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邪馬台国近畿説 [転載禁止]©2ch.net
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0001毛利凪
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2015/12/02(水) 13:23:43.39
「畿内」では狭すぎる。「近畿」でいきましょう。
0771日本@名無史さん
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2018/03/01(木) 17:55:24.79
102 本当にあった怖い名無し[sage] 2018/02/27(火) 19:15:49.42 ID:
>>101
いや、すべての証拠物がもう既に出土してる
1万%、邪馬台国の場所は確定されてる
いまさら言うまでもなく、奈良だ

徳川の埋蔵金場所も1万%確定しているが完全に無視されとる
何でもかんでも暴けばいいってもんじゃねえ

聖徳太子についても
いまさら教科書に載せないとか片腹痛いわ!w

ホント学者は使えねえ
0772日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 10:45:17.91
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
犯罪者キナイコシの、スレッドを荒らすやり方が、ますます悪質になってきているよ、、、
0775日本@名無史さん
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2018/03/16(金) 23:19:24.02
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。
0776日本@名無史さん
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2018/03/18(日) 09:07:40.04
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの延べ何百時間にも及ぶ大規模調査が実施された2013年以来、箸墓古墳を卑弥呼の墓とは、誰も言い張らなくなってきたね。。。
0777日本@名無史さん
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2018/03/19(月) 08:53:57.18
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、
0778日本@名無史さん
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2018/03/19(月) 11:25:28.64
ここにも巡回に来てるってことは、ニセスレってことかな?
0780日本@名無史さん
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2018/03/20(火) 12:21:18.57
荒らしだな。
0781日本@名無史さん
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2018/03/20(火) 15:21:53.55
いや、このスレ、機能してないじゃん
1日一回キウスが巡回してつぶやくくらいでさ
0782日本@名無史さん
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2018/03/20(火) 15:37:14.18
テンプレ付き基地外スレが自滅したらしい。
どうせ夜まで次のスレはないだろうな。
0783日本@名無史さん
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2018/03/20(火) 16:18:09.77
赤村のやつ、もっと騒げばいいのに
0784日本@名無史さん
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2018/03/20(火) 16:18:49.20
>>782
つまり君は九州説だね!

がんばれ!
バカの数は減ってるぞ!
0785日本@名無史さん
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2018/04/03(火) 15:32:12.62
卑弥呼の時代の奈良県て鉄がなかったというのは本当ですか?
0786日本@名無史さん
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2018/04/03(火) 15:37:04.52
本当です。
周囲の県が鉄器の時代に入っていても、奈良盆地は開発が遅れていました。
そんなところが邪馬台国であるわけがない。
0787日本@名無史さん
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2018/04/03(火) 16:20:28.17
海のない山に囲まれた湿地帯だったからね。 
さすがの忌部一族も後回しにせざるを得なかったようだね。  @阿波
0789日本@名無史さん
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2018/04/04(水) 17:06:49.42
>>786>>787
現実はあなた方の思い込みとは違うんだよ

縄文末期から、奈良盆地には集落遺跡が出てる
小河川が多く流れる平地というのは、可美葦牙彦舅尊の生まれ出る豊葦原千五百秋瑞穂國に
ふさわしい水田稲作の適地なんだよ
0790日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 17:32:29.93
遺跡の密度と質を考えろよ。
稲作の普及の程度も考えろよ。
圧倒的に九州だろ。
見苦しい。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 18:27:35.65
>>790
>稲作の普及の程度も考えろよ。
>圧倒的に九州だろ。

言い張るだけではなく、「根拠」を示してね!
奈良盆地は、水系ごとに拠点集落を中心とし、複数の随伴集落が従う社会秩序が
きちんと作られていたことが研究成果として公表されているよ
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」寺澤薫(2016)
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

それから、弥生末期頃の人口の推計については、こんなデータがある
なんか禁止ワードに引っかかるからいらない「@」をかましてあるから、
抜いて見てみてくれ
http://www2.ttcn.ne.jp/@honkawa/7240.html 地域別人口の超長期的推移
http://www2.ttcn.ne.jp/@honkawa/7242.html 地域別人口規模の順位の変遷
鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が
 揃ってシェアを拡大し、そのうち畿内周辺は全国1になっている。
 この5地域は平安前期には、やはり揃って地位を低下させている。
 ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
 養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」

畿内および畿内周辺の人口の厚みが、魏志倭人伝に7万戸と記された女王之所都でしょ
0792日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 18:53:33.73
>>790
結論だけ言い張るあなたが
一人だけ見苦しいです
0793日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 18:53:55.47
>>791


延喜式 出挙稲数

畿内 2,087,126
  山城 424,070
  大和 554,600
  河内 400,954
  和泉 227,500
  摂津 480,000

西海道 5,990,581
  筑前 790,063
  筑後 623,581
  豊前 609,828
  豊後 743,842
  肥前 692,589
  肥後 1,579,117
  日向 373,101
  大隅 242,040
  薩摩 242,500
  壱岐 90,000
  対馬 3920

どう頑張っても、北部九州を超えるのは無理だと思います
0795日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 19:32:18.02
>>793
>延喜式 出挙稲数

これいろんなところでコピペしてて、そのたびに論破するの面倒なんでやめてくれないかな
延喜式は平安時代で、時代が離れすぎ

弥生時代には、土木力の限界で深さ1メートル以上の河川は灌漑に利用できなかった
それ以上の大河川流域は開発が遅れるんだよ

そして、深さ1メートル以下の小河川が多数ある奈良盆地などが弥生末期に
人口が急増する

その後、奈良・平安と進むと土木技術も進み、筑後川流域も開墾が進んで
相対的に畿内周辺の人口で見たランキングが下がるんだよ

>>791の鬼頭先生の引用文中にも「この5地域は平安前期には、やはり揃って地位を低下させている」って
明記されてるだろ?

この平安初期の地位低下後の数字を出してきて、前からそうだったって主張するのは
無意味だよ
ある種のチェリーピッカーの論法
0796日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 19:50:39.02
>>795
>そして、深さ1メートル以下の小河川が多数ある奈良盆地などが弥生末期に

福岡や熊本には小河川がないと?
0797日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 20:08:32.02
福岡の中部や熊本平野は
適当に標高があるので
灌漑以前の稲作には有利。

灌漑技術が上がってから
福岡平野や筑紫平野に伸びていきますね。

奈良も初めは山周辺部にしか
集落遺跡はなく、
中心部の低湿地地帯は
古墳時代中期になるまで
遺跡が少ない場所ですね。
0798日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 21:41:19.54
こうやって口角泡を飛ばすばかりで、なんの根拠も出さないのが九州説
0799日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/04(水) 23:49:16.42
>>798
具体的に反論されているように見えるけど、野次っているのは畿内説の方だね。
0801日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 06:16:14.45
大きい平野、低湿地帯では、
堀を掘って、土を田畑に揚げて、
水路と田畑に分けて農地化しますが、

水は豊富なのですが
わずか1メートルほどの高さでも
水を人力で上げるのは大変なのですね。

そこで近傍の標高が高い川から、水門
水路を作って上から流し込むような
仕組みを作るのが普通です。

しかし広大な低湿地帯では
標高の高い川が遠くて水路を作るには
高度な技術が必要になってきます。

従って広い平野では、技術が伸びるまで
開発しにくい土地と言えます。
0802日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 06:20:22.70
朝倉の三連水車は川の水流で、
その1メートルほどを汲み上げるための
仕組みです。

人力でも揚げていたようですが、
どうしても限界がありますし
少しでも楽にしようとすれば
田畑と水面を近づける事になりますが
その分、水に浸かってだめになることも
多くなります。
0803日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:50:28.62
>>797
>灌漑以前の稲作には有利。

陸稲を意識しているのだと思うけれど、陸稲は収量が水稲よりも極端に落ちるんだよ
陸稲栽培では、大きな人口は支えられない

それに、菜畑遺跡を見ても、東北の垂柳遺跡を見ても、最初から水田稲作が
導入されている

甘木の平塚川添遺跡の環濠も水濠だろ?
国の発達と水利、治水は一体のものだ

弥生時代には、深さ1メートル以下の小河川流域がまず発達するのは動かないよ
0804日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:53:52.62
>>796
>奈良も初めは山周辺部にしか 集落遺跡はなく、
>中心部の低湿地地帯は 古墳時代中期になるまで 遺跡が少ない場所ですね。

きちんとした研究論文を読んでごらん
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」寺澤薫(2016)
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

奈良盆地の最初期の集落は縄文末期に、一番の低湿地の部分、
河内から大和川を遡って奈良盆地に入ったあたりから始まってるよ

思い込みでいい加減なことを書いてもムダ
0805日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 10:55:57.87
>>796
>福岡や熊本には小河川がないと?

福岡平野は、その条件が整っているから、奴国が北部九州で
最大の人口を持つ国に発達したんだろ?

それでも、二万余戸
熊本に七万余戸の邪馬台国が入るとは思えない
0806日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 11:05:31.35
奴国二万戸を含む福岡佐賀で七万戸。
まあ、熊本も五万戸くらい入るかもしれないが。
0807日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 11:35:11.03
>>806
>奴国二万戸を含む福岡佐賀で七万戸。

これがすがすがしいほど根拠ないよな
末慮国が4千戸
伊都国が1千戸
不彌国が1千戸
これらを合わせても6千戸で、奴国の半分にも満たない

他には、戸数が記載された国はないんだが?
国の領域の大きさは、末慮国、伊都国、奴国の並びを見ると、
一つの平野部が一つの国と対応すると見てよい

この他に5万戸以上の国(複数の合計でもよい)をどこに求めるんだい?
0808日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 11:53:45.38
川筋の話をしてもわからんよ
川は長いからどこの話をしてるか在地の人じゃないとわからん。

奈良の開拓は
最初は葛城金剛山麓でしょ?
そのあと三輪山に移って、その次に山の辺
御所氏、桜井市、天理市の順。
0810日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 12:33:37.60
>>809
あなたは寺澤さん本人か
弟子筋の人なんかね?

もの知ってるのはいいが
言葉使いに気をつけろ。
面と向かって話をするのに「逃げずに、」とか言葉使うのか?
0811日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 12:42:55.91
西日本全体の中の奈良盆地の隅の方がどうとか、馬鹿らしすぎる。
伊都国に駐在していた魏の使いに対応していた倭王権とはあまりにも縁がない。
纒向など大和の遺跡を邪馬台国に結びつけるのは荒唐無稽。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 14:33:06.12
>>810
>もの知ってるのはいいが

もの知らずがえらいはずはないよな?

>言葉使いに気をつけろ。

それを命令形で言うかね?
上からの物言いなのはどっちだい?

>面と向かって話をするのに「逃げずに、」とか言葉使うのか?

こういうけんか腰になると、議論はできないよなぁ
まずは、同じ情報レベルにしないと議論にならないだろ?
奈良盆地の中央部の開発が遅れるというのが、間違っているという指摘
ソースも根拠も示してあるから、まずは確認してくれ

自分の思い込みベースで難癖つけてないでさ!
0813日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 14:37:35.52
>>811
>西日本全体の中の奈良盆地の隅の方がどうとか、馬鹿らしすぎる。
>伊都国に駐在していた魏の使いに対応していた倭王権とはあまりにも縁がない。
>纒向など大和の遺跡を邪馬台国に結びつけるのは荒唐無稽。

個人の感想の域を出ていないよね?

きちんと「根拠」をつけて論じてくれ

纏向遺跡と出雲、吉備の間は、双方向の土器の移動が確認できる
吉備甕は、北部九州から畿内まで出土している

北部九州の土器は、畿内ではあまり出ないが、北部九州では畿内様式土器が
畿内第V様式から順に、畿内の土器形式の変遷に合わせて出土している
この部分については、ソースをつけておくから確認してくれ
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf
0816日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/05(木) 15:38:31.30
>>815
>エライエライ。よかったねぼくちゃん。

えらいと認めてくれてありがとう
でも大丈夫かい?
一度相手をえらいと認めたら、一生下位から抜け出せないんじゃないの?

まあ、九州説を支持している時点で、、、ってのはあるけどさ
0817日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/06(金) 21:38:05.09
結局、ソースをつけて論じ始めると「バーカ、バーカ」って
言いながらいなくなるんだよな、九州説は
0818日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/06(金) 21:48:03.29
引用がなってないからね。テンプレが散々自己陶酔してて気持ち悪いっていうのと同じ。ああこの人、、、。お察し。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/07(土) 19:19:10.13
>>818
>引用がなってないからね。

じゃあ、お手本の引用を見せてくれよ
そもそも、九州説側が根拠をきちんと示しているのを見たことがないんだが?
0820日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/08(日) 01:36:26.02
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/Q5Ifb-UXVic
0822日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/24(火) 11:52:41.93
土器の流れ一つを見ても、3世紀の北部九州は他の地域からの影響を受けることはあっても
他地域に影響を与える立場にないことが分かる
0823日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/24(火) 21:00:02.47
平原1号墓の大型内向花文鏡も、他所に何の影響も与えない、孤立した存在でしかない
0824日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/24(火) 22:04:05.54
皇室の祭祀に千年以上にわたり影響を及ぼしているよ。
0826日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/24(火) 22:24:22.15
首都だから各地の献上品が集中する

平安貴族が食器持って地方赴任しないっしょw
0827日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 00:14:28.55
>>822
文化を受容しただけ
流行だね

九州各地それぞれ進化をしながら流行

その核となる地区は那珂八幡
0828日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 00:27:04.34
>>824

>皇室の祭祀に千年以上にわたり影響を及ぼしているよ。


三種の神器の八咫鏡が平原と同じものならばそうなのかもしれない。
しかしそれは10代崇神以降。
崇神は手元にあった鏡を放逐した。
そして今は伊勢神宮にある。

崇神はなぜ手元にあった鏡を放逐したのか。

殺神者としての自分の姿が鏡に映ったからだ。
殺された神とは最後の大物主・阿田賀田須。
モモソ媛の亭主だ。

だから皇室は伊勢神宮を参拝しなかったのだ。
0829日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 00:38:03.29
金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるか。

繋がる。
和邇氏はトヨから始まる。

    事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津
     ┃            ┃
   大御気主          孝昭
     ┃            ┃
    阿田賀田須      天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命

和邇氏の末裔が天理市和爾で今も祀ってる神がいる。
古代出雲王国のラストエンペラー阿田賀田須だ。

わしが初めて和爾坐赤阪比古神社に参拝に行った時、
嬉しいのか、苦しいのか、喜んでるのかは分からないが、
その青白い蛇体がのたうち回っているのを感じた。
0830日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 07:19:27.08
>>828
>しかしそれは10代崇神以降。
>崇神は手元にあった鏡を放逐した。
>そして今は伊勢神宮にある。

というか、畿内に八咫の鏡を持ち込んだのはそもそも誰だ?
記紀にはまったく記載がない。
少なくとも神武ではない。
神武は天羽羽矢を身分の証明に用いているからだ。
0831日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 18:20:43.30
>>830
>少なくとも神武ではない。
>神武は天羽羽矢を身分の証明に用いているからだ。

神武が天羽々矢を示したのは、長髄彦が饒速日の天羽々矢を見せたから、
それに合わせたんだよ
饒速日の十種神宝にも鏡が入っているけれど、長髄彦はそれを示したりはしていない
戦場のことだし、矢と靫の方がふさわしいってだけだろう

長髄彥、卽取饒速日命之「天羽々矢一隻及步靫」、以奉示天皇。
天皇覽之曰「事不虛也。」還以所「御天羽々矢一隻及步靫」、賜示於長髄彥。

日本書紀も、きちんと読もうな!
0833日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 18:31:18.40
神武は都落ちしただけだから、三種の神器は持ち出せていない。
0834日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 18:43:18.06
邪馬台国近畿説は無いって。証拠に乏しすぎる。

卑弥呼は魏の女王、あるいは漢倭国の女王だから、物部氏と繋がりはあるかもしれないが。繋がりが無ければ、畿内は、北方騎馬民族渡来王朝。葛城氏、藤原氏、蘇我氏と縁が深い。

和邇氏は倭の気はあったかもだが。また、物部はユダヤ系と推測できるが、神器は十二種存在した。ちなみに倭人は人に委ねるユダ族だ。獅子の紋章が示している。
0835日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 18:49:35.35
歴史は、嘘を突いても意味が無いじゃん。卑弥呼、魏人の特性を考えると、一つの場所に留まったことは確実。
倭人(縄文人)の場合は、すごく移動する。移動して東北まで到達してたと思われる。
0836日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 18:53:23.26
倭人は稲作に適した土地を知ってるので、乾燥を避ける。近畿は乾燥地帯が多く、北方騎馬民が好む土地。北方騎馬民は区画整理して、一から開墾する技術を知ってる。また、雨を降らすテクも持ってる。祈祷してたかは知らないが。
0838日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 20:46:46.57
>>835
倭人が縄文人だとは思わないよ。
弥生時代こそ倭国の時代。
倭人は弥生人。
0839日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/25(水) 20:47:38.65
>>836
卑弥呼の時代の倭国には牛馬がいないと明記されているから、騎馬民族はいないよ。
デタラメ書くな。
0840日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 10:55:00.59
>>835
>歴史は、嘘を突いても意味が無いじゃん。

そうだね、そのとおりだ

>卑弥呼、魏人の特性を考えると

卑弥呼の特性って何? どこから分かるの?
魏人の特性って何? 大陸中原の王朝の人間の国じゃないよ? 倭国は?

>一つの場所に留まったことは確実。

これは単なる憶測だろ?
嘘ではないのかもしれんが、歴史で憶測を語っても意味ないぞ

>倭人(縄文人)の場合は、すごく移動する。

これが何を意味するのかが、意味不明
黒曜石の産地と分布を見れば、長距離交易を行っていたのは間違いないが、
関東の貝塚などを見れば、あれだけの貝がらの堆積を生じる間、ずっと定着して
干し貝の生産を続けていたのは確実

>移動して東北まで到達してたと思われる。

これも意味不明
縄文遺跡で一番発掘が充実しているのは、青森の三内丸山遺跡だが、どこかから
移動してきたわけではなく、定住集落だぞ
0841日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 10:56:36.54
>>836
>また、雨を降らすテクも持ってる。

すげぇなww
その技術を、今の中国共産党に紹介したら、勲章がもらえそうw

でたらめ書いてるんじゃねぇよ!
0842日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 16:22:48.55
お鏡さん、こっちには来ないのかな?

下げずに書けば来るかな?

「咫」が長さの単位として使われていたなんてのは、記録すらほとんど残ってないんだから
弥生時代も終わるころに、「咫」の長さを意識して鏡を作って、あまつさえ円周の長さを
鏡の名前にした、なんて大嘘もいいとこww
0843日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 17:15:07.75
お鏡さーん、このスレでも、円周を測って「八咫」なんてのは嘘っぱちって書かれてますよー

邪馬台国関連スレに投稿する人の中では、相当の知識を持ち、とても頭の良い人のはずのお鏡さーん

がんばって、お笑い書き込みしに来てくださーい
0844日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 18:34:41.88
>>842
はずがない、はあなたの主観でしかないよ
君の思い込みでしかない

当時の"日本"でどの様な意味で咫が使われていたか?
なんて文献に残っている訳ないしな

間違えちゃいけないのは"日本"で名付けられてる事
0845日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 18:49:25.41
>>842
>弥生時代も終わるころに、「咫」の長さを意識して鏡を作って、あまつさえ円周の長さを
>鏡の名前にした、なんて大嘘もいいとこww

でも出土した鏡の大きさが周八咫である不思議。
事実を前にして受け入れたくない畿内説の惨めな姿がある。
0846日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:09:03.30
>>845
>周八咫である不思議

不思議でもなんでもないよ?
そうなるように、恣意的に「咫」の長さを決めてるんだから、そうなるに決まってる

そもそもの誤解は、ウィキペディアの説文解字の誤訳
咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也
(咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、「周を計る尺度」なり)
でも、これまで何度も示してきたように「周を計る尺度」なんて意味はない

これと、『皇太神宮儀式帳』 の
御樋代一具 深一尺四寸 内八寸三分 
      径2尺   内「一尺六寸三分」
を平安時代以降の尺の長さとしていわゆる小尺(29.6センチ)で計算すると
48センチちょいになるっていうのに、原田大六氏が目を付けたこと

この御樋代の内径48センチと、平原1号墓出土鏡の面径46.5センチがほぼ一緒だから、
伊勢の御神鏡も同じ大きさだと思い込んだことが第二の誤解

でも考えてみれば、もし面径46.5センチの鏡を内径48.3センチの御樋代に入れたら、
ぎりぎり過ぎて、ふちに指も入れられず、御樋代をひっくり返すとかしないと出せない
御神鏡は布に包まれているともされているし、さらに余裕はなくなる

実際の、遷宮の際の御道具の実見記録では、御樋代のさらに内側に、口径一尺、
蓋口径九寸の「黄金鑵」があり、さらにその中に布に包まれた御神鏡が入れられている
とされている

内径「一尺六寸三分」の御樋代の中に、径一尺の「黄金鑵」が入るのは、
出し入れを考えると、これくらいが妥当な大きさの比率だろう 

続く
0847日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:17:38.17
実際にそういう鏡があったことは事実なわけで。
0848日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:20:57.05
>>846
>(咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、「周を計る尺度」なり)

円周をもとに咫を決めると、結果的にそれは八寸であり、尺が男子の手なら咫は女子の手に近くなる。
しかし、そんな中途半端な尺をわざわざ決めるわけはなく、周を測るために定義をしたが、その経緯を後世の人間が忘れただけと考えるのが合理的だ。
0849日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:27:24.06
>>846の続き
この時点で気づく人は気づくのだけれど、九州説のいう周八咫、64寸になるためには
九州説の計算では、面径が「二尺」でなければならない

でも、平原1号墓出土鏡と径がほぼ一緒の伊勢の御遷宮のときの御樋代の内径は
日本の度量衡では、「一尺六寸三分」だ

というところで、都合のいい尺として引張ってこられたのが、「漢尺」だ
漢尺は23.09センチだから、二尺で46.5センチに近くなる

でも、咫という長さは、漢尺の度量衡には入っていない
咫は周尺の度量衡にしかなくて、周尺なら一尺20センチ程度
咫は周尺の八寸だから、16センチくらいにしかならない
これだと、八咫で128センチくらいにしかならず、
平原1号墓出土鏡の円周の計算値、146センチには合わない

漢尺の度量衡には「咫」はないのに、「咫=周尺の八寸」を強引に
「漢尺の八寸」に勝手に置き換えて計算すると、147センチくらいになって
都合がいいってだけだよ

146センチに合わせて数字を選んでるんだから、合わなかったらおかしい

そして、漢や魏では、「咫」で長さを計っている例はない
さらに、伝承でも、「尺有咫」で18寸を表す、八寸の置き換えとして「咫」を
使う例以外で、長さの単位として「咫」を使っている例はなく、
「二咫」や「咫有寸」のような用例も一例もない

平原1号墓出土鏡=八咫を主張する人は、円周率を3.2で近似するための便利な
単位だというが、円周を「咫」で示した例は一例もない
円周を測るための単位だというなら、何はさておき円周の長さを「咫」で示す例が
あるはずだが一例もない
つまりは、二つの誤解から来る思い込みに、合う数字を探したってだけだよ
0850日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:33:59.97
>>848
>円周をもとに咫を決めると、

でも、それなら円周を「咫」で示す例がまず第一義であり、多数あるはずだが
現実には一例もない

古来、円周率の近似値として22/7が知られているのに、3.2などという荒い近似値を
わざわざ単位にしてまで使う理由がない

さらに、円周が、尺、二尺などでない限り、848のガバガバ仮説が正しいとしても、
「咫」の使い道がない
そんな極端に特異的な使い道しかない長さの単位などというものが、作られる理由も
余地もない

現実は厳しいね
数字合わせをした偶然の一例をもって、何かを論証しようとしてもムダだよ
一例では、クロスチェック(相互検証)もできないし、統計的な検定も
演繹的推論も、帰納的推論もできない

論にならないんだよ
言いっ放しを仮説というなら、まあ、完全な妄想でも仮説と呼ぶことは可能だ
でも、検証不能な仮説は、歴史学という科学の扱う対象ではない
0851日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/26(木) 20:39:06.07
三行で
0852日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 07:53:33.38
宗教儀式は伝統や所縁を重視する。
日常生活の尺貫法が変わっても、宗教用の尺貫を変えるとは限らない。
伊勢の鏡が径二尺(周八咫)でないのなら、それは鏡にどこかの時点でトラブルがあって、完鏡ではなくなっているということに他ならない。
それをもって平原の鏡が八咫の鏡でないとする理由にはならない。
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 07:54:40.70
>>850
>一例では、クロスチェック(相互検証)もできないし、統計的な検定も
>演繹的推論も、帰納的推論もできない

考古学ではよくあること。
それは否定する根拠にはならない。
0854日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 07:57:42.26
宮中の八咫の鏡は灰になっているらしいが、だからといって八咫の鏡としての役割がなくなったわけではない。
まして平原の鏡を人為的に破ったのなら、そのことに宗教的意味があったのであり、八咫の鏡であることを否定するものではない。

ていうか、天皇家の八咫の鏡も、伊勢と宮中の2枚あるじゃん。
八咫の鏡は複数枚作られたんだよ。
0855日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 09:30:24.12
>>854
クロスチェック(相互検証)もできないし、統計的な検定も
演繹的推論も、帰納的推論もできない
ってのは
説の成立を否定する根拠なんだが
0856日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 09:43:38.13
>>852
>宗教儀式は伝統や所縁を重視する。
>日常生活の尺貫法が変わっても、宗教用の尺貫を変えるとは限らない。

論点はそれだけじゃないんだよ
>>846の部分を再掲

でも考えてみれば、もし面径46.5センチの鏡を内径48.3センチの御樋代に入れたら、
ぎりぎり過ぎて、ふちに指も入れられず、御樋代をひっくり返すとかしないと出せない
御神鏡は布に包まれているともされているし、さらに余裕はなくなる

単に数値の一致だけを見ていると、こういうことにも気づかない
いろいろガバガバの、穴だらけなんだよ
「周八咫だから、八咫の鏡」説ってのは
0857日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 09:52:59.24
>>853
>考古学ではよくあること。
>それは否定する根拠にはならない。

主張するだけなら、サルでもできる
そして、クロスチェックできない論説は、弱い主張にしかならない

そして、考古学遺物ならば、One and Onlyでクロスチェックできないというのも
うなづけるが、今問題となっているのは、世の中に数多ある「大きさの測定」において
「円形物の大きさを周長で表したものが他に皆無」だ
つまり、「負の多重チェック」が既に行われている
それを無視しているだけ

さらに
「咫」を円周の測定に計った事例がない
「咫」を実際の長さを示すのに使った事例が、伝承中の一例のみで秦漢尺以降は一例もない
「咫」を複数形(二咫などの形)で使った事例がない
と、負のクロスチェックはてんこ盛り

それを、一例があると言い張っているだけ
ここまで負の実例が積み重なれば、その一例は「錯誤」であると判断するのが合理的

さらには、そのきっかけが、「周を計る尺度」という誤訳なのは明らかなんだし、
がんばればがんばるだけ、合理的考察のできない人ってのをさらすだけだよ
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 09:54:40.06
>>854
>ていうか、天皇家の八咫の鏡も、伊勢と宮中の2枚あるじゃん。
>八咫の鏡は複数枚作られたんだよ。

宮中の鏡は、形代としてレプリカを作ったときちんと伝えられている
オリジナルは1枚だよ

ただ、試作品はあるけどね
0859日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 09:58:00.11
>>855
>説の成立を否定する根拠なんだが

説として成立してないっていってるんだよ

まあ、それでも「妄想でも仮説だ」と言い張る人がいるから、
それはお好きなようにってこと

よく物事を調べる能力があって、合理的思考ができる人には
誰にも相手にされないけどね

逆に言えば、物事をまともに調べず、最初に出会った論説を
むやみに信じてしまう合理的思考ができない人は、騙せるかもね
0860日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 15:35:07.88
>>857
>そして、考古学遺物ならば、One and Onlyでクロスチェックできないというのも
>うなづけるが、今問題となっているのは、世の中に数多ある「大きさの測定」において

今のところ、確認できる八咫の大きさの鏡は平原のものだけなので、まさにOne and Onlyなんだよ。
大きさの測定の問題に振り替えないでほしいな。
周八咫の大型鏡が八咫の鏡と呼ぶにふさわしいかどうかだろ?
しかも八咫の鏡は唯一無二の固有名詞ではないと、自分で主張していたよね。
ならば皇室の持つ鏡の他に、倭王墓に副葬されたものがあっても不思議ではない。
しかもその墓に埋葬されていた王は女性で、時代は後漢の頃の倭国大乱より後なんだ。
さて、この墓に埋葬されていた女性の名はなんと言うのかな?

>>858
>宮中の鏡は、形代としてレプリカを作ったときちんと伝えられている
>オリジナルは1枚だよ
>ただ、試作品はあるけどね

形代の話はどこにソースがあるんだっけ?
試作品は日前宮と国懸宮の鏡のことだよね?
伝承には、はじめに作った鏡にキズがあったから作り直したとあるけれど、試作品と言うよりは同范鏡だろうね。
つまりその時点で八咫の鏡には同范鏡があったことになる。
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 18:29:00.23
>>860
平原の鏡が八咫だって根拠ないでしょ
結論ありきで言い張ってるだけ
0863日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 21:26:48.38
>>860
>確認できる八咫の大きさの鏡は平原のものだけなので、まさにOne and Onlyなんだよ。
>大きさの測定の問題に振り替えないでほしいな。

今問題にしているのは、「八咫の大きさの鏡」という言説そのものであって、鏡の存在を問題にしているのではない
「咫」という単位を使って測定しない限り、「八咫の大きさ」にはならない

だから、今問題にしているのはまさに、「大きさの測定の問題」なのであって
「One and Onlyの遺物」などという言い方で話を摩り替えているのが、伊都国論者の方

そして、「大きさの測定の問題」についての反論はできないってことでよろしいか?

それだけで、「平原1号墓出土鏡は「八咫の大きさ」ではない」ことがはっきりする
0864日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/27(金) 21:44:33.43
>>863
>「咫」という単位を使って測定しない限り、「八咫の大きさ」にはならない

咫という単位を用いるとぴったりで、他の方法ではぴったりにならない。
つまり、咫という単位を用いていたということだよ。
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/28(土) 16:58:11.22
>>864
>咫という単位を用いるとぴったりで、他の方法ではぴったりにならない。
>つまり、咫という単位を用いていたということだよ。

これが詭弁なんだなぁww
ぴったり合うような長さを、勝手に「咫」だと言い張っているだけ
漢尺には「咫」はないんだよ
「咫」は周尺の体系の中の長さであり、周尺の八寸

大陸の史書等から、「咫」の長さを調べてみる
清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》から引用すると
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
となっていて、
「周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、今は周尺の六尺四分を歩としている」
と書かれている

周歩は身体尺で、135センチ程度とされている
歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ

どちらにしても、漢尺の23センチとは異なるし、
咫が周尺である以上、平原1号墓出土鏡は、面径二尺にはならない
したがって、円周も八咫にはならないんだよ

九州説のいう「咫」の長さが異なっていたってことだ
この数値から計算すると、咫=八寸(周尺)=16.9センチ
八咫=135センチで、平原1号墓の146センチとは合わない
146センチは、8.63咫だね

都合のいい数字を恣意的に持ってくるのでなければ、こんなものだよ
「8.63咫」を「八咫」とは言わないだろ?
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/28(土) 18:32:40.42
倭国が独自の単位系を持っていたら困るのかねえ。
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/28(土) 19:07:06.94
>>866
べつに困らない
根拠にならないだけ
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/28(土) 19:09:09.12
1咫=0.25尺だと言われたほうが、まだ納得するけどなあ
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/28(土) 20:32:18.24
>>867
横だが、だから咫についてどんなに論じようと「肯定」も「否定」も根拠になり得ないよな

平原鏡に関しては「可能性がある」程度だから、その可能性の「否定」は尚更できない

「日本」での事柄だからな
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