>>114
半島南部は倭人の国という古代中国の史記の記述から見れば、半島で稲作を
していたのは倭人であり、道具は沿海州や東北部(旧満州)からの影響を受けている。
水稲稲作が満州から伝わったとは考えにくいことから、半島南部と九州北部にいた
倭人が取りに行ったとしか考えられんね。

朝鮮の墓制も伝わっているけど、埋葬されているのは縄文人だ。
朝鮮は古い人骨はあまり出ていない。
それ以前に、縄文中期にあたる時期までは遺跡がほとんどない。
白頭山の噴火で絶滅したという説もあるが、はっきりは不明だがとにかく遺跡がない。
九州は喜界カルデラで絶滅という説もあるが、その後も遺跡があることから
無人だったわけではない。

人間がほとんどいない朝鮮半島から「大量の移民」がやってこれるはずもない。
縄文中期に日本列島ではすでに初期農耕が行われている。各地の遺跡から
栽培植物が出て来る。ゴマにひょうたんにその他遠来のものばかりだ。
遺伝子調査で、縄文人と弥生人は大きく違うという結果が報告されることがあるが、
調査の対象は、東日本の縄文人ばかりだ。
おそらくは、縄文中期には西日本には東とは違う遺伝子を持った縄文人がおり、
マダガスカルへ行った人々の先祖とそう違わない時代に日本へやって来たのだろう。
彼らが元の縄文人に溶け込み、初期の農耕と漁労・狩猟採集をしながら海を行き来
していたのだろう。広域の石器やアクセサリーの交流からうかがえる。