神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの傍証がある一方で、摂津説には皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である