倭の五王の正体についてじっくり検証するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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自分の考えとしては倭の五王のうち讃=『褒』田別と武=大泊瀬幼『武』以外は当てはまる天皇はいないと思う この説を説明するために前提として 天皇の在位年は古事記における干支が正しいのだとしておく 問題の時代における天皇(大王)は恒久的なものではなく、複数並立したり空位時代があるものであるとする 万世一系の演出のため、空位時代を埋める目的で追尊されたり、 はたまた大王としての実力があるにも関わらず認定されない権力者が多くあったことだろう そのため即位年数を厳密に記述して空位時代がないようにしてある日本書紀の紀年は後の創作だと断定できる 三国史記との一致から推定した応神天皇ことホムダワケの没年は394年。だが倭王讃の記述は413年〜425年 これは矛盾している様だが、実はカラクリがある (続く) 三国史記の地誌にのってる百済時代の旧地名に日本なんて出てこんがな わかってないやつがいるなぁ 禰軍墓誌の段階では日本ってのはどこでもないよ、 東の方を漠然とさしてた名詞がいくつもあってその一つにすぎない 墓誌では倭国や百済という現実の国名を避けて 架空の国々の名、日本とか扶桑とかを使ったにすぎない 山海経的な伝説の世界では 日本は太陽が昇るその場じゃなくてあくまでその近く 扶桑はまさしく太陽が昇るそのところ だから扶桑の方がより東のはてで、日本はそれよりちょい手前になる 禰軍墓誌が東のはてにあたる倭国を「扶桑」と書いて その手前(ちょい西寄り)の百済を「日本」と書いてるのは 伝説上の地名に乗っ取った当てはめなんだよ 従ってこの時点ではまだ倭国は日本に改名していないのが逆にわかる 倭国が日本に改名していたら日本って言葉を百済をさす意味には使わなかったろう あちらは起源説が大好きだからなぁ そもそも朝鮮の三国時代人だとか所謂弥生系だとかの民族って現代朝鮮民族と一切関係ないからな あれもこれも何でも自分たちの民族が起こしたことだとして大量にドラマを作り世界中にタダ同然で配ってるからたちが悪い 500年の年月をかけて900万人が4500万人になった日本、それに比べ500年かけても600万人が1200万人にしかならなかった李氏朝鮮 明らかに李氏朝鮮では半島内の漢民族と北方民族のみでの同族化が進んだ よって民族に多様性があった三国時代とその後の李氏朝鮮以降の現代韓国人は全くの別物 邪馬台国時代からヤマトを名乗ってきた倭が日出ずる国として日の本の大和と自称したのが日本の始まり 困ったら巨大コピペ貼るのはパヨチントンスリアンの性癖やね 朝鮮には歴史がある、朝鮮人が日本を支配していた、とか暗に言いたいんだろうが弥生人と朝鮮人って全く関係ないだろ 弥生人が朝鮮起源ならアジア圏は広範囲にわたり朝鮮起源になってしまうし古代の遺骨はサンプル少な過ぎて論外だろう 李氏朝鮮以前の雑多な民族が李氏後に特定の種族繁殖のみでじっくり均一化したのでいわゆる現代の朝鮮人は日本に対して功績ゼロです そもそも古代朝鮮族と現代朝鮮族に民族的繋がりはなくて 北方アジアのエベンキ族が移住してきたものだしな 文化的にも中国の影響は大きかったが国風文化育ってきた後は ほぼ独自文化であって朝鮮半島経由の文化伝播なんかない 日本人の起源 〜遺伝学電子博物館 http://www.nig.ac.jp/museum/evolution/02_e.html 特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析で も、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなった のである。 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_02.gif つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系 統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分か れ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統 のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌ が最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人 が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。 http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2014/05/21/dna.jpg http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s-IshidaFig1.jpg もし遺伝子的に同じなら なんであんなにみすぼらしい国のままなのかっていう疑問が湧いてくるな 水車は作れるようになったのか? お前バカだね 技術力が遺伝子で決まるなら四大文明の子孫以外は今でも原始人だろうよ たった一冊の原理しか書いてない書籍から反射炉を築いた日本人 実物を見ても水車が数百年間作れなかったトンスリア 日本人はみんな顔に多様性があるが韓国人はみんな同じ そこから見てもまぁ全然違う遺伝だわな わかったぞ 允恭天皇が新羅と親しかった理由 やっぱりあの時代筑紫と大和は別々の政権だったんだ 筑紫が親しいのは百済 なぜなら中国大陸へ行くための寄港地だから 筑紫と大和はお互いに攻め取りあう関係で 一方が強大になるともう一方を併呑する その統一は恒久的に続くものではなく、1代で終わりがちなものだ なんといっても当時は街道が整備されていなくて遠隔地の支配が難しいし、 筑紫には任那と百済という後背地があるのに対し、大和の後背地である東国は未開拓 大和朝廷は西にばかり兵を置くこともできなかっただろう 応神朝の崩壊後のgdgdから小康状態で近畿地方の支配を取り戻した允恭期の大和朝廷と筑紫の倭王の政権とは敵国同士 百済と新羅も敵国同士なので敵の敵は味方 よって允恭期の大和は新羅の味方 倭王珍に関しては本当に反正天皇かもしれないが、崩御年であるはずの437年の翌年に朝貢しているので 死んだのではなく大和を追い出されて筑紫に移ったとみれば納得できる というか「反正」という諡が既にもうヘイト丸出し! 明らかに大和人から嫌われてるって分かる 朝鮮人を叩く正義の味方のふりをして日本のルーツを中国に改竄する 情報操作手法のサギサギ湾豚サギ湾豚が湧いているみたいだな。 愚か者め 日本のルーツは日本列島内で独自にある 世界中のどこの民族よりも 日本人は文化的に豊かだ 朝鮮などという不毛の地から教わることなど 「朝鮮人とかかわるとろくなことがない」という教訓くらいだ Wikipediaでエベンキ族がエヴェンキ族とかに改竄されててクソワロタwww >>185 なるほど。でも、違うところもあると思うよ。百済は単なる寄港地じゃ なくて、元同一民族。半島南部から九州北部などにかけて存在した海の 民。或いは、漢族に圧迫されて逃亡した揚子江文明の末裔。呉越とか。 その人達が稲作を直接運んだのが日本の稲作の起源で、まだ当時の北限 から朝鮮北部からの伝播は難しいと思うよ。 そうでなければ、いくら鉄が出るとは言っても、あそこまで半島出兵を 続けた理由がわからない。東の大和と何度戦ったか記録上は不明だが、 合計100度近く出兵する理由は、父祖の土地や、故郷やしがらみなど も大きかったと思う。勿論、大陸へ行くのに重要な土地だけどね。 中国南朝→日本は2,3日でも着くが、逆は大変なのは遣唐使が証明し てるとおり。 >>194 韓国に木浦(モクポ)ってあるじゃん あれを木浦(こうら)って読んだらそのまま魏志韓伝の「狗蘆国」になんのよ 多分、日本語任那方言では木浦(クラ)って言ったんだと思う 同様に韓伝にある「蘆」がつく国名、あれらは全部日本語の「浦(うら)」だね >>194 おえい、ホラッチョ台湾ブタ広鼻半ニガー。 で、揚子江文明の末裔や呉越が渡来したという狂言を証明する証拠遺跡とその証拠文物は? で、揚子江文明の末裔や呉越が稲作を直接運んだのが日本の稲作の起源だという狂言を 働いているキチガイ学者の氏名とその所属団体は? . >>196 具体性のない北韓国狗の子が何をほざいてるのかね? わんわんわんwwwwww ほらほら君の大好きなトンスルと慰安婦だよ〜 もしかして朝鮮人って日本列島を追い出された民なんじゃね? 高句麗、こいつの「句麗」って部分 狗奴国や狗蘆国の「狗」と一緒だろ? アイヌ語のkur(人) 日本語では「木(き)」「城(き)」 朝鮮語の「골(村)」 これ絶対縄文人語だよね? 朝鮮人の先祖(ただしモンゴリアンにGo韓される以前)って日本製なんじゃないん? >>199 縄文人は、日本列島が朝鮮半島や樺太とほとんど陸続きだった時に渡ってきた人たちだよ。 朝鮮半島ではほとんどいなくなったけど、それでも地名は残る。 >>200 寒すぎて人間が住みにくい北からはあんまり入ってこなかったはず アイヌも肌の白いオーストラロイドと見れるほどのレベルで南方要素が濃いだろ >>201 アイヌは南方系だよ。寒冷地適応していないという意味で。古モンゴロイドだ。 だけど、それを言った埴原でさえ、列島に入ってきた縄文人は、北からと半島からがあっただろう と言っている。 北方の古モンゴロイドは、マンモスの狩猟をしていた。マンモスを追って、北海道に辿り着いたと考え られている。 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 東京大学大学院医学系研究科 総合研究大学院大学 ◆成 果:日本列島の3人類集団(アイヌ人、本土人、琉球人)間およびそれらと他の人類集団との遺 伝的近縁性を確定した。 ◆新規性:101年前に提唱されたアイヌ・琉球同系説を最終的に証明し、またアイヌ集団が本土人および 北方集団と遺伝子交流をしてきたことがはっきりした。 アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ 人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html >>202 古モンゴロイドってエヴェンキツングース北方顔とは対照的な顔した人種のことでしょ? マンモスハンターって顔凸凹だったん? まあアメリカ大陸の原住民だって南方的な顔いるから、あの容姿の人種もベーリンジアまで北上できたのはわかる気もしないでもないが 縄文人の鼻は西洋人並みの高さとの事。 南方にそんなに鼻が隆起した人種はいないが。 ニューギニア人とかアボリジニとか鼻高いだろ ええかげんにせい! ニューギニアとかアボリジニの鼻が高いと思ったことなんか全然ないが。 馬鹿が多いので、もう一遍言っておこう。 縄文人骨の鼻は西洋人並みの高さとの事。 縄文人骨の鼻は西洋人並みの高さとの事。 >>206 ニューギニア人やアボリジニは西洋人とも縄文人とも関係が無いぞ 沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館(科博)が、顔 立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下= から大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。 港川人は1967〜76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5〜9体分の人骨と考えられ、出 土地層は約2万年前と推定されている。全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではそ の後も発見はない。 顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、縄文人の祖先 は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合 して日本人が形成されたと考えられてきた。科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、そ の一環として港川人を再調査してきた。 CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとし ており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。現在の人類ならば、オ ーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。 縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考え られてきた。だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団な ど多様なルーツのあることが見えてきた。 新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文 人とは異なる集団だったようだ。港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布して いた集団から由来した可能性が高い」と語った。そ の後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限 定されたと考えることができそうだ。 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006280113.html 港川人が縄文人のメイン集団とは別なのは昔から言われてたからな >>197 おえい、ホラッチョ台湾褐色ブタ広鼻 4cm超級巨大タラコクチビリーデ。 で、揚子江文明の末裔や呉越が渡来したという狂言を証明する証拠遺跡とその証拠文物は? で、揚子江文明の末裔や呉越が稲作を直接運んだのが日本の稲作の起源だという狂言を 働いているキチガイ学者の氏名とその所属団体は? . >>219 おえい、ホラッチョ台湾褐色ブタ広鼻 4cm超級巨大タラコクチビリーデ。 で、揚子江文明の末裔や呉越が渡来したという狂言を証明する証拠遺跡とその証拠文物は? で、揚子江文明の末裔や呉越が稲作を直接運んだのが日本の稲作の起源だという狂言を 働いているキチガイ学者の氏名とその所属団体は? . >>222 おえい、ホラッチョ台湾褐色ブタ広鼻 4cm超級巨大タラコクチビリーデ。 で、揚子江文明の末裔や呉越が渡来したという狂言を証明する証拠遺跡とその証拠文物は? で、揚子江文明の末裔や呉越が稲作を直接運んだのが日本の稲作の起源だという狂言を 働いているキチガイ学者の氏名とその所属団体は? . 下トンスリアはとっとと上トンスルに支配されちゃってください! というかなんであんな隣接地に首都作ってんの?バカなの? >>225 南の方は倭人系が多いので南に首都は作れない 韓国はいまだに両班が支配する国だよ そのおかげで、弥生人が日本列島に逃げ込んだんだけどな。 未だに弥生系っぽい済州島は迫害されたり差別されてるけどな。一段劣った 人たちとして。あそこ住民投票で併合しようか。 倭の5王の名は中国人が聞いた倭人の言葉の音を中国語の漢字音に当てはめたんだろ? 音数が全く違うのは有り得ないだろ? 讃→多田野数人 珍→TNOK 済→野獣先輩 興→ブッチッパ 武→大坊恥 これが定説である。異論は許さない。 >>229 自称でそ 手紙よこす位には漢語達者なんだし 北九州掘ったら五王が使ってた文字の痕跡出てくるんと違うんか? どこかに五王がいたとしても日本には中国地方以東にももっと人はいたから結局どこの勢力がケンカ最強だったのかという話 >>229 「ヒミココ」とか変な名前もそのまま残してるから、自称しかあり得ない。 中国でも二字姓はあるし、字名は二字が普通。 日本の王の方が中国風にしたんだろう。そして、そんな文化は記紀ではでて こない。 >>199 なんかスルーされてるけど、そもそも高句麗の自称っつーか正式名称は高麗だぞ >>236 当初高句麗で後から高麗に変えたってきいたぞ カン丘倹碑文では単に句麗 高麗と自称するようになったのは長寿王の頃 天皇家って姓が無いっていうのが定説だけど 倭五王って外交用に倭を姓として使ってる 倭隋っていうのも使者で出てくるし多分一族なんだろうな やっぱ天皇家とは別の系統の王朝なのかな 倭の五王と天皇家が別物なんじゃね? それか天皇家権力が確立した時点で姓がなくなった >>240 九州王朝だろうね。 落ちぶれた分家が畿内に流れ着いて大化けした。 継体天皇の家系が「落ちぶれた」「流れ着いて」だと? どんだけアグレッシブな落ちぶれた分家の流れ着き方やねんwww >>242 > 姓はアメ 名はタリシヒコ// 隋書「俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌」とあり、姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌という。 『新唐書』卷220列傳第145 東夷 日本に「用明 亦曰目多利思比孤直隋開皇末 始與中國通」 新唐書は弁慶薙刀読みになってるね。 中国では一字姓が一般的なので、姓が阿なら、名前は目多利思比孤だな藁、といった処だ。 毎が目で置き換わってるのも態となのであり、チャンと理由もある。 孝安が天安、敏達が海達、推古が雄古、てのも態とであり、やはり理由がある。 >>240 > 天皇家って姓が無いっていうのが定説だけど 倭五王って外交用に倭を姓として使ってる// 倭王武または倭国王武なのだから、倭は姓ではないね。「倭讚」の時点では王に叙任されていないので、倭王讃ではない。 倭隋って、珍に従ってきた連中、くらいの意味じゃないかな。宋書の時点では随という国号も爵位も存在しないんだから、随は普通名詞に思える。 なお、讃珍済興武は、履中反正允恭安康雄略にあたり、祖禰は仲哀にあたる。 とある説によると、出雲の系統だよ スサノオの家の一族 日本海側〜東北 あの平安時代の話 「何々だと、ここに書かれている」というか 「スサノオが言った」という書き込みがあったでしょ 阿部 こういう名字は何なんだろう 凄く古い家なのでは? >>247 > とある説によると、出雲の系統だよ// 倭の五王が? 出雲って中国の史書には、投馬国としてしか登場してないよ。 張政が偶々立ち寄ったので記録が残ることになった。何故か? 行ってみたら肝心の邪馬台国が「更相誅殺、當時殺千餘人」といった状況だったからだ。 > スサノオの家の一族// スサノオって出雲の大国主の下にに流竄されたのであって、出雲とは関係のない神様だよ。 > あの平安時代の話 「何々だと、ここに書かれている」というか 「スサノオが言った」という書き込みがあったでしょ// そんな茫漠としたハナシにでしょなんて同意を求められても知らんがな。 違う違う 畿内の邪馬台国では戦争はしていない 倭国大乱の痕跡は九州でしか見つかっていないだろ 邪馬台国と女王国が別物、すなわち不弥国こそが卑弥呼の女王国であった証だ 「物部」が何やらと書いてあるでしょ、 その後、乗っ取られたという伝承があったり 『広瀬座』 伊達郡 川俣町 小手子の話 あの民家園だよな〜 「馬宿が」という謎の解説 ・馬場 ・小野 ・鈴木 『福島県民家園』 『広瀬座』に『市川』という名も見えるはず 『先代旧事本紀』偽書扱い 「俺よりも凄い家(歴史)があるのが嫌だ」という単純な理由だと思う >>252 > 違う違う 畿内の邪馬台国では戦争はしていない 倭国大乱の痕跡は九州でしか見つかっていないだろ// はァ? そりゃ私の>>251 に対してかね。 倭国大乱って「桓、靈閨C倭國大亂,更相攻伐,歴年無主」だろ。2世紀末の話だ。 「更相誅殺、當時殺千餘人」は女王卑弥呼から男王、そしてトヨちゃんに至る3世紀半ばの話だよ。 オメは全然ダメダメだね。 なお、魏志倭人伝では時間軸の特定できない倭国大乱を、范曄は後漢書にて「桓、靈閨vと特定して呉れている。 その前のクダリである「安帝永初元年,倭國王帥升等」も、極めて重要な補足だね。 > 邪馬台国と女王国が別物、すなわち不弥国こそが卑弥呼の女王国であった証だ// 九州王朝国なぞ存在しない。 >>257 それで反論のつもりか? 邪馬台国はそれが台与のときかその次かは知らないが 「女王」の居場所が移ったのだよ それは3世紀後半のいずれかの時期だ ただしこの「女王」とは中華王朝側から認定される女王のことで おそらく卑弥呼が九州で生きていた時代以前から畿内の邪馬台国には延々と女系継承の女王(とその配偶者がなる男王)がいた筈だ おそらく弥生時代のクニにおいて、男王と女王の役割は異なっていた筈だ すなわち 男王は国内の治安を守り、軍勢を率いて外征を行う 女王は生産物の徴収と再分配を司る 男系継承と女系継承の権力がかつては日本列島中にあった筈だろう それらは空白の4世紀の間、政略結婚による統合が繰り返された だからこそ、各地に言い伝えられる妻争いの伝説は熾烈を極めたのだ その最たるものが畿内の邪馬台国の女王権と日向の不呼国の男王権の合体だ http://yamado.up.n.seesaa.net/yamado/image/kuni.jpg?d=a1 不呼国はヒコ(彦)国=神武天皇ら天孫族の国、不弥国はヒメ(姫)国=神功皇后こと卑弥呼の国 この比定は偶然の一致ではないぞ >>258 > それで反論のつもりか?// はァ? 小莫迦にしただけですが。 > おそらく卑弥呼が九州で生きていた時代// 九州王朝国なぞ存在しない。 >>259 > おそらく弥生時代のクニにおいて、男王と女王の役割は異なっていた筈だ// 全て卑弥呼に委譲されたのが邪馬台国なんだよ。まぁ、実務は重臣達の参画もあったとしてもね。 >>260 >九州王朝国なぞ存在しない。 ソースなき反論は反論に値せず 女王国の卑弥呼が天皇家や邪馬台国と血のつながりがあるとは一言も言ってはいないぞ 万世一系を下敷きとして東遷などとうつつを抜かす九州王朝説なる妄言とは異なるものだ むかーしから万世一系なんて言ってる人はいないよ 言っている人がいるなら 「頭が、おかしいんじゃないのか?」としか言えない 王権のある土地は代ごとに移り変わる 2世紀前半の倭奴国、これを仮に、 今でいう福岡市を中心とする奴国が九州北部と山口に至る広い範囲を納めていた 「大奴国時代」だとしておこうか それが崩壊して「倭国大乱」が勃発 2世紀後半に倭奴国は統一を失い、いくつもの国に分裂 やがて宗像〜筑豊地方にあった小国の女王・卑弥呼が倭国代表に選ばれる これが250年頃まで続く「女王国時代」 卑弥呼の死後、再び内乱を経て台与が立つ おそらくは関門海峡の好古都国がその都 3世紀後半の「好古都国時代」 それと並行して瀬戸内の西端の「不呼国」 すなわち天孫族のウガヤフキアエズ朝から一人の王子が 瀬戸内の東端の卑弥呼とは無関係な女王が治める大国「邪馬台国」へと (おそらくは投馬国=出雲の彌彌那利(ミミナリ)=耳成(ミミナシ))激しい妻争いの末、婿入りする 陳寿の没年である297年までのいずれかの時期に帯方郡からの使者(その記録はない)がやってきて 邪馬台国の女王を倭王認定し、ついでに女王国以南=博多湾周辺以外の各国を回って名前と順番を記録した これが「邪馬台国時代」、すなわち大和王権の成立期 台与はおそらくこの時期に大和王権の王へ嫁に行ったのだろう もしくはウガヤフキアエズ朝の王かも知れないし 両方をとって日向から大和へ東遷した王なのかもしれない そのことを反映するのが第四代・懿徳天皇の后である天豊津媛命の名だ >>180 いろんなスレで何度も貼るからもうNGですわ。 1 人あたり約 14 万個所の DNA 塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明 病気のかかりやすさ、薬の副作用の有無は、私たちそれぞれで違っています。この 個人の体質の違いの遺伝的な要因を明らかにして、それぞれの人の特質に見合った治 療を行うオーダーメイド医療がスタートしています。心筋梗塞、糖尿病、関節リュウ マチなど、さまざま疾患の原因遺伝子を同定するために、ゲノム全体をカバーする 塩基多型(SNP)を使った関連解析が、わが国はかりか世界規模で展開されています。 わが国では、この研究の中心となっているバイオバンクジャパンが、約 30 万人の日 本人の DNA、血清を集め、情報基盤としての役割を果たしています。 この研究を推進してきた理研ゲノム医科学研究センターは、これらの情報を活用し て、大部分の日本人が2 つのクラスター、本土クラスターと琉球クラスターに大別で きることを明らかにしました。この結果は、従来から提唱されていた日本人集団の 「二重構造説」と矛盾しない内容です。2つのクラスターの間の SNP の頻度の違い は小さいのですが、耳垢のタイプを決める SNP や髪の毛の太さに関わる SNP の頻度 には明らかな違いがありました。また、本土の中でも遺伝的な地域差があることが 明確になりました。 http://www.riken.jp/ ~/media/riken/pr/press/2008/20080926_1/20080926_1.pdf >>267 > 人あたり約 14 万個所の DNA 塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明// 個体の情報から集団への帰属を推し量るのは無理だね。 >病気のかかりやすさ、薬の副作用の有無は、私たちそれぞれで違っています。この 個人の体質の違いの遺伝的な要因を明らかにして、それぞれの人の特質に見合った治 療を行うオーダーメイド医療か?スタートしています。心筋梗塞、糖尿病、関節リュウ マチなど、さまざま疾患の原因遺伝子を同定するために、ゲノム全体をカバーする塩基多型(SNP)を使った関連解析が 染色体上の有意な遺伝子と連鎖しまくってるというか有意な遺伝子そのものだなぁ すごく意味深な記述を隋書で発見 http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm > 開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕。 >上令所司訪其風俗。使者言倭王以天為兄、以日為弟、天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。高祖曰:「此太無義理。」於是訓令改之。 > 開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使を王宮に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。 >使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、 >日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。 「天」は九州の倭王、「日」は大和の天皇 「天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟」とはかつて九州に中央政権があったのを後発の畿内が奪取したという意味だろう 五王は大和が独立していたときも筑紫に拠って使者を送ったことだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる