>>647
神功の前に現れた磯良は、その後神功とともに帰途につき、筑後大川の風浪宮で少彦名神を祀って、それから摂津の安曇へ戻った。
磯良が摂津安曇氏の氏神てあることを示しているじゃないか。
磯良は、自分の子孫が朝鮮半島へ戦に行くのだから、加勢のために摂津から宗像へ現れたということだな。
磯良が元々宗像の海にいたわけではない。