幕末の徳川幕府、実は有能だった説 [無断転載禁止]©2ch.net
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まーふつうに考えれば幕府はオランダとかから世界情勢を把握していた
当時の世界はイギリスとロシアの2強状態だった
この2国と開国やら条約を結ぶより先に当時新興国だった雑魚のアメリカ相手に開国をした方が
マシな条件で条約を結ぶことができる
つまり先に日米和親条約という有利な条件を結んだことでイギリスロシア他の列強国はこの基準で交渉しないといけなくなった >>788
おいおい、幕府は天皇を弑するつもりだったのかよ 小栗は孝明天皇についてあんな馬鹿島流しにしろと言ってたね >>789
おっ、北京語ができないやつ銃殺っやつですな (><) >>760 確かにイギリスは上手くやったよ、明治維新。
「攘夷wで開国反対」とかいう無知な長州人を操り、
日本人同士の血み泥同胞虐殺(戊辰戦争)を実行させ、巨額のお金を搾り取り続けた。 ブリカスに踊らされたもんが調子こいても恥ずかしいだけやで? フン族にビビッてブリテン島に逃亡したグロサク蛮族はダサ過ぎる どちらにしろ
現在日本>明治日本>幕府日本だから
幕府が明治政府よりも良かったというのはあり得ないでしょう 明治の日本なんて今に比べれば民主主義でなければ国民主権もない
何も良いところないでしょ
単に専制政治の清やロシアに勝ったってだけで 昭和天皇 「民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。民主主義というものは決して輸入物ではない。」 >>801
より古い時代を遅れていると言うのはバカの典型だ。って知ってるかい? アメリカに押し付けられた憲法で世の中回してる現代日本に自主独立性があるのかという問題がな
俗に言うアメポチだ。アメリカの忠犬ポチ
この点、明治政府の方が優れてるんだよな
>>804
民主主義は、少なくとも天皇から下賜されるものではない
国民が自らの手で掴み取るものであって、それだからこその国民主権なわけで
お侍様に土下座していた百姓根性の日本人には到底無理な代物なんだよな また長州ヲタ?
前の時代を劣っていると喜ぶ白雉は
若い世代より自分が劣っている自覚があるんだろ? 薩長よりも幕府内部の無能の方が幕府内部の有能の足を引っ張ってる現実 徳川慶喜が小栗忠順をクビにしないで戊辰戦争を薩長とガチンコで戦ってれば確実に徳川の勝利で、徳川主導の近代化で史実より良い結果になってたよね。 >>795
日露戦争の戦費もイギリス、ユダヤ系資本で属国日本は駒として使われただけじゃし。
>>796
戊辰戦争で東北勢に押されよった長州、九州勢も褒められたもんじゃなぁで。広島の安芸神機隊のように、
白兵戦正面ガチンコ突貫で勝負付けせんかい。
>>803
権力者を憲法の鎖で縛れん専制主義、極左全体主義国家の日本、ナチスドイツ、イタリアら枢軸国は自業自得で
負けたよ。
>>806
明治政府は、マグナカルタ以来の王政の制御、近代においては、自国の権力者を憲法で縛ることを拒否して
後進新興国のプロシアのドイツ憲法真似た時点で昭和の自滅の運命は決定されたんよ。
イギリスやアメリカは自国の権力者を鎖で縛る憲法じゃけぇ、戦後の国民主権の憲法こそ、日本の近代化に
必須よのう。
>>810
小栗個人の戦術でどうにも出来ることじゃ無ぁし、慶喜は幕府の将兵見捨てて逃げた、旧日本軍の
先取りで、勝負の勝ちは既にのうなったんよ。あたぁ、どの期間持ちこたえられるかで、
箱根分断じゃの海上封鎖戦略も、現実に中山道も崩された陸戦で決まるわけで、旧日本軍的無能な
個別的焼き付け刀式対処法しか創案出来んかった小栗妄想理論は破たんしとるんよ。
小栗氏個人は、諸外国媚び諂いの維新高官と違い高潔な人格は認めるけど、所詮幕府上層部の
ボンボン文明人で、「文明は野蛮によつて滅ぼされる」荒業の戦闘も駆け引き主導権も感覚的に
解っとらんのよ。 >>808
幕末徳川は給料だけは高い旗本が足を引っ張って、
農民上りの臨時雇いが薩長と戦う構図だからな
ナマポの人権を守るために納税者の人権を侵害しまくる現代と同じ構図
歴史は繰り返すだね >>812
長州は大内時代から文明病で精神的に脆いけぇ自滅に導くわけじゃが、そがぁな処が偉大なら、
われも攘夷決行で自滅願望がある云うことか。
>>813
社会的底辺に残酷な社会が日本じゃし、社会的底辺の人ら人権を尊長せんと北朝鮮と一緒じゃのう。
まあ、古今東西足を引っ張ってオウンゴールさせるんは、上層部の方じゃのう。
>>814
生活保護されとる面じゃ旗本に成るのう。軍事動員としての名分生活保護しても、戦闘自体が
出来んし、経験が無ぁんじゃし。野外狩猟訓練も山麓野営も頻繁にせにゃあ擬似訓練にも成らんよ。
臨時雇いの農村新撰組も中山道(東山道)の甲州でも、狩猟慣れした丹波山国隊志願兵にゃ勝てんし。
世界的強兵や傭兵の産地が山岳、山麓の山がちな地域ゆえ、兵の質でも、関東平野お膝元の
幕府軍じゃ負けるし、地政戦略的にも、甲斐の武田や山越えの上杉に関東は蹂躙されとる不利な
蹂躙され易い地域じゃし、山から水が流れるが如く、兵力に押されるとどっからでも水が流れる
けぇ個別対処じゃ対処できん、地域云う地政意識すら欠如じゃ処置無しよのう。 >>780
調べてみたけど、新選組は白色テロに分類されてたよ 新撰組をテロリストって言ってる奴はさすがに薩長史観すぎるぞ >>806
明治憲法も権力者の伊藤博文が勝手にプロシア式を採用しただけで今の憲法と押しつけ度変わらないでしょう
憲法9条にしろ護憲派が多いから変わら無いだけで
それだけ支持を受けてるということで テロリズム
反対者(特に政府の要人)を暗殺するとか、国民を強権でおどすとか、暴力や恐怖によって政治上の主張を押し通そうとする態度。 >>820
帝国憲法は世界の憲法を参考にして日本に合うようにアレンジした最強憲法だよ。 >>822
薩長の権力者が権力保持するため独断で決めただけで、決めたのはプロシア行った伊藤博文だし
政党や世論が支持したわけでもないけどねえ
戦後の民主主義が合ってて、明治憲法が軍国主義に陥り合ってなかったのは
第二次大戦で分かってるし >>823
議会がまだないんだから国の権力者が憲法を作るのは当然だよね。
帝国憲法は戦前の軍国主義、敗戦のイメージのせいでよく悪く言われがちだけど、
日本が軍国主義体制になっていったのは政治家がちゃんと帝国憲法を守らなかったからであって帝国憲法が悪いわけじゃないよ。 >>819
調べてみたけど、新選組は白色テロに分類されてたよ >>824
統帥権があるから政治家が軍部をコントロールするのは無理です 薩長史観とか言い出す奴らの佐幕史観だの会津史観だのに染まっているというギャグ
中立は無いんですか? >>828
統帥権の独立っていうのは、有事の際に「敵が弾を撃ってきたので撃ち返しても大丈夫ですか?部隊が全滅しそうなので許可お願いします」
とかやってられないのでこういうときは軍の裁量に任せるというもの。
当然だけど何をやっても良いわけではなく規律や事前に決められてることが絶対なので暴走するのは普通ならありえないです。
もし統帥権を悪用して軍を勝手に動かした場合は死刑です。
統帥権を悪用した軍を総理大臣裁定で許してしまってるので政治家がダメダメなんです。 >>815
丹波山国は、持明院統の光厳天皇陵があり藤原氏西園寺家とのつながり深い。
山林での材木切り出し作業を生業としているため、銃の扱いは得意であった。
戊辰戦争では鳥取藩士としての身分で参加し、明治期に士族となっている家もある。
彼らは鳥取藩の俸禄は得ていないが、西園寺公より山林地主としての権利を受け継ぎ
遠征費を材木伐採で補填した。
成功報酬として立木を貰ったが、参加したころは手弁当での参加なのが謎だ。 >>820-822 >>824
プロシア憲法や明治憲法の自国の権力者の権力乱用を許す憲法と英米同様の戦後憲法は自国の権力者を
鎖で縛ることじゃけぇ雲泥の差があるし、プロシアや明治憲法と価値観共有しとんは、中共や北朝鮮の
極左国家か、安倍政権と背後の長州カルト日本会議じゃけぇ、日本の今の政権は、西側自由主義圏から
離脱したい意図丸出しじゃのう。
32 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/29(月) 21:30:46.49
先生、憲法改正についてはどう思いますか、
33 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2016/08/30(火) 00:50:50.71
>32
今の民主主義憲法の大筋は守るべきで、憲法改正、特に民主主義を破壊する自民党創案にゃ当然
反対ですよ。
そもそも憲法たぁ、自国の国家権力者を縛るもので、全体主義のように国民に義務を強制すべき
もんじゃ無ぁですし。
アメリカ第三代大統領・トーマス・ジェファーソン氏の 、
「自由な政治は信頼ではなく警戒心によって作られる。もはや人間への信頼を語るのはやめよう。
悪さなどしないよう、権力者を憲法という鎖で縛るのだ」
権力を得るものは大抵人間の欲望が強うて堕落しとりますから、信頼しちゃいけんし、警戒すべき
存在ゆえ、憲法で縛るんですよ。 >>832
広島は将兵が薩長たぁ有能じゃし、因州鳥取藩、山国隊も兵の質じゃ広島たぁ劣るけぇのう。
{02 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2013/11/28(木) 01:57:38.57
実際、相馬方面でも広島の神機隊は最強じゃったよ。緒戦からして、7月23日〜26日に至る、
広野の激戦で神機隊は、 44名の死傷者 (死者十数名)が出とる。8月20日、士官以下軍夫計
193名の派遣となった訳じゃ。緒戦に犠牲が多いんは、戦場の常であるが、 広島神機隊は、
「7月24日、賊の砲台を突貫し、抜刀攻撃で縦横に斬殺し、我兵遂に先登、広野駅を占領。
ただし神機隊の進撃が激しすぎるため、総督府より、「進撃すべからず」の命が伝えられる。
25日朝、 敵兵は広野北西本通から、戦いを挑んで来たが、そのつど撃退。前線の芸州・因州
あわせて六百数十名に対し、同盟軍は十数倍に近く、入れ替わり新手の兵を繰り出し猛烈な反撃を
開始した。26日、因州兵が後退したため、神機隊は孤軍奮闘となった。しかし新たに戦線に
投入された長州、岩国の兵約400名が海上より広野海岸に到着。海岸寄りに対峙した敵に
攻撃をはじめた。その機を失せず、神機隊は左翼に対峙していた米沢藩の部隊に突撃し、敵砲台を
奪取した。奥羽同盟軍は広野を完全に放棄し退いた。」
広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍諸藩兵がその無暴を嗤笑する中、
「剣を抜き吶喊して突撃を為し、躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は
死屍を捨て 遁走せり。」 四日後は駒ヶ峰奪回をはかる奥羽同盟軍が大挙襲来し、
「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に撃退し、」
「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等
激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。 其の軍事上の好機を
致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。 }
まあ、東北兵に苦戦して泣く長州や九州もおるし、特に砲台奪われて逃げた福岡藩は恥よのう(笑)。 >>833
事前に決まっとっても、有能な前線将兵の判断じゃのうて、無能な高級軍人の裁量で決められるけぇ
駄目なんよ。無能な高級指揮官に云わせりゃあ、前線将兵が勝手に戦闘するゆえ、暴発止められる
ことが出来んわけで、「我が郷土師団の武勲の伝統を壊すおつもりですか?」と下から突き上げ
られるし、神輿を強要されるわけで、現地の高級指揮官は自己の無能さを棚に上げても、中央
大本営の無能な作戦指導じゃ駄目じゃと、中途半端な立場にあるわけじゃし。
そもそも、日本に大組織の指導系統なんか無理じゃし、>>836のように広島なら伝統の広島
らしい地域特質戦闘をやるわけで、お馬鹿な指揮系統に従う自滅なんか到底受け入れられんし、
郷土の伝統的な狭い山がちで、平野部の少ない土地柄で伝統的に受け継がれた距離を詰め、白兵戦で
勝負決めてた方が敵さんも火力戦や包囲殲滅戦よりも勝負付けが出来て、戦闘主導権が奪えるわけ
じゃけぇ、長州や九州の弱兵供が無暴でも、わしら広島んもんなら当たり前の判断じゃし、
九州薩摩の釣り野伏せりのオカマ包囲圏滅の女々しい尻のオカマ掘る戦法じゃの敵さんに背後、側面から
やられて負けたじゃ、精神的ダメージに成らんし、無謀な正面白兵戦で勝つことで精神的優位主導権を奪取
出来ことすら理解しとらん他地域のお馬鹿部隊と一緒に戦わせ、足を引っ張られ、援軍の泣き入れて
くる九州兵団との共同戦じゃ迷惑じゃし、広島部隊にとって足を引っ張るんは、他地域兵団、融通の効かん
神輿に担ぎあげられとることも認識出来ん、高級軍人や中央の大本営で苦労の負担が広島将兵に後ろ玉の
足引っ張るんじゃけぇ。 >>834
山林での材木の伐り出しも、山岳訓練にも成るし、山麓の地域に狩猟は欠かせん軍事訓練にも
日常から成っとったわけで、平野部の人間とは、育ちが違うよ。手弁当とか、給与が武勲で成されても、
自分の自信を実際にゃ弱い権威の象徴である幕府軍相手に求めたいわけで、広島県でも幕府軍が
長州征伐で進駐した海田じゃ、幕府軍が帰りしな瀬野川登る幕府軍が海田土民兵の遊び半分に
襲われ、隊列乱し対処出来んかったことから、散々馬鹿にされたけぇのう。
西日本じぁ幕府軍弱兵概念の庶民の空気が畿内まで伝わると、そりゃあ虚勢権威だけの存在が
バレるよ。張り子の虎よのう。 >>833
指揮系統の上位下達の英国軍下級将校たぁ、日本の神輿担ぎの方が強みな面もあるよ。
下士官、兵レベルじゃ日本兵は西洋の下級士官や兵よりは、かなり強うて有能なわけじゃが。
日本は下級指揮官の尉官クラスでも、西洋たぁレベルが高い。
マレー戦で越智春海氏と英軍の捕虜ゼームスとのやりとりでも、
「ほう。野砲と重砲を四、五十門並べてセレター軍港を破壊しておかないと渡河はむずかしいねぇ」
と、私が言った。
ゼームス「日本軍では、そういう軍司令官クラスの考えることを、少尉までが考えるのか」
越智「将校はみな戦術をやるからね。僕らは大隊長まではやれるよ。まさか、連隊長までやるような
ことは、ないからね」
ゼームス「ほう! 我々は、小隊長は、小隊長のことしか知らないのだ。中隊長になるためには、
そのための教育を受けなきゃならないのだ。それで指揮官が戦死すると、さっぱり後の収拾の
つかないことが多い」と、
階級社会の西洋じゃ、下級指揮官の尉官クラスでもレベルが低い。逆に日本は佐官以上の上層指揮官
は無能でも、前線下級指揮官将校からベテラン下士官、兵卒まで上層指揮官クラスの状況も
経験戦闘から全体的に把握する能力も持っとる。日本全部じゃ無うても、少なくとも広島師団に
おいては。 >>838
丹波なんか狩猟なんて生易しいもんじゃないよ。
マスケット銃使っていたのは、材木伐りやるのに邪魔なニホンオオカミ退治が目的だから。 >>840
西日本においては、猪を指標とする狩猟の伝統があるし、丹波も例外じゃ無ぁよ。 >>841
北桑田の民は、藤原北家の狩猟遊びに、勢子(せこ)として駆り出されてたので兵士としては強いだうな。
むやみに天皇家や摂関家が主の森林で狩りをすると、遊びに来た時に獲物がとれんと困るんだ。
武家政権時代には森林は北朝系の天皇家・藤原家のものだったので、信濃の木曽みたいに御料林になっていたかもしれんけど
森林の中心地芦生は京都大学演習林になったほか、戊辰戦争の報酬で杣人に払い下げになった。 入会権を奪われていた京都山地の鬼の子達が、江戸幕府側のサムライや東北各藩のサムライを狙撃してしまうんだから、下剋上だよな。 尾張藩の木曽が明治以降御料林になってしまい、入会権をはく奪されてしまったのは、島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
西吉野の天誅組の背景にも天領が絡む山林の利権の話があり、平地の人には理解しずらいものがあるわな。 幕府寄りのへっぴり弱虫彦根藩が、天誅組を捕縛できたのはなんでなの? 広島バカが侵入したからにはこのスレは枯死したも同然 岩瀬と勝は優秀だったが、小栗なんてただの売国奴やろ。 >>843
戦闘上手の基本は狩りの狩猟じゃけぇ。薩摩島津家でも軍議を「狩相談」と呼んだし、
戦争も狩猟の延長行為の面が強い。
>>844
本職の狩りのプロが、狩りなんか江戸初期くらいまでしかせんかったお役人子弟の武家相手
じゃけぇのう。まだ東北将兵は田舎者ゆえ、狩り馴れしとるし、足腰が強いけぇ、関東のお役人武士
ほど貧弱じゃ無ぁけどのう。やっぱし奥羽越相手じゃ関東勢と違い官軍はどこでも苦戦しとるし、
薩摩勢は越後の長岡で食い止められるし、熊本や福岡の参加した >>836の相馬口でものう。
特に福岡藩はボロ負け反攻占領され砲台を敵さんに奪われたけぇのう。まあ、戦闘のプロの広島県の
安芸神機隊が無謀な正面激突白兵斬り込み攻撃で敵陣を占領して取り返してあげたよ。兎も角距離が詰められ
りゃ広島勢に勝てるもんはおらんし。
>>848
天誅組みとうな、政治テロ連中は妄想正義感で精神も狂うて軟弱じゃけぇ戦さなんか出来んよ。
戦さも基本的に好きこそ物の上手じゃけぇ、戦闘駆け引きを愉しむ心が無ぁと駄目じゃ。
>>851
愛国者云う意味じゃ小栗さんと並ぶもんは幕府内にも、武器の商人軍需産業のアディソン商会に
日本を売り渡した薩長にもおらんじゃろうのう。
アメリカ行っても小栗さんだけは卑屈にならず堂々としとられたけぇ、アメリカ人からも
尊敬されとるよ。その小栗さんも日本の上層部の例にもれず、戦さは下手じゃがのう。 むかしのあいどるのうた ちがくしてるのかとおもった たいへんだなーで 天誅組は、十津川の住民を動員したから白馬青牛理論では強いはずだがな。
どこかでついていけなくなったんだろうな。 >>854
どっちが朝敵か、疑心暗鬼の十津川郷士を吉村寅太郎が脅迫で集めたんじゃし、
反逆扱いで十津川庄屋の玉堀為之進が斬首されたわけじゃけぇ、戦意も天誅組に義理立てする必要も
のうなったろう。最初から天誅組と十津川郷士にゃ衆心一致も無かったけぇ、雑軍での戦い方に徹し、
天誅組が狂信的に戦うても、見学して加わらず、敵が踊り出ては引き、十津川郷士の兵員の命を
無駄にせん戦いしかやらんよ。まあ、天誅組の中でも十津川兵へ泣きを入れて来るもんがおったら、
敵中の一角を崩して助けてやる武士の情けはあったろうけどのう。まあ天誅組の戦さ下手見て後で、
笑い話のネタにもなるんが十津川兵らじゃったろうて。 中山忠光は、西吉野の五條では笑い者なのに、全国区では名誉回復されてるからヤラしいな。
十津川兵は「雑兵」扱いされたままじゃし。 そりゃ中山忠光は明治天皇の母方の叔父ですしお寿司
それにしても、忠光の父の中山忠能は既に失脚中だったが、
皇太子睦仁親王(明治天皇)は、よく連座せずに済んだものだな
幕府が皇太子をすげ替えてもおかしくなかった >>851
孝明天皇すら「言う事聞かないなら承久の乱のようにするぞ」と
兵器で脅していた小栗が政権中枢にいたら、天皇家は断絶していたかもね >>857
孝明天皇の男子で生き残ったのが明治天皇ただ一人だけだから
交代させようがない
孝明天皇自身は公武合体派で幕府の存続を望んでおり
幕府は孝明天皇と敵対するつもりはなかったし >>859
無理やりだが、宮家の親王に皇位を継がせる方法はあるにはある
では、なぜ外祖父の家が中山家にもかかわらず、睦仁親王は明治天皇になれたか?
@孝明天皇の血を引いた男子が睦仁親王だけだった
A皇太子を廃することで、せっかく会津や一橋に心を寄せている
公武合体派の孝明天皇の信頼を裏切りたくなかった
B孝明天皇がまだ若く、すぐに崩御するとは想定しにくかった
C皇太子を廃することで討幕派に大義名分を与え、
幕府が輿論の支持を失うことを恐れた >>860
明治天皇が中山忠光と行動を共にしたとかならだが
外戚が問題起こしたら問答無用に廃太子ではないよ
それに明治天皇は儲君に立つときに
孝明天皇の女御・九条夙子の「実子」となり
公的には九条家の外孫という立場だった
あと明治天皇は即位前、立太子の義を行っておらず
皇太子になったことはない
次期皇位継承者として「儲君」という立場だった >>856
お公家さんは、逃亡将軍慶喜さんや昭和の高級軍人さん、現代の政治屋さん、
官僚お役人さんら同様、日本の上層部の多くの人らと同様、自分は責任取らんし、
責任を取らせトカゲの尻尾切りする人種じゃけぇのう。名誉回復なら現代の長州系の
靖国カルトらも同様。そもそも衆心一致が無ぁと戦さは負けじゃ云うことを
理解しとらんのじゃけぇ。
>>859
明治天皇がほんまに孝明天皇の子かどうかも、解らんし、証明出来る手段も無ぁわりけで。
昭和天皇が大正天皇の子で無かった可能性も強いし、家の継続はそもそも血統の継続と違う
わけで、昔の王朝時代から、権力婚姻氏族の母親の子であれば、余所の密通の種で、
権威の王様の子であらずとも、権力集団に欲しいんは権威の種じゃのうて、
権威の家の継続じゃし。 >>859
https://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/50255266.html
「河野司は二.二六事件に関与して自決した河野寿航空兵大尉の兄にあり、
『二・二六事件 獄中手記・遺書』など関連の出版物を多数出している方。昭和49年の
暮れに笠原は街でばったりと河野氏と会った。そのとき、河野氏は興奮気味で話し
たいことがあると笠原をバーに誘った。
その店は軍関係者の出入りする「潜水艦」というバーです。
「実はいま東久邇(宮稔彦王)さんに会ってきたんだが・・・」
河野氏の興奮は東久邇宮から2.26事件の真相を聞いたことからです。二.二六事件は
壬申の乱だったと。
その発端に大正天皇に子供を生ませる能力がないことに危惧して 貞明皇后に
何人かの男をあてがった。つまり、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮は
大正天皇の子供ではない。そして、貞明皇后は次男の秩父宮とその父を愛した。
このエピソードは太田出版の『昭和の劇』のなかにあります。わたしがこの話に
信用性を感じたのは 笠原和夫、河野司の人となりと第一情報ソースが
東久邇宮稔彦王という点。」 >>859
笠原和夫氏は「昭和の劇」で、
「大正天皇は生殖能力(子供ができなかった)に問題があったそうです。そこで
貞明皇后に何人かの男性をあてて子供を産ませた。昭和天皇、秩父宮、高松宮、
三笠宮。皇后は二番目の男性を愛し、秩父宮を溺愛したのだそうです。」
「結局、二・二六事件というのは壬申の乱だったんだと。つまり大正帝に子どもが
できなくて、貞明皇后に何人か男をあてて、それで子どもを生ませていったと言うんだね。
「だからあの兄弟は顔が違いますよ
それで貞明皇后なんだけど、女というのは最初に押しつけられた男というのをイヤがりますわな。
それで、ものすごく長男……裕仁さんに拒否反応を持ったらしいんですよ。それで秩父宮さんを
溺愛したらしいんです。だから、貞明皇后としてはなんとしても裕仁さんを外して、第二子の
秩父宮を天皇の座に 送りたいというのがあったんですね。それを画策したのが山県有朋でね。
だから、 昭和天皇の妃を決定する際、色盲問題があったでしょ。
−宮中某重大事件ですね。
笠原:そう。それで結局、山県は宮中クーデターに失敗したわけだよ。』
まあ、貴族社会は世界的に不倫社会じゃけぇ、どこの王室でも父系は、継続されとらん
可能性が極めて強いよ。「とはずがたり」の場合は逆バージョンじゃが。
宮中某重大事件(昭和天皇のお后問題で山県有朋の失脚に発展)や二.二六事件は
ここから生まれるのだと。 藤原信頼はバトルに参加したうえで、首切られてるから、平家物語の頃は、上級久家もガチンコだったのだな。 幕末の幕府って有能だったのか
結局外圧で滅びて、将軍は大阪から妾連れてさっさと船で逃げ帰っちゃうし
なんだかなーという印象
それより、三百年の鎖国で平和というのは世界的に見て功績なんだろうけど
鎖国自体が統治のためのチートな手段であって
その遅れを取り戻すために近代の日本は地獄見てる
これもまた、なんだかなーという印象 >>868
鎖国のおかげで平和ってなんか憲法9条のおかげで平和って言ってる人みたい 徳川幕府の外交
・オランダの砲撃で鎖国
・アメリカの砲撃で開国
幕末の徳川幕府の外交
・不平等条約を改正できず
・対馬侵略に対してイギリス軍に完全依存 江戸時代初めの頃の日本は世界でも有数の強国で鎖国はいわゆる武装中立。
鎖国で布教してくるカトリックとは関わらないって感じだったけど
時が経つにつれプロテスタントまで拒絶しだして完全な引きこもりになって文明が遅れてしまった。 白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
この人が来るとスレが終るよなぁ >>866
藤原保忠(890〜936) 上級貴族
近衛大将だったときの話。馬に不馴れなため落馬し冠を落とし恥をかいた。
(古事談)
清原元輔(908〜990) 中級貴族、三十六歌仙の一人
賀茂祭りの行列では落馬し、冠が飛んで禿頭をさらけ出した。
しかし泰然自若として、「笑ってはいけない」と説いてまわったので、見物人たちは爆笑した。
(今昔物語集、宇治拾遺物語)
藤原信頼(1133〜1160) 上級貴族
乗馬に不慣れで 落馬し、配下の義朝に「日本一の不覚人」と罵られた。
(愚管抄、平治物語) 今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の関東の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。
敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。
関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語) 流鏑馬は、記録にも実演にも残っておるな。
投げ槍も馬上から、可能だ。
明末の秀吉戦争にも登場する。 皇族が軍閥化すると必ず謀反扱いで暗殺されるので、南北朝のバトルが最後だろう。 >>877
江戸時代初期、後光明天皇は武術が好きで常に内裏で刀を振り回していた
京都所司代・板倉勝重がこれを咎め
「天子の務めは学問です。このような物騒なことをなさるようでは
私は江戸への責任を取って腹を切らねばなりませぬ」
と忠告した。すると後光明天皇は
「朕は武士の切腹を見たことがない。今、ここで、切腹して見せよ」
と言った >>869
憲法九条は、保守すべきじゃろう。日本は未だに国連の敵国条項国じゃし、世界中から
敵国と認識されとるし、先の昭和の戦争の前例を世界は忘れとらんし。
>>871
今は宗教団体の内政干渉に日本はさらされとるけどのう。長州血流のバックにゃ、
カトリックでもナチスドイツや枢軸国親派じゃったイエズス会系
ジャパンハンドラーらがおるし、プロテスタントでも米国や朝鮮半島系の
反自由主義神学派の原理主義福音派もおるけぇのう。
>>873-875
平安期の公家さんたぁ、お笑いロデオでお馬さんに乗せられとる関東武士の方が憐れよのう。
石橋山合戦の佐奈田与一義忠のように馬が勝手に暴走し馬を制御できず敵さんに
討ち取られるレベルで、まだ京都赴任で騎馬習うた「京畿の輩」の方がましじゃろうし、
後に西行の弓馬談義をテキストとした関東武士じゃ程度が低過ぎるよ。 >>873-875
水野祐氏も、独立守備隊の従軍経験で、隊が騎馬隊を編成し、敵に包囲殲滅された
経験から 「落馬する兵、馬を逃がす兵、もう混乱しちゃって、敵の一斉射撃で全滅し、
二度と騎馬隊はつくられませんでした。なにしろ向こうの騎馬の連中は、裸馬のような
ものにまたがり、後ろ向いて銃を構えて正確に射って来るのです。小銃で。
日本の騎兵はあんなこと出来ないです。あんなものには絶対かなわないと思って
みていたのです。」
カザフ人は、水野氏の独立守備兵が騎馬戦でやられたモンゴル人以上じゃ。戦時中
日本のスパイとして潜行した西川一三氏によると、馬歩芳 (青海省国民党軍、回族で、
後に台湾に亡命し、中華民国のサウジ・アラビア大使となる。)軍に参加しカザフ人
討伐に参加したモンゴル人が、
「ハサク(カザフ)の奴、老幼婦女子を先頭に逃がして、男達がこれを守りながら
脱出しているのを追撃するのだが、馬術、射撃上手、精悍な彼等には、さんざん手を
焼いた。馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて走って発砲して来る。馬を倒すと、
後ろから近ずいた味方の馬にヒラリと飛び乗り、ふたり乗りで逃げる。先駈けした五、
六騎が思わぬ方向から死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体に近ずくと
倒れた馬を盾として、ひとりのハサクが犠牲となって残り、死ぬまで発砲して、私達の
追撃をひとりでくいとめ、逃げて行く一行を私達から遠ざけながら死んでいく。また
前の一行に近ずくと、ひとりが犠牲の盾となる。銃声の音がしなくなり、近ずいて
みると、彼の体は蜂の巣のように射ぬかれていて、実に勇敢というか恐ろしい奴だよ。
さらに男だけでなくハサクの女も、実にしぶとく抵抗して、奴等は人間ではないよ。
としきりに 彼等の勇敢さを恐れると共に、彼等の勇敢さを讃えていた。」 >>875
まあ、騎馬民族系末裔のお公家さんでも、日本化し騎馬下手で駄目じゃし、関東ロデオ
お笑い武士団じゃ騎馬の組織運用なんか無理じゃけぇ、文禄の役で騎馬民族系と戦うて
来た遼東軍に関東武士が騎馬戦で挑んでみんさい。加藤・小西の熊本勢以上の大潰走
一方的大敗北しよったろう。騎馬も歩兵も対外戦争で一番弱いんが関東地方の兵隊よ。
関東勢は戦闘は弱いが現地市民にゃ強いけぇのう。
麻布暴力団と名高い東京101D坂田甚蔵氏も、
「私らの部隊は、戦闘では弱いけど、悪いことでは天下一品だった。だから鬼部隊と
呼ばれてね。 街に入ったら強い。なにしろ略奪や強姦はお手のもので」
まさに鬼部隊(中国人の鬼概念は、勇者じゃ無ぁ不吉な災いをもたらしてくるんが鬼)
よのう。 現代の騎兵は、衛星通信のサポートを受けて、航空機による補給や空爆を支援してもらった上で、地上戦で拠点の制圧や代表者の拘束が役目であろう。
それでも、アメリカはサダムフセインやウサマデデビンラディンを拘束するのに手間取ったわ。 >>882
装甲車時代に成ってから、騎馬はほとんど用を成さんように成ったけぇのう。
敵さん拘束なら特殊部隊の方がええし。地下壕なら見つけるまで時間がかかるよ。 専制国の軍はあんまり強くない
日本に併合された朝鮮や大国の割に列強に進行された清
日本は半専制民主くらいだったので朝鮮や清より強かった
マジもんの民主国のアメリカには勝てなかった >>884
ベトナム戦争でアメリカはベトナムに負けた 幕府は無能やな
幕府は究極的に幕府体制、体質を徳川が公武合体で政府権限を移して幕府を止めるから
維新連中が公武合体なし維新政府作るかだった。
結局幕府自体は完全に両陣営から見限られて「どちらにせよ」江戸地方府にとどまる予定だった
大久保なんかは「究極的に徳川が存続しようが、江戸300万石放置でも構わん」って方針
ようは公武合体派も維新政府派も幕府は見限ったが地方府で弱体化して、外交権限止めればいいだった >>885
負けたというより
アメリカの世論が無用な戦争を止めさせたという感じだろう
負けたと言ってもアメリカがベトナムに攻め込まれる状態でも何でもなく
戦死者もベトナムとは桁違い >>884 >>885-887
兵隊の強さなら中国兵や朝鮮兵の方がアメリカ兵よりは強いし、韓国兵もベトナム戦争
参加軍のなかでも最強じゃったよ。韓国兵>ベトコン>>>アメリカ兵じゃったし。
民主国でも、戦さで現地住民虐殺じゃの現地民を慰撫せんかったら、侵攻は速度の
法則から外れ、長期泥沼戦になると地元優位で勝ち目は無うなるよ。侵攻軍が装備が
優ってとる分撤退時期が遅うなるだけで、文禄慶長の役や日華事変の日本軍も、
ベトナム戦争の西側軍も勝ち目は無うなったんよ。ほいから、旧日本軍にベトナム戦争の
ように徹底抗戦は先の大戦のアメリカ軍にゃ出来んよ。沖縄ですら、日本軍の方が
沖縄人を殺しとるし、住民虐殺しとるわけで、内地の本土日本で地上戦闘しても、
日本国民の生命と財産は自国の日本軍によって奪われるわけで、家屋は壊され木材は
日本軍の野営の燃料に徴発され、日本軍撤退の時は時間稼ぎの前線に配備され敵さんの
砲撃や装甲車の生贄強要されるわけで、南方戦線で自国日本兵大量が餓死させる
世界ワーストの日本軍じゃ自国の兵や国民に情愛が無ぁけぇ、どこと戦うても
負けるよ。アメリカ兵が日本の子供にチョコレート食わし、子供が喜んだ時点で
勝負はあったし、逆にアメリカはベトナム戦争じゃ長期厭戦気分で現地民殺戮で
自滅し、今でも装備物量圧倒的な中東でも勝ち目が無ぁ戦さに軍需産業利権の為に
邁進しとるけえのう。物量叩き込んでも、現地民から憎悪されたら勝てんよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています