>>568
なんで、謎の関西弁のキナイコシ先生に自己レスだよwww

既にロマンの無い、記紀神話の神功皇后の時系列的実在は無理なのに
実在の 志賀島海神、邪馬台国卑弥呼、共立国の雄、奴国、安曇族が
神功皇后の陪臣で、摂津に招請、配流されてるんだよ?

247年時点で一大卒が対馬外交フロントに入り、卑弥呼は外交権を失ってるだろ?
死んでるけど日本初の径150mの巨大古墳になってるから、国は滅びてはいない。

13歳の豊は、畿内にお輿入れで、箸墓古墳になってっても良いね。
でも、この時の新造首都、纏向が金印の57年から有るという考古学は無いだろ?

使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

日本はBC200から青銅器移入で半島を経由し、公孫氏は卑弥呼時代には居た。
238年の魏の帯方郡占領に始まり、247年に魏との外交を絶った九州の邪馬台国が
公孫氏と韓王朝を滅ぼした魏と対抗するため本州に有った、後の朝廷勢力と競合した、

それ以外の歴史解釈ってあり得るか?