九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】 [転載禁止]©2ch.net
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古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。 史記以降、普通に都は今の首都と同じ意味で使われてるってことでOK? よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
執筆時点からすると、すべて過去みやこだったとこなんじゃね まあ、語源や来歴を想像で書いてるんだから間違いや勘違いも多かったってことだわな 説文解字は今でもバイブルだけどね
説文入門
「漢字の成立と用法について分類した六書によって各字の本質的意味を解き明かす。
成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、
権威をもった基本的な字書として重んじられている。」 >>882
>よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
説文解字は後漢代の西暦100年成立で、史記と漢書は成立しているが、
四書五経やその注釈書から語義を採っているのが多いんじゃなかったかな >>856みたいに「用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの」だから、
それ以外の意味は認めない、的なことを言わずに参考にすればいいんだよ
三雲南小路遺跡があるから伊都国が都、なんていうのは暴論 結論は、邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である。
共立後の卑弥呼のいたのは伊都国でFA >>888
>邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である
これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
所都は普通に王宮を置いたところだぞ >>887
>それ以外の意味は認めない
誰もそんなこと言ってないと思うんだが
当時の意味・用法を知りたいだけなんだけどね >>889
>これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
>所都は普通に王宮を置いたところだぞ
こう言い切る根拠をぜひ教えてください >>871
>ニテは
>中国語で
>於
>字をつかうから
>ニテの出番はない
無駄に改行が多くて引用しにくいな
まあいいや
於に対応する書き下しでは「ニテ」を使うのを認めるんだな?
ならばまさに、
常治伊都國は、常治於伊都國を意味するんだから、「ニテ」を使うのは正統だろ?
於は、常に書かれる文字じゃなくて、省略されるときは省略されるんだから
そして、「ニテ」は「デ」に転化しうるんだから、問題ないだろ >>891
>だから、「定義」じゃないってのに
だから、それは>>856に言ってやってくれ
「左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの 」
>>891が>>856なんじゃないのか? >>855
伊都国で常に治めると書かれてるから
首都ですよ。 >>890
>エビデンスは
>>877が示してくれているけれど、例えば史記の
涿鹿故城在山下,即黃帝所都之邑於山下平地。
涿鹿故城は山下に在り,即ち黃帝の都するところの邑は山下の平地なり
は、黄帝の都するところを示したものだが、黄帝は蚩尤を滅ぼして
天子になっているから、先君自体がいないぞ
単に、都は「天子の所在地」だよ
それに、説文解字の注では、先君の廟があるのが都で、ないのが邑と
いうことだったのに、ここでは黃帝所「都」之「邑」と、邑と都が
同じ場所に対して使われている
説文解字に頼って「都は先君の廟があるところ」と言い張ってもしょうがない >>896
>言い出しっぺは>>852 じゃないのか
>>852は「定義じゃない」と言っている側だ
「左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない 」 >>897
>伊都国で常に治めると書かれてるから
>首都ですよ。
そこに意図的な誤読があるんだよ
伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これを、主語は卑弥呼だと言い張るからおかしくなる >>901
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたいで意味が通じないし
一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は刺史の様なもので検察が仕事、女王国以北に居る
伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ >>901
激しく同意
伊都厨はいい加減論破されてることを自覚しろ。 郡治や州治なんてのもあるんだから刺史の治所は首都ではないでしょ
刺史の居城は州治だよ >>902
>これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたい
いや、伊都国は、女王国以北の国々の一つなんだから、
同時にというより「同じ場所」だろ?
何を言ってるんだ?
>一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は、諸国を検察することで統治権を行使してるんだから、問題ないだろ? >>902
>一大率は刺史の様なもので検察が仕事、
刺史の役割は、時代によって異なるから、その一部「検察」だけが仕事と
言い張るのはチェリーピッカー的言辞だよ
>女王国以北に居る
これは>>905で答えた
>伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ
ならばなぜ、魏志倭人伝で末慮国から伊都国に着いたところで
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
と書かれていないのか?説明できないだろ?
邪馬台国と伊都国が「別の国」として書かれていることを、無視した上での暴論なんだよ >>899
先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。 >>907
>先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
いや、「即黃帝所都之邑於山下平地」
黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
黄帝が先君ってはずがないよな?
無理に、最初に言ったことが正しいって言い張らなくていいよ
間違いは誰にでもある
>都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。
ごめん、これ、【正義】廣平曰の注記で、史記正義が元
史記正義は、唐の張守節(ちょう・しゅせつ)による『史記』の注釈書だよ
段玉裁も関係ない
でも、都が、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
これではっきりしただろ? >黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
>黄帝が先君ってはずがないよな?
黄帝は子孫からみて先君だろ >>910
>黄帝は子孫からみて先君だろ
いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
詭弁にもなってないぞ
間違いは間違いと認めていいんだって >いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
黄帝の都=子孫から見た先君の廟のあるところだろ、よく考えてみろ >>913
その用例で「都=先君の廟のあるところ」と解釈するのは曲解が過ぎるというものだ
誤読や勘違いの方がマシとしか言えないレベルに無茶 だから、説文解字に書いてあるのは用例の解説であって、文字の「定義」じゃないんだから、
無理にそこに書いてあることに合わせようとする必要はないんだって! >>916
>ホントアタマ悪いな
いや、頭悪いのは、>>907、>>910、>>913、>>916だぞ?
黄帝の子孫は天子になってないからな
黄帝は禅譲で血縁のないものに天子の座を譲ってるから
黄帝が「子孫からみて先君」ていうのは意味がない
いい加減に間違いを認めなよ
それを責めようってことじゃないんだから 用例の解説=使用実績でしょ
そこにも出てこないのは用例がないということでしょ
違うというなら用例出して さらに言えば、今問題になっている黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
>>916が先君だと主張する黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
都の涿鹿故城には、黄帝の廟もないんだ
これで間違いを認められるかな? ということで、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せたな 細石神社は先帝の宗廟だと思うけど、伊都はあくまでも王都の意味で名付けられたと思う。 >>901
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
○率は中央官僚の官位だからだ。 >>906
>東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
>と書かれていないのか?説明できないだろ?
間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、文脈としては書かれているんだよ。 >>924
黄帝の都の例は、京じゃなくて「都」と書いてあるよな?
説文解字に書かれている、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、
そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せただろ
伊都国が都って言うための根拠が一つ、根底からなくなるだけなんだから、
無理に抵抗せずに、素直に間違いを認めればすむことだよ >>926
>地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
一大率は刺史の如しと書かれていて、刺史は地方官であり居城は州治だ
ちゃんと根拠があって言っている
>○率は中央官僚の官位だからだ。
これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
根拠として弱いよ
刺史のようなはっきりした特定の地位を示す名詞ではない >>927
>間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、
間に、奴国と、不彌國と、投馬国の話が入っているのは、注釈でも修辞句でもないだろうが
別の国として書かれてるんだよ
>文脈としては書かれているんだよ。
「文脈としては」ってことは、「実際には書かれていない」ってことだな
書かれていないことを読まなきゃいけないなら、それは正しい読み方じゃないんだよ >>926
地方官の用例は残ってるけど中央官の用例なんて残ってないだろ、デタラメ言うなよ。いつもだけど 横からだけど、
お互いの地方官の中身が違うから、話が噛み合ってないよ
その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
あなたは中央政府の地方担当職務の官を 地方官とよんで、中央と地方のどちらの所属かは言及してない。 刺史は中央所属だけど地方に派遣される官職だから地方官だよ
所属は中央だけど勤務場所が地方、現代なら中央官と呼ぶのかもしれんけど
刺史と同様なら地方で働く官であり、勤務場所は中央ではない。首都で働く官職じゃないんだよ >>929
>>○率は中央官僚の官位だからだ。
>
>これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
>根拠として弱いよ
百済の官位で似た名前がたくさんある。
徳率とか。 >>932
>現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな
まあなんにせよ、都は先君の廟の有無とは関係ないってことで! >>938
つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ >>933
>その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
伊都国説の人は、一大率は中央官僚で、その一大率がいるところだから、
伊都国が都だと主張しているようなのですが、それは? >>939
>つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ
黄帝のところでさんざんやっただろ
黄帝の都するところには、黄帝の祖先はいない
黄帝が都を置いたところだ
同様に、卑弥呼の都するところ、も、
卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
卑弥呼の祖先の居処については「何の言及もない」
どうして九州説のやつは、きちんと論理的に否定された間違いを
認められずに暴れるんだろう? さんざんやったろ
黄帝自身が祖先だから
黄帝の祖先は必要ない >卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな >>940
そうよ?
私見では
あなたの言う方が妥当で
伊都国が首都は成り立たない。
中央官僚がいるところを都にしたら日本に地方とか存在しなくて辻褄が合わない。 >>942
>さんざんやったろ
>黄帝自身が祖先だから
>黄帝の祖先は必要ない
そして、黄帝の墓も廟もないのは確認したな
>>922
黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
黄帝の都の話をしているときに、黄帝が祖先だとかどんな話題そらしだよ
「都の定義は先君の廟があるところ、根拠は説文解字」ってのが、間違いだってのを
どうしても認めたくないんだなw >>943
>都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな
都は「王の居処」
「卑彌呼之所都」は、卑弥呼の居所だろ
卑弥呼が主体じゃなかったら何だ? >>948
>墓の話はしてないだろ
どこまで話をそらすんだよ?
もともとは伊都国説のヤツが、
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
っていってたんだぞ! >>952
関係ないなら横ぐちは挟まなくてよろしい
こっちは、話の通じないヤツ相手で面倒な思いをしてるんだから
なんにしても
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
は、大間違いってことで確認できたな! >>951
>女王だろ
だ〜か〜ら〜、その女王の居処が都だって話だろ!
卑弥呼の祖先は関係ない! >>939
三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。 >>955
>三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。
昔の王墓があるところと、邪馬台国の都のあるところは無関係だってはっきりしたでしょ
奴国の須玖岡本遺跡D地点は無視ですか?
末慮国の、伊原鑓溝遺跡も王墓とされてるよ?
伊都国には限定されないね?
そして、いくら、末慮国、伊都国、奴国に200年も前の王墓があったところで
卑弥呼の都するところとは無関係だって、>>953までではっきりしただろ
もともと、説文開示の「説明」を『定義』だと言い張って始めた駄論なんだから、
先君の廟とかに、こだわればこだわるだけ、バカをさらすだけだぞ >>957
>都は一杯あるということが確定したな
王墓と都は、基本的に無関係
理解できますか?
倭女王が一人なら、倭女王の都は一つだよ
それが邪馬台国にある
伊都国にはない
それだけのこと
いい加減に>>843の
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これが間違いだって認めなさいな つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど >>961
>つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど
つまり、じゃないよ
これだから、九州説には論理がないって言われるんだ
卑弥呼の先祖がどこにいようが、卑彌呼のいるところが卑弥呼の都であり、
その卑弥呼の都のあるところが邪馬台国だよ
まあ、卑弥呼の先祖というか少なくとも数代前から大和にいたと思うがね >>959
>墓のことはもう誰も言ってないよ
「もう」ってことは、最初はそう言っていて、旗色が悪くなったから、
というか「間違っていることがはっきりした」から、「話をすり替え」て
ごまかし中ってことだね! >>964
こういう根拠なしの無意味な言い切りを見ると、
精神勝利法が大事な人なんだなぁって思う 伊都国が都っていうのの理由って結局、
平原1号墓が卑弥呼の墓っていう思い込みと
説文解字で都は先君の旧廟のあるところって書いてあるのを定義だって誤解したことの二つでしょ?
どちらも否定されたんだから、もう無意味だよね >>970
>何言ってんの?
無意味な一言レスで何か言った気になってないで、
主張があるならきちんと根拠とともに書いて!
ないなら、無能なりに黙ってればいいよ 九州説を理解せず批判しようとしても、訳の分からん主張にしかならないよ。 信奉者の数だけある九州説を理解するのは難しいが
根元を批判して九州説を潰すのは簡単だったりする 基本
博多湾岸は倭国の顔
九州にはそこ以上の国はない
しかし女王のいる邪馬台国はそこから遠い
九州説終了 >>969
「所都」が過去の都だというのは判明したんじゃないか レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。