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【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0235日本@名無史さん
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2019/05/17(金) 10:08:46.50
もともと分家がたくさんあり、住吉はその中でも宗家として君臨し続けたのだろう。
没落した分家は無数にあるはず。
0236日本@名無史さん
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2019/05/17(金) 10:48:35.69
>>235
文盲過ぎて話にならん
0237日本@名無史さん
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2019/05/17(金) 19:46:58.61
安曇を乗っ取った住吉は元々河漁や河川水運の元締め
住吉神社の原社は那珂川中流域に残る現人神社なんだよな
上の方で海に該当する古倭語はワタだって説を挙げた人がいたが、当時のアマは水辺ってニュアンスだったのだと思われ
0238日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 03:30:16.15
>>234
膳氏(高橋氏)との闘争に負けたからなあ。
0239日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 03:36:19.03
>>234
ところで、その大浜宿祢は博多安曇氏とどんな関係なん。
0240日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 09:26:48.34
>>239
文盲か?安曇の始祖と書いてあるやんけ
0241日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 15:21:12.31
>>239
そもそも博多安曇氏ってなんやねん
0242日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 15:59:56.11
アマとワタの違いがよくわからないな。
アマテラスと大国主
天津神と国津神
ワダツミと大山祇
海幸と山幸
だいたい陸海がセットだから、言い換えに過ぎないと思うけどね。
0243日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:23:05.77
>>237
当時のアマは水辺ってニュアンスだったのだと思われ
じゃなくて
当時のワタは水辺ってニュアンスだったのだと思われ
じゃない?

ワタがどういう経緯でアマと変化したのかも興味深い
0244日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:43:58.62
高天原が海の向こうの都なら、ワタが博多湾の水辺のイメージだな。
0245日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:45:44.40
>>244
高天原が海の向こうの都とかありえんだろ
0246日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:46:42.46
>>244
キムチ臭い話しようとしてるならどっか行って
ここは日本史板だからさ
0247日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:52:07.61
海の向こうといっても、せいぜい沖ノ島か対馬だと思うけどね。
神代の地理的スケールはその程度。
0248日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 16:53:14.07
>>247
沖ノ島は100%違う
あそこは人が住んだ痕跡は一切ない
0249日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:01:46.17
王族だけいたのかも。
数棟だけ宮があったとしても、痕跡なんて残らなかったろう。
沖ノ島がなぜ長期にわたり大規模な祭祀の場となったのか。
宗像三女神を敬うように神勅を下したのは誰だったかな?
0250日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:03:31.69
>>249
アホかよwww
住居の痕跡や生活の痕跡は見つかってないんだって(笑)
沖ノ島は祭祀の対象である聖域
0251日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:08:08.45
沖ノ島は海路の目印にされなかったくらい秘匿された島
宗像の氏族以外には知られたくなかったんだろうな
0252日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:08:15.90
海人族といっても複数の氏族があっただろうに、その中でも実は海人族とは書かれない天津神こそ、海人の頂点に君臨した王家なんだろうと。
海路を照らす(支配する)王がアマテラス。
ちなみに猿田彦は海と陸を照らす神として登場するが、宗像三女神に守護された天孫に道を譲り、筑紫までの道案内をしたとある。
猿田彦は博多湾沿岸の実力者と考えられる。
では天孫はどこからどこへ移動したのか。
沖ノ島から福岡へではないのか。
0253日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:09:09.66
>>250
だからさ、なぜ沖ノ島を祭ったのかという問題だよ。
0254日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:10:17.53
>>252
天のアマと海のアマは同音じゃないって知らないのかな?
0255日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:10:59.07
>>253
は?
0256日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:12:42.07
天孫系がこぞって海人系と婚姻するのは同族ではない傍証
0257日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:15:00.52
>>252
だから住居跡も生活痕もない島なんだから妄想はそのへんにしときなよ。
そもそも真水が出ない島なんだから高天原である可能性はゼロ
まだ対馬のほうが住める島って点でワンチャンあるレベル
0258日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:15:29.69
海人族にもいろいろあっただけのこと。
0259日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:16:43.02
ここで淤能碁呂島伝説の残る博多湾内の有人島 能古島を高天原の候補地としてぶっ込んでみる
0260日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:17:17.83
>>258
なんか伊都チョンくせぇなオマエ
0261日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:17:28.41
>>257
対馬説もあるけどさ、魏志倭人伝での扱いが低すぎるのが違和感がある。
0262日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:18:41.20
>>261
うん、だって高天原は島じゃないもん
0263日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:18:53.64
>>259
高天原からやってきて能古島を作った(国土とした=征服した)から、ニアミスかと。
0264日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:19:15.73
>>262
ではどこか?
0265日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:19:49.25
なんだチョンかよ・・・
かいさーん
0266日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:21:01.04
高=高貴な
天=海の
原=集落(バル)

海上の島ですね。
0267日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:21:37.18
>>264
高天原が実在した場所だと考えてるのって学会でも市井でもごく僅かだと思うんだが
0268日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:22:57.97
>>265
半島まで行ったら行き過ぎ。
後漢書において、倭は半島南岸から九州北岸まで。
魏志倭人伝では、半島南岸の狗邪韓国は寒村あつかい。
0269日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:24:23.89
>>266
現代カタカナで天も海もアマと表記されるだけで、全くの別物
君の思考はチョンコが現代朝鮮語で万葉集が読めるとか言い出すのと同じ
学術的ではない感情(願望)論
0270日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:24:48.21
よくわからないものはなんでも非実在で済ませるのは、悪いくせだ。
記紀はかなり具体的に高天原との往来を描いている。
ただ単にその場所がわからなくなったか、隠したかったか。
0271日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:27:27.09
>>269
日本人は掛詞とか好きだからね。
その程度の音韻の差は意味があるとは思えない。
まして、もともとは漢字がなかった時代の伝承だしね。
0272日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:29:31.96
天はアマとも読めるがアメとも読めるがワタとは読まない
海はワタないしアマであり、アメとは読まない
これが現代考古学上で天と海が別音であるという傍証になっている

詳しくは上代日本語を調べてみると良い
0274日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:32:22.00
天津神と国津神は、海幸と山幸のように、海と陸を意味しているのだろう。
アマに天という字を後世になり当てただけと考えられる。
そう考えると、天津神、天照、高天原のアマはすべて海人または海のことだとして一貫して説明がつく。
0275日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:33:25.35
>>273
半島は関係ない。
黙ってろ。
0276日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:33:50.64
>>274
強情すぎて話にならない
0277日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:34:13.21
糸クズくん?
0278日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:34:28.88
>>272
それは後世の訛りに過ぎない。
上古よりさらに前の音韻を反映しているという根拠にならない。
0279日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:34:55.95
>>276
代わりの合理的な説明をどうぞ。
0280日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:37:48.24
天から降りてくる神と海を渡ってくる来訪神は別物
これは世界中の神話に共通すること
0281日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:38:49.06
>>278
それはお前の思い込み
願望でしかない
0282日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:38:50.84
もともとアマとワタという二つの語があった。
(使い分けは不詳)
そのうちアマにだけ天の意味が付加されてアメという音の変化があり、同時に天の文字が当てられた。
これで説明できる。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:39:40.84
>>278
文盲なの?
> 天はアマとも読めるがアメとも読めるがワタとは読まない
> 海はワタないしアマであり、アメとは読まない
> これが現代考古学上で天と海が別音であるという傍証
0284日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:40:01.00
弥生人は渡来人であって宇宙人ではない。
0285日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:40:05.58
>>282
それこそ根拠がないだろマヌケwww
0286日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:41:02.65
>>284
せっかく久々に楽しめると思ったのに文盲か・・・
0287日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:41:54.52
漢字の方が後から使われるようになったよね。
また、アメという音も後から使われるようになったのだろう。
0288日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:44:18.29
というか、話を元に戻さんか?
海の安曇が取り込んだ河の住吉やったのに、安曇は摂津に移動し住吉が残ったのは何でなんやろなって話やったろ?
0289日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:44:49.46
>>287
それこそ根拠がないお前一人の妄想だろマヌケwww
0290日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:45:12.47
>>288
せやで
0291日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:50:26.66
横からだが、日本史板の特に古代スレで「〜たのだろう。」って言うやつは例外なくチキガイ。
思い込みが強く、他説を聞き入れる耳もなければ、聞き止める度量もない。
そしてどんどん追い詰められるスタイルが共通点。
0292日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:51:09.78
>>240
大浜は淡路の野島海人の親玉だと思うが、大浜は淡路に住んでいただろう。
それが博多安曇とどうつながっとんのよ。
系図出しなよ、みてやるさかい。
0293日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:53:44.59
>>241
磯良を氏神にしとる一族やと聞いとるがな。
0294日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:54:19.18
>>292
アホは日本書紀の巻十読み直してから出直して来なね
0295日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 17:55:35.01
>>293
嫌味が通じないとか笑えないよー
0296日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:56:20.94
摂津といえば住吉だろ。
前提が意味不明
0297日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 17:56:30.27
>>291
的確な考察だな(笑)
0298288
垢版 |
2019/05/18(土) 18:02:21.69
>>296
ワイの写し間違えや
>>227は長野と書いとったな
堪忍やで
0299日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 18:07:12.52
海人族はマリネッラってことだろ
海と川に隔たりはないんじゃないか?
0300日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 18:11:17.06
wiki 阿曇磯良より引用

阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道の神である。
海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。磯武良(いそたけら)と称されることもある。
阿度部磯良(あとべのいそら)とも[1]。
神楽に誘われて海中より現れ、古代の女帝神功皇后に竜宮の珠を与えたという中世の伝説で知られる[2]。
石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。
同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。

民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。
また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。

『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』
(愚童訓より)
0301日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:11:33.81
棲み分けはあったんじゃないか?
大浜宿禰が海人宰となって当初は住吉もその配下に入ってたわけだし
0302日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:13:22.39
>>300
嫌味が通じないとか笑えないよー(二度目)
0303日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:15:55.53
安曇は関東関西九州の各地で祀られていることになるなあ。
0304日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:17:02.72
>>302
志賀島は博多ではないとか、そいうの?
0305日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 18:17:51.66
マリネッラって何?
ネクタイのブランドかパタリロの国か?
0306日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:19:28.63
>>305
がんばってwikiで調べた感丸出しで笑う
0307日本@名無史さん
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2019/05/18(土) 18:22:44.54
>>304
博多って地名は安曇氏が移住した後に出来たものだから博多安曇氏なんて実在しないってことだろ
言わせんなよ
0308日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 18:47:46.58
>>292
安曇の百足は、景行天皇の北部九州の御幸の際に、お付き人として名がみえるな。
肥前風土記や。
また別に、「大和政権に帰属した段階で摂津国に拠点を移した」とする説もみられる。
このことからすると、大浜は摂津に住んでいたと考えられるが、肥前風土記に出てくる安曇百足は摂津から景行天皇にお付きで付いていったと考えられるな。
そうすると、摂津へ移住したというのは、どの文献にあるんか。
百足が博多の安曇の子孫やと確認できる文献が必要や。
どこにあるんか。
0309日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 19:16:02.83
>>308
すまんな。
安曇は糟屋の志珂郷あたりの一族やな。
ウィキのでは、百足の一党は志珂から摂津へ移住した者らや、と書いてあるが。
その「移った」というのは、どこに出てるんか。
見当たらんぞ。
百足はほんまに志珂から摂津へ移った一党か。
はっきりせんぞ。
0310日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 20:15:26.55
安曇は海住みで住吉は住み江
つまり海に住む支族がアヅミと名乗り、川に住む支族がスミエないしスミヨシを名乗っただけで氏としては同族という推察もある
0311日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 21:32:57.40
九州から畿内に何波も植民があり、その中の一つだろうね。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:04:28.79
博多あたりは海人の根拠地だったようだから、安曇族がそのあたりにいたのは確かだろうけど、その志珂の安曇族が摂津へ移住したという確かな証拠はないな。
推測としては、あり得るとは思うがね。
0313日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:09:04.16
それどころか常陸国の鹿島神宮まで志賀島の末裔なわけだから、摂津くらいはたやすいものだろう。
とすれば、この氏族は瀬戸内海と太平洋に進出した氏族ということになる。
0314日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:12:25.31
>>310
それって九州の研究者の中では確定事項とされてるちゃんとした学説だよ
0315日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/18(土) 22:15:03.93
日本書紀の神代紀にも住吉三神の底津少童 命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所 祭る神なりと書かれてるから住吉は阿曇連
0316日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 00:47:34.08
安曇が登場するのは応神天皇の三年からだが、この安曇はすでに摂津あたりに住んでいたし、それ以降の安曇氏も山城だったりして、おおむね畿内在住。
一方、一世代の前の仲哀天皇のときには、宗像や伊都の勢力は仲哀天皇を出迎えているのに儺県からの出迎えはない。儺県にはどのような勢力がいたのかはっきりしない。
そして、仲哀天皇崩御のあと、神功皇后が西征のために朝鮮半島を望見させるときになって初めて、磯鹿の海人の草という人物を物見に行かせることが書かれている。
どうも、変ではないか。
儺の津には、宗像や伊都のような地方豪族の姿がみえない。
「磯鹿の海人・草」という程度の扱いとなっている。
仲哀天皇を出迎えた宗像の豪族の場合は岡県主の祖熊鰐と書き、伊都の豪族の場合は伊都県主の祖五十迹手と書いているのとは大変な差だ。
この「磯鹿の海人・草」が綿津見を祀る安曇だとは、どこにも書いてない。
仲哀天皇があたかも当然のように橿日宮に入っていることなども考えると、まるで大和の朝廷の直轄地となっていて、在地の豪族がいないような雰囲気だ。
これは、実に奇妙な書きっぷりだと言うほかない。
では、一世代後の応神天皇のときになって突然現れ海人の宰となる摂津の安曇連と、この朝廷直轄地のようなの儺の津の隣の磯鹿の海人・草との関係はどうなるのか。
志賀島で綿津見を祀る安曇氏は、いったいどこにいるのかということになってくる。
そもそも、応神天皇以前の志賀に、安曇族はいたのだろうか。
0317日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 01:34:26.76
>>316
何をどう勘違いしてるのか理解不能だが、
海人宰は志賀島の大浜宿禰(阿曇大浜)と和名類聚抄にあり、
志賀島から古賀の手前までを統治していたのが分かる。

黒田家が入ってくるまで現在の中央区や博多区の大半は海の底であり、
現在は那珂川中域に位置する現人神社(元住吉)も当時は那の津(志賀島から内陸側の湾・現在の博多湾)河口だったので、
川住みの住江(後の住吉)と海住みの阿曇(共に阿曇連)が那の懸の監督であったことに疑念の余地はない。

筑前国風土記では志賀島に関する逸話として、
神功皇后に添った陪臣(又家来)として大浜の名が確認できる。

定説では阿曇比羅夫の戦死後に信州への大移動を経てから摂津入りしたとされる。
0318日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/19(日) 01:49:59.26
博多区には4世紀初頭前後の那珂八幡古墳と5世紀初頭前後の老司古墳の前方後円墳があるものの、このおよそ100年間に次々と造られる前方後円墳がなく、博多には豪族の墓らしい前方後円墳群がみられない。
このことは、博多には那珂の八幡古墳を造った勢力以来100年間にわたって豪族の姿がみられないことになる。
ようやく、5世紀頃になって豪族の勢力が現れて老司古墳を造るということになる。
このような状況をみると、仲哀天皇を出迎える儺の津からの舟はなく、また吾瓮海人烏摩呂や磯鹿の海人・草という人物が物見に使わされる程度のありさまであることは納得できそうなことになる。
やはり、この時期には、儺の津あたりは大和政権の直轄地のような扱いとなっていたのではないか。
だとすると、強引に解釈すれば、安曇氏が志賀島で綿津見神を祀るようになるのは、5世紀以降からということになるのではないか。
この構図が確かならば、安曇氏は糟屋郡から各地に分散したのではなく、畿内から各地へと分散したということも可能だ。
実際に、筒男神を祀る津守氏は住之江の豪族で、安曇氏とは同族だとするのであるから、安曇氏が摂津発祥だとしてもおかしくない。
つまり、博多あたりにあった倭奴国は、安曇族とは直接関係のない海人族の国だったということになってくる。
それでいいのでしょうか。
0319日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 02:19:30.59
>>318
違うよ
ワタツミを祀った阿曇は仲哀らによって大和政権に取り込まれ信州に飛ばされた
残ったワタツミ信仰は同族の住吉に継承された
0320日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 02:30:58.42
摂津の阿曇野村じ百足については和名類聚抄に綿津見を始祖とし、筑前から渡ったと明記されている
0321日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 02:31:38.30
X阿曇野村じ百足
O阿曇連百足
0322日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 08:42:06.41
魏志倭人伝の時点で、すでに奴国は權力が不在だよ。
小さな伊都に大きな權力が集中していたのとは対照的だ。
別に大和云々は関係ない。
そもそも仲哀は穴門に宮を構え、ほぼ九州人であり、大和の人間ではない。
祖父の景行天皇の頃から九州にいたのだろう(景行天皇は子女が多い)。
0323日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 11:15:38.96
肥前国風土記によれば景行天皇が巡幸で平戸の志式島行宮を訪れた時に「陪臣」の阿曇百足に西側の島々を偵察させたと書かれている。

陪臣は又家来つまり家来の家来で、筑前国風土記では阿曇大浜が神功皇后の陪臣と書かれている。

景行天皇から神宮皇后の代まで約2世紀もの開きがあるにもかかわらず、阿曇は陪従せず陪臣のままである点が興味深い。
0324日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 11:57:20.18
>>322
は??馬觚と卑奴母離が二万余戸の人口を擁してるやんけ
0325日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 13:03:08.25
>>323
では阿曇連の上で天皇の下なのは誰なのか
0326日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:23:23.83
>>320
和名抄では郷名の記載がなされていたが、氏族の出自については書かれてなかったように思うけどね。
その記事は、和名抄のどの部分に出ているのか教えてほしい。
0327日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:27:33.42
>>319
そもそも、摂津の安曇氏が糟屋郡の志賀から移ってきたと、どの文献に載っているのかまったくわかりません。
0328日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:34:51.99
新撰姓氏録では安曇氏の祖神が書かれているがそれだけであり、安曇氏がどこから来たかについては何も書いてない。
0329日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:41:18.97
>>249
宗像の話を書くとすぐわかる嘘書いて否定するやつが相変わらず日本史板に常駐してますな。
現在の船着場付近には弥生縄文の出土物があり人が住んでいた痕跡はある。また、真水も確保できる。
ただ、水が確保できるとは言え大人数が定住するほどの量の確保は無理と思うので現在のように一人とか数人常駐で、祭祀の時だけある程度の人数が数日留まるといった形だったのではないかと思います。

なんで真水が出ないと決めつけたのかがわからん。あの大きさでそれなりの高さの山があるんだから水が出ないと考える方が無理があると思うがな。
無能君にとって知らないとか自分に不利益な話=嘘って脊髄反射みたいだからしかたないんだろうけどね。
0330日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:48:48.66
また急に熱量が上がったな
0331日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 14:59:51.45
宗像に限らず、嘘をついてなんでも否定する輩が日本史板に住み着いているんだよね。
彼らに任せると日本史は闇に包まれている。
0332日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 15:02:59.14
ヤバさで言ったらチョンの日本史捏造や朝鮮起源説が群を抜いてるけどな
0333日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 15:27:58.30
沖ノ島を秘匿ってのも遠賀川〜志賀島辺りまでの範囲だと見えるところ結構あるし無理があると思う。
好意的にとれば神秘性を高めたいってことかもしれんけど、実際見えるんだから航海の目標物や道標的な存在になるわな。
0334日本@名無史さん
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2019/05/19(日) 15:40:22.10
>>333
沖ノ島では縄文土器が出てるからな。
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