>>143
大阪師団も京都師団も武勲実績じゃ関東よりか遥かに上じゃし、軍が期待せん時に強い。
昭和の二◯三高地と呼ばれる、衡陽陣地攻略でも、京都師団の津連隊と大阪師団の
配属部隊は軍感状を授与されとるし、苦戦に踏ん張ったよ。途中投入された
九州一の勇猛を誇る熊本や熊本に次いで勇猛とされた鹿児島らの壮丁で構成された
熊本58Dは得意な強襲猛攻して、ほぼ壊滅し後の熊本58Dは、全国から集めた兵員で
師団を維持したけぇのう。
まあ、その活躍した近畿兵団に軍が期待し、シ江作戦の前線に投入されると
将校、下士官、古参兵の入院が相ついだ。近畿人らしい合理的出動拒否で
作戦前に「オトリ」として使われる噂が流れた為じゃが、実際参加して
惨敗して帰って来た連中を馬鹿にして、「お前ら何の為に参戦したんや」
と。これが九州兵団なら、負けて来た連中が、参加せんかった連中を
「きさん、それでも九州人か」と、散々罵倒したろうて。
兵団の気質の違いじゃが、軍中枢の連中はやっぱしハッタリも含め、鼻息の荒い
九州人の方が頼もしいことになるだけで、戦闘の強弱たぁ関係無いんじゃけどね。
 ほいから、大阪師団じゃ篠山聯隊は強かった。
「地域別 日本陸軍総覧 歩兵偏」(新人物往来社) 篠山聯隊「敵も近よらなかった
丹波の鬼部隊」と。
まあ、盃山への駆け足登山で、「大阪、神戸などの都会兵には耐え難い苦行で竹刀を
振るって叩いても倒れる者が続出したが、段々と体力がつき皆完走出来るようになった。
氷点下五、六度の降雪の中、頭から雪を被って照準姿勢のまま一時間余り直立させると、
感覚のなくなった足がふらつき、痺れた手から銃が落ちそうになる。銃から手を離した
兵には鞭が容赦なく飛んだ」と、山岳訓練で鍛えられたけぇのう。
丹波の基礎体力を持つ山岳兵に、山岳訓練で鍛えられた神戸、尼崎方面の沖仲仕的な
沿岸の気性の激しさ、進取気質加わるわけで、バランスがとれた聯隊気質になったのう。