日本書紀の巻第一、第五段、一書曰の六

伊弉諾尊既還、乃追悔之曰、吾前到於不須也凶目汚穢之處。故當滌去吾身之濁穢、
則往至筑紫日向小戸橘之檍原、而秡除焉

そもそもアワキハラと読むのは古事記であって、日本書紀には明確に「檍原」と記されているのだからアホキハラないしイキハラと読むべき

そして檍原の場所が分からないのなら、その後の行動から推察すれば良い
海辺で厄神と直神2柱が生まれ落ちた後に入水し、

又沈濯於海底。因以生神、號曰底津少童命。次底筒男命。
又潛濯於潮中。因以生神、號曰中津少童命。次中筒男命。
又浮濯於潮上。因以生神、號曰表津少童命。次表筒男命。
其底筒男命・中筒男命・表筒男命、是?住吉大神矣。
底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣。

海の底に沈んで濯うと底津ワタツミ、次いで底筒ノオという神が生まれる。
潮の中に潜って濯うと中津ワタツミ、次いで中筒ノオという神が生まれる。
潮の上に浮いて濯うと表津ワタツミ、次いで表筒ノオという神が生まれる。
底筒ノオ、中筒ノオ、表筒ノオ、それ即ち住吉大神である。
底津ワタツミ、中津ワタツミ、表津ワタツミ、それ阿曇連たちの祭る神である。

残念ながら日向の有力比定地である日向国に住吉と綿津見の伝承はない
淤能碁呂島の有力比定地である淡路にも住吉と綿津見の伝承はない
摂津には住吉の伝承はあるが、本貫は筑前住吉神社に譲っており、綿津見伝承はない

地名から推察できない以上、そして行動から推察する限り禊を行ったのも、淤能碁呂島も筑紫日向小戸橘之檍原も
禊伝承と住吉伝承、綿津見伝承の3つが揃っている那の懸界隈の他にないと言える