論理的に考える。

1世紀、倭の奴国の時代、日本は、分かれて百余国からなっていた
3世紀、邪馬台国の時代、日本全体が何カ国からなっているかは明示されないものの、邪馬台国は30カ国からなっていた
(邪馬台国に属さない日本の国も、狗奴国や東の海の向こうの国、黒歯国、裸国など、たくさんあった)
5世紀、倭王武の上奏文によると、日本は東国55カ国+西国66カ国の計121カ国からなっていた

1世紀と5世紀とで日本全体の国数に大差ない以上、3世紀の日本全体の国数も大差なかったと考えるのが論理的
とすると、全体で120カ国程度の日本のうち、その4分の1しか支配してなかった邪馬台国は、日本全体からみれば地方政権にすぎない
よって、日本の中枢である畿内に邪馬台国があったはずがない