豊臣秀吉ってなんで途中で頭おかしくなったの? [無断転載禁止]©2ch.net
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>>1
老害の典型例。
漢の武帝、梁の武帝、唐の玄宗、呉の孫権、東郷平八郎、武井保雄、水島廣雄など
例には事欠かない。 男児がなかなか生まれなかったから
精神的におかしくなった
女児にでも後を継がせればよかったのに ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 おそらくビタミン不足による脚気では無いかと
推定しています。 天下取るまでは戦国武将の理想男子といって過言じゃなかったよね >>10
実際にはかなりえぐいことはしていた。
三木城のなで斬りなどが典型例。しかし、情報操作して隠していた。
基本的に豊臣秀吉は中国人、韓国人並の残虐性を持っており、
城攻めは屠城が基本。 むしろ秀吉の失敗は秀次事件の際に秀次の義兄、池田輝政に情けをかけて
しまったこと。若い頃なら族滅していた。秀次の正室(処刑)の兄であるゆえ、
秀次の残党に擁立される危険が高く、若い頃の秀吉なら確実に滅ぼしていた。
池田輝政は生きている間は秀吉に恭順するふりをし、秀吉の死後最も早く
秀次の残党を糾合し、秀頼に反旗を翻した。石田三成、増田長盛が警告した
通りになった。 >>12
>秀次の正室(処刑)
なんでこう思い込んでる人が多いのか?
処刑されてないよ・・・正室
全く持って無罪放免、というより蚊帳の外だよ。
つか、秀吉の天下取りへの池田氏の功績を考えたら処分などありえんよ。
徳川との小牧長久手でも、秀次を逃がして、親兄弟を羽柴のために討ち死にさせてる家だ。
それに池田輝政は秀次の直臣とか近臣ではない。 秀次を生かしておけばと、そう思うよ
おそらく秀次健在では加藤・福島など秀吉子飼いは家康にはつかないだろうし 外国の学者が細胞は2年で死滅する脳細胞も同じで記憶は消える
それじゃ困るから記憶は寝ている時にコピーしている
そこに取り巻きが「太陽の子だ、摂政の隠し子だ」を数年かけて刷り込まれると頭の中で本当になる
金正恩もヨーロッパ留学して見識あるはずが取り巻きに洗脳され独裁者
怖い怖い >>12
一方で父を殺した家康に肩入れとかダブスタにもほどがある。
結局長いものに巻かれただけ。
頭にあるのは保身のことだけで、それ以外の恨みといった感情はない。 >>16
実はあのあり得ない婚姻を成立させてしまったこと自体、秀吉のミスだけどね。
最も、あの出鱈目な婚姻は、石田三成の、秀次を追い落とすとき、義兄の池田の
縁で家康を連座させることができる、というものだけどね。
(実際に秀次事件で池田族滅、督姫処刑、家康領地大幅減を主張した)
流石に増田長盛は反対したけど、三成の強硬な推進を覆すことはできなかった。
その他、池田側も、自家が滅びるとき、多くの遺恨を残してやろう、という意図が
あったようだ。流石に家康を巻き添えにして、ただで済まないという読みがあった。 そりゃ百姓出身なんで階級にうるさかった中世じゃ身分が高い人間から差別されまくっただろうし
苦労して出世して頂点に経ったら今まで我慢してたものが全部出たんだろ
秀次も自分がここまで苦労して築き上げたのに棚からぼた餅で関白にしてやっただけなのに
秀頼から豊臣家奪う可能性考えたらどうしても許せなかったんだろ
実に人間らしくていいじゃないか ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 秀頼が生まれずに、関白秀次があのまま後継者になっていたら、豊臣政権は
安泰だったと思う。秀次はすでに成人しており、秀次のもと、豊臣氏の
家臣団が割れることもない。
秀吉が晩年になって、もう余命がほとんどない段階で、秀次を廃嫡して
滅ぼしたのが致命傷だった。 でも秀次は勝手に怯えて高野山に逃げてダメダメだったじゃん 秀吉の子供じゃない豊臣家になんの価値があるのって気もするが 秀吉か白河院くらいしか独裁者っぽいのがいないのは凄いことだ!
秀吉はあくまで後陽成院の臣下だからまた違うか… 取り巻きからしたら秀吉が認めた後継者であれば血なんてどーでもよかったと思うけど 秀吉発狂説は徳川幕府が下っ端や外様の武士や庶民に外交や国際交易に興味を持たせない様にする為に吹聴したデマゴーグ
秀吉は名門の信長と違って藤原氏を名乗れなかったので
外交権を藤原氏から完全に奪取する為に関白秀次を抑え蓋にして藤原氏を京に蟄して
自分は朝鮮に出兵して取り敢えず朝鮮王乃至明帝にこれから日本の外交を把握するのは豊臣氏であると認めさせようとした
尤もこれは黒田官兵衛辺りの集兵の為に建てた実行計画で在って秀吉自身は本気で明に取って代わる気で居たかも知れない
秀次は自分は蹴鞠連歌のお遊び職で既に充分一門の役に立って居た情況を理解できず秀頼が長じると秀吉に排斥されると勘違いしてああなった だが、秀次の立場からすると、秀頼の誕生によって、自分はやがて粛清される
のではないかと疑心暗鬼になるのも無理はない。
せめて庶子であったならともかく、秀次は秀吉の実子ですらない。自分の立場は
微妙になったと、ふつうは考えるのではないか?
自分が秀次だったとしても、隠居して表舞台から消える以外に助かる道はない
と考えただろう。 >>28
疑心暗鬼になるし、不安マックスだったろうな
それならそれで秀吉に関白返上して秀頼盛り立てる展開を進言するくらいの頭はなかったのかねえ
プライドが許さないとか、そういうのは恥も極まるとかだったのかねえ
蟄居だなんだとなるより良いと思うけど。
強かならそのうえで別の地位をもらえばいいわけだし。 信孝を自害に追い込んだり、妻子を処刑したりなど
主家乗っ取りをやったわけじゃん。
因果応報を恐れるのは仕方がなかろう。 秀次自身は関白を退いて引退し、その子孫は清華家クラスの公家となって、
秀頼の豊臣宗家と一線を画すのがよかったと思う。
武家伝奏のような役目になり、大阪城の秀頼と朝廷のパイプ役になるのだ。
そうすれば、秀次一門を生かすこともできるし、秀次を関白にまで昇進
させたことも無駄にはなるまい。
秀頼の豊臣宗家が紛争に巻き込まれたとき、秀次一門は大きな藩屏となる。
秀吉の死後、徳川家康や前田利家より、身内の秀次のほうが、幼い秀頼の
後見人にふさわしいだろう。
だが、名門武将としての経験もなく、まだ若い秀次はそこまで知恵も回らなかった
だろうし、疑心暗鬼に陥って滅亡するしかなかったのか。
誰か忠告してくれる側近はいなかったのか? 秀次一族の怨霊たちに城内中を取り囲まれて、無事に政権が続く訳がない。
豊臣が滅んだのは自業自得なり。 豊臣秀吉、九州征伐
↓
秀吉「よし、次は関東じゃ。薩摩の義久よ、琉球にワシんところに挨拶の使節を派遣しろ、拒否すれば痛い目みるぞと伝えろ」
島津義久「ははっ(ムギギ)・・おい琉球、関白秀吉公が京都(聚楽第)まで挨拶に来いと言ってるぞ
拒否すればオレたちみたいに痛い目みるかもな」
琉球尚寧王「マジかよ、オレはまだ即位したばかりで、いきなりかよ・・これから明からの冊封式典をしなきゃいけねーのに、日本に使節派遣してる場合じゃないんだけどな・・・
仕方ねーな、天龍寺の桃庵僧よ、ウチの我那覇親雲上秀昌を付き添いでつけて京都まで行って来てくんないかな?」
↓
秀吉「おー、遠路遙々よく来たな僧と琉球人よ、琉球人の名はガナハシュウショウ?ペーチン?
つかその頭に乗せた冠なに?wハチマチ?ちょっとワシにもかしてみ?ワシも頭に乗せてみたいw・・
ちょwデカっwwワシの耳まですっぽり被ったぞwシュウショウの頭デケーな!wwwぷっw琉球人は皆こんなに頭デカイのかよ?w」
天龍寺桃庵「はは・・頭の大小はそれぞれ異なると思いますが・・・琉球人は冠の色柄でもその身分を示しておるんですよ・・・(チラッ)」
我那覇秀昌「・・・・はは(苦笑)・・(こいつDQNザルじゃねーか)」 >>31
>だが、名門武将としての経験もなく、まだ若い秀次はそこまで知恵も回らなかった
>だろうし、疑心暗鬼に陥って滅亡するしかなかったのか。
>誰か忠告してくれる側近はいなかったのか?
むしろ、側近の方が、秀次の引退、一線を退くことを許さなかったのでは?
池田輝政(秀次の義兄、蟄居、謹慎)、浅野幸長(能登に遠流)、木村重?(死刑、族滅)、
前野長康(死刑)、田中吉政(蟄居、謹慎)、中村一氏(蟄居、謹慎)、
山内一豊(蟄居、謹慎)、堀尾吉晴(無罪)、こういった連中が、かえって邪魔になった。 >>17
秀次事件は三成の仕組んだ罠とする史料はあるの?
輝政と督姫の婚姻は徳川が持ってきた話というのは
当時の池田家家老である伊木が残した記録でも確認できることで
三成なんて全く出てこないんだが…
そして出鱈目ではなく正式な婚姻だわな >>36
史料に頼っていては、真の歴史は見えて来ない
推察するのだ もともといいやつじゃなかったんだよね。
行動がゴマすり一途。
強い人間に媚びて媚びての反省だった。
本当に上司のことを尊敬なんてまるでしていない口八丁の人間。
なので自分が偉くなると遠慮する必要がなくなるので
素の本性がでてきただけにすぎない。
世間ではボケたっていうがそれだけじゃないと思うよ。 >>37
じゃあ家康の存在をどうやって証明するんだよ
史料に頼らないなら何を根拠にするんだ? >>40
いや、多くの将を配下に取り込み、また子飼いも育てた
個人の才覚だけでは天下はとれないので
上だけでなく下も見ていたのは間違いないよ
ただ天下をとると、今度は軍人が邪魔になるのよね
走狗を煮るのは、仕方ない行動なんだよ
優秀な部下をいかに潰すかが最後の大仕事だ 明を興した朱元璋とその奥さん・・・・の日本版なんだとw おかしく成った事実が存在して無いよねっていう
存命なら半島の南部1/3が手に入った訳だし 敵の軍隊を倒して主要都市を制圧したら維持できるというゲーム脳らしい考え方だな。
チョンの民衆どもが素直に従うと思ってんのか。 今で言うアルツハイマーだろうな
激昴しやすくなり、最後は鬱状態 真田丸の秀次は最近の説を反映したシナリオだったな
あれだと仏門云々が助かる道とは思えん 出家したんだけど許してもらえなかったんだわね。
もし秀次が健在だったら、秀頼の天下が危ないとマジに考えられたんだな。
閨閥多くしすぎだったね。
秀吉亡き後、秀次にはたくさんの子女とそれに連なる親戚諸大名があるから、
いずれ秀次の子が関白職を継ぐ可能性は低くない。 >>51
その割には、池田輝政、及び尾張池田氏を根絶やしにしなかったなどという
チョンボをやったけどね。脇が甘すぎ。
池田を生き残らせたら、秀次の仇討ちを輝政が目論むか、そうでなくとも
輝政が秀次残党に擁立されるか、いずれかのリスクが極めて高かった。
更に史実を言うと、池田輝政は死ぬまで秀頼を憎み、激しく敵対している。 (参考:池田輝政=秀次の正室の兄で、秀次のナンバーツー。
さらに、池田家は父の代からの秀次の家臣で、父や兄は秀次を逃すために
玉砕した、秀次の忠臣中の忠臣。) >>54
督姫を返せば家康は黙るはず。
それ以前に、秀頼生誕後の督姫と池田輝政の縁組自体不自然極まりないもので、
秀次のナンバーツーの池田輝政に家康のような後ろ盾は思いっきり邪魔なはずで、
普通ならこんな出鱈目な縁談は思いつきもしない。
石田三成が家康を秀次、池田輝政に連座させ陥れるために仕組んだ罠ともされている。
秀次とともに池田輝政を督姫ごと葬り、岳父の家康も連座させようとするものである。
逆に、それ以外に池田輝政と徳川家康を結びつける動機は皆目存在しない。 なってない
秀吉発狂説は後世徳川幕府が庶民や外様大名に対して政治や外交に興味を持たせない様に流布した偽説 秀吉から秀次宛書状
側室どんどん入れて子供もいっぱい作れ!→(秀頼誕生後)そんなに家族を作ってなんか企んどるのか? >>52
いい加減輝政が秀頼を憎んでいたというソース出しなよ
ここは日本史板だぞ
輝政と督姫の婚姻についても家康側から話があったのは
伊木の記録などでも確認できることで秀吉はあくまで仲介にすぎす
秀吉主導での縁組ではない
そして輝政と家康を結び付ける動機がそれ以外みつからないのは
単にあなたが勉強不足で自論しか見ていないからだよ 真田丸見る限りは秀次の被害妄想ってやつだな
プレッシャーって怖い >>65 まあ、秀長が家康ほど長命なら日本の歴史もかなり変わってくるだろうな。 なんだろ
秀吉のような云わば「ぽっと出」なキャラに「更に」弟も優秀とは
たまたまなのか歴史の必然だったのか?と >>67
優秀な兄の血を半分引いている。
優秀な兄を見て育った。
優秀な兄の家臣として指導され、経験を積んだ。周りの家臣も優秀で勉強になった。
別に不思議ではないだろう。 小一郎殿存命なら秀次事件は起こらなかった
秀次事件がなければ豊臣が関白職を失う事はなかった
豊臣が関白職を失わなければ徳川家征夷大将軍補任などなかった
小一郎殿の死は惜しんでもなお惜しあまる 逆に、何ではっきりと切腹させたんだろうな。
秀次だけ邪魔なら毒を盛って、病死と発表してもいいだろうに。
秀次の子たちも、小早川秀秋のように、有力家臣の養子に出しまくる手もあったように思うんだけどな。
秀忠の養子に入れれば、徳川家の中にも豊臣家の家臣を送り込んでスパイ出来ただろうし。 野心満々の家康に250万石もくれてやる時点で、どうかしてる >>71
これは豊臣政権の基本政策ととらえた方が理に適っている。
徳川・蒲生・上杉・伊達・前田(北陸豪雪そのまま)ら外様同輩大大名は、
軒並み加増とはいえ東へ東へと追いやられている。
実際、1590年時点で家康が天下へ・・・などとは万に一つも考えられない。
数字上250万石とはいっても、はっきり言って畿内西国東海地方と比較したら、
超未開地で、東北に至ってはさらにさらにさらにですよ・・・
蒲生は近江の先進地帯→山だらけ海なし会津
上杉は飛び地だらけの120万石で蒲生の尻拭い、越後の港湾利権全没収、佐渡支配有りでも鉱山支配は豊臣
伊達は更に北へ追われて、豊臣改修の岩出山入城
前田も豪雪地帯封じ込め
徳川は敵地あてがい、さらに東関東は難治であり、とりあえず本多と榊原を置いてしのいだ。
当初徳川の意にとりあえず従順なのは西関東(西上野・相模・伊豆・西武蔵)だけだったと思われ到底250万石云々などおぼつかなかっただろう。
徳川は超大規模領国インフラ整備を敢行して民心をとらえ、安定支配に成功した。
逆に、もし関東領内に一揆でもおきれば、確実に減封させられただろう。
国替え直後の徳川に豊臣家に逆らえるような力など全く無いからね。 250万石とはいえ当時の関東なんて僻地も僻地だものね。 でもこんだけまとめて、東に追いやったらいずれは反豊臣でまとまるんじゃね??あたりは頭に無かったのかな
家康が頼朝みたいになる、という 頼朝以来、関東を制した武家が天下を制する
農民上がりの関白には関東の重要性が分かっていなかった >>75
江戸が僻地
小田原とか鎌倉は栄えてたよ
家康は小田原を拠点にしようと考えてたけど、
秀吉が「江戸」と指定したのでそうなった 結果、利根川東遷は大変だったが良かったよな
石高も飛躍的に伸びたし まあ、江戸が開発できたのは天下普請で
大名にやらせたからで、徳川独力では無理だっただろう >>78
最近の研究ではこの「江戸寒村説」は見直しの必要があると考えられています。
✕江戸城の玄関は、舟板3・4枚を並べただけのみすぼらしい城
✕城下町も大手門の外側にかやぶきの家が100軒ある程度
〇小田原合戦の時には、城代だった遠山氏が1000騎で守りを固めていました。(兵士5千名程度)
〇江戸が16世紀にすでに武蔵東半の一大拠点
〇後北条氏の武蔵野国の支城網の拠点の1つ。(北に川越、岩付。西に滝山、八王子。南に小机。)
〇鎌倉街道中道(なかつみち)支線(江戸(浅草)→岩槻→関宿→小山)のルートの基点
〇海路の拠点(江戸湊、品川湊) 後北条氏を滅ぼしたのが間違い
小田原征伐後、減封ぐらいの処置にしておけば東からの対徳川牽制に利用出来た
上杉も越後に留め置けば北からの徳川牽制に使えた
結局、秀吉の大名移封は関東で敵無しとなった徳川を利しただけ 家康なんかインネン付けてさっさと潰しときゃ良かったんだよ
前田毛利上杉宇喜多に比べ、どう考えても徳川がガンだろ
秀吉は甘い 秀吉は家康の関東転封をめくり、徳川家臣団の知行割についても相当干渉している。 家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)
番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生… >>82
まあ、そうだな。
ただ北条は徳川と割と近い関係にあるので、
徳川と隣接する地域に置くと同じ結果になるだろう。 >>83
関東で失敗すると見てたのだろう。
北条残党の内乱が起きて秀吉傘下のだれかが掃討に出陣すれば
終わった暁にはそのまま徳川を潰せる。 でも秀吉は朝鮮で勝つことを想定してるからな。
徳川は免除というよりか、これ以上功をたてて
領地増やさせないようにするためかと。 >>87
小田原攻めの後、前田利家は自分が降した氏政の弟・氏邦の助命を秀吉に嘆願し、許された。
氏邦が金沢で死去すると、その末っ子が大徳寺の僧となっていたのを呼び出し、
北条庄三郎と名乗らせ、知行1000石と甥・利益(前田慶次郎)の娘まで与えてやった。
それを聞いた徳川家康が、利家の長男・利長に意見した。
「北条家はすでに殿下(秀吉)が成敗された家であり、北条が絶えるならそれが自然であり、
末子は出家のまま差し置くのが筋ではないのか。」
利長はその通りに父に伝えた。 聞いた利家も返答する。
「いや、氏邦に関しては殿下が許して拙者に預けたものであり、その限りではない。
であるのに死後に跡目もないのは哀れゆえ、縁者を探したまでのことです。」
その後、家康に父の返答を伝えて、帰った利長を利家は呼びつけた。
「さても、うぬは智謀なき者よ。家康がああ申してきたら、いちいちわしに聞かず、
先ほどの返答ぐらいはその場で返せねばならぬ。
よく考えてみよ、普通に行けば我らと徳川はゆくゆく敵となる。その時のことよ、
関東は昔から恩を忘れぬ義理堅い土地じゃ。
我らが北条を押し立てて旗を揚げさせれば、関八州の大半は味方にできるわ。
好ク謀ル者ハ未ダ兆シナキウチニ慮ル、という言葉もある。
大志を抱く者は必ず心得ねばならぬ言葉ぞ。」
晩年の利家の深慮遠謀が感じられる。
茶坊主斬った時とはまるで違う。 「北条の子孫を集めておけ」
関東の者は義理堅い、と利家は言う。
小田原北条氏にゆかりの者を見つけだし予め召し抱えておき
家康と事を構える事になれば北条の子孫を表に立てて家康の領地で旗を挙げさせる。
「さすればたちまち関八州は味方になろう」
利家はそんな事まで計画していた。
こんな不気味な事をされてはたまらない。家康は心中深く利家を恨んだ。
(『殿様の通信簿』磯田道史) 頼朝、足利と関東から将軍輩出してるし
関東は新田の出身地だし、家康は内心ラッキーだと思ったかも 権力あるしぃ〜金持ってるしぃ〜オンナ一杯抱けるしぃ〜♪
ガキなんぞ「後から」付いてくるだろう・・・・
・・・あれ?そろそろヤバくないかい?自分www状態
江戸期、伊勢長島の増山の殿様もそんな感じだったかと >>93
利家の対応より家康がそこまで目を光らせている所が抜け目無いというか凄いと思った >>95
なんでそこでそんなマイナーな大名がでてくるの? >>96
というか、他国を侵略するとき地侍をてなづけておくのは
将棋やる人が櫓だの美濃囲いやるのと同じで、
戦国人にとって定石なのだろう。 マイナーってか「蛍」大名ねw 家綱母親の弟
若い内に出来た跡取りを名門那須家に養子に出したはいいが
「まさか」その後跡取りが全く生まれなかったが故に後で一騒動起きてしまったという話 >>98
信長はちょっと違う気がする
結局信長では天下統一なんか無理だったろうな >>101
信長こそ調略の名人じゃないか。
美濃の地侍で江戸時代まで家名残したのは
大体、信長系に引き抜かれた先祖がいる。 >>81
塩見鮮一郎の著書にも書いてた。江戸は栄えてたと。
勿論、京・大坂ほどではないにしろ、港湾都市として十分機能し、活気があった。 んじゃそこを拠点にしろっつった秀吉はアホじゃん
狭隘な鎌倉あたり指定しといたほうが良かったんじゃないの
それとも秀吉が江戸にしろっつったのは創作? 日本を富ませるには最良の場所だったから一概にアホとも言えん
今の東京があるのは秀吉のおかげってわけや >>105
84にも書いてあるけど、秀吉は徳川家臣の配置にも相当口出ししている。
家康に対して拠点の城はご自由にというのはあり得ない。
ちなみに小田原城に配置させたのは大久保忠世。
北条氏の時代だったら、上杉氏、古河公方、小弓公方、里見氏に対し
江戸は前線に近いから無理かもしれないけど、ほぼ天下統一しているから
関東で警戒すべきなのは佐竹氏くらい。 >>102
家康だって源頼朝の真似をしただけだろう
偽家系図まで朝廷に差し出して源氏だと言い張ったし お礼がてら京都の阿弥陀ヶ峰へ秀吉公の墓参りに行ってきたんだが
墓所の麓一帯が女子大女子高女子中になってるのが面白いな
これがむさ苦しい男子校だったら祟りを起こしてたかもしれない 太閤殿下は300年もの間漬け物にされたまま放置されてたとは知らなんだ。 え?ずっと塩漬けだったん?
埋葬の時もそのままだったんだ…。 安土桃山時代のミイラの入った壺が明治時代に見つかってる 秀吉は唐入り(朝鮮征伐・明征伐)で、大陸に広大な領地を入手する予定
だったから、家康の250万石の領地は、相対的に小さくなると考えて
いたに違いない。
家康の立場からすると、交通の要衝である東海地方の旧領を奪われたのは、
大打撃だっただろう。たとえ石高は増えても、旧領を奪われて関東へ
追いやられれば、もう抵抗はできない。
唐入りが未達成に終わり、関東の経営に成功した家康が台頭してきた
その後の歴史は、誰にとっても予想外だったと考えられる。 >>116
秀次事件も重要。どう転んでも秀頼と敵対してくれる、池田輝政、
浅野幸長、最上義光などは、家康にとって物凄い心強かったはず。
これは秀吉の失点なしではあり得なかったからな。 秀吉の立場からすれば、秀次事件で粛清するなら、池田輝政、浅野幸長は
どう考えても始末すべきだっただろう。石田三成、増田長盛とも、両名を
処刑すべきと強く主張している。 >>1
もともと頭の良い男ではなかった。
文盲の低学歴の上に、女とやり過ぎて子だねがたえた男。
若いときは竹中や黒田などの軍師の言うことを素直に聞いていただけ。 男色を嗜まんかったけぇ、そのツケが回ってきたんじゃろうのう。 実質型神経梅毒では、進行性麻痺や脊髄癆が重要です。進行性麻痺は、脳実質に炎症が及んだ状態で、認知症、記憶障害をはじめとした様々な精神症状が現れます。
脊髄癆では、歩行障害、電撃痛、排尿障害、感覚障害などの症状が現れます
当てはまるね >>120
さすがに中傷が酷過ぎだろうw
秀吉は直筆の手紙が残っているし若い頃は妻はねね一人だけだろう
側室ごろごろ抱えだしたのは天下が近くなってからだし 糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww
劣等人種ジャップについて語りたい場合は
↓
http://hanabi.2ch.net/ogame/ 秀吉は200人も妾が居たのにねねから都合良く嫡子が生まれるはずが無い 確かに不自然だな。側室というかお手つきの女は大勢いただろうに淀君にだけ二人もできてるってのはおかしいわ。 大坂城に放火した徳川の内通者の厨房の爺の娘は太閤にレイプされたってマジ? >>126
秀吉が側室を持ったのは早くても城持ち大名なった40近くになってからだろ
秀吉なんてほぼ庶民上がりなのだから若い頃は側室など持てないから
女を大勢飼えるのはせめて城持ち大名から >>126
まさか200人を公平にローテーションで回してると思ってるの?
妾が何人いようと好みの女に集中するだろ >>131
家斉でさえ取っ替えひっかえじゃなくて、
一人の女に何回か産ませてるからな。
治世が長かったからとんでもない数になったけどw
てか、生理周期とか考えたら一人の女とやり続けた方が
妊娠しやすいと思う 側室と言っても人質代わりも多かっただろうからな
良く知らんが 家康の暗殺&影武者説はよく聞くけど、秀吉影武者説はフィクションの世界でもあまり耳にしないね
晩年は別人のようになったので、お話は創れると思うけど 逆に秀吉は取っ替えひっかえやってたから
茶々以外妊娠させられなかったんじゃないか? 医学的には正しい
連日やり続ければいつかは排卵期にぶつかるが、
一発ずつだと確率がさがる >>128
秀吉が長浜城主のころ、側室の南殿に
秀勝と名前不詳の女子がいるのでは? 医学的には猿のオナニー宜しく
連日やり過ぎると薄くなります
元々多産系じゃないので旦那の
問題でしょう
竹武島に二人の子の墓が
ありますが、嫁一人と
励んだときは出来たの
かも知れませんね >>138
秀吉が長浜城主時代に竹生島に寄進を行った際に
北政所やらのずーっと後に南殿と石松丸という名があるので
これが秀吉の側室と息子だと発表されただけでは?
実際の原典に秀吉との家族関係が書かれているわけではない
それに石松丸が秀吉の実子ならば並びが遅すぎる
当時の秀吉にとっては唯一の男子で跡取りならば
北政所の前か次くらいには名前が来るだろう >>136
秀吉の不妊の理由を多すぎる側室と排卵期とのズレを絡めて議論した説は斬新だなw 子作りが目的なら10代後半から20代前半の経産婦を
二、三人をローテで回すのが効率的じゃないかな。
家康方式ね。 >>145
10代後半ならまだ初婚の範囲でバツイチの経産婦というのは難しい
家康の側室たちは家康に召し出された時にそんなに若くないぞ
多くは最初の夫との間に子供を儲けて夫と死別し
家康のところへ来た時点で20代後半にはなっている
そんな家康も晩年になって来ると10代後半初婚の少女を
側室に抱えだした
こちらからは必ずしも子供が産まれてはいないが
(家康の年齢的な問題もありそう) 側室には既に子供を産んでいるが、ダンナが討ち死にした未亡人がよい。
まず遺族に対する福利厚生になるし、
出産子育ての実績があるので妊娠できることは確実で丈夫に育つだろう。
特に父親違いの子が兄なら最も信用できる家臣になってくれる。 >>147
信長や秀吉の側室たちも父や夫を失った孤児が大勢いる
家康が領内の夫を失った未亡人を拾ってきては側室にしたのも
ただの色好みやら出産目的でもないんだよね やっぱり秀吉は宇喜多秀家の母親と寝たのかな?
飽きないで一年くらいやり続けてれば子供できたかもしれん。 >>140
当時といえど初潮前の子とやるのは獣扱いだよ
初潮がきていれば年齢関係なくおkだけどね 元々頭がおかしかったが、人に仕える身だったときは好き勝手ができなかっただけ >>151
前田利家の娘・麻阿姫や、織田信長の娘・三の丸殿、
伊達政宗の側室となった種(香の前)などは
秀吉の後、別の男に嫁いで子供を産んでいるから
やはり秀吉の胤に問題があったとしか やはりセックスしすぎで梅毒にでもなってたのかね
梅毒って頭がおかしくなる場合もあるみたいだし
セックスが原因ではないだろうけど、大川周明が戦後に梅毒かなんかで頭おかしくなってたな >>160
梅毒は顔が崩れる
鼻がなくなったりするので顔中包帯巻いてる
秀吉にそんな記述はない そうとも限らない
転移先にもよる
秀吉の場合は諸説あるが、疑わしいのは脳梅毒
症状は失禁、記憶障害、判断力低下など 指6本でしょ。農民から這い上がって子供いなくて上に立ってりゃ何の為に
上まできてか解らんでな。 >>120
軍師っていう役割は当時はなかったんだろ。
江戸時代になってからの物語で三国志とかの軍師的人物のキャラとして創作されただけで。 無精子症ないしは妊娠に必要な精子が足りない病気の持ち主
精力絶倫でオネさま初め、後家であろうが亭主がいようが、オボコであろと関係なく手当たり次第に山の数程の女人とやりまくって全く子供に恵まれなかったのに
茶々だけ懐妊したのは??
当時の慣習では子宝祈願で奥方がお籠り(参籠)した際には、第三者(種付け約)が神仏の名代、顕現として子種を授ける(マグアウ)事が有ったらしい。
それでめでたく懐妊となると神仏からの賜物、家の子宝として大切にしたらしい。 >>162
当時の日本の梅毒は劣化して強力じゃないので
そんなにならない方が多い
江戸末の梅毒罹患率凄いよ >>169
徳川家康の次男・結城秀康は梅毒で死んだが
顔が崩れて顔中を包帯巻いていた
秀康は豊臣秀吉の養子だった人
秀康は出雲阿国のスポンサーになるなど
(当時の女歌舞伎は売春の温床になると後に江戸幕府が禁止している)
結構遊んでいたかららしい 関ケ原合戦で石田・小西・宇喜多などの主要家臣団が滅亡したのが痛かった。
関ケ原合戦が発生せず、主要家臣団が秀頼の藩屏として残っていたら、豊臣氏は
そう簡単に滅びなかった。 60歳ぐらいからおかしいから認知症だったら前頭頭頂型だろな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ >>1
頭がおかしいって最初からだろ
よーく考えてみろ。
お前を引き上げてくれて可愛がってくれた大恩人が、お前が自分のところに来てーと言ったせいで
移動中に死んでしまった。
その喪中に、1周忌たってないのに大恩人の妻や息子や孫娘や妹を破滅に追いやり
恩人が一生かけてつくりあげたものを3年で壊して、
自分を織田家へ推挙してくれた生駒吉乃の息子を口答えしただけで改易にして
恩人の家族を故郷から追い出すやつだぞ?
秀吉は最初から頭がおかしいし、豊臣に天下を統治する資格なんてないんだよ
滅びるのは運命 べつに歴史好きじゃなくても
秀吉は信長に拾われ草履取りから引き上げられたのに
秀吉が信長に援軍要請を行いその途上で信長が殺され
秀吉が信長の妻を串刺しにして殺害し
秀吉が信長の孫娘を串刺しにして殺害し
秀吉が信長の息子(三男)を自殺に追い込み
秀吉が信長の妹を自殺に追い込み
秀吉が信長の家老を滅ぼし
秀吉が信長の息子(次男)を尾張から追い出そうとして反抗されたので改易し
大恩ある織田家の所領のことごとくを横領した
ってのは大河ドラマレベルでも知っていることだろう。
まさに恩知らずの所業
関白を殺して女子供を殺したのはたいしたことではない。
途中でおかしくなったのではなく、最初からおかしかった 信長の霊魂は光秀より秀吉に怒っていただろうな。
光秀の謀反のように是非に及ばずじゃ済まないくらいの
悪行を織田家全体に働いたからな。 晩年の秀吉は信長の悪夢にうなされていたと前田利家が語ってた話もあるよね
指6本あったと言ってたのも利家だっけ?
隣に住んでて仲が良かったらしいけど
実は秀吉の事嫌いだった? そりゃ同格かそれ以下だった奴が格上の極みに昇ってるんじゃ妬みのひとつもあったろうな 嫉妬はあるよ
関白までのぼった秀吉、しかしあいつは以前は俺より下の存在だった、むかつく、でも直接いえるような関係ではなくなったムキームカー
せめて俺をひきたてろよ猿、いや関白さまー、あれー俺この程度の評価?ムカつく猿だムキームカー 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
I019M とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
828 >>1
ここだけのヒミツ、徳川家康が遅速性の毒をちょっとずつ飲ませていたからだよ 秀吉が変な案を出す。→秀長が止める。ダメなら母に言いつける。→大政所が秀吉に説教。→マザコンなので秀吉も改める。
という、豊臣政権のストッパー機能をしてた2人が亡くなったのが痛かったね。 こうして過剰書きされると秀吉はガイジとしか言いようが無いな 『ボーボボ 田ぼ』という曲(youtube動画で観てみて)の話?
ホルモン、ホルモン焼きを食べすぎたんだよと言ってる人がいたり、
動物の臓物? ホンモノは(不明)は、
そういうものは食べない、食べなかった?
食べてはいけなかった
みたいな事を言ってる人もいた どこかで読んだ(見た?)ような気がするんだけど
『動物の臓物』?を食べすぎたとか 筋肉少女帯『僕は好きさ サカナが好きさ』?
なぜかバカボンのような曲でしょ、
キュウリ、ナス〜とか、なぜだと思う? 秀秋にあとを継がせれば 豊臣家は現在も
存続していたはずだよ
秀秋が天下統一
↓
豊臣幕府
↓
秀秋の子孫達が総理大臣や長官などになり
豊臣家が日本やアジアを守る
↓
みんな幸せになる
↓
地球が太陽に飲み込まれそうになり
豊臣家が火星に移住して新しい国家を作り
↓
国民は全員 火星に移住 >>1
千利休の切腹事件が鍵だと思う。
茶々を側室に入れたあたりから石田三成・大野治長など近江(関西)派と、ねね子飼いの尾張(名古屋)派に分かれ、天下統一という共通の目標があるうちは良かったが、その目標が達成されたら、今度は対立の構図となってしまった。
関白になったことで秀吉も目標を失い、これからの世をどう収めていくべきか思案に暮れるところ、海外情勢に明るい博多商人から、明の国を征服すれば、もっと巨万の富を得ることができると持ちかけられて、調略家としてのの血が騒いで、狂ってしまった。
堺商人・利休も家康も、せっかく収まり掛けた戦国時代を再発させかねない朝鮮出兵には大反対。関八州の再開発で散財中の家康を斬るわけにいかないから、利休を「切腹」させた(天下のことに口を出したから)。 平和な世の中に必要なのは、近江派の得意とする文治統治であって、尾張派の武断統治ではなく、
豊臣家中における重要性が低下し、次第に冷や飯喰らいに追いやられていった。
秀吉もそのことは肌で感じており、正室ねねへの配慮もあり、尾張派にも活躍の場を与えてやらねば、と一念発起して、朝鮮出兵。
虎視眈々とその様子を間近で見ていた家康は、豊臣家中の近江派と尾張派の対立を利用して関ヶ原に勝った。
決定的になるのは、秀吉死後、前田利家が死んだ後。伏見城下で起きた石田三成襲撃事件で、三成は徳川屋敷に逃げ込むが、
この徳川屋敷が、かつて義昭が信長に御謀反した槙島(向島)城の再利用で、堀を構え、独立した一つの城郭と呼べるほどのものだったから。
https://smtrc.jp/town-archives/city/katsura/p02.html
後に家康は大坂城西ノ丸を北政所ねねから譲り受けて、天守を建てるが、伏見城下の徳川屋敷(向島城)をそのまま継承・再現したと思われる。 最下層から成りあがったから権力に酔いすぎて中毒化
大名(国人)階級出身の信長・家康が持っていた
権力に対する免疫のようなものがなかったから
上記の説を唱えている研究者が実際いる 途中からではなく、初めからイカれてた。
朝鮮人だからWWWW おねの妹ややの旦那は浅野長政
浅野長政と蜂須賀小六はいとこ
秀吉がおねと結婚したのは美濃攻略にあたって蜂須賀小六ら川並衆を
味方に引き入れるための政略結婚だった? ホルモンを食べすぎたんだよ、かなり有名な話。
『豊臣秀吉 トラの肉』
トラのアレ()も食べたり、正確にはホルモンではないのかな。 なぜ詳しいのか?
少し違うんだけど『やくざてんぐ』調べてみるとわかる。 >>206
おねの方が同じ木下一族のよしみで結婚してあげたんだよ >>1
途中からではない。最初っからイカれてる。朝鮮人だからWW あっそうか、
木下だからぼく姓か。
それは気づかなかった。
だから朝鮮戦争失敗させたんだな http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16019
「発掘された日本列島2014」(文化庁編)
P21
縄文時代に稲作はあったのか
縄文時代にも陸稲などの稲作が行われていたと考えられていました。
縄文時代の堆積層や土器の中に、イネのプラントオパールが確認されたこと、
土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると
みなされていたのです。しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、
籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。
また米を食べるとされるコクゾウムシ圧痕の有無も調べられましたが、じつはコクゾウムシは
コメ以外の雑穀類も食べることが判明し、現在のところ、確実な稲作は弥生時代早期からと
いうのが最近の研究者の大方の見解です
http://imgur.com/a/JL0VPTK ■右手親指が2本あった!!
秀吉の右手には、2本の親指があったという記録がある。
宣教師ルイス・フロイスが残した『日本史』では、秀吉について「片手には6本の指があった」と記されているほか、
前田利家の『国祖遺言』には「太閤様には右手の親指が一つ多く、それを切り捨てなかったことから、
信長様が異名として“六つめ”と呼んでいた」という記載がある。
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/9/29830.html ヒトというのは片手の指は5本でしかありえない。
6本あったのはヒトモドキの証明です。 多指症なんて100人に一人程度のありふれたものだぞ 秀吉が唐入りをいつから考えていたかは不明だけど、
確か九州征伐した時には書状で書いてるらしいから割と長年の夢だったんだろうか。
でもあれほど失敗するとは思いもしなかったのか。 木下は杉原ねねの実家の苗字だろ
弥右衛門や竹阿弥やなかに苗字なんか無い >>226
ねねは実家の苗字が杉原で養女に行った先の苗字が浅野だよ
木下じゃない 杉原家のもともとの名字が木下なんだよな
で、同じ木下一族の秀吉が貧しい暮らしをしてたので
おねを嫁に出して資金援助して
秀吉が出世したからそれに乗っかって木下に戻したという流れ 725名無しさん@1周年2020/01/07(火) 00:34:07.53ID:bPhTvlDd0
>>694
だから畿内なんて寄せ集めの土地は豊臣秀吉に舐められるんだ!
しかも大坂城を築城したのはいいが大坂には長居するつもりは無く
中国を武力統一して寧波(現在の浙江省)に豊臣政権を移し
豊臣秀吉は中国に大坂城を上回る寧波城を築城し移すつもりだったのは情けない アホやなこの低学歴パヨクw
駅前じゃなくて5chで毎日効果ないアベガー、ネトウヨガーしてるパヨクはこいつみたいな低学歴キチガイ池沼しかいないから普通の日本人から支持されず選挙でずっと安倍自民党に負け続けるんだよw
http://hissi.org/read.php/livebs/20200122/THJ2SVNrcksw.htmlいや俺が秀吉が元々武士じゃないかと考えるのは姻戚といわれる加藤清正ともどもなんだが
(身分はそんなに高くなくていい。守護や守護代なんて武士じゃ最上位なんで。守護代のすぐ下でも曖昧模糊になる)
百姓は中国では「多くの姓」転じて「多くの人」という意味だが日本では戦国時代のころは主に農家を指す語になっていたらしい 秀吉の辞世って誰が作った?徳川か
豊臣の滅亡を暗示するようなもの、自分で作らないよな
あんな文学的なもの秀吉が作れないだろうし、晩年はボケてるしな
側近が作って提案したら激怒だろう >>235
この時代にも末期の歌を読む専門家がいて、そうした連中に頼んでいたらしい、が… >>235
天皇に捧げた歌らしいので割とマジな心象なんじゃないか 唐入りは秀吉の野望とか晩年の判断の誤り(頭がおかしくなってやった)のではなく、戦国時代に過剰化した
戦闘員(職業武士)や浪人を消化するため、必要不可欠だったのではないか?
また、諸侯たちの領土拡大欲求は非常に大きく、新たな領土を提示しなければ、秀吉の求心力が持たなかった
のではないか? 現実的な問題として、豊臣政権だと譜代より外様の方が強いって事情もあった。
徳川と前田で300万石オーバーだし。
だから豊臣譜代の土地を増やさねばならんかった。 仮に唐入りが成功して、朝鮮、明を征服できていたとして、それで日本の本土の統治がうまくいくのかな?
秀吉が北京に移住して「大明関白」になり、配下の武将たちも大陸に広大な所領を得て移住する。
だが、そうすると、日本ではますます徳川が相対的に大きな存在になり、日本の本土は徳川に
取られてしまう事態にならないか?
大陸を統治する豊臣政権と、本土を統治する徳川政権に分かれる可能性がある。 秀吉自身は、自分の故郷である尾張の領有にこだわって無いし、広大な領土の国主であれば、大陸が領土でも問題無かったんじゃないだろうか。公式文書や書籍は漢文でお互いにそれが読めるから、筆談でどうにかなると思ってたんだろう。 鎌倉時代でも、関東武士が西国に領地をもらって、移住していくケースがよくある。
武士は領地がもらえるのが重要で、領地をもらえるのならどこへでも行くという習性が
あったのではないか?
大陸でも朝鮮でも領地をもらえるなら行くという武士は大勢いたと思う。 秀吉自身、晩年どうすりゃいいのかわからんかったんでしょ。
残せるものは何もないし。 秀吉の明国制覇構想・朝鮮出兵が、スペインによる日本侵略を防いだのです。
彼は全くおかしくなっていなかったです。
軍事作戦そのものが成功したか失敗したかという尺度ではなく評価しなければならない事象ですね。
秀次が精神的におかしくなったのも確実です。 西洋を見据えたって話もあるけれどそれだと慶長の役が説明出来ん そこまで強い姿勢を見せないと、スペインに付け込まれるからだろう。
加えて、今に通じる、中韓の無礼さだ。 文禄の役やった時点で既に軍事力は誇示してるので慶長の役は不要。
再出兵した以上は軍事力誇示は目的では無かったとみるべき。
また、フロイスはこの出兵で諸大名の財力が無くなっていると記録していたりするので最悪の場合西洋の攻撃を招いていたかもしれない。
秀吉が死んで助かったというべきか。 『キリストになろうとした魔王信長』
信長はフロイス達に影響され自分は大天使ミカエルで
安土城天主6層め外面に大天使ミカエルの像を描かせた
キリスト教の敵アラブ征討の為に出立すべく
まずは明国征討し中国岐山の地岐阜に都を建設しと
それで秀吉に朝鮮征討へ家康には南方琉球攻めへと向かわせた
その信長様の壮大なる夢を自分が是非実現してやろうと。 それで、この計画の無謀さに我慢ならぬ長男信忠と光秀は
本能寺の変の三日前に京の愛宕山の歌会の席で会った。 この愛宕山の歌会で有名な光秀の
「ときは今 あめが下しる 五月かな」を読んだ。 そして信長は光秀との密約である『エヴァンゲリオン計画』を実行したのだった ρ(ーoー)
あなたも私もアベコロナ♪
あいつもコイツもアベコロナ〜 ガースー「宣言解除して聖火と花見でドンチャン騒ぎ
アベコロナ変異種が日本じゅうで大拡散や
よっしゃ、よっしゃあ」 ,,;|||||||||!!"
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||||||||||!!!!!!""|||||||||||||||||||||||||||||||"!!!!!!!!!!||||||||||||||||||||||i
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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-  ̄─_─ ̄─ -−-- = ─− ̄-
─ ̄ -−-- ─−--− ̄−-
-  ̄─_─ ̄─ -−-- = ─− ̄-
─ ̄ -−-- ─−--− ̄−-
なんということニダ!!
. ∧_,,∧ ∧_,,∧ ∧_,,∧
アイゴー・・・ <; 三 > <; 三 > <; 三 > 太陽もネットウヨだったニダ!!
U 三) (| 三) (,l 三)
..,,,. ...,,..し―-J..,,,...,し―-J..,,,. ..,, ...,,.,し―-J..,. ..,,
━━ ━━ ━━ 朝鮮征伐は相当の理由があって実施され、戦団の士気も高かった。
秀吉が決定的に間違ったのは秀次の粛清だと思う
これが豊臣政権の命取りになった 千島カムチャッカ樺太シベリアに目を向けなかったのは先見の明がなかったな。
小笠原なんて絶海の孤島で発見すら困難だけど、
千島なんてはっきり見えて島伝いに行けば容易に大陸にまで到達できる。 スペインポルトガルの植民地化の波に対抗する為やろ。実際サンフェリペ号事件でキリスト教を植民地化に使ってるのは確定しとるんやから。プラン自体はずっと前から用意してたし秀吉が痴呆はほぼありえん。 池沼の寄生虫が必死に秀吉を痴呆扱いしてるだけwww 慶長地震等の大地震の多発も
秀吉の考えに大いに影響している。天に腹を立てたようだ 秀吉の子孫が早々に根絶やしにされたの、因果応報の解説にうってつけなくらい因果応報
「てめーの場合、全然可哀想とは思えん」しか感想が出てこない 戦国は末世だけど、信玄や秀吉の子孫が根絶やしにされてるあたり悪業の報いは来るんだよな
>>271
センゴクは突出して有能なわけでもずば抜けた殊勲があるわけでもないのに秀吉のみならず家康からもオキニの愛人みたいな並々ならぬ寵愛を受けてて更に信長からも気に入られていたのがすごすぎる
藤堂高虎なんて目じゃない 弓野血弦狐・・・
弓を野に落として弦を血に染めさす狐・・・
【7人目】第49ロシア軍司令部を破壊、ヤコフ・レザンツェフ中将戦死 [754019341]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1648198090/
394 ホスフェニトインナトリウム(神奈川県) [US] sage ▼ New! 2022/03/25(金) 19:17:36.65 ID:mC8t7Gx40 [1回目]
よくわからんから秀吉の朝鮮出兵に例えて
396 アシクロビル(新潟県) [CN] sage ▼ New! 2022/03/25(金) 19:19:03.25 ID:rDqBXVYF0 [6回目]
>394
加藤清正が死んだ感じか?
401 ラニナミビルオクタン酸エステル(神奈川県) [RU] sage ▼ New! 2022/03/25(金) 19:21:16.02 ID:2kqA+8IT0 [2回目]
>394
加藤清正が虎狩りして楽しんでたら熊に襲われて死亡
416 ホスフェニトインナトリウム(神奈川県) [US] sage ▼ New! 2022/03/25(金) 19:28:29.05 ID:mC8t7Gx40 [2回目]
>396
>401
一大事じゃないか
>>1
「頭おかしい」設定にされただけ
なぜならこの世界を支配するDSの闇に真向から対立した日本人だからな
秀吉のことが分かると今の時代もどういう連中がこの世界を支配してるか理解できるはず
それがバレるのが嫌だから「秀吉ご乱心」ってことにしてるだけ
まあ今も昔もアドレノクロム作ってるレプティリアンがいたってことだwwwww 朝鮮出兵は頭おかしくなったからと言われてるが、キリスト教圏に対してにらみを利かせる目的説もある 明智憲三郎って日輪のデマルカシオンとか
変に秀吉やら小牧・長久手の戦いを知ったかぶりで
漫画にしてるけどこれって単なる
プロパガンダにすぎないだろ?
こいつ単なる妄想歴史小説家だわ!
全く現実を直視していない。
こんな奴が歴史学者とか片腹痛い! 別におかしくなってない。
から入り自体は信長からの既定路線。というより、秀吉は
完全に信長の路線を踏襲しており、そこを越えるものは少
ない。
ただ、から入りの戦略についてどこまで緻密に検討された
のかは記録はほとんど無いから検証しようがないが。
秀吉も、スペインポルトガルが直前に手を引いて直接海路
明との決戦が不可能となったから朝鮮、というのも結局
中国朝鮮の過小評価なのは変わらないからね。
言語文化民族が違う相手を統治するという学問的方法論的
知識と経験が皆無な状態では、当初軍事的には圧倒できても
最後は民族意識を覚醒させ、あのような終わり方にしかなら
なかった。
その点信長なら、というのは秀吉よりは可能性はありそうだが、
強力な外様群を全部滅ぼして国民国家に発展させ、国民軍の
創設まで持って行くのは、本能寺時点で49才の信長一代では
不可能だろう。実際朝廷を制御しようとしてあっさり寝首をかか
れるような脇の甘さからは、まあ無理だね。 朝鮮半島の領土を求めるのは古代からの宿願だから秀吉の出兵は取り立てて突飛な行動ではない
ただ以前までなら一方的に文化を学ぶお手本でしかなかった中国やインドまでも
征服対象と考え得たのが古代日本人と秀吉との違いで、それはおそらく南蛮貿易を通じてキリスト教など西洋の文物に接した結果
知見が拡大し中国やインドが日本人の中で相対化されたからだと思われる
徳川が「鎖国」なんぞをして情報を閉ざしてしまったのはこの点から言ってもやはり残念 武将として有能(戦争で強い)なのと統治者として有能(治安維持や経済発展が上手い)なのは全く違う事だから
武将として有能だったから天下を取るまでは有能だったけど
統治者として有能ではなかったから天下を取ったら有能ではなくなった
馬上で天下を取れても馬上で天下を治める事はできないって漢の時代に陸賈が劉邦を諫めていた
ローマ帝国のオクタヴィアヌスなんかは秀吉とは逆に武将としては無能だけど統治者としては有能なタイプだったみたい 秀吉の死因は脚気
脚気は最初は体がだるくなり根気が無くなる。そして気が短くなる。
そのうち怒りっぽくなり、ちょっとのことで激高する。
さらに症状が進むと、怒りで狂乱状態になることがあるという。
快活な性格だった秀吉が暴君になったのは脚気という病気のせいである。 日本史は勉強する価値無いってこと。
どうせ朝鮮に噛み付いた戦犯だから印象操作したいんだろ >>11
戦国武将とかアタオカイケヌマばっかしじゃん >>283
佐吉とか新左衛門とかネネとかプレーがいたじゃん >>283
検地、刀狩り、度量衡の統一、通貨単位の整備に新貨幣創出
治安維持も経済発展も秀吉の時代に成し遂げてる
統治者としても充分に有能だろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています