>>732
応神のころに、海人の宰となった摂津安曇氏の分家が、対馬海峡の制海権を確実にするために朝廷から志賀に派遣され、博多海人が祀っていた綿津見の神の祭祀権を譲らせたのだろう。
安曇氏が志賀に現れるのは、この頃からが最もぴったりする。
つまり、志鹿の草は放逐され、摂津安曇氏の分家がそのあとを引き継いだということだろうな。