すごく意味深な記述を隋書で発見

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm

> 開皇二十年、倭王姓阿毎、字多利思比孤、號阿輩雞彌、遣使詣闕。
>上令所司訪其風俗。使者言倭王以天為兄、以日為弟、天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟。高祖曰:「此太無義理。」於是訓令改之。

> 開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌、遣使を王宮に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
>使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。


「天」は九州の倭王、「日」は大和の天皇
「天未明時出聽政、跏趺坐、日出便停理務、云委我弟」とはかつて九州に中央政権があったのを後発の畿内が奪取したという意味だろう

五王は大和が独立していたときも筑紫に拠って使者を送ったことだろう