>>515
皆、平安時代の系図などだな。
こんぐらがって分からなくなったあとの再編系譜だよ。
海人族の宗本家は南九州阿多族。
その分家が博多の奴族。
丹後や尾張ほかの西日本の海人族は阿多族が西日本に広がったときの血族。
長野の安曇は、ずっとあとのおそらく白村江のあとの安曇分散で生じた比羅夫系の一派だろう。
志賀の安曇は、5世紀頃に摂津安曇の分家あたりが朝廷の政策で綿津見を祀るために移住したものだろうな。
綿津見と筒男は元々は薩摩阿多の宗本家が祀っていたのが、応神政権の要請で綿津見は安曇に、筒男は津守に祀らせるようになったというのが、最も妥当なところだな。