幕末の徳川幕府、実は有能だった説 [無断転載禁止]©2ch.net
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まーふつうに考えれば幕府はオランダとかから世界情勢を把握していた
当時の世界はイギリスとロシアの2強状態だった
この2国と開国やら条約を結ぶより先に当時新興国だった雑魚のアメリカ相手に開国をした方が
マシな条件で条約を結ぶことができる
つまり先に日米和親条約という有利な条件を結んだことでイギリスロシア他の列強国はこの基準で交渉しないといけなくなった >>828
統帥権の独立っていうのは、有事の際に「敵が弾を撃ってきたので撃ち返しても大丈夫ですか?部隊が全滅しそうなので許可お願いします」
とかやってられないのでこういうときは軍の裁量に任せるというもの。
当然だけど何をやっても良いわけではなく規律や事前に決められてることが絶対なので暴走するのは普通ならありえないです。
もし統帥権を悪用して軍を勝手に動かした場合は死刑です。
統帥権を悪用した軍を総理大臣裁定で許してしまってるので政治家がダメダメなんです。 >>815
丹波山国は、持明院統の光厳天皇陵があり藤原氏西園寺家とのつながり深い。
山林での材木切り出し作業を生業としているため、銃の扱いは得意であった。
戊辰戦争では鳥取藩士としての身分で参加し、明治期に士族となっている家もある。
彼らは鳥取藩の俸禄は得ていないが、西園寺公より山林地主としての権利を受け継ぎ
遠征費を材木伐採で補填した。
成功報酬として立木を貰ったが、参加したころは手弁当での参加なのが謎だ。 >>820-822 >>824
プロシア憲法や明治憲法の自国の権力者の権力乱用を許す憲法と英米同様の戦後憲法は自国の権力者を
鎖で縛ることじゃけぇ雲泥の差があるし、プロシアや明治憲法と価値観共有しとんは、中共や北朝鮮の
極左国家か、安倍政権と背後の長州カルト日本会議じゃけぇ、日本の今の政権は、西側自由主義圏から
離脱したい意図丸出しじゃのう。
32 :無名武将@お腹せっぷく:2016/08/29(月) 21:30:46.49
先生、憲法改正についてはどう思いますか、
33 :白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 :2016/08/30(火) 00:50:50.71
>32
今の民主主義憲法の大筋は守るべきで、憲法改正、特に民主主義を破壊する自民党創案にゃ当然
反対ですよ。
そもそも憲法たぁ、自国の国家権力者を縛るもので、全体主義のように国民に義務を強制すべき
もんじゃ無ぁですし。
アメリカ第三代大統領・トーマス・ジェファーソン氏の 、
「自由な政治は信頼ではなく警戒心によって作られる。もはや人間への信頼を語るのはやめよう。
悪さなどしないよう、権力者を憲法という鎖で縛るのだ」
権力を得るものは大抵人間の欲望が強うて堕落しとりますから、信頼しちゃいけんし、警戒すべき
存在ゆえ、憲法で縛るんですよ。 >>832
広島は将兵が薩長たぁ有能じゃし、因州鳥取藩、山国隊も兵の質じゃ広島たぁ劣るけぇのう。
{02 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU :2013/11/28(木) 01:57:38.57
実際、相馬方面でも広島の神機隊は最強じゃったよ。緒戦からして、7月23日〜26日に至る、
広野の激戦で神機隊は、 44名の死傷者 (死者十数名)が出とる。8月20日、士官以下軍夫計
193名の派遣となった訳じゃ。緒戦に犠牲が多いんは、戦場の常であるが、 広島神機隊は、
「7月24日、賊の砲台を突貫し、抜刀攻撃で縦横に斬殺し、我兵遂に先登、広野駅を占領。
ただし神機隊の進撃が激しすぎるため、総督府より、「進撃すべからず」の命が伝えられる。
25日朝、 敵兵は広野北西本通から、戦いを挑んで来たが、そのつど撃退。前線の芸州・因州
あわせて六百数十名に対し、同盟軍は十数倍に近く、入れ替わり新手の兵を繰り出し猛烈な反撃を
開始した。26日、因州兵が後退したため、神機隊は孤軍奮闘となった。しかし新たに戦線に
投入された長州、岩国の兵約400名が海上より広野海岸に到着。海岸寄りに対峙した敵に
攻撃をはじめた。その機を失せず、神機隊は左翼に対峙していた米沢藩の部隊に突撃し、敵砲台を
奪取した。奥羽同盟軍は広野を完全に放棄し退いた。」
広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍諸藩兵がその無暴を嗤笑する中、
「剣を抜き吶喊して突撃を為し、躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は
死屍を捨て 遁走せり。」 四日後は駒ヶ峰奪回をはかる奥羽同盟軍が大挙襲来し、
「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に撃退し、」
「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等
激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。 其の軍事上の好機を
致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。 }
まあ、東北兵に苦戦して泣く長州や九州もおるし、特に砲台奪われて逃げた福岡藩は恥よのう(笑)。 >>833
事前に決まっとっても、有能な前線将兵の判断じゃのうて、無能な高級軍人の裁量で決められるけぇ
駄目なんよ。無能な高級指揮官に云わせりゃあ、前線将兵が勝手に戦闘するゆえ、暴発止められる
ことが出来んわけで、「我が郷土師団の武勲の伝統を壊すおつもりですか?」と下から突き上げ
られるし、神輿を強要されるわけで、現地の高級指揮官は自己の無能さを棚に上げても、中央
大本営の無能な作戦指導じゃ駄目じゃと、中途半端な立場にあるわけじゃし。
そもそも、日本に大組織の指導系統なんか無理じゃし、>>836のように広島なら伝統の広島
らしい地域特質戦闘をやるわけで、お馬鹿な指揮系統に従う自滅なんか到底受け入れられんし、
郷土の伝統的な狭い山がちで、平野部の少ない土地柄で伝統的に受け継がれた距離を詰め、白兵戦で
勝負決めてた方が敵さんも火力戦や包囲殲滅戦よりも勝負付けが出来て、戦闘主導権が奪えるわけ
じゃけぇ、長州や九州の弱兵供が無暴でも、わしら広島んもんなら当たり前の判断じゃし、
九州薩摩の釣り野伏せりのオカマ包囲圏滅の女々しい尻のオカマ掘る戦法じゃの敵さんに背後、側面から
やられて負けたじゃ、精神的ダメージに成らんし、無謀な正面白兵戦で勝つことで精神的優位主導権を奪取
出来ことすら理解しとらん他地域のお馬鹿部隊と一緒に戦わせ、足を引っ張られ、援軍の泣き入れて
くる九州兵団との共同戦じゃ迷惑じゃし、広島部隊にとって足を引っ張るんは、他地域兵団、融通の効かん
神輿に担ぎあげられとることも認識出来ん、高級軍人や中央の大本営で苦労の負担が広島将兵に後ろ玉の
足引っ張るんじゃけぇ。 >>834
山林での材木の伐り出しも、山岳訓練にも成るし、山麓の地域に狩猟は欠かせん軍事訓練にも
日常から成っとったわけで、平野部の人間とは、育ちが違うよ。手弁当とか、給与が武勲で成されても、
自分の自信を実際にゃ弱い権威の象徴である幕府軍相手に求めたいわけで、広島県でも幕府軍が
長州征伐で進駐した海田じゃ、幕府軍が帰りしな瀬野川登る幕府軍が海田土民兵の遊び半分に
襲われ、隊列乱し対処出来んかったことから、散々馬鹿にされたけぇのう。
西日本じぁ幕府軍弱兵概念の庶民の空気が畿内まで伝わると、そりゃあ虚勢権威だけの存在が
バレるよ。張り子の虎よのう。 >>833
指揮系統の上位下達の英国軍下級将校たぁ、日本の神輿担ぎの方が強みな面もあるよ。
下士官、兵レベルじゃ日本兵は西洋の下級士官や兵よりは、かなり強うて有能なわけじゃが。
日本は下級指揮官の尉官クラスでも、西洋たぁレベルが高い。
マレー戦で越智春海氏と英軍の捕虜ゼームスとのやりとりでも、
「ほう。野砲と重砲を四、五十門並べてセレター軍港を破壊しておかないと渡河はむずかしいねぇ」
と、私が言った。
ゼームス「日本軍では、そういう軍司令官クラスの考えることを、少尉までが考えるのか」
越智「将校はみな戦術をやるからね。僕らは大隊長まではやれるよ。まさか、連隊長までやるような
ことは、ないからね」
ゼームス「ほう! 我々は、小隊長は、小隊長のことしか知らないのだ。中隊長になるためには、
そのための教育を受けなきゃならないのだ。それで指揮官が戦死すると、さっぱり後の収拾の
つかないことが多い」と、
階級社会の西洋じゃ、下級指揮官の尉官クラスでもレベルが低い。逆に日本は佐官以上の上層指揮官
は無能でも、前線下級指揮官将校からベテラン下士官、兵卒まで上層指揮官クラスの状況も
経験戦闘から全体的に把握する能力も持っとる。日本全部じゃ無うても、少なくとも広島師団に
おいては。 >>838
丹波なんか狩猟なんて生易しいもんじゃないよ。
マスケット銃使っていたのは、材木伐りやるのに邪魔なニホンオオカミ退治が目的だから。 >>840
西日本においては、猪を指標とする狩猟の伝統があるし、丹波も例外じゃ無ぁよ。 >>841
北桑田の民は、藤原北家の狩猟遊びに、勢子(せこ)として駆り出されてたので兵士としては強いだうな。
むやみに天皇家や摂関家が主の森林で狩りをすると、遊びに来た時に獲物がとれんと困るんだ。
武家政権時代には森林は北朝系の天皇家・藤原家のものだったので、信濃の木曽みたいに御料林になっていたかもしれんけど
森林の中心地芦生は京都大学演習林になったほか、戊辰戦争の報酬で杣人に払い下げになった。 入会権を奪われていた京都山地の鬼の子達が、江戸幕府側のサムライや東北各藩のサムライを狙撃してしまうんだから、下剋上だよな。 尾張藩の木曽が明治以降御料林になってしまい、入会権をはく奪されてしまったのは、島崎藤村の「夜明け前」に詳しい。
西吉野の天誅組の背景にも天領が絡む山林の利権の話があり、平地の人には理解しずらいものがあるわな。 幕府寄りのへっぴり弱虫彦根藩が、天誅組を捕縛できたのはなんでなの? 広島バカが侵入したからにはこのスレは枯死したも同然 岩瀬と勝は優秀だったが、小栗なんてただの売国奴やろ。 >>843
戦闘上手の基本は狩りの狩猟じゃけぇ。薩摩島津家でも軍議を「狩相談」と呼んだし、
戦争も狩猟の延長行為の面が強い。
>>844
本職の狩りのプロが、狩りなんか江戸初期くらいまでしかせんかったお役人子弟の武家相手
じゃけぇのう。まだ東北将兵は田舎者ゆえ、狩り馴れしとるし、足腰が強いけぇ、関東のお役人武士
ほど貧弱じゃ無ぁけどのう。やっぱし奥羽越相手じゃ関東勢と違い官軍はどこでも苦戦しとるし、
薩摩勢は越後の長岡で食い止められるし、熊本や福岡の参加した >>836の相馬口でものう。
特に福岡藩はボロ負け反攻占領され砲台を敵さんに奪われたけぇのう。まあ、戦闘のプロの広島県の
安芸神機隊が無謀な正面激突白兵斬り込み攻撃で敵陣を占領して取り返してあげたよ。兎も角距離が詰められ
りゃ広島勢に勝てるもんはおらんし。
>>848
天誅組みとうな、政治テロ連中は妄想正義感で精神も狂うて軟弱じゃけぇ戦さなんか出来んよ。
戦さも基本的に好きこそ物の上手じゃけぇ、戦闘駆け引きを愉しむ心が無ぁと駄目じゃ。
>>851
愛国者云う意味じゃ小栗さんと並ぶもんは幕府内にも、武器の商人軍需産業のアディソン商会に
日本を売り渡した薩長にもおらんじゃろうのう。
アメリカ行っても小栗さんだけは卑屈にならず堂々としとられたけぇ、アメリカ人からも
尊敬されとるよ。その小栗さんも日本の上層部の例にもれず、戦さは下手じゃがのう。 むかしのあいどるのうた ちがくしてるのかとおもった たいへんだなーで 天誅組は、十津川の住民を動員したから白馬青牛理論では強いはずだがな。
どこかでついていけなくなったんだろうな。 >>854
どっちが朝敵か、疑心暗鬼の十津川郷士を吉村寅太郎が脅迫で集めたんじゃし、
反逆扱いで十津川庄屋の玉堀為之進が斬首されたわけじゃけぇ、戦意も天誅組に義理立てする必要も
のうなったろう。最初から天誅組と十津川郷士にゃ衆心一致も無かったけぇ、雑軍での戦い方に徹し、
天誅組が狂信的に戦うても、見学して加わらず、敵が踊り出ては引き、十津川郷士の兵員の命を
無駄にせん戦いしかやらんよ。まあ、天誅組の中でも十津川兵へ泣きを入れて来るもんがおったら、
敵中の一角を崩して助けてやる武士の情けはあったろうけどのう。まあ天誅組の戦さ下手見て後で、
笑い話のネタにもなるんが十津川兵らじゃったろうて。 中山忠光は、西吉野の五條では笑い者なのに、全国区では名誉回復されてるからヤラしいな。
十津川兵は「雑兵」扱いされたままじゃし。 そりゃ中山忠光は明治天皇の母方の叔父ですしお寿司
それにしても、忠光の父の中山忠能は既に失脚中だったが、
皇太子睦仁親王(明治天皇)は、よく連座せずに済んだものだな
幕府が皇太子をすげ替えてもおかしくなかった >>851
孝明天皇すら「言う事聞かないなら承久の乱のようにするぞ」と
兵器で脅していた小栗が政権中枢にいたら、天皇家は断絶していたかもね >>857
孝明天皇の男子で生き残ったのが明治天皇ただ一人だけだから
交代させようがない
孝明天皇自身は公武合体派で幕府の存続を望んでおり
幕府は孝明天皇と敵対するつもりはなかったし >>859
無理やりだが、宮家の親王に皇位を継がせる方法はあるにはある
では、なぜ外祖父の家が中山家にもかかわらず、睦仁親王は明治天皇になれたか?
@孝明天皇の血を引いた男子が睦仁親王だけだった
A皇太子を廃することで、せっかく会津や一橋に心を寄せている
公武合体派の孝明天皇の信頼を裏切りたくなかった
B孝明天皇がまだ若く、すぐに崩御するとは想定しにくかった
C皇太子を廃することで討幕派に大義名分を与え、
幕府が輿論の支持を失うことを恐れた >>860
明治天皇が中山忠光と行動を共にしたとかならだが
外戚が問題起こしたら問答無用に廃太子ではないよ
それに明治天皇は儲君に立つときに
孝明天皇の女御・九条夙子の「実子」となり
公的には九条家の外孫という立場だった
あと明治天皇は即位前、立太子の義を行っておらず
皇太子になったことはない
次期皇位継承者として「儲君」という立場だった >>856
お公家さんは、逃亡将軍慶喜さんや昭和の高級軍人さん、現代の政治屋さん、
官僚お役人さんら同様、日本の上層部の多くの人らと同様、自分は責任取らんし、
責任を取らせトカゲの尻尾切りする人種じゃけぇのう。名誉回復なら現代の長州系の
靖国カルトらも同様。そもそも衆心一致が無ぁと戦さは負けじゃ云うことを
理解しとらんのじゃけぇ。
>>859
明治天皇がほんまに孝明天皇の子かどうかも、解らんし、証明出来る手段も無ぁわりけで。
昭和天皇が大正天皇の子で無かった可能性も強いし、家の継続はそもそも血統の継続と違う
わけで、昔の王朝時代から、権力婚姻氏族の母親の子であれば、余所の密通の種で、
権威の王様の子であらずとも、権力集団に欲しいんは権威の種じゃのうて、
権威の家の継続じゃし。 >>859
https://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/50255266.html
「河野司は二.二六事件に関与して自決した河野寿航空兵大尉の兄にあり、
『二・二六事件 獄中手記・遺書』など関連の出版物を多数出している方。昭和49年の
暮れに笠原は街でばったりと河野氏と会った。そのとき、河野氏は興奮気味で話し
たいことがあると笠原をバーに誘った。
その店は軍関係者の出入りする「潜水艦」というバーです。
「実はいま東久邇(宮稔彦王)さんに会ってきたんだが・・・」
河野氏の興奮は東久邇宮から2.26事件の真相を聞いたことからです。二.二六事件は
壬申の乱だったと。
その発端に大正天皇に子供を生ませる能力がないことに危惧して 貞明皇后に
何人かの男をあてがった。つまり、昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮は
大正天皇の子供ではない。そして、貞明皇后は次男の秩父宮とその父を愛した。
このエピソードは太田出版の『昭和の劇』のなかにあります。わたしがこの話に
信用性を感じたのは 笠原和夫、河野司の人となりと第一情報ソースが
東久邇宮稔彦王という点。」 >>859
笠原和夫氏は「昭和の劇」で、
「大正天皇は生殖能力(子供ができなかった)に問題があったそうです。そこで
貞明皇后に何人かの男性をあてて子供を産ませた。昭和天皇、秩父宮、高松宮、
三笠宮。皇后は二番目の男性を愛し、秩父宮を溺愛したのだそうです。」
「結局、二・二六事件というのは壬申の乱だったんだと。つまり大正帝に子どもが
できなくて、貞明皇后に何人か男をあてて、それで子どもを生ませていったと言うんだね。
「だからあの兄弟は顔が違いますよ
それで貞明皇后なんだけど、女というのは最初に押しつけられた男というのをイヤがりますわな。
それで、ものすごく長男……裕仁さんに拒否反応を持ったらしいんですよ。それで秩父宮さんを
溺愛したらしいんです。だから、貞明皇后としてはなんとしても裕仁さんを外して、第二子の
秩父宮を天皇の座に 送りたいというのがあったんですね。それを画策したのが山県有朋でね。
だから、 昭和天皇の妃を決定する際、色盲問題があったでしょ。
−宮中某重大事件ですね。
笠原:そう。それで結局、山県は宮中クーデターに失敗したわけだよ。』
まあ、貴族社会は世界的に不倫社会じゃけぇ、どこの王室でも父系は、継続されとらん
可能性が極めて強いよ。「とはずがたり」の場合は逆バージョンじゃが。
宮中某重大事件(昭和天皇のお后問題で山県有朋の失脚に発展)や二.二六事件は
ここから生まれるのだと。 藤原信頼はバトルに参加したうえで、首切られてるから、平家物語の頃は、上級久家もガチンコだったのだな。 幕末の幕府って有能だったのか
結局外圧で滅びて、将軍は大阪から妾連れてさっさと船で逃げ帰っちゃうし
なんだかなーという印象
それより、三百年の鎖国で平和というのは世界的に見て功績なんだろうけど
鎖国自体が統治のためのチートな手段であって
その遅れを取り戻すために近代の日本は地獄見てる
これもまた、なんだかなーという印象 >>868
鎖国のおかげで平和ってなんか憲法9条のおかげで平和って言ってる人みたい 徳川幕府の外交
・オランダの砲撃で鎖国
・アメリカの砲撃で開国
幕末の徳川幕府の外交
・不平等条約を改正できず
・対馬侵略に対してイギリス軍に完全依存 江戸時代初めの頃の日本は世界でも有数の強国で鎖国はいわゆる武装中立。
鎖国で布教してくるカトリックとは関わらないって感じだったけど
時が経つにつれプロテスタントまで拒絶しだして完全な引きこもりになって文明が遅れてしまった。 白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
この人が来るとスレが終るよなぁ >>866
藤原保忠(890〜936) 上級貴族
近衛大将だったときの話。馬に不馴れなため落馬し冠を落とし恥をかいた。
(古事談)
清原元輔(908〜990) 中級貴族、三十六歌仙の一人
賀茂祭りの行列では落馬し、冠が飛んで禿頭をさらけ出した。
しかし泰然自若として、「笑ってはいけない」と説いてまわったので、見物人たちは爆笑した。
(今昔物語集、宇治拾遺物語)
藤原信頼(1133〜1160) 上級貴族
乗馬に不慣れで 落馬し、配下の義朝に「日本一の不覚人」と罵られた。
(愚管抄、平治物語) 今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の関東の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。
敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。
関西では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、関東の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。
(雑兵物語) 流鏑馬は、記録にも実演にも残っておるな。
投げ槍も馬上から、可能だ。
明末の秀吉戦争にも登場する。 皇族が軍閥化すると必ず謀反扱いで暗殺されるので、南北朝のバトルが最後だろう。 >>877
江戸時代初期、後光明天皇は武術が好きで常に内裏で刀を振り回していた
京都所司代・板倉勝重がこれを咎め
「天子の務めは学問です。このような物騒なことをなさるようでは
私は江戸への責任を取って腹を切らねばなりませぬ」
と忠告した。すると後光明天皇は
「朕は武士の切腹を見たことがない。今、ここで、切腹して見せよ」
と言った >>869
憲法九条は、保守すべきじゃろう。日本は未だに国連の敵国条項国じゃし、世界中から
敵国と認識されとるし、先の昭和の戦争の前例を世界は忘れとらんし。
>>871
今は宗教団体の内政干渉に日本はさらされとるけどのう。長州血流のバックにゃ、
カトリックでもナチスドイツや枢軸国親派じゃったイエズス会系
ジャパンハンドラーらがおるし、プロテスタントでも米国や朝鮮半島系の
反自由主義神学派の原理主義福音派もおるけぇのう。
>>873-875
平安期の公家さんたぁ、お笑いロデオでお馬さんに乗せられとる関東武士の方が憐れよのう。
石橋山合戦の佐奈田与一義忠のように馬が勝手に暴走し馬を制御できず敵さんに
討ち取られるレベルで、まだ京都赴任で騎馬習うた「京畿の輩」の方がましじゃろうし、
後に西行の弓馬談義をテキストとした関東武士じゃ程度が低過ぎるよ。 >>873-875
水野祐氏も、独立守備隊の従軍経験で、隊が騎馬隊を編成し、敵に包囲殲滅された
経験から 「落馬する兵、馬を逃がす兵、もう混乱しちゃって、敵の一斉射撃で全滅し、
二度と騎馬隊はつくられませんでした。なにしろ向こうの騎馬の連中は、裸馬のような
ものにまたがり、後ろ向いて銃を構えて正確に射って来るのです。小銃で。
日本の騎兵はあんなこと出来ないです。あんなものには絶対かなわないと思って
みていたのです。」
カザフ人は、水野氏の独立守備兵が騎馬戦でやられたモンゴル人以上じゃ。戦時中
日本のスパイとして潜行した西川一三氏によると、馬歩芳 (青海省国民党軍、回族で、
後に台湾に亡命し、中華民国のサウジ・アラビア大使となる。)軍に参加しカザフ人
討伐に参加したモンゴル人が、
「ハサク(カザフ)の奴、老幼婦女子を先頭に逃がして、男達がこれを守りながら
脱出しているのを追撃するのだが、馬術、射撃上手、精悍な彼等には、さんざん手を
焼いた。馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて走って発砲して来る。馬を倒すと、
後ろから近ずいた味方の馬にヒラリと飛び乗り、ふたり乗りで逃げる。先駈けした五、
六騎が思わぬ方向から死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体に近ずくと
倒れた馬を盾として、ひとりのハサクが犠牲となって残り、死ぬまで発砲して、私達の
追撃をひとりでくいとめ、逃げて行く一行を私達から遠ざけながら死んでいく。また
前の一行に近ずくと、ひとりが犠牲の盾となる。銃声の音がしなくなり、近ずいて
みると、彼の体は蜂の巣のように射ぬかれていて、実に勇敢というか恐ろしい奴だよ。
さらに男だけでなくハサクの女も、実にしぶとく抵抗して、奴等は人間ではないよ。
としきりに 彼等の勇敢さを恐れると共に、彼等の勇敢さを讃えていた。」 >>875
まあ、騎馬民族系末裔のお公家さんでも、日本化し騎馬下手で駄目じゃし、関東ロデオ
お笑い武士団じゃ騎馬の組織運用なんか無理じゃけぇ、文禄の役で騎馬民族系と戦うて
来た遼東軍に関東武士が騎馬戦で挑んでみんさい。加藤・小西の熊本勢以上の大潰走
一方的大敗北しよったろう。騎馬も歩兵も対外戦争で一番弱いんが関東地方の兵隊よ。
関東勢は戦闘は弱いが現地市民にゃ強いけぇのう。
麻布暴力団と名高い東京101D坂田甚蔵氏も、
「私らの部隊は、戦闘では弱いけど、悪いことでは天下一品だった。だから鬼部隊と
呼ばれてね。 街に入ったら強い。なにしろ略奪や強姦はお手のもので」
まさに鬼部隊(中国人の鬼概念は、勇者じゃ無ぁ不吉な災いをもたらしてくるんが鬼)
よのう。 現代の騎兵は、衛星通信のサポートを受けて、航空機による補給や空爆を支援してもらった上で、地上戦で拠点の制圧や代表者の拘束が役目であろう。
それでも、アメリカはサダムフセインやウサマデデビンラディンを拘束するのに手間取ったわ。 >>882
装甲車時代に成ってから、騎馬はほとんど用を成さんように成ったけぇのう。
敵さん拘束なら特殊部隊の方がええし。地下壕なら見つけるまで時間がかかるよ。 専制国の軍はあんまり強くない
日本に併合された朝鮮や大国の割に列強に進行された清
日本は半専制民主くらいだったので朝鮮や清より強かった
マジもんの民主国のアメリカには勝てなかった >>884
ベトナム戦争でアメリカはベトナムに負けた 幕府は無能やな
幕府は究極的に幕府体制、体質を徳川が公武合体で政府権限を移して幕府を止めるから
維新連中が公武合体なし維新政府作るかだった。
結局幕府自体は完全に両陣営から見限られて「どちらにせよ」江戸地方府にとどまる予定だった
大久保なんかは「究極的に徳川が存続しようが、江戸300万石放置でも構わん」って方針
ようは公武合体派も維新政府派も幕府は見限ったが地方府で弱体化して、外交権限止めればいいだった >>885
負けたというより
アメリカの世論が無用な戦争を止めさせたという感じだろう
負けたと言ってもアメリカがベトナムに攻め込まれる状態でも何でもなく
戦死者もベトナムとは桁違い >>884 >>885-887
兵隊の強さなら中国兵や朝鮮兵の方がアメリカ兵よりは強いし、韓国兵もベトナム戦争
参加軍のなかでも最強じゃったよ。韓国兵>ベトコン>>>アメリカ兵じゃったし。
民主国でも、戦さで現地住民虐殺じゃの現地民を慰撫せんかったら、侵攻は速度の
法則から外れ、長期泥沼戦になると地元優位で勝ち目は無うなるよ。侵攻軍が装備が
優ってとる分撤退時期が遅うなるだけで、文禄慶長の役や日華事変の日本軍も、
ベトナム戦争の西側軍も勝ち目は無うなったんよ。ほいから、旧日本軍にベトナム戦争の
ように徹底抗戦は先の大戦のアメリカ軍にゃ出来んよ。沖縄ですら、日本軍の方が
沖縄人を殺しとるし、住民虐殺しとるわけで、内地の本土日本で地上戦闘しても、
日本国民の生命と財産は自国の日本軍によって奪われるわけで、家屋は壊され木材は
日本軍の野営の燃料に徴発され、日本軍撤退の時は時間稼ぎの前線に配備され敵さんの
砲撃や装甲車の生贄強要されるわけで、南方戦線で自国日本兵大量が餓死させる
世界ワーストの日本軍じゃ自国の兵や国民に情愛が無ぁけぇ、どこと戦うても
負けるよ。アメリカ兵が日本の子供にチョコレート食わし、子供が喜んだ時点で
勝負はあったし、逆にアメリカはベトナム戦争じゃ長期厭戦気分で現地民殺戮で
自滅し、今でも装備物量圧倒的な中東でも勝ち目が無ぁ戦さに軍需産業利権の為に
邁進しとるけえのう。物量叩き込んでも、現地民から憎悪されたら勝てんよ。 花火って広告効果が乏しいから最近協賛金があんまり集まらないんだって。
ポンポンとたまに打つ弾が無いのが玉に瑕。 大雨降っても打ち上げ強行しちゃうんだよな (´・ω・`) >>888
軍としてはアメリカが最強じゃね
第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と死傷者が桁違いに少ない 安芸/広島県の在来馬 貧弱 ※全国的に見て低評価
安芸/広島県の武士 貧弱 ※全国的に見て低評価 >>892
第二次大戦じゃ、アメリカ軍よりイタリア軍の戦死者が少ないけぇ、イタリアが
最強候補にならんのか? ほいで連合国側でもイギリス軍やフランス軍よりも
アメリカ軍の戦死者が多いいし。
>>893
まさか、斎藤実盛自身は云うとりもせんじゃろう捏造話を信じとんか?じゃが、逆に
東国武士が弱かった事がバレる位一文の自爆話じゃし。
「親も…子も討たれよ、死ねれば乗り越え乗り越え戦う候」勇猛ぶり示したいが為の
虚勢文が、連帯感も無ぁ弱い東国武士の実態じゃったことがバレバレよのう(笑)。
関東兵は新撰組のような粛清、隊士の規律違反すらリンチ殺人する体質ものう。
伊藤桂一氏はご自身の関東兵団を「あくどくはないにしても、底に人情が通うという
こともない。」と、されならが、関東地方兵団の駐屯地での初年兵教育のジゴキで、
死者や半身不随者続出を「これではまるで初年兵を殺すために教育しているような
ものである。残酷であるーと思われるかも知れない。しかし、一歩駐屯地を出ると、
そこでの状況はさらに残酷であった。どっちみち初年兵をいたわって教育してみても
戦闘へ出せば、みるまに死んでゆく…何度補充をもらっても、死ぬのは初年兵ばかりで、
生き残った者だけが、精鋭としての道をたどる。そのような初年兵は教育では絶対に
音をあげないのである。弱者必滅の深刻な心理だけがそこにあった。すさまじい
自然淘汰なのである。」と、関東式自然淘汰、弱者必滅と残酷さを肯定されとる。
関東は昔から土地争いの土地柄がそうさせたんじゃろうけど、淘汰精鋭を作っても
こういう部隊は、広島部隊から見ると弱い。 >>893
伊藤桂一氏は、「広島編成の部隊は、もっとも人情味に厚い連帯感を持っているが、
そういう連帯感に支えられているからこそ、思い切きった挺身行動(遊撃特殊部隊
隠密忍者行動ゲリラ戦)できるのである。」と云われながら、広島編成部隊は、
「負傷者はつとめて救出したが、一個分隊十名で行動したとして、もし一名の負傷者が
出た場合は救出収容すると担架係に四名とられる。すると残こされた戦闘員は半数に
減ってしまうのだ。さらに一名負傷者が出たら戦闘員はいなくなってしまうことになる。
だが、救出された負傷者の身になってみれば、戦友の愛情、郷土兵団の気質に
泣くだろう。そうして再び善戦すべき決意を固めるだろう。同時にその思いは、まだ
負傷していない分隊員たちにも、共感として伝わるはずである。こうなると負傷者の
処置に対する考えはむつかしくなり、軽々にその功罪を論じられなくなる。要するに
その兵団の気風によって解決すべき問題であるといえよう。」
広島の部隊は負傷者収容しても、残りの一名は淘汰精鋭の関東兵団より遥かに精強じゃし、
孤立した陣地でも命令を待たず自己判断戦闘行動出来る個々の戦力が比類なき
防禦戦実績にも成ったし、戦闘を愉しむ駆け引きの戦闘上手さといい、東国兵たぁ
レベルが違うよ。しかも完全不利な戦闘でも関東兵のように深刻で必死にならんけぇのう。
広島の兵隊は明るいゆえ、[必死の顔をする者は 一人もいない。熱心に聞いてはいるが、
笑い話が混じるので中隊長の方が戸惑う。大した連中が 揃ったものである。
これなら戦える、勝てる!
今ここで、「あと四十時間余りしかない」といったら、「あと四十時間余りも
あります」と笑われる であろう。…堅いことばも、この連中には必要ないのだ。と、
この場で悟った。 」 スレが死んでしまう流れ
ボチボチと議論がある→白馬青牛 ◆sKm0uQPecU がやってくる→乗っ取られる→人がいなくなる
→スレが終る→自尊心と虚栄心の強い白馬青牛 ◆sKm0uQPecU はまた人のいるスレを探してやってくる
→乗っ取られる→以下endlessループ それでも広島有能スレって、継続しているね。 (^^) 株式会社アーネットは不動産業や家賃業をしているが裏では架空請求メール業や違法金融業をしている。株式会社アーネットからメールや電話着ても無視するか警察に通報して。株式会社アーネットの悪行は株式会社アーネットでググればたくさん出てくる。 ▽幕末著名流派別最強剣士
男谷信友【東京都墨田区、直心影流】
中西子正【東京都千代田区、中西派一刀流】
寺田宗有【東京都文京区、天真一刀流】
白井亨【東京都千代田区、天真白井流】
高柳又四郎【東京都、戸田流高柳派】
千葉栄次郎【東京都中央区、北辰一刀流】
浅利義信【千葉県松戸市、浅利派一刀流】
伊庭八郎【東京都台東区、心形刀流】
樋口定伊【群馬県高崎市、馬庭念流】
岡田十松【埼玉県羽生市、神道無念流】
比留間与八【埼玉県日高市、甲源一刀流】
近藤三助【東京都八王子市、天然理心流】
上田馬之助【東京都中央区、鏡新明智流】
岡田惣右衛門【埼玉県幸手市、柳剛流】
加藤田平八郎【福岡県久留米市、加藤田神蔭流】
大石進【福岡県大牟田市、大石神影流】
村上亘【茨城県笠間市、示現流】
大山綱良【鹿児島市、薬丸流】
関東と九州以外は雑魚 >>893
>>894のように関東の兵団は淘汰して初年兵を殺しても戦力を持つ兵士に育てる気が
無あ。広島部隊なら敵さん布陣からそれぞれの銃の填装数、距離の詰め方まで具体的に
説明して戦さ上手になるように育てるけぇのう。
広島第十一聯隊の戦場の回想録。
『二◯◯正◯氏の回想(第十二中隊)「我々の分隊長は常日頃我々補充員を教育した。
「ええか。よう覚えとけ。お前たちの家族は一日も早う無事でお前たちが帰還する
ことを神に祈っとる。強姦するな。強奪するな。住民を殺すな。 これだけ守って
くれたらお前たち全員を内地に連れ帰り、家族に引き渡す 責任が果たせる」
彼は又戦闘の名人であった。突撃になっても鼻歌交じりで あった。初めて戦闘を
体験する我々から見るとその動作は神業のように思われた。
「重機があそこにおるぞ。チェッコはあそこじゃ」と敵の布陣を指摘してくれる。
「どの銃でも一回の装填数は決まっとる(重機関銃は九十発、チェッコは三十発、
小銃は五発)打ちつくしたらパタッと止む隙間がある。 どの銃でも新しく装填を
やり直すまでには少なくとも五秒はかかる。その間を狙って走れ。どんな鈍足の
主でも二十メートルは走れるはずじゃ。』
広島部隊のように、戦闘の愉しさを教えにゃ兵隊は育たんよ。結局、好きこそ
物の上手じゃし。関東兵のように必死で深刻な顔して陰惨な淘汰して生き残った連中も
逆境に精神的に自滅する弱兵集団にしかならんのにのう。 >>904
道場スポーツ各格闘技にゃ強うても、路上の戦闘にゃ弱いもんがほとんどじゃし、
幕臣の今井信郎氏も素人より免許の道場のプロ斬る方がはるかに簡単云う通りよ。
関東と九州?九州の方がまだ戦場じゃ役にゃ立つけど、勢いが止まり膠着したり
正面激突にゃ弱いよ。じゃが九州兵と関東兵は残酷さの「鬼」で共通しとるのう。
>>881に戦闘は弱いが街での強姦にゃ強い麻布の鬼部隊、九州は熊本部隊、
鹿児島部隊の「赤鬼」熊本師団がおったし、久留米師団も含め強姦部隊で名高い。
ほいじゃが、「鬼島津」たぁ、余程中国人にとって、強姦、略奪熱心な不吉な連中と
して、蔑まれとった伝統を近代郷土兵団でも繰り返すたぁ郷土性は変わらんもんじゃ
のう。九州や関東のもんは、集団になると気が大きゅうなって、自制心も情も
無くすけぇ、本心は小心もんで精神も弱わあけんのう。じゃけぇ、敵さんが反攻し
正面ガチンコになる戦闘にゃ弱いんじゃろうて。正面ガチンコ戦得意の広島師団の
ような個人主義で自己克服出来る精神的にもタフな部隊気質たぁ違うけんのう。 >>904
>>908の続きじゃが>>836のように戊辰戦争で東北兵に負けて砲台奪われたりした
他藩の九州勢らが無暴と判断しても広島部隊は正面激突白兵戦で敵さん撃退させれるよ。
豊田の芸南と備後の壮丁の福山連隊も、無謀な正面激突で激戦で勝利した。
「敵前で橋を渡るなどということは、常識はずれだ。せっかく連隊主力が上流で
渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。が、本道上に待機していた
一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を突っ走って行ったのである。
どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」
と、思ったのだろう。 しかし、この無謀な突撃で、橋梁付近が一大乱戦場になった
のは事実だ。 大戦果には必ず、こういう常識はずれの行動が付随していることが多い。
捨て身になって奮戦していたグルカ兵が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ
見れば、逃散するか、両手を頭上に上げてゴム林から出て来たのは、この最初の一撃が
いかに痛烈であったかの証明であろう。」
上流から側面攻撃より、時の判断で正面から距離詰めれるんなら、その方がええし、
側面から攻略するたぁ正面ガチンコ戦闘の方が敵さんとの勝負付けが出来るけぇのう。
正面の特に原始的な白兵戦で負けた方は精神的にも屈し、この相手にゃ今後も勝てん
云う負けの心理が刻み込まれるし、マレー戦のように物量におとった今後の戦闘でも
勝負の主導権は、奪い取ったも同然の勝負付けが出来る人間の太古から変わらん心理よ。 グルカはアムリットサル事件で丸腰の住民を虐殺したわい。
六四天安門でも遊牧系少数民族に発砲させたから、ヒマラヤンは使える道具らしい。 >>910
地元以外の兵隊に虐殺させるんよ。日華事変でも、中国国府軍が徐州住民を盾に
逃げる時邪魔な自国市民を数多く銃殺虐殺したんも、他所もんの地方軍閥軍は躊躇が
無ぁけんのう。
日本軍も異民族扱いの沖縄じゃ地元住民虐殺やったし、今でも大阪の機動隊員の
若造が沖縄人を戦時中並に土人じゃの支那人じゃの罵倒したんがyoutubeに
挙げられたよう、弾圧する側は、現地市民を人間扱いせんよう洗脳されとるんよ。
まあ、内地の本土日本でも、鎮圧は他地域の連中にやらさせるじゃろう。
いや、封建時代なら身近な同地方でものう。戊辰戦争でも、奥羽同盟軍は同じ東北の
相馬でも、敗走する時にゃ、住民の民家に放火したりしよったけぇのう。相馬藩が
降伏した後、官軍で戦いたい云うたんも、同盟の味方に地元荒らされたんじゃけぇ、
そりゃ怒るわい。敗軍云うんは味方の中に敵を作ったり、尻尾切り作ったりする
けぇのう。昭和の日本帝国は、戦争する前から自国民の中に敵を作って国民同士を
憎悪させて、他民族への憎悪を植え付けされる負け犬の哲学じゃけぇ、最初から
勝利は放棄したも同然じゃったけぇのう。今の安倍ちゃんも、ヤジる国民に、
「こんな人たちに負けるわけにはいかない。」と自国民に敵を作り国民同士を
憎悪させる負け犬の哲学は、日本会議から旧軍の自滅哲学は受け継いどって
じゃのう。 政治家は商人じゃないんだから、「客を選ぶ」ようなことはやっちゃならんのよ。 >>913
真っ当な商人も客は選別せんよ。一見お断りの店のような特権層贔屓向けは別として。
政治屋も世襲議員は特権意識過剰ゆえ、金を呉れる企業屋旦那の顔色のみ伺うて、
国民じゃの私用遊興費込みの公費費用をわれわれに貢ぐ奴隷くらいの認識しか無あし。 >>912
現代では、そういうのPMC(private military company)にやらせるからな。
民間軍事会社なんて訳されるやつ。 幕末というのは、討幕派(のちの明治政府側)が江戸幕府の統治権を手放させるために
行った<文久の改革>の責任者である一橋家当主を15代将軍にした時期のことですよね?
幕府を倒すためにたてられた将軍の率いる江戸幕府が優秀?
江戸幕府の尊厳は完全否定なんですね。 >>1
幕末期の江戸幕府の将軍は家定と家茂。
アメリカを選んで開国したわけではなく、アメリカの黒船にびびって開国してしまい、米国の言いなりになったため、
不平等条約を各国との間に結ぶことになってしまった。
少しでも有能であれば、和親条約は仕方ないとしても、修好通商条約に調印などしなかったはずだ。
全く情けない。
彼らの大失態によって外国に食い荒らされようとしていた日本国を守るため、
尊皇派と朝廷が一橋慶喜を幕府に送り込み、倒幕を行った。
優秀だったのは、江戸幕府を倒し、試行錯誤しつつも外交努力を重ね、
近代的独立国家としての尊厳を勝ち取った、朝廷と後の内閣だ。 >>915
企業による傭兵供給ビジネスよのう。西洋の元来の傭兵は封建武士団と範疇を異にし、
やがて封建諸侯を圧倒する国王の常備軍の母体にも成ったし、イスラム世界じゃ、
マムルークのように売られた奴隷で部隊を作り、外敵に対抗する新勢力として、
自国の守旧権力軍や諸侯軍をも鎮圧出来る実力を持ち、やがて王権まで奪い
マムルーク奴隷王朝を樹立するまでに成ったけぇのう。
日本でも足軽は口入れ傭兵も多かったし、乱世の捕虜として東南アジアに売られた
日本人は王侯や豪族の傭兵として活用された。売られた日本人のシノギは戦争傭兵、
少年は窃盗、女性は売春で、やがて日本人町まで作る財力も作っていった。
現在じゃ、アメリカ軍も生活が貧しい新移民のスペイン語を話し、英語もろくに
解らん兵隊に戦わすわけで、国営の方が崩れてきよる状況じゃけぇのう。
そうなると民間委託需要が増えるし、特に安値で雇えるグルカ兵も需要も
多いいらしい。形を変えて時代は繰り返すのう。傭兵が国民皆兵の徴兵制が
近代国民国家の形を作ったけど、自由主義国じゃ国民や富裕層が徴兵拒否すると
軍需産業の力が強い戦争やりたい国は、移民か民営軍事会社委託への依存度が
強まるし。 >>920
江戸幕府は米国の言いなりに成らんかったけぇ、米国の宗主国様のイギリスが
武器の商人のマセソン商会のアジア利権を通じて反幕府派を育てたわけで、間接奴隷と
成ったんは薩長の明治新政府の方じゃわいや。
日本国の守る気なんか薩長にゃ当然無ぁし、慶喜にも無あよ。覇権争いじゃけぇ。
対外危機なら国内内ゲバの権力闘争の覇権争いする暇なんか無ぁし。
結果として外国に食い荒らされたんは、左翼革命政権の明治国家の方じゃったし、
外交たぁ言いなりの媚び諂いで属国根性丸出しよ。今でも建前で日本は独立国家じゃが、
実質は大正期までイギリスの属国の地位からイギリスの属国のアメリカの属国に
格下げされたんじゃし、明治のイギリス属国時代でも権力者を縛る憲法を学ばず、
権力者が権力乱用できる体制の同時期の近代統一組のドイツ、イタリア同様、
攘夷決行自滅で負組に成ったわけで努力じゃの何一つ無ぁわ。
頭の中身が近代人じゃ無ぁ中世カルト宗教国家並みなんが日本の為政者じゃし、
現在進行形じゃけぇのう。精神的に近代人に値せん幼稚なんよ。物質的近代化なら
現代じゃ中進国以上は成し得とるし、近代化たぁ哲学の問題じゃし、日本は近代化を
21世紀の現在ですら、成し得とらんよ。 >>922 よくイギリスが討幕派を育てたという人がいるけど、
大げさな気がする
だってグラバー商会は明治初期にすぐ倒産しただろ
イギリス政府(駐日イギリス公使館)がグラバーと無関係だったとは言わないし、
極秘留学生の支援もしたことは知っているが、
幕末の政争に対して、イギリス政府はフランスのロッシュほど積極的に関与はせず、
距離を置いていたと考えるべきだ
(フランスは政府単位で徳川に多額の資金援助、そして現役のフランス軍人達が軍事顧問として支援) >>920
アメリカの黒船ペリーにビビって開国からの不平等条約締結したとかいまだそんなこと信じてる奴いるんだなwww
ホント義務教育の日本史は簡潔に教えすぎるのなんとかせんとこんなまともな日本史知らん奴ばっか生産することになってんのにまったく…
そらニッキョウソに骨抜きにされて愛国心なんて育つわけねーわww ビビッていたのは確かだよ
軍事力もっていた使節ともっていない使節では
もっていた使節のほうが丁重に扱われている。
外国を挑発していざこざが起こらないことだけを
心掛けていたのが幕府側
皮肉にも今の日本と同じ構図 >>926
ビビってたというなら長崎でなく当初の予測通り危惧していた浦賀にやはりやってきたということ
想定内の最悪ケースとなったというだけで緊張は増したものの至って交渉は普通に幕府のシナリオ通りに進行 まあ、和親条約はうまくやったと言えるだろうけど
修好通商条約はハリスにしてやられたね ハリスにしてやられた?
それじゃあほぼ同時に結んだ日蘭修好通商条約は誰にしてやられたの?
日露修好通商条約は誰に?日英修好通商条約は?日仏修好通商条約は?
安政5年の五か国との不平等条約、これが全部ハリスにしてやられたとでも? 前例を一度作れば、アメリカだけ優遇かよと、
つけ込まれるにきまってるだろ 江戸幕府がだらしなかったのは事実。
病気の家定を将軍にせず、慶喜を当初から将軍にしておけば、
和親条約も、あんなに下手な時間稼ぎをしてアメリカの要求通りに受け入れるのではなく、
計画的なものにできただろうし、不平等条約など調印するはずもなかった。
家定を将軍にした結果、和親条約自体、ひどい内容だった。
>米国に片務的最恵国待遇を与える。
>両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より18ヶ月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。