【家康没後400年】徳川家康のためのスレッド [無断転載禁止]©2ch.net
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没後400周年なのにスレッドがないようなので立てました。
真田丸でも散々なキャラにされてます。 糞漏らしのスカトロテロリスト家やっすー
クーデター成功しただけのカス。 『新発見で迫る戦国の謎』(TJMOOK ふくろうBOOKS/宝島社)
小牧・長久手の戦い中に家康が降伏を申請したことについての秀吉の書状
http://oz-k.com/news/shinhakkende-semaru-sengokuno-nazo 全国に、上級から中級の三河武士が拡散し、三河に臣従するシステムを構築したのは足利将軍家だろ
徳川はそれを継承しただけの話
急速に社会が安定したのは、武家社会のトップに三河の王が収まったからだ
猿吉一味はおままごとしていただけ
室町幕府樹立後(初期)の三河国の日本支配構造
【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木頼章
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・武蔵国守護:仁木頼章
・安房国守護:斯波家長
【畿内】
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏
・河内国守護:細川顕氏
【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆 ← 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経 【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・下野国守護:斯波頼兼
【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、仁木頼夏
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋義和
・石見国守護:上野頼遠、上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞
・伯耆国守護:石橋和義
【山陽道】
・備中国守護:細川頼之
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春
・安芸国守護:細川頼之
【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑後国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親 >三河バカ
まあ最終的には薩摩王と長門王が日本を統治するシステムが完成し現在に至る
三河システムというのは大朝鮮帝国みたいな絵空事 >>78
続き
【三河県幸田町】
■室町幕府
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
■江戸幕府
・深溝松平家:譜代大名家(三河国深溝藩、三河国吉田藩、三河国刈谷藩、丹波国福知山藩、下野国宇都宮藩、肥前国島原藩)、子爵
・大草松平家:水戸徳川家家老
・高力氏:岡崎三奉行、武蔵国岩槻藩、遠江国浜松藩、肥前国島原藩)、旗本家
・平岩氏:徳川十六神将、譜代大名家、尾張藩家老
・大草氏:旗本家
・長坂氏:旗本家
・夏目氏:旗本家、東京夏目坂、夏目漱石
【三河県豊田市】
■室町幕府
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
■江戸幕府
・松平郷松平家:旗本家(交代寄合)
・大給松平家:譜代大名家(三河国西尾藩、豊後国府内藩、美濃国岩村藩、三河国奥殿藩)、旗本家、子爵
・滝脇松平家:譜代大名家(駿河国小島藩)、子爵
・榊原氏;徳川四天王、徳川十六神将、譜代大名家(上野国館林藩 陸奥国白河藩、播磨国姫路藩 越後国村上藩、越後国高田藩)、旗本家、子爵
・三宅氏:譜代大名家(三河国挙母藩、三河国田原藩、伊勢国亀山藩)、子爵、東京三宅坂
・鈴木氏(三河鈴木氏):旗本家 >>236
難しいく考えるなよw
名古屋は鎌倉期から三河の植民地で、
足助氏と今川国氏の血を引く家康が、完全に植民地にしただけだろが
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期〜中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期〜南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる 甲陽軍鑑
・三河以東の東国武士はどこも強敵
・特に信濃勢は恐るべき相手
・武蔵武士は個人の戦闘能力が高い
・関東武士は騎馬戦を好む
・東海では三河が最強
・三河武士は戦慣れしている
・三河勢5千で関西勢2万に対抗できる
・家康軍の戦死者を見ると敵に背を向けている者は一人も居ない
・信長軍は数は多いが一兵、一兵は大したことない
・信長軍限定では美濃兵が最強
・尾張から都までの間では一戦ごとに我々と力の差が開いて行く
・尾張>伊勢>近江>山城(最弱)
・五畿内の侍は町人に似ている
・名将は元就、氏康、信玄、謙信、若手では信長、家康
・臆病な大将は大内義隆、上杉憲政、今川氏真
・今川家滅亡の元凶は上方浪人の武藤、のちの三浦右衛門
三方ヶ原御合戦に、討死の三河武者下々迄、勝負を仕らざるは一人もなく候。
その証拠は、むくろ此方へ転たるは、うつむきになり、浜松のかたへころびたるは、あふむきになり申候。
家康17,000 vs 秀吉100,000
三河出身の家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(磯田道史・岡山県出身の歴史学者) 韓国・朴槿恵の“獄中生活”が話題 山岡荘八の『徳川家康』を愛読中
http://bunshun.jp/articles/-/4692
裁判が開かれていないときは、山岡荘八の『徳川家康』(韓国版の書名は、『大望』)を読んで時間を過ごすという。
『大望』は韓国では1970年に全12巻で出版された。父の故・朴正熙元大統領の愛読書でもあった。 信康事件で懲りたのか、息子たちに対する感情が今一つハッキリしないですね 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
V09ES 【三方ヶ原の戦い】
徳川家康「もう無理や、最期は武士らしく特攻するやで」
夏目吉信「ふざけんな!(迫真)お前みたいな脱糞野郎の世話はもうごめんだ、二度と戦えないようにしてやる。兜と馬寄越せ」
夏目吉信「開き直る・・・ワイが家康や!(特攻)」
徳川家康「なんてことを・・・(感涙)」 「徳川様というのは、どのような男であった?」
「ああいうお方のことを、非凡なる凡というのではないでしょうか。」
「おお」
「己が凡人であることを踏まえ、決して驕らず、そのうえで
何をなすべきかをとらえ、やるべきことを積み上げていかれる。
凡なることを着実になしえてゆくお方は、やはり非凡なのではないかと。」
大河ドラマ「おんな城主直虎 第40話 天正の草履番」平成29年10月8日放送 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
HZ6 家康とは今川武田北条の東海大名の集大成にして最終兵器
織豊とは本来、不倶戴天の仇敵であり、お互いが滅ぼし合うまで戦う宿命にある
家康は織田に従い、織田側のフリをしていただけでその血脈は東海のもである
織豊は今川武田北条を滅亡させたが、それを継いだ家康に滅ぼされた
関が原はリベンジ桶狭間であり、当時の日本の東西の分断戦は尾張三河の間にあったのだ 家康ほどの超大物はいないのに平成では不当評価されすぎ 超大物過ぎて面白みが無いって事でしょ
評価が低いわけじゃないよ 面白みがないか?
まあ実は家康ほど文武両道を極めた超人もいない 結城秀康は鼻がなかったから養子に出された秀吉や家康から嫌われ者だったって話知らないでしょ >結城秀康は鼻がなかったから養子に出された
養子に出された幼少時から梅毒だったわけじゃないと思うんだけどな。鼻が欠けたのは梅毒のせいでしょ? 大御所って誉めたりして使うけど、
まあ いちいちも考えないけど原義を考えると
最初は家斉のことを指していっていたと教科書に基づくとそうなるみたい
と言うことは無能って意味だよね
まあ五右衛門の「絶景」にしても、いちいち原義を考えていわないもんだけど 平凡社の「中世から近世へ」シリーズ「徳川家康」は良書でしたね。
で、皆さん、近刊の「徳川家康の神格化」は読んでいますか?
野村玄氏の前作「豊国大明神の誕生」が秀逸だったので期待していましたが、
「悪い」とは言えませんが、宗教話色が強くで読解困難なので、私はスルーしました。 >>275
家康に続いて「徳川秀忠」も出るね
2ヶ月連続発売だ 人物叢書「徳川家康」出たね
平凡社、ミネルヴァ、3冊揃えた人はいる? なんで柴田と同調しなかったの?
そしたら勝ってたのに
柴田と同調しても、柴田の天下になるだけっていっても
秀吉よりずっと高齢だし倒しやすいだろ 所JAPAN【江戸城の謎調査!会いに行ける将軍?家康が東京に残した仕掛け】 >>278
家康としては織田家の内紛なんてどーでもよくて
むしろ旧武田領を自分のものに出来るかどうかだけが重要だったっぽい。
柴田や羽柴も家康に助力は請わなかったんじゃないかな?多分… 俺のイメージでは「徳川家康=三河岡崎」のイメージが強いんだけど、
家康は隠居後は江戸から駿府に移って、駿府で余生を送ったんだよな
もちろん、駿府では人質生活を送っていて、それはそれで思い出深い土地
だったんだろうけれど、「あれ?岡崎は?」って気にもなる
上の俺のイメージは子供の頃に読んだ山岡荘八原作、横山光輝作画の
「徳川家康」7〜8巻の印象が強かったため 家康は駿府時代や義元について多く語ってるが
岡崎時代や信長については殆ど述べていない ブルーインパルスを東京上空にまた飛ばし医者に観戦させろ
いつやるの
今でしょ! 大石大三郎は女狂いで鼻が欠け
浅野の血を引く女房を離縁したため広島藩に罰せられた >>1
遅レスだが、同感だな。
家康の400回忌なんて目立ったイベントはやっていなかったような気がする。 家康は人生の大半を駿府で過ごした人。
岡崎で生まれてはいるが、すぐに今川義元の人質(近習出頭人=見習い)となり(途中で織田の清洲に売られ、若き信長に同情されるも、すぐ人質交換で駿府へ)、義元軍師・雪斎の下で大名としての教育を受け、今川義元が烏帽子親となって、静岡浅間神社(駿府城のすぐそば)で元服して松平元康となっている。
浜松に入るのは桶狭間の後。清洲同盟を結び、そこへ武田信玄が攻めて来るも、信玄の死で九死に一生。
信長を烏帽子親として嫡男を元服させ、信康として岡崎に入れるも、武田と内通した生母・築山殿の巻き添えで、信康は信長に切腹を命じられてしまう。
その後本能寺の変(神君伊賀越え)を経て、浜松に戻り、小牧長久手のどさくさに紛れ、三遠駿に甲信を加え、五カ国を領有、駿府に移る。
秀吉の小田原攻めで関八州に国替え、関ヶ原後に駿府に戻り、死ぬまで過ごす。
とにかく家康の人生は、駿府に始まり駿府で終わる、と言って良い。 ♀_(`O`)♪
あなたも私もアベコロナ
あいつもコイツもアベコロナ〜 家康って話題にされないけど、三河、遠江の2か国だけの大名だったのに、武田滅ぼして
駿河やっと手に入れた途端、信長死んで大混乱になった時にあっという間に
甲斐信濃を手中にした事。
当時周りにいた上杉、北条と比べると、家康は格が下がると思うけど一番領土を手にしたのは
家康だった。
武田の家臣たくさん匿ってたのもあるだろうが鮮やかすぎるな。 >>296
木曽と真田信之を引き入れて一気に切り崩したのがでかかったと思う
利家の死とか運が良かったのもあるけど家康は誰を取り込めば旧臣を配下に入れれるかを熟知しているわ、三河一向一揆の家臣反乱の経験なんだろうな。 >>296
だから本能寺の変家康黒幕説を言われるんだよな
信長が死んだ途端これまでにない猛烈なスピードで出陣して
織田家が所有していた旧武田領を占領するとそのまま織田家に返さず
豊臣政権では豊臣家に次ぐ天下のナンバー2に >>301
実は家康と有楽が描いた絵だったりしてな
家康が絵を描いてたなら織田本隊の人間と内通してないと書けない
でどっちかが光秀を焚き付けて攻めれば予定調和と >>302
家康は織田家から奪った土地を有楽斎に分配してないからそこは違うだろ
本能寺の変を知っていながらみすみす当日も信忠と一緒にいた有楽斎も間抜けだし >>303
家康はその辺頭が回りそうだから何らかの裏取引はしてそうだと思うんだよね、証拠は残さない的な何らかの確約は取ってると思う。有楽と信包が家康とえらい仲が良かったのも怪しい。 徳川って、平家寄りか源氏寄りかわからんよな。
平家の末裔である伊勢氏のお抱え武将で、松平の苗字にも平って付いてるのに源氏の新田の流れを汲んでいて、群馬県の新田庄にある得川という地名にちなんで徳川だし。
矛盾はしないが、胡散臭い 家康って江戸と駿府の印象が強いけれど、個人的には三河岡崎をもっとプッシュしてほしかったわ
将軍職を退いて駿府に隠居したけれど、三河岡崎は嫌だったのだろうか?
人質時代を過ごした駿府にそんなに郷愁があったのだろうか?
そこのところ、詳しい方の見解はどうですか? 渋沢栄一の生家のある血洗島、新田荘や得川、世良田のご近所だな。 >>307
家康個人はそれほど今川家の連中を嫌っていないのでないの?
今川義元や氏真を嫌っていないのでないの? >>309
氏真には虐められたり嫌味を言われたりってことはあったみたいだけど、
結局力を持ってからも氏真を殺したり、追放したりしなかったしね
しかし、三河岡崎の印象ってどうだったんだろう? 家康って日本史上伝説の火事場泥棒だろ
義元、信長、秀吉の死後数年だけめちゃ頑張った
その結果幕府まで開いた
そして自分の死後誰かに同じことされないよう入念に準備して死んだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています