【文禄】 秀吉の朝鮮征伐 【慶長】 [無断転載禁止]©2ch.net
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【バカウヨの政策】 竹槍訓練 神風テロ 九条破棄 【センソー儲かる】
【日本の金正恩】 安倍寛信 【安倍晋三の兄】
三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
どうも日本人のレベルの低さというのは、第2次大戦において、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、
日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。核兵器自体が今の世界では使いものにならないのです。
宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ、宇宙人の存在を公表しなさい、60年の猶予を与えましよう。
ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8
火星の人々は地球人よりも小さく、火星には実際、私たちの惑星よりも多くの人々がいます(90億人)。
NASAは、無用な組織とされることを恐れています。マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。
【天才!志村どうぶつ園】 なぜハイジは動物と話せるのか? 【マイトレーヤの世界演説】
テレパシーによる世界演説は英国BBCが放送
https://www.youtube.com/watch?v=6cOvo6n7NOk
マイトレーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行している。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。 【韓国】 豊臣秀吉の侵略軍を撃退した「亀甲船」、世界7大軍艦に選定〜米海軍研究所[04/10] [無断転載禁止]c2ch.net
ttp://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1460345492/-100 一部は満州の広大な平野まで到達したわけで、
日本と全く異質な風景をどんな思いで眺めたんだろうか
情報も殆ど無い時代、貴重な海外の体験だったろうなぁ 考えてみれば加藤清正って、日本人はもちろんのこと朝鮮人、明人、女真人とも戦った経験があるんだよな
そんな経験豊富な大名他にいなくね? 太閤殿下は、
加藤清正を任那日本府大守とし、防衛戦に専念すべきだったな。
鉄船を増産し、
明とは海上決戦で決着すべきだった。
惜しいな。 鴨緑江付近まで進軍してみて
朝鮮のあまりの貧しさ産物の少なさに絶望したっていう
報告があった気がする。
中華秩序から目を覚ますには良い体験だったんだろうな
狩野派や城郭建築を見る限り文化的にも建築的にも圧倒的に日本が上だわ 秀吉というより信長の計画だがな明征伐は
秀吉は何でも信長の真似するから秀吉の政策みれば信長の考えていたことがある程度わかる 実家の近所の寺に朝鮮征伐の時に持ち帰った鐘がある
そろそろ返還要求されるのかな 歴史群像 No.137
2016年6月号
■ 第二特集
文禄の役の掉尾を飾る殲滅戦
晋州城攻防戦
文禄の役緒戦、快進撃を続けた日本軍。しかし、明軍の参戦で平壌から敗退、漢城周辺で膠着状態に陥ってしまう。
秀吉は、大明侵攻から朝鮮南部の支配維持へ戦略を転換朝鮮軍民の抵抗拠点・晋州城の攻略を命じる―。
http://rekigun.net/magazine/index.html >>10
オランカイに入ったといってもせいぜい延辺までなので広大な平野というには程遠い模様 それでも、その後400年無かったわけで
過小評価する必要もないんでないの。 女真の襲来に悩まされていた現地の朝鮮人が加藤清正に協力しててクソワロタwwwwww
やっぱり日本軍の占領は善政じゃねーかwwwwww 当時の風習を考えると朝鮮半島の若い男児は・・・変なことされてそうだけど
記録に残っていないのかな?侍に刀だけでなく・・・と 歴史群像 No.139 2016年10月号
■ 第二特集
講和交渉決裂! 日本軍再侵攻
慶長の役 全羅道平定作戦
東アジア征服を目指した豊臣秀吉の「唐入り」戦線は膠着し、日明両国は講和を模索するが、
欺瞞に満ちた講和交渉は遂には破綻。朝鮮南部を舞台に戦争が再開される!
http://rekigun.net/magazine/ 豊臣秀吉はイエズス会の宣教師を通じてフリーメイソンに加入して居たので
ポルトガル・スペイン・オランダのメイソンリーに依る中国侵略を補助する為に
朝鮮半島を蹂躙して通過し明の正規軍に勝利して満州族の中原への侵入を導いた 朝鮮はかつて島津や毛利に
武器や兵糧を提供して、豊臣打倒に加担した。
そのことが、秀吉の怒りをかって朝鮮出兵につながった。
・・・・という説が秀吉びいきの間であるそうな。 朝鮮人の敵、プンスン・スンギル
ちゃんと日本語で読めよw 【動画】KBSニュース
[その時のそのニュース]「対馬は韓国の地」日本古地図発見
入力2017.02.14(07:03)| 修正2017.02.14(07:58)
ttp://news.kbs.co.kr/news/view.do?ncd=3428296
現在、長崎県に所属されているテマド(日本名対馬)。 ところが、対馬が韓国の地だったことを認める内容の、日本人が作成した古地図が21年前の1996年に発見されました。
この地図は、壬辰倭乱が始まる1592年、韓国を侵略したプンシンスギル(豊臣秀吉)が家臣に命じて作られたもので、独島と対馬島が私たちの領土と明記されています。
新羅の時から私たちの領土であったことが知られている対馬。 しかし、いつ、どのよう日本に編入されたのか明確でない状況ですが。 独島と関連して続く日本の妄言を防ぐためにも、隠された歴史を明らかにする作業が必要になります。 日本書紀や魏志倭人伝や三国史記にある通り対馬は日本領ニダ 秀吉も自分が明の皇帝の臣下だという自覚はあったと思う。 >>35
あったと思う。だから、日本の地位の低さを理解していた。
(華夷秩序に関しては、日本は最下位に近かった。
当然、李氏朝鮮より低い。また、華夷秩序が今でも有効なら、日本は
北朝鮮、韓国は論外、モンゴル、ベトナム、カザフスタン、ウズベキスタン
よりも地位は低い。)
だから、秀吉は民に反乱を起こし明から独立することで、この事態を
打開を図ったのだと思う。 >>37
そういう意識が無いから朝鮮出兵して、明と戦争しようとしたんだろw
朝貢国という立場を取るつもりなら、2度も朝鮮には出兵しないわw
足利義満と同じように”日本王”と言う立場でもっと穏やかに付き合ってたろう。
そもそも秀吉は内陸の足軽家出身で無学だから、過去の日本の歴史などあまり知らなかったろう。
だから、”中国の臣下になる”などという考えは毛頭なかっただろうね。
というか、西洋文化に接した戦国期の日本人の多くはそんな中国が勝手に作った序列なぞ、儒学系の学者以外は糞食らえと思ってたろうし。 秀吉自身が文禄の役のときに提示したが、小西行長に握りつぶされた和平条件には、
明の皇女の降嫁と勘合貿易=明への朝貢の復活があるんだが。
秀吉には自分が明の皇帝の臣下という意識はあったよ。 >>40
それは建前としてだろうね。
2度目の出兵は、明が臣下として扱った和平案が不満だったからだろうし。
強ければ、序列も当然上に来るだろう、というのが秀吉の本音でしょ。
あのまま続けてれば泥沼になるのは必至だったろうけど。 講和条件の内で明に対するものは以下の3つ
明の皇女を日本の皇室に嫁がせる
貿易の実施
日明両国の大臣が互いに誓詞を交換する
これらは日本が明に臣下になるという秀吉の認識ではなく対等を意味するもの
そして朝鮮に対しては実質的に日本の臣下になることを求めていた
もっとも秀吉はあまり和平には期待しておらず再戦を望んでいたのが実態 〜日本の本質、度しがたい好戦性〜(藤木久志「雑兵たちの戦場」より)
秀吉が死に、朝鮮から撤兵した翌年の1599年、スペインマニラ総督アリョが国王あてに軍務報告。
「朝鮮に持ち出された日本の巨大な戦争エネルギーは、次は東南アジアに向かって押し寄せ、
すでに存在する日本人傭兵や奴隷たちも、呼応して反乱を起こす恐れがある。」
マニラ総督がたとえ一時に模せよ、そう緊張したことは事実である。
同じころ、詳細な中国報告をまとめた、スペイン人のメンドーサの日本観も鋭い。
「内戦の止む時のない日本人は、耕作や播種よりも戦争に熱中して、たえず武芸と略奪に鍛えられていて、
これまでに幾度も中国やフィリピンを襲い、近隣諸国に恐怖を与えている」
と語っていた。
実はもっと早くからルソンには、しばしば日本人来週の警報がもたらされ、
さらに秀吉が天正十九年から文禄二年にかけて三度も、原田を使者として入貢を求めたことで、
ルソンはいっきょに緊張を高めていた。
すでに1582年6月、マニラ総督は、国王に
「日本人は、この地域いおいて、もっとも好戦的な人民である」と報じていた。 そりゃ、軍事的にスペインの植民地領に攻勢をかけうるのは当のスペイン領に
傭兵団も出してる日本くらいだから、植民地総督としては当たり前の認識だろ。 好戦的でなかったらインカやアステカみたいになっただろーが。 http://blog-imgs-44.fc2.com/r/o/c/rocky96/2010062820141111b.jpg
例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵を朝鮮侵略と記す教科書を開き、
「うそ。明、次にわが国を侵略しようとするスペインの野望に気付いた秀吉が危機感を抱き、
機先を制して明を征服する前提として朝鮮から攻めた。侵略は歴史的に正しい表現ではない」 いかなる理由があろうと明や朝鮮にとって侵略なのは間違いない
正当を主張する連中も日本がその立場になれば侵略というはず >>48
近代的な"侵略"の概念なんか無意味だわな
元寇なんかも「真っ当な秩序に組み込んであげるから王威に服せ、とりあえず流血は避けたいから手紙でな」って感じなんだろうな
首脳部が略奪上手な親分だった記憶バリバリの元ですら悪気なくやってるわけだし
秀吉が明を切り取るために朝鮮を通る事に近代的"侵略"の概念なんか意味ないとは思う
韓国併合や日中戦争みたいに大義を取り繕う必要もない 大義とは成功
だから失敗は豊臣家の正統性をも揺るがす 最後の時点になると戦争目的は実質的に敗戦後も豊臣政権を維持するための腐心にシフトしている >>47
1500年代後半当時、言うほどスペインの脅威は感じてへんやろ
当時の欧州列強なんて台湾とかフィリピンとか
縄文時代か弥生時代かよくわからん地域しか占領できてない
ただ伊達政宗がスペインに一緒に日本征服しようなんて手紙送ってる辺り
過大評価はしてたんだろうけどさ。
スペインから態々艦隊を送っても20万石レベルの大名に勝てるかどうかも分からん オランダとかポルトガルがスペインの悪行を広めてたから
過剰に恐れられていたんだろ。 情報が無いし上手く行かんもんやな
秀吉が宣教師や倭寇の情報から察するに明や朝鮮って処女の女みたいな弱い連中らしいな!攻めたろ!
実際当初はその通りで圧倒的内容で連戦連勝だったけど、李如松みたいな倭寇や宣教師が知らない、
蒙古や女真とバチバチやりあってる連中と激突すると途端に戦線が膠着しちゃうし 明を取るには数代かかる。
秀吉の政権基盤が弱いのが本格的に明侵攻できなかった原因。
慶長の役で穀倉地帯の朝鮮南部をガッチリ抑えてたんだから、
秀吉が少し長生きで政権基盤が盤石なら、そこから息子、孫の代
に本格侵攻できただろう。
なんなら、家康から関東を召し上げて朝鮮南部に転封しとけばよかった。 >>55
なお、ヌルハチは1代で明を滅亡させた模様 >>57
明が滅んだのはその子のホンタイジの代だぞ
ヌルハチ自身は紅夷砲に吹っ飛ばされて死んでるし 女真は明内部の分裂につけ込んだてのは、なんか知られて無いよな。
まぁ、南明を滅ぼしたのは女真には違いないんだけど。
人口100万ほどの女真で大陸の情勢が朝鮮出兵から半世紀でそうなったんだから、
日本が朝鮮南部を確保してたら、その後の情況は大いに変わっただろうと言うのは
何の不思議でもないわな。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
MTGC9 和平破られて背後から襲われたのを返り討ちにしたのに敗北になる理屈を誰か教えてください 朝鮮征伐記にも日本勝利と書いてあるが
この史料は朝鮮征伐の戦後すぐに著されたものなので信頼性は高い >>66
朝鮮征伐記によると小西が明朝鮮水軍を撃破ったことになっている
その史料は確かに貴重な史料なんだが、著者の堀杏庵は朝鮮に渡ってない事もあり
露梁海戦に関しては他の史料と辻褄が合わないよ >>69
多少の記憶違いはあっても日本が勝利したってことは間違わないだろ >>70
小西が参戦してないと厳しいよ
敵大船にて相戦候故 被召負立花殿人数過分 被相果候 此方人数も舟を被焼割(伊勢貞昌覚書)
御家の衆も少々敵船に乗りて返らず(川上久国雑話)
相手の船はでっかいから乗り込むのも大変だし、何とか乗り込めても船上で討ち取られる
「壊走した島津兵に聞いてみると、船に乗り込んだ兵も別の船から弓で射られて移乗攻撃がうまくいかなかった」と宇都宮高麗帰陣にも書いてある
物理的に考えてもこの時代の技術レベルじゃ大砲や鉄砲だけじゃ海戦で勝てないので、敵の船に乗り移れず、焙烙についても書かれていないことを見ると勝ちようがない >>71
勝ちようがないとか妄想書かれても困るんだけどw
日本が押していたことはウィキにも載ってるよ
『賊兵殊死血戦、勢不能支、乃退入観音浦』
日本軍の奮戦で朝鮮勢は元々いた観音浦まで押し込められてるんですけどね 大清皇帝功徳碑
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった >>72
wikipediaか…
一応百科事典なんだし恥ずかしいな
出してくれた文だけど前後はこんな感じだね
兩軍突發 左右掩撃 矢石交下 柴火亂投 許多倭船 太半延燃 賊兵殊死血戰 勢不能支 乃退入觀音浦 日已明矣 舜臣親自援枹先登追殺(乱中雑録)
漢文で無主句って習ったと思うんだが「勢不能支」は主語がない
こういう場合はだいたい(そうでない時もある)前の文節に使われている主語が次の文節にそのまま使われる。
つまり、賊兵殊死血戰(日本軍は命がけで戦ったが) 勢不能支(日本軍は軍勢を維持できなかった)となる。
そもそも仮に「勢不能支」の主語を明朝鮮軍と仮定するとその後の「舜臣」が「追殺」したと言うのと文脈がつながらない
だから押し込められたのは日本軍っていう話なんだよね >>74
恥ずかしいのはおまえだろw
観音浦は元々朝鮮水軍がいたところだ
何で勢いに押されて敵のいたとこに押し返されるんだよw >>75
軍勢を維持できなくなった。つまり、バラバラに壊走したったてことだよ
閑山島の海戦でも脇坂配下の者たちが朝鮮水軍が元々いた唐島浦の小島に渡りその後逃げ延びている
規則正しく並んで戦っているわけではなく乱戦なんだから当然にあることなんだ
島津だけ特別頑張れたと考えるよりも、これと同じ状況が起きたと考えた方が整合性があるだろ >>76
それって結局都合のいいように考えてるだけじゃないの
日本の史料に負けたとかはっきり書いてあるわけでもないだろ 元々、朝鮮大勝利の文脈で書かれているモノをそのまま鵜呑みにしてもしゃーない。
戦況としては、先鋒の島津を南北から挟撃したのは間違いないんだろうし、といって明水軍と
同時に仕掛けた訳じゃなく、朝鮮水軍が露払いもしくは玉避け的に先にかかってるんだろう。
だから明軍から分派されていたケ子龍は早い時点で戦死し、李舜臣も間をおかず続いて
死んでいる。出撃点に押し戻されたことからも、壊乱状態になったのは、むしろ朝鮮水軍なのでは
ないのかな。
ただ、元より日本勢は数的に劣勢な上、島津も伸びきったところを明水軍に横腹を突かれて、
義弘本隊は苦戦の後、撤退することになったんだろうという感触だわ。 >>77
維新公の 御召船も 誠に御難儀に候得共 御供の衆身命を捨て
被相働候故 漸く其場を 御引取遊如唐島御渡被成候(淵辺真元高麗軍覚)
御供に命を捨てさせて漸く逃げ延びたこの状態は「負けた」と書いてあるのと同じ
それにこの海戦には当初参加していなかった蜂須賀水軍が逃げ延びるのを援護してくれていて
今度番舟之剋拙者家中之舟御方以手柄壱艘たすけられ候一段見事之仕立無比類儀候
と立花宗茂から礼状を送られている
身内が命を捨て他家から救援を得てやっと逃げ延びてる状況
>>78
漢文の勉強しておいで >>74
徳間文庫版の『日本の戦史 朝鮮の役』の当該部の邦訳だと、Wikipediaの記述と同じく、
「多数の賊船が延焼したが、賊兵は死物狂いで戦い、その勢いは防ぎきれず、観音海(ママ)に退いた。」
となってるんだな、これが。 >>79
船の差なら司令官の能力はあんまり関係ない
もともと日本に帰るつもりだったから輸送船しか準備できなかったんだぞ >>81
この戦いの前に小西と相手の状況を見る為、島津が順天城に使者を出してるんだがその上で
為後詰 立花飛騨守殿 寺澤志摩守殿 高橋主膳殿 被仰談 被取懸候(伊勢貞昌)
と後詰の軍議を行い、夜のうちに船を出して闇にまぎれて相手の背後につこうとする
此必請援之倭也。 出去今已四日, 明日間大兵必至。 我兵先往逆戰, 庶得成功。’ 陳初則不許, 舜臣涕泣固請, 陳乃許之(朝鮮実録)
島津の使者を見た李は「明日必ず救援の兵が背後からくるから先手を取るべきです」と泣きながら請うた
日本陣営の思惑通りなら勝ててたかもしれないし司令官の差もあるかもね >>83
小西行長が脱出できてる時点でこちらの思惑通りなんだけど
戦術的には負けでも戦略面で勝利してる
目的を遂げた方が勝者なのは常識だろ >>84
「戦いのおかげで小西が逃げられた」と言えるか?
明朝鮮軍は包囲を解いてるんだから戦いに行かなくても脱出できてるよ 再封鎖や追撃ができなかったんだから、明朝鮮軍も戦闘被害甚大で
その余力がなかったということだろ。 >>86
掃討戦しかけられて樺山忠征も自害を考えてるので余力なかった論はもうないよ
>>87
わからない。ただ五日って予想してたら明朝鮮水軍は壊滅してたかもしれない >>86
火縄銃だけで大ダメージ与えられたら海戦史が塗り変わるのでそれはない >>88
樺山忠征は船を失って南海島に取り残された組だから、
それは日が明けてからの残敵掃討の話であって、
戦果拡大の追撃とは全く別。
軍事知識乏しすぎないかw >>89
火縄銃だけとかどこから湧いた話なんだ? 当時の日明朝の海戦は、銃砲・弓で抵抗を制圧しつつ、
乗っ取り掛けるか焼き割るかだろ。
もっとも夜戦なら、タダでさえ当たらない当時の大砲がどのみち役にたつでもなし、大鉄炮含む
火縄銃の方がよほど有効ではあったろうが。李舜臣もそれで死んでるしな。 >>92
あくまで参考程度なんだけど淵辺真元高麗軍覚には名のある武将294名が書かれていて
そのうち39名が露梁海戦での戦死者として名前が書かれている
294名のうち露梁海戦前に死んでる人間や巨済島滞在組がいるので減らして考えないといけない
仮に250としたら戦死15%強、生きているが戦えない程の怪我をしたものが同じ比率いるとしたら死傷者3割ってとこか
全滅だな >>93
時代が違うのであれだが戦死者に対しての戦傷者の比率はもっと多い
壊滅状態じゃないの >>93
さらに李舜臣の死が一人で全体の30%くらいに相当しそうね >>93
賢しらに歪曲してるなw
3割の損害で全滅とかいうのは、そもそもが戦闘員は部隊の1/3程度という前提での話だぞ。
前線の戦闘員からまず損害はでるので、3割死傷なら戦闘員ほぼ全滅ということ。
武将(戦闘員)の3割死傷なら、大損害ではあっても全滅とはいわんわ。 >>94
想像で語るしかないので分からない
この後琉球攻めで総大将になる樺山久高と宗家の樺山忠正が船を燃やされてるほどなので戦闘部隊は壊滅していると思う >>93
日本の武将の戦死を周囲の戦闘員の死としてとらえるなら朝鮮もそう考えるべきではないの? >>98
朝鮮の攻撃は火壺で船を燃やすのが有効に機能しているので
司令官の死の比率=その周りの兵士の死の比率で考えてもいいんじゃないのかな
船がないと戦えないし冬の海で船が燃えた後そう生きていられると思えない
あと、日本は乗船攻撃が有効でなく火縄銃で狙撃程度なのでその計算はできないと思う >>97
だいたい2000〜3000人くらい死傷したのなら負けってのもわかる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています