神武天皇みたいな架空の人物信じてる奴って頭悪そう [無断転載禁止]©2ch.net
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世界史でいろんな国が覇権争いしてる時期に
神がどうこうって恥ずかしい 南京慰安婦みたいな架空の話信じてるネトサヨって奴頭悪そう 渡来人(笑)弥生人(笑)ネトサヨシナチョンが征服された負け犬なんだよなぁ >>250
あのねー。言い方うまくないけど
政治は漫画や作り話で運営してもらったら
困りますよ。実話に立脚していないといけない。
神武天皇は今のところ実在しなかったとは
断言できない、実在したほうにかけてみようと
信じるから天皇・皇族を由緒ある一族として税金で
養うことが認められているのです。
神武天皇が架空の人物とはっきり断言できる証拠
が出たら、国賊のほうが正しい人間であり、
天皇・皇族は詐欺師一族として絞首刑、火あぶり、
ギロチンなどの残酷刑で処刑をされても文句を言えなく
なります。 もれ(仮)が、いないと言えば、いないんだよ。
必要ないと言えば必要ない。
実際は、お前の決めることではない
と言ってる人がいなかった? 他のスレにも書いたはず
お前が決めることではないんだよ、
家が決めることなの
何かの家なんだったの?
と思うでしょ
国の何かとか 成り済まし、騙り?が代表面をしているようだけど、
必要ないんだよ
何度言えばわかるんだ >>1
正解、実在しない。
ラノベでも書いてろという話があったはず。 理解出来たか?
出来たのなら、刑務所(死刑)に行くか、自殺でもしたほうが良いぞ その人(仮)が実在したかどうかは、その人(仮)を
好きか嫌いかによって決まることではない。
俺がいないと思ったら彼はいない、俺がいると思えば彼はいる
というのは不合理な人の考え方だ。 神武天皇が過去に実在しようがしまいが、
天皇制に反対するのは個人の自由
そこを区別しろ >>261
間違ったこと言ったか?反論して見ろ。
認識が実在をつくるんじゃない。
実在は認識を超えたところにある。 >>265
はあ?
神とかいるかいないか分からない、むしろ
いない可能性が高いのに、天皇を最高神の
子孫と思ってありがたがれというのがどんな
に不合理か分からないのか?「人間も普通の
人間と考えられる、差別はいけない」それだ
けで天皇制に反対する理由にはなるぞ。
それはそれで、神武天皇が実際にいたかどうか
は学問で解明されるべきことであって、天皇制
の反対の立場でも真剣に考えていいと思うぞ。
2ちゃんだと、「天皇制を支持するからいたに
違いない」とか「天皇制は嫌いだからいなかった
に違いない」みたいに立場が妙に分かれる感じな
んでね 因果関係って大事だろ。 間違った
「人間も普通の人間と考えられる、差別はいけない」
じゃなくて
「天皇も普通の人間と考えられる、差別はいけない」
だ 実際は東征していなかったという仮説も出てるし
初期の天皇家が支配して領域が奈良盆地のごく一部である
という見方もあるので
要は「天皇に即位したこと」とか「127歳まで生きた」という
記紀が伝える神武天皇(のキャラクター)が架空の人物という
ことで、それに相当する人物が奈良盆地に住んでいた可能性
までは排除できない(要はこの真偽を知りたい)ということだろ とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
036 現にある王朝なんだから始祖がいないわけないわなw
そもそも「神武天皇は架空の存在だ」って、
何が言いたいのか?
「神武天皇」というのは追贈名だから生前そのように呼ばれた人物がいないことは初めから明らか。
事跡や年代記録を架空、捏造と決めつけたいんだろうけど、そもそも日本書紀って、
矛盾する異説がいっぱい併記されてる体裁の本で、編纂時点でそのような伝承が存在しなかったとは考えづらい。
神話や伝説の枝葉末節の物語性をタテに
歴史的事実の反映を全否定するのは
シュリーマン以前の史学だしなあ。 このコピペの穴がないか検討しているんだけどこのスレではどうだろう
なるほどと思える案が出たら修正したいと思います
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) つか、日向が国として独立したのが新しくて律令制導入時っぽいからなあ。
神話では「筑紫の日向」という表現がなされているが、これもおかしな話で、
九州全体を筑紫で代表させてそう呼ぶのは後代の話で極めて本州目線の表現だ。
結局「筑紫の日向」では「九州の日向国」なんて意味より「筑紫国(福岡県)の日向(ひむか)の地」と読む方が自然で、そういう地名も筑紫にある。
日向国の方は後から神話の日向にこじつけて神話を自国の方に引っ張ろうとした可能性が強いんじゃないかな。 架空の実体を自己にて自覚し、遠方に実在している神(武)将を想う。
想像?フィクション?オカルト? 別にいろいろ尾ひれが付いてるだけで初代天皇(と後代見なされる)の存在は架空ではないだろう。 記紀に書かれてるんだから九州から畿内に東征して来て、征服王朝を打ち立てた一団がいたのは事実だろうな
その時期や内容に付いては改竄されてるかもしれないが。 池上とか頭の悪いヤツはそのあたりの事情を考慮せず
無造作に架空と言い切っちゃうんだよな 征服された方はやっぱ銅鐸文化なんだろうな。
銅鐸の不自然な埋納状況や銅鐸に関する失伝もそれで説明がつく。
天皇家伝承の神話は九州系だし、
神武天皇の東征譚は弱い上に卑怯千万で、捏造なら逆に不自然。 日本史 は 海外の国の歴史を調べたりするとか、国と国が交接する場面から
面白くなる教科なんだがな。諸説あれど。 唐(皇帝、天可汗、天皇)に影響受けた中国、モンゴル、日本以外カス 日向で発掘された漢の時代の玉璧(ぎょくへき)■玉璧の写真
http://
kitade.stonesbazar.lolipop.jp/?eid=1232775
弥生や古墳時代の中国文明の移入を論じるときに、中華4千年の象徴ともいえる
玉(ぎょく)製品がなぜ日本列島に伝わらなかったのかが話題になる。
玉製品は権力者の宝であり、製作工房も皇帝の支配下にあった。
日本列島に移民してくるのはたいがい権力闘争に破れた者たちであり、
玉製品とは縁のない人たち。中国の朝廷は銅鏡あたりなら欲しがるだけ与えても、
玉製品のように貴重な品を東の蛮族には与えることはなかった、というように考えてきた。
それなのに、おそらくは卑弥呼の邪馬台国とそんなに離れていない時代の
日向(ひゅうが)で、おおまかに漢の時代に作られたであろう璧が出土していた。
これが江戸時代のやらせでなかったら、中国の古文献には残されていないが、
漢やそれにつづく三国志の時代に、たとえば卑弥呼が朝貢した魏(ぎ)に対して、
呉(ご)あたりと連携のあった権力者が日向にいたということなんだろう。
この連想をつづけるなら、考古学的には根拠がないとされる
日本神話と日向の関係も根も葉もないこじつけではなくなる。
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1331559630/540-545 >>208
長髄彦/那賀須祢彦。、、、
、、、実体は、海部/磯城王家の大彦さま(王族。神話で崇神朝の四道将軍とされていますが時代も事跡も全くウソです。無類の物部(孝霊天皇の頃に第一次(九州の)物部王家(遠祖を同じくする同族)が侵攻してきて、
孝霊天皇は大和を維持出来ず出奔。吉備に逃避して吉備王国を建てる)嫌いでならしていたらしく)。
また、中曽大根に御殿を構えていたらしい事からキキ神話で音韻が同じ?長髄彦としたらしい。
物部勢(第一次はニギハヤヒ(=ホアカリ)やウマシマジ(架空の存在)になぞらえた)に帰順せず徹底抗戦を貫くも敗走。追撃されて北に更に東へと退却逃避して、、、最終的に子孫らは東北地方に至る。
彼ら(元の(先行した)大和朝廷勢力)を蝦夷と言って蔑んだ。 エミシというのが大王家(神)という意味なんだけど、
頭が悪いんじゃないのか?
それとも、
そういう事を言いたいの? 神武天皇の存在を証明するための二倍法の話は聞くけれど、
欠史七代の話はどう合理化しているのか? 頭悪いとかではない
むしろ神武天皇が存在しないことを知っているからこそ必死なんだ
むしろ神武天皇が存在したか否かの議論に巻き込まれている奴こそ
生きてる価値が無いほどに視野が狭く頭が悪い
奴らは天皇の権力によって酒池肉林だ
例えば、朝鮮部落同盟というのは白昼堂々と社長をリンチ殺人して企業を乗っ取っていた
外傷だらけでボコボコになった社長を、警察は自殺とする
法務省は、それは違法だとしながらも放置
そんなことができる権力は天皇以外のどこにもない
天皇の同族である同和朝鮮人は、公共事業を相場と桁違いの価格で受注できる
それで簡単に数千億円も儲けてしまって自治体を乗っ取り王国状態の地域もある
天皇制という民族差別制度のお陰で朝鮮系はやりたい放題だ
金儲けも強姦も殺人も自由自在だ
そんな状況で視野の狭い日本人は
欠史七代の話はどう合理化しているのか?とかバカちゃうか >>291
2代綏靖天皇に関しては編集的に神武記に入っているだけで、即位のすったもんだと母との結婚という記紀の編集者アタマ抱えモンの情報が記してあるぞ。
古くなる順に情報が減少しなきゃいけない必然もない。初代は特別だからな。初代の伝記のあとに系図しか伝わらない時代があっても別に不思議はない。
初代徳川将軍については戦でウンコもらしたとか鯛の天ぷらにあたったとか細かいエピソードが山ほど知られているが、
4代将軍とか7代将軍とかの細かいエピソードがどれだけ後世に知られている? 44マンセー名無しさん2018/08/19(日) 13:33:44.58ID:HCfG/Hq0>>45>>50
「今日は、大和民族という好戦種族が、九州から東の方大和に都して居た蝦夷民族を侵撃して勝を制し、
遂に日本嶋の中央を占領して、其酋長が帝位に即き、神武天皇と名告つた紀念の日だ。 」(石川啄木『啄木日記』)
「今の天子の先祖は、九州のスミから出て、人殺しや、がう盗をして、同じ泥坊なかまの、ナガスネヒコなどを
亡ぼした、いはば熊ざか長範や、大え山の酒呑童子の、成功したのである、神様でも何でもないことは、
スコシ考へてみれば、スグしれる。」(内山愚堂『入獄記念・無政府共産』)
明治の知識人たちの神武天皇を小馬鹿にした態度ほんとすこ
45マンセー名無しさん2018/08/19(日) 13:39:35.82ID:WOWD/xTc
>>44
小馬鹿といってはいかんよ
内山は命賭けて馬鹿にしてるんだから
46マンセー名無しさん2018/08/19(日) 15:00:56.92ID:sBYr61RF
こういうのは逆に明治初期の方が大らかだったりする
昭和になってから喧しくなるが 弱い神武天皇が小狡い手段で長髄彦をぶち殺したってのは、まんま日本書紀に書いてあることだからな。
これを創作と断ずるならば、なんでわざわざそんな噺を創作したかが説明されねばならん。
素直に「聖人が現れたのでみんな平伏した」の方が何をどう考えても捏造目的にかなうからな。 バカを信用させるために決まってるだろう
古代の人間はバカだと思いがちだが、モノが無いだけで知能は大差ないはずだ
弱肉強食の悪人が生き残る時代なんだから
683年から千年以上続いた天皇は世界最悪の寄生虫と言える 意味がわからんな。
なんで初代天皇が弱い卑怯者だとバカが信用するんだ?お前は信用するのか?
「神の末裔で神同然の人物だった」
誰を信用させるのにもそっちの方がやりやすかろう。
どう捏造したって費用が掛かるわけでなし。 要するに捏造て決めつけたいだけで根拠は特にないワケだよなw 神武天皇とかいう変な奴がいたとして
そういうワケわからん天皇が住んでるのに
新羅に勝手に国号を変えられた上に
民が虐殺されても天皇が続いたというのは情けないね
というか存在意義が問われる その神武というのはアマテラス
・・・三貴神などの末裔なの?
そのような事を言ってるみたいなんだけど、
違うんだろ 683年の新羅から来た文武天皇が日本での初代天皇であって
渡来人のそいつらが自分たちの歴史を日本書紀としてでっち上げ
それ以前のものは無いのだから知りようが無い
日本神話とギリシャ神話が似ているのは、日本列島上の神話ではなく
渡来人が日本に持ち込んだ話だから
文武天皇が日本に来る前に、日本にも親分的な者がいたんだろうが
宮内チョンが古墳を調べさせない
というか重要な古墳を破壊している疑いすらある
宮内チョンが仁徳天皇陵としていたものは今は大仙古墳と呼ばれる
仁徳天皇なんて実在しないからな
宮内チョンは下劣な神社朝鮮人が集まった、いかがわしいもので
神道指令で国家神道は民間のカルト神道になったのだから廃止すべき 天皇になれるのは、百済新羅を朝貢させた倭人出身の倭王のみ。大陸半島渡来系は、漢人が五胡に仕えたように、倭王に臣従した。 辰王の末裔が倭国で大王になったんだろ、だから朝鮮各国が朝貢してきたわけで 系譜上に記された大和国初代の神武天皇/神倭磐余彦火火出見尊は、
実際には天村雲命/建位起命。
欠史8代と言われる歴代大王はこの天村雲命に始まる高尾張(海部)/磯城王朝。
初代の天村雲命〜11代彦道主大王まで11代続ぎました。
途中、所謂、孝霊天皇の時に先ず天日矛命が出雲王国に渡来しますが出雲のヤエガキ(しきたりや法令)の遵守を問われたのを拒絶したため出雲王国の支配領域への上陸、入植を拒絶されまてしまいます。
当時は山峡に湖沼や湿地が広がるばかりの但馬地域(豊岡)に辛うじて入植して湖の堰を切り開き排水する等、大変苦労して一帯を開発。
更なる活路を求めて?(異聞では腹に一物を持つ(大和攻略のための遠望深慮)九州の物部勢(のちの天皇家)らに唆されて)播磨(針間)地域へ南下、侵攻を計り当初は(出雲王国の防備が無いに等しかった為)大いに成果を納めたものの
出雲王国本国軍(風土記では大国主と表現)からと
分家筋の大和国(同じく風土記では天火明と表現(天火明(実はニキハヤヒと異名同人)の子孫ゆえ))の孝霊天皇軍が
連合して体制を整えて反撃に転じると天日矛命ら但馬勢は劣勢となり、やがて追い詰められて天日矛命は淡路島に逃げ込んで(敗走)一応の決着が着いたので、
出雲王国本国軍は引き上げ(撤退)ますが、大和国の孝霊天皇軍は治安維持が何とか云々と屁理屈を捏ねてそのまま駐留、(半ば実質的な占領。この動乱で活躍したのが孝霊天皇の御子(後の)大吉備津彦たち) この針間での争乱が落ち着いた矢先、今度は九州から物部勢力が大和に侵攻して来ました。(第一次物部侵攻。(これをニキハヤヒ(=天火明)とウマシマジに例えた。))
大和国の大王家(孝霊)を支えていた(御輿を担いでいた)葛城の出雲神族らの
離反や裏切りも重なり大王の孝霊は大和を維持出来なくなり
身内や近習らと共に蓄電(都落ち)して針間から吉備に入って吉備王国を建てます。(これ等がお伽噺の桃太郎の、山から(大和から)大きな桃(大王)が流れて来た(落ち延びてきた)。になっています)
その際に大和側として頑強に物部勢力に抵抗したのが大彦命。
(所謂、長脛彦はこのお方がモデル。命が長大曽根に邸宅を構えていた事からナガスネヒコと改ざん)
大彦さまらは時勢与せず、劣勢から敗走を余儀なくされて
更に追撃されて北へ、東へと退却。最終的にはこの元大和国の王族勢力は東北地方の津軽に定着(日本中央)。
これ等を物部勢(朝廷)らは蝦夷(エミシ)と言って(元元は遠祖(ニキハヤヒ=ホアカリ)を同じくする同族なのに)蔑んだと言う。
(後の坂上の田村麿らが征伐した蝦夷(東北)のアテルイ等は大和朝廷とは同族。三輪山を拝礼させた云々も彼らの先祖らの故郷(原郷)故)
、、、行先々で一時の平穏をえると出雲の神々を祀ります(アラハバキ、ミシャクジ、タテカシマ、、、)が、
朝廷側の追撃で それらの神社/霊峙は放棄を余儀なくされ、
それらの祭神は大和朝廷側に都合の良い名前に改ざんされて現在に至ります
、、、(現職の安倍首相は大彦さまの末裔、後裔に当たります)
新来の物部勢と大和の王家は次第に融和して行きまあまあ平和に3代、約100年ほどが過ぎころ
再度、九州から今度は物部勢力の本家本流が豊国や旧但馬勢ほかと連合軍を組んで本気で侵攻して来ます。
(第二次物部侵攻。これが所謂、神武の東征に書き換えられた)
物部勢力の大王、物部イクメ大王(所謂、垂仁)が大和入りして同族の磯城王朝を倒して
大和の新な大王に就いて物部王朝が始まります。
その際、磯城王朝最後の大王第11代道主大王の娘のヒバス姫を后に差し出して、彦道主大王は因幡国に流罪となり、因幡国造の祖と成りました。 その東征に際しては瀬戸内海を進軍する本軍とは別に
日本海側を進軍して大和国の後ろ楯(本宗)の出雲王国を殲滅してから更に北側から大和を侵攻して挟み撃ちする別動軍が編成されて、
物部十千根将軍ほかがその本隊を率い、
天日矛命の子孫の但馬勢の田島守が出雲王国に受けた先祖の天日矛命の恥(身から出た錆びの逆怨みですが)を雪ぐ(そそぐ)と血気盛んに与力として参軍。
先の吉備王国がやおら北進して出雲王国の鉄を欲して侵攻して来て
出雲側は大和を逐われた可哀想な親戚と無防備だったため総崩れになり、東西2王家が共に支えてきた出雲王国は西出雲の神門臣家は吉備王国の属国となり、東出雲の富家は自立して東出雲王国として態勢を整え
吉備王国(孝霊)らに反撃に転じると、戦況は一進一退の膠着状態に陥り、
大山の麓の高台に行宮本陣を構えていた孝霊はいよいよ厭戦気分が募り自暴自棄からか外部と謝絶を命じ土地の美人と酒色に耽りやがてそのまま崩御なさいました。
その様子を心配して遠路を陣中見舞いにきた后の細媛(クワシ媛。共に大和から都落ち)や御子らとも面会謝絶して追い返したと言う。
この孝霊元大王が本陣を営んだ山(丘)を今は孝霊山と呼びます。
東出雲王国(神門臣家)と西出雲王国(富家(向家))に分裂していた出雲も圧倒して初代出雲王の菅之八耳命以来17代700年。出雲に定住化して国を建ててからは約1000年以上の歴史を刻んだ出雲王国(帝国)は滅亡。
その際、田島守らは必要以上に執拗に病的に
出雲王国内を蹂躙し荒らし回って大いに溜飲を下げたと言う。
(高天ヶ原でスサノオが天津罪、国津罪の限りを尽くした行(の一部)。大祓詞で天益人らが犯した種種の罪など)
出雲進駐軍は東出雲王国の富家の王宮殿を接収して占領政府の拠点とし、大将軍物部十千根が入城して戦後処理を行った後、
富家に返還を申し出るも固辞されたために、
やむを得ず元王宮殿を神社として、物部十千根子孫らを神主社家に定めたのが今も続く秋山家。
元の東出雲王宮殿が、、、神魂神社で、いにしえの出雲王宮殿の姿をそのままを現在まで伝えているとか?
但し、千木は物部勢の内削ぎに変わってはいますが。 出雲王国を滅ぼした物部豊国別動軍は更に因幡国に至り本陣としたのが現在の白兎神社だとか?
(出雲王国は滅びましたが元の2つの王家は残った。
東出雲王家の富家が王宮殿を引き渡した後に移り住んだのが出雲熊野大社の地(熊野大社の始まり)
熊野大社では旧来(王国時代)通りの祭祀や祭礼が富家の主宰で引き継ぎ行われました。
祭礼の際には全国から出雲族が参集して各地のあらゆる情報がもたらされて、
それが(今日迄)真実の歴史として蓄積されて行ったと言う
出雲の元王家が残った事が、後々重要な意味を持つ事になる。
、、、端的には歴史のうねり、大いなる意思によって継体天皇以降はほろぼされた出雲王国の末裔、出雲神族(王族)の血筋に大ドンデン返し。
天皇家は家系は天神天孫族、血筋(男系)は出雲神族のハイブリッドになっています) >>311
キキ神話中、出雲から国譲りされた(出雲王国を滅ぼした)天皇家の近くの守護神に
出雲の神々を配置する行に違和感を覚えましたが、上↑のような裏事情が有ったのなら
十分納得しますよ? 683年からの文武天皇が日本での初代天皇であり
こいつが新羅から来た時点で百済は滅んで日本列島に逃げ込んでいた
つまり倭国は先行して逃げ込んでいた百済人だ
百済が来て、次いで新羅が来てと、トコロテンのように
というかウンコのように唐に押し出された
そして新羅が滅びると半島勢力は完全に日本列島上に移行完了ということで
日本列島上の百済勢が息を吹き返し桓武天皇を立てる
新羅の文武天皇系統が京都の北朝と呼ばれ
百済の桓武天皇系統が吉野の南朝で、
以降、下劣で狂暴な天皇は二匹体制となって千年も日本列島上で争う
北家vs式家、源氏vs平氏というのもみんな新羅と百済のくだらない争いなのだ
伊藤博文が北朝の孝明天皇を殺害し、明治天皇から南朝になった
南朝の桓武平氏に対して、清和源氏は北朝だから
今の南朝天皇に対して、自民清和会は北朝てことだろうか
明治からの南朝天皇は英国傀儡の戦争屋天皇だが
自民清和会はアメリカ軍産の手先で、百済系も新羅系もどうしようもない寄生虫どもだな
天皇なんてものは全否定しないといけない
和田アキコとか伸介とかの朝鮮系は常に何かを攻撃し続けてるだろ、天皇もそうなんだよ
半島で争った後に、日本列島上で千年争い、江戸時代の休憩をはさんで、明治からは国外で戦争
天皇は戦争させる神とでもいうべきもの なんの根拠で父も母も天皇というサラブレッドで幼少時から記録のハッキリしている軽皇子を謎の同胞認定してるんだ? 天皇は最初は征夷大将軍を組織して日本人狩りをするなどブイブイ言わせていたが
祖国に比べて日本が広いだけに、手下の武士が各地で力を持つようになると
天皇は強い武家につくシャーマンとなり
戦国時代には、誰からも相手にされなくなり、
死んでも葬式もできずに腐乱死体で放置される天皇もいた
色紙に短文を書いて金持ちに売り歩いて生計を立てていた
本当はそこで天皇は消滅するはずだったのだが、
英国の世界覇権のために利用されてしまった
明治からの天皇制は英国製だ
日本がどんな戦争をさせられたか日本国民には隠され美化されているが
明治からの日本は英国に飼われたISISそのものだ
天皇などという英国の猿回しの猿をいつまで飼っておくつもりか >>273
高千穂は後世のでっち上げだね。
日向も、今の宮崎とは違う。 記紀を読めばわかるけど、神武は征服王朝なんて建てていない。
ヤマト盆地の片隅で、10代に至るまでほそぼそと生き延びただけだと書いてある。
現地の有力者に婿入りしながらなんとか生き延びてきた。
欠史八代とかいうけど、系譜は書いてあるし、多少の事績もある。
系譜をでっち上げるのは非常に困難。
何故かと言うと、「相手」があるから。
後に崇神天皇と言われた人物は「大王」になったのだろう。
それ以前は「大王」ではないが、彼にも父がいて、その父・・もいる。
その先祖の一人に「神武天皇」と名前を付けた。子孫の間では、彼がヤマトにやってきた
「初代」という伝承があったのだろう。
二代から10代の崇神までの姻族や伝承は、考古学の成果と矛盾しない。
各地の神社の伝承とも大きな矛盾はない。
吉備、丹後、尾張、出雲も。
もしも7世紀にでっち上げるなら、神武の墓はでっかい室宮山古墳にしておけば良かった。
綏靖天皇以下の8人だって適当に当てはめれば良かったんだよ。
伝承不明の200m級の前方後円墳の8つや9つは奈良にある。
そうしなかったということは、「伝承」を書いたとしか考えられない。
どうみても弥生墳丘らしき場所が墓になってる。 >>300
神の末裔ってのはちょっと違う。
日本では先祖が神さまだから、みんなが神の末裔なんだよw
現代人は一神教の「God」と神様を同一視するけどね。
「God」を神と訳した人の間違いだわ。
ヤハウェはヤハウェでよかったのに。 欠史八代の亡霊だな。
いや、「欠史八代信仰」とでも言うべきか。
記紀を100%信じなさい。そうでないと国賊だ!っていう戦中の皇国史観に対する
反動というべきなんだろうが、こんどは「欠史八代を信じなさい!記紀を否定しなさい
そうでないと反動右翼認定だ!」という「欠史八代教」が誕生した。
記紀には「旧約聖書」程度の信頼性があるw
・はるか昔に日本列島を作った神がいた
・その子孫が増えていった
・天孫降臨があった
・その子孫がヤマトに居着いた。
・巨大な前方後円墳を作るような豊かな国が出来た
・当時の有力者たちは、アマテラスの一族出身だという伝承があった
・それ以外の出自のたくさんの有力者がいた
まあ、オレはそれらの伝承は神武がヤマトへ来る前からあったと思うけどね。
天火明命の伝承に、ちゃっかり自分を入れちゃったんだと。
婿入り先の伝承を取ってしまったんだよw
ただ、神武の一族にもアマテラスの子孫だという伝承があってもおかしくないけどね。
天孫降臨は、あったとしても巻向時代とかの新しい時代じゃない。
天孫降臨は九州じゃない。ヤマトにすでにいたからな。
ヤマトっていうと、ちょと違うのだろう。
近畿圏〜中国〜北陸かな。
東北〜関東〜長野の人々が西日本にやってきた頃かもしれない。
東の縄文遺跡が一斉に消える頃のこと。 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 日本は元パイセン北魏を見習うべき。
彼らは初代の座を架空皇帝の先代達から道武帝を王朝創始者に戻している。日本も最初に天皇になった天武持統を初代に戻すべき。 神話を商売道具にしようとするバカがまだいるようだな。 >>174
倭国大乱も邪馬台国も大和朝廷もなかったから、×。 >>175
>卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろう
初期のヤマト政権の主体は、石器作りや狩猟を生業としていた集団だったんじゃないかな
三輪山の麓に政権を打ち立てたんだろう<
台与なんていなかったし、三輪山のふもと初出「南≠東」などに拠って、×。 >>175
>卑弥呼→台与の頃を歌ったものだろう
初期のヤマト政権の主体は、石器作りや狩猟を生業としていた集団だったんじゃないかな
三輪山の麓に政権を打ち立てたんだろう<
台与なんていなかったし、三輪山のふもと初出「南≠東」などに拠って、×。 正しくは、
・当時「神武天皇」という人はいなかった。後世に付けられた名前だから
・だけど、天皇家の先祖は存在した。人間だから父がそのまた父がいる。
遺跡からは2つの勢力の壮絶な殺し合いが起きて新勢力が勝ち残ったような様子は見られない。記紀にも、地元の有力者と談合し、盆地の片隅でなんとか生き残っている様子が書かれる。盆地内の有力者の娘を嫁にもらい、婿入りしている。
長らく領地は盆地の南の端っこだ。墓も、弥生墳丘墓らしいものだ。
そういう意味で、記紀は天皇家の先祖を正直に書いていると言えるかも知れない。
神武の墓を、室宮山古墳にでっち上げたりしていないw
全くのでっち上げなら、綏靖天皇墓を桜井茶臼山古墳、安寧天皇墓を巣山古墳に、
懿徳天皇陵を島の山古墳に、孝昭天皇墓を西殿塚古墳に、孝安天皇陵を河合大塚山古墳に、孝霊天皇陵を、築山古墳に、孝元天皇陵をコナベ古墳に、開化天皇陵をウワナベ古墳にでっち上げることも出来たのにしていない。
正直に、大和盆地の片隅の小豪族だったと伝わっていますと書いてるわけだ。 >>302
天皇家に都合のいいように捏造するなら、もっとマシな話を作り上げるだろうってことだな。
初代もそうだし、軟弱なやつや、同族同士で内輪もめしたり、キチガイもどきの天皇がいたり、
同母の妹とできちゃったやつがいたり、同族で殺し合いしたあげく五世孫を連れてこなきゃ
いけなかったり。
どう読んでも「天皇家に都合のいい作り話」には見えないからなあw 実際に天皇家は同族と伝わる隼人族を近習として仕えさせている
一種の人質と書いたのを見たこともあるけど他の地域から近習として仕えさせた例があるのかな? 近習そのものに一種の人質としての要素があると考えているんでしょ
そういう人に言わせれば信長の赤ホロも人質 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 熱帯作物の稲が朝鮮南部なんぞから来るわけがないだろう。
むしろ朝鮮南部の稲作は日本から伝わったことが稲の遺伝子的に分かっている。論外。 倭の5王に比定されてる天皇も嘘
推古も嘘
仁徳崇神?嘘に決まってるだろw 倭の五王は多分、現天皇家ではないが、五王を嘘だと言うなら中華史書を嘘呼ばわりになるわな。
推古天皇代のモノは半島とかと違っていろいろとブツが残っているので全否定は難しい。
仁徳や崇神は墓とズレてる可能性はあるが別に否定する根拠もないわな。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 そもそも「欠史八代」っていう発想がおかしいよ。
「欠史三十代」や「欠史五十代」のほうが系譜的に自然になるのに
何故そうしなかったのか?
欠史八代と言われてる天皇が実在した。
天皇の年齢は改ざんできても、天皇の代数は改ざんできなかった。
そう考えると辻褄が合う。
天武天皇は「第40代天皇」というのが知れ渡ってるのに
いきなり「第90代天皇」には変更できない。
だから年齢のほうをイジったんだよ。BC660年を起点にして年齢のほうをイジった。
2~9代の天皇は長生きすぎるから実在しなかったというが
逆に長生きすぎるのが実在した証拠である(実在したので「欠史50代」を創作できなかった) 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 神武天皇が実在した人物でないとすると、自分たちは
神武と戦った逆賊の子孫で戦時中辛い思いをしたとい
うこの農家のご主人の証言はどうなるのかな?
大和には天皇家より古い「万世一系」の家があった
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/04/16/100219 ◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
. 朝鮮のゴミ歴史を知るたびに日本人に生まれてよかったと思う 日本の王統の王としては、倭王武で、良いと思うな。
250年以前、卑弥呼時代には、豪族の台頭は有ったとしても
王が何か?ってことが、自然発生出来てないよ。
新唐書とかで冊封っぽく書かれちゃったんで、
記紀では、消した歴史なんだな。 正式名称は磯上乃古事記
海洋国家のこと、海の無い奈良はお呼びではない
海に囲まれた九州か四国の話だが
空海が太龍寺に磯輪上乃秀真国之阿波国也と書き残してあるから
古事記とは四国の話である 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。 延喜式に掲載されている神武天皇をご祭神とする神社は樫原神社のみ
神武は四国の人間だ >>350
神武は四国のどこで生まれてどこで死んだんだ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています