>>590
筑前国風土記逸文では、神功に大浜、小浜がお供で付き従っていたと書かれている。
この大浜は安曇宿祢だと考えられる。摂津安曇氏で、応神のときには海人の宰に任じられる。
一方、日本書紀では志鹿の草という人物が登場する。
草が安曇氏であれば、大浜の本家だと考えることができるものの、残念ながら草が安曇氏かどうか定かでない。
草が安曇氏ならば、書紀はなんらかの注記を入れることも可能だった。
しかし、特にそうした注記もない。
果たして、草は摂津安曇氏の本家だったのかということになると、あとは推測しかないということになるわけさ。