現在の学者やマスコミの姿勢が、蠅とまったく同じなのである。
つまり畿内と九州のどちらに大きな勢力があったか、
というようなことを論じているのである。

で、纏向から大きな建物跡などが出るから、
纏向に大きな勢力があったのだろうと言い、だから邪馬台国は畿内で、
畿内に卑弥呼がいたのだろう、という見解だ。

しかし纏向には天皇の宮があったのだから、
そこから大きな建物跡が出るのは当り前のことなのである。
そこから何が出ようと卑弥呼がそこにいたことにはならないのだ。

要するに今の学者は記紀を信じていないから、
考古学等で三世紀の日本の支配勢力がどこにあったかを研究し、
纏向にあったようだから邪馬台国は大和だろうと言っているだけなのである。

たしかに邪馬台国は大和だ。しかし卑弥呼は大和にいたのではない。
卑弥呼は馬韓にいたのであり、魏と交流した倭とは馬韓のことなのである。

もう2chで四年も五年も前からポクはこう唱えているのだが、
誰一人耳を貸さない。だからもうあほらしくなって、
二年ほど前から他スレには出ないようにしているのだ。
尤もたまには顔を出すが(笑