>>565
とするとや、神功のお供に摂津安曇の大浜や小浜らが付き従うとるときに、神功が志鹿の草という者を遠見に出すが、これがおかしいのやな。
草が安曇氏なら、安曇の大浜と親戚とかなんとかという話になるはずやが、そんことは一言も書かれてない。
ちゅーことは、志鹿の草は安曇氏でもなんでもないということにならんか。
神功のときには、志賀には安曇氏はおらなんだという可能性が極めて高うなってくるな。