>>509-510
全然違うよ。

>新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」
つまり、本家安曇はワタツミの子ホタカミの子孫。
ホタカミ(ウツシヒカナサク)を祭る神社は志賀海神社の境内にある今宮神社と長野県安曇野の穂高神社で摂津は無関係。
一方
>新撰姓氏録の摂津国神別に「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」
つまり、摂津阿曇はワタツミの6世孫(=ホタカミの5世孫)のコタクナシの子孫。

時系列に並べると、筑紫安曇が本家、信濃安曇が分家、摂津安曇は分家の分家の分家の・・・略。

また
先代舊事本紀の巻一、陰陽本紀には「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
要はワタツミ3神は安曇連らが”いつきまつる”筑紫の志賀海神社。

時代をのぼって
宗像大菩薩御縁起には「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。
熊襲退治と三韓征伐で活躍した磯良丸に48隻の船を与えて難波に移らせた」とある。

もう十分でしょう。