幕末の徳川幕府、実は有能だった説 [無断転載禁止]©2ch.net
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まーふつうに考えれば幕府はオランダとかから世界情勢を把握していた
当時の世界はイギリスとロシアの2強状態だった
この2国と開国やら条約を結ぶより先に当時新興国だった雑魚のアメリカ相手に開国をした方が
マシな条件で条約を結ぶことができる
つまり先に日米和親条約という有利な条件を結んだことでイギリスロシア他の列強国はこの基準で交渉しないといけなくなった 幕末の外交官はよく頑張ったと思うね。最近見直されつつある。
明治維新が過大評価されすぎたからねえ。来年は明治150年だし、歴史を再検証する良い機会だ。 . .: .:  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .: .: .
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/´/: l/:.:.V:<: : /: : : : : : :} は・前・
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「 : : 〈: : |:./: :/: : : : : : : : : : : : :ヘ. 中・
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/: : : /: : : : : : : : :。: : : : : 〈 〉ー ミ: : : ヘ
〈: : :-/: : :°: : : : : : : : : : : : У: : : : : : : : : 〉 不平等条約改正の時が
日本が主権復帰した日
第二次世界大戦後はまだ属国にされてるが 明治政府を持ち上げるために
不当に過小評価されてるだけ 山岡鉄舟(生国武蔵)の講談拝聴
来聴者:山岡の弟子たち(井上毅…生国肥後、籠手田安定…生国肥前、中村正直…生国武蔵、山川浩…生国陸奥)
さて幕府を維新の元由者というのは、かの外船渡来以来、海防の設備騒ぎの頃、彼らの事情を考究させるため蘭学の修行者は多く幕府において仕えて、
それらの余波はついに外交政治の機関に活用して、暗々の間に開港の誘導者となり、かの渡辺崋山(生国武蔵)が『ゲキ舌小記』、『慎機論』等を著して、ロシアと交通するべしと論じ、
勝安房(海舟、生国武蔵)が『外交余勢』を論じ、高野長英(生国陸奥)が『夢物語』を著し、その他種々これらの各書は当時の士気を誘発せしめたことは非常なものである。
あるいは造船航海術修行のため、榎本釜次郎(武揚、生国武蔵)をオランダに学ばしめ、勝麟太郎(安房)長崎に行きオランダに人について海軍術をきわめ、
高橋泥舟(生国武蔵)や拙者(山岡鉄舟、生国武蔵)輩をして講武所を開いて武士道を奨励せしめ、その他海軍操練所とか、蕃書取調所とか、あるいは小栗上野(忠順、生国武蔵)、大久保一翁(生国武蔵)等に
内外時勢の運を視察せしめたなど、開国進取にとっては、いかに貢献したかはひそかに思われるではないか。
しかして当時このような業作は、四方大反対の気焔をもって、打ち殺せだの、刺し殺せだのとて尋常一様の話ではない。
それを勇断して大胆に決行した連中等を思えば、真にその苦労のほどが千万流涙にたえない。
ああ実に忠君愛国の士で、朝日匂う山桜とは、誠にこのような武士で日本魂のある神州健児といわねばならぬ。
あるいは妙に罵る者もあるかもしれぬが、とかく拙者は感謝の意を表して、ここに一言注意を加えておく。 山口 伊藤 テロリスト
鹿児島 黒田 辻斬り、妻殺し 徳川に天下を治める力がないから徳川幕府が滅んだだけ
徳川が滅ぼした豊臣政権だって、
どっかの三河生まれの狸が野心を持たなければ有能な政権だった
末期の鎌倉幕府も室町幕府も当然有能である 駐在英国人瑞国人仏国人曰く
庶民は非常に意欲的且つ勤勉
幕府姦僚や武士わ無能で横柄 明治政府に登用された旧幕臣の数からみても、幕府は人材豊富だった。 明治政府じゃなくても、
幕府主導の近代化はある程度は可能だったと思う。反論は認める。
まあ、結論を言えば、トップがしっかりしていれば問題無いということ。
幕府滅亡の原因はトップに人を得なかったことに尽きる。 将軍が有能でも幕臣が無能だらけじゃどう仕様も無い
明治政府からして凡百と無能姦僚の集いで
少数の有能な人間が居たに過ぎず
朝令暮改連発や非効率な施策に於いて
無能姦僚のゴミっぷりを度々露呈してる 老中も小粒になったしな
土井か知恵伊豆でもいれば違ったろう 硬直した官僚機構はダイナミックな変動には弱いってだけ 外国との折衝など、当時のだれがやろうとダメだったろ
薩長なんて現代の民進党みたいなもの だから一度全部壊して御一新
廃藩置県までは見事
そのあとの出来は知らん 倒幕なんて言葉は読み物語の世界
実態は公武合体+列藩
首都は江戸(改称し東京)
天皇
官僚=公家、水戸
政治=長州、水戸(但し首相は出さない徳川はトップにならない)、薩摩(西郷の反乱で信用が低い)
経済=水戸、長州、薩摩
渋澤栄一は慶喜の腹心 、日銀三井の重鎮(旧幕府の資金は強かった)、三菱も取り込まれている
軍事=長州(陸軍)、薩摩(海軍)
因みに航空自衛隊閲覧式は百里基地(旧水戸藩領)開催
徳川は水戸が幹事になった感じ、新政府は徳川の名を抑えた
現在の与党
自民党ー総裁安倍長州
公明党ー代表山口水戸一高 外交ではよくやったと思うわ
問題は内政だろうね
それまでは主従という封建的権威で国内を統治してきたけど
それが通用しなくなったときの新しい秩序作りで一歩遅れを取った 幕府は有能だったか知らんが
うちの地方を治めていた
大名家は間違いなく無能 大名は将軍の家来なので、大名が無能なのは主である将軍の責任である ペリーが来て江戸へ向けて大砲ぶちかましたからだろ
本当は江戸幕府は日米和親条約も結びたくなかっただろうに 日本(天下)を治める力がないから徳川幕府は滅んだのよ
有能無能じゃない
徳川は豊臣家を滅ぼしたが豊臣政権だって有能だろ 無駄飯食らいの旗本を大量に抱え込んでいてから多少の人材がいてもペイせんだろ。 >豊臣政権だって有能だろ
260年の時空を超えるバカ 少なくとも下田の奉行は有能だったと思う
君沢型帆船の建造で日本もロシアも桁外れの利益を得る事が出来た
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E6%B2%A2%E5%BD%A2
・ロシアは乗艦が津波で撃破されたが帰国手段を入手した
・日本は巨額の予算を要する筈の西洋帆船建造技術をタダ同然に入手した >>24
これがそもそもおかしいわけよ
黒船4隻で日本を制圧することができるかって話よ
そしてペリーより7年前にビッドル艦隊が浦賀に来ているわけね
これで艦隊の実力はだいたい分かっているし、米関係者と幕府は接触してアメリカの目的も分かっている
そもそもオランダから黒船の情報とか入っているでしょう。ビビっていたのは庶民と下級武士だけ
アメリカの要求は、太平洋横断汽船航路開設と捕鯨船の補給港の確保。
だから幕府は日米和親条約を結ぶ必要はなかったし、アメリカは中国進出で
列強を出し抜くために近所の日本を拠点にしたかった。
つまりアメリカは太平洋を渡って単独で日本を制圧するほどの実力はなかった。アメリカとの交渉は日本側からもアプローチがあったと考えるのが妥当。
鎖国解除の口実にアメリカを利用したと。 明治政府にも榎本武揚はじめ、多くの有能な旧幕臣登用してたからなぁ 幕臣なんかやめて明治政府に乗り換えて大正解だったってことだね 真の侍
野に山によしやうゆとも蘆鶴(あしたず)の むれ居る鶏の中にや入らむ 高橋泥舟 >>29
わかっとらんな
ペリー艦隊に日本全部を占領できる戦力はないよ
でも江戸城や江戸がペリーの砲撃で炎上してしまう恐れはあった
将軍は無事に脱出できたにせよ、阿部正弘以下老中らの責任を問われてしまう
場合によっては切腹改易になる可能性もある 幕末の幕府の情勢を見ていると、
慶喜より前の将軍のリーダーシップ力が欠如していることがわかる
将軍が天下に広く「今から大胆な政策を大老老中が行うが、
それは将軍の命令と同じだと心得よ!!
将軍が大老老中を、その政策のために、罰することはない!!」
と宣言して身分を保証しないと大老や老中は大胆なことができない
安政の大獄で、譜代筆頭の井伊が大胆なことをやったが、
直弼が暗殺されるや、井伊家は10万石没収のうえ、重臣が切腹。
これでは他の譜代大名も、
「どうせ徳川家のために何かやっても、後日罰せられるのでは」
と疑心暗鬼になってしまう
譜代大名は井伊以外は数万石から10万石代で、私兵が外様大名より少ないから >>34
失政をやったら誰かが責任を取らないといけない
じゃあ、将軍が全責任を背負って辞めるのか?という話だ
天皇家も徳川将軍家も官僚政治で天皇や将軍は政治責任を負わないんだよ
権威として存在しているだけなので長く存在できる
実際に政治を行う大老以下は失政を行えば当然首を挿げ替えられるし処分も受ける
天皇や将軍は政治権力から超越した存在だったから長続きした だから誰も責任を取らないから徳川幕府は滅んだでしょ
天皇は宗教的権威が長く続いたから別として 皮肉なもんで徳川が滅ぼした豊臣家も
「あれは石田と大谷がやったこと!!牢人どもがやったこと!!秀頼公は無関係でござる」
と逃げ回ろうとしてたが、最後は滅んだね >>36
徳川幕府は明治天皇が担ぎ出されたから滅んだんだよ
鎌倉幕府の時も後醍醐天皇が綸旨を出している
権威として存在していた将軍といえども
天皇はそれを超える権威として存在していたから
天皇に宗教的権威はないだろう
だいたい幕末以前の天皇は熱心な仏教徒で
釈迦にならって火葬され仏式に葬られ寺が陵墓を管理していたし 攘夷攘夷と叫んでおきながら政権を取ったらすぐに開国で許されるなら
それを有能と言うのなら
徳川は無能と言われても問題ない 秀吉の遺言無視したり大坂城の堀を埋めたり
天下を取るためなら狸にもなる
これが徳川
謀多きは勝ちで天下を治めた徳川が、謀少なきで天下を失ったw 攘夷攘夷と叫んでたから明治政府は条約改正を達成
条約改正できなかった徳川幕府は無能と言われても問題ない 攘夷攘夷と叫んだ後で鹿鳴館で西洋ダンスとかお笑い番組よりひどいな 人斬り半次郎とか人斬り以蔵とか、
幕臣でしたっけ? 長州一藩相手に返り討ち食らってる段階でもう終わってる。 846 :名無しさん@1周年:2015/11/17(火) 23:30:26.90 ID:FIR92UJD0
池上彰も驚く!伊藤博文・キーワードは“放火”“人斬り”
池上彰が選ぶ初代総理大臣・伊藤博文を紐解くキーワードは放火、人斬り、密航、芸者遊び。
明治維新の5年前、尊王攘夷の思いに燃えていた伊藤は高杉晋作らとともに英国公使館焼き討ち事件を起こす。
また、天皇の退位について調査していると噂された国学者・塙忠宝を斬り殺した。
後に明治、大正期の実業家・渋沢栄一が暗殺者は伊藤博文たちと語っている。
この間、テレビで池上も
伊藤博文のテロリストっぷりを
紹介してたね。
この凶悪犯が言論の自由なんて好きなわけがないw テンプレは外交交渉なのに
アンチ幕府は関係ない話しかできない 人斬り半次郎とか人斬り以蔵とか、
幕臣でしたっけ? 最強=恐の水戸
・江戸っ子(左官屋岩吉)が見た混迷の幕末京都
京の町は都大路もへったくれもねぇ、田舎ぺえの薄汚ねぇ、侍かごろつきか分らねぇのがいっぱい。
あっちでもこっちでもわけのわからねぇ田舎ことばでドモリャがって、ケンカ始めたかと思うともう抜いてる。
あんた生きた首のとび上がるのを見たことねぇでしょう。すげぇもんですぜ。斬ったかと思うともうとんでる。
血の吹き出す勢いで、あれ、あの木(椎)のてっぺんくらいの高いところへ生首が一文字にはね上がるんですぜ。
嘘じゃありません。あっしゃあ何度も見ましたよ、斬られたのはどこの人間か知らねえが
斬ったのはみんな水戸者のような話でしたっけ。
何しろ水戸者は人の首きるの、菜っ葉か大根きる位にしか思ってねえってね。
最強=狂の薩摩
西南戦争のおりの明治10年3月27日、ある鹿児島兵が民家に潜り込んで寝ていたのを発見され、
自ら眉間に銃丸を撃ち込んで死んだ。
政府軍第一旅団会計部長の川口武定は、死んだ鹿児島兵を検視した後、
それを村民に葬らせた。
ところが、鹿児島の懲役人たちがその死体を掘り起こし、新鮮な肉だといって
奪い合うようにして食するのを見つけて止めさせたと、川口武定は記録し、
「甚いかな戦場殺気の人を毒すること、其に鬼域を去る復た幾ばくかある」
と慨嘆している。(川口武定『従征日記』)
戦場の殺気が人を狂わせてしまったと、川口は言いたいのだろうが、
鹿児島には元からヒエモントリという人食文化があることを、
和歌山出身の川口は知らなかったのであろう。 外国に行ったことがない
外国人に接したこともほとんどない
まともに交渉できたら有能すぎる それは外国人も同じ事
日本に行ったことがない
日本人に接したこともほとんどない
有利に交渉するため大砲でもぶっ放しておくか 外国は軍事的に有利だし、向こうから来るのになにも調べて来ないはずがない
オウム返しもどきでバカをさらして恥ずかしくないのかね だが無知な不逞エゲレス人は生麦で成敗されました
この連中が日本についてほとんどなにも調べてなかったことは明白 人斬り半次郎とか人斬り以蔵とか、
幕臣でしたっけ? 遊郭で暴れていた酒乱のフランス兵士が、町民にボコられて即死しましたよね
この連中は日本についてなにを調べてたのでしょうか 平時から西洋知識を得ていたのが生きたんだろうね
蘭学を推奨したのは吉宗らしいが
意外といい仕事してたんだなとw 十九世紀一の…
政治家・小栗上野介=東京神田 思想家・横井小楠=熊本熊本
実業家・渋沢栄一=埼玉深谷 資産家・岩崎弥太郎=高知安芸
農政家・二宮尊徳=神奈川小田原 兵法家・平山子龍=東京四谷
剣術家・男谷下総守=東京本所 探検家・間宮林蔵=茨城筑波
測量家・伊能忠敬=千葉九十九里 策略家・勝安房守=東京本所
陰謀家・岩倉具視=京都京都 開国家・岩瀬肥後守=東京愛宕
自信家・佐久間象山=長野松代 経世家・海保青陵=東京霞ヶ関
紀行家・菅江真澄=愛知豊橋 砲術家・高島秋帆=長崎長崎
藩政家・渡辺崋山=東京三宅坂 翻訳家・杉田玄白=東京新宿
啓蒙家・福澤諭吉=大分中津 遊説家・坂本龍馬=高知高知
財政家・松方正義=鹿児島鹿児島 民政家・上杉鷹山=東京霞ヶ関
開明家・橋本左内=福井福井 革命家・高杉晋作=山口萩
戦術家・立見尚文=東京八丁堀 尊王家・蒲生君平=栃木宇都宮
随筆家・松浦静山=東京浅草 画家・葛飾北斎=東京本所
作家・滝沢馬琴=東京深川 噺家・三遊亭円朝=東京湯島
医者・華岡青洲=和歌山西野山 為政者・島津斉彬=東京芝
指導者・西郷隆盛=鹿児島鹿児島 独裁者・大久保利通=鹿児島鹿児島
国学者・塙保己一=埼玉児玉 蘭学者・緒方洪庵=岡山足守
教育者・吉田松陰=山口萩 扇動者・藤田東湖=茨城水戸
兵学者・大村益次郎=山口山口 儒学者・広瀬淡窓=大分日田
漢学者・安井息軒=宮崎宮崎 経済学者・山片蟠桃=兵庫高砂
博物学者・南方熊楠=和歌山和歌山 キリスト教教育者・新島襄=東京神田
キリスト教指導者・内村鑑三=東京小石川 西洋哲学者・西周=島根津和野
仏教哲学者・清沢満之=愛知名古屋 自然哲学者・三浦梅園=大分国東
重商主義者・本多利明=新潟蒲原 国粋主義者・平田篤胤=秋田秋田
豪胆者・山岡鉄舟=東京本所 理学者・帆足万里=大分日出
化学者・川本幸民=兵庫三田 求道者・白井亨=東京桜田
英学者・中村正直=東京麻布 本草学者・平賀源内=香川志度 俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠(肥後人)と西郷南洲(隆盛、薩摩人)だ。
木戸小菊(孝允、長州人)は西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男さ。
坂本竜馬(土佐人)、あれは俺を殺しに来た奴だがなかなか人物さ。なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ。
小栗上野介(江戸人)は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士で。度量の狭かったのは惜しかった。
山岡鉄舟(江戸人)も大久保一翁(江戸人)も共に熱性で切迫の人だったから可哀想に早く死んだよ。俺はただずるいから長生きしてるのさ。
二宮尊徳(相州人)は至って正直な人だったよ。
鍋島閑叟公(江戸人)は名高い名君だがすこぶる陽明派の学問に達しておられたということだ。
山内容堂公(土佐人)は天資豪宕、襟懐洒落、真に英雄の資を具えて居られた。
江川太郎左衛門(伊豆人)もまたかなりの人物であった。この男は山の中で成長して常に遊猟などをして筋骨を練り明け暮れ武芸に余念がなかった。
渡辺崋山(江戸人)、温厚の人で何もかもよく出来た人さ。高野長英(陸奥人)はずっと人物が下がるが蘭書がよく読めたので人が機械的に用いたよ。
小関三英(出羽人)は泉州岸和田の家来で医者であるが蘭学がよくできた。
高島秋帆(長崎人)というのは日本で銃陣の鼻祖だ。
陸奥(宗光、紀州人)は幕僚となるに適した人物で、幕僚に長としてこれを統率するには不適当であった。
福澤(諭吉、豊後人)は学者だからね。俺などの通る道と道が違うよ。
松方(正義、薩摩人)は謹厚の性質だ。これだけは俺が保証する。
白井亨(江戸人)、この人の剣を使うやほとんど一種の神通力を具えて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向かいなどに立って居られなかった。
大久保(利通、薩摩人)という男はあんまり功名を急ぐ欠点があるから折々やり損ないがあったけれど、あの男のように思い切った果断に富んだ者はまあ珍しいんだよ。
蜀山人(大田、江戸人)、私の六歳七歳時分から伯父の家でよく遇ったが顔の真赤な面白い男だった。 公務員の90%が給料もらって働かない、ナマポ同然だもん
残りの1割がどんな有能でも勝てる訳ねえわ 長州猿は水戸の二番煎じ
あの松陰先生も水戸遊学で鼻っ柱をへし折られましたね 中央政府の幕府と地方政府の諸藩を比較してもしょうがない
比較するなら清朝や李氏朝鮮だろう 全国の人口分布で見ると江戸末期は各地域にバランスよく散っている状況にあった。
特に九州と中国地方は人口急増期が丁度よく幕末に合わさった感じになる。 幕末の薩摩長州は藩政改革に成功した
これは小回りが利くからできたことで、裏では密貿易もしていた
あとイギリスがバックにいたのが大きい
この辺で幕府は不利だった >>75
薩摩も長州もいずれも外様大名の中では加賀前田に次ぐ大藩
(当初は加賀>薩摩>仙台>長州だったが幕末には長州が仙台を抜いていた)
もともと経済力のある藩だった
西の端に追いやっておけば安泰だと思ってたんだろうが
その2つの藩に手を組まれるとな
薩摩島津家は五摂家筆頭の近衛家と姻戚関係があり
島津の娘を2回も近衛家の養女として将軍御台所にねじ込んだ
もともと政治参加できない外様大名であるにもかかわらず
朝廷にも幕府にもパイプを持ち強い政治への関心を持っていた そもそも、幕府官僚が有能だったとしても
一会桑という孝明天皇のご機嫌取りグループがいる限り
思うような外交やるのは絶対に無理だしねえ 幕府が政治が上手く行かなかったのは
ここまで急速に情勢が変化するとは思わなかった
つまり、尊皇攘夷が広まり、水戸学が流行するとかね
必殺仕事人の世界とか幕末に見えないだろ?
このドラマの世界観を一気に壊して近代化させたのが水戸学の流行なんよ
この早さに幕府は対応できなかった 将軍家茂が若すぎてリーダーシップを発揮できなかったからだ
せっかく安政の大獄で幕府権威が高まったのに、
井伊が討たれると、彦根藩を10万石没収してしまう朝令暮改をしてしまった
これでは心ある幕臣らも幕府のために働こうとしなくなる
後からはしごを外されたら大変だからだ あの時代に幕府主導で近代化するには
小栗の言ってたように、朝廷に喧嘩売って孝明天皇を島流しにして
幕府の操り人形になる天皇に挿げ替える承久の乱の再現しか無かったんだろうな
孝明天皇がいる限り、改革派の幕府官僚にとっちゃ
慶喜や会津も政敵かつ改革の邪魔者になるんだからどーにもならん やりたい構想は一切認めてくれないのに実のない好意だけ向けてくる上司なんてのは有能な人間からしたら始末におけないからな 慶喜は藩主だったことがなく
使い慣れた部下もいなかったからきつい 幕府官僚からしてみれば、いっそのこと孝明天皇は
長州びいきの討幕派であった方がやりやすかったんだろうな
総論は賛成だけど、各論の政策はことごとく反対する味方なんて
敵より始末悪いもん 勅許を求めたからおかしくなった
開幕以来初めて大愚策 あの時は勅許を求めないと、官僚の必殺技
「自分の任期中は何もしないで後任に丸投げ」
が出来なくなっちゃうから仕方ない 家康が皇室を滅ぼす前に家康の寿命が尽きる。
しかも豊臣が手つかずで残ることとなり、
家康の死後は逆に徳川の存続の方が危なくなる。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 旗本八万騎といわれた、江戸幕府の軍事力は、
幕末、どこに消えたの?
どの変事や征伐にも出てこないんですけど。 井伊直弼大老さまは、素晴らしく有能で
国際情勢を読みきっていた。
1早く開国できたのは、井伊直弼大老さまのおかげ。
こういう素晴らしい人物を合祀しないから
靖国神社はサッチョウウヨカス神社と呼ばれるんだよ。 日米修好通商条約の真の功労者は井上清直や岩瀬忠震など
井伊直弼は彼らを粛清した方 井伊再評価(笑)に関しては福沢がねーよと呆れるぐらいには明治には既にあった底の浅い話なんだよな
岩瀬井上辺りは一橋派ダカラーという派閥ネタで煙に巻けるけど松平忠固に関してはそれすら無理という… 直弼が開明的ですすんで条約締結に踏み切ったって話は
井伊家の現当主がちゃんと史料出して否定してんだから無い
過剰に持ち上げる動きには子孫はむしろ迷惑してる 本来幕府は有能って方向に持っていきたい奴ほど井伊を嫌いそうなもんなのにな
教科書で不当に悪役にされてるとか言って持ち上げる奴いるけど自分は教科書の記述を逆張りしてるだけの馬鹿ですと言ってるようなもん 教科書逆張りというより素直に教科書を信じてるとそうなる感じ
外国とつきあうのは良いこと、だったら開国した井伊は良い人、攘夷は悪みたいなw
正月の歴史番組で教科書とりあげてて知ったけど家康から幕末までの執筆は
ぜんぶ江戸時代専門のセンセ(=徳川大好き)が担当してんだな
道理で幕府に都合の悪いことは不自然に飛ばして書いてるわけだ そうなんだ
ネットだと戦国期は家康の事をうんこうんこ馬鹿にしてるのに忠臣蔵や幕末の話題になるとテロリストガーと喚いてるようなのが多い印象だけど >>107
日本の教育界仕切っている左翼にとっては
中国韓国と決定的な国力差作った明治維新は親の仇だからね、仕方ないね 「安政の大獄」でぐぐってみると「尊王攘夷派」を弾圧したって書いてるの多いなあ
橋本左内を攘夷派と言い切ってる予備校の動画なんかもある 実際は主義主張や派閥では到底まとめられないぐらい色んな人物がターゲットになってるのになぁ…
そうやって近視眼な連中を粛清しただけって事にしないととても正当化出来ないんだろうけど 最終的な勝者が一橋派の影響を受けた薩長だから、一橋派をひっくるめて「尊王攘夷派」としているんだろうけど
こういう逆張り的なグループの分け方すると逆にわかりづらいんだよな 面白いのは明治の薩摩側史料を読むと安政の大獄で弾圧されたのは
「公武合体派」って書いてあるんだよね
彼らの言う公武合体とは阿部正弘がやったように朝廷や雄藩大名の意見を聞く政治のこと
将軍継嗣問題や戊午の密勅はその延長線にあったが幕府専制を望む井伊は弾圧した
幕府が和宮降嫁を公武合体と言い出したのは問題のすり替えであるという説明 >>114
江戸の幕府官僚は「まぁ雄藩の意見聞いてやろうか」程度だったのに
気が付いたら、何するにしても天皇の決済が必要になっていて
しかもそれを強力に主導しているのが一応味方の一会桑という始末
そりゃ幕府gdgdになりますわなあ 明治前期 政府の役人の3分の1が旧幕臣。現代で言う中下級のノンキャリに旧幕府の役人が維新後も
そのままスライドして新政府に出仕していた。単純に政府内の最大の藩閥勢力は、実は旧幕府だったりする。
また、民間でも渋沢栄一 福沢諭吉 西周などの俊才を輩出した。
日本の近代化は実は旧幕府によって為されたと言っても過言ではない。
日本人は誤った維新史観を捨てる時が来た。 明治政府に出仕した旧幕臣は、徳川慶喜を見捨てて明治天皇に乗り換えた不忠忘恩の輩 >118
幕府が倒産したのちに新会社に転職したのだから問題はない。
>119
たしかに慶喜のヘタレぶりはアレ過ぎるが、考えようによっては東北戦争以前、江戸無血開城までの
政権交代がいわば「無血革命」だったことは慶喜の光跡と言える。
実際にこの「無血革命」の光跡により慶喜は後年 公爵・勲一等に叙せられている。
君らは本当に「薩長史観」に洗脳されすぎている。 光跡× → 功績○ 訂正
慶喜と尾張慶勝が実は明治維新の最大の功労者だった。まあ、本人的には不本意な結果だったが、
事実としてはこうなる。 慶喜本人が不本意だったと思うのならそういう皮肉じみた持ち上げ方はやめろと思う
後、今のネットは薩長史観とやらよりも幕府こそが正しかった史観の方が
強く見えるけど 慶喜は明治政府(天皇?)に許されて泣いて喜んだって話だよ
明治政府の立役者として不本意どころか大喜びだろう
もともと水戸学の徒だし母親は皇族だし、
幕府にたいして思い入れもなさそうだし ホントは自分がトップに立って側近と考えていた近代化構想をやりたかったのに薩長にやられて嬉しい訳ないだろ
明治天皇の件に関しては朝敵認定された事を許された事であって明治政府万歳って話じゃねーよ 慶喜は勝海舟と同じく自己弁護が巧い。後年の回想では幕府の滅亡は不可避と見て、
鳥羽伏見敗戦後の混乱回避のため敢えて兵士を置き去りに東帰したとかナントカうそぶいている。
(本当は錦旗を見てパニくっただけなんだが。)それはともかく、後年 明治政府から「維新の功労者」にカウントしてもらったことは
慶喜にとっては面子も立ち、まんざらではなかったろう。明治政府側の政治的意図・思惑が一致した。
近年小栗上野介が「近代化の父」みたいに再評価されてきているが、明治政府に致仕した旧幕臣たちの業績にも焦点をあてて
明治前期を再検証することは大きな意義がある。
個人的には武田斐三郎 郷純造 西周などに興味がある。 このスレもちょっとそうだけど回顧談とか読むと
幕府では挙国一致は無理だったってのは本当だなと思うわ
有能なら出身どこでもいいやという元藩士の上司と
いちいち旧幕臣は素晴らしい田舎者はダメだという旧幕臣の部下 幕臣の中に有能なのがいたのは事実だけど
ほとんどの旗本は、働かない上に特権だけは享受する
現代の生活保護受給者みたいなもんだったからね
こいつら切らなきゃどうしようも無いんだもの
徳川主導で近代化って、薩長中心より無理ゲーやで 日本十大都市の生活保護率(人口千対)
大阪市57.1
札幌市37.6
京都市32.2
神戸市31.8
福岡市28.6
広島市23.6
東京特別区23.2
名古屋市21.2
横浜市18.8
岡山市18.7 幕府が徴兵制を施行して旗本を解雇したら慶喜以下、要人がどのくらい暗殺されると思う? >>131
徴兵制は敷かなくとも、志願兵制度はやってたじゃん。
新撰組なんかまさにそれだし。 実験的に小規模にやるのは出来るけど横展開できないんだよな 武士を否定することになる徴兵制、
幕府ができるわけねえだろ >徴兵制は敷かなくとも、志願兵制度はやってたじゃん。
>新撰組なんかまさにそれだし。
金で志願者を兵士を雇うというのでは動員力で限界が出る。 >>135
そのための講武所、遊撃隊だったんじゃないの なんとか隊とか言ってるけど結局下の方だけちまちまいじって
上層部と解離した兵制改革に終わったってことだろ
鳥羽伏見の敗因のひとつは身分で選ばれた指揮官たちが使えなかったからだし >幕府陸軍て天狗党に敗北したんじゃなかったっけ
役目は諸藩を戦うよう後ろから督戦することであって、直接戦火を交えることではなかった。
度々天狗党から奇襲や夜襲を食らって死傷者を出して逃げ回って入る姿が地元住民に目撃されているが、
元々武士ではなく、金で雇われたやくざ者なので無理はない。 幕府陸軍は装備は近代的でも金で雇われた傭兵集団であって、国民国家における国軍とは組織的には根本的に違う。 >>133
官軍様に泣いて命乞いしたのに首チョンパされた近藤勇ww 新撰組は不逞浪士集団だろ
幕臣に取り立てられたのも維新直前だし >>133←新撰組を持ち出してスレを矮小化するバカ >>549
>章子の筆跡を喜八郎のものと比較検証していない。 ただの証言だけ。<
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai1/furuta01.html
に、 安本派らの鑑定に使われたものだが、
章子さんが「喜八郎さんの原稿を清書した原稿」があり、
その左上と左側に、(鑑定の嘘に怒られた)喜八郎さんの証言と捺印がある。
>偽作する時に用紙に当時の物を使うことなど当たり前。<
長作さんの頃には、用紙代に困って、他の家の使い古しの大福帳を譲り受けて、それに筆写されたんだし、
通常の保管では、大量の寛政期の紙の保存など出来るものではない。
>で、その笠谷による鑑定を経ても、史学界で受け容れられていないのは何故か。<
史学界やマスコミは、我が身が可愛いから、
文部省や安部家や秋田家や福沢の慶応や安本の右翼勢力などの争いに巻き込まれて、
自分らのミスになる事を恐れた。 無能な徳川幕府が、不逞浪士集団の新撰組を幕臣に取り立てたのは事実だろ >>151
矮小化【わいしょうか】
事象の本質的でない部分を取り上げたり断片化することにより議論を小さくすること。 不逞浪士集団の新撰組を幕臣に取り立てたことは、無能な徳川幕府の本質でもある 新選組の幕臣取り立ては
明確な家柄に囚われないという意識を持った人材登用というより、
とりあえず場当たりな人材登用に見える。 最大級の誉め言葉
西郷
「山岡鉄舟=命もいらず、金もいらず、名も要らぬ人は始末に困るもの也。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
勝
「高橋泥舟=あれは大馬鹿者だよ。当今の才子ではあんな馬鹿な真似はするものかい。
維新の際、将軍の守護を託したのも、オレは彼れの才子でない所を見取って、之れならばと思うて、あれに託して幸に無事を得たわけだ」
海舟先生は弟子の中でも坂本の事が大好きだったからな。
海舟「俺は天下に恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」
海舟「坂本竜馬、あれは俺を殺しに来た奴だがなかなか人物さ。なんとなく冒しがたい威権があってよい男だったよ」
海舟「小栗上野介は精力が人に優れて計略に富み世界の大勢にほぼ通じて、しかも誠忠無二の徳川武士で」
海舟「伊藤は才子」
海舟「陸奥は小才子」 幕末の鎌倉幕府も幕末の室町幕府も末期の豊臣政権も有能だったと思うぜ >>155
つーか、あんだけ働いたのに身分は見回組以下だからな
仮に幕府が勝っても、アイツら旗本に虐められまくる悲惨な運命だったんだろーな >>1
最近 小栗上野介が再評価されてきているが、岩瀬忠震も評価されるべきですな。
日本が植民地にならずに済んだ理由の一つに岩瀬の働きを挙げても良かろうと思う。
明治維新の偉大さをsageるつもりはないが、江戸幕府の功績を無視してきたのがこれまでの日本史学界だった。
これまでの維新史は幕府とも断続性を強調するばかりで連続性には触れることはなかった。
明治新政府の最大の「藩閥勢力」が旧幕臣だったことも注目するべきであろう。 岩瀬忠震を出すと安政の大獄にも触れなきゃフェアじゃないな
幕府はせっかく有能な幕臣を抱えていたのに多くの人を潰してしまった
あと明治になってようやく活動できた旧幕臣を並べて
幕府は有能だったと言うのも何か変だしね
幕臣に有能な人がいた≠幕府は有能だった 岩瀬と井上清直、そして松平忠固
この辺の知名度に関しては明治政府云々より井伊直弼を開国の父と美化する上で最高に邪魔な人物達という彦根事情の方が強く感じるんですけど… 何ですか一体、その「彦根事情」とやらは?
今年、真田を超える井伊ブームを企む勢力と関係あるのですか? たとえば明治時代に旧彦根藩が提出した史料に大幅に改ざんがあって
条約締結は井伊の英断であることに変えられていた
横浜の眺望のいい土地を旧彦根藩士が購入し開国の父として井伊の銅像を建てた際に
伊藤博文や山県有朋が本当の功労者は岩瀬井上松平だろうと反論したが強行した
などなど >>165
723 日本@名無史さん sage 2017/02/20(月) 13:04:42.85
旧幕臣だらけの明治新政府
http://irisio.seesaa.net/article/102226273.html
日本を近代化瀬田のが薩長ではなく旧江戸幕府だったとは一言であy。 そりゃ、すぐに使える実務官僚は元幕臣しかいないだろ だいたい江戸時代から中央であぶれた幕臣が藩や民間の仕事をするなんてよくある話で
幕末の薩摩藩の洋学所で教えてたのも幕臣だし薩摩藩士も全然気にしてないつか歓迎モード
人間はどこで生まれようが一定の割合で有能な奴はいるんだから人数多い旧幕臣が多く採用されるのは当然 幕臣と小藩の藩士じゃ能力以前に
経験値に圧倒的な差があるだろ そういう人間が中堅以下の地位に甘んじてるようだから幕府は倒れたんじゃないですかね?
まぁそういう連中がトップに立って国を動かせたかは知らんが 国会議員、そこから選ばれる大臣と官僚の違いを考えたらいかにズレた事言ってることか 幕臣は専門バカが多いっつかセクショナリズムが抜けなくてね
部門横断的な仕事が苦手なんですわ 幕府が残存できたとして徴兵制と旗本廃止の段階で慶喜など要人が何人殺されるかわからない。
原市之進なんか真っ先に殺られるだろうな。 幕臣が政府首脳として参議や大臣として政府運営していたならともかく榎本や勝みたいな何歩か引いたポジションにしかなれなくて何が実際に政府を動かしてただよ
木っ端役人として便利使いされてるだけじゃん >>174
確かに明治に活躍した旧幕臣ってもともとは小藩の出身が多いな 旧幕臣の中に優秀なやつがいても、
将軍や老中幕閣が無能なんだから意味ないよね 幕末の最後の最後には老中じゃなく総裁を置いたから内閣制度だっていう人いるけど
メンツ同じまま役職名を変えただけの改革ってどこか間違ってる気がする 最後の最後は下級旗本が総裁・副総裁になってるから幕府も捨てたもんじゃないぞ。
大政奉還後、「大君」新政府でも案外近代化やれただろうよ。←明治政府ほどではないが。 最後の最後じゃもう遅いだろ
幕府って夏休みの宿題を9月半ばにやってる感じ 大政奉還したのに征夷大将軍職が維持され、新政府を樹立せず幕府による政権統治が続行されたから、王政復古で幕府を廃止するしかなかった >>2
過大評価というか、現代に繋がるわけだから絶対肯定されてるよな 鳥羽伏見の戦いで負けたのが痛い。あそこで勝ってたら 徳川主導の近代化は達成できただろう。
だが、実際には惨憺たる敗北を喫したということは、幕府は人材豊富だったが上手に活用しきれていなかった、
ということだろうな。薩長との差はそこだった。 薩摩長州のような反乱軍が天下取った日本って怖くないか・・・?
って徳川幕府が続いていたら2chで話されてた そのへんが不思議なんだが鳥羽伏見の戦いは旧幕府軍が京に上らなきゃ起きなかったのに
なぜ世間では薩長から仕掛けたかのように話を持っていきたがるのであろうか いや、民主党政権見てからはそんな話は出てない。
今でてる話は「民進党が天下取った日本って、終わりじゃね?」 >>190
薩摩藩士たちが江戸で暴れてたからやんか。知ってるくせに。 それも妙な話で薩摩藩邸を焼き討ちされた後に薩摩から何か言われて蜂起したんなら分かるけどさ
旧幕府の皆さんが勝手に熱くなって大阪にやって来ちゃうんだよね
風が吹けば桶屋が儲かるじゃあるまいし、そこまで予知して計画できませんって >>194
大坂城の旧幕府軍が勝手に熱くなったのはそのとおりだが、江戸で薩摩が暴れていたのは、
王政復古のクーデターが失敗して慶喜が新政府の議定になったからでしょ。
追い詰められた薩長側が旧幕府を挑発するために江戸狼藉を起こすわけで。。
合戦に敗れた時は天皇を山陰までしょっぴく段取りもしてたし。
こういう薩長側の事前準備が、後世に「薩摩が仕掛けた戦い」と取られたわけでがんす。 その辺が冷静に考えりゃ変じゃね?と思うわけ
結果から見ると鳥羽伏見の戦いが起きちゃったけど
幕府がまともに機能してたら江戸騒擾の首謀者とっ捕まえた後は
それを政治利用して薩摩を追い込む方が誰が見ても得策
なのに江戸で騒乱を起こせば必ず京で戦が起きると予知していたと
決めつけてるのが意味不明 >>196
チャウチャウ。必ず上方で合戦が起こると予知していたんじゃあない。大政奉還で武力倒幕の口実を失った薩摩が、
あれこれ動乱の種を蒔いたということ。 大政奉還後 西郷が益満休之助らに命じて江戸で騒乱を起こさせた。
開戦のきっかけ作りね。これに大坂の幕府軍が食いついた。こういう構造。
予知していたとか、知っていたとか そういう話じゃない。薩摩が流れを作ったとういうこと。
あとは歴史本読んでちょ。 いやそれがさあ、西郷が命令したって証拠ないやん
構造的には池田屋事件がきっかけで禁門の変が起きた
だから禁門の変は新選組が仕掛けた戦いだと言うようなもんじゃん なんか話がとっ散らかったから>>187-188の話題に戻すと
鳥羽伏見の前に慶喜が旧幕臣の暴走を制御しきれなくなった時点で
たとえ勝ったとしても慶喜主導の改革は不可能だと思うんだよね そんな挑発にまんまと引っかかる幕臣会桑は馬鹿、慶喜は統率力の無い迷君で片付く話
そんなザマだから原市とか西周らわずかな側近らとの間だけで出来た先走った構想なんて着いていける人間なんてたかが知れてる 戦わずして勝てた状況を見え見えな煽動にブチ切れて勝手に戦い始めておじゃんにする輩なんて美化しようとしても無理 話を戻すと
不平等条約を結んだ幕府は無能だという歴史教育はおかしいわけよね
普通に考えれば、丁髷で袴で草履を掃いていた当時の日本が列強国と対等な条約や同盟を結ぶことができるか?って話
結局、近代化をしないといけなかった。つまり当時の幕府は近代化するために40年程度の時間稼ぎをするのに成功したわけよ。
この辺をちゃんと教えないといけない。映画のラストサムライを見れば外人が日本をどう見ていたのかよく分かる
教養のあるインディアン扱いをしていたとw
ラストサムライは、まんまインディアンを未開の地の日本人にした西部劇 ログ見てないだろ
その条約結んだ功労者を安政の大獄で潰しちゃったから幕府は無能って言われてるんだが
あとラストサムライを見れば当時日本に来る外国人なんてドロップアウトばっかともわかるはず >>202
このスレは映画の感想文を書くところじゃねえし >>203
だから日本はその程度の人間が来る国だったわけよ
この辺をちゃんと理解しないと。
当時の幕府の外交力がいかに優れていたかを 安政の大獄で消えても幕府の外交は成功だから歴史的には幕府有能でいいんじゃないの?
要は組織よ
つーか、いつこれで幕府無能って結論で決着がついたのか さすがに言ってることがアホすぎて相手する気にもならん たぶん幕府無能で終わらせている奴は
明治維新がなくても江戸幕府が日本を近代化スレとごっちゃにしてるんでしょ
安政の大獄で人材が損失したけど
明治政府でも近代化に成功したから幕府も慶喜の手腕次第で出来たと思うね
まー倒幕派も有能な人材をかなり失っている
土佐なんてほとんど残りカス 色々死んでくれたおかげで大久保が活躍できたから
それで良いんだよ その外交上手を粛正した張本人が開国の父と称えられ未だ知名度皆無のままって現状で再評価ガーとか聞いて呆れるね 慶喜の手腕が限りなく怪しいんですが…
開明的な構想さえあれば実行に移して成功出来る訳じゃない 外交担当者が次々と脱落してって最後はグダグダになるからな >>214>>215
兵庫開港問題のことを指して「ぐだぐだ」と言うのもわかるけど、少し慶喜を無理やり弁護してみると、
開港問題は=政局問題 雄藩との主導権争いの側面があったしそこは観ておく必要がある。
グダグダといえば、何と言っても鳥羽伏見戦前後の行動だが、あの信長でさえ、最後は人事管理能力ゼロ・危機管理能力ゼロの挙句に
本能寺の変だから、ある意味信長も最後はグダグダだ。
慶喜はあの若さで政治家としての能力は当時ずば抜けていたと思うね。
だから、歴史IFにおいても「明治維新なくても徳川大君政府で近代化は出来たかも」と
慶喜ヲタならずとも歴史ファンの創造力を掻き立てるわけだ。
>開明的な構想さえあれば実行に移して成功出来る訳じゃない
という指摘は日本三大過大評価の筆頭 坂本先生にこそ当てはまるのだが、そこは言わない約束。、
その坂本先生不朽の名著「船中八策」(←A4一枚)で伏字で新政権の首班になぞられていたようですから、
当時としては慶喜は有能な政治家として見られていたわけだ。 なんか必死だなあ
慶喜の最大の弱点は身分が高くて頭がいいので下々の連中の扱い方がわかんないことだと思うよ
幕末は特に上の方で理想論かかげて何かやっても下っ端がついてこれなくて暴走し失敗する
保科正之みたいなのが会津藩主だったらそのへんフォローできたんだけどねえ 幕府のトップである慶喜について行く人間と慶喜個人について行く人間は別だからな
薩長という敵がいたからまだしも国内に大勢力の敵がいなくなった後に慶喜の方針についていける人間がどれだけいる事か
従わない人間が多いと投げ出すへそ曲がり気質の慶喜の比較対象に信長持ち出しても意味はない >>219
>慶喜の比較対象に信長持ち出しても意味はない
君にとって意味が無くても別にかまわんのだが、>>216で言いたかったのは、
最後がグダグダだから、その個人を全部否定評価するのは賢い人物評価ではなかろう、
ということ。信長や秀吉は最期がアレだったという理由で彼らの偉大さは毀損したわけではないだろ。
慶喜のマイナス点を挙げるなら俺もいくらでも書けるが、
慶喜の過小評価と明治維新の過大評価は表裏一体のワンセットだから、慶喜をちょいとageてみただけ。 慶喜の下に土井利勝や知恵泉がいたら、全然違ったろう
個人の力だけでどうにかなるわけではない >慶喜の過小評価と明治維新の過大評価は表裏一体のワンセット
ああまた勝手に思い込んでる人か 220続き。ちょいと連投。
最近 明治維新を批判的にみる著作が出てるね。自分も少し同感なのでいくつか読んでみたが、
これらはトンデモ本で、数分で脱落(当然 買っていない。立ち読み)。2ちゃんの近代史板では
会津厨と薩長ヲタの不毛なカオス。ちょいと慶喜を評価してやると「慶喜ヲタ」認定w
このスレは少しまともそうなので、旧幕臣や慶喜を少しageてやって、明治維新を「斜め読み」してもいいんじゃないかと思う。
出ないと、このスレ 存在意義無いし。 >>222
>ああまた勝手に思い込んでる人か
それとは別人だよ。自分は他にも書いているが、その記憶はないな。どのレス? >>224
いろいろ人のレスに勝手に追加して書いてない話にすり替えちゃう人ってことさ
ここんとこのレスで明治維新マンセーなんてしてる人いないだろ まー今の日本を成功とするのであれば
明治政府も成功の歴史ってことでしょう
そして幕府が滅亡した事実も正しかったってこと
明治大正昭和初期を失敗の歴史とするのであれば維新、明治政府の評価も100点ではない
徳川主導でも明治政府をよりよかった可能性もある
でも幕府が存続すると、今の日本がなかったから想像ができない
ただね、倒幕派側も、人材を潰しまくっての明治維新なわけで
旧幕臣と維新後に人材を育成して、日本を近代化させて不平等条約を改正した
つまりスタートラインは徳川存続と明治新政府とではたいして変わらない
元の基盤があった幕府の方が有利か、既存の体制が邪魔して不利だった?かの違い
慶喜が、かなりのボンクラじゃないかぎり、そこまで酷い歴史にはならなかったと思われる
問題は慶喜が優秀だった場合どうなるのか?これは日本にとっていいのか悪いのか諸刃の剣 改革なんて優秀な人がひとりでできるもんじゃないなんてのは
サラリーマンの常識程度の話なんだけどなあ >明治維新もただの権力の移行だ
まー明治時代に政党内閣が実現したからね
民選議会に移行したようなもんかも >>225
>いろいろ人のレスに勝手に追加して書いてない話にすり替えちゃう人
それも俺ではないな。>>22を誤爆として処理する。 「徳川方の、幕末における人材潰し」というと思い出すのが、尾張藩なんだよな。
尾張藩は、ちょうど王政復古のその時期に、殿様がやむを得ず佐幕派を粛清しているんだけど、
この粛清された佐幕派が、みごとに有能揃い。そして、勤王派の無能ばかりが残ったため、
尾張名古屋は馬鹿ばかりとされ、新政府で全く出世できなかった。
「なぜ、有能な藩士が、軒並み佐幕派だったのか?」という理由を考えると、実に興味深いことがみえてくる。
尾張名古屋は、地理的に京都に近く、殿様も早い時期に朝廷側と深い交渉を持っていたから、
京都に集まる連中のレベルは、よく知っていた。
その上で、有能な藩士ほど、京都方に愛想を尽かしていたのではないか?と思われる節がある。
ここでいう「馬鹿な京都方」とは、西南諸藩というより、京都の公家連中。
あのプライドだけの無能組と比較すれば、江戸にいる幕吏のほうがぶっちぎりで有能に見えたのは、当然だろう。 河村たかしが小池や橋下と異なり、ローカルヒーローに終わった理由がよくわかった。 幕府側が勝ったら慶喜が大久保が士族を処分したように、
旗本譜代を処分することになるが、慶喜が大久保のような果断な処置ができるのか?と言えば疑問。 反幕府派でやらかした人材潰しは佐久間象山と姉小路公知かな
姉小路公知は明治政府でも日本の代表になれる逸材だった 幕府が勝ったとすると薩長主導の新政府よりも
膨大な贅肉を抱えていてスリム化にかなりの時間と労力が割かれたものと思われる。 幕府主導だと借金の踏み倒しが出来ないから
最初から財政破綻だよ >>220
慶喜と違って、信長や秀吉は朝敵になってないからね
なので最後の将軍としては、徳川慶喜は足利義昭にも劣ってるかも >>238
その場合は薩長がおとり潰しになるから、
そこからの上がりを借金の返済に当てればよい 岡山の山間部って、しょっちゅう水争いや間引きやってるイメージしかないんだけど それは俗説の流布によるものだろう
江戸時代の飢饉は東日本が圧倒的に多く
その原因は藩の政策の失敗によるところが多い(江戸という大消費地を抱えていたことによる) >>244
東北は輸出できる物産が基本的に米しかないから
飢饉でも財政維持のために、平気で飢餓輸出していたからな(特に仙台)
奥羽越列藩同盟が民衆の支持を全く得られなかった理由がコレ 中国地方の山間部なんて、その米すらまともに採れないだろ >>1
陸奥宗光外相>>>>>>>>>幕末の徳川幕府 >>1
幕府がオランダから世界情勢を収集してたっていうより
オランダがなんとか幕府に世界情勢を伝えようとしてたって方が正確だし
強国と最初に条約結ぶより弱小国のオランダと言い出したんだけどな >その場合は薩長がおとり潰しになるから、
>そこからの上がりを借金の返済に当てればよい
長州の銀山だけで借金返済できるか?しかも譜代旗本丸抱えで? 幕末の薩長合わせれば百万石くらいだろ。
つうか、幕府財政は諸藩ほどには破綻してなかったはず。 幕府は米本位経済をやってたから金がなかった
薩摩長州は米本位経済から脱却して密貿易で金があった
幕府は戦争するのに武器を買う金がなかったのね
そら武器を米で交換してくれるなら問題ないが外人相手だとね >>254
米さえあれば金に代えられます
何をいってるのですか、あなたは? 米を輸出するの?
そりゃアジアに植民地のある国は喜んで買ってくれるけど
薩摩ですら民が飢えると言ってやらなかったのに >つうか、幕府財政は諸藩ほどには破綻してなかったはず
いや、そのままならいいけどだから近代化する予算を捻出するには譜代や旗本はリストラせにゃならんだろって。 幕府が本気で無能なら清朝末期のように破滅的な終わり方しかできなかっただろうからな。
明治維新という大革命をソフトランディングさせられたのは徳川幕府の有能さの象徴と言っても良いだろう。 あと最終的に明治新政府を江戸に遷都させたのはひとえに徳川幕府の都市政策が良かったのと、教育水準が高く有能な人材が関東に集まりやすかったからだからな >徳川幕府の都市政策が良かったのと
外様に江戸を普請させる権力があっただけじゃね? 考えてみりゃ有能という形容は通常は個人にしか使わないな
だから一名の功績を挙げて幕府全部が有能だとかいう
寄生虫的なレスが増えるのか 実際は明治維新は徳川時代の終結というより江戸時代の延長に過ぎないからな こういうアフォレス書いた奴って、陸奥宗光が幕末に外交責任者だったら不平等条約は無かったとか
考えているんだろうねえ。外交史に疎いというより、明治政府マンセー史観に洗脳されている国民が多い。
無知すぎるアホレス
247 :日本@名無史さん2017/02/25(土) 21:16:24.39
>>1
陸奥宗光外相>>>>>>>>>幕末の徳川幕府 ネットにおいては江戸幕府マンセー史観の方が強いように見えます
明治政府が歴史を書き換えた!を拠り所に都合のいい妄想話を展開しちゃってさ >>242
>>252
>>256
こういう非現実的な物言い見てると妙な史観に毒されてるのはどっちだろうと思ってしまう
このスレの最初からだけど幕府に対する批判を明治政府持ち上げと直結しちゃう時点でおかしいんだよ
結局このスレの幕府に対する批判意見に対して穿った因縁しか返せなくて反論になってないことが多すぎる 明治政府を持ち上げるために江戸幕府を過小評価している!
自分がage対象sage対象を逆 功績を挙げたのに足引っ張られて失脚したり
いい提案してたのに上役に阻止されて明治までやれなかったり
頑張ってた幕臣かわいそう、邪魔した奴らをマンセーすんの変
って意見がどうして明治政府ageになるんだか >>256
幕府が米を商人相手に無制限に金に代えてたらどうなるか?アホでもわかるでしょw
為替制度とか知らないのかね
よくこのレベルの頭でこういうスレにいられるなw >>268
元ネタは旧幕臣の愚痴の方が多いのにね
幕府内部で何があったかなんて昔そこにいた人に教えてもらわなきゃわかりません 尾張藩の話を書いたが、どうも趣旨が理解されていない気がする。
司馬遼太郎史観なんだろうかね、ついつい「幕府」対「薩長」という対立で
比較をしてしまう人が多いが、
実際に、おまえらが思うような「薩長の中の人」が表に出てくるのは、明治政府が成立した後のことで、
幕末の段階では、江戸幕府側には、譜代旗本による政府組織が、
機能不全に陥りながらも、江戸開城の日まで存在していた。これはよい。
他方で、京都に存在していたのは、薩長雄藩の「偉人連合」ではなく、
天皇のまわりを公家が固める、千年前の化石のような公家政府。いわゆる朝廷。
この周囲に、自称顧問だの自称応援団だの、訳の分からん西南の怪しい連中が集っていた。
だから、比較するとしたら、幕府対朝廷になる。これは、1868年のその時まで、
誰がどう考えても、能力的に「幕府>>>>朝廷」だった。
方や、渡米して、アメリカ人のチート通貨政策を論破した小栗上野介のような人材がいる。
他方、朝廷には、橋本実梁みたいな奴らしかいない。能力差は明らかなんだ。 >比較するとしたら、幕府対朝廷
じゃなくて、比較するとしたら、徳川幕府対明治政府だろ
明治政府は「朝廷」から「内閣」に移行している 比較してんのはごく一部じゃね?
幕府というのは組織をさす言葉
小栗ひとりが個人でできる範囲の仕事で能力発揮しても
組織全体が機能してるとは言えませんや
朝廷と比べるとかアホすぎw >>277
当時の公家連中のラインナップを見てみ?能力的に話にならないから。
敢えて、橋本実梁という、(維新前の)官位的には微妙な人を挙げたのは、
実務家レベルの人材の、決定的な落差を示すため。
こんなレベルの奴に、維新直後、県知事をさせなければならなかった。
いきなり、薩長のそれなりに有能な武士たちが、政府組織をあまねく押さえることは、
明治維新の経過からして無理だったからだ。
維新直後の混乱には、公家のデタラメ政治が関与している例が、かなりある。
この人、さすがに無能過ぎて、日陰者の伝統芸能維持枠に押し込められちゃうんだけどな。 ほんとわかってないねw
比較にこだわってんのはどっちだよ
組織がスタート時点からうまく行かないのは当たり前
短期間で改善していけるかずっと停滞を続けるかが勝負を分けるわけ
組織の能力とそれを構成する個人の能力がイコールと思ってる人って何なんだろう
大人数と働いた事ない人なのかな 開幕以来200年以上有能であり続け後の世も江戸遷都を果たし、江戸を世界一の経済都市に仕立て上げた徳川は偉大だわ 徳川幕府の外交
・オランダの砲撃で鎖国
・アメリカの砲撃で開国
幕末の徳川幕府の外交
・不平等条約を改正できず
・対馬侵略に対してイギリス軍に完全依存 >>280
今の東京も、徳川時代の都市計画の礎の上にあると言っていいかもな スレタイは幕末の徳川幕府だから江戸開府のころは関係ないけどね >>273
実際は米を担保に金を借り続ける
幕府の人間は君よか頭いいから、大量の米を売却することはないよw >>279
だから、スレタイは「幕末」だろ?まだ王政復古政府(1868/1/3成立)は存在していないんだぞ。
この時代、京都にあるのは、化石のような朝廷と、そこに出仕する、絶望的に無能な公家集団。
そのまわりで、自称応援団がグダを巻いているというのが、幕末の状態。
この段階では、「腐っても幕府」の統治能力は、化石と無能が本体の朝廷とは、次元が違うわけ。
文久の改革後、求心力を失っていても、それでも能力は保っている。
そして、幕府の中の人は、特に実務家レベルでは、能力を保ち続けている。
それでも状況がひっくり返ったのは、倒幕勢力の有能さに皆が感心したからではなく、
一重に、天皇という、求心力を作るカリスマが機能したから。
維新前夜、勤王か佐幕か、旗色を鮮明にすべきことが諸藩に求められた時、
勤王を選択すべき理由は、機会主義(勝ち馬に乗れ)観点を除けば、
単に、そこに天皇がいたから、というだけ。 >この時代、京都にあるのは、化石のような朝廷と、そこに出仕する、絶望的に無能な公家集団。
>そのまわりで、自称応援団がグダを巻いているというのが、幕末の状態。
↑↑↑↑
これ一橋・会津のことだろ
王政復古する前の朝廷は佐幕派が牛耳っていたんだし、
幕府と、その幕府に管理されていた朝廷を比較したところで、
幕府有能説は成り立たないぞ なんでもかんでもチョン連呼する人っているよね。
267 : 日本@名無史さん2017/02/26(日) 11:40:45.31
↑
チョンさんの口ぐせ「マンセー 反論できなくなったら「チョン」の一言で片づけるのは楽だからね ついでにこのバカも晒しとこw
249 :日本@名無史さん2017/02/25(土) 21:52:13.64
チョン校卒ならではの書き込みだな で、コイツノ低能レスがコレよwwwww
247 : 日本@名無史さん2017/02/25(土) 21:16:24.39
>>1
陸奥宗光外相>>>>>>>>>幕末の徳川幕府 ただ単に幕末の外交史に詳しくないゆとり世代ってだけでしょ。
そういう感覚の人多いと思うけど 陸奥宗光より岩瀬や林復斎の方が頑張ったと思うけどね。
何をもって 陸奥の方が上としたんだろうか? 24時間張り付くチョン連呼マンwwwww
292 : 日本@名無史さん2017/02/27(月) 00:33:23.24
チョンさんが悔しがってるww パヨクやネトウヨは24時間365日 ネット警備してるよ 安政年間と明治20年代後半の日本の国力・国際情勢の差異を何にも考えずに
ごっちゃにするところがゆとり世代のゆとりたるところw
しかも反論できなくなると意味不明の「チョン」連呼www(2ちゃんねる見杉w)
こんなバカ世代が次の日本を背負うんだから、先が思いやられる。
つーか、こいつらが習った歴史教科書と先公が問題ではあるなw >チョン連呼坊や
おまえに罪はない。お前の親とお前が通った学校が問題。
安心して寝ろ。
24時間警備ご苦労。 普通の日本人はチョンみたいに「マンセー」なんて言わないしw
つーか、こいつらが習った歴史と先公が問題ではあるなw >>297
>拡散してくれてる
あのー、「拡散」の意味、間違ってますけど ゆとり世代は岩瀬忠震や林復斎とか知らないでしょ。中学の教科書には出てこないし。
だから、中坊は「陸奥って凄い!!」てなるわけよ。
その無知を突かれると「このチョンが!」と言うしかない。まあ、中坊ねらーでしょ。 >>301
このスレ以外に拡散してる? 他のスレには観ないけど。
それって 拡散とは言わないよ。もしかして 2ちゃんデビュー君? >>301
一番下の段を読でみよう
↓
拡散(かくさん)とは、拡がり散ることである。何かが広がって散っていくこと。
増えながらバラバラになることなど。
また派生して以下の意味でも使われる。
物理現象の1つで、粒子などが自発的に散らばり広がるさま。
インターネット上である情報などが広がる、広げるさま。 >>247
大体 岩瀬や井上より陸奥の方が上って言ってる学者がいるのかね? >>307
だから、他のスレに拡散してないじゃんw バカなの? 死ぬの? >>309
修好通商条約締結より改正のほうが日本にとって重要だろ
アホ学者が何を言おうが、陸奥は幕臣の岩瀬や井上よりも勲章の数が違う >>311
>>307に「他のスレ」とは書かれてないしwバカなの?死ぬの? このバカって1850年代と1890年代の差が本当に分かってないんだな。
こりゃあ重症だ。 はいはーい。ゆとり世代の歴史観を 「 拡 散 」wwしまーす。
今の歴史教育ってこんなんですよwwww ↓
247 : 日本@名無史さん2017/02/25(土) 21:16:24.39
>>1
陸奥宗光外相>>>>>>>>>幕末の徳川幕府 >>315
>>309のアホな質問に答えてやってるんだよねえ
陸奥は正二位>>>>>>>>>>岩瀬は正五位 >陸奥は幕臣の岩瀬や井上よりも勲章の数が違う
勲章の数ならゲーリングの方が上だなw 陸奥宗光=宇野宗佑 wwwwww ともに正二位
ていうか、
>日本史板だから日本の勲章の話してんの
そこ↑ 「勲章」じゃなくて「位階」じゃねえかwww 頼むぜゆとり君www 勲章と位階の区別がわからなくても、2ちゃんねるは書き込める。 >>323>>324
319が勲章の話だとは言ってないだろw
わざわざ313と別にしてあるのにさ だから岩瀬を持ち上げたいなら明治政府ガーやるより井伊叩けよ >>285は>>278にレスすべきだろ
>維新直後、県知事をさせなければならなかった。
285 日本@名無史さん sage 2017/02/26(日) 21:17:24.74
>>279
だから、スレタイは「幕末」だろ?まだ王政復古政府(1868/1/3成立)は存在していないんだぞ。 またループしてるw
井上や岩瀬などは有能
彼らを粛清しちゃった幕府は機能不全
ってだけじゃん >>333
井伊直弼の実子が井伊直弼を批判してたような... だからさ…
日米修好通商条約を結んだ岩瀬を英雄視したいなら無勅許調印反対にこだわって岩瀬の足を引っ張り最終的に粛清した井伊を同時に持ち上げるなんてのは成り立たないの
岩瀬を切り捨てて教科書に書いてあるような朝廷の許可を得ず日米修好通商条約を結んだという文章を信じて井伊を開国の父と崇めたいんなら話は別だけど そう言やこないだ見た紀行番組で彦根の博物館の学芸員が
桜田門外の変について根拠のない妄想だらけの解説しまくってたけど
戦国好きで幕末詳しくない人が見たら信じちゃうだろうなと思った それ言っちゃうとここのスレ主はオランダ国王の手紙の一件も知らんし
日米和親条約と日米修好通商条約の区別がついてないっぽいので
知識ないならスレ立てなければいいのにということになる だったら、わざわざこのスレに来るなチョン
気に入らないなら、貴重な時間を費やしてまで書き込まなくてもいいのに
ということになる。 あまりの弱さに『(討ち取られていく様子を)遊猟』と揶揄された彦根藩 この人は自分より知識がある人をチョンと思ってるんか?
変なやつ 348氏の他のレス番号が知りたい。
そのレスにどれだけの知識があるのか皆で評価してみる。
>>348
君の「これは!」と思う自身の過去レスはどれですか? この人ってガラスのプライドだよね
すぐ痛い反応する >>357
そのボケ爺はあっちにいる
こっちは無関係なんだから呼ぶなバカ そもそも、このスレに知識のあるレスってあったけっか? 348が自分で「俺は知識がある」と勘違いしたところからおかしくなった。 >>348って、他人を「知識が無い奴w」と書き込みながら実は自分がこのスレで一番知識が無いことを
照明しただけ。しかも、まだしがみついているし。 なんか単語に反応して突然怒り出す年寄りみたいw
おちついて前後のレス読んでみ 自分が知識があると思っていても他人にそう思われないことってあるよ。
しかも横レスの一行レスでそれ言ったら、「じゃあお前の知識のあるレスってどれよ?」
と普通はなるわな。
ここで「俺の過去レスは●●だ」という反論は良く見るが、結局348は出来ずじまいだったってこと。
>単語に反応して突然怒り出す
他人のレスに乗っけた1行レスがうざいってだけでしょ。「アホは書きこむな」っていうのが
そのまま348にブーメランで返ってきた打だけ。
結局 >>348も自分も大した知識が無いのを証明したわけだし。 だめだこりゃ
この人って知識とか学歴とかの話になるとスレの話題そっちのけにしてむずかりだすよね
邪魔くさいからあぼーんしやすいようにコテハンにしてくんないかなあ まあ 上から目線で「おまえは知識が無い」とか1行レスしたのはいいが、勝手に自分の無知をさらして自爆した。
>>348の過去の主張が分からない。結局どのレスだったのだろうか? お前の方がうざい
学歴コンプレックスのおばちゃんってこんな感じだよな 他人の一行レスを書き変えてまで粘着して叩く>>367の方がきもいよ konndoha
「知識が無いやつは書き込むな」ってことでしょ>>348
そのまんま自分じゃんかw >>371
過去レスで自分も大したこと書いていないのに
>知識が無ければ 書き込まなければいいのに とかブーメラン投げない方がいいよ。 >>373
私は348じゃないよ
単に他人のレスを書き換えて叩くのって卑怯だなと思っただけ 先生と呼ばれてる身分らしいよ
平日の早朝から長文連投するけど >>374
>単に他人のレスを書き換えて
そんなレスはないだろ。大意はその通りだし、レス引用もないし。
平気で嘘を書いて横レスするのも大概卑怯な部類だけどな。 >知識がないなら
この前提条件が自分のことだと思ってしまい粘着してる奴w 自分は347だけど348って私宛てで
「(井伊について)知識がないなら(井伊のことは)書き込まなければいいのにねえ」
って意味のごく普通のレスだと思ったから炎上してびっくり >>377
粘着はどっちもどっち。
>>380
いちいち「チョン」「チョン」書くなよ。 長州が外国船を砲撃したのはまったく擁護できないけど
小笠原長行より山尾庸三たちの方が言い訳はうまいと思う 明治維新の歴史評価を見直す動きが出てきている。旧幕臣たちをキーパーソンに捉えると
薩長史観ではない新しい姿が見えてくる。
俺は慶喜オタではないが、彼の描いた政権構想には昔から興味がある。
逆説的な意味で言うと、明治維新は 徳川と英国の共同作業ではなかったかと思う。
新スレ立てて賛否両論反応見ようかな? 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ 家康:159cm
秀忠:160cm
家光:157cm
家綱:154cm
綱吉:124cm
家宣:156cm
家継:135cm
吉宗:156cm
家重:151cm
家治:152cm
家斉:156cm
家慶:154cm
家定:150cm
家茂:157cm
慶喜:156cm
農民の食べていたものというと、「百姓たちの幕末維新」p60−61に
江戸後期の信濃国諏訪郡瀬沢村の中流に属する百姓一家の家計簿から、購入したもの一覧が書いてある
動物類は魚が中心
くだもの 柿を大量に買ってる ほかにみかん 梨 くるみ ゆず 梅
植物性海産物 刻みコンブ 昆布 ひじき あらめ 青のり
動物性食品では ヤマメ 海老、しじみ うなぎ くしやきのフナ
加工食品は するめ かつお節 豆腐 こんにゃく こおり豆腐 ふ かんぴょう あぶらあげ おから ところてん そうめん
調味料 塩 酢 たまり醤油 白砂糖 黒砂糖 みりん 味噌 2chの幕府マンセー薩長死ね史観にもいい加減辟易してるんでいい加減特定勢力に肩入れしてない歴史談義がしたいね >>392
同意
実際はけっこう幕府や藩の垣根を越えて情報交換したり飲んだりしてるし
やっぱり広く交流してた人の方が明治も活躍してんだよな 世間や教科書的には薩長マンセー 龍馬マンセー史観だから、せめて2CH位
幕府をアゲてもいいだろう。両論の中間に本質があるのだろうし、 言うほど世間様や教科書は薩長マンセーなんてしてないだろ
あんなんでマンセーと言うならちょっと…
龍馬(と新撰組)に関してはミーハー人気であって史観なんて大層なもんはねーし
おまけに龍馬物って薩長に対しては結構批判的じゃん
正直純粋に世間様の目につく作品で薩長が持ち上げられてるようなのって大河の翔ぶが如くぐらいまで遡らないと思いつかないぞ だいたい時代小説って黎明期はほとんど旗本の子弟など幕府ゆかりの人間が重鎮だしな
最近は篤姫ブームあたりで流れ変わってきたけど従来は薩摩は悪役の常連
学校でも単なる裏切者としか習わなかったから近年の研究読んで目からウロコが落ちた まあこのスレ見てて思うのは本質は幕府マンセーじゃなくて
「敗者」の味方する俺カコイイ、俺マンセーしてくれって感情論なんだろな >>398
幕末関連はそういう通気取りがガチで入れ込みまくった層にうまいこと乗せられてるからなぁ 安倍首相がとにかく長州好きだからな。それに尽きるよ。
自分が東京育ちだから、故郷コンプなのか、やたらと山口県にこだわる。
そして、政治外交と違い、歴史ネタについては、なぜか首相とマスコミは馬が合っていて、
安倍首相の長州好きを批判する声は、朝日からすら聞こえてこない。
2chは、どこまでも世論&マスコミのカウンターなんだよ。
でも会津マンセーは、叫んでいる奴らのシナリオが粗雑過ぎるのと、
今叫んでいる奴らはどこか左派臭がするので、とてもじゃないが乗れない。
そこで、長州じゃなくて幕府存続だったら?というIFがわりと好まれる。 問題はこのスレで長州マンセーしてる奴なんて
たまに短い煽りレスにくる愉快犯くらいしかいないのに
反論に詰まると安倍がー長州がーと言い出すから
こいつ他の人のレス読んでねえなと丸わかりなこと まぁ今の教科書の記述レベルで薩長をマンセーしていると感じるレベルの人だから… 幕府マンセーガーとか安倍ガーとか、
誰と戦っているのかコイツらw >>402
安倍は今でも衆議院選挙に出るときは山口から出てるだろ
先祖代々の家が今でも山口にあるし本籍地も山口のはず
親父の晋太郎が晋三を小学校から成蹊の付属に入れて東京で育てただけで
その晋太郎はやはり衆議院議員の息子だったが
こっちは山口で育てられて高校まで山口だったし ほんとはスレ冒頭にあるとおり幕末初期の外交の話なんだけどね
そのへんについて知らないなら書き込むなよというとキレるし
始末に負えんわw 異論はすべて同一人物に見えてしまうタイプって2ちゃんでは珍しくない ごく自然にマンセーという言葉を使った最初のレス↓
225 :日本@名無史さん2017/02/22(水) 14:14:28.80
>>224
いろいろ人のレスに勝手に追加して書いてない話にすり替えちゃう人ってことさ
ここんとこのレスで明治維新マンセーなんてしてる人いないだろ >>13
その庶民つうのは商人では
江戸時代から商品相場は発達してたし、株式会社導入したら先進資本主義でしょ 当時の薩長にあって幕府になかったものは「勢い」だろう
そして「勢い」こそは政治で一番大事、どこに向かってるか、とか論理とかよりも勢いが大事
勢いがあればトチ狂った方向に進んでいてもうまくいく
攘夷を主張し勢いを得た薩長は政権を握ったら攘夷なんてしなかった 長州って禁門の変後に地元に引っ込んでたら
幕府がやらんでもいい第二次長州征討に来て自滅して
京都で土佐とかが動いて慶喜が大政奉還しちゃって
わりと幕末の最後の方は受け身なんだよな
司馬の影響うけた創作だとまるで長州だけで幕府倒したみたいな扱いだけど では、おまえがスレのテーマに適ったレスを書いてみろ ここってスレに沿って幕末外交の話題をふっても誰も反応しないよね だってその辺をまともに語り出すと日米修好通商条約をとりまとめた松平忠固岩瀬忠震井上清直を粛清した江戸幕府、つーか井伊直弼は功績泥棒な無能で終わる話だもん >>425
語った結果がしれなら、それでいいんじゃないの 上から目線で英雄たちの選択の受け売りを長文で書いてた人は
こっちで同意してもらえないから近代史板でオナニースレ立てたし
結論は出たんじゃない? 戦国の井伊家
甲州・上州・信州の武田遺臣と、三州の強兵を合体させた徳川家最強の赤備え軍団。
幕末の井伊家
上方の華美な風土に染まり軟弱化、諸藩から弱兵と侮られてしまう。 >>425
松平忠固の粛清は、あの時代が単純に
一橋派、南紀派で分けられるもんじゃないのが解るのが面白いわな
つーか、幕末の徳川の本当の敵って、
朝廷でも薩長でもなく、旗本八万騎とかいう生活保護受給者の軍団だよねw 派閥で全部片付くと思ってるアホ「岩瀬井上は一橋派ダカラー、外交は無関係ダカラー」
現実
松平春嶽「忠固の野郎の無敕許調印についてどう責任取るんだよ」
井伊「あいつが勝手に暴走しただけ、こっちもちゃんと処分するつもりだから」 井伊シンパの煽にアンチ井伊がギャーギャー過剰反応してつまらん
>>1の言う外交のみに限らず、幕末の幕臣一般のスレでいいと思う
スレタイ通り、有能か?無能か?で議論すればいい
「井伊が開国の父」なんていうのは一部の奴だけだろ スレをマイルールで仕切ろうとする奴w
今の流れってアンチ井伊ってだけじゃなくて
有能だったのに幕府内部に敵がいて失脚した幕臣がいた
って話でもあるから短絡的な幕府vs薩長の議論より有意義 お前の方がマイルールじゃんw
外交の話をしたい奴と幕臣の話したい奴 複数の話が並行するのも、2ちゃんでは珍しくない
スレが少し横道にそれるのもよくある話。薩長の話している奴もお前みたいに何日も粘着してるわけでないし
勝手に怒りだして、「これしか話題にしてはならぬ!」って叫んでるのはお前だろが 妄想ふくらませすぎて同一認定してキレてる奴w
スレタイには幕臣なんて書いてないしねえ スレタイに幕臣が書いてある、とは誰も言ってないよw
このスレはずっと幕臣たちについて語っているから 『幕末の幕臣」とより具体的にいっただけw
スレタイの文字そのまんま「幕府」なら、幕府 薩長どっちが有能か? って議論もOKになる。
お前、自分で矛盾してるでw
>>434に勝手にキレて絡んできたのはお前。しかも、お前 ずっと粘着してるしw
>同一認定して
文体も内容も同じやがなw 「スレタイ通り、有能か?無能か? (略)」
他人のレスを脳内変換後
「スレタイには幕臣なんて書いてないしねえ 」 素朴な疑問なんだけどなんて無敕許調印反対だった井伊が無敕許調印を断行したという真逆な虚像が世間では定着してるの? >>440
たまに井伊直弼賛美の歴史番組とかでは言ってるね >>440
明治期に彦根藩が提出した「公用方秘録」って史料には
直弼が「勅許を待たざる重罪は甘んじて我等一人に受け候」と書いてあった
この箇所が改ざんだとわかったのは最近
なので昔の学校では井伊は無勅許で条約を断行した腹の座った男として教えられてたし
今でもその解釈のまま説明してる書籍やテレビ番組はある 「尊王攘夷の親玉である水戸と対立したのだから開国派だろう」と考えているのが多いんじゃないの
実際の所はスレで語られている通りだし、水戸も攘夷一辺倒というわけじゃないんだけど
二元論で片づけるのが一番楽だからね 岩瀬が徳川斉昭に一緒に海外使節に行こうって誘って水戸も乗り気だったそうだけど
誰か詳しい経緯知ってる?これ実現してたら面白かったろうな >>444
つまり再評価(笑)の根拠を覆すような事態がとっくの昔に起きてるにも関わらず知ってか知らずか未だに再評価再評価喚いてる訳か… 幕府と幕臣が有能かの前に、このスレの問題は
1の内容みたいなことをいまだに完全無視されている状況ってことでしょう
この辺に触れている歴史家も殆どいない 明治新政府が自分らの手柄にしたいだけで
そういう歴史を書いたからでしょう 1の内容は今までにもツッコミ入れられてると思うけど
オランダから情報を入手していた
→オランダ国王の開国勧告の手紙を謝絶されたオランダが何とか海外情報を伝えようと詳細な風説書を作った
イギリスやフランス(×ロシア)より先にアメリカと条約を結んだら守ってやると持ち掛けたのはハリス
んでこの辺の事情を明治になって暴露したのは福地や勝などの旧幕臣
それを踏まえた上での議論ならわかるけど単なる妄想で語られてもなあ 鎖国で軍事力が西洋と比べ弱小になったのがダメだったみたいなの見かけたが
なら鎖国せず西洋と対等な軍事力を築きつつ江戸を過ごしたならばどうなったことやら… >>450
当時列強でもないアメリカがどうやって日本を守るんだ
ペリーの前にビドルが日本にやってきているから実力とかすでに幕府はわかっていた。日本を侵略する能力がないことを。
そのビドルは清に望厦条約の件で派遣されていた
オランダはこの時期、通商条約を日本に打診していて、幕府はすでに開国の議論準備はしていたと
さらにイギリスも日本に向けて動いていて望厦条約の内容で迫られる前に日米和親条約で先手を打ったってのはあると思うよ >>452
「思う」じゃなくて誰がどういう発言をしたかという事実で語ってよ
幕府が「知っていた」=「準備していた」のは違うんでそこ分けてくれ
ハリスが守ると言ったのは外交手段でって意味だよ
まさかいきなり英米がドンパチ戦すると思ってないよね
ペリー来航前にオランダから先に自分たちと通商条約を結んだ方がいいと
打診したという話もオランダが積極的なのに対して幕府内では
オランダが騙そうとしているのではないかとか手紙の受け取りの手続きとか
今じゃちょっと想像しにくい理由でなかなか進まずほとんど準備できなかった
この辺は全部史料が残ってる話 だいたいペリー来航当時の老中筆頭の阿部正弘の対応について
やたら褒めてんのは薩摩で井伊や旧幕臣はボロクソに言ってんのに
なんで薩長の陰謀で貶められてるって風説が横行してんの? そもそも、この幕末の流れをドラマ仕立てにしたいのか分からんが
根本的におかしいって言うか、違和感があるのが分からんかね?
日本が開国をするのは遅いか早いかだけで、絶対にやらないといけない
もう鎖国なんてできないんだよ。鎖国を止めるのが、日本からか外圧からか?
じゃ問題はなんで弱小のアメリカ相手に開国をやったのか?
開国と鎖国を止めるってことは、幕府の政治政策を180度変える、幕府の存在理由を問う問題
結果、鎖国を止めて開国をした日本国内は荒れた
開国派っていうのは外国の脅威に屈した連中のことを指す。基本、幕末は佐幕派倒幕派の両方とも攘夷なんだよ。
そもそも幕府と薩摩は開国派で長州が鎖国を主張したから京都が荒れて激突した。
幕府は自ら鎖国を止めて開国をするか、外圧の要求で開国させられて結果的に鎖国を止めるか?
この辺の歴史の流れを見て、後者なのか?って話。
幕末の混乱を見たら幕府自ら鎖国を止めて開国はやりたくてもできなかったかもね。
国内はガチガチの鎖国主義だったから。外国の驚異は武力を撃退しろってのが主流。
だから列強国よりアメリカからの開国要求は幕府にとってまさに、渡りに船。
列強国にとって日本は重要じゃなかったとか、イギリスロシアの争いで丁度日本は緩和状態だったとかあるけど >>454
「最終的な勝者が薩長だから」、という結果ありきで語っている人多いからね
この時代は藩論や思想なんて途中で変わって当たり前
薩摩も長州も最初から徳川アンチだったわけではなく
安政の大獄や坂下門外の変が無ければ、史実と正反対のルート行ってた可能性もあった >開国派っていうのは外国の脅威に屈した連中のことを指す。
この辺も勝者の薩長の主観
開国派は外国の驚異に屈したと思っていたのか?
ここがこのスレの本題だろ
結局、日本の歴史は薩長史観なのが問題で時代遅れ >>458
確かにね
結果ありきで語ってる連中って固有名詞出てこないし
日米和親条約と日米修好通商条約の区別つけずに語るし
安政の大獄?一橋派?何それおいしいの?なんだろうな 一、世人或ハ徳川ヲ助ケント云。或ハ徳川ヲ不レ助ト云。議論紛々未レ決。
某曰、尊二王室一ハ則徳川ヲ助ル也。助二徳川一ハ則尊 王也。故ニ某ハ、助徳川論也。
今日助徳川ノ策ハ無レ他、政権ヲ 朝廷ニ返上シ、自ラ退テ道ヲ治メ、臣子ノ分ヲ尽スニアリ。
強テ自ラ威ヲ張ラントセバ、則チ必滅無レ疑、諸侯若シ信アラバ、
今日暴威ヲ助ケテ自滅ニ至ラシメンヨリハ、早ク忠告シ一大諸侯トナリ、永久ノ基ヲ立サシムベシ。
左スレバ六百年来衰ヘシ 朝威ヲ徳川ノ世ニ及ンデ明侯アリ、之ヲ太古ニ復シ、名分ヲ明ニセリト、
後世迄モ米利堅ワシントンノ如キ名誉ヲ宇内ニアグベキニ、何ゾ一人是ヲ為サヾルヤ。
此説英医馬関ニ来リ、戦疵ヲ療ス。足ヲ破リ悪血ノ為メニ痛ニ不レ絶。
医是ヲ見テ云、此儘存セバ害アラント、鋸ニテモトヨリ切タリ。是等姑息ヲ脱セシナルベシ。助徳川ノ論ト同一也。 幕末外交史に詳しい人がぼやいてたけど
龍馬と新選組と吉田松陰の周辺だけ見て時代背景を理解しようとせず
それが悪いとも思ってない人っているよな 知識も披露しないままぼやいてるだけだと誰も受け入れてくれないわな >>462
廃仏毀釈なんか、るろ剣を鵜?みにして単なる宗教弾圧と勘違いしている人いるしね
江戸時代の坊主が市民の戸籍管理を握ってバカ高い葬式代を徴収していた特権階級で、
それをひっぺ剥がすのが本来の目的という事を無視している このスレで知識があるレスってないじゃん。
たまたまスレ主が>>1で日米和親条約と日米修好通商条約を誤記した点だけを
延々と1〜2行レスで論うだけで、具体的批判もない。
このスレも「井伊が悪い」で延々ループしている(粘着してループさせている奴がいる)だけ。
テレビ番組の井伊直弼の再評価論にキレている奴の言い分もわかるし、自分もそうだと思うが、
テレビや出版業界がそういう読者受け狙いの「新視点」を提供するのも既存の歴史観に飽き足らない層への
情報提供だ。徳川綱吉が最近改革者扱いされているのと同じ傾向だ。
スレ立て自体もそういった話題提供なのが2ちゃんねるなのに、2ちゃんを何か勘違いして
「知識が無い奴ガー」「>>1ガー」とかピンポンダッシュしている奴は誰と戦っているのかうざくて仕方がない。 >>462
龍馬と松陰は過大評価されすぎだよ。小説家の力が大きい。 >>444みたいな有り様じゃ「新視点」じゃなくて時代遅れな旧視点だな アスキーアートでお前が新視点だと思ってドヤってるものは
とうの昔に誰かがやって失敗したものなのだってなかったっけ? 「この中にバカがまじってる」と言われて、「俺のことを言ってるのか1」と
返事している人間て格好悪杉w 井伊は位階が上の外様や親藩に対抗するために建てられた神輿で
大老と言ってもほとんど下のやつが誘導してただけ
石原が豊洲移転の詳細知らないようなもんだからな
江戸時代から日本官僚の悪弊は治ってない。
なるべく問題が起きないように各省庁に配慮しながらって
組織運営第一主義が彼らのモットー >>473
そうとも言えないと思うけどな
そういう煽りで人の虚栄心を刺激すると議論が抑圧される窮屈になる荒れる
純粋に議論を楽しみたい側からするとそういうの迷惑なんだよね
相手の意見を否定したいなら論拠を示すのが理性的な態度。 >>475
安政の大獄に関しては部下が決めた処罰を
井伊が赤い付箋を貼ってさらに重くした証拠文書が残ってる
誰かを悪者にしたいなら根拠ある話にしてくれ >お前が新視点だと思ってドヤってるものは
どのレスを指しているんだ。コイツはいつも誰の何に怒ってるのかよくわからん。
>>477の言うとおりコイツのレスがいつも荒れる元だ。 そういえば、俺の兄貴はすごいんだぞ的に
”詳しい人”に自分の気持ちを代弁させたアホがいましたね >>472
水戸藩は悪いというより悲惨だったな
なんでああなってしまったのか そこまでさかのぼるかw
>>472は斉昭のことだと思ってた 水戸学がわるいよー水戸学がー
弘道館とかあれもうテロリスト養成施設だし 大津浜事件がなー
あれで水戸学者は外国が侵略に来たと思っちゃう 思ってもおかしくはないがな、実際アジアはすでに植民地にされてるし >>489
天狗党・井伊大老暗殺・壮絶な内ゲバ
水戸っぽに教育を与えた結果がこれ
「日本のテロ史上に水戸出身者あり」とか言われる始末 それ水戸学と関係ないだろ
江戸時代の武士倫理から別段逸脱してるわけでもない >>490
水戸藩主である徳川斉昭に忠誠尽くしただけだろ 【風教の退廃シリーズ その1】
吉田松陰
安芸国内の「風教の退廃」憐れむべし。広島の街は子供の物売りと乞食で溢れている。
岡山侍もダメポ。徳山藩は質実剛健なのになあ。
常陸水戸藩の豊田天功は「強記博覧絶倫」の人。水戸にてあひ候人みなさるものなり(流石やで)。 水戸学は尊王思想で幕府の権威付けを目指したものだが、
将軍を飛び越えて天皇に忠誠を尽くすべきという爆弾も抱えていた。 水戸ガーも結構だが将軍継嗣問題で一橋支持=水戸派!みたいなノリの奴らなんなの? このスレで将軍継嗣問題なんか話題になってたっけ?
他スレだといたけど最近はやりのトンデモ本を鵜呑みにしてるだけっぽい スレとは関係無いのに、自分の知ってることを書き連ねるやつがおるからね まぁ関係ないとは思わんなぁ
このスレで度々名前が挙がる岩瀬が一橋派だから水戸寄り、だから井伊に粛清された!なんて意地でも外交対立は粛清の原因ではないことにしたい輩が出てくる背景はなかなか興味深い >岩瀬が一橋派だから水戸寄り、だから井伊に粛清された
なんて言ってる人、このスレにいなくない?
むしろ一橋派も斉昭もよく知らないけど幕府以外を悪いことにしたいので
光圀までさかのぼって水戸がーと言ってるような >>467
井伊再評価なんて新視点どころか花の生涯以来の古臭い旧視点だろ
公用方秘録の改ざんや井伊は本来無勅許調印派という事実や本来の調印立役者である忠固岩瀬井上粛清という再評価に都合の悪い事実はひたすら無視して昔ながらの教科書的な記述を悪行ではなく功績として持ち上げてるだけなんだから >>502
せっかくいなくなったのにつつくなよ〜
そいつはあんたほど条約前後の事情を知らないから議論してもしゃーないぞ 有能な人間は確かにいたけれど、それを打ち消す無能な上司と
働かないけどプライドと特権だけは維持したがるその他多くの旗本に足っぱられて
自爆したというのが真相なんだろうねえ
上がバカばっかやって、下がナマポばっかの国なんだから
そりゃ滅んで当たり前 単に距離が開いただけで辞めろと言うほどじゃないだろ 第二次長州征伐においては大きく4つの戦いが行われました。
大島口 長州藩:500 vs 幕府軍:2,000
小瀬川口 長州藩:2,000 vs 幕府軍:50,000
小倉口 長州藩:1,000 vs 幕府軍:20,000
石州口 長州藩:1,000 vs 幕府軍:30,000
一般に芸州口(小瀬川口)は西洋化した幕府軍がいたので
実力が拮抗したといわれているけど、この兵力差を見ると
普通ワンサイドゲームのはずだろ
しかもhttps://ja.wikipedia.org/wiki/幕府陸軍
ここによると、長州征討に参加してるのは歩兵隊4個大隊+αじゃん。
中隊を200人とすると、少なく見積もっても2000人はいただろう。
長州の2000人は同じ2000人で引きつければあとの4万強何してたんだよ
負ける理由が見つからないだろ
士気の影響が大きかったと見るべきだろうな 井伊を擁護したい奴と井伊を評価することを絶対許せん奴は
世の中には一定量はいるってこった。 ペリーも読んだ「日本1852」という本を読むとアメリカが日本に貿易させるために用意周到に
行動していたことが分かるし、イギリスは開国のためにアメリカを利用していたことが分かる。
欧米はシナや日本で使者が蟹のように這いつくばる礼儀を強制されることを苦々しく思っていて
トルコを懲らしめてやったように遅れた文化を改めさせ近代化してやろうという気持ちをもっていた。
日本には金銀銅といった貴金属が多かったし、捕鯨のために薪水や石炭を補給したかった。
オランダが日本との貿易を独占してきたことを知っており、国内の情勢にも明るかった。
ただイギリス人は同時に日本がアジアで最も洗練された文化をもっており
嫌がっているのに無理矢理武力による脅しを用いてまで開国させる必要があるのか、
貿易によって日本のすばらしい文化が失われることは本当にいいことなのか自問自答していた。
ハリスがイギリスと条約を結ぶともっとひどい内容になる、
アメリカと条約を結ぶのが一番よいと言って、幕府に安政条約を結ばせたが
井伊が欧米の手の上で踊らされていたことは明らか。
ただ、欧米と対抗するには、国を開き富国強兵に備えなければ海洋交易の要衝にある日本は
いくらかの島嶼を欧米に奪われいずれ属国と化したことは疑いの余地がない。 とにかく井伊を認めないし、井伊を認める人間も俺は認めないぞ! 井伊という人物の再評価の根拠が改ざん資料と教科書的な細かい流れを省略した記述を前提とした開国主義者という評価のし方と安政の大獄で処分されたのはろくでなしばっかという漠然と他人物sageだからな
その辺が崩れていくと再評価する理由が弱くなる なんか話かみあってねえ〜
長文さんは幕府有能説やめたんかな? スレ主さんの発想は江戸幕府という名の生き物は有能か無能かみたいなノリだからなぁ…
>>207を見るに幕閣幕臣の個人個人の能力功績を評価する気がないからね それ言っちゃうとイギリスやアメリカをひとつの生き物のように考えるのも混乱するよ
彼らは議会制民主主義だから日本以上に複数意見があるんで >>513
あと下士官の差も大きい
長州は武士階級が事前に大村益次郎の教育をみっちり受けていたから
参謀の出す命令が兵隊にスムーズに伝わっていたけど
幕府はそれを本来やるべき旗本がナマポ化していたせいで
軍事組織としてロクに機能しなかった >>207は組織論としても間違ってるけどな
安政の大獄後の幕府の外交担当者は交渉の場で独自判断ができなくなった
やりすぎると処分されるという前例つくっちゃったから 幕府の軍事力の基礎だった旗本が不良資産化して
幕府を助けるどころか足かせになっていた。これが大きい。 仕事が無いなら作ろう
どこでもいいから仮想敵対勢力を作っておくだけでも結構違ってたと思うよ
そんな勢力なんか無いなんて言うなら、海外に進出して植民地の一つや二つ作ろう 仮想敵じゃなくて現実に日本近海に列強の軍艦がうようよしていたことぐらい分かってくれ。 うようよしてくる前、江戸初期から積極的に外に出るべきだったという事では?
薩摩が琉球に進出したし、出だしはよかったと思う
もっとやるべきだった 江戸初期の軍制のまま頑張ったって
幕末に歩兵になって小銃持つのは嫌だとごねるのは変わらん 信長が死んで馬鹿な秀吉がキリスト教禁止とかやり出したから手遅れだよ。信長が村上水軍と九鬼水軍率いて台湾や東南アジアへ火縄銃持って攻めて行ったら香辛料貿易は日本の手中だったはず。 >>526
進出先は蝦夷や樺太でも良かったんだよな
そうすれば嫌でもロシアを意識するから、軍制改革やらざるを得なくなるから
幕末の流れもずいぶん違ったものになったろうに
もし田沼の政策が継承されていれば、徳川のまま近代化していたかもね
そういう意味では松平定信こそ薩長の恩人かもな >>530
あなたは八幡和郎さんですか?
鎖国をしなかったら、カリフォルニアもオーストラリアも日本領論ですね あれやった時点で、例え幕府が勝利してもそれは早晩幕府では無くなっただろう 地方議会つくれで気炎あげてた板垣をどう評価すべきか 江戸時代末期って上級武士が末端の方だけ実力主義にして自分たちの周辺は身分制を守ろうとするけど
下級武士にとっては、下を見ると実力主義で自分たちより身分の低い人間が取り立てられるのに
上は血筋重視で、自分たちがいくら実力があっても意見を言うだけで処分されるって矛盾が出て来る
で、早めに改革成功させた藩は、矛盾も早めに噴出して殺し合いになったり、下級武士が藩政握ったりする
幕府はギリギリでちょろっと改革したからその段階まで行かなかったけど
徳川だけは上層部は血筋による専制を温存したまま、ゆるやかな改革ができるとかは無いな 慶喜ちゃんみたいに陸軍も海軍も弱いフランスと仲良くしてもなぁ。フランスがドイツにボコられる度にロシアが脅威になる。
薩摩がイギリスと仲良くしてたから日英同盟につながった部分はあるだろう。 >>539
改革やろうとしても、旗本という巨大なナマポ軍団抱えているから
身動きできないのよね
徳川主導で近代化するなら田沼時代まで遡らないと無理ぽ >>539
どっちにしろ貴族院つくって誰かが執権経験からくる意見を述べて
それを一部政策に反映させるシステムは必要だったろ 幕府もそれなりに改革はしたよね程度ならそうだねで良いけど
徳川の方が素晴らしい改革ができた、待てなかった薩長は悪とか言い出すからなあ >>539
実質的に軍役廃止されたから、段階的に解体されると思う>旗本 絵に描いた餅がうまく行くはずという前提がそもそも… 今からお前たちを日干しにするから大人しく飢え死んでねって内容の改革が
トップが江戸にいなくて文書で指示するだけで、保守派は改革派に死ね死ね言ってる状態で
紆余曲折無しに、最初からすんなり上手く行ったはずだって言われてもねえ 慶喜の構想自体僅かな側近にしか伝わってないからな
薩長という敵勢力が勝ったからこそ遠慮なく既得権益層を片付けられたけで…
薩長が負けた場合の方がより酷い仲間割れが起きる未来しか見えない
佐幕オタ一押しの開明派の小栗すら慶喜とはいい関係を築けてないしね 旗本と大奥の解体つーのは、徳川が徳川を打倒するような話で、 徳川宗家(といっても幕末は紀州筋だが)ではない傍流出身の慶喜なら
しがらみなく踏み切れる政策でもある。 この場合小栗やら大久保やら大身旗本の改革派を味方につけておかないとだめだ。
粛清や一部旗本の反乱は覚悟しないと出来ない話。 暴発を押さえきれず鳥羽伏見に引きずりこまれた統率力ゼロな慶喜じゃ無理な話だな 斉昭を藩主にしたのが、下士や学閥層だからな。
しかし、そのいわゆる天狗党も、血統重視の門閥派や江戸から派遣された附家老に
憎まれて血みどろの内乱に発展したのだから、水戸と言えどって感じだわな
水戸は藩創成期からいろいろ問題かかえてたから簡単には言えないけど 近代武装、富国強兵、植民地獲得は従順な武士を育てる目的で普及させた朱子学や武士道が邪魔になる部分も多そうだ。開国時の日本を取り巻く競争とは真逆の考え方 だから八紘一宇なんだろ
八紘一宇こそ、日本古来の思想的系譜の上にいながら
西欧の大国概念と思想を共にする考え方だから。
いや、大国概念は中華思想でもある。
ともかく海が国防の障壁にならなくなった明治以後、日本は再び
勢力均衡の世界に引きずり込まれざるをえなかった。 朱子学→国家神道 神仏習合→廃仏毀釈
この転換が日本を暗黒面に導いたわけだな。 藩政改革をした藩といっても
西郷が藩政を牛耳ったわけでもないし
借金は踏み倒しただけ >>557
過疎スレだからいいジャン別に。幕府ヨイショスレなんだからw
アンチ井伊の「井伊直弼ガー」も見飽きたし話題をころころ変えないとスレがつまらん。 >>555
いや、ひきこもりがいきなり外に出たら、思った以上に勝手がちがったってだけでしょ
開国は不可避だったし、そのために国家神道の思想を国民にふりまいたのは悪くはなかったと思う
ただ日本人は8世紀の敗戦以来、ずっと閉じてきたからサバイバルのための外交能力が
もともと低かった。今もアメリカに保護されてる状態。 ルトワックの戦略論にはこうある。
「大国は自らの同盟国や保護国、あるいはほかの周辺的利益を守るために
自国の差し迫った安全保障上の必要性をはるかに超えた要求を主張しなければ
大国たり得ない。したがって、おそらくほとんど知られていない遠方の地で
戦いを強いられるというよりも、自ら進んで戦うことを選択し、非常に困難な目的の
ために、戦闘の危険を冒さなければならない。」
これは八紘一宇の思想と非常に似ているものだろ? もちろん、私は日本を再び大国にしようなんて思っちゃいない。
アメリカを使いながら、強い圧力に対してはアセアンのような同盟をつくって
抵抗するのが理想だと思っている。各国の自立性の高いEUのようなものを。
ま、絵に描いた餅かもしれんが >>559
この板ってスレの趣旨無視して自分の知ってることをダラダラ書く奴が多いから
本来の話ができなくなる
すでに変なのが居つき始めてるしなw >>564
その類の輩は
自分の行為を正当化して開き直るだよな 本来知っておくべき国際政治の現状を知らない人が多いと思ってね
知らないと口論の元になるだろ?長々とごめんよ >>560
よく言われるように、欧米の近代化ちゅうか資本主義化の成功のある根底にキリスト教(特にプロテスタント)がある、
と踏んだ明治政府は、 キリスト教の代わりに国家神道を持ってきた。
その結果、日本は良くも悪くも中央集権化を図り急速な近代化に成功した。だが、失うものも大きかった。
この負の側面をもう少し大きく虎手もいい思う。(だから幕府時代がヨカッターとまでは云わんが)
>>562
福澤先生ではないが、明治中期までは日本は朝鮮・清国とで「明治版アセアン」を目指していたわけでしょ。
それが頓挫したので一転して中朝を支配下に置く方策を取った。 結果論としてはこの方策は失敗したが、
失敗理由は米英との調整に失敗したから。 戦後の日本はここをよく学んでいると思うけどね。
単純に米国隷属と片づけるのは容易だが、ひところ流行った若い学者が書いた「永続敗戦論」には違和感満載だ。
ま、スレチだからこの辺で。 >>567
幕府時代がよかったかどうかは体験してみないと分からないが
少なくとも今より美しかったと思う。写真を見ても松の並木道はきれいだし >>569
君はスレ主かね? 本来の話って何よ? 君が気に入らなくても他人の迷惑でなければいいわけでしょ。
それに、君は君で「本来の話」を並行して書いていけばいいじゃんか。 それだけの話。
面白いほうの話題に人はくいつき、スレは進行する。
「井伊ガー」以外が本来の話ではない、とも思わんし。 この抽象的極まりないスレタイと思い込みが激しいこの>>1の内容でスレチもクソもないだろ やたら仕切りたがってる奴の過去レス見ると、とにかく井伊が嫌いなんだよ。
別にそれはいいんだが、その関係以外に話題が及ぶとやたら「本筋ガー」「外交ガー」と叫んで
自分の気に入らない話題になるとスルーできずにすぐ喚きだすんだよな。
しかも何故か同時に2人出てくる。(複数自演かww ま、いいけど)
このスレ自体がそもそも板違いなんだから、あれこれ喚くな、つーのw またむずかり始めちゃったよw
何でもありになってるスレならこの板にもあるんだからそっち行きゃいいじゃん スレ主でもないお前が偉そうに仕切りだすからスレが行き詰ることに気づけよ。 まあ、スレタイが漠然としてるし、スレ主さんの「趣旨」wとやらも幕府無能説に対する反発がメインだし、
ざっくり気長にスレ進行すればいいんだよ。
どのスレにも得手勝手な奴が自分が気に入らない話題にそれると辛抱できずに仕切りだす。
スレは生き物だからいろいろな方向に伸び、興味ある人がそれを紡いでいく。ネタが切れるとまた別の話題にいく。
それが2ちゃんねるなんだが、それがわからん奴は勝手にスレの「趣旨」や「本筋」をマイ定義し、仕切りだす。
本当は単にその話題が気に入らないだけで、別にスレから逸れているわけでもない。
気楽にスレ進行させようや。 このスレの仕切り屋は>>1と反対意見の持ち主のようだし、別に無視してもいいと思うね。 ついでに言っておくと私が嫌いなのは井伊ではなく
言い負かされそうになると全然違う話を突然語りだす長文バカ コイツ>>577、自分が嫌いな話になるとすぐに個人攻撃しだすよな
しかも毎回二役してるし 自分と違う意見の人は同一人物の自演と思う変なヒト
普通にレス読めば違う陣営のオタだってわかるだろうにねえ 国際政治の話そんなに関係ない話だったかなぁ
レス返してくれた人ありがとう また二人羽折してるよコイツww
毎回 同じ意見数分おきに連投してるし、文体同じだし、こんなのお前だけだよw >>583は気にしないでいいよ
すぐ軌道修正してくれてありがと
スレチという言葉にヒステリックに反応する変なのがいたのはアンラッキーだったけど
荒れたのはあなたのせいじゃないよ >>581
>行末にも句点を打つやつの
どのレス? >>583
気にしなくていいよ。>>586は自分が気に入らない方向にスレが進むと毎回喚きだすんだよ。
こういうバカは一度叩いておかないといけない。
しかも自分が喚いておいて、相手を荒らし扱い。よく見る手合いだ。このバカはみんな同一人物に見えてよく誤爆してる。
(しかも自分の自演はしらばくれて終わりw) 政府(幕府) => 諸藩が広く参加した 『議会制政治』。
長州 ーーーーー> 四侯会議による一部の藩の「独裁権力」。
史実、 双方が求めていたものにはこれだけの差がある。
「現行政府が、より正しい事をしようとしている」 のに、
長州はそれを内乱クーデターの愚行で潰そうとし、薩摩が加担した。 小御所会議のことか?
前提なく書きこむからプロパガンダにしか聞こえないな 史実として、
双方が求めていたものは>>589である。
政府(幕府)の正しい方向性と比較して、長州の低能さにはこれだけの差がある。
しかし長州はこの近現代の時代に、
内戦という下等な手段で自国を混乱に陥れ、
同時に外国に巨額の負債を作り、国力を疲弊させて、日本の近代化を遅れさせた。 >>591
幕府は幕藩体制を維持したまま
将軍を議長、藩主を議員とする議会を開くだから
正しい方向性ではないでしょう
議長並びに議員は世襲が大前提で選挙を否定している >>592
長州が求めた一部の藩による「独裁政治」と、 比較すれば、
政府(幕府)が求めた、諸藩が広く参加する 『議会制政治』の方が明らかに正しい方向性だよ。 >>594 比較の話なんだよ
長州の「独裁政治」と比較すれば、政府(幕府)の『議会制政治』の方が明らかに正しい方向性だろ? 民選議会設立を実現できた明治政府>>>>>征夷大将軍職を廃止できなかった徳川幕府 >>589
諸侯会議派って言ってもほとんどの大名が自国のことで手一杯で上洛命令に従ってないからなぁ
諸侯会議派=徳川親藩参加型の雄藩会議、とみなすべきだわな それに、長州が挙藩一致体制で政権の独占を推進していたかのように言う(書き込みがある)が
有司専制につっぱしったのは岩倉ー大久保ラインの先行だからなぁ >>594
新政府は五箇条の後誓文で会議を起こすことを明記
幕藩体制を否定しているから会議の構成員は将軍や藩主であろうはずもなく
案に天皇を頂点とする選挙を想定している >>595
四侯会議の話なら「四藩の独裁政治」を目指すものではない
どうしたら公武合体ができるか四賢侯で話し合ったというものだろう
天皇・公家たちといかに協力していくかという話し合いなので
独裁政治をやろうとしていたと考えているなら間違ってるぞ >>589
幕府や将軍はそんなの求めてなかったけどな
これまで通り徳川家に対する個人的な忠誠心の高い
譜代大名だけの政治が良かっただろ
外様大名も政治に参加させろと言って土佐の坂本龍馬らが唱えたのが
すべての藩主を議員とする議会を起こす案
これは江戸幕府の所信表明ではない >>602
>>603
戊辰戦争「以前に」長州藩が考えていた政治体制はどんな物なの?
幕府が模索した、公議輿論(議会制政権思想)より範囲が広い議会制政権思想だったの? 有能な旗本を老中や若年寄に抜擢できれば
幕府もかなりいけたと思う
が、薩長の志士とやらもクズが多過ぎ >>602
>>603
すまんが勉強したいのでソース(リンク)付きで>>604に答えてくれよ? >>604
なんかこの人最低限の知識もないような気がするんだが。
ここでいう幕府って井伊直弼じゃないよな、慶喜あたりか?
ふつう、幕府ではなく一会桑体制とか言わないか? あと、公議輿論なんだが、
公というとパブリックの意味に解されることが多いが
水戸烈公というように、貴族の階級を意味する言葉でもある。
御公儀というと、朝廷に代わって公権力を行使する武家政権という意味であるし、
そこからすると、公議とは諸侯会議を意味する言葉で
かならずしも民主主義を意味しない言葉だよな >>608
で、本当のところどうなん
幕府っていつの時期の幕府ですか? >>608
VIPからきた小中学生か、外国人かという印象だが
wikiで関連記事読んでから質問したらどうよ 坂本龍馬の藩論だと二院議会制、絶対君主制の否定、普通選挙を想定
長州は朝敵だったので、まず朝廷への復帰を望んでいた
長州のリーダーだった木戸孝允が五箇条の御誓文で広く会議を興し、万機公論に決すべしとしてるので
方向性は変わらんだろう >>612
おいおい、それ船中八策のことか?
「絶対君主制の否定、普通選挙」ってなんだよ
上下院は明治の太政官制でも採用しとるがな
「議定・参与からなる上局と参事・貢士からなる下局からなる二院制。」だが
下院は普通選挙によってえらばれるとは書かれていないな。
ただ、大正デモクラシー期に五箇条の御誓文の見直しがあったことは否定しない。
あと、絶対君主制の否定ってのはどの部分?
近代化には絶対君主制によって一度中央集権化しなければいけないというのが半ば常識だと思うが 薩長土が考えていたのはまず幕府が政権返上して一諸侯の地位に戻す考えだろう >>613
坂本龍馬の死後に海援隊が出した藩論という本
国王に権力を置かないイギリス型の政治を考えていた感じだな まあそのへんが妥当なのかなぁ
土佐なんかは後藤・海援隊と板垣・陸援隊で趣きがちがって
板垣は土佐でも稀な討幕派だったよ >>615
なるほどそうなのか。正直すまんかった。
イギリス人と仲が良かったからそうなったのかな >>616
坂本龍馬も討幕派には変わりないからね
幕府に対する考えがちょっと違うけど大層な違いはないよ
板垣も戊辰戦争の経験から結局民権思想になってるし >>618
板垣って戊辰戦争を体験して民権思想になったのか?
征韓論で対立して下野した後だろ?民権運動に傾斜していくのは
しかも日本史上初の政党内閣の隈板内閣も4か月で総辞職だし
デモクラシーに暴走がつきものであることを露呈している 板垣は戊辰の後にすぐ土佐で人民平均の理を発令してますし、
身分制軍隊から皆兵に近い軍制改革もしてるんで、早い時期から民権思想はある
隈板内閣は初めての政党内閣だから上手く行かなくても仕方ないし
まず政党内閣作ったことが凄いわけで
暴走とは関係ないでしょう >>620
今ざっと調べたが、それ、土佐藩が他藩と比べて上士・郷士間の身分差別が激しかったところに
由来するもので、決して民権運動に由来するものではないのでは?
文久年間で尊攘派を一番粛清したの土佐藩だし、土佐より薩長が遅れていたようには見えないな。
でも隈板内閣は国際情勢に疎いためか、アメリカに宣戦布告に近い挑発をしてるわけでしょ
仮免だとか言って、腹案、トラストミーetcで無茶やりまくった民主党政権を彷彿とさせるね
それに大正デモクラシー後に軍部が暴走したのも、元老の役割を考えずに政党政治に
流れ込んだ知識人に相当問題があったことは明らかだよ。
元老なら、統帥権に余裕で介入できていたからね。
ここらは統帥権干犯問題のwikiやここhttps://www.youtube.com/watch?v=BuJA5JOKRy4を参考にしてほしいね
フランス革命も当の本国が虐殺があったと反省してるくらいなのに
いまだに日本人は幻想を抱いてる人多い気がするね。 板垣退助が語った会津戊申戦争序文を読めば
戊辰戦争の経験や軍事面の思想からと語ってる
板垣は民権派だけどタカ派だしな
元老とか統帥権とかは明治憲法に問題があったってだけの話だし
維新元勲が生きてる間は問題にならなかったってだけで
フランス革命も虐殺は反省してるかもしれないけど、全否定されてるわけじゃないしね >>622
>会津戊申戦争序文を読めば
今ウェブで公開されているから、具体的にどのあたりかページ数だけでよいので指摘してほしい。
それと、その書籍は大正年間に出版されているので幕末期のナマの情報の可能性は低いと思うよ。
元老は明治憲法に記載されていないよ、政党内閣と同様にね。
つまり、慣習法をつくればそれで事足りたということ。
重臣会議が元老に代替しなかったことから見ても、慣習が要因であることは明らか。
民主主義を導入するという点では否定はされてないね、ずっと戦勝国だったから。
だけど、暴力を用いないで民主化させることはできていたはずだから、
結局否定されているのでは? つまり、
戊辰戦争「以前に」長州藩トップが示した政治体制は無く、
幕府トップが模索した、公議輿論(議会制政権思想)より劣っていたという事? 対内的には劣っていると思うが、日露戦争などのちに起こる国際関係を考えると
対外政策において優れていたというのが俺の意見
フランスはヨーロッパの大国なので、侵略される可能性はまずなかっただろうね >>625
長州の対外政策 = 攘夷して開国反対
こんな時代遅れで無知な考えをもとに、政府批判(倒幕運動)を始めた長州は愚かだよ。 >>626
小攘夷は失敗が明らかとなったが、
その後に進めた大攘夷の戦略に関しては
薩長の方が幕府より優れていただろうね
薩長というか大久保が優れていたという感じだろうか >>625 >>627 日露戦争の話は日露戦争の時にすれば良い。
幕末の当時の長州は、対内政策も対外政策も、政府(幕府)より劣っていた。
そんな無知な長州の政府批判(倒幕運動)のせいで、日本の近代化は遅れてしまった。
なにせ幕府は議会制政権思想という聞く耳を持っていたのだから、長州が犯した内戦地獄は無駄だった。 長州藩の対外政策 =攘夷後に開国だから、手順を踏んでる訳ではある
長州藩は攘夷戦から身分制打破してきてて、庶民の諸隊がその後主力軍になってたり
政治軍制改革を行い、挙藩体制で幕府軍を破ってるから、幕府より近代化してたのは確かじゃないかな
幕府が議会制政権思想を持ってたというのは、そういう人が居たという希望的観測で、実際は行われなかった分けだ
第二次長州征討での敗北と、武力倒幕論が出てきてようやく大政奉還に賛同したという形だし
その後も多数は納得せず大政再委任運動起きたり、鳥羽伏見の戦いが起きたりしている >>625
清朝や帝政ロシアよりは大日本帝国は民主主義が進んでたからね
そこそこ民主主義国だったのが勝利し、その後に真性民主主義国の米英に負け
今の民主主義国日本になった
そして世界中が百戦の結果民主主義国になった >>631>>攘夷後 ←無知の妄想
幕末当時に「攘夷の成功の後」などは存在し得ない。
それは、無知な長州の妄想オ○ニーでしかなく、そんな長州のせいで日本は多大な損失を被った。 >>633
当時の攘夷論は日米修好通商条約を日米和親条約まで引き戻すべきという破約攘夷論で、
鎖国を維持すべきという考えでない
開国の必要性自体は初期攘夷派である、吉田松陰自体が認めているわけだ
攘夷後に新たな関係条約を結ぶというのが攘夷派の考えだ
攘夷成功後にも鎖国を維持した李氏朝鮮とは違う考えだ >>634
幕末当時に「攘夷の成功の後」などは存在し得ない不可能な話だよな?
それは、無知な長州の妄想オ○ニーでしかなく、そんな無能長州のせいで日本は多大な損失を被った。
そもそも、長州が「攘夷で開国反対」と愚かなテロリズムに励んだ史実は消えない。 当時の長州攘夷指導者の考えって大体こんな感じだろ?
松陰 開国して力を蓄えるのは重要
周布 開国のための攘夷
木戸 攘夷も大事だが開国も大事
久坂 攘夷をすることが大事、その後開国すれば上手く行く
全員開国含みの攘夷だよ >>636
幕末当時には「攘夷の成功の後」なんか存在し得ない不可能な話だよな?
実際、そんな無知な考えの長州のせいで、日本は多大な損失を被った。
そもそも、長州が「攘夷で開国反対」と愚かなテロリズムに励んだ史実は消えない。 >>628
幕府は北朝鮮みたいな体制だから
外交も朝廷が反対してるのに不平等条約結んじゃったし
戊辰戦争引き起こしたのも幕府だしね 破約攘夷なんて言葉この長州ガーな彼が知ってる訳ないじゃん 朝廷が攘夷の中止に決定したので、長州藩もその後攘夷の中止にしたんで
長州藩は勝手に攘夷やったんじゃなく、朝廷の意向と幕府の攘夷命令に沿って行ってるんで
幕府が開国と攘夷をその時の方便で使い分けるので混乱させたのが原因
長州没落後は幕府が攘夷を言い出してるしね >>640
幕末当時には「攘夷の成功の後」なんか存在し得ない不可能な話だよな?
長州は、(軍事のプロの端くれのくせに現実を理解できず)
攘夷などという不可能な妄想で、日本の近代化は遅れさせた。 >>642
そもそも、長州が「攘夷で開国反対」と愚かなテロリズムに励んだ史実は消えない。
そんな無知な長州の政府批判(倒幕運動)のせいで、日本の近代化は遅れてしまった。
比較すれば、幕府より長州が劣っていたのは明らかだ。 なんかスレ伸びてるから覗いたけど四侯会議が長州の主張ってとこで笑って
誰も指摘せずに長州長州と議論してるとこで呆れたわwwwwww 文久期は幕府の外国奉行も攘夷派が多数だったんだけどねw 幕府のような弱腰開国では朝鮮のような三流国になって終わりだった。
長州のような不平等条約への大衆的働きかけがあったからこそ大国への道が開けた。
この事実を真摯に受け止められない人間が幕府マンセーに走る >>645
基本的に薩摩だが、薩長同盟の内容からして長州の朝敵認定解除嘆願は
前々から決まっていたことだよ
議論がおかしな方向に進んだのはやたらからんでくるアホにミスリードされただけだと思う >>647 たしかに政府(幕府)は長州よりバランス良いな
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだね。 >>647 たしかに明治政府は徳川幕府よりバランス良いな
明治政府→状況を理解し、近代化実現しながら不平等条約改正。
テロ集団(徳川幕府)→状況を理解出来ず、封建制の恐怖政治で不平等条約調印。
比較すれば、テロ集団(徳川幕府)より、明治政府の方がまともなのは明らかだね。 だから幕府や長州を一人の人間であるかのように語るなって つまり状況を理解し、近代化しながら開国した忠固岩瀬井上を粛清し、状況を理解出来ず本心は攘夷で開国反対で封建制の恐怖政治を行った井伊はクソと >>651
>>653
長州が「攘夷で開国反対」と愚かなテロリズムに励んだ史実は消えない。
そんな無知な長州の政府批判(倒幕運動)のせいで、日本の近代化は遅れてしまった。
比較すれば、幕府より長州が劣っていたのは明らかだ。 >>654
徳川幕府が愚かなテロリズムに励んで不平等条約を改正できなかった史実は消えない。
そんな無知な徳川幕府を滅ぼした結果、日本の近代化は実現してしまった。
比較すれば、明治政府より徳川幕府が劣っていたのは明らかだ。 >>655
無知な長州の攘夷では、
下関戦争の結果を見てもあきらかなように不平等条約はおろか日本が植民地になっていた。
長州のテロリズムは、質、量、共に(幕府と比べるまでもなく)幕末の日本で最悪だ。
そもそも、幕府の仕事と(それを受け継いだ明治政府の仕事を)直接比較する事は出来ない。
1853年・浦賀造船所創設→日本初のドライドック。後に住友重機械工業
1853年・鳳凰丸起工・・・・・・→幕末に日本で最初に竣工された洋式大型軍艦
1853年・石川島造船所創設・・・→(株)IHI(石川島播磨重工業株式会社)
1855年・長崎海軍伝習所創設・・→日本海軍で活躍した人材育成や、長崎大学の礎となる
1857年・長崎製鉄所創設・・・・→三菱重工業長崎造船所
1865年・横須賀・横浜製鉄所着工→日本最大の横須賀海軍工廠
幕末の近代化における幕府の貢献は、
「攘夷で開国反対」して日本の近代化を遅れさせた低能長州と比較すれば明らかに偉大だ
。 長州藩を廃藩できた明治政府>>>>∞>>>>長州藩に惨敗した徳川幕府 >>661
幕府の仕事と(それを受け継いだ明治政府の仕事を)直接比較する事は出来ない(>>660)。
幕末の近代化における幕府の貢献は、
「攘夷で開国反対」して日本の近代化を遅れさせた低能長州と比較すれば明らかに偉大だ。 >>663
幕藩体制を受け継かず廃藩したのが明治政府の仕事
日本の近代化を遅れさせたのは徳川幕府と諸藩の存在そのものである
近代化しなかった徳川幕府と近代化できた明治政府を直接比較する事は当然可能である そもそも明治維新は長州だけでなされたわけじゃない
この板を見てると長州のことしか書けない奴と
トンデモ本の受け売りしてるバカが頑張ってるんで笑う >>660
横須賀を日本最大の海軍工廠にしたのは明治政府ってことだな >>644
幕末長州と比較して明らかに偉大な幕府の近代化政策と、
「その多大な恩恵を授かった後の政府」の近代化政策を、直接比較する事は出来ない。
後の政府(明治政府)の近代化政策の評価=前の政府(幕府)の近代化政策の賞賛へと繋がるからだ。
直接比較するなら、同時代同士の幕府と長州藩の比較でなければ成り立たない。 >>665
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだよね。 幕府の開国は井伊直弼が国内情勢を無視し幕権大事で突っ走っただけで
尊王攘夷派は西洋富強の根本は政治システムにあると見抜いた
政治システムの近代化の争いが明治維新 幕府は北朝鮮みたいな物だから
北朝鮮も核ミサイルもってるから近代化していると言う様な物 >>668
長州ってイギリスにフルボッコされて目が覚めたんじゃなかったの? 結局のところ直接交戦してはならないから、近代化しながら開国するのが最善だったという事だ。
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだよね。 >>672
開国するには英米の先進技術が必要だったがその事にいち早く気付いて英国に接触したのが薩長だよ。
幕府は後進国フランスのカトリック商人にたぶらかされて旧式の大砲を大量輸入したり無駄遣いばかりしていた。
どちらが優れていたかは一目瞭然だろ。
幕府が公武合体成功してフランス式の近代化を測ってたとしたら明治天皇か孝明天皇はギロチンにかけられてただろうね。フランスに莫大な負債を背負わされて体よくアジアの植民地の一つにされてただろう。
日本の為にあえて外敵に対抗した長州の勇気と先見の明に感謝すべきだよ。 >>668
ひとのレスの意味がわからないならアンカつけんなよwwwwww マジな話、幕府だと不平等条約改正できてない
国内の金銀銅が流出した後は植民地化一直線だったよ >>637
幕末当時には「攘夷の成功の後」なんか存在し得ない不可能な話だよな?
長州は、(軍事のプロの端くれのくせに現実を理解できず)
攘夷などという不可能な妄想で、日本の近代化を遅れさせた。 >>675
無知な長州の攘夷では、
下関戦争の結果を見ても明らかように(不平等条約はおろか)日本が植民地になっていた。 >>675
不平等条約改正できたのは、幕藩体制を廃止した明治政府だよ >>678
>>679
「無知な長州の攘夷が犯した」米国の「民間商船へのテロ攻撃」を発端にし、
当時の国際法に違反したテロリズムを繰り広げたあげく起こった、
悲惨な下関戦争の結果↓
壬戊丸・撃沈
庚申丸・撃沈
癸亥丸・大破
前田砲台・・占領・破壊
壇ノ浦砲台・占領・破壊
民間人への影響
敵陸戦隊の上陸をゆるし、領民家への焼き討ち
これらを受けて
長州藩領内での一揆勃発
長州藩領民の離反(外国軍隊への協力)
関門海峡の外国船の通行の自由
石炭・食物・水などの売却
悪天候時の船員の上陸
砲台の撤去
賠償金・300万ドルの支払い
この結果を見ても明らかなように、
無知な長州の攘夷では(不平等条約は勿論)日本は植民地になっていた。 >>680
それ徳川幕府の時代だろ
明治政府は無知な幕藩体制を廃止して不平等条約改正を実現できた >>680
勇気を持って外敵に歯向かったおかげで攘夷が不可能だと気付くことができた。
ついでに英米の先進技術を取り入れて日本の生産競争力を高める事に成功した。長州様々だよ >>681
不平等条約は前政権の仕事だから、新政権には関係無い。
これが明治政府の条約改正ロジック。
この明治政権が使った韓国風のロジックで良いのであれば、
大政奉還(政権返上)という新政権が必要な状況を活かして明治政府と同じ事が可能だよ。 >>684
>不平等条約は前政権の仕事だから、新政権には関係無い。
>これが明治政府の条約改正ロジック。
いや違う
不平等条約は前政権・徳川幕府の失政であっても、
「条約破棄」ではなく「条約改正」という形で新政権・明治政府は責任を果たした 日米修好通商条約「不平等条約の悪化と、改正の遅れ」
これは不平等条約と云われるが、関税率については有利な条約だった。
(長州と「長州を手なずけた植民地王イギリス」の主導で通商条約が締結されていたら、
もっと悲惨な条約となっただろう)
しかし、
せっかく幕府が締結した有利な関税率も、
「愚かな長州の攘夷・愚行(下関戦争・馬関戦争)」のせいで、
イギリスに有利な関税率に改訂され、日本の綿織物産業は大打撃を受けてしまった。
そもそも幕末時に長州政権だったら軍事力によって植民地化される危機を日本は迎えていた。
しかも、
せっかく幕府が1872年(明治5年)には条約を改正できる条項を締結していた(第13条)のに、
能力がなかった明治政府は、交渉の延期を自ら願い、1876年から話し合いを始める堕落っぷり。
不平等条約改正は、明治政府が遅らせてしまった失態だった。 >>686
改税約書は外国と徳川幕府が調印したんだよ つまり、
そもそも長州が「攘夷で開国反対」と愚かなテロリズムに励んだ史実が問題なのだ。
そんな無知な長州の政府批判(倒幕運動)のせいで、日本の近代化は遅れてしまった。
比較すれば、幕府より長州が劣っていたのは明らかだ。 長州藩毛利家は徳川将軍家の家来なんだから
長州が劣っていたのなら、主君である徳川将軍の責任だろ >>689
長州のように民主党が劣っているからといって、
与党自民党や、主権を持った国民である>>689が、全責任をおわされるのはカワイソウだと思うよ。 >>690
全責任をおいたくないなら廃藩しなきゃいかんだろ
明治政府は全ての藩を廃止して武力も取り上げたのにさ
幕末の徳川幕府は廃藩できなかったじゃないか >>691 幕府は「無知な長州の攘夷」の責任をとろうと行動していたと思うよ。
長州のように民進党が劣っているからといって、
主権を持った国民である>>689 >>691は、全責任を感じているとは思えない。
>>689 >>691は民主党や民進党の失態を、他人事のように叱咤していないのか?
(おれはしてるけど) >>692
徳川幕府は責任をとってない
責任をとるなら、ちゃんと廃藩すべきだろ
明治政府はやれたんだから >>694
「無知な長州の攘夷」の責任をとるのに、どうして廃藩が必要なんだ? >>692
つまり
おまえにとって、民主党や民進党は、他人じゃなくて家族なんだね >>696 ?
民主党や民進党に投票した事は無い。
基本保守系を応援してるから、石原慎太郎の名前で日本のこころからハガキが来たりする。 >>680
欧米の世界秩序との衝突は世界中どこにでも見られる。
重要なのは、それをうまく超克し、大国として参画できたかどうか。
残念ながら、幕府では無理だった。
それを真正面から受け止められないかぎり、今の日本政府のように
全包囲土下座外交に終始せざるをえなくなる。
そろそろ事実を向き合わなきゃ >>695
「無知な徳川幕府の攘夷」で横浜鎖港を要求してきたと外国は受け取ってるからな >>687
改税約書は「愚かな長州の攘夷・愚行(下関戦争・馬関戦争)」のせいで生まれたものだ。 幕藩体制の否定という意味では価値があった水戸学。
しかし、水戸学は近代化と一直線にはつながっていない。
水戸学と薩摩藩に特有な西洋化への思想、の合体がなければ
明治維新的な改革は起こらなかった。
そういう意味で言えば、薩長同盟前の長州には欠点があったと言えるだろうね。 >>697
民主党や民進党は他人じゃないんだろ>>692 >>695
廃藩できないなら
独自に武力を有する藩の独自行動を、国政のトップが抑制できなかったことになる >>699
>>「無知な徳川幕府の攘夷」で横浜鎖港を要求してきたと外国
が思っていると、どうして廃藩が必要なんだ?
具体的に頼むよ >>704
そんぐらい分かれよw
参与会議で慶喜が会議が薩摩主導化するのを恐れて
横浜鎖港に舵をきったことを言ってるんだろw
幕府厨の知識がお粗末すぎる件 >>700
改税約書は外国と徳川幕府が調印したんだよ
外様の藩は調印してない 幕府には、国内の面倒もろくに見られないのに
よく海外と条約結んだなという印象しかない
越前らが政令帰一を主張したのもむべなるかな >>705
だから、それでどうして廃藩が必要なんだ? >>700
ロンドン覚書は「無知な徳川幕府」とイギリスによって締結された >>703 幕府は「無知な長州の攘夷」の責任をとろうと行動していたと思うよ(>>692)
>>独自に武力を有する藩の独自行動を、国政のトップが抑制
幕府は「無知な長州の攘夷」の責任を長州征伐でとろうと行動していたと思うよ >>710
>>横浜鎖港 だとどうして廃藩が必要なんだ? >>706
改税約書に幕府が調印した原因は、
「愚かな長州の攘夷・愚行(下関戦争・馬関戦争)」のせいで生まれたものだ。 >>711
責任をとろうとしても、
無能な徳川幕府には実力が伴わなかった
一地方領主ごときに武力で惨敗するのは統治者として落第 >>713
改税約書は外国と徳川幕府が調印したんだよ
外様の藩は調印してない >>714
長州のように民主党が劣っているからといって、
主権を持った国民である>>714が責任とれないから落第なのか?
>>714は主権者であるのに、民主党や民進党の失態を、他人事のように叱咤していないのか?
幕府は「無知な長州の攘夷」の責任をとろうと行動していたと思うよ。 >>713
関税引き下げなんて、下関戦争より前から
「無知な徳川幕府」がやり始めたことだろ→ロンドン覚書 >>717
とりあえず「愚かな長州の攘夷・愚行(下関戦争・馬関戦争)」を犯した
長州と比較すれば、改税約書に調印した幕府の方がもともだよ。 >>717
「無知な長州の攘夷が犯した」米国の「民間商船へのテロ攻撃」を発端にし、
当時の国際法に違反したテロリズムを繰り広げたあげく起こった日本の惨事。
ペリー来航(1853年)から10年もたった1863年、1864年。
木製のダミー大砲、火縄銃、槍、弓矢 を手に長州の攘夷が起こした、
悲惨な下関戦争・馬関戦争の結果↓
壬戊丸・撃沈
庚申丸・撃沈
癸亥丸・大破
前田砲台・・占領・破壊
壇ノ浦砲台・占領・破壊
馬関砲台(下関市の中心部)占領・破壊
彦島砲台・・占領・破壊
民間人への影響
敵陸戦隊の上陸をゆるし、領民家への焼き討ち
これらを受けて
長州藩領内での一揆勃発・長州藩領民の離反(外国軍隊への協力)
関門海峡の外国船の通行の自由
石炭・食物・水などの売却
悪天候時の船員の上陸
砲台の撤去
賠償金・300万ドルの支払い
この結果を見ても明らかなように、
無能な長州の攘夷では(不平等条約は勿論)武力衝突で植民地化される危機を日本は迎えていた。 >>716
また馬鹿なたとえ話か・・・
長州藩は武力で徳川幕府に勝ったけど、民主党や民進党は武力で国民に勝ったことはない
長州藩は幕末に国政の統治者になってないけど、旧民主党は政府与党で、今は国政の野党になってる
全く異なるモノを引き合いにするなんてアホすぎる >>718
「無知な徳川幕府」が締結した改税約書は日本に不利だろうが >>720
本題は、幕府は「無知な長州の攘夷」の責任をとろうと行動していたと思うよ。ということ
>>716で比べたのは、幕府と主権者である国民(おれら)だよ。 >>719
「無知な徳川幕府」によって関税率下げたロンドン覚書は下関戦争より前だろ >>721
下関戦争の結果(>>719)を見ても明らかなように、
無能な長州の攘夷では(不平等条約は勿論)武力衝突で植民地化される危機を日本は迎えていた。
比較すれば、幕府よる長州の方が無知だったのは明らかだ。 >>724
>植民地化される危機を日本は迎えていた。
のは徳川幕府の時代だろ
比較すれば、明治政府より徳川幕府の方が無知だったのは明らかだ。 >>725
下関戦争の結果(>>719)を見ても明らかなように、
無知な長州の攘夷では(不平等条約は勿論)武力衝突で植民地化される危機を日本は迎えていた。 >>724
「無知な徳川幕府」が締結した改税約書は日本に不利だって理解できたのか >>722
責任をとろうとしても、
無能な徳川幕府には実力が伴わなかった
一地方領主ごときに武力で惨敗するのは統治者として落第
馬鹿なたとえ話につき合うとするなら
無能な民主党は選挙で自民党に負けた
無能な徳川幕府は武力で長州藩に負けた >>727 不平等条約以前に深刻なのが、無知な長州の攘夷だ。
無知な長州の攘夷が犯した下関戦争の結果(>>719)を見ても明らかなように、
長州の攘夷では(不平等条約は勿論)武力衝突で植民地化される危機を日本は迎えていた。
比較すれば、幕府よる長州の方が無知だったのは明らかだ。 >>726
>植民地化される危機を日本は迎えていた。
のは徳川幕府の時代だろ
比較すれば、明治政府より徳川幕府の方が無知だったのは明らかだ。 >>730 根拠も説明も無く、反論にもなっていない。 >>731
>>719に書かれてることは徳川幕府の時代に起きたこと
>植民地化される危機を日本は迎えていた。
のは徳川幕府の時代だろ
比較すれば、明治政府より徳川幕府の方が無知だったのは明らかだ。 >732
>>719の愚行は、長州が犯した事だ。 それゆえ>>732は長州のフォローにはならない。 >>707
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだよね? >>733
下関戦争が始まったのは長州藩毛利家が徳川将軍家の家来だったころだ
幕藩体制なんてフォローする価値がないから明治政府が廃藩して近代化できた >735
つまり、>>734や >>729の、
幕府と比較して長州は無知だったという事実に納得したんだね? >>736
長州征伐より前は徳川将軍家と長州藩毛利家は主従関係にあるので切り離して比較できない
けど明治政府は徳川幕府と切り離して比較できる
そして明治政府より徳川幕府の方が無知だったのは明らかだ。 >>737 謀反を起こした無知家来でも家来だから、切り離さなくていいよ?
やっぱり、誰もが納得するほど、幕府より長州は無知・無能なんだねぇ。 >>738
そして長州征伐で
長州藩に徳川幕府が惨敗してしまったので
誰もが納得するほど、長州より幕府は無知・無能なんだねぇ。 >>738
明治政府は謀反を起こした慶喜・容保とその家来どもをちゃんと鎮圧したが
徳川幕府は長州に敗北し、徳川旧将軍家は反乱を起こした家来をちゃんと鎮圧できずに敗北した
明治政府より徳川幕府の方が無知だったのは明らかだ。 >739 ←間違い
ようは長州が、>>734や >>729のように愚かな事をせず、
テロリスト集団(長州)よりマトモだった、政府(幕府)の下でちゃんと仕事をしてれば良かったんだよ? >>740
「長州の攘夷」は日本の迷惑だったよね?(>>734 >>729) >>743
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだよね? >>742
「幕府の横浜鎖港」は日本の迷惑だったよね >>729
「無知な徳川幕府」が締結した改税約書は日本に不利だって理解できたのか >>741
不平等条約を結んだ幕府はマトモじゃない >>742
明治政府の条約改正は日本に有利だったよね 幕府は、無知な長州の攘夷よりはまともだよ。
1853年のペリー来航から10年もたった1863年、1864年に
木製のダミー大砲、火縄銃、槍、弓矢 を手に長州の攘夷が起こした、下関戦争の結果(>>719)
を見ても明らかように(不平等条約は勿論)武力衝突で植民地化される危機を日本は迎えていた。
長州のテロリズムは、質、量、共に(幕府と比べるまでもなく)幕末の日本で断トツで最悪だ。
そもそも、幕府の仕事と(それを受け継いだ後の政府の仕事を)直接比較する事は出来ない。
1853年・浦賀造船所創設・・・・→日本初のドライドック。後に住友重機械工業
1853年・鳳凰丸起工・・・・・・→幕末に日本で最初に竣工された洋式大型軍艦
1853年・石川島造船所創設・・・→(株)IHI(石川島播磨重工業株式会社)
1855年・長崎海軍伝習所創設・・→日本海軍で活躍する人材育成や、長崎大学の礎となる
1857年・長崎製鉄所創設・・・・→三菱重工業長崎造船所
1865年・横須賀・横浜製鉄所着工→日本最大の横須賀海軍工廠
幕末の近代化における幕府の貢献は、
「攘夷で開国反対」して日本の近代化を遅れさせた低能長州と比較すれば明らかに偉大だ 比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだ。 長州藩は5月10日に攘夷するという朝廷の意向と幕府の命令でやってるんで
勝手にやった訳じゃないからね
だから講和の際に幕府命令という文章出して外国が納得したんで >>752
幕府は、攘夷決行は諸外国と勝ち目のない戦争をすることになり、
その損害は計り知れないという趣旨の通達も諸藩に伝えていた。
無知な長州が(軍事のプロの端くれのくせに現実を理解できず) 攘夷で日本を混乱させた影響だ。
そんな長州と比較すれば、
攘夷より近代化(>>750)を始めにしようとした政府(幕府)のほうがマトモだよ。 >>750
単純に幕府の方が金があっただけだよ
幕府は800万石、長州藩はわずか36万石
国力差は20倍以上あったんだから >>754
金があってもこんな↓長州には、攘夷より近代化(>>750)を始めにするのは無理だった。
政府( 幕府 )→状況を理解し、近代化しながら開国。
テロ集団(長州)→状況を理解出来ず、攘夷で開国反対。
比較すれば、幕末最恐テロ集団(長州)より、政府(幕府)の方がまともなのは明らかだよね。 李氏朝鮮もフランス軍やアメリカ軍に攻め込まれながら攘夷を成功させてる訳です
しかも幕府は近代化してたはずなに、なぜしてないらしい長州藩に敗北するんですか? >>756
勝海舟や山岡鉄舟が幕府が制度疲労を起こしていることを理解して、
内戦の拡大を回避しようとしたから。 無知な長州の攘夷のせいで、
日本(政府)の近代化が遅れたからだと思います。(>>719) (>>753)(>>755)
そんな長州が、長州より明らかにマトモだった幕府の言う事を聞いて攘夷を改め、
日本(政府)の近代化政策を応援していれば、日本は悲惨な内戦をせずに済んでいました。 外国との戦争で無敗の明治政府とは大違いだな
無能な負け犬の徳川幕府って それらの戦争や幕末明治の内戦をわたって
イギリスから借金を膨大に膨らませてしまった
結局長州は第二次大戦における日本の破局の礎をつくったんよな 長州ヲタは必死でスルーしてるけどw
>>結局長州は第二次大戦における日本の破局の礎をつくったんよな >>結局長州は第二次大戦における日本の破局の“礎”をつくったんよな >>762-763
長州藩をつくったのは徳川幕府だから
日本の破局の礎をつくったのは徳川幕府ってことになっちゃうんじゃね? 長州ヲタは必死で誤摩化してるけどw
>>結局長州は第二次大戦における日本の破局の“礎”をつくったんよな 長州ヲタは必死でスルーしてるけどw
>>結局長州は第二次大戦における日本の破局の礎をつくったんよな >>697
石原慎太郎じゃの安倍ちゃん同様極左左翼じゃなぁか。しかも、石原慎太郎は、中国マネー献金で動きよる
米軍需産業ヘリテージ財団の糞丁稚でえ。あがぁな国賊からハガキが来て喜ぶ糞奴隷かいのう?
日本の最近の自称保守にほんまの保守なんかおらんし、国家社会主義労働者党云うナチスドイツ極左
社会主義系か岸信介、瀬島龍三元陸軍参謀殿やレフチェンコ事件で建前反共装いながらソ連のスパイと
バレた産経新聞の長州系ソ連スターリン派共産主義者くらいしかおらんわ。
ほんまの保守なら国民主権で権力者を縛り、国家権力の介入を嫌い、自国の政府も敵と見做すし、
ユートピアン自国美化せず、自国の歴史の悲劇性から楽観主義は採らんよ。
>>768
明治国家自体が左翼革命政権で、英米の保守主義のように自国の権力者を法で縛ることもせず、
権力乱用の好き放題ゆえ、明治日本と同時期近代統一国家と成ったドイツ、イタリアも自国の
権力者を縛らん左翼全体主義陣営ゆえ、戦争負組に成るんは当然じゃし、生まれながらの共産主義者の
長州人も大いに責任があるけんのう。 そのマトモだった幕府は多摩の田舎のチンピラ集団の新撰組に頼ってテロしまくった訳だ。 >>771
新撰組はテロをしまくるだけじゃなくテロの捏造もやってた >>711
幕府のお役人武士じゃの戦闘の役にゃ立たんけぇ、百姓の新撰組の方が少しはまし程度で、
新撰組も警察的集団主義の数の合理主義の人海戦術や、相手が太刀持たん状態、太刀持つと、
数の論理で主導権を保持した戦闘しか経験しとらんけぇ、劣勢の中から戦闘主導権奪うことが
勝負を決める戦場に投入しても役にゃ立たんよ。敵兵の斬り込み攻撃すら新撰組のもんは遁走するん
じゃなぁか。
何しろ戦場白兵戦は、個々人が相手見つけ、それぞれの標的と勝負する個人戦ゆえ、
警察的組織フォーメーションじゃの火力戦の時点で崩れた状態から最終決着勝負付けの白兵戦が
スタートするわけで、毎度の勝ちフォーメション組織構成で戦うて来た新撰組に崩された時点の
苦難な戦闘を経験しとらんけぇ対応出来んで精神的にもパニックで戦闘行動も緩慢となり、
戦場の錯誤の連続に精神的に自己克服出来んで敗北しか選択出来んようになるよ。組織的に精度の
高い集団組織ほど、その完璧主義からフォーメーション崩されたら脆い崩壊するけんのう。
個人の自己克服より集団の論理に逃げた頼る精神的弱さが戦場じゃモロに出るけぇのう。
まあ、新撰組もお役人の都の江戸のお膝元多摩川らしゅうて組織も杓子定規で柔軟性が無ぁし、
内ゲバ粛清、格差待遇と硬直お役人的性格組織しか作れんけぇ憐れなんよ。 >>772
長州がテロリストなら新選組はテロリストだよ
私のテロの定義は、民主的なプロセスと表現の自由があるにもかかわらず
その正当な手段を使うことなく、少数派が自分たちの主張を通すために
一般民衆を殺害し、その恐怖で世論を誘導しようとする行為、だな
幕末には民主的なプロセスがなかったので、どれほど攘夷が多数派でも
それを国政に反映させる手段がなかった。
さらに攘夷志士が行った武力行使は民衆を対象にしたものではなかった。
その点で彼らはテロリストの範疇には入らない。
安重根がよくテロリストと言われるが、民衆を相手にしなかったという点でテロとは言い難いし
当時、民主的プロセスが整備されていなかったという点でもテロとは言い難い。
単なる要人を殺害した犯罪者という位置づけにすぎないと思っている。 さらに、幕末における、攘夷派(主に土佐)が行った暗殺や
体制側が攘夷派に対して行った拷問は犯罪であったのか微妙なところ。
儒教倫理では天皇の意向に従うことが一つの大義名分になったのであって
その正義に従わない幕府の独断専行は咎められる不正ともみなされ得た。
だからこそ幕府は朝廷に大政委任の確認を求めたわけで
そうした当時の倫理意識を無視して、都合のいいところだけをつまんできて
テロリスト呼ばわりするのはレッテル張りと言われても仕方ない。 >>762
マジレスすると、第二次大戦を招いたのは政党内閣を
元老に代替する地位につけなかった当時の知識人、もっと言うなら
日本サッカーのワーワー状態で政党内閣に流れ込んだ反薩長勢力の無知さ
よく軍部の暴走と言われるが、暴走した軍部には東北出身者が多かったというのも
皮肉な話だ。むしろ薩長は全体的なコントロールをうまくしていたほうだったというね >>779
安倍ちゃん身内の山口県人の国際連盟脱退の松岡洋右の攘夷決行カルト部分をわざと
省かれてものう(笑)。今でも長州中華朱子学カルトの安倍ちゃん背後の日本会議の思想は
攘夷決行じゃし、世界を敵に暴発自滅したい久坂玄瑞並みの自虐願望があるんじゃし。 >>779
薩長閥が権力を失いたくないから、プロシア型憲法にしたのが軍部専制に繋がった原因でしょう
維新元勲が生きてた頃は軍部も逆らえなかったってだけで
薩長は米英型の民主主義は日本に合わんと民度がとか考えたけど、戦後民主主義を見れば普通に合った分けだし >>788
おいおい、幕府は天皇を弑するつもりだったのかよ 小栗は孝明天皇についてあんな馬鹿島流しにしろと言ってたね >>789
おっ、北京語ができないやつ銃殺っやつですな (><) >>760 確かにイギリスは上手くやったよ、明治維新。
「攘夷wで開国反対」とかいう無知な長州人を操り、
日本人同士の血み泥同胞虐殺(戊辰戦争)を実行させ、巨額のお金を搾り取り続けた。 ブリカスに踊らされたもんが調子こいても恥ずかしいだけやで? フン族にビビッてブリテン島に逃亡したグロサク蛮族はダサ過ぎる どちらにしろ
現在日本>明治日本>幕府日本だから
幕府が明治政府よりも良かったというのはあり得ないでしょう 明治の日本なんて今に比べれば民主主義でなければ国民主権もない
何も良いところないでしょ
単に専制政治の清やロシアに勝ったってだけで 昭和天皇 「民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。民主主義というものは決して輸入物ではない。」 >>801
より古い時代を遅れていると言うのはバカの典型だ。って知ってるかい? アメリカに押し付けられた憲法で世の中回してる現代日本に自主独立性があるのかという問題がな
俗に言うアメポチだ。アメリカの忠犬ポチ
この点、明治政府の方が優れてるんだよな
>>804
民主主義は、少なくとも天皇から下賜されるものではない
国民が自らの手で掴み取るものであって、それだからこその国民主権なわけで
お侍様に土下座していた百姓根性の日本人には到底無理な代物なんだよな また長州ヲタ?
前の時代を劣っていると喜ぶ白雉は
若い世代より自分が劣っている自覚があるんだろ? 薩長よりも幕府内部の無能の方が幕府内部の有能の足を引っ張ってる現実 徳川慶喜が小栗忠順をクビにしないで戊辰戦争を薩長とガチンコで戦ってれば確実に徳川の勝利で、徳川主導の近代化で史実より良い結果になってたよね。 >>795
日露戦争の戦費もイギリス、ユダヤ系資本で属国日本は駒として使われただけじゃし。
>>796
戊辰戦争で東北勢に押されよった長州、九州勢も褒められたもんじゃなぁで。広島の安芸神機隊のように、
白兵戦正面ガチンコ突貫で勝負付けせんかい。
>>803
権力者を憲法の鎖で縛れん専制主義、極左全体主義国家の日本、ナチスドイツ、イタリアら枢軸国は自業自得で
負けたよ。
>>806
明治政府は、マグナカルタ以来の王政の制御、近代においては、自国の権力者を憲法で縛ることを拒否して
後進新興国のプロシアのドイツ憲法真似た時点で昭和の自滅の運命は決定されたんよ。
イギリスやアメリカは自国の権力者を鎖で縛る憲法じゃけぇ、戦後の国民主権の憲法こそ、日本の近代化に
必須よのう。
>>810
小栗個人の戦術でどうにも出来ることじゃ無ぁし、慶喜は幕府の将兵見捨てて逃げた、旧日本軍の
先取りで、勝負の勝ちは既にのうなったんよ。あたぁ、どの期間持ちこたえられるかで、
箱根分断じゃの海上封鎖戦略も、現実に中山道も崩された陸戦で決まるわけで、旧日本軍的無能な
個別的焼き付け刀式対処法しか創案出来んかった小栗妄想理論は破たんしとるんよ。
小栗氏個人は、諸外国媚び諂いの維新高官と違い高潔な人格は認めるけど、所詮幕府上層部の
ボンボン文明人で、「文明は野蛮によつて滅ぼされる」荒業の戦闘も駆け引き主導権も感覚的に
解っとらんのよ。 >>808
幕末徳川は給料だけは高い旗本が足を引っ張って、
農民上りの臨時雇いが薩長と戦う構図だからな
ナマポの人権を守るために納税者の人権を侵害しまくる現代と同じ構図
歴史は繰り返すだね >>812
長州は大内時代から文明病で精神的に脆いけぇ自滅に導くわけじゃが、そがぁな処が偉大なら、
われも攘夷決行で自滅願望がある云うことか。
>>813
社会的底辺に残酷な社会が日本じゃし、社会的底辺の人ら人権を尊長せんと北朝鮮と一緒じゃのう。
まあ、古今東西足を引っ張ってオウンゴールさせるんは、上層部の方じゃのう。
>>814
生活保護されとる面じゃ旗本に成るのう。軍事動員としての名分生活保護しても、戦闘自体が
出来んし、経験が無ぁんじゃし。野外狩猟訓練も山麓野営も頻繁にせにゃあ擬似訓練にも成らんよ。
臨時雇いの農村新撰組も中山道(東山道)の甲州でも、狩猟慣れした丹波山国隊志願兵にゃ勝てんし。
世界的強兵や傭兵の産地が山岳、山麓の山がちな地域ゆえ、兵の質でも、関東平野お膝元の
幕府軍じゃ負けるし、地政戦略的にも、甲斐の武田や山越えの上杉に関東は蹂躙されとる不利な
蹂躙され易い地域じゃし、山から水が流れるが如く、兵力に押されるとどっからでも水が流れる
けぇ個別対処じゃ対処できん、地域云う地政意識すら欠如じゃ処置無しよのう。 >>780
調べてみたけど、新選組は白色テロに分類されてたよ 新撰組をテロリストって言ってる奴はさすがに薩長史観すぎるぞ >>806
明治憲法も権力者の伊藤博文が勝手にプロシア式を採用しただけで今の憲法と押しつけ度変わらないでしょう
憲法9条にしろ護憲派が多いから変わら無いだけで
それだけ支持を受けてるということで テロリズム
反対者(特に政府の要人)を暗殺するとか、国民を強権でおどすとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度。 >>820
帝国憲法は世界の憲法を参考にして日本に合うようにアレンジした最強憲法だよ。 >>822
薩長の権力者が権力保持するため独断で決めただけで、決めたのはプロシア行った伊藤博文だし
政党や世論が支持したわけでもないけどねえ
戦後の民主主義が合ってて、明治憲法が軍国主義に陥り合ってなかったのは
第二次大戦で分かってるし >>823
議会がまだないんだから国の権力者が憲法を作るのは当然だよね。
帝国憲法は戦前の軍国主義、敗戦のイメージのせいでよく悪く言われがちだけど、
日本が軍国主義体制になっていったのは政治家がちゃんと帝国憲法を守らなかったからであって帝国憲法が悪いわけじゃないよ。 >>819
調べてみたけど、新選組は白色テロに分類されてたよ >>824
統帥権があるから政治家が軍部をコントロールするのは無理です 薩長史観とか言い出す奴らの佐幕史観だの会津史観だのに染まっているというギャグ
中立は無いんですか? >>828
統帥権の独立っていうのは、有事の際に「敵が弾を撃ってきたので撃ち返しても大丈夫ですか?部隊が全滅しそうなので許可お願いします」
とかやってられないのでこういうときは軍の裁量に任せるというもの。
当然だけど何をやっても良いわけではなく規律や事前に決められてることが絶対なので暴走するのは普通ならありえないです。
もし統帥権を悪用して軍を勝手に動かした場合は死刑です。
統帥権を悪用した軍を総理大臣裁定で許してしまってるので政治家がダメダメなんです。 >>815
丹波山国は、持明院統の光厳天皇陵があり藤原氏西園寺家とのつながり深い。
山林での材木切り出し作業を生業としているため、銃の扱いは得意であった。
戊辰戦争では鳥取藩士としての身分で参加し、明治期に士族となっている家もある。
彼らは鳥取藩の俸禄は得ていないが、西園寺公より山林地主としての権利を受け継ぎ
遠征費を材木伐採で補填した。
成功報酬として立木を貰ったが、参加したころは手弁当での参加なのが謎だ。 >>820-822 >>824
プロシア憲法や明治憲法の自国の権力者の権力乱用を許す憲法と英米同様の戦後憲法は自国の権力者を
鎖で縛ることじゃけぇ雲泥の差があるし、プロシアや明治憲法と価値観共有しとんは、中共や北朝鮮の
極左国家か、安倍政権と背後の長州カルト日本会議じゃけぇ、日本の今の政権は、西側自由主義圏から
離脱したい意図丸出しじゃのう。
32 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/29(月) 21:30:46.49
先生、憲法改正についてはどう思いますか、
33 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2016/08/30(火) 00:50:50.71
>32
今の民主主義憲法の大筋は守るべきで、憲法改正、特に民主主義を破壊する自民党創案にゃ当然
反対ですよ。
そもそも憲法たぁ、自国の国家権力者を縛るもので、全体主義のように国民に義務を強制すべき
もんじゃ無ぁですし。
アメリカ第三代大統領・トーマス・ジェファーソン氏の 、
「自由な政治は信頼ではなく警戒心によって作られる。もはや人間への信頼を語るのはやめよう。
悪さなどしないよう、権力者を憲法という鎖で縛るのだ」
権力を得るものは大抵人間の欲望が強うて堕落しとりますから、信頼しちゃいけんし、警戒すべき
存在ゆえ、憲法で縛るんですよ。 >>832
広島は将兵が薩長たぁ有能じゃし、因州鳥取藩、山国隊も兵の質じゃ広島たぁ劣るけぇのう。
{02 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2013/11/28(木) 01:57:38.57
実際、相馬方面でも広島の神機隊は最強じゃったよ。緒戦からして、7月23日〜26日に至る、
広野の激戦で神機隊は、 44名の死傷者 (死者十数名)が出とる。8月20日、士官以下軍夫計
193名の派遣となった訳じゃ。緒戦に犠牲が多いんは、戦場の常であるが、 広島神機隊は、
「7月24日、賊の砲台を突貫し、抜刀攻撃で縦横に斬殺し、我兵遂に先登、広野駅を占領。
ただし神機隊の進撃が激しすぎるため、総督府より、「進撃すべからず」の命が伝えられる。
25日朝、 敵兵は広野北西本通から、戦いを挑んで来たが、そのつど撃退。前線の芸州・因州
あわせて六百数十名に対し、同盟軍は十数倍に近く、入れ替わり新手の兵を繰り出し猛烈な反撃を
開始した。26日、因州兵が後退したため、神機隊は孤軍奮闘となった。しかし新たに戦線に
投入された長州、岩国の兵約400名が海上より広野海岸に到着。海岸寄りに対峙した敵に
攻撃をはじめた。その機を失せず、神機隊は左翼に対峙していた米沢藩の部隊に突撃し、敵砲台を
奪取した。奥羽同盟軍は広野を完全に放棄し退いた。」
広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍諸藩兵がその無暴を嗤笑する中、
「剣を抜き吶喊して突撃を為し、躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は
死屍を捨て 遁走せり。」 四日後は駒ヶ峰奪回をはかる奥羽同盟軍が大挙襲来し、
「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に撃退し、」
「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等
激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。 其の軍事上の好機を
致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。 }
まあ、東北兵に苦戦して泣く長州や九州もおるし、特に砲台奪われて逃げた福岡藩は恥よのう(笑)。 >>833
事前に決まっとっても、有能な前線将兵の判断じゃのうて、無能な高級軍人の裁量で決められるけぇ
駄目なんよ。無能な高級指揮官に云わせりゃあ、前線将兵が勝手に戦闘するゆえ、暴発止められる
ことが出来んわけで、「我が郷土師団の武勲の伝統を壊すおつもりですか?」と下から突き上げ
られるし、神輿を強要されるわけで、現地の高級指揮官は自己の無能さを棚に上げても、中央
大本営の無能な作戦指導じゃ駄目じゃと、中途半端な立場にあるわけじゃし。
そもそも、日本に大組織の指導系統なんか無理じゃし、>>836のように広島なら伝統の広島
らしい地域特質戦闘をやるわけで、お馬鹿な指揮系統に従う自滅なんか到底受け入れられんし、
郷土の伝統的な狭い山がちで、平野部の少ない土地柄で伝統的に受け継がれた距離を詰め、白兵戦で
勝負決めてた方が敵さんも火力戦や包囲殲滅戦よりも勝負付けが出来て、戦闘主導権が奪えるわけ
じゃけぇ、長州や九州の弱兵供が無暴でも、わしら広島んもんなら当たり前の判断じゃし、
九州薩摩の釣り野伏せりのオカマ包囲圏滅の女々しい尻のオカマ掘る戦法じゃの敵さんに背後、側面から
やられて負けたじゃ、精神的ダメージに成らんし、無謀な正面白兵戦で勝つことで精神的優位主導権を奪取
出来ことすら理解しとらん他地域のお馬鹿部隊と一緒に戦わせ、足を引っ張られ、援軍の泣き入れて
くる九州兵団との共同戦じゃ迷惑じゃし、広島部隊にとって足を引っ張るんは、他地域兵団、融通の効かん
神輿に担ぎあげられとることも認識出来ん、高級軍人や中央の大本営で苦労の負担が広島将兵に後ろ玉の
足引っ張るんじゃけぇ。 >>834
山林での材木の伐り出しも、山岳訓練にも成るし、山麓の地域に狩猟は欠かせん軍事訓練にも
日常から成っとったわけで、平野部の人間とは、育ちが違うよ。手弁当とか、給与が武勲で成されても、
自分の自信を実際にゃ弱い権威の象徴である幕府軍相手に求めたいわけで、広島県でも幕府軍が
長州征伐で進駐した海田じゃ、幕府軍が帰りしな瀬野川登る幕府軍が海田土民兵の遊び半分に
襲われ、隊列乱し対処出来んかったことから、散々馬鹿にされたけぇのう。
西日本じぁ幕府軍弱兵概念の庶民の空気が畿内まで伝わると、そりゃあ虚勢権威だけの存在が
バレるよ。張り子の虎よのう。 >>833
指揮系統の上位下達の英国軍下級将校たぁ、日本の神輿担ぎの方が強みな面もあるよ。
下士官、兵レベルじゃ日本兵は西洋の下級士官や兵よりは、かなり強うて有能なわけじゃが。
日本は下級指揮官の尉官クラスでも、西洋たぁレベルが高い。
マレー戦で越智春海氏と英軍の捕虜ゼームスとのやりとりでも、
「ほう。野砲と重砲を四、五十門並べてセレター軍港を破壊しておかないと渡河はむずかしいねぇ」
と、私が言った。
ゼームス「日本軍では、そういう軍司令官クラスの考えることを、少尉までが考えるのか」
越智「将校はみな戦術をやるからね。僕らは大隊長まではやれるよ。まさか、連隊長までやるような
ことは、ないからね」
ゼームス「ほう! 我々は、小隊長は、小隊長のことしか知らないのだ。中隊長になるためには、
そのための教育を受けなきゃならないのだ。それで指揮官が戦死すると、さっぱり後の収拾の
つかないことが多い」と、
階級社会の西洋じゃ、下級指揮官の尉官クラスでもレベルが低い。逆に日本は佐官以上の上層指揮官
は無能でも、前線下級指揮官将校からベテラン下士官、兵卒まで上層指揮官クラスの状況も
経験戦闘から全体的に把握する能力も持っとる。日本全部じゃ無うても、少なくとも広島師団に
おいては。 >>838
丹波なんか狩猟なんて生易しいもんじゃないよ。
マスケット銃使っていたのは、材木伐りやるのに邪魔なニホンオオカミ退治が目的だから。 >>840
西日本においては、猪を指標とする狩猟の伝統があるし、丹波も例外じゃ無ぁよ。 >>841
北桑田の民は、藤原北家の狩猟遊びに、勢子(せこ)として駆り出されてたので兵士としては強いだうな。
むやみに天皇家や摂関家が主の森林で狩りをすると、遊びに来た時に獲物がとれんと困るんだ。
武家政権時代には森林は北朝系の天皇家・藤原家のものだったので、信濃の木曽みたいに御料林になっていたかもしれんけど
森林の中心地芦生は京都大学演習林になったほか、戊辰戦争の報酬で杣人に払い下げになった。 入会権を奪われていた京都山地の鬼の子達が、江戸幕府側のサムライや東北各藩のサムライを狙撃してしまうんだから、下剋上だよな。 尾張藩の木曽が明治以降御料林になってしまい、入会権をはく奪されてしまったのは、島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
西吉野の天誅組の背景にも天領が絡む山林の利権の話があり、平地の人には理解しずらいものがあるわな。 幕府寄りのへっぴり弱虫彦根藩が、天誅組を捕縛できたのはなんでなの? 広島バカが侵入したからにはこのスレは枯死したも同然 岩瀬と勝は優秀だったが、小栗なんてただの売国奴やろ。 >>843
戦闘上手の基本は狩りの狩猟じゃけぇ。薩摩島津家でも軍議を「狩相談」と呼んだし、
戦争も狩猟の延長行為の面が強い。
>>844
本職の狩りのプロが、狩りなんか江戸初期くらいまでしかせんかったお役人子弟の武家相手
じゃけぇのう。まだ東北将兵は田舎者ゆえ、狩り馴れしとるし、足腰が強いけぇ、関東のお役人武士
ほど貧弱じゃ無ぁけどのう。やっぱし奥羽越相手じゃ関東勢と違い官軍はどこでも苦戦しとるし、
薩摩勢は越後の長岡で食い止められるし、熊本や福岡の参加した >>836の相馬口でものう。
特に福岡藩はボロ負け反攻占領され砲台を敵さんに奪われたけぇのう。まあ、戦闘のプロの広島県の
安芸神機隊が無謀な正面激突白兵斬り込み攻撃で敵陣を占領して取り返してあげたよ。兎も角距離が詰められ
りゃ広島勢に勝てるもんはおらんし。
>>848
天誅組みとうな、政治テロ連中は妄想正義感で精神も狂うて軟弱じゃけぇ戦さなんか出来んよ。
戦さも基本的に好きこそ物の上手じゃけぇ、戦闘駆け引きを愉しむ心が無ぁと駄目じゃ。
>>851
愛国者云う意味じゃ小栗さんと並ぶもんは幕府内にも、武器の商人軍需産業のアディソン商会に
日本を売り渡した薩長にもおらんじゃろうのう。
アメリカ行っても小栗さんだけは卑屈にならず堂々としとられたけぇ、アメリカ人からも
尊敬されとるよ。その小栗さんも日本の上層部の例にもれず、戦さは下手じゃがのう。 むかしのあいどるのうた ちがくしてるのかとおもった たいへんだなーで 天誅組は、十津川の住民を動員したから白馬青牛理論では強いはずだがな。
どこかでついていけなくなったんだろうな。 >>854
どっちが朝敵か、疑心暗鬼の十津川郷士を吉村寅太郎が脅迫で集めたんじゃし、
反逆扱いで十津川庄屋の玉堀為之進が斬首されたわけじゃけぇ、戦意も天誅組に義理立てする必要も
のうなったろう。最初から天誅組と十津川郷士にゃ衆心一致も無かったけぇ、雑軍での戦い方に徹し、
天誅組が狂信的に戦うても、見学して加わらず、敵が踊り出ては引き、十津川郷士の兵員の命を
無駄にせん戦いしかやらんよ。まあ、天誅組の中でも十津川兵へ泣きを入れて来るもんがおったら、
敵中の一角を崩して助けてやる武士の情けはあったろうけどのう。まあ天誅組の戦さ下手見て後で、
笑い話のネタにもなるんが十津川兵らじゃったろうて。 中山忠光は、西吉野の五條では笑い者なのに、全国区では名誉回復されてるからヤラしいな。
十津川兵は「雑兵」扱いされたままじゃし。 そりゃ中山忠光は明治天皇の母方の叔父ですしお寿司
それにしても、忠光の父の中山忠能は既に失脚中だったが、
皇太子睦仁親王(明治天皇)は、よく連座せずに済んだものだな
幕府が皇太子をすげ替えてもおかしくなかった >>851
孝明天皇すら「言う事聞かないなら承久の乱のようにするぞ」と
兵器で脅していた小栗が政権中枢にいたら、天皇家は断絶していたかもね >>857
孝明天皇の男子で生き残ったのが明治天皇ただ一人だけだから
交代させようがない
孝明天皇自身は公武合体派で幕府の存続を望んでおり
幕府は孝明天皇と敵対するつもりはなかったし >>859
無理やりだが、宮家の親王に皇位を継がせる方法はあるにはある
では、なぜ外祖父の家が中山家にもかかわらず、睦仁親王は明治天皇になれたか?
@孝明天皇の血を引いた男子が睦仁親王だけだった
A皇太子を廃することで、せっかく会津や一橋に心を寄せている
公武合体派の孝明天皇の信頼を裏切りたくなかった
B孝明天皇がまだ若く、すぐに崩御するとは想定しにくかった
C皇太子を廃することで討幕派に大義名分を与え、
幕府が輿論の支持を失うことを恐れた >>860
明治天皇が中山忠光と行動を共にしたとかならだが
外戚が問題起こしたら問答無用に廃太子ではないよ
それに明治天皇は儲君に立つときに
孝明天皇の女御・九条夙子の「実子」となり
公的には九条家の外孫という立場だった
あと明治天皇は即位前、立太子の義を行っておらず
皇太子になったことはない
次期皇位継承者として「儲君」という立場だった >>856
お公家さんは、逃亡将軍慶喜さんや昭和の高級軍人さん、現代の政治屋さん、
官僚お役人さんら同様、日本の上層部の多くの人らと同様、自分は責任取らんし、
責任を取らせトカゲの尻尾切りする人種じゃけぇのう。名誉回復なら現代の長州系の
靖国カルトらも同様。そもそも衆心一致が無ぁと戦さは負けじゃ云うことを
理解しとらんのじゃけぇ。
>>859
明治天皇がほんまに孝明天皇の子かどうかも、解らんし、証明出来る手段も無ぁわりけで。
昭和天皇が大正天皇の子で無かった可能性も強いし、家の継続はそもそも血統の継続と違う
わけで、昔の王朝時代から、権力婚姻氏族の母親の子であれば、余所の密通の種で、
権威の王様の子であらずとも、権力集団に欲しいんは権威の種じゃのうて、
権威の家の継続じゃし。 >>859
https://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/50255266.html
「河野司は二.二六事件に関与して自決した河野寿航空兵大尉の兄にあり、
『二・二六事件 獄中手記・遺書』など関連の出版物を多数出している方。昭和49年の
暮れに笠原は街でばったりと河野氏と会った。そのとき、河野氏は興奮気味で話し
たいことがあると笠原をバーに誘った。
その店は軍関係者の出入りする「潜水艦」というバーです。
「実はいま東久邇(宮稔彦王)さんに会ってきたんだが・・・」
河野氏の興奮は東久邇宮から2.26事件の真相を聞いたことからです。二.二六事件は
壬申の乱だったと。
その発端に大正天皇に子供を生ませる能力がないことに危惧して 貞明皇后に
何人かの男をあてがった。つまり、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮は
大正天皇の子供ではない。そして、貞明皇后は次男の秩父宮とその父を愛した。
このエピソードは太田出版の『昭和の劇』のなかにあります。わたしがこの話に
信用性を感じたのは 笠原和夫、河野司の人となりと第一情報ソースが
東久邇宮稔彦王という点。」 >>859
笠原和夫氏は「昭和の劇」で、
「大正天皇は生殖能力(子供ができなかった)に問題があったそうです。そこで
貞明皇后に何人かの男性をあてて子供を産ませた。昭和天皇、秩父宮、高松宮、
三笠宮。皇后は二番目の男性を愛し、秩父宮を溺愛したのだそうです。」
「結局、二・二六事件というのは壬申の乱だったんだと。つまり大正帝に子どもが
できなくて、貞明皇后に何人か男をあてて、それで子どもを生ませていったと言うんだね。
「だからあの兄弟は顔が違いますよ
それで貞明皇后なんだけど、女というのは最初に押しつけられた男というのをイヤがりますわな。
それで、ものすごく長男……裕仁さんに拒否反応を持ったらしいんですよ。それで秩父宮さんを
溺愛したらしいんです。だから、貞明皇后としてはなんとしても裕仁さんを外して、第二子の
秩父宮を天皇の座に 送りたいというのがあったんですね。それを画策したのが山県有朋でね。
だから、 昭和天皇の妃を決定する際、色盲問題があったでしょ。
−宮中某重大事件ですね。
笠原:そう。それで結局、山県は宮中クーデターに失敗したわけだよ。』
まあ、貴族社会は世界的に不倫社会じゃけぇ、どこの王室でも父系は、継続されとらん
可能性が極めて強いよ。「とはずがたり」の場合は逆バージョンじゃが。
宮中某重大事件(昭和天皇のお后問題で山県有朋の失脚に発展)や二.二六事件は
ここから生まれるのだと。 藤原信頼はバトルに参加したうえで、首切られてるから、平家物語の頃は、上級久家もガチンコだったのだな。 幕末の幕府って有能だったのか
結局外圧で滅びて、将軍は大阪から妾連れてさっさと船で逃げ帰っちゃうし
なんだかなーという印象
それより、三百年の鎖国で平和というのは世界的に見て功績なんだろうけど
鎖国自体が統治のためのチートな手段であって
その遅れを取り戻すために近代の日本は地獄見てる
これもまた、なんだかなーという印象 >>868
鎖国のおかげで平和ってなんか憲法9条のおかげで平和って言ってる人みたい 徳川幕府の外交
・オランダの砲撃で鎖国
・アメリカの砲撃で開国
幕末の徳川幕府の外交
・不平等条約を改正できず
・対馬侵略に対してイギリス軍に完全依存 江戸時代初めの頃の日本は世界でも有数の強国で鎖国はいわゆる武装中立。
鎖国で布教してくるカトリックとは関わらないって感じだったけど
時が経つにつれプロテスタントまで拒絶しだして完全な引きこもりになって文明が遅れてしまった。 白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
この人が来るとスレが終るよなぁ >>866
藤原保忠(890〜936) 上級貴族
近衛大将だったときの話。馬に不馴れなため落馬し冠を落とし恥をかいた。
(古事談)
清原元輔(908〜990) 中級貴族、三十六歌仙の一人
賀茂祭りの行列では落馬し、冠が飛んで禿頭をさらけ出した。
しかし泰然自若として、「笑ってはいけない」と説いてまわったので、見物人たちは爆笑した。
(今昔物語集、宇治拾遺物語)
藤原信頼(1133〜1160) 上級貴族
乗馬に不慣れで 落馬し、配下の義朝に「日本一の不覚人」と罵られた。
(愚管抄、平治物語) 今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の関東の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。
敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。
関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語) 流鏑馬は、記録にも実演にも残っておるな。
投げ槍も馬上から、可能だ。
明末の秀吉戦争にも登場する。 皇族が軍閥化すると必ず謀反扱いで暗殺されるので、南北朝のバトルが最後だろう。 >>877
江戸時代初期、後光明天皇は武術が好きで常に内裏で刀を振り回していた
京都所司代・板倉勝重がこれを咎め
「天子の務めは学問です。このような物騒なことをなさるようでは
私は江戸への責任を取って腹を切らねばなりませぬ」
と忠告した。すると後光明天皇は
「朕は武士の切腹を見たことがない。今、ここで、切腹して見せよ」
と言った >>869
憲法九条は、保守すべきじゃろう。日本は未だに国連の敵国条項国じゃし、世界中から
敵国と認識されとるし、先の昭和の戦争の前例を世界は忘れとらんし。
>>871
今は宗教団体の内政干渉に日本はさらされとるけどのう。長州血流のバックにゃ、
カトリックでもナチスドイツや枢軸国親派じゃったイエズス会系
ジャパンハンドラーらがおるし、プロテスタントでも米国や朝鮮半島系の
反自由主義神学派の原理主義福音派もおるけぇのう。
>>873-875
平安期の公家さんたぁ、お笑いロデオでお馬さんに乗せられとる関東武士の方が憐れよのう。
石橋山合戦の佐奈田与一義忠のように馬が勝手に暴走し馬を制御できず敵さんに
討ち取られるレベルで、まだ京都赴任で騎馬習うた「京畿の輩」の方がましじゃろうし、
後に西行の弓馬談義をテキストとした関東武士じゃ程度が低過ぎるよ。 >>873-875
水野祐氏も、独立守備隊の従軍経験で、隊が騎馬隊を編成し、敵に包囲殲滅された
経験から 「落馬する兵、馬を逃がす兵、もう混乱しちゃって、敵の一斉射撃で全滅し、
二度と騎馬隊はつくられませんでした。なにしろ向こうの騎馬の連中は、裸馬のような
ものにまたがり、後ろ向いて銃を構えて正確に射って来るのです。小銃で。
日本の騎兵はあんなこと出来ないです。あんなものには絶対かなわないと思って
みていたのです。」
カザフ人は、水野氏の独立守備兵が騎馬戦でやられたモンゴル人以上じゃ。戦時中
日本のスパイとして潜行した西川一三氏によると、馬歩芳 (青海省国民党軍、回族で、
後に台湾に亡命し、中華民国のサウジ・アラビア大使となる。)軍に参加しカザフ人
討伐に参加したモンゴル人が、
「ハサク(カザフ)の奴、老幼婦女子を先頭に逃がして、男達がこれを守りながら
脱出しているのを追撃するのだが、馬術、射撃上手、精悍な彼等には、さんざん手を
焼いた。馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて走って発砲して来る。馬を倒すと、
後ろから近ずいた味方の馬にヒラリと飛び乗り、ふたり乗りで逃げる。先駈けした五、
六騎が思わぬ方向から死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体に近ずくと
倒れた馬を盾として、ひとりのハサクが犠牲となって残り、死ぬまで発砲して、私達の
追撃をひとりでくいとめ、逃げて行く一行を私達から遠ざけながら死んでいく。また
前の一行に近ずくと、ひとりが犠牲の盾となる。銃声の音がしなくなり、近ずいて
みると、彼の体は蜂の巣のように射ぬかれていて、実に勇敢というか恐ろしい奴だよ。
さらに男だけでなくハサクの女も、実にしぶとく抵抗して、奴等は人間ではないよ。
としきりに 彼等の勇敢さを恐れると共に、彼等の勇敢さを讃えていた。」 >>875
まあ、騎馬民族系末裔のお公家さんでも、日本化し騎馬下手で駄目じゃし、関東ロデオ
お笑い武士団じゃ騎馬の組織運用なんか無理じゃけぇ、文禄の役で騎馬民族系と戦うて
来た遼東軍に関東武士が騎馬戦で挑んでみんさい。加藤・小西の熊本勢以上の大潰走
一方的大敗北しよったろう。騎馬も歩兵も対外戦争で一番弱いんが関東地方の兵隊よ。
関東勢は戦闘は弱いが現地市民にゃ強いけぇのう。
麻布暴力団と名高い東京101D坂田甚蔵氏も、
「私らの部隊は、戦闘では弱いけど、悪いことでは天下一品だった。だから鬼部隊と
呼ばれてね。 街に入ったら強い。なにしろ略奪や強姦はお手のもので」
まさに鬼部隊(中国人の鬼概念は、勇者じゃ無ぁ不吉な災いをもたらしてくるんが鬼)
よのう。 現代の騎兵は、衛星通信のサポートを受けて、航空機による補給や空爆を支援してもらった上で、地上戦で拠点の制圧や代表者の拘束が役目であろう。
それでも、アメリカはサダムフセインやウサマデデビンラディンを拘束するのに手間取ったわ。 >>882
装甲車時代に成ってから、騎馬はほとんど用を成さんように成ったけぇのう。
敵さん拘束なら特殊部隊の方がええし。地下壕なら見つけるまで時間がかかるよ。 専制国の軍はあんまり強くない
日本に併合された朝鮮や大国の割に列強に進行された清
日本は半専制民主くらいだったので朝鮮や清より強かった
マジもんの民主国のアメリカには勝てなかった >>884
ベトナム戦争でアメリカはベトナムに負けた 幕府は無能やな
幕府は究極的に幕府体制、体質を徳川が公武合体で政府権限を移して幕府を止めるから
維新連中が公武合体なし維新政府作るかだった。
結局幕府自体は完全に両陣営から見限られて「どちらにせよ」江戸地方府にとどまる予定だった
大久保なんかは「究極的に徳川が存続しようが、江戸300万石放置でも構わん」って方針
ようは公武合体派も維新政府派も幕府は見限ったが地方府で弱体化して、外交権限止めればいいだった >>885
負けたというより
アメリカの世論が無用な戦争を止めさせたという感じだろう
負けたと言ってもアメリカがベトナムに攻め込まれる状態でも何でもなく
戦死者もベトナムとは桁違い >>884 >>885-887
兵隊の強さなら中国兵や朝鮮兵の方がアメリカ兵よりは強いし、韓国兵もベトナム戦争
参加軍のなかでも最強じゃったよ。韓国兵>ベトコン>>>アメリカ兵じゃったし。
民主国でも、戦さで現地住民虐殺じゃの現地民を慰撫せんかったら、侵攻は速度の
法則から外れ、長期泥沼戦になると地元優位で勝ち目は無うなるよ。侵攻軍が装備が
優ってとる分撤退時期が遅うなるだけで、文禄慶長の役や日華事変の日本軍も、
ベトナム戦争の西側軍も勝ち目は無うなったんよ。ほいから、旧日本軍にベトナム戦争の
ように徹底抗戦は先の大戦のアメリカ軍にゃ出来んよ。沖縄ですら、日本軍の方が
沖縄人を殺しとるし、住民虐殺しとるわけで、内地の本土日本で地上戦闘しても、
日本国民の生命と財産は自国の日本軍によって奪われるわけで、家屋は壊され木材は
日本軍の野営の燃料に徴発され、日本軍撤退の時は時間稼ぎの前線に配備され敵さんの
砲撃や装甲車の生贄強要されるわけで、南方戦線で自国日本兵大量が餓死させる
世界ワーストの日本軍じゃ自国の兵や国民に情愛が無ぁけぇ、どこと戦うても
負けるよ。アメリカ兵が日本の子供にチョコレート食わし、子供が喜んだ時点で
勝負はあったし、逆にアメリカはベトナム戦争じゃ長期厭戦気分で現地民殺戮で
自滅し、今でも装備物量圧倒的な中東でも勝ち目が無ぁ戦さに軍需産業利権の為に
邁進しとるけえのう。物量叩き込んでも、現地民から憎悪されたら勝てんよ。 花火って広告効果が乏しいから最近協賛金があんまり集まらないんだって。
ポンポンとたまに打つ弾が無いのが玉に瑕。 大雨降っても打ち上げ強行しちゃうんだよな (´・ω・`) >>888
軍としてはアメリカが最強じゃね
第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と死傷者が桁違いに少ない 安芸/広島県の在来馬 貧弱 ※全国的に見て低評価
安芸/広島県の武士 貧弱 ※全国的に見て低評価 >>892
第二次大戦じゃ、アメリカ軍よりイタリア軍の戦死者が少ないけぇ、イタリアが
最強候補にならんのか? ほいで連合国側でもイギリス軍やフランス軍よりも
アメリカ軍の戦死者が多いいし。
>>893
まさか、斎藤実盛自身は云うとりもせんじゃろう捏造話を信じとんか?じゃが、逆に
東国武士が弱かった事がバレる位一文の自爆話じゃし。
「親も…子も討たれよ、死ねれば乗り越え乗り越え戦う候」勇猛ぶり示したいが為の
虚勢文が、連帯感も無ぁ弱い東国武士の実態じゃったことがバレバレよのう(笑)。
関東兵は新撰組のような粛清、隊士の規律違反すらリンチ殺人する体質ものう。
伊藤桂一氏はご自身の関東兵団を「あくどくはないにしても、底に人情が通うという
こともない。」と、されならが、関東地方兵団の駐屯地での初年兵教育のジゴキで、
死者や半身不随者続出を「これではまるで初年兵を殺すために教育しているような
ものである。残酷であるーと思われるかも知れない。しかし、一歩駐屯地を出ると、
そこでの状況はさらに残酷であった。どっちみち初年兵をいたわって教育してみても
戦闘へ出せば、みるまに死んでゆく…何度補充をもらっても、死ぬのは初年兵ばかりで、
生き残った者だけが、精鋭としての道をたどる。そのような初年兵は教育では絶対に
音をあげないのである。弱者必滅の深刻な心理だけがそこにあった。すさまじい
自然淘汰なのである。」と、関東式自然淘汰、弱者必滅と残酷さを肯定されとる。
関東は昔から土地争いの土地柄がそうさせたんじゃろうけど、淘汰精鋭を作っても
こういう部隊は、広島部隊から見ると弱い。 >>893
伊藤桂一氏は、「広島編成の部隊は、もっとも人情味に厚い連帯感を持っているが、
そういう連帯感に支えられているからこそ、思い切きった挺身行動(遊撃特殊部隊
隠密忍者行動ゲリラ戦)できるのである。」と云われながら、広島編成部隊は、
「負傷者はつとめて救出したが、一個分隊十名で行動したとして、もし一名の負傷者が
出た場合は救出収容すると担架係に四名とられる。すると残こされた戦闘員は半数に
減ってしまうのだ。さらに一名負傷者が出たら戦闘員はいなくなってしまうことになる。
だが、救出された負傷者の身になってみれば、戦友の愛情、郷土兵団の気質に
泣くだろう。そうして再び善戦すべき決意を固めるだろう。同時にその思いは、まだ
負傷していない分隊員たちにも、共感として伝わるはずである。こうなると負傷者の
処置に対する考えはむつかしくなり、軽々にその功罪を論じられなくなる。要するに
その兵団の気風によって解決すべき問題であるといえよう。」
広島の部隊は負傷者収容しても、残りの一名は淘汰精鋭の関東兵団より遥かに精強じゃし、
孤立した陣地でも命令を待たず自己判断戦闘行動出来る個々の戦力が比類なき
防禦戦実績にも成ったし、戦闘を愉しむ駆け引きの戦闘上手さといい、東国兵たぁ
レベルが違うよ。しかも完全不利な戦闘でも関東兵のように深刻で必死にならんけぇのう。
広島の兵隊は明るいゆえ、[必死の顔をする者は 一人もいない。熱心に聞いてはいるが、
笑い話が混じるので中隊長の方が戸惑う。大した連中が 揃ったものである。
これなら戦える、勝てる!
今ここで、「あと四十時間余りしかない」といったら、「あと四十時間余りも
あります」と笑われる であろう。…堅いことばも、この連中には必要ないのだ。と、
この場で悟った。 」 スレが死んでしまう流れ
ボチボチと議論がある→白馬青牛 ◆sKm0uQPecU がやってくる→乗っ取られる→人がいなくなる
→スレが終る→自尊心と虚栄心の強い白馬青牛 ◆sKm0uQPecU はまた人のいるスレを探してやってくる
→乗っ取られる→以下endlessループ それでも広島有能スレって、継続しているね。 (^^) 株式会社アーネットは不動産業や家賃業をしているが裏では架空請求メール業や違法金融業をしている。株式会社アーネットからメールや電話着ても無視するか警察に通報して。株式会社アーネットの悪行は株式会社アーネットでググればたくさん出てくる。 ▽幕末著名流派別最強剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
中西子正【東京都千代田区、中西派一刀流】
寺田宗有【東京都文京区、天真一刀流】
白井亨【東京都千代田区、天真白井流】
高柳又四郎【東京都、戸田流高柳派】
千葉栄次郎【東京都中央区、北辰一刀流】
浅利義信【千葉県松戸市、浅利派一刀流】
伊庭八郎【東京都台東区、心形刀流】
樋口定伊【群馬県高崎市、馬庭念流】
岡田十松【埼玉県羽生市、神道無念流】
比留間与八【埼玉県日高市、甲源一刀流】
近藤三助【東京都八王子市、天然理心流】
上田馬之助【東京都中央区、鏡新明智流】
岡田惣右衛門【埼玉県幸手市、柳剛流】
加藤田平八郎【福岡県久留米市、加藤田神蔭流】
大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
村上亘【茨城県笠間市、示現流】
大山綱良【鹿児島市、薬丸流】
関東と九州以外は雑魚 >>893
>>894のように関東の兵団は淘汰して初年兵を殺しても戦力を持つ兵士に育てる気が
無あ。広島部隊なら敵さん布陣からそれぞれの銃の填装数、距離の詰め方まで具体的に
説明して戦さ上手になるように育てるけぇのう。
広島第十一聯隊の戦場の回想録。
『二◯◯正◯氏の回想(第十二中隊)「我々の分隊長は常日頃我々補充員を教育した。
「ええか。よう覚えとけ。お前たちの家族は一日も早う無事でお前たちが帰還する
ことを神に祈っとる。強姦するな。強奪するな。住民を殺すな。 これだけ守って
くれたらお前たち全員を内地に連れ帰り、家族に引き渡す 責任が果たせる」
彼は又戦闘の名人であった。突撃になっても鼻歌交じりで あった。初めて戦闘を
体験する我々から見るとその動作は神業のように思われた。
「重機があそこにおるぞ。チェッコはあそこじゃ」と敵の布陣を指摘してくれる。
「どの銃でも一回の装填数は決まっとる(重機関銃は九十発、チェッコは三十発、
小銃は五発)打ちつくしたらパタッと止む隙間がある。 どの銃でも新しく装填を
やり直すまでには少なくとも五秒はかかる。その間を狙って走れ。どんな鈍足の
主でも二十メートルは走れるはずじゃ。』
広島部隊のように、戦闘の愉しさを教えにゃ兵隊は育たんよ。結局、好きこそ
物の上手じゃし。関東兵のように必死で深刻な顔して陰惨な淘汰して生き残った連中も
逆境に精神的に自滅する弱兵集団にしかならんのにのう。 >>904
道場スポーツ各格闘技にゃ強うても、路上の戦闘にゃ弱いもんがほとんどじゃし、
幕臣の今井信郎氏も素人より免許の道場のプロ斬る方がはるかに簡単云う通りよ。
関東と九州?九州の方がまだ戦場じゃ役にゃ立つけど、勢いが止まり膠着したり
正面激突にゃ弱いよ。じゃが九州兵と関東兵は残酷さの「鬼」で共通しとるのう。
>>881に戦闘は弱いが街での強姦にゃ強い麻布の鬼部隊、九州は熊本部隊、
鹿児島部隊の「赤鬼」熊本師団がおったし、久留米師団も含め強姦部隊で名高い。
ほいじゃが、「鬼島津」たぁ、余程中国人にとって、強姦、略奪熱心な不吉な連中と
して、蔑まれとった伝統を近代郷土兵団でも繰り返すたぁ郷土性は変わらんもんじゃ
のう。九州や関東のもんは、集団になると気が大きゅうなって、自制心も情も
無くすけぇ、本心は小心もんで精神も弱わあけんのう。じゃけぇ、敵さんが反攻し
正面ガチンコになる戦闘にゃ弱いんじゃろうて。正面ガチンコ戦得意の広島師団の
ような個人主義で自己克服出来る精神的にもタフな部隊気質たぁ違うけんのう。 >>904
>>908の続きじゃが>>836のように戊辰戦争で東北兵に負けて砲台奪われたりした
他藩の九州勢らが無暴と判断しても広島部隊は正面激突白兵戦で敵さん撃退させれるよ。
豊田の芸南と備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利した。
「敵前で橋を渡るなどということは、常識はずれだ。せっかく連隊主力が上流で
渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。が、本道上に待機していた
一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を突っ走って行ったのである。
どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」
と、思ったのだろう。 しかし、この無謀な突撃で、橋梁付近が一大乱戦場になった
のは事実だ。 大戦果には必ず、こういう常識はずれの行動が付随していることが多い。
捨て身になって奮戦していたグルカ兵が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ
見れば、逃散するか、両手を頭上に上げてゴム林から出て来たのは、この最初の一撃が
いかに痛烈であったかの証明であろう。」
上流から側面攻撃より、時の判断で正面から距離詰めれるんなら、その方がええし、
側面から攻略するたぁ正面ガチンコ戦闘の方が敵さんとの勝負付けが出来るけぇのう。
正面の特に原始的な白兵戦で負けた方は精神的にも屈し、この相手にゃ今後も勝てん
云う負けの心理が刻み込まれるし、マレー戦のように物量におとった今後の戦闘でも
勝負の主導権は、奪い取ったも同然の勝負付けが出来る人間の太古から変わらん心理よ。 グルカはアムリットサル事件で丸腰の住民を虐殺したわい。
六四天安門でも遊牧系少数民族に発砲させたから、ヒマラヤンは使える道具らしい。 >>910
地元以外の兵隊に虐殺させるんよ。日華事変でも、中国国府軍が徐州住民を盾に
逃げる時邪魔な自国市民を数多く銃殺虐殺したんも、他所もんの地方軍閥軍は躊躇が
無ぁけんのう。
日本軍も異民族扱いの沖縄じゃ地元住民虐殺やったし、今でも大阪の機動隊員の
若造が沖縄人を戦時中並に土人じゃの支那人じゃの罵倒したんがyoutubeに
挙げられたよう、弾圧する側は、現地市民を人間扱いせんよう洗脳されとるんよ。
まあ、内地の本土日本でも、鎮圧は他地域の連中にやらさせるじゃろう。
いや、封建時代なら身近な同地方でものう。戊辰戦争でも、奥羽同盟軍は同じ東北の
相馬でも、敗走する時にゃ、住民の民家に放火したりしよったけぇのう。相馬藩が
降伏した後、官軍で戦いたい云うたんも、同盟の味方に地元荒らされたんじゃけぇ、
そりゃ怒るわい。敗軍云うんは味方の中に敵を作ったり、尻尾切り作ったりする
けぇのう。昭和の日本帝国は、戦争する前から自国民の中に敵を作って国民同士を
憎悪させて、他民族への憎悪を植え付けされる負け犬の哲学じゃけぇ、最初から
勝利は放棄したも同然じゃったけぇのう。今の安倍ちゃんも、ヤジる国民に、
「こんな人たちに負けるわけにはいかない。」と自国民に敵を作り国民同士を
憎悪させる負け犬の哲学は、日本会議から旧軍の自滅哲学は受け継いどって
じゃのう。 政治家は商人じゃないんだから、「客を選ぶ」ようなことはやっちゃならんのよ。 >>913
真っ当な商人も客は選別せんよ。一見お断りの店のような特権層贔屓向けは別として。
政治屋も世襲議員は特権意識過剰ゆえ、金を呉れる企業屋旦那の顔色のみ伺うて、
国民じゃの私用遊興費込みの公費費用をわれわれに貢ぐ奴隷くらいの認識しか無あし。 >>912
現代では、そういうのPMC(private military company)にやらせるからな。
民間軍事会社なんて訳されるやつ。 幕末というのは、討幕派(のちの明治政府側)が江戸幕府の統治権を手放させるために
行った<文久の改革>の責任者である一橋家当主を15代将軍にした時期のことですよね?
幕府を倒すためにたてられた将軍の率いる江戸幕府が優秀?
江戸幕府の尊厳は完全否定なんですね。 >>1
幕末期の江戸幕府の将軍は家定と家茂。
アメリカを選んで開国したわけではなく、アメリカの黒船にびびって開国してしまい、米国の言いなりになったため、
不平等条約を各国との間に結ぶことになってしまった。
少しでも有能であれば、和親条約は仕方ないとしても、修好通商条約に調印などしなかったはずだ。
全く情けない。
彼らの大失態によって外国に食い荒らされようとしていた日本国を守るため、
尊皇派と朝廷が一橋慶喜を幕府に送り込み、倒幕を行った。
優秀だったのは、江戸幕府を倒し、試行錯誤しつつも外交努力を重ね、
近代的独立国家としての尊厳を勝ち取った、朝廷と後の内閣だ。 >>915
企業による傭兵供給ビジネスよのう。西洋の元来の傭兵は封建武士団と範疇を異にし、
やがて封建諸侯を圧倒する国王の常備軍の母体にも成ったし、イスラム世界じゃ、
マムルークのように売られた奴隷で部隊を作り、外敵に対抗する新勢力として、
自国の守旧権力軍や諸侯軍をも鎮圧出来る実力を持ち、やがて王権まで奪い
マムルーク奴隷王朝を樹立するまでに成ったけぇのう。
日本でも足軽は口入れ傭兵も多かったし、乱世の捕虜として東南アジアに売られた
日本人は王侯や豪族の傭兵として活用された。売られた日本人のシノギは戦争傭兵、
少年は窃盗、女性は売春で、やがて日本人町まで作る財力も作っていった。
現在じゃ、アメリカ軍も生活が貧しい新移民のスペイン語を話し、英語もろくに
解らん兵隊に戦わすわけで、国営の方が崩れてきよる状況じゃけぇのう。
そうなると民間委託需要が増えるし、特に安値で雇えるグルカ兵も需要も
多いいらしい。形を変えて時代は繰り返すのう。傭兵が国民皆兵の徴兵制が
近代国民国家の形を作ったけど、自由主義国じゃ国民や富裕層が徴兵拒否すると
軍需産業の力が強い戦争やりたい国は、移民か民営軍事会社委託への依存度が
強まるし。 >>920
江戸幕府は米国の言いなりに成らんかったけぇ、米国の宗主国様のイギリスが
武器の商人のマセソン商会のアジア利権を通じて反幕府派を育てたわけで、間接奴隷と
成ったんは薩長の明治新政府の方じゃわいや。
日本国の守る気なんか薩長にゃ当然無ぁし、慶喜にも無あよ。覇権争いじゃけぇ。
対外危機なら国内内ゲバの権力闘争の覇権争いする暇なんか無ぁし。
結果として外国に食い荒らされたんは、左翼革命政権の明治国家の方じゃったし、
外交たぁ言いなりの媚び諂いで属国根性丸出しよ。今でも建前で日本は独立国家じゃが、
実質は大正期までイギリスの属国の地位からイギリスの属国のアメリカの属国に
格下げされたんじゃし、明治のイギリス属国時代でも権力者を縛る憲法を学ばず、
権力者が権力乱用できる体制の同時期の近代統一組のドイツ、イタリア同様、
攘夷決行自滅で負組に成ったわけで努力じゃの何一つ無ぁわ。
頭の中身が近代人じゃ無ぁ中世カルト宗教国家並みなんが日本の為政者じゃし、
現在進行形じゃけぇのう。精神的に近代人に値せん幼稚なんよ。物質的近代化なら
現代じゃ中進国以上は成し得とるし、近代化たぁ哲学の問題じゃし、日本は近代化を
21世紀の現在ですら、成し得とらんよ。 >>922 よくイギリスが討幕派を育てたという人がいるけど、
大げさな気がする
だってグラバー商会は明治初期にすぐ倒産しただろ
イギリス政府(駐日イギリス公使館)がグラバーと無関係だったとは言わないし、
極秘留学生の支援もしたことは知っているが、
幕末の政争に対して、イギリス政府はフランスのロッシュほど積極的に関与はせず、
距離を置いていたと考えるべきだ
(フランスは政府単位で徳川に多額の資金援助、そして現役のフランス軍人達が軍事顧問として支援) >>920
アメリカの黒船ペリーにビビって開国からの不平等条約締結したとかいまだそんなこと信じてる奴いるんだなwww
ホント義務教育の日本史は簡潔に教えすぎるのなんとかせんとこんなまともな日本史知らん奴ばっか生産することになってんのにまったく…
そらニッキョウソに骨抜きにされて愛国心なんて育つわけねーわww ビビッていたのは確かだよ
軍事力もっていた使節ともっていない使節では
もっていた使節のほうが丁重に扱われている。
外国を挑発していざこざが起こらないことだけを
心掛けていたのが幕府側
皮肉にも今の日本と同じ構図 >>926
ビビってたというなら長崎でなく当初の予測通り危惧していた浦賀にやはりやってきたということ
想定内の最悪ケースとなったというだけで緊張は増したものの至って交渉は普通に幕府のシナリオ通りに進行 まあ、和親条約はうまくやったと言えるだろうけど
修好通商条約はハリスにしてやられたね ハリスにしてやられた?
それじゃあほぼ同時に結んだ日蘭修好通商条約は誰にしてやられたの?
日露修好通商条約は誰に?日英修好通商条約は?日仏修好通商条約は?
安政5年の五か国との不平等条約、これが全部ハリスにしてやられたとでも? 前例を一度作れば、アメリカだけ優遇かよと、
つけ込まれるにきまってるだろ 江戸幕府がだらしなかったのは事実。
病気の家定を将軍にせず、慶喜を当初から将軍にしておけば、
和親条約も、あんなに下手な時間稼ぎをしてアメリカの要求通りに受け入れるのではなく、
計画的なものにできただろうし、不平等条約など調印するはずもなかった。
家定を将軍にした結果、和親条約自体、ひどい内容だった。
>米国に片務的最恵国待遇を与える。
>両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より18ヶ月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。 12代将軍が慶喜を13代将軍にと言っていたにもかかわらず、ごまかしばかりの老中
はじめだらしない幕臣らがぐずぐずと何も決断しないうちに、とうとう井伊直弼の
台頭を招いた。幕府がぐうたらだった結果、不平等条約を結ぶことになった。それが幕末。 >>928と>>930は同一人物だろうから言うが
最恵国待遇という言葉から勉強してこい 13代将軍が慶喜だったら、江戸幕府は復興して、討幕もおきず、恨みつらみを残すことなく近代化したかもしれないね。
日本の左翼の台頭は、もともと、旧士族の新政府への恨みつらみ。 <片務的>最恵国待遇の意味を知るべきだね。
片務的なんだよ。ありえない。 >>931
どうであれ家定という継嗣がいるにもかかわらず家定廃嫡してそれ以外の奴を添えることができると思ってる時点で無知
廃嫡するなら最低でも家慶の意思が必要
しかも廃嫡となれば幕府内の権力闘争による政争は絶対に避けれない
幕府のシステムに加えて当時の外圧の混乱に加えて家慶の様態考えればできるわけなどないのは歴史知ってればわかるはず
お前がどれだけ無知だかよくわかるわw
あとな
家定将軍就任のときには慶喜は14、5歳なんだわ
これだけでもお前がどんだけもの知らずに言ってるかわかるわなww
14、5歳のガキが幕府のトップに立って舵きりして専制政治できるとでもおもってんのか?www
和親条約がアメリカの要求どおりとかどんだけ無知なんだお前ww
一例として林大学頭復斎のことくらい知っとけwww
和親条約の時間稼ぎは祖法の議論と折り合い、認識の再定義をするのに必要であったので下手でもなんでもない
ただ即決で幕府が判断し断行できなかった点においては幕府の脆弱性があらわになったことは事実
>計画的なものにできただろうし、不平等条約など調印するはずもなかった。
このときに日本が対等交渉などできた立場だとおもってんのかよwwわけねーだろwwww
条約が結べただけでも日本はありがたくも半文明国として扱われたんだぞ
当時のアジアの地図ググれや
タイと日本以外は文明国でないとされ条約の「じょ」の字も出してもらう前にみんな蹂躙され植民地だ
タイですら国土を削られてる
主権守れたの日本だけなんだぞ!
アホなこと言うのも大概にせいよこの無知野郎がw >>931
>家定を将軍にした結果、和親条約自体、ひどい内容だった。
幕府は基本幕閣が動かすもの
幕府の基本システムをもっと勉強してこいw
米国に片務的最恵国待遇を与えたことこそが幕府のシナリオなんだよwww
幕府が最初に最恵国待遇を与える国としてアメリカをチョイスしたんだってこと知らんのかwww
香ばしすぎるなお前w
夏休みに入ったちょっと歴史好きで詳しいとおもいこんでるガキだろww >>933
>12代将軍が慶喜を13代将軍にと言っていたにもかかわらず
一次、二次史料にはそのようなことなにひとつ明記はない
あくまで噂の話の域で創作である
>とうとう井伊直弼の台頭を招いた。
とうとうでなくなるべくして直弼が台頭して将軍の代わりに大鉈振るわざるを得なかった
>幕府がぐうたらだった結果、不平等条約を結ぶことになった。
幕府が条約締結しなかったら確実に大国に飲み込まれてた
すべて義務教育レベルの浅はかな知識からの見解ですね >>935
>13代将軍が慶喜だったら、江戸幕府は復興して、討幕もおきず、恨みつらみを残すことなく近代化したかもしれないね。
14、5のガキが専制政治できるわけがない
14代就任ならまだ話はわかる
ただ14代就任時では時勢がもうすでに遅い
慶喜が14代になれ専制政治おこなったとこでなにも変わらん
結局最初はあの性格からして外様をパージすることにだけその政治力を使うだろうから逆に討幕早める可能性すら大いにある
西周につくらせた大政奉還後のあのヴィジョンを14代就任時にもっていれば幕府による近代化はありえるが近代化の流れは非常にゆったりとしたものになる
そうすればその間に大国に飲み込まれてしまうわな
幕府も復興というよりちょっと生きながらえるだけだわ
慶喜が13代になったら云々でなく
幕府開闢のときに家康が諸大名から税金吸い上げるシステム導入し
積極的に外様も参政させるようにしてたらよかっただけ >>937
日本では天皇ですら、皇子たちを差し置いて、より有能であったり積極的である皇族から
即位させるなどということが頻繁にあった。
今の皇室典範でもこうなっている。
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」
日本では、できそこないの実子は寺において甘やかしながら守り、一方で優秀な人材を
分家などから養子にとることで血統を守り発展させるという方法が古来取られてきた。 皇族というは、どのくらい(人口)いるの?
と、とあるスレに書いたところ
「数人くらいしか、いません」と言っているのが、いたけど 新聞やテレビなどに
映ったりする程度の数しかいないとか
本当なの? >>942
本当です。古代の頃と比較すると、激しく激減して絶滅の危機にあります。
承久の乱では4代もの天皇が流刑になり、室町時代、明の属国にされたり、江戸時代初めには紫衣事件もあり、
皇族の方々が武家政権にあまりに長きにわたって屈辱を受け、力を失われたという側面もあるのではないかと思います。 他のスレにも書いているけど
頭の病院に行ったほうがいいぞ >>941
ならばその事例を挙げなさい
頻繁にあったというのならどれほどのものか
ホレホレ
どの天皇とどの天皇とどの天皇のときだと全部挙げてくれww
俺がぱっと思いつくものでチラホラとあるが全部論破できるわw
ちな皇族は武家のように長子や生まれた順のはやさより母方の階級や格がかなりものをいうことは知ってるよな?ん?w
そしてそれが何故だということももちろん知ってるよな?wお?w >>924-925
グラバーなんか、丁稚じゃし、雇い主のジャーディン一族マセソン商会は、現在でも
財閥多国籍企業として健在じゃなぁか。長州ファイブらは、マセソン・ボーイズたる
マセソン商会の使用人の糞丁稚よ。マセソン商会から「誰のおかげで左翼革命明治政府
作れたんなら!」と云われたら従うしか無ぁけんのう。武器や資金を貸す側が強いんよ。
福田赳夫元総理も戦前官僚時代、ユダヤ系ロスチャイルド財閥のパリ当主から
日露戦争の公債返済が済んどらんと恫喝され生きた心地がせんかった云うちゃったが、
日露戦争もイギリスの属国の駒としてロシアと戦争させられたわけで、その上、何十年も
財閥企業への返済をせまられるわけで、属国日本は毎度貢ぎ女の国をやりよる。
ニッキョウソー云うて媚び諂いの安倍ちゃん じゃあるまあし。じゃが極左の安倍ちゃん
たぁ、中道左派化した日教組の方が世界の自由主義国と共通の価値観を持てるわいのう。
今の自民党長州系清和会の安倍ちゃん政権は愛国心強要は中国共産党と価値観を共有し、
安倍ちゃん派の捏造、隠蔽、デッチアゲのトンデモカルト修正主義歴史観も世界の
自由主義国の歴史観から逸脱しとるし。まあ、日教組の兵隊は上層部のロボット史観も
酷いし、兵隊は上層部の命令通り動かん意思を持った人間なんじゃけぇ、兵隊誰しもが
国家洗脳された精神力の弱い自暴自棄になって足を引っ張る自滅願望の軟弱愛国兵士
じゃのうて、好きこそ物の上手の戦闘のプロは自己判断出来る自己の意思が
独善他悪の国家価値観たぁ優先するわけじゃけぇ現地民とも仲良うするよ。 そんなことよりも
『万華鏡写輪眼』
この話をしよう、あまり詳しくないけど
継承〜受け継ぐような人物、わかりやすく言うと神クラス >>937
私ではなく、家定の父、つまり12代将軍家慶が望んだのですよ。
私はその通りにしておけばよかったと言っているだけ。
それに家定の次の将軍は12歳で将軍になっている。
4代将軍家綱も11歳。 Mariah Carey『All I Want For Christmas Is You』
この曲を聴いてみて
と言っている人がいたり、他の国に盗まれた?
万華鏡写輪眼? >>935
部下を見捨てて江戸へ逃げた慶喜は、昭和の高級軍人の多数派の態度と一緒じゃし、
負けるべきして滅ぶにふさわしい将軍様よ。しかも思想が国粋排外攘夷の中華系
水戸学、つまりツングース女真への恨みの戦争に弱い宋学の負け犬の哲学じゃけぇのう。
左翼は革命政権の明治政府で、右派の自由民権運動も弾圧した、権力者を縛る保守自由
主義の価値観も無あ、権力乱用の左翼全体主義価値観なんじゃし。まあ、日本と
同時期に統一したプロシアのドイツも結局「国家社会主義労働者党」極左社会主義
ナチス全体主義で負組になったし、日本もドイツ、イタリアもソ連の共産党政権と
同時期に統一したら東側として負組にならんかったろうと後悔したも歴史の時は
変えられんけぇのう。社会主義でも社会民主主義と議会制民主主義なら西側自由主義
先進国の中道左派として健在出来たんじゃが、国家社会主義じゃ専制国家主権で
国民主権の自由や人権を抑圧する権力乱用でソ連、中共、北朝鮮と一緒の全体主義に
なるけんのう。 家定などに任せなければ、不平等条約も、もちろん、倒幕も起きなかったと思うね。 >>950
>つまり12代将軍家慶が望んだのですよ
だからコレがそもそも創作レベルだっつーのw
信用できる史料に明記がないんだわ何度も言うけど
語られてるのは14代将軍継嗣問題一連のときに一ツ橋派の書簡の中から突如として唐突にあらわれた話であるので創作とされてるものだ
んで家茂が12で将軍になってナニをした?
専制政治できたか?
幕政動かしてたのは初期は江戸の幕閣
中期は参与会議
後期は一会桑だろ
13代に慶喜が就いたら専制できたか?
できんわ
将軍とはお飾りなんだよ
その下で幕閣らが動かすのが幕府のシステムなんだ >>950
むしろ慶喜は14代将軍後見職になったわけだ
実権もってその実力をおもいっきり行使できる14代将軍になったのと事実上同じなんだよ
将軍のように誰か幕閣に任せてトップに君臨するのではない
自ら腕ふるって切り盛りできるまさに慶喜専制政治をこのときまぎれもなくやってるんだ
そのとき慶喜がやったことはなんだ?
外様をパージすることに必死になって政治を停滞さしてるじゃねーか
しかも外様だけでないわ
親藩の春嶽までもはじきだす
結局慶喜がやろうとしたことは井伊直弼と同じ幕権の強化
あまりに前時代的なヴィジョンしかもってないので薩摩に愛想つかされるわけだ
これでわかるとおり
慶喜が13代になったらただのお飾り
14代になれたとしても結局状況は変わらない
前レスしたが慶喜が15代より前の将軍に就いて国を変えるなら
そもそも幕府がどこかのタイミングで諸大名から税金吸い上げを行い
幕藩封建体制をゆるやかにでも改めて中央集権化をすすめ外様も国政に参加させてるという土壌があって初めてありえること
それ以外はどうやっても今の歴史のまま流れる レコード会社とか、
何か関係があるのかな
日本の話のような気もするんだけど、
実際、制作者にしかわからない事もあるんだろうけど
作品について質問されても答えないとか
万華鏡写輪眼? >>955
家茂が将軍になると、25歳になった慶喜が後見職について家茂に代わって執政し、
朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる
公武合体を成し遂げた。
結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも
って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。もちろん、その時にはすでにもはや列強と渡り
合うにも、幕府を守るにも遅すぎたけどね。
12代将軍家慶の望んだ通りに慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして
第二の吉宗となった可能性もなくはない。 風雲維新ダイショーグン
の話がしたいだけなんじゃないの
風雲維新ダイショーグン
徳川 慶一郎という人物が登場するけど、
名前が似ているだけなのかな
ばれないように誤魔化している? >>929
ハリスがアメリカと結ばないとたいへんなことになるとふっかけて
あの条約内容になったんだよ
その結果が不平等条約やらインフレやら
その後に結ばれた条約はアメリカとの条約のカーボンコピー。
つーかイギリスははじめからアメリカをつかって幕府と条約結ぶつもりだったんだよ なんだかまた荒されてるな
まともに議論できなくなるから消えてほしいんだが >>959、
>朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる公武合体を成し遂げた。
前代未聞の朝廷からの圧力に屈しての改革
しかもキャスティングボード握ったのは官位もない外様大名の父
挙句に家茂の上洛で完全に政局は京都に掌握されてるのに幕府中心の公武合体成し遂げたとかようそんな嘘平気で垂れ流すなぁオイw
コレ、なんかの工作でそんなこと言ってんのか?wwww
>結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。
すでにこのとき幕府と慶喜は分裂状態だということ知らんのか?
発言力強めたのは幕府でなく一会桑政権
幕府はむしろこれによって更なる権力権威の失墜をしてる
一会桑政権と幕府がイコールだとおもってるならとんでもない無知
また慶喜は2年後には禁裏守衛総督という完全に京都側に取り込まれるとい状態になるというのにナニを言ってんだ…
しかも己を後押ししてくれた薩摩をパージすることに必死になって政局を停滞させる
政局顧みずその有り余る凄腕の政治力を無駄に薩摩の排除、強いては外様排除(春嶽の排除も)に全身全霊注ぎ込む異常さが薩摩を討幕へ舵を切らせることとなったというのに…
こと薩摩の討幕とは討慶喜のことだということをお忘れなく
後見職という事実上の14代将軍としてその期待された政治手腕と才能で専制政治行い辣腕振るった結果がコレだ
>慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして第二の吉宗となった可能性もなくはない。
可能性の話になれば決してゼロだというわけでもないが、それは激しく、そして果てしなくゼロに近い話ではある
優秀な幕府官僚機構が14、5のガキに専制政治行わせるわけがない
13代就任じゃ早すぎるんだよ
かといって14代じゃ時勢的に遅い
13代就任時に慶喜が30代だったら大いに可能性はあったろうな
ただたとえ慶喜が30代で13代将軍に就任してたとしても
各国との和親条約、通商条約の内容は変わることなく不平等な内容のまま同じもので締結してるから
慶喜だったらこんな内容の条約締結はしなかったなんて世界史知らんやつが鼻くそほじりながら言っちゃうことだわそんなのww 議論も何もないんだけど
実際、どこの雑魚なんだと思われているはず >>964
基本的に同意。
しかし、レスが長いな
2、3行にまとめてくれるとありがたい。 実際は何の話なんだよw
と思っている人もいるよ
雑魚 大物 大物主
釣りの話?エビス、胡?蝦夷? >>962
幕府は事前情報でアメリカが強気で条約迫るのは百も承知
この使節が浦賀に来ることすらそこから予測していたというのに
そもそも当時の日本が欧米と同じ文明国扱いしてもらえるとおもってる時点でアウト
どうあがいても同等でないんだよ
それで五分の条約結べなかったからあーだこーだ言ってほんと無知すぎ
不平等でも条約結ばさせてもらったことがどれだけすごいことだか世界史をもっと勉強してこい!
不平等でも条約結ぶということは半文明国という判断をされたということだ
日本とタイ以外の他のアジアの諸国は半文明国ですらない文明国ではないということでまともな外交使節などくるまえに踏みつぶされ植民地にされてんだ
史実からどれだけ日本がラッキーだったのか語る前に検証しろってんだ
幕府も来航前から不平等な条約は致し方なしと踏んでいたが、さすがにインフレだけは想像をどこまでしていたかは疑問
コレラも入ってくるなんて思いもしてなかったろうなw >>962
>その後に結ばれた条約はアメリカとの条約のカーボンコピー。
それが幕府の狙いだっつーのw
最初にアメリカと結ぶことコレが幕府のシナリオ
当時の日本の最大の脅威はロシア
ロシアのような超大国と最初に条約なんて結んだらアメリカが要求したこんな程度の条件で済むわけない
そんな過酷な条件での条約を締結し最恵国待遇与えたら他の国にも同じ過酷な内容の条約を結ばなければいけなくなる
アメリカはこのとき海軍も常設されてない大国ではないが中等国よりもレベルも格も上で力のそこそこある新興国家だ
しかも国内が乱れていて内乱の危機に直面していていずれは国内のことだけにとらわれることになるのは見えていた
一番交渉の余地があり、一番あまい条件で条約が結べる可能性が大いにある相手国であることは幕府は分析済みだったからこそアメリカを最初の相手として幕府がチョイスしたんだ
アメリカに最初に最恵国待遇与えたことで各列強国家ともアメリカ基準レベルの条約内容で勘弁してもらえたわけだ
ロシアなんかと最初に結べばとんでもない属国レベルの条約内容でロシアに飲み込まれ、敵対してるイギリスとの戦いにまきこまれる
イギリスと最初に結べば同様の過酷な条件つきつけられイギリスにマル飲みされ敵対してるロシアとの戦場になる
数年前にもたされたアメリカ使節の来航の報は幕府にとって願ってもないチャンスが転がり込んできたぞということだ
>つーかイギリスははじめからアメリカをつかって幕府と条約結ぶつもりだったんだよ
それはない
イギリスは独自に動いて日本とのやり取り行っている(横暴なやり口)
ただ清に追われ重心もそっちにおいていたので日本への政策がそんな急速なものでなく多少なりゆるかった
日本にはそれもラッキーなことだった >>968
は?どうあがいても同等ではないというのはどういう根拠があって
言っているの? 幕府がイギリスと条約を結ばなかったのは
イギリス王室がカトリックのポルトガルと宴席関係だったから。
その程度の認識しかない幕府が当時の国際関係を
詳細に把握していたものかねえ
ロシアは侵略意図があって日本と条約を結ぼうとしていたわけではないよ
幕府は日本人が遭難して海外に流れつくと二度と入国を許可しないほど冷酷だった。
ロシアが漂流日本人を丁寧に扱って帰そうとし、最低限の交際をするために条約を
結ぼうとしても頑強に無視した。それどころか、武装せずに日本に来たロシア人を
粗雑に扱ってロシア人が日本人を襲う事件が起きたほど。 >>969
大槻盤渓のように、 イギリスはアヘン戦争をやるような怖い国だから、
ロシアとの親交を強化すべきだという親露論者もいたよ
大槻は仙台藩の儒学者だけど、幕府中枢にも強い人脈(影響力はあった >>970
バカなのお前?
想像力ってものないの?
簡単な例挙げるわ
北朝鮮とアメリカが同等ですか? ロシアとの接点をまとめるとこう
まず日本人漂流民をロシアが保護する。
貿易を望むロシアは彼らを帰国させると同時に親書を渡そうとラクスマンを派遣。
だが、外国人が長崎以外の地に上陸すると永牢の罰だが
知らかなかったから今回は許すと脅され追い返される。
次にレザノフが長崎にやってくる。彼はふるまいに威厳がなかったのか
竹の籠に押し込められて通商はしないから二度と来るなと追い返される。
あまりの扱いにレザノフは恨みを抱き、カムチャッカに戻ると仕返しを命じる。
千島南部で島民がロシア人に殺される事件が起きて、問題になる。
次にゴローニンが千島の調査にやってくるが、殺人事件があったせいで
ゴローニンは捕縛される。ゴローニンを奪還するべくロシア側は
まず日本近海を航行する船を拿捕した。たまたま日本人船主が頭がいい
商売人で彼が幕府側と交渉して、ゴローニンがやっと解放された。
こんな感じ 幕府が海外情勢知ってたと思わんな
治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
清がアヘン戦争で負けた条約と変わらんし
金銀レートも適当だった為大量に金が流出した
開国する気なら先に欧米に者派を遣しとくべきだった >>973
北朝鮮が不利な条約結ぶはずないし
同等に外交してるから対立が解決しないんだろう >>971
徳川幕府は開闢以来ずっと海外国際情勢の情報収集と研究は常にしていた
ちなみに一般には鎖国とかいわれるもの
義務教育ではキリスト教を禁止したとかいってるけど
禁止したのはカトリック
だからプロテスタントのオランダとは交流してた
イギリスもプロテスタントだが、16世紀にオランダに海洋覇権握られて以来物理的に極東にこれなかっただけ
もし当時来ていたら普通に幕府はイギリスとも交易したはず
やってきたのが帝国主義の嵐の波に乗ってやってきたときだから幕府の対応がそもそ変わってしまった
日本ではカトリックもプロテスタントも東方正教も一緒くたにしてるが
海外ではまったく別の宗教として認識されている
国民性にもよるが、なんでも神様受け入れてきた日本の文化と
信じない者は悪魔として徹底排除してきた文化の違いによるものだろうな
基本的に日本的に大きくなんでも括って考えてるほうが世界的にみたらアンスタンダード
義務教育でもキリスト教を禁止したのでなくカトリックを禁止したと教えるべき
ホントここはとても重要だと思うわ
そもそもこのへんから大きな誤解が生まれて間違った歴史認識させることとなる
幕府はずっと海外情勢を調べ研究してきたけど
徳川家斉のときにすべて止めてしまう
徳川300年の泰平の眠りとか言うが、実際は家斉の在位期間50年間のことである
この50年間で日本は完全に文化も技術もレベルも国力もすべてヨーロッパに追い抜かれはるかに差をつけられたうえに浦島太郎状態となる >>971
ロシアは当初侵略意図はもってなかった
平和的交渉を掲げてたのも事実
それは何故か?
ロシアは絶対に二方面戦略をしないのだよ
そういう国なのだわ
西でクリミア戦争抱えてる中ではロシアは決して東に手を出さない
ただ極東に影響力は確保したいということである程度友好的な対応となったが
ロシアを知ってる人はそれはまやかしであることは見抜いている
ロシアという国は国際法を判ってて理解して熟知してそれでも破って領土拡大してきたことを十分に知っているからだ
国際情勢に精通してる幕府は完全にそれらを見抜いていたからこそロシアではないのだよ
更にいうと、友好平和的でありながら、ペリーの出航を聞いてそれを出し抜くつもりでいたのも事実
ペリーよりも先について交渉をまとめる腹黒さもってたのだ
それができなかったのはクリミア戦争でイギリスの艦隊に追い掛け回されてたからだわ
プチャーチンが隠れ隠れ潜みながら隙みつけてようやく日本にやってきたのは知ってるよな?
それで強権外交なんて派手なことやればイギリス艦隊にバレて待ち伏せされるのはわかりますよな? >>972
たしかに大槻盤渓は親露だね
そして俺も決して彼が無知で無学だとはおもってはいない
ただ彼の親露は彼が彼なりの知識と解釈でもって生まれたものにすぎないとおもうわ
晩年はロシアに対しての注意を促すことも言ってる
絶大な親朝鮮だった福沢諭吉
これが維新後突然に超絶反朝鮮を打ち出すこととなる
これと似たケースであるとおもうわ
大槻盤渓は佐幕的志向者だったのでそれは幕府内にも影響はあったかもな
川路聖謨もロシアの紳士的対応はアメリカとは違うなと褒めている
ただその川路聖謨もロシアが裏にどんな顔を持ってるのか今後注意深く洞察すべしと述べている >>975
じゃあ逆に訊こう
何故、この時代の日本と欧米の国々が同等だったなんておもってんの? 幕府が負けたのはイギリスと手を結ばなかったから。
アヘン戦争はただの侵略戦争でなくイギリスによるアジアの開化の側面を持っていたことに気付かなかった。
世界経済システムに中国を組み入れるために仕方なくやった戦争でありそれに適応できなかった清国がたんに自滅しただけの事。
日本は幕府主導で早く開国してイギリスと手を組んでいれば幕末の悲劇も動乱も避けられた。
全国の優秀な志士が生き残り明治維新はもっとスムーズに行っていたはず。幕府はフランスと組んだ時点で滅ぶ事が決まっていたのだ オランダが自己利益のために流した情報をさも幕府が危機感を抱いて積極的に情報収集したかのように錯覚を抱くのってどうなんだろうね >>976
>治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
抗議がなかったなんてなんのソース見て言ってるわけお前?
しかもどれだけこれが問題であるかでどんだけ幕府がねばったか知らんのか?
鵜呑みにしたとか大間違いも甚だしいわww
治外法権に関しても和親条約時に一番紛糾した議題であり
ここで最終的に了承せざるをえなくなり、そのまま通商条約時に認めたという経緯なだけで
抗議もない問題視もしてないなどとどのツラ下げて平気でそんなこと言い出してるのかお前
>清がアヘン戦争で負けた条約と変わらんし
戦争に負けた清が結ばされた南京条約、およびそれに付随する五口通商章程と虎門寨追加条約が近代不平等条約の基準になったからくらいのことは知っておこうね
戦争で蹂躙された挙句に国家主権を削られ国土まで割譲しなくてはならなかったのと
戦争せず、平穏を守り、治外法権と関税自主権(関税は交渉の末決まってるので実際は自主権喪失してるわけではない)奪われただけで国土も無傷で収まったのとどこが同じじゃ?w
>金銀レートも適当だった為大量に金が流出した
レートは適当でなく外貨と邦貨の交換を嫌ったのと銀基準と金基準による認識の違いによるものだ
もちろん幕府の失策ではある
そのとおり金が海外に流出してしまったが小栗上野介がこれを正式にアメリカに認めさせてる
が、認めさせただけで改正は踏みとどまった
このときつくった貸しが後々アメリカを戦前まで日本の最大の友好国として存在させることとなる
>開国する気なら先に欧米に者派を遣しとくべきだった
自主的に開国する気はそもそもない
開国しなくていいのならいつまでもしたくないそれが方針
切羽詰まるまで開国意思ないので先に使節派遣することなどそもそも頭のどこにもない >>977
国際モラルからくる環境も時代も違う現代じゃ想像つきませんかそうですかww
ならアメリカ大陸移民がインディアンと同等だったか?
これなら時代背景も当時の価値観も違いだろうよ >>964
あなたは14歳14歳っていうけど13代将軍就任は慶喜16歳の時。
16歳なら、女性なら結婚もできる年齢。優秀であればなおのこと可能なはず。 ちなみに当時の年齢(数え年)で言えばその時17歳か18歳。不可能な年齢ではない。 >ただたとえ慶喜が30代で13代将軍に就任してたとしても
>各国との和親条約、通商条約の内容は変わることなく不平等な内容のまま同じもので締結してるから
貴方は嘘つきですね。13代将軍就任は1853年。
その時、和親条約もまだ結ばれていない。
修好通商条約にいたってはその5年もあとのこと。 >>982
なにをもって幕府が負けたと言ってるのかわからんが
戊辰戦争の勝ち負けだけでいうなら本腰入れて慶喜が戦わないから負けた
これだけのこと
イギリスだフランスだはそれほど勝ち負けには関係ない
ただ、イギリスと組んだほうがいろいろな面で有利に働く可能性は大きいというだけ
>アヘン戦争はただの侵略戦争でなくイギリスによるアジアの開化の側面を持っていたことに気付かなかった。
>世界経済システムに中国を組み入れるために仕方なくやった戦争でありそれに適応できなかった清国がたんに自滅しただけの事。
たしかにそういう側面もあるはある
世界経済システムに中国を組み込むために仕方なくというのは大嘘だがなww
自国の経済システムに組み込むために野心満々でやった戦争だろwww
こんな理由で戦争ふっかけられてこんなに蹂躙されるんだ…と諸国を震撼させた戦争だぞw
>日本は幕府主導で早く開国してイギリスと手を組んでいれば幕末の悲劇も動乱も避けられた。
幕藩封建体制が手枷足枷になるだけ
こんな既得権益の高いシステムがあって近代化の第一条件ともいえる中央集権化がどれだけできるのか大いに疑問
ぶっ壊し屋の登場で秩序を全部キレイにぶっ壊さないとなかなかそれはできないと思われる
たとえゆるやかに近代化できたとしてもロシアに飲み込まれて終わるな
なにかの影響でロシアが動かなかったとしても今度は市民革命によって打倒されてる可能性のほうが遥かに高い
つまりどうやっても悲劇も動乱もやってくる
>全国の優秀な志士が生き残り明治維新はもっとスムーズに行っていたはず。
スムーズに行っていたら戊辰戦争以上の全国士族の大反乱が勃発
はい、悲劇と動乱 >>986>>987
俺も大体の計算でそう言ってたのでしっかりと年齢把握してなかった点は謝る
ただ言わしてもらえば14だろうと16だろう18だろうと同じ
優秀な幕府の官僚機構があるので専制政治はさせてもらえない
もし専制政治を行うなら最初にこの官僚機構すべてをぶっつぶさなきゃならん
あとな、前例のないものは幕府はできんのだ
専制の前例は家康、秀忠、吉宗だけだ
その中で一番若かったのは吉宗
たしか就任時32くらい
だから俺が喩えで慶喜が30代だったらといったのはソレだ
前例がないため幕閣から専制政治など認めてもらえるわけがない
しかも10代で専制政治したなどという例が徳川幕府だけでなく、日本の有史から振り返ってもない
とりま18と仮定しよう
たとえ18だとしても、後見役を添えられてしまう年齢なのだよ
じゃなんで吉宗が前例のない年齢で専制できたのかは長くなるから知りたかったら自分でググって調べなさい >>988
は?
意味がよくわかりませんがw
例えて話した内容なのでソレを嘘つきとか言われましてもどうしていいやら…
>13代将軍就任は1853年。
>その時、和親条約もまだ結ばれていない。
>修好通商条約にいたってはその5年もあとのこと。
はい、まったくその通りでございますがナニか? >>986
>>987
あ、ちな、ツッコまれるかもしれんので足りなかった分補足
さっきの吉宗のアンサーの一部にもなってしまうことだが
秀忠のほうが就任年齢は若かった
ただし秀忠就任時には家康との二元権力による幕政運営であったために専制のカウントには入れてないから >>990
あなたが例に加えた秀忠の将軍就任は25歳だし、21歳から父の執政を支えている。
吉宗も22歳で紀州藩主(大名)として専制で政治を行っている。
たった三例しかない江戸幕府に限ってもなんの参考にもならないので
親政を行った天皇の即位時期をみると、宇多天皇は20歳、醍醐天皇は12歳、村上天皇も19歳。
律令制を立て直すべく親政に励んだ嵯峨天皇も22歳。
大改革で摂関政治を終了させた白河天皇も19歳。
本気で改革をしようと思ったら若くてもできる。 才知の秀でた気概ある16歳は、平凡な30歳よりはるかに功績をあげられる。まして病気
で重度の精神遅滞(脳性麻痺と言われる)を抱える家定ではもはや比較するまでもないでしょう。
孔子も言った。
後生畏るべし。焉んぞ(いずくんぞ)来者(らいしゃ)の今に如かざるを知らんや。
四十五十(今でいう30代後半から40代後半くらい)にして聞こゆることなきは、これ亦畏るるに足らざるのみなり。 >>984
横からだけどソースはウィキにある
>>治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
>抗議がなかったなんてなんのソース見て言ってるわけお前?
「領事裁判権については締結の当時それが不平等条約であり、将来どのような惨禍をもたたらすかについて全く理解されておらず、むしろ日本側は進んで歓迎さえしたもので、ハリスをして意外の思いをさせるものであった」 だって、江戸幕府(将軍と、老中や幕臣たち)が、この不平等条約に署名をする許可を
得ようと朝廷に頼み込んで頼み込んで説得しまくったけど断られて、結局朝廷の許可
無しで調印したんだから。
幕府に抗議の声があったわけがないでしょ。 この条約調印を批判した、尊皇派(倒幕)志士たちを、幕府はどんどん捕らえて処刑した。
―安政の大獄 幕府がだらしなかったということを認めたくないやつは左翼。
日本で左翼が影響力を持ってるのは、明治初期の反政府運動の成れの果て。
明治維新を否定した連中がそのまま後の左翼になった。 このスレッドは1000を超えました。
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