>>365
2600年というのは、日本書紀に書かれている、〜〜天皇の即位何年という記載を加算した時の年代なのよね。
その疑問を解く鍵は3世紀の日本を記した魏志倭人伝にあると思う。

魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀
見大人所敬 但搏手以當跪拝 其人寿考 或百年或八九十年

3世紀の邪馬台国では、まだ太陰暦による1年の概念は入ってきておらず、ただ春に田を耕し、秋に収穫しているだけだった。
また人々は、100歳、或いは80歳や90歳と非常に長寿だったと、邪馬台国を訪れた帯方郡使は書いている。

1年365日の概念がまだなく、春に耕す、秋に収穫するという時間の感覚と、今以上のご長寿大国っぷり。

ここから考えられるのは、古代日本において太陰暦が導入されるまでの間、春に耕して1年。秋に収穫して1年と
太陰暦換算の1年が、古代日本では2年に2倍化していたということ。

少なくとも3世紀にはまだ太陰暦はなかった。
7世紀にはほぼ間違いなく太陰暦は導入されてる。
3〜7世紀までのどこかの時点までは、2倍年紀法が使われていたという仮説が成り立つ。
そうすると神武東征は、2600年前ではなく、もう少し現代に近い時期の出来事であったと考えられる。