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【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0885日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 19:33:21.60
>>884
筒男三神?  住吉三神じゃないの?  それ、胡散臭いね。   @阿波
0886日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 20:03:05.42
>>885
住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。
その地名を採った住吉大社の神さんなので、住吉三神じゃ。
元々は筒男神ということだ。
潮くさいがな。
0887日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 20:11:50.07
>>886
>住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。

3文字から転化した?   それも、胡散臭いね。   @阿波
0888日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 20:29:58.58
福岡も大阪も、住之江の表記が今でも使われているね。
住居表示は住吉になっているけど。
0889日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 20:55:19.10
大阪の住之江の住は、墨が書かれていたりする。
澄もあり得る。
隅も考えられる。
だから、住は当て字の可能性がある。
ということは、住吉は当て字の当て字ということにもなるな。
0890日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 21:00:07.83
>>887
スミノエ=4音。
スミヨシ=4音。
おんなじ。
潮くさいのは、海の神さんだから。
0891阿曇本貫地まとめ
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2019/05/24(金) 21:00:24.78
筑前阿曇氏の拠点は"阿"曇郷、信濃阿曇氏の拠点は"安"曇郡、摂津阿曇氏の拠点は"安"曇江であり、阿曇氏、阿曇連の本貫地は同名の阿曇郷である(全国邪馬台国連絡協議会九州支部)
また、713年の好字令によって筑前本家と区別するために信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇とした(神歴研)


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」 阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」 摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」 綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが、平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの根拠がある一方で、摂津説に根拠は皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である
0892日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 21:00:45.43
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。

『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。

この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。

『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。

阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内

磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。
0893日本@名無史さん
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2019/05/24(金) 21:09:38.47
>>892
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。   @阿波
0894日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 22:57:39.12
>>892
この安曇東遷説も、邪馬台国東遷説と同じ思考パターンだよな。
なんで、北部九州は東遷したがるのかね。
根拠がまったくないのに。
0895日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:06:46.76
>>894
そりゃ、大宰府症候群のなせるわざだよ。
大和に占拠されて大宰府を置かれた精神的後遺症がひどく、どうにも大逆転しないと病状が回復しないの。
そこで、九州王朝を捏造して大宰府は九州王朝の都だった説、また邪馬台国は東遷させてその本国は奴国だった説、そして安曇は元々志賀発祥説を唱えている。
いかに、大宰府症候群の病状がひどいか分かるだろう。
安曇東遷説は、そうした精神的後遺症を鎮める一つのお薬なわけ。
0896日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:10:26.08
>>894
東遷というか、東征はあったのだろう。
しかし、本貫地があくまでも博多湾沿岸であることを忘れてはいけない。
0898日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:13:52.87
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
0899日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 23:41:27.66
北部九州の甕棺墓制は3世紀以前にど没落した
全羅南道では存続する
0900日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:03:57.16
>>894
文盲なんか?メクラなん?むしろ根拠しかないやん
気温が上がってアタマにウジ虫湧いたんか?
で、摂津に何か根拠あんのけ?皆無やんな(笑)
0901日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:04:56.32
王統が何度も入れ替わっているのだ。
伊都国の王統は甕棺ではなく、三雲南小路遺跡に代表される方形周溝墓だ。
甕棺を貶めても何にもならないよ。
0902日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:07:56.31
王統が替わっているなら一連の王権じゃないな
三雲南小路遺跡は甕棺墓
0903日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:16:24.32
>>902
甕棺を持つ方形周溝墓。

つまり、三雲南小路遺跡の一族と、平原遺跡の一族は違う。
つまり、伊都国の中で、倭国大乱の年代を挟んで政権交代があったんだよ。
平原遺跡は倭国大乱の後の女王墓であることは、概ねほとんどの人が認めているわけだし。
0904日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:17:30.95
>>902
それこそ魏志倭人伝に一致
0905日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:19:07.70
>>901-903
ここは海人族のスレ。 

九州スレと同じコピペをすることに何の意味があるのだ?

主張したい事は適した場所でだけやってくれ。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:20:12.57
まあしかし、摂津安曇氏と住吉大社の津守氏が同族である可能性は高い。
住吉大社神代記では、豊玉彦の名を津守安必登神(つもりのあらひとかみ?)と書いている。
また、これを延喜式神名帳では、津守安人神(つもりのあらひとかみ?)と明確に書いている。
この安必登神、安人神は、現人神(あらひとかみ)の意味だとされている。
那珂川の現人神社の社名の由来も、ここにあるのかも知れない。
この安人神を単純に発音すれば(あと)であり、安曇氏の読みを(あどん)とするのと発音がよく似ているのだ。
安曇の漢字の由来は、この(あと)(あどん)にある可能性があるのである。
志賀の阿曇氏は、安ではなく阿としているが、しょせん発音自体は(あ)であることに変わりはない。
であれば、安曇氏は津守氏と同族であり、津守氏から分かれたのが摂津の安曇氏だと解釈されることになる。
アズミの発音については、(あと=安人=豊玉彦)と綿津見(わたつみ)の二神の(あと)の(あ)と(わたつみ)の(つみ)を掛け合わせたものであることが容易に推測できる。
この(安+津見)に安曇の漢字を当てたのが、安曇(あずみ)ということであろう。曇(どん)の字が当てられたのは、豊玉彦を安人(あどん)と発音することがあったからだろう。
このようにみると、すべては住吉大社神代記に記す(安人=あと・あどん)から発していることになる。
やはり、安曇の発祥は摂津と考えるのがいいようだ。
このように考えると、綿津見を豊玉彦と同神とみなすようになるのは、安曇氏が志賀に進出して奴国系海人が祀っていた綿津見を自らが祀るようになってからと考えるのが自然である。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:23:10.29
>>906
摂津は傍流の末裔だと何度教えられればw
0908日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:23:13.59
>>905

九州スレと同じコピペは>>898だろ
0909日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:23:25.04
摂津は分家ですらない
0910日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:24:20.58
>>908
邪馬台国ネタは邪馬台国スレでやれってこと
0911日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:27:06.51
>>899
甕棺墓は、3世紀中頃まで筑後の山門あたりで通用しているがなあ。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:29:34.98
>>906

感心して読んでいたのに、最後がダメダメ

要するに安曇氏は津守氏と同根であり、住吉の神、綿津見なんだよ。
豊玉彦と同じということは、筑紫の日向三代王家と姻戚を結んだ豊国王家であり、まさに古の奴国の王家に他ならない(記紀では綿津見の方が天孫よりイザナギに世代が近い=古い)。
イザナギの筑紫の日向の小戸における禊で生まれた氏族なのだから、当然土着の氏族の代表だよ(そもそも祖先崇拝だし)。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:29:49.41
>>910

>>891は全国邪馬台国連絡協議会九州支部を引用している
0914日本@名無史さん
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2019/05/25(土) 00:30:41.35
>>909
いちおう分家だが、本家は福岡の綿津見神社や住吉神社なのだろう。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:32:08.25
>>911

筑紫の端っこだから
0916日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:38:01.86
博多湾に新しい氏族が発生すると、古い氏族は周辺に追いやられる。
豊国王家だって、元々は住吉でわかるように博多にいたのに、遠賀川流域に追いやられている(たぶん、筑紫岡田宮、崗県主というのがそれ)。
最後には豊国は豊前豊後など、大分まで追いやられる。

その前の世代の勢力は、もっと東の出雲だし、それより古くて記録も定かではないのが、出雲よりもっと東に追いやられた越だろう。
しかし越も、香椎の語源が越だと言われるくらいなので、古くは西日本の日本海沿岸全てが越だったのかもしれない。
0917日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:41:19.09
>>914
摂津阿曇の最も古い実在人物が百足
その百足が磯良の9世孫を自称してるんだから傍流
本流は阿曇氏の祖 穂高見
摂津阿曇の祖 磯良は本流たる穂高見の甥
0918日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:42:51.02
阿曇が中央で没落したからだろう
忌部も没落した
0919日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:45:44.18
中央=筑紫の日向=博多湾沿岸
0920日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:47:07.86
つまり博多湾における天孫族に圧迫されて摂津まで落ち延びた氏族が摂津安曇氏か?
0921日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:50:39.33
ずっと志賀島で釣りしとったの?
0922日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 00:58:05.80
倭王だよ
0923日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:00:02.96
>>920
別物と考えたほうが良い
志賀阿曇は万葉集にスメラミコトと詠まれているから天孫系
0924日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:00:45.58
倭人伝では志賀島には行かんだろうw
0925日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:06:05.61
>>923
イザナギの末裔なら、王族であることは間違いない。

魏志倭人伝の卑弥呼の前の男王が日向三代なら、綿津見はその初期の時代になるから、郡使が訪問した時には奴国で埋没していたかもしれない。
0926日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:06:24.58
>>924
倭人伝無関係やん
0927日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:11:05.52
>>926

志賀阿曇いつ倭王だったの?
0928日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:25:34.61
スメラミコトと呼ばれた頃じゃない?
0929日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:27:46.95
その志賀阿曇がスメラミコトと詠まれている万葉歌引用して
0930日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:29:48.67
>>927
魏志倭人伝において、倭国大乱の前の男王の初期が帥升と年代が被るけど、これが天孫ニニギなら、イザナギの三世孫。
綿津見はイザナギの子だから、金印をもらった頃か、紀元前後かな。
まさに倭奴国王。
0931日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:33:53.51
倭奴国王=綿津見神=現人神=安曇=スメラミコト
0932日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:34:39.30
後漢に金印貰った本家は倭人伝の倭王とは関係なく志賀島の寒村で暮らし
分家が連、宿禰になったってことかな
0933日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:38:46.13
ニューヨークの玄関口であるエリス島みたいなところを押さえておいて、寒村とは言わないよ。
0934日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:39:53.17
奴国 ニューヨーク
伊都国 ワシントンD.C.
0935日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:40:52.76
エリス島もニューヨークも阿曇とは関係ない
0936日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:57:51.76
>>929
会話に参加したいなら、そのくらい自分で調べられる知能を身に着けてからにしろよ無能
もしくは謙譲語で教えを乞うたら即教えてやるぞ
0937日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 01:59:54.73
千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神

反日ソント集団はこれのこと言ってるのかな
0938日本@名無史さん
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2019/05/25(土) 02:47:33.81
>>912
感心して読んでいたのに最後まで感心しつづけることができなかったのは、きみらのファンタジー説刷り込み洗脳がいかにひどいものであるか示しているよ。
安曇氏の系図ではなぜ綿津見と豊玉彦がひとつにくっついているのかその理由を説明したら、自分の障害に気付いて安曇氏志賀発祥説の刷り込みを捨て去るかと思いきや、真理に背を向けてファンタジーに沈潜していく体たらく。
安曇氏の系図がいくつもの神を加上していく形式を取っていて、それが物部氏の旧事本紀の系図のパターンとおんなじであるのは明らか。
物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。
そして、日向=南九州定説にもかかわらず、日向=福岡異説に固執して、夢に浸り続けてしまう。
まあ、長年の固定観念がすぐに溶けるということはないだろうから、そのまま安曇氏志賀発祥を信じていたまえ。
ある日突然、「あっ、そうだつたのか」と膝をたたくことになるから、まあみていたまえ。
0939日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 02:49:24.98
>>915
あのあたりが、卑弥呼の祭祀所のあったところなんだけど。
0940日本@名無史さん
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2019/05/25(土) 02:51:46.52
>>939

何か見つかった?
0941日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 02:55:37.56
阿曇百足(ももたり、−むかでとも)
詳細不明
阿曇磯良の九世孫※磯良は阿曇族の女系であり、磯良の子孫を自称する摂津阿曇は傍流である。
本拠が摂津であるとされる最初の阿曇氏
磯良同様、『記紀』には登場しない

『肥前国風土記』松浦郡値嘉郷条では「百足は景行天皇の西国を鎮撫巡行に陪従し、志式島で偵察。 小近島の大耳と大近島の垂耳という土蜘蛛を拿捕して献上するも、景行天皇は貢物の約束で恩赦した。」
『筑前国風土記逸文』に見える大濱宿禰(阿曇宿禰・阿曇大濱)が"陪臣(又家来)"であったのに対し、百足は"陪従(お付き人)"となっている。
すなわち、百足の代にはすでに朝廷に従属していたことが分かる。

『播磨国風土記』の揖保郡・石海里条では「百足が石海の里の百枝ノ稲を孝徳天皇に献上し、その里を開梱せよとの勅を受け、石見の人夫を召して開墾したので、この土地の名が百便(ももたり)、村の名が石海(いわみ)となった。」
『播磨国風土記』の揖保郡・浦上里条では「この土地を浦上と呼ぶのは、移住してきた百足らが、先に住んでいたのが難波の浦上だからであり、産土に依ってこの地も浦上とした。」
そして本拠地を摂津から播磨に移したことが伺える。
ただし、播磨国風土記は年代的に阿曇頬垂(つらたり)との混同と考えられる。


阿曇頬垂(つらたり)
詳細不明
本拠地は播磨
日本書紀に見える最初の人間阿曇氏

『日本書紀』巻第二十六・斉明紀三年是歳条では
小花下(律令制下の従五位に相当)の頬垂が西海使の務めを終え、百済からラクダ一頭とロバ二頭を斉明天皇に献上した。
※642年に百済は再び倭国の附庸国となっていたため、西海に含まれていたのが興味深い
翌年の『日本書紀』巻第二十六・斉明紀四年是歳条では
再び西海使として百済が新羅を討ったとの報告を行っている。
『日本書紀』巻第二十七・ 天智紀九年九月朔条では
頬垂を新羅に遣わし(西海使ではない)、この年より水車を作って製鉄を始める。

東アジアにおける海洋帆船は宋代の発明とされているため、この時代は手漕ぎの準構造船と考えられる。
続く稲敷も含め、阿曇は遠洋海運に非常に長けていたことが分かる。
0942日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 02:56:05.25
>>916
きみらは、弥生時代になり何もかもが大陸からやってきて東へ通り過ぎて行ったそのトラウマに、いまだに悩まされているようだ。
邪馬台国東遷説も、天智東遷説も、この安曇東遷説もみなそのトラウマのなせるわざだよ。
しかし、日本の実歴史では、すべて西遷なのよ。
東から西へ移動している。
安曇も、大宰府もみな東から西へ移動しているの。
はやく、歴史の真実にたどりつきたまえ。
0944日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 04:09:47.38
>>941
頬垂、あるいは百足か、いずれにても今の大阪府下か兵庫県。
北部九州の阿曇氏は公式記録に出てこないね。
0945日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 04:11:27.73
>>940
祭祀所の位置を特定した。
0946日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 04:38:57.63
>>944
何を持って公式とするかにもよるが、>892の阿曇磯良を読めば本流(本家)は筑紫で確定だろうな。

畿内に住んでいることが確定している安曇が陪従(従属)してるにもかかわらず、後年長崎に現れる阿曇は陪臣(間接的な臣下)であることもそれを裏付けている。
0947日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:11:27.85
>>938
>物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。

妄想だろ。

>>938
>そして、日向=南九州定説にもかかわらず、日向=福岡異説に固執して、夢に浸り続けてしまう。

こういうのを固定概念というのだよ。
0948日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:12:28.01
>>942
>しかし、日本の実歴史では、すべて西遷なのよ。

根拠は?
0949日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:29:54.00
大濱宿禰(阿曇宿禰、阿曇大濱とも)
詳細不明
綿積の子 穂高見の子孫※綿津見の直系男子であり、本流である。
弟  小濱宿禰(海犬養と凡海の祖先とされる)
次男 名不詳(信濃の阿曇犬養連の祖先とされる)
本拠地の明記はない。
海人之宰(あまのみこともち)

『日本書紀』巻十・応神紀三年十一月条では「各地の海人が天皇の命に従わなかったので、阿曇の祖である大濱宿禰を遣わして平定し、大濱を海人之宰に任じた。」
『本朝月令』の「高橋氏文」にも同様の記述があり、奉膳職の理由としている。 
さらに「高橋氏文」では崇神天皇の奉膳は阿曇の遠祖”大”栲成が始まりとあり、摂津の"小”栲梨と区別する目的があったと見られる。

『釈日本紀』巻六・阿曇連等所祭神条に所収の『筑前国風土記逸文』では「神功皇后が新羅行幸の折に島に停泊し、火を求めて陪臣の小濱を遣わせた。 あまりに早く戻った理由を皇后に説明するよう大濱が促したので、小濱はの島は打昇之浜とほとんど地続きなのですと答えた。 この所以をもって近島と命名し、今は訛って資珂島という。」
摂津(後に播磨)の阿曇百足は景行天皇の陪従(臣下)であったのに対し、大濱と小濱は陪臣(又家来)となっている。 同じ阿曇連で百足の後年である大濱小濱兄弟が陪従していないのは極めて不自然であり、神功・応神から勅使を受けた筑前阿曇宗家が大濱小濱兄弟を遣わせたため又家来とされたと見るべきである。


阿曇浜子(はまこ、−黒友とも)
詳細不明
家系不明

『日本書紀』巻十二・履中紀即位前紀では
「履中の同母弟、住吉仲皇子(墨江之中津王)の叛乱に淡路の野島の漁師を率いて荷担したが、死罪を免れる代わりに入れ墨の刑に処され、人々から[阿曇目]と呼ばれた。」
海人之宰の影響力が淡路の海人族にまで及んでいた証拠であり、記紀の上では血縁を確認できないものの、阿曇と住吉の強いつながりを見て取ることができる。
この事件をきっかけに海人之宰の任を解かれ、その後は推古紀まで阿曇の名は歴史から消える。


阿曇連比羅夫(ひらふ、−山背比羅夫とも)
詳細不明
家系不明

信濃穂高神社にて安曇連比羅夫命として祀られるが、安曇氏の家系図には見えないため、阿倍比羅夫のことと思われる。
0950日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 07:40:09.22
>>938
>物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。

物部氏も海部氏も尾張氏も安曇氏もその他の氏族も、ぜんぶ倭国(阿波)の忌部一族。 小難しく妄想しすぎ。   @阿波 
0952日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 08:22:35.72
>>951
よく、冷やして養生したまえ。   @阿波
0953日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 08:52:46.47
阿曇稲敷(いなしき)
詳細不明
家系不明

『日本書紀』巻第二十八・天武紀 天武元年三月己酉条では
「内小七位阿曇稲敷を筑紫に遣わし、天智天皇の崩御を唐使の郭務?に伝えると、郭務?らはことごとく喪服を着て三度挙哀し東に向かって拝んだ。」
白村江の戦いの後、郭務?ら二千人の来日を倭国敗戦の根拠とする者がいるが、郭務?は大和朝廷に対して敬意を持っていたことが分かる。
(郭務?は文官であり、また随行の二千人の大半は捕虜と百済難民である。 また唐側にも倭国側にも筑紫都督府を設置した記録はない。)

『日本書紀』巻第二十九・天武紀 天武十年三月丙戌条では「小錦下阿曇連稲敷ら十二人に帝紀および上古諸事(旧辞)を記し定めるよう命じられた。」
帝紀と旧辞は『記紀』の基本史料であり、記紀に記される阿曇族の記述は稲敷の認識と考えられる。


安曇継成(つぐなり)
詳細不明
家系不明

『高橋氏文』では「延暦十一年三月十八日に内膳奉膳にあった継成が詔命を承けず、人臣の礼無しとして絞刑に処せられるべきところ、特旨をもって死一等を減じ佐渡に配流された。」
これをもって阿曇氏は表舞台から姿を消した。
0954日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 09:01:17.64
マッカーサーだって昭和天皇に礼は尽くした。
天智天皇を日本国の代表に取り立てた以上は、あくまでも国王であるから、官であるカクムソウは礼を取るべきなんだよ。
別に矛盾はしない。
0955日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 09:07:32.50
>>954
一理あるが、お前はいつまで経っても人の文章の全体を把握できない無能やな
0956日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 13:31:08.15
>>946
太平記に磯良が筑紫の浜に現れたと書かれているから筑紫の海神だと主張しているが、短絡すぎる。
摂津の海から筑紫へ移動したということだよ。
きみらは都合読みが甚だしいな。
また、陪従と陪臣の違いを挙げているが、陪臣は武士の主従関係に用いられる語彙だとされている。
古代には、武士はまだいない。
ちゃんと時代考証しないとね。
0957日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 13:36:17.18
>>950
あれ、物部氏の系図、そのまま事実だと思ってるの。
0958日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 13:38:29.10
>>948
え、常識だよ。
0959日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 13:46:59.82
>>947
物部氏の系図は、見たら一目で造作だと分かる。
きみらの目は節穴だよ。
また、日向=福岡異説はごく普通の見識。
きみらの安曇志賀発祥説こそ、固定観念というにふさわしい。
0960日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 13:56:05.97
>>956
苦し紛れに何を言い出すんだ無能
0961日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:03:57.62
いずれにしても、安曇氏が志賀発祥だと確定できるような資料はない。
いままで、きみらは通念として安曇志賀発祥を信じてきたが、これからは摂津発祥だと考えを改めたまえ。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:07:10.16
>>961
またいつもの病気で精神勝利か摂津チョンコ(笑)

阿曇の本貫地は筑紫だという証拠しかないぞ無能
一方、摂津には何もないじゃないか無能
いい加減現実を直視する勇気を持てよ無能
0963日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:07:42.15
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル
0964日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:29:40.72
志賀島は志珂郷、朝鮮学校がある和白、新宮あたりが阿曇郷
0965日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:30:26.45
奴族が筑紫の宗家=イザナギ

筑紫志賀島が安曇本家=ワタツミ

筑紫那珂川が住吉本家=アラヒト

播磨安曇は安曇の傍流=イソラ

摂津住吉は住吉の分家=スミノエ
0966日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:42:29.39
住吉大社神代記の「安人=豊玉彦」がすべてだよ。
安曇は、この安人にちなむ(安)と、綿津見の(津見)の合字。
安曇は津守から分かれた同族で、その同族の分家が志賀へ行って綿津見を祀るようになったので安曇の姓ができた。
それまでどのような族名であったか分からないが、この頃から安曇を名乗るようになったのだろう。
志賀の阿曇氏が阿の字を使っているのは、何か意地を張った結果にすぎない。
この志賀の阿曇氏が安曇族の本家であるとするのは、本末転倒といえるだろう。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:49:54.80
摂津とか葛城とか阿波とか
そうまでして村興しがしたいのか
0968日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:52:49.57
>>966
ウソの創作活動楽しそうだね無能チョンコwww
0969日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:54:56.51
>>966
踏み間違えを絶対に認めない池袋の老害そっくりだな(笑)
向こうのプライドの高さは社会的に認められたものだが、摂津チョンのそれはガキの夜泣き
0970日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 14:57:43.65
綿津見は兄
住吉は弟
宗像は甥

筑前安曇本家は直系男子

播磨安曇は女系の傍流
0971日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:04:40.05
>>965
四国とおんなじで、福岡はなんでも取り込んでしまうのな。
安曇は住之江のタモミ族(津守氏)の分かれで、住之江の隣の難波あたりを支配した。
朝廷の命によってその分家が志賀の現地で綿津見を祀る役目を担った。
そして安曇の姓ができ、志賀で意地を張った分家が阿曇と別字を使ったということだろう。
それでも、阿はア音であり、安曇の一党であることは残した。
まあ、そんなところだ。
ちなみに綿津見は、元々は南九州阿多族が祀ったが、縄文早期末に博多へ移った際にそこで祀るようになったもの。
その阿多族が縄文前期に南九州阿多に戻ったあと、阿多族の支流である奴国系がそのまま志賀で綿津見を祀り続けたもの。
なぜ綿津見だけが志賀に残されたのかというと、朝鮮半島とつなぐ対馬海峡の支配権を保持するためだった。
この頃には、朝鮮半島には阿多族がすでに進出していて、博多などと交流が維持されていたからだ。
綿津見がなぜ志賀で祀られていたのかについての事情は、このようなものであった。
0972日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:09:13.74
>>971
しつこいぞ摂津チョンコ
お前は完敗したんだ諦めろ
0973日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:13:13.62
             なんでも取り込んで・・・
 サッ ミ _____ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧_,,||// ∧_∧|. ∧_∧ …
  .(.・ω||/ <♯`Д´><    >
  ( ⊃||   (    )| (>>971
  し―-J ̄ ̄ ̄ ̄  u―u'


 なんでも取り込ん・・・            
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ._____彡 サッ
          ∧_∧ |//∧,,_∧ ||_∧
         <     > |/ <`Д´#>||ω-` )
         (>>971つ | (  ⊂ ) ||⊂ )
          u―u'  ̄ ̄ ̄ ̄ ( ̄(_⊃
0974日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:14:56.36
>>971
本当にお前はウンコだなwww
0975日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:15:23.33
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル
0976日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:22:17.97
>>971
あんた>975を10回くらい読んだほうが良いよ
悔しいだろうけどまさに書かれている通りの行動をしてるよ
0977日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:34:10.06
福岡が弥生時代の先進地域であることは間違いない。
0978日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:44:17.99
歴史より先に後付けの記紀が、
お前らの頭に有るからおかしい、ってのが理解できてるか?
邪馬台国が、後の大和朝廷と合流したのは、
240年以降で280年辺りまでと考えられる。

これは公孫氏滅亡で、それまで青銅などの輸入が途絶えたことが原因。
半島の韓王朝も246年に倒れ、卑弥呼の外交では、九州も滅びたであろうこと。

この時は、倭人伝読むまでもなく、安曇の連なんて存在しないのは判るか?
13歳だった壹與が嫁ぐ みたいな戦国調略による併合だろ?
これによって対中華防衛で、日本が軍事化で古墳時代が始まる。

銅鐸が消えるのも、重農政策から富国強兵への切り替えで
縄文以来の、なにがしかの勢力との協調が有ったからだ。

313年の韓四郡滅亡後は、半島進出や富国強兵が総力化する。
400年〜500年、倭王は、南朝に対し、自ら漢字名を名乗った節がある。

氏姓を伴う貴族の豪族化もこのころから、と考えられ、
記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。

安曇族の始祖神が、神功皇后や朝廷とかかわりを持つ
なんてのは、時系列がデタラメにならないと成立しないファンタジー。
海神ワタツミを始祖としして祀れ、という、冠位格式のご都合成立以降の話だ。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:46:45.83
>>978
10回読んで理解できないなら100回音読しろよキナイコシ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル
0980日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 15:47:51.52
>>978
ところで住吉大社には電話したのか?
午前中に電話して反省文提出するはずだったよな?
0981日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 16:00:32.38
>>978
>記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
>朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。

筑紫における王権の方が古いのだから、筑紫に関してはその限りではない。
0982日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 20:04:11.26
>>978
移動する神が現れてくるのは、この5世紀前後頃から。
この時代以前には、氏族なんてまだいない。
部族社会の最後が4世紀後半よ。
日本書紀はそもそもの始発から王がいて、家来がいて、という王権と氏族の世界を描いているが、4世紀後半まではまだ部族社会だよ。
0983日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 21:31:31.08
>>982
>この時代以前には、氏族なんてまだいない。
>部族社会の最後が4世紀後半よ。

まったく根拠のない妄想
0984安曇の系譜
垢版 |
2019/05/26(日) 10:55:12.32
綿津見(ワタツミ:大綿津見神「−海津見・−海津美」、上津−・中津−・底津−、−豊玉彦「豊玉毘古」、少童「表−・中−・底−」、海神「海童」、和多津見「−都美」、綿積「−摘」、志賀神)
安曇の祖神
出生地 筑紫日向小戸橘之檍原(アホキハラ)/竺紫日向之橘小門之阿波岐原(アワキハラ)
父  伊邪那岐
母  伊邪那美
兄  八十枉津日、枉津日、神直日、大直日、(姉 伊豆能売[記のみ])
双弟 住吉(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
妹  天照、月読
弟  須佐之男
子  穂高見(阿曇の祖)、振魂(尾張氏の祖)、豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
娘婿 彦火火出見(山幸彦)、彦波瀲武??草葺不合
孫  彦波瀲武??草葺不合、阿曇磯良(阿曇の氏神)
曾孫 神武天皇

綿津見を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
綿津見神社(全国)
海神社(全国)
穂高神社(長野)


穂高見(宇都志日金拆、宇都志日金折命、顕日金拆、一説には猿田彦と同定)
阿曇の祖
親 綿津見
弟 振魂(尾張氏の祖)
妹 豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
子 八坂刀売(諏訪大社社伝のみ)

穂高見を奉祀する主な神社
志賀今宮神社
信濃穂高神社
紀伊海神社
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