>>292
安曇の百足は、景行天皇の北部九州の御幸の際に、お付き人として名がみえるな。
肥前風土記や。
また別に、「大和政権に帰属した段階で摂津国に拠点を移した」とする説もみられる。
このことからすると、大浜は摂津に住んでいたと考えられるが、肥前風土記に出てくる安曇百足は摂津から景行天皇にお付きで付いていったと考えられるな。
そうすると、摂津へ移住したというのは、どの文献にあるんか。
百足が博多の安曇の子孫やと確認できる文献が必要や。
どこにあるんか。