まあ、九州説がメタメタなのはそのとおりとして、
吉野ヶ里あたりの地域集団が、ひと頃は「米多國」と呼ばれたことは認めていいし、
それが大陸の人に音訳されれば「面土」と書かれる蓋然性はそれなりに高いと思う

何より、末慮国に上陸する「理由」が、松浦川沿いに佐賀へ抜けるルートを
取るため以外には見出しがたい

末慮国から伊都国へ陸行するには海岸沿いを行くしかないが、
それなら陸行せずに、そのまま船で行った方がよい、というより
末慮国に寄らずにそのまま伊都国に船を着ける方が合理的だ