【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
前スレが落ちてしまったので再び立てます。
謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?
前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/ 阿曇稲敷(いなしき)
詳細不明
家系不明
『日本書紀』巻第二十八・天武紀 天武元年三月己酉条では
「内小七位阿曇稲敷を筑紫に遣わし、天智天皇の崩御を唐使の郭務?に伝えると、郭務?らはことごとく喪服を着て三度挙哀し東に向かって拝んだ。」
白村江の戦いの後、郭務?ら二千人の来日を倭国敗戦の根拠とする者がいるが、郭務?は大和朝廷に対して敬意を持っていたことが分かる。
(郭務?は文官であり、また随行の二千人の大半は捕虜と百済難民である。 また唐側にも倭国側にも筑紫都督府を設置した記録はない。)
『日本書紀』巻第二十九・天武紀 天武十年三月丙戌条では「小錦下阿曇連稲敷ら十二人に帝紀および上古諸事(旧辞)を記し定めるよう命じられた。」
帝紀と旧辞は『記紀』の基本史料であり、記紀に記される阿曇族の記述は稲敷の認識と考えられる。
安曇継成(つぐなり)
詳細不明
家系不明
『高橋氏文』では「延暦十一年三月十八日に内膳奉膳にあった継成が詔命を承けず、人臣の礼無しとして絞刑に処せられるべきところ、特旨をもって死一等を減じ佐渡に配流された。」
これをもって阿曇氏は表舞台から姿を消した。 マッカーサーだって昭和天皇に礼は尽くした。
天智天皇を日本国の代表に取り立てた以上は、あくまでも国王であるから、官であるカクムソウは礼を取るべきなんだよ。
別に矛盾はしない。 >>954
一理あるが、お前はいつまで経っても人の文章の全体を把握できない無能やな >>946
太平記に磯良が筑紫の浜に現れたと書かれているから筑紫の海神だと主張しているが、短絡すぎる。
摂津の海から筑紫へ移動したということだよ。
きみらは都合読みが甚だしいな。
また、陪従と陪臣の違いを挙げているが、陪臣は武士の主従関係に用いられる語彙だとされている。
古代には、武士はまだいない。
ちゃんと時代考証しないとね。 >>950
あれ、物部氏の系図、そのまま事実だと思ってるの。 >>947
物部氏の系図は、見たら一目で造作だと分かる。
きみらの目は節穴だよ。
また、日向=福岡異説はごく普通の見識。
きみらの安曇志賀発祥説こそ、固定観念というにふさわしい。 いずれにしても、安曇氏が志賀発祥だと確定できるような資料はない。
いままで、きみらは通念として安曇志賀発祥を信じてきたが、これからは摂津発祥だと考えを改めたまえ。 >>961
またいつもの病気で精神勝利か摂津チョンコ(笑)
阿曇の本貫地は筑紫だという証拠しかないぞ無能
一方、摂津には何もないじゃないか無能
いい加減現実を直視する勇気を持てよ無能 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル 志賀島は志珂郷、朝鮮学校がある和白、新宮あたりが阿曇郷 奴族が筑紫の宗家=イザナギ
筑紫志賀島が安曇本家=ワタツミ
筑紫那珂川が住吉本家=アラヒト
播磨安曇は安曇の傍流=イソラ
摂津住吉は住吉の分家=スミノエ 住吉大社神代記の「安人=豊玉彦」がすべてだよ。
安曇は、この安人にちなむ(安)と、綿津見の(津見)の合字。
安曇は津守から分かれた同族で、その同族の分家が志賀へ行って綿津見を祀るようになったので安曇の姓ができた。
それまでどのような族名であったか分からないが、この頃から安曇を名乗るようになったのだろう。
志賀の阿曇氏が阿の字を使っているのは、何か意地を張った結果にすぎない。
この志賀の阿曇氏が安曇族の本家であるとするのは、本末転倒といえるだろう。 摂津とか葛城とか阿波とか
そうまでして村興しがしたいのか >>966
ウソの創作活動楽しそうだね無能チョンコwww >>966
踏み間違えを絶対に認めない池袋の老害そっくりだな(笑)
向こうのプライドの高さは社会的に認められたものだが、摂津チョンのそれはガキの夜泣き 綿津見は兄
住吉は弟
宗像は甥
筑前安曇本家は直系男子
播磨安曇は女系の傍流 >>965
四国とおんなじで、福岡はなんでも取り込んでしまうのな。
安曇は住之江のタモミ族(津守氏)の分かれで、住之江の隣の難波あたりを支配した。
朝廷の命によってその分家が志賀の現地で綿津見を祀る役目を担った。
そして安曇の姓ができ、志賀で意地を張った分家が阿曇と別字を使ったということだろう。
それでも、阿はア音であり、安曇の一党であることは残した。
まあ、そんなところだ。
ちなみに綿津見は、元々は南九州阿多族が祀ったが、縄文早期末に博多へ移った際にそこで祀るようになったもの。
その阿多族が縄文前期に南九州阿多に戻ったあと、阿多族の支流である奴国系がそのまま志賀で綿津見を祀り続けたもの。
なぜ綿津見だけが志賀に残されたのかというと、朝鮮半島とつなぐ対馬海峡の支配権を保持するためだった。
この頃には、朝鮮半島には阿多族がすでに進出していて、博多などと交流が維持されていたからだ。
綿津見がなぜ志賀で祀られていたのかについての事情は、このようなものであった。 >>971
しつこいぞ摂津チョンコ
お前は完敗したんだ諦めろ なんでも取り込んで・・・
サッ ミ _____ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_,,||// ∧_∧|. ∧_∧ …
.(.・ω||/ <♯`Д´>< >
( ⊃|| ( )| (>>971)
し―-J ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'
なんでも取り込ん・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ._____彡 サッ
∧_∧ |//∧,,_∧ ||_∧
< > |/ <`Д´#>||ω-` )
(>>971つ | ( ⊂ ) ||⊂ )
u―u'  ̄ ̄ ̄ ̄ ( ̄(_⊃ 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>971
あんた>975を10回くらい読んだほうが良いよ
悔しいだろうけどまさに書かれている通りの行動をしてるよ 歴史より先に後付けの記紀が、
お前らの頭に有るからおかしい、ってのが理解できてるか?
邪馬台国が、後の大和朝廷と合流したのは、
240年以降で280年辺りまでと考えられる。
これは公孫氏滅亡で、それまで青銅などの輸入が途絶えたことが原因。
半島の韓王朝も246年に倒れ、卑弥呼の外交では、九州も滅びたであろうこと。
この時は、倭人伝読むまでもなく、安曇の連なんて存在しないのは判るか?
13歳だった壹與が嫁ぐ みたいな戦国調略による併合だろ?
これによって対中華防衛で、日本が軍事化で古墳時代が始まる。
銅鐸が消えるのも、重農政策から富国強兵への切り替えで
縄文以来の、なにがしかの勢力との協調が有ったからだ。
313年の韓四郡滅亡後は、半島進出や富国強兵が総力化する。
400年〜500年、倭王は、南朝に対し、自ら漢字名を名乗った節がある。
氏姓を伴う貴族の豪族化もこのころから、と考えられ、
記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。
安曇族の始祖神が、神功皇后や朝廷とかかわりを持つ
なんてのは、時系列がデタラメにならないと成立しないファンタジー。
海神ワタツミを始祖としして祀れ、という、冠位格式のご都合成立以降の話だ。 >>978
10回読んで理解できないなら100回音読しろよキナイコシ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル >>978
ところで住吉大社には電話したのか?
午前中に電話して反省文提出するはずだったよな? >>978
>記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
>朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。
筑紫における王権の方が古いのだから、筑紫に関してはその限りではない。 >>978
移動する神が現れてくるのは、この5世紀前後頃から。
この時代以前には、氏族なんてまだいない。
部族社会の最後が4世紀後半よ。
日本書紀はそもそもの始発から王がいて、家来がいて、という王権と氏族の世界を描いているが、4世紀後半まではまだ部族社会だよ。 >>982
>この時代以前には、氏族なんてまだいない。
>部族社会の最後が4世紀後半よ。
まったく根拠のない妄想 綿津見(ワタツミ:大綿津見神「−海津見・−海津美」、上津−・中津−・底津−、−豊玉彦「豊玉毘古」、少童「表−・中−・底−」、海神「海童」、和多津見「−都美」、綿積「−摘」、志賀神)
安曇の祖神
出生地 筑紫日向小戸橘之檍原(アホキハラ)/竺紫日向之橘小門之阿波岐原(アワキハラ)
父 伊邪那岐
母 伊邪那美
兄 八十枉津日、枉津日、神直日、大直日、(姉 伊豆能売[記のみ])
双弟 住吉(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
妹 天照、月読
弟 須佐之男
子 穂高見(阿曇の祖)、振魂(尾張氏の祖)、豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
娘婿 彦火火出見(山幸彦)、彦波瀲武??草葺不合
孫 彦波瀲武??草葺不合、阿曇磯良(阿曇の氏神)
曾孫 神武天皇
綿津見を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
綿津見神社(全国)
海神社(全国)
穂高神社(長野)
穂高見(宇都志日金拆、宇都志日金折命、顕日金拆、一説には猿田彦と同定)
阿曇の祖
親 綿津見
弟 振魂(尾張氏の祖)
妹 豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
子 八坂刀売(諏訪大社社伝のみ)
穂高見を奉祀する主な神社
志賀今宮神社
信濃穂高神社
紀伊海神社 志賀海神社は元は志賀島の先端の勝馬にあった
859年に「志賀海神」の神階が従五位上、
880年に「賀津万神」(勝馬地区の仲津宮に比定)が従五位下だから
このころに三座になったんだろう
927年成立の『延喜式』神名帳では志加海神社三座 並名神大
9世紀後半から志賀島での海神祭祀を重視するようになった原因は
貞観の入寇 869年6月から新羅の海賊、艦二艘に乗り筑前國那珂郡(博多)の荒津に上陸
寛平の韓寇 893年および894年熊本、長崎、壱岐、対馬にかけて入寇し、
藤原国経を大宰権帥として派遣
貞観の韓寇にたいする奉幣祈願の文に「我が日本の朝は所謂 神明之国なり」という思想がみえ、
神風による非戦の解決が唱えられている >>982
>この時代以前には、氏族なんてまだいない。
>部族社会の最後が4世紀後半よ。
だから、氏族の元はすべて忌部一族に繋がるんだと、何度言えばw @阿波 >>986
言っちゃ悪いが屠殺屋一族に仕えた下請けの精肉屋でしかない阿波忌部に何のルーツがあるんだ?
殺傷供養で全国各地から分社してもらった神社を建てまくるくらいしか出来ないじゃないか(笑) 住吉大社の神宮寺は新羅寺(758年建立)
博多住吉神社の元宮とされる現人神社は香春にもあり都怒我阿羅斯等を祀っている
香春は辛嶋氏が筑前國筑紫神社に次いで新羅の神を祀ったところ
841年筑紫守の文室宮田麻呂が、新羅、唐、日本にまたがる海上勢力を築いた新羅人張宝高との密貿易が発覚する
820年の遠江・駿河弘仁新羅の乱の乱後処理のため遠江守に任ぜられた藤原衛が新羅人鎮撫の実績を買われて
842年大宰大弐として筑紫に下向する
新羅人との密貿易、国内新羅人の反乱、新羅の入寇の時代に
筑紫の志賀海神、住吉神が整備されている
藤原北家の摂関政治が始まるころの時代 摂津チョンコ
大宝律令の前は何もなかったことにしたい説はじめるwwwww 「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。
鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。
そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。
また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。
審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。
ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)
神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 @阿波 >>989
住吉大社は筑前からの分社
住之江の領地権住吉から津守に移った後に乗っ取っただけ
那珂川現人神社と香春現人神社は名前が同じだけでルーツは全く違う別物
筑紫神社の主祭神の筑紫の神は綿津見の孫である磯武良(イソタケラ)と同定した須佐之男の子 五十猛(イソタケル) >>991
住吉神は筑紫日向小戸橘之檍原で綿津見の弟として誕生した
泡から生まれたのは猿田彦命の底度久御魂、都夫多都御魂、阿和佐久御魂
これは津守が正伝を知らなかったためにニニギの道案内をした猿田彦と神功皇后の道案内をした海神(住吉)を同一視したことによって創作された。 >>993
住吉大社が後付な
一昨日から住吉大社に電話して確認しろって命令されてるんだから
さっさと言付けに従えよ摂津チョンコ >>991
屠殺屋の下請けが阿波忌部
阿曇浜子のパシリが阿波忌部 >>996
ウンコにはウンコぶつけるのが相当なだけでしょ >>1000ならバレンタインジャンボ宝くじで1等+前後賞で3億円が当たってる! このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 1148日 17時間 23分 25秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。