邪馬台国畿内説を論理的に潰すスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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憎き畿内説を潰すための有意義な情報を交換しましょう >>214
>墓域まで環濠内に作るくらいでしょ?
墓域を環濠内に作ったというより、墓域までを囲む環濠を作ったっていう方が正しい
環濠内に計画的に墓域を配置したのではなく、先に墓域があってその外側まで環濠を伸ばしている 2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、 あの大きさだと4世紀以降だろう。
卑弥呼とは関係ない。 いや、後円部のサイズが径百歩に近いし、これまでさんざん
九州には王墓にふさわしいサイズの墳墓がないって言われてきたんだから
逆転ホームラン級だろ?
編年もまだ何も情報はないんだから、今のうちに3世紀でおかしくないって
論陣を張っておきなよ >>220
卑弥呼ではない。
もし前方後円墳だとしたら、奴国だけでなく、
大分から田川など経由で筑後にもこれほど大量の生〇が運び込まれていたのかと
驚く。 >>225
>生〇
生肉?
まあ、いまさらないと思っていたものがあったって言われても
意見は変えられないよなw 畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
犯罪者キナイコシの、スレッドを荒らすやり方が、ますます悪質になってきているよ、、、 天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの延べ何百時間にも及ぶ大規模調査が実施された2013年以来、箸墓古墳を卑弥呼の墓とは、誰も言い張らなくなってきたね。。。 また、いらんスレ立ててるやつがいるな
本当に、動機からしておかしい 畿内説を論破されてしまった既知害キナイコシが、必死に荒らしているね。。。 日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ 日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ 日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ 日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに日本の起源を持ってきて、
儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ 日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに日本の起源を持ってきて、
儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
らしいよ >>238
論理を無視して、論破されたうそを平気で繰り返し書くからなぁ
いまだにがんばっている九州説の頭おかしい連中は
まあ、論理が通用しない相手だわ >>99
>紀元前からずっと
これが嘘なんだよなぁ
ずっとじゃなくて、邪馬台国の時代に届く100年以上前に途絶えているんだ
甕棺墓が廃れた時期以降はろくに出なくなるし、出るものもどんどん質が悪くなる
倭王の所在地としてはあり得ない趨勢がはっきり確認できる >>240
空想と論理を勘違いしてる畿内説らしい認識やな >>242
>平原遺跡を
平原1号墓と書かずに、平原遺跡と書く以上は2号墓から6号墓までを総合した、
平原遺跡全体の解釈を述べてくれればいいよ
1号墓とほぼ同時に築成でほぼ同じ大きさで、副葬品が全然ないそこらの墓としか
いえない2号墓とか
これを、卑弥呼の男弟の墓だとか言ってるやつがいたけど242はどう思うんだい?
それから、一番古いと考えられているけれど10メートルもない小さな6号墓は
どう考える?
平原遺跡は、家族の墓域と考えられるけれど、王家の一族とはとても思えないぞ?
たぶん、242より俺の方が平原遺跡には詳しいぞww
その上で卑弥呼の墓どころではないと判断している
そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし >>244
>空想と論理を勘違いしてる畿内説らしい認識やな
空想ならまだましだってくらい、嘘ごまかし捏造でたらめを繰り返し書くのが
九州説にはいるからなぁ
っていうか、そういうのしか今どき九州説には残っていない >>245
卑弥呼はたまたま白羽の矢が立って共立されたから、その家族が権力を持っていたわけではないだろう。
何か問題あるの? >>247
>卑弥呼はたまたま白羽の矢が立って共立されたから、
そこらの農民に、白羽の矢が立つ訳がないだろ?
最低限もともと地域首長の王族でなければ、他国が共立で乗ったりしない
平原遺跡の状況は、6号墓とかどうみても王族と見るには無理がある
これに対する見解はないのかい?
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」 >>248
>最低限もともと地域首長の王族でなければ、他国が共立で乗ったりしない
首長クラスではあったろう。
それは王族とは別の話。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。 >>249
>首長クラスではあったろう。
>それは王族とは別の話。
では言い直そう
平原遺跡の状況は、6号墓とかどうみても首長クラスと見るには無理がある
そんな家系から倭王は出ないよ >>252
親戚の末端なぞ知るかよ。
一号墓から目を背けるなよ。 >>252
1号墓と2号墓はほぼ同時に作られてるから、2号墓は1号墓の主に近い存在の墓でしょう。
6号墓?
親戚じゃね?
それが何か意味があるのかい?
弥生終末期、1号墓の他の墓の追従を赦さない程の副葬品や、鳥居や大柱の存在を無視しちゃいけないなぁ。
最近は三雲でも古墳前期の大型建物が発見されたり、潤地頭給遺跡の玉造工房も弥生終末〜古墳前期までの遺跡だし、古墳前期の古墳も糸島は多いんだよね。
古墳前期までは栄えていた地域だね。 >>253
>親戚の末端なぞ知るかよ。
6号墓から順に累代的に造墓していったと考えられるから、6号墓も親戚の末端ではなく、
その時代の当主=首長だよ、その家系の
一族の家族墓地に累代的に造墓しているからには、伊都国の中では特定有力家系では
あるのだろうけど、「余裕がなくて」「口の悪い」九州説の253に「末端扱い」される程度
そこに倭王墓があると考える方がどうかしている
1号墓と2号墓は、同時築造でほぼ同大
2号墓が王墓ではないなら1号墓も王墓でないのはある意味当然 >>254
>鳥居や大柱の存在
その大柱列から棟持ち柱のある喪屋が想定されているんだが、
その柱穴が長方形から歪んだ平行四辺形になっているのは把握しているかい?
倭王の葬送儀礼で歪んだ喪屋を建てると思うかい?
それに254もこれには答えないね
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」 >>256
で、お前さんのパスポートはどこの国?
即答できるよなあ? 「うるせえ!俺は日本人だぜ!
日本史板にいるんだから当たり前じゃん!」
と、言えばいいだけのことなのだが。。。
うんたらかんたら言って、
日本人ですよ宣言すら誤魔化して逃げようとする気持ち悪い奴が
必死に日本史に介入する姿 なんで外国人様が
卑弥呼様の墓=平原1号
卑弥呼様の墓域=平原1号+2号その他の周濠で囲まれた墓域=径百余歩
に文句つけてるの?
博多に弥生最強国家が存在したら不都合? 俺は日本人だけど
東夷伝里で統一されていると思うんだ
>三国志東夷伝
で、俺は日本人と宣言してから発現することができないらしい
ハニカミ屋さんは
どう思うんだ? >>260
>俺は日本人だけど
惜しい!
そこは「俺は生粋の日本人だけど」って言わないと、バレちゃうよ! >>259
>平原1号+2号その他の周濠で囲まれた墓域
お前、平原遺跡の配置図見たことないだろ?ww >>257
>で、お前さんのパスポートはどこの国?
>即答できるよなあ?
本当に笑わせてくれるよな
普通の日本人は、「パスポートは」じゃなくて「○○は」どこ?って訊くんだよww
これ、本当なんだな
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから 金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるか。
繋がります。
和邇氏はトヨから始まります。
事代主
┣━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
┣━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造) >>254
>弥生終末期、1号墓の他の墓の追従を赦さない程の副葬品や、鳥居や大柱の存在を無視しちゃいけないなぁ。
一部ですが、参考にどうぞ。 @阿波
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm 畿内説を論理的に潰すという夢は叶わないってことで
FA? よく考えたら、奈良が他の地方に対して
優位な痕跡って、何もなさそうだな。
遺跡なし、鉄器なし、銅器なし、
前方後円墳でさえ、千葉や福岡どころか
京都や大阪にも負けてる。
平城京のときに30万人ほどに膨れ上がったが
都が移ると15万人ほどに減少。
もともとの食料生産力はその程度。 >>255
>1号墓と2号墓は、同時築造でほぼ同大
>2号墓が王墓ではないなら1号墓も王墓でないのはある意味当然
王は一人だろ?
非論理的だな。 >>259
>博多に弥生最強国家が存在したら不都合?
考古学的には玄界灘沿岸、特に博多湾沿岸が弥生国家の成立の地なので、正しいと思うよ。 >>268
その通り。
畿内説は、卑弥呼より500年も後の平城京の繁栄を過去に投影して夢を見ているだけ。 アンチ畿内説って宗教だね
何も理由が言えないんだもの >>269
>王は一人だろ?
>非論理的だな。
日本語が読み取れないんだな
2号墓はどう見ても王墓にふさわしくないスペック
1号墓も同じスペックしかない
2号墓が王墓ではないことを認めておきながら
1号墓を王墓と言い張るのはただのダブスタ 議論どころか他人と会話もできない九州説
論理的に・・・なんて、夢のまた夢だな
>>270
>考古学的には玄界灘沿岸、特に博多湾沿岸が弥生国家の成立の地なので、正しいと思うよ。
私も正しいと思うよ
ただ、卑弥呼の頃には相対的な地位低下が著しく、王がいるような土地ではなくなっている
繁栄の時期が100年単位で古い
北部九州に人がいなくなるわけではないけれど、出雲や吉備、丹波、畿内第V様式の国が、
以前よりも広域の王権を発達させていく時期に出遅れてしまっている 別につぶそうとも思ってないけれど、プロの研究者が文献史学の人も考古学者も
一顧だにしなくなってるからなぁ 九州説は >>276
>2号墓はどう見ても王墓にふさわしくないスペック
>1号墓も同じスペックしかない
スペック?
弥生時代になかった言葉で誤魔化すなよ。
スペックには副葬品は含まないのかよ。 >>281の言い方が、なんだか「家を離れるざしきわらし」っぽくていい感じ >>282
現代という時間の中で議論してるんだから、現代に使う用語は普通に使うだろ?
それに282もこれには答えないね
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」 >>285
>伊都国が倭国の都ということだ。
言ってて恥ずかしくならない?
「根拠」もなしに何を言ってるんだかw
じゃあさ、邪馬台国の「国」って何を意味しているの?
倭国の都なら、倭都じゃないの? >>287
>雅な字を当てたんだよ。
いや、邪馬台国の「国」の字はどこから出てくるんだってのに、
まったく答えられてないじゃないか
伊都国の「伊」の字を言いたいんだろうけれど、特に雅な字じゃないし
まずは訊かれたことに答えようか? 邪馬台と書いてヤマトと読む。
倭と書いてヤマトと読む。
つまり邪馬台国とは倭国と同義で、訓読みにさらに漢字を当てただけ。
魏志にある女王国もまた同義である。
卑弥呼の称号は邪馬台国の女王ではなく、倭国女王(親魏倭王)である。 ずいぶん待ったけれど、これには答えられないってことでいいな?
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」
つまり、平原1号墓を卑弥呼の墓とみなすのは、根拠なしのトンデモに過ぎないってことだ >>291
>伊都国が女王国なら問題ない。
これがそもそも成りたたないって話だろうが
女王国=倭国なら、伊都国は女王国の一部ではあっても、伊都国=女王国にはならない
女王国=邪馬台国で、伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と
記されていることが説明できない
平原1号墓が「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならない点も、
伊都国説がトンデモ説にしかならないことをはっきりと示している >>293
>女王国=邪馬台国で、伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と
>記されていることが説明できない
明らかに魏志倭人伝では国を様々な意味で使っているんだってば。
陳寿自身もやや混乱気味なのだろう。 >>294
でも明らかに、伊都国と邪馬台国は同等の並列関係の「国」として書かれているよな?
だから何度も訊いているんだが?
伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と記されている理由は何なのか?と
「根拠」を付けて論証してくれ
できるものならな
まあ、がんばれ 並列には思えないな。
伊都は前後の他の国邑との位置関係が明記された狭い地域だが、邪馬台国はそうではない。 >>296
>並列には思えないな。
それは296の「個人の感想」だな
旅程記事部分は「方角・移動方法」「距離」「到着地」の3つの情報が揃って書き込まれている
始度一海 千里 至對海國
又南渡一海 千里名曰瀚海 至一大國
又渡一海 千里 至末廬國
東南陸行 五百里 到伊都國
東南 至奴國 百里
東行 至不彌國 百里
南 至投馬國 水行二十日
南 至邪馬壹國 水行十日陸行一月
きっちり並列だろ?
>伊都は前後の他の国邑との位置関係が明記された狭い地域だが、邪馬台国はそうではない。
単に終着点てだけだろ?
見方によっては、投馬国と斯馬國の間の国って明記されている訳だし
奴国 二万戸
投馬国 五万戸
邪馬台国七万戸はそんなにせまい地域ではないだろうが、
これらと伊都国がかななる理由はないだろ?
重ねたが最後、戸数表期がどうしようもなく矛盾するし
伊都国説はトンデモにしかならないよ >>297
>南 至投馬國 水行二十日
>南 至邪馬壹國 水行十日陸行一月
明らかに違う記事が紛れ込んでいるだろ。
他の史書で帯方楽浪から一万二千里と明記してあるわけだし。 魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。
魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日
後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。 >>299
>他の史書で帯方楽浪から一万二千里と明記してあるわけだし
これ、他の史書では魏志倭人伝の引き写しだから、魏志倭人伝以上の情報にはならないぞ
魏志倭人伝の情報を更新するのは、隋書になってやっとだ
隋書では、遣隋使が来て裴世清が答礼使で倭国を訪問して、その記録で更新できた訳だ
その隋書では「古云」去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里という書き方をしている
これは、「現在では違うと分かっているけれど、以前(古)はこう云っていた」という書き方
そして、魏志倭人伝では萬二千里は「邪馬台国まで」の距離ではなく
「女王国まで」の距離として書かれている
卑弥呼は、邪馬台国王ではなく、親魏倭王なのだから、この女王国は倭国と意味する
倭国のあるところまでが、萬二千里もある遠地だという表現
そして、この萬二千里は実測地ではなく淮南子に見られる東の世界の果てまでの
観念的な距離
司馬懿が公孫氏を滅ぼしたから、東の果ての倭国が朝貢に来たという、
司馬懿の功績を顕彰するための文飾だよ
これを、倭国内の移動距離と絡めて考えるのは無意味 >>302
>これ、他の史書では魏志倭人伝の引き写しだから、魏志倭人伝以上の情報にはならないぞ
つまり、当時の中国人たちは、里程と日程は分けて読むものだと理解していたことになる。
続けて読むのは誤読なんだよ。
>卑弥呼は、邪馬台国王ではなく、親魏倭王なのだから、この女王国は倭国と意味する
倭国の都まで一万二千里、倭国の国境までは七千里だよね。 >>303
>つまり、当時の中国人たちは、里程と日程は分けて読むものだと理解していたことになる。
>続けて読むのは誤読なんだよ。
魏志倭人伝より古い漢書で、日数と里数表記が一緒に書かれているぞ
漢書/列傳 凡七十卷/卷九十六上 西域傳第六十六上/大月氏國
大月氏國,治監氏城,去長安萬一千六百里。不屬都護。戶十萬,口四十萬,勝兵十萬人。
東至都護治所四千七百四十里,西至安息四十九日行,南與罽賓接。
大月氏国、監氏城に治す。長安を去ること萬一千六百里。都護に属さず。
戶数は十萬,人口四十萬人,勝兵は十萬人。
東の都護の治するところに至るに四千七百四十里、西に安息国に至るに四十九日行、
南は罽賓に接す。
安息国への情報としては、
西域都護まで里数
大月氏国まで里数
安息国まで日数 となっている訳だ
問題ないだろ?
逆に、連続して書かれている旅程の途中で、起点からの総日程が書かれている所なんてないだろう?
水行10日陸行1月が、起点の帯方郡からだと主張するなら
大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれ
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ
さあ、がんばれ! >>303
>倭国の都まで一万二千里、倭国の国境までは七千里だよね。
そういう見方をするのであれば、
倭国の国境まで七千里
そこから倭国の全長が、周旋五千里
この合計が萬二千里になるっていう数合わせになっているんだろう
倭国の都までが萬二千里などとは、どこにも書いてないぞ
あると主張するならその原文を示してくれ
繰り返すが、魏志倭人伝では自郡至「女王國」萬二千餘里であって、
邪馬台国でも女王の都でもないからな >>305
都である倭奴国が倭の最南端と書いてあるから、それでもいいかもね。 >>306
>都である倭奴国が倭の最南端と書いてあるから、それでもいいかもね。
投馬国の立場は?
戸数も計算が合わないし、それめちゃくちゃ矛盾だらけだよ
後漢書の
倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也
これのことを言ってるんだと思うけれど、これはおそらく魏志倭人伝の倭国の国が
北から南に順に書かれていて、余傍国の最後に書いてある奴国を倭奴国と思った読み違いだろう
其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、
次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有「奴國」、此女王境界所盡 >>307
>帯方郡から福岡まで一万二千里!
福岡までだと萬六百里だよ
計算は正しくやろうな 帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)
(渡海千里) ※8000
対馬
馬(方可四百余里) ※8800余
(渡海千里) ※9800余
壱岐
岐(方可三百里) ※10400余
(渡海千里) ※11400余
末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日) >>304
並列記述の用例にしかならん。
日程記述に変わるという事は、つまり放射説の方が妥当なんだよね。
では、その起点は?
それは郡から?伊都国から?不弥国から?
と様々な説があったりする。
後、不弥国の「行」の字で行程終了を示す、という説もあり、そうなると投馬国〜からは別の意味を示す可能性も出てくる。 >>311
>並列記述の用例にしかならん。
そうだよ?
始度一海 千里 至對海國
又南渡一海 千里名曰瀚海 至一大國
又渡一海 千里 至末廬國
東南陸行 五百里 到伊都國
東南 至奴國 百里
東行 至不彌國 百里
南 至投馬國 水行二十日
南 至邪馬壹國 水行十日陸行一月
これ全部、並列で対等な記述なんだよ?
なのにどうして、投馬国と邪馬台国行きだけ特別扱いするんだ?
そして邪馬台国を北部九州に重ねるトンデモ説では、どうやっても戸数記述が矛盾するだろ?
水行は帯方郡が起点とか、伊都国から放射読みとか、既に否定されてるのに
何のためにがんばってるの? >>312
並列記述だから、放射説が妥当なんでしょ?
じゃ、日程記述の投馬国と邪馬台国はどこが起点なの?
郡や伊都の起点を否定するのは何故?
水行で否定って聞いたことないけど?
里数から日程に変更記述例が並列的に記述されるものなら、どの説も可能性が出てくるよ。
逆に直線的に読む事は"例"がなければ否定されるがね。 帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)
(渡海千里) ※8000
対馬
馬(方可四百余里) ※8800余
(渡海千里) ※9800余
壱岐
岐(方可三百里) ※10400余
(渡海千里) ※11400余
末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日) 再掲
水行10日陸行1月が、起点の帯方郡からだと主張するなら
大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれ
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ
さあ、がんばれ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています