>>199
でも、帥升は倭面土國王で、筑志米多国造の祖でいいと思うよ

米多郷は、吉野ヶ里の近くの地名で、そこに国造クラスの勢力が弥生時代から
いたと認めていいと思う

そして、そこに国があれば、魏志倭人伝の末慮国からの「東南陸行五百里」に合う

後漢代の、「末慮国に上陸してから目指す国への旅程」が、
魏代には使われなくなっていて、「伊都国への旅程」と間違われたのだと思う