住吉大社神代記の「安人=豊玉彦」がすべてだよ。
安曇は、この安人にちなむ(安)と、綿津見の(津見)の合字。
安曇は津守から分かれた同族で、その同族の分家が志賀へ行って綿津見を祀るようになったので安曇の姓ができた。
それまでどのような族名であったか分からないが、この頃から安曇を名乗るようになったのだろう。
志賀の阿曇氏が阿の字を使っているのは、何か意地を張った結果にすぎない。
この志賀の阿曇氏が安曇族の本家であるとするのは、本末転倒といえるだろう。