>>192
薩長じゃの弱い相手に互角じゃ自慢に成らんよ。弱兵の九州すら最強は
熊本勢じゃけぇのう。中国地方なら日本一強い広島じゃけぇのう。
https://mint.5ch.net/test/read.cgi/history/1440853145/584-586
戊辰の広島神機隊も、
 芸州・神機隊が「ここは駒ヶ岳の関門に向って、正面突破を図ろう」と提案した。
すると、 「長州藩の隊長はこれには周章(うろたえ)てしまった」と記す。
下関で四か国と戦い、第二次征長でも練磨の、戦い巧者の長州がおびえるほど、
仙台藩は強かったのだ。仙台藩は大小砲を激発し「筑前藩も猶予して進まず」。
「この激戦は環視(みているだけ)では解決できず。敵の飛弾を犯し、切り込まざる
は利なし。抜刀し突撃するべきだ」
「7月24日、賊の砲台を突貫し、抜刀攻撃で縦横に斬殺し、我兵遂に先登、広野駅
を占領。 ただし神機隊の進撃が激しすぎるため、総督府より、「進撃すべからず」の
命が伝えられる。
25日朝、 敵兵は広野北西本通から、戦いを挑んで来たが、そのつど撃退。前線の
芸州・因州 あわせて六百数十名に対し、同盟軍は十数倍に近く、入れ替わり新手の
兵を繰り出し猛烈な反撃を 開始した。26日、因州兵が後退したため、神機隊は
孤軍奮闘となった。しかし新たに戦線に 投入された長州、岩国の兵約400名が
海上より広野海岸に到着。海岸寄りに対峙した敵に攻撃をはじめた。その機を
失せず、神機隊は左翼に対峙していた米沢藩の部隊に突撃し、敵砲台を奪取した。
奥羽同盟軍は広野を完全に放棄し退いた。」
広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍諸藩兵がその無暴を
嗤笑する中、 「剣を抜き吶喊して突撃を為し、躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に
登り、縦横斬殺し、賊兵は 死屍を捨て 遁走せり。」 四日後は駒ヶ峰奪回をはかる
奥羽同盟軍が大挙襲来し、 「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に
旗巻嶺下に撃退し、」 「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、我兵直に
進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。 其の軍事上
の好機を 致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。