、
常治伊都國は、常治於伊都國を意味するんだから、「ニテ」を使うのは正統だろ?
於は、常に書かれる文字じゃなくて、省略されるときは省略されるんだから
そして、「ニテ」は「デ」に転化しうるんだから、問題ないだろ >>891
>だから、「定義」じゃないってのに
だから、それは>>856に言ってやってくれ
「左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの 」
>>891が>>856なんじゃないのか? >>855
伊都国で常に治めると書かれてるから
首都ですよ。 >>890
>エビデンスは
>>877が示してくれているけれど、例えば史記の
涿鹿故城在山下,即黃帝所都之邑於山下平地。
涿鹿故城は山下に在り,即ち黃帝の都するところの邑は山下の平地なり
は、黄帝の都するところを示したものだが、黄帝は蚩尤を滅ぼして
天子になっているから、先君自体がいないぞ
単に、都は「天子の所在地」だよ
それに、説文解字の注では、先君の廟があるのが都で、ないのが邑と
いうことだったのに、ここでは黃帝所「都」之「邑」と、邑と都が
同じ場所に対して使われている
説文解字に頼って「都は先君の廟があるところ」と言い張ってもしょうがない >>896
>言い出しっぺは>>852 じゃないのか
>>852は「定義じゃない」と言っている側だ
「左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない 」 >>897
>伊都国で常に治めると書かれてるから
>首都ですよ。
そこに意図的な誤読があるんだよ
伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これを、主語は卑弥呼だと言い張るからおかしくなる >>901
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたいで意味が通じないし
一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は刺史の様なもので検察が仕事、女王国以北に居る
伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ >>901
激しく同意
伊都厨はいい加減論破されてることを自覚しろ。 郡治や州治なんてのもあるんだから刺史の治所は首都ではないでしょ
刺史の居城は州治だよ >>902
>これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたい
いや、伊都国は、女王国以北の国々の一つなんだから、
同時にというより「同じ場所」だろ?
何を言ってるんだ?
>一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は、諸国を検察することで統治権を行使してるんだから、問題ないだろ? >>902
>一大率は刺史の様なもので検察が仕事、
刺史の役割は、時代によって異なるから、その一部「検察」だけが仕事と
言い張るのはチェリーピッカー的言辞だよ
>女王国以北に居る
これは>>905で答えた
>伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ
ならばなぜ、魏志倭人伝で末慮国から伊都国に着いたところで
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
と書かれていないのか?説明できないだろ?
邪馬台国と伊都国が「別の国」として書かれていることを、無視した上での暴論なんだよ >>899
先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。 >>907
>先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
いや、「即黃帝所都之邑於山下平地」
黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
黄帝が先君ってはずがないよな?
無理に、最初に言ったことが正しいって言い張らなくていいよ
間違いは誰にでもある
>都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。
ごめん、これ、【正義】廣平曰の注記で、史記正義が元
史記正義は、唐の張守節(ちょう・しゅせつ)による『史記』の注釈書だよ
段玉裁も関係ない
でも、都が、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
これではっきりしただろ? >黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
>黄帝が先君ってはずがないよな?
黄帝は子孫からみて先君だろ >>910
>黄帝は子孫からみて先君だろ
いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
詭弁にもなってないぞ
間違いは間違いと認めていいんだって >いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
黄帝の都=子孫から見た先君の廟のあるところだろ、よく考えてみろ >>913
その用例で「都=先君の廟のあるところ」と解釈するのは曲解が過ぎるというものだ
誤読や勘違いの方がマシとしか言えないレベルに無茶 だから、説文解字に書いてあるのは用例の解説であって、文字の「定義」じゃないんだから、
無理にそこに書いてあることに合わせようとする必要はないんだって! >>916
>ホントアタマ悪いな
いや、頭悪いのは、>>907、>>910、>>913、>>916だぞ?
黄帝の子孫は天子になってないからな
黄帝は禅譲で血縁のないものに天子の座を譲ってるから
黄帝が「子孫からみて先君」ていうのは意味がない
いい加減に間違いを認めなよ
それを責めようってことじゃないんだから 用例の解説=使用実績でしょ
そこにも出てこないのは用例がないということでしょ
違うというなら用例出して さらに言えば、今問題になっている黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
>>916が先君だと主張する黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
都の涿鹿故城には、黄帝の廟もないんだ
これで間違いを認められるかな? ということで、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せたな 細石神社は先帝の宗廟だと思うけど、伊都はあくまでも王都の意味で名付けられたと思う。 >>901
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
○率は中央官僚の官位だからだ。 >>906
>東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
>と書かれていないのか?説明できないだろ?
間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、文脈としては書かれているんだよ。 >>924
黄帝の都の例は、京じゃなくて「都」と書いてあるよな?
説文解字に書かれている、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、
そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せただろ
伊都国が都って言うための根拠が一つ、根底からなくなるだけなんだから、
無理に抵抗せずに、素直に間違いを認めればすむことだよ >>926
>地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
一大率は刺史の如しと書かれていて、刺史は地方官であり居城は州治だ
ちゃんと根拠があって言っている
>○率は中央官僚の官位だからだ。
これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
根拠として弱いよ
刺史のようなはっきりした特定の地位を示す名詞ではない >>927
>間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、
間に、奴国と、不彌國と、投馬国の話が入っているのは、注釈でも修辞句でもないだろうが
別の国として書かれてるんだよ
>文脈としては書かれているんだよ。
「文脈としては」ってことは、「実際には書かれていない」ってことだな
書かれていないことを読まなきゃいけないなら、それは正しい読み方じゃないんだよ >>926
地方官の用例は残ってるけど中央官の用例なんて残ってないだろ、デタラメ言うなよ。いつもだけど 横からだけど、
お互いの地方官の中身が違うから、話が噛み合ってないよ
その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
あなたは中央政府の地方担当職務の官を 地方官とよんで、中央と地方のどちらの所属かは言及してない。 刺史は中央所属だけど地方に派遣される官職だから地方官だよ
所属は中央だけど勤務場所が地方、現代なら中央官と呼ぶのかもしれんけど
刺史と同様なら地方で働く官であり、勤務場所は中央ではない。首都で働く官職じゃないんだよ >>929
>>○率は中央官僚の官位だからだ。
>
>これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
>根拠として弱いよ
百済の官位で似た名前がたくさんある。
徳率とか。 >>932
>現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな
まあなんにせよ、都は先君の廟の有無とは関係ないってことで! >>938
つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ >>933
>その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
伊都国説の人は、一大率は中央官僚で、その一大率がいるところだから、
伊都国が都だと主張しているようなのですが、それは? >>939
>つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ
黄帝のところでさんざんやっただろ
黄帝の都するところには、黄帝の祖先はいない
黄帝が都を置いたところだ
同様に、卑弥呼の都するところ、も、
卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
卑弥呼の祖先の居処については「何の言及もない」
どうして九州説のやつは、きちんと論理的に否定された間違いを
認められずに暴れるんだろう? さんざんやったろ
黄帝自身が祖先だから
黄帝の祖先は必要ない >卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな >>940
そうよ?
私見では
あなたの言う方が妥当で
伊都国が首都は成り立たない。
中央官僚がいるところを都にしたら日本に地方とか存在しなくて辻褄が合わない。 >>942
>さんざんやったろ
>黄帝自身が祖先だから
>黄帝の祖先は必要ない
そして、黄帝の墓も廟もないのは確認したな
>>922
黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
黄帝の都の話をしているときに、黄帝が祖先だとかどんな話題そらしだよ
「都の定義は先君の廟があるところ、根拠は説文解字」ってのが、間違いだってのを
どうしても認めたくないんだなw >>943
>都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな
都は「王の居処」
「卑彌呼之所都」は、卑弥呼の居所だろ
卑弥呼が主体じゃなかったら何だ? >>948
>墓の話はしてないだろ
どこまで話をそらすんだよ?
もともとは伊都国説のヤツが、
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
っていってたんだぞ! レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。