元冦って言うほどヤバかったの? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
仮に九州北部を落とされても南部まで元軍が攻め込めるとは思えないし、ましてや京都や鎌倉まで進撃して落とせるとは到底思えないんだが… 当時の技術で日本海超えて数万の大軍を運用するのは、正直厳しかったと思うよ
皆が喧伝するほどヤバい脅威ではなかったと俺も思う
でも、戦いはやってみないと分からないからねー
北九州に上手く橋頭保を築いて、本土を侵略できた可能性もゼロではなかったと思う
ただ、それにはもっと入念な準備と離反工作が必要だっただろうね 「現代の眼で客観的にみれば」、ヤバくない
ただ、それは俺たちが世界地図を持っているし、
いろんな歴史的事実も知ってるから
>>1や>>5のような理屈だってわかる
当時の人間は世界がどれだけひろいのかわからんかったし、
元軍の渡航力の限界だってわからんかった 半分以上が高麗人じゃし、言葉が通じんかったやろうのう。 近代以前の国家は国民同士全然言葉が通じないのが普通だが
中国とか未だに省が違えば通訳がいるし文法すら違う 元寇はかなり高麗人を混ぜて来たんじゃけぇ。モンゴル語と朝鮮語故全く違うよ。
ほいから、日本の中ではいつ頃まで通訳があったんやろかい? 少なくとも対馬、壱岐、伊万里、博多方面はこっぴどくやられているようだが 正規のモンゴル軍(モンゴル人による騎馬軍)は当時ユーラシア大陸最強だったけど、完全に陸軍だしな
どのくらいの規模の正規軍が船に乗ってたのか知らないけど、
海を渡っての上陸作戦に対応できる軍隊だったか疑問
仮に上陸地を占領できて陸戦用に兵を整えても、平原などほとんど無い日本の地形で、モンゴル流の騎馬集団戦法が可能だったかも疑問
結局日本側が過剰にビビって講和などしない限り、モンゴル側は占領地を拡大できずあきらめて帰るしかなかったんじゃないのか 馬を船で運ぶのも大変だろうな。
得意の騎馬戦術は無理じゃない?
そもそも海を渡ってきた兵士は、モンゴル族ではなく、漢民族とか朝鮮族じゃないの? 朝鮮兵が前面にいて日本軍と直接交戦し、モンゴル兵は後ろから弓で矢を射っていたらしい
中国兵はヤル気がなく、戦後捕虜になったモンゴル兵や朝鮮兵は日本軍により処刑されたが、
中国兵はヤル気が無かったという理由で助命され、奴隷にされた 元がなぜ博多以外に上陸して来なかったか知らんが、
日本側も博多に再度来ると確信して防塁を築いた
確信にたる合理的な理由があったのだろう
たとえば元側は博多以外の海図や地理の情報を持ってなかったとか
元側は5000艘の、いい加減な船の大群
暗礁とかの情報が無い海域は怖くて通行できないだろう
上陸できても5000艘停泊できるのか
補給線の問題も
持って来た食料が尽きたら、15万の将兵の食料だけで毎日大陸と日本列島の間に運搬船を走らす必要があり、よく知らない海域で可能なのか 移民がいたって自給できるようになるのに最低1年はかかるだろ
常識的に考えれば数年以上かかる
略奪はモンゴルの常套手段だが、15万人の胃袋を満たすためには略奪だけでは不足する
どっちにしても本国からの補給は必要
大軍勢がどこでも上陸して制圧できるなら、元以前に日本は中国に侵略されてとっくに属国化していたろうな その昔元寇を防いだのは北九州の防衛ライン
今年の一月にモンゴル連覇を防いだのは福岡出身の琴奨菊
歴史は繰り返すんだな。 北条氏という強力な政権が無かったら、元軍に対抗できなかったんじゃないかな >>1
先日読んだ本 「兵器と戦術の日本史」金子常規著 中公文庫
第四章 突撃騎兵と矛歩兵衝突す−元寇
著者は陸軍士官学校卒 元自衛隊幹部学校戦術教官、特科群長、富士特科副部長
参考になると思われ、横入りゴメン >鋤釜も積んで移民も居たらしいし
そりゃ飯炊きの道具くらいは積むわ
それに鋤なら文禄慶長の役の日本側も築城の道具に使ってるから
何も農具として使うためだったかは実のところわからないんじゃないか 金子氏の結論から言うと元軍は鷹島を陸上基地として伊万里湾から上陸
西進して佐賀平野を横切り背後から大宰府へ突入、博多湾に面して構える
日本武士団を背後から襲う奇襲作戦を計画していただろうというからまじでやばかった
元側の糧食はあと2箇月分しかないので当然住民を皆殺しにして秋の稲の収穫期に間に合わせるしかなかったと思われ
平戸、伊万里方面の武士は皆博多方面に出撃していて手薄だったそうな 現在の中華思想もそうだが、理想の具現化に熱意を持っている者と
そうでない者の温度差が綻びを作るんだと考えますね。
シルクロードと言われる陸路の利権を掌握し、最果ての地にて航路が必要になった時に
中国東南部・朝鮮半島での造船技術や航海術に頼って、早急に大量の船を必要としたが
それが、ハリボテの船だとは思わなかった・・・元祖セウォル号事件と言っても過言ではない。
ハッタリ、インチキ、ボッタクリ、嘘泣き、が土着化している地域を占領下に置くということは
そういうリスクがあるということだから、起こるべくして起きた事柄だったと思いますね 元軍がまともに上陸もできず大苦戦していた時に、日本側はさらなる援軍6万が本州から九州へ向かっていた
幕府の、御家人運用能力は見事としか言いようがない 元寇で渡ってきて台風で帰れんくなって日の本に定住した渡来人っておったん?
なんかの先端技術を伝えてくれたんかな?(・ω・) 普通に考えたら、福岡に上陸して砦と補給港を建設して東へ侵攻する。
山陽道・瀬戸内海を通って京を攻略、ついで東海道を進軍して鎌倉攻めになるだろうが、
進軍してる間に東国の武士団が十分な迎撃体制を整えてくる。
それでも兵の数は元が上だろうが、日本は地の利でゲリラやり放題。10万の兵もボロボロになるはず。
兵站も問題で鎌倉まで行ってたら本国(海上輸送)どころか博多からの補給線も維持が難しい。
本国も多方面作戦で簡単には増援を送れない。結局大軍は孤立していずれ掃討される。
日本は負けることは無いだろうが、国土ボロボロになって鎌倉幕府の滅亡は早まるかも。 福岡に橋頭堡築かれたら、九州、中国地方の武士団と住民が逐次虐殺され、
日本側は京や鎌倉を奪われずとも幕府の求心力は低下、不利な条件で講和を結んでしまうかも おそらく元が安全な輸送ルートを確立したら勝てないだろう。
開けた土地なら元の本来の戦いが出来る。日本の地形自体は多少は元に不利に働くだろうけど
水際で後退余地のない、さらに防塁すらあるところでの上陸戦は元軍が最も苦手な戦いだからね。
史実の戦い方で日本が敗北したら後は無かったと思うよ。
モンゴル軍がボロ負けするのは大体逃げられない状態に置かれてすり潰すように猛攻を受けたとき。
軽装騎兵だから機動力を生かせない状態だと結構押し負けるんだよね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています