幕末の徳川幕府、実は有能だった説 [無断転載禁止]©2ch.net
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まーふつうに考えれば幕府はオランダとかから世界情勢を把握していた
当時の世界はイギリスとロシアの2強状態だった
この2国と開国やら条約を結ぶより先に当時新興国だった雑魚のアメリカ相手に開国をした方が
マシな条件で条約を結ぶことができる
つまり先に日米和親条約という有利な条件を結んだことでイギリスロシア他の列強国はこの基準で交渉しないといけなくなった >>913
真っ当な商人も客は選別せんよ。一見お断りの店のような特権層贔屓向けは別として。
政治屋も世襲議員は特権意識過剰ゆえ、金を呉れる企業屋旦那の顔色のみ伺うて、
国民じゃの私用遊興費込みの公費費用をわれわれに貢ぐ奴隷くらいの認識しか無あし。 >>912
現代では、そういうのPMC(private military company)にやらせるからな。
民間軍事会社なんて訳されるやつ。 幕末というのは、討幕派(のちの明治政府側)が江戸幕府の統治権を手放させるために
行った<文久の改革>の責任者である一橋家当主を15代将軍にした時期のことですよね?
幕府を倒すためにたてられた将軍の率いる江戸幕府が優秀?
江戸幕府の尊厳は完全否定なんですね。 >>1
幕末期の江戸幕府の将軍は家定と家茂。
アメリカを選んで開国したわけではなく、アメリカの黒船にびびって開国してしまい、米国の言いなりになったため、
不平等条約を各国との間に結ぶことになってしまった。
少しでも有能であれば、和親条約は仕方ないとしても、修好通商条約に調印などしなかったはずだ。
全く情けない。
彼らの大失態によって外国に食い荒らされようとしていた日本国を守るため、
尊皇派と朝廷が一橋慶喜を幕府に送り込み、倒幕を行った。
優秀だったのは、江戸幕府を倒し、試行錯誤しつつも外交努力を重ね、
近代的独立国家としての尊厳を勝ち取った、朝廷と後の内閣だ。 >>915
企業による傭兵供給ビジネスよのう。西洋の元来の傭兵は封建武士団と範疇を異にし、
やがて封建諸侯を圧倒する国王の常備軍の母体にも成ったし、イスラム世界じゃ、
マムルークのように売られた奴隷で部隊を作り、外敵に対抗する新勢力として、
自国の守旧権力軍や諸侯軍をも鎮圧出来る実力を持ち、やがて王権まで奪い
マムルーク奴隷王朝を樹立するまでに成ったけぇのう。
日本でも足軽は口入れ傭兵も多かったし、乱世の捕虜として東南アジアに売られた
日本人は王侯や豪族の傭兵として活用された。売られた日本人のシノギは戦争傭兵、
少年は窃盗、女性は売春で、やがて日本人町まで作る財力も作っていった。
現在じゃ、アメリカ軍も生活が貧しい新移民のスペイン語を話し、英語もろくに
解らん兵隊に戦わすわけで、国営の方が崩れてきよる状況じゃけぇのう。
そうなると民間委託需要が増えるし、特に安値で雇えるグルカ兵も需要も
多いいらしい。形を変えて時代は繰り返すのう。傭兵が国民皆兵の徴兵制が
近代国民国家の形を作ったけど、自由主義国じゃ国民や富裕層が徴兵拒否すると
軍需産業の力が強い戦争やりたい国は、移民か民営軍事会社委託への依存度が
強まるし。 >>920
江戸幕府は米国の言いなりに成らんかったけぇ、米国の宗主国様のイギリスが
武器の商人のマセソン商会のアジア利権を通じて反幕府派を育てたわけで、間接奴隷と
成ったんは薩長の明治新政府の方じゃわいや。
日本国の守る気なんか薩長にゃ当然無ぁし、慶喜にも無あよ。覇権争いじゃけぇ。
対外危機なら国内内ゲバの権力闘争の覇権争いする暇なんか無ぁし。
結果として外国に食い荒らされたんは、左翼革命政権の明治国家の方じゃったし、
外交たぁ言いなりの媚び諂いで属国根性丸出しよ。今でも建前で日本は独立国家じゃが、
実質は大正期までイギリスの属国の地位からイギリスの属国のアメリカの属国に
格下げされたんじゃし、明治のイギリス属国時代でも権力者を縛る憲法を学ばず、
権力者が権力乱用できる体制の同時期の近代統一組のドイツ、イタリア同様、
攘夷決行自滅で負組に成ったわけで努力じゃの何一つ無ぁわ。
頭の中身が近代人じゃ無ぁ中世カルト宗教国家並みなんが日本の為政者じゃし、
現在進行形じゃけぇのう。精神的に近代人に値せん幼稚なんよ。物質的近代化なら
現代じゃ中進国以上は成し得とるし、近代化たぁ哲学の問題じゃし、日本は近代化を
21世紀の現在ですら、成し得とらんよ。 >>922 よくイギリスが討幕派を育てたという人がいるけど、
大げさな気がする
だってグラバー商会は明治初期にすぐ倒産しただろ
イギリス政府(駐日イギリス公使館)がグラバーと無関係だったとは言わないし、
極秘留学生の支援もしたことは知っているが、
幕末の政争に対して、イギリス政府はフランスのロッシュほど積極的に関与はせず、
距離を置いていたと考えるべきだ
(フランスは政府単位で徳川に多額の資金援助、そして現役のフランス軍人達が軍事顧問として支援) >>920
アメリカの黒船ペリーにビビって開国からの不平等条約締結したとかいまだそんなこと信じてる奴いるんだなwww
ホント義務教育の日本史は簡潔に教えすぎるのなんとかせんとこんなまともな日本史知らん奴ばっか生産することになってんのにまったく…
そらニッキョウソに骨抜きにされて愛国心なんて育つわけねーわww ビビッていたのは確かだよ
軍事力もっていた使節ともっていない使節では
もっていた使節のほうが丁重に扱われている。
外国を挑発していざこざが起こらないことだけを
心掛けていたのが幕府側
皮肉にも今の日本と同じ構図 >>926
ビビってたというなら長崎でなく当初の予測通り危惧していた浦賀にやはりやってきたということ
想定内の最悪ケースとなったというだけで緊張は増したものの至って交渉は普通に幕府のシナリオ通りに進行 まあ、和親条約はうまくやったと言えるだろうけど
修好通商条約はハリスにしてやられたね ハリスにしてやられた?
それじゃあほぼ同時に結んだ日蘭修好通商条約は誰にしてやられたの?
日露修好通商条約は誰に?日英修好通商条約は?日仏修好通商条約は?
安政5年の五か国との不平等条約、これが全部ハリスにしてやられたとでも? 前例を一度作れば、アメリカだけ優遇かよと、
つけ込まれるにきまってるだろ 江戸幕府がだらしなかったのは事実。
病気の家定を将軍にせず、慶喜を当初から将軍にしておけば、
和親条約も、あんなに下手な時間稼ぎをしてアメリカの要求通りに受け入れるのではなく、
計画的なものにできただろうし、不平等条約など調印するはずもなかった。
家定を将軍にした結果、和親条約自体、ひどい内容だった。
>米国に片務的最恵国待遇を与える。
>両国政府のいずれかが必要とみなす場合には、本条約調印の日より18ヶ月以降経過した後に、米国政府は下田に領事を置くことができる。 12代将軍が慶喜を13代将軍にと言っていたにもかかわらず、ごまかしばかりの老中
はじめだらしない幕臣らがぐずぐずと何も決断しないうちに、とうとう井伊直弼の
台頭を招いた。幕府がぐうたらだった結果、不平等条約を結ぶことになった。それが幕末。 >>928と>>930は同一人物だろうから言うが
最恵国待遇という言葉から勉強してこい 13代将軍が慶喜だったら、江戸幕府は復興して、討幕もおきず、恨みつらみを残すことなく近代化したかもしれないね。
日本の左翼の台頭は、もともと、旧士族の新政府への恨みつらみ。 <片務的>最恵国待遇の意味を知るべきだね。
片務的なんだよ。ありえない。 >>931
どうであれ家定という継嗣がいるにもかかわらず家定廃嫡してそれ以外の奴を添えることができると思ってる時点で無知
廃嫡するなら最低でも家慶の意思が必要
しかも廃嫡となれば幕府内の権力闘争による政争は絶対に避けれない
幕府のシステムに加えて当時の外圧の混乱に加えて家慶の様態考えればできるわけなどないのは歴史知ってればわかるはず
お前がどれだけ無知だかよくわかるわw
あとな
家定将軍就任のときには慶喜は14、5歳なんだわ
これだけでもお前がどんだけもの知らずに言ってるかわかるわなww
14、5歳のガキが幕府のトップに立って舵きりして専制政治できるとでもおもってんのか?www
和親条約がアメリカの要求どおりとかどんだけ無知なんだお前ww
一例として林大学頭復斎のことくらい知っとけwww
和親条約の時間稼ぎは祖法の議論と折り合い、認識の再定義をするのに必要であったので下手でもなんでもない
ただ即決で幕府が判断し断行できなかった点においては幕府の脆弱性があらわになったことは事実
>計画的なものにできただろうし、不平等条約など調印するはずもなかった。
このときに日本が対等交渉などできた立場だとおもってんのかよwwわけねーだろwwww
条約が結べただけでも日本はありがたくも半文明国として扱われたんだぞ
当時のアジアの地図ググれや
タイと日本以外は文明国でないとされ条約の「じょ」の字も出してもらう前にみんな蹂躙され植民地だ
タイですら国土を削られてる
主権守れたの日本だけなんだぞ!
アホなこと言うのも大概にせいよこの無知野郎がw >>931
>家定を将軍にした結果、和親条約自体、ひどい内容だった。
幕府は基本幕閣が動かすもの
幕府の基本システムをもっと勉強してこいw
米国に片務的最恵国待遇を与えたことこそが幕府のシナリオなんだよwww
幕府が最初に最恵国待遇を与える国としてアメリカをチョイスしたんだってこと知らんのかwww
香ばしすぎるなお前w
夏休みに入ったちょっと歴史好きで詳しいとおもいこんでるガキだろww >>933
>12代将軍が慶喜を13代将軍にと言っていたにもかかわらず
一次、二次史料にはそのようなことなにひとつ明記はない
あくまで噂の話の域で創作である
>とうとう井伊直弼の台頭を招いた。
とうとうでなくなるべくして直弼が台頭して将軍の代わりに大鉈振るわざるを得なかった
>幕府がぐうたらだった結果、不平等条約を結ぶことになった。
幕府が条約締結しなかったら確実に大国に飲み込まれてた
すべて義務教育レベルの浅はかな知識からの見解ですね >>935
>13代将軍が慶喜だったら、江戸幕府は復興して、討幕もおきず、恨みつらみを残すことなく近代化したかもしれないね。
14、5のガキが専制政治できるわけがない
14代就任ならまだ話はわかる
ただ14代就任時では時勢がもうすでに遅い
慶喜が14代になれ専制政治おこなったとこでなにも変わらん
結局最初はあの性格からして外様をパージすることにだけその政治力を使うだろうから逆に討幕早める可能性すら大いにある
西周につくらせた大政奉還後のあのヴィジョンを14代就任時にもっていれば幕府による近代化はありえるが近代化の流れは非常にゆったりとしたものになる
そうすればその間に大国に飲み込まれてしまうわな
幕府も復興というよりちょっと生きながらえるだけだわ
慶喜が13代になったら云々でなく
幕府開闢のときに家康が諸大名から税金吸い上げるシステム導入し
積極的に外様も参政させるようにしてたらよかっただけ >>937
日本では天皇ですら、皇子たちを差し置いて、より有能であったり積極的である皇族から
即位させるなどということが頻繁にあった。
今の皇室典範でもこうなっている。
「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」
日本では、できそこないの実子は寺において甘やかしながら守り、一方で優秀な人材を
分家などから養子にとることで血統を守り発展させるという方法が古来取られてきた。 皇族というは、どのくらい(人口)いるの?
と、とあるスレに書いたところ
「数人くらいしか、いません」と言っているのが、いたけど 新聞やテレビなどに
映ったりする程度の数しかいないとか
本当なの? >>942
本当です。古代の頃と比較すると、激しく激減して絶滅の危機にあります。
承久の乱では4代もの天皇が流刑になり、室町時代、明の属国にされたり、江戸時代初めには紫衣事件もあり、
皇族の方々が武家政権にあまりに長きにわたって屈辱を受け、力を失われたという側面もあるのではないかと思います。 他のスレにも書いているけど
頭の病院に行ったほうがいいぞ >>941
ならばその事例を挙げなさい
頻繁にあったというのならどれほどのものか
ホレホレ
どの天皇とどの天皇とどの天皇のときだと全部挙げてくれww
俺がぱっと思いつくものでチラホラとあるが全部論破できるわw
ちな皇族は武家のように長子や生まれた順のはやさより母方の階級や格がかなりものをいうことは知ってるよな?ん?w
そしてそれが何故だということももちろん知ってるよな?wお?w >>924-925
グラバーなんか、丁稚じゃし、雇い主のジャーディン一族マセソン商会は、現在でも
財閥多国籍企業として健在じゃなぁか。長州ファイブらは、マセソン・ボーイズたる
マセソン商会の使用人の糞丁稚よ。マセソン商会から「誰のおかげで左翼革命明治政府
作れたんなら!」と云われたら従うしか無ぁけんのう。武器や資金を貸す側が強いんよ。
福田赳夫元総理も戦前官僚時代、ユダヤ系ロスチャイルド財閥のパリ当主から
日露戦争の公債返済が済んどらんと恫喝され生きた心地がせんかった云うちゃったが、
日露戦争もイギリスの属国の駒としてロシアと戦争させられたわけで、その上、何十年も
財閥企業への返済をせまられるわけで、属国日本は毎度貢ぎ女の国をやりよる。
ニッキョウソー云うて媚び諂いの安倍ちゃん じゃあるまあし。じゃが極左の安倍ちゃん
たぁ、中道左派化した日教組の方が世界の自由主義国と共通の価値観を持てるわいのう。
今の自民党長州系清和会の安倍ちゃん政権は愛国心強要は中国共産党と価値観を共有し、
安倍ちゃん派の捏造、隠蔽、デッチアゲのトンデモカルト修正主義歴史観も世界の
自由主義国の歴史観から逸脱しとるし。まあ、日教組の兵隊は上層部のロボット史観も
酷いし、兵隊は上層部の命令通り動かん意思を持った人間なんじゃけぇ、兵隊誰しもが
国家洗脳された精神力の弱い自暴自棄になって足を引っ張る自滅願望の軟弱愛国兵士
じゃのうて、好きこそ物の上手の戦闘のプロは自己判断出来る自己の意思が
独善他悪の国家価値観たぁ優先するわけじゃけぇ現地民とも仲良うするよ。 そんなことよりも
『万華鏡写輪眼』
この話をしよう、あまり詳しくないけど
継承〜受け継ぐような人物、わかりやすく言うと神クラス >>937
私ではなく、家定の父、つまり12代将軍家慶が望んだのですよ。
私はその通りにしておけばよかったと言っているだけ。
それに家定の次の将軍は12歳で将軍になっている。
4代将軍家綱も11歳。 Mariah Carey『All I Want For Christmas Is You』
この曲を聴いてみて
と言っている人がいたり、他の国に盗まれた?
万華鏡写輪眼? >>935
部下を見捨てて江戸へ逃げた慶喜は、昭和の高級軍人の多数派の態度と一緒じゃし、
負けるべきして滅ぶにふさわしい将軍様よ。しかも思想が国粋排外攘夷の中華系
水戸学、つまりツングース女真への恨みの戦争に弱い宋学の負け犬の哲学じゃけぇのう。
左翼は革命政権の明治政府で、右派の自由民権運動も弾圧した、権力者を縛る保守自由
主義の価値観も無あ、権力乱用の左翼全体主義価値観なんじゃし。まあ、日本と
同時期に統一したプロシアのドイツも結局「国家社会主義労働者党」極左社会主義
ナチス全体主義で負組になったし、日本もドイツ、イタリアもソ連の共産党政権と
同時期に統一したら東側として負組にならんかったろうと後悔したも歴史の時は
変えられんけぇのう。社会主義でも社会民主主義と議会制民主主義なら西側自由主義
先進国の中道左派として健在出来たんじゃが、国家社会主義じゃ専制国家主権で
国民主権の自由や人権を抑圧する権力乱用でソ連、中共、北朝鮮と一緒の全体主義に
なるけんのう。 家定などに任せなければ、不平等条約も、もちろん、倒幕も起きなかったと思うね。 >>950
>つまり12代将軍家慶が望んだのですよ
だからコレがそもそも創作レベルだっつーのw
信用できる史料に明記がないんだわ何度も言うけど
語られてるのは14代将軍継嗣問題一連のときに一ツ橋派の書簡の中から突如として唐突にあらわれた話であるので創作とされてるものだ
んで家茂が12で将軍になってナニをした?
専制政治できたか?
幕政動かしてたのは初期は江戸の幕閣
中期は参与会議
後期は一会桑だろ
13代に慶喜が就いたら専制できたか?
できんわ
将軍とはお飾りなんだよ
その下で幕閣らが動かすのが幕府のシステムなんだ >>950
むしろ慶喜は14代将軍後見職になったわけだ
実権もってその実力をおもいっきり行使できる14代将軍になったのと事実上同じなんだよ
将軍のように誰か幕閣に任せてトップに君臨するのではない
自ら腕ふるって切り盛りできるまさに慶喜専制政治をこのときまぎれもなくやってるんだ
そのとき慶喜がやったことはなんだ?
外様をパージすることに必死になって政治を停滞さしてるじゃねーか
しかも外様だけでないわ
親藩の春嶽までもはじきだす
結局慶喜がやろうとしたことは井伊直弼と同じ幕権の強化
あまりに前時代的なヴィジョンしかもってないので薩摩に愛想つかされるわけだ
これでわかるとおり
慶喜が13代になったらただのお飾り
14代になれたとしても結局状況は変わらない
前レスしたが慶喜が15代より前の将軍に就いて国を変えるなら
そもそも幕府がどこかのタイミングで諸大名から税金吸い上げを行い
幕藩封建体制をゆるやかにでも改めて中央集権化をすすめ外様も国政に参加させてるという土壌があって初めてありえること
それ以外はどうやっても今の歴史のまま流れる レコード会社とか、
何か関係があるのかな
日本の話のような気もするんだけど、
実際、制作者にしかわからない事もあるんだろうけど
作品について質問されても答えないとか
万華鏡写輪眼? >>955
家茂が将軍になると、25歳になった慶喜が後見職について家茂に代わって執政し、
朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる
公武合体を成し遂げた。
結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも
って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。もちろん、その時にはすでにもはや列強と渡り
合うにも、幕府を守るにも遅すぎたけどね。
12代将軍家慶の望んだ通りに慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして
第二の吉宗となった可能性もなくはない。 風雲維新ダイショーグン
の話がしたいだけなんじゃないの
風雲維新ダイショーグン
徳川 慶一郎という人物が登場するけど、
名前が似ているだけなのかな
ばれないように誤魔化している? >>929
ハリスがアメリカと結ばないとたいへんなことになるとふっかけて
あの条約内容になったんだよ
その結果が不平等条約やらインフレやら
その後に結ばれた条約はアメリカとの条約のカーボンコピー。
つーかイギリスははじめからアメリカをつかって幕府と条約結ぶつもりだったんだよ なんだかまた荒されてるな
まともに議論できなくなるから消えてほしいんだが >>959、
>朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる公武合体を成し遂げた。
前代未聞の朝廷からの圧力に屈しての改革
しかもキャスティングボード握ったのは官位もない外様大名の父
挙句に家茂の上洛で完全に政局は京都に掌握されてるのに幕府中心の公武合体成し遂げたとかようそんな嘘平気で垂れ流すなぁオイw
コレ、なんかの工作でそんなこと言ってんのか?wwww
>結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。
すでにこのとき幕府と慶喜は分裂状態だということ知らんのか?
発言力強めたのは幕府でなく一会桑政権
幕府はむしろこれによって更なる権力権威の失墜をしてる
一会桑政権と幕府がイコールだとおもってるならとんでもない無知
また慶喜は2年後には禁裏守衛総督という完全に京都側に取り込まれるとい状態になるというのにナニを言ってんだ…
しかも己を後押ししてくれた薩摩をパージすることに必死になって政局を停滞させる
政局顧みずその有り余る凄腕の政治力を無駄に薩摩の排除、強いては外様排除(春嶽の排除も)に全身全霊注ぎ込む異常さが薩摩を討幕へ舵を切らせることとなったというのに…
こと薩摩の討幕とは討慶喜のことだということをお忘れなく
後見職という事実上の14代将軍としてその期待された政治手腕と才能で専制政治行い辣腕振るった結果がコレだ
>慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして第二の吉宗となった可能性もなくはない。
可能性の話になれば決してゼロだというわけでもないが、それは激しく、そして果てしなくゼロに近い話ではある
優秀な幕府官僚機構が14、5のガキに専制政治行わせるわけがない
13代就任じゃ早すぎるんだよ
かといって14代じゃ時勢的に遅い
13代就任時に慶喜が30代だったら大いに可能性はあったろうな
ただたとえ慶喜が30代で13代将軍に就任してたとしても
各国との和親条約、通商条約の内容は変わることなく不平等な内容のまま同じもので締結してるから
慶喜だったらこんな内容の条約締結はしなかったなんて世界史知らんやつが鼻くそほじりながら言っちゃうことだわそんなのww 議論も何もないんだけど
実際、どこの雑魚なんだと思われているはず >>964
基本的に同意。
しかし、レスが長いな
2、3行にまとめてくれるとありがたい。 実際は何の話なんだよw
と思っている人もいるよ
雑魚 大物 大物主
釣りの話?エビス、胡?蝦夷? >>962
幕府は事前情報でアメリカが強気で条約迫るのは百も承知
この使節が浦賀に来ることすらそこから予測していたというのに
そもそも当時の日本が欧米と同じ文明国扱いしてもらえるとおもってる時点でアウト
どうあがいても同等でないんだよ
それで五分の条約結べなかったからあーだこーだ言ってほんと無知すぎ
不平等でも条約結ばさせてもらったことがどれだけすごいことだか世界史をもっと勉強してこい!
不平等でも条約結ぶということは半文明国という判断をされたということだ
日本とタイ以外の他のアジアの諸国は半文明国ですらない文明国ではないということでまともな外交使節などくるまえに踏みつぶされ植民地にされてんだ
史実からどれだけ日本がラッキーだったのか語る前に検証しろってんだ
幕府も来航前から不平等な条約は致し方なしと踏んでいたが、さすがにインフレだけは想像をどこまでしていたかは疑問
コレラも入ってくるなんて思いもしてなかったろうなw >>962
>その後に結ばれた条約はアメリカとの条約のカーボンコピー。
それが幕府の狙いだっつーのw
最初にアメリカと結ぶことコレが幕府のシナリオ
当時の日本の最大の脅威はロシア
ロシアのような超大国と最初に条約なんて結んだらアメリカが要求したこんな程度の条件で済むわけない
そんな過酷な条件での条約を締結し最恵国待遇与えたら他の国にも同じ過酷な内容の条約を結ばなければいけなくなる
アメリカはこのとき海軍も常設されてない大国ではないが中等国よりもレベルも格も上で力のそこそこある新興国家だ
しかも国内が乱れていて内乱の危機に直面していていずれは国内のことだけにとらわれることになるのは見えていた
一番交渉の余地があり、一番あまい条件で条約が結べる可能性が大いにある相手国であることは幕府は分析済みだったからこそアメリカを最初の相手として幕府がチョイスしたんだ
アメリカに最初に最恵国待遇与えたことで各列強国家ともアメリカ基準レベルの条約内容で勘弁してもらえたわけだ
ロシアなんかと最初に結べばとんでもない属国レベルの条約内容でロシアに飲み込まれ、敵対してるイギリスとの戦いにまきこまれる
イギリスと最初に結べば同様の過酷な条件つきつけられイギリスにマル飲みされ敵対してるロシアとの戦場になる
数年前にもたされたアメリカ使節の来航の報は幕府にとって願ってもないチャンスが転がり込んできたぞということだ
>つーかイギリスははじめからアメリカをつかって幕府と条約結ぶつもりだったんだよ
それはない
イギリスは独自に動いて日本とのやり取り行っている(横暴なやり口)
ただ清に追われ重心もそっちにおいていたので日本への政策がそんな急速なものでなく多少なりゆるかった
日本にはそれもラッキーなことだった >>968
は?どうあがいても同等ではないというのはどういう根拠があって
言っているの? 幕府がイギリスと条約を結ばなかったのは
イギリス王室がカトリックのポルトガルと宴席関係だったから。
その程度の認識しかない幕府が当時の国際関係を
詳細に把握していたものかねえ
ロシアは侵略意図があって日本と条約を結ぼうとしていたわけではないよ
幕府は日本人が遭難して海外に流れつくと二度と入国を許可しないほど冷酷だった。
ロシアが漂流日本人を丁寧に扱って帰そうとし、最低限の交際をするために条約を
結ぼうとしても頑強に無視した。それどころか、武装せずに日本に来たロシア人を
粗雑に扱ってロシア人が日本人を襲う事件が起きたほど。 >>969
大槻盤渓のように、 イギリスはアヘン戦争をやるような怖い国だから、
ロシアとの親交を強化すべきだという親露論者もいたよ
大槻は仙台藩の儒学者だけど、幕府中枢にも強い人脈(影響力はあった >>970
バカなのお前?
想像力ってものないの?
簡単な例挙げるわ
北朝鮮とアメリカが同等ですか? ロシアとの接点をまとめるとこう
まず日本人漂流民をロシアが保護する。
貿易を望むロシアは彼らを帰国させると同時に親書を渡そうとラクスマンを派遣。
だが、外国人が長崎以外の地に上陸すると永牢の罰だが
知らかなかったから今回は許すと脅され追い返される。
次にレザノフが長崎にやってくる。彼はふるまいに威厳がなかったのか
竹の籠に押し込められて通商はしないから二度と来るなと追い返される。
あまりの扱いにレザノフは恨みを抱き、カムチャッカに戻ると仕返しを命じる。
千島南部で島民がロシア人に殺される事件が起きて、問題になる。
次にゴローニンが千島の調査にやってくるが、殺人事件があったせいで
ゴローニンは捕縛される。ゴローニンを奪還するべくロシア側は
まず日本近海を航行する船を拿捕した。たまたま日本人船主が頭がいい
商売人で彼が幕府側と交渉して、ゴローニンがやっと解放された。
こんな感じ 幕府が海外情勢知ってたと思わんな
治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
清がアヘン戦争で負けた条約と変わらんし
金銀レートも適当だった為大量に金が流出した
開国する気なら先に欧米に者派を遣しとくべきだった >>973
北朝鮮が不利な条約結ぶはずないし
同等に外交してるから対立が解決しないんだろう >>971
徳川幕府は開闢以来ずっと海外国際情勢の情報収集と研究は常にしていた
ちなみに一般には鎖国とかいわれるもの
義務教育ではキリスト教を禁止したとかいってるけど
禁止したのはカトリック
だからプロテスタントのオランダとは交流してた
イギリスもプロテスタントだが、16世紀にオランダに海洋覇権握られて以来物理的に極東にこれなかっただけ
もし当時来ていたら普通に幕府はイギリスとも交易したはず
やってきたのが帝国主義の嵐の波に乗ってやってきたときだから幕府の対応がそもそ変わってしまった
日本ではカトリックもプロテスタントも東方正教も一緒くたにしてるが
海外ではまったく別の宗教として認識されている
国民性にもよるが、なんでも神様受け入れてきた日本の文化と
信じない者は悪魔として徹底排除してきた文化の違いによるものだろうな
基本的に日本的に大きくなんでも括って考えてるほうが世界的にみたらアンスタンダード
義務教育でもキリスト教を禁止したのでなくカトリックを禁止したと教えるべき
ホントここはとても重要だと思うわ
そもそもこのへんから大きな誤解が生まれて間違った歴史認識させることとなる
幕府はずっと海外情勢を調べ研究してきたけど
徳川家斉のときにすべて止めてしまう
徳川300年の泰平の眠りとか言うが、実際は家斉の在位期間50年間のことである
この50年間で日本は完全に文化も技術もレベルも国力もすべてヨーロッパに追い抜かれはるかに差をつけられたうえに浦島太郎状態となる >>971
ロシアは当初侵略意図はもってなかった
平和的交渉を掲げてたのも事実
それは何故か?
ロシアは絶対に二方面戦略をしないのだよ
そういう国なのだわ
西でクリミア戦争抱えてる中ではロシアは決して東に手を出さない
ただ極東に影響力は確保したいということである程度友好的な対応となったが
ロシアを知ってる人はそれはまやかしであることは見抜いている
ロシアという国は国際法を判ってて理解して熟知してそれでも破って領土拡大してきたことを十分に知っているからだ
国際情勢に精通してる幕府は完全にそれらを見抜いていたからこそロシアではないのだよ
更にいうと、友好平和的でありながら、ペリーの出航を聞いてそれを出し抜くつもりでいたのも事実
ペリーよりも先について交渉をまとめる腹黒さもってたのだ
それができなかったのはクリミア戦争でイギリスの艦隊に追い掛け回されてたからだわ
プチャーチンが隠れ隠れ潜みながら隙みつけてようやく日本にやってきたのは知ってるよな?
それで強権外交なんて派手なことやればイギリス艦隊にバレて待ち伏せされるのはわかりますよな? >>972
たしかに大槻盤渓は親露だね
そして俺も決して彼が無知で無学だとはおもってはいない
ただ彼の親露は彼が彼なりの知識と解釈でもって生まれたものにすぎないとおもうわ
晩年はロシアに対しての注意を促すことも言ってる
絶大な親朝鮮だった福沢諭吉
これが維新後突然に超絶反朝鮮を打ち出すこととなる
これと似たケースであるとおもうわ
大槻盤渓は佐幕的志向者だったのでそれは幕府内にも影響はあったかもな
川路聖謨もロシアの紳士的対応はアメリカとは違うなと褒めている
ただその川路聖謨もロシアが裏にどんな顔を持ってるのか今後注意深く洞察すべしと述べている >>975
じゃあ逆に訊こう
何故、この時代の日本と欧米の国々が同等だったなんておもってんの? 幕府が負けたのはイギリスと手を結ばなかったから。
アヘン戦争はただの侵略戦争でなくイギリスによるアジアの開化の側面を持っていたことに気付かなかった。
世界経済システムに中国を組み入れるために仕方なくやった戦争でありそれに適応できなかった清国がたんに自滅しただけの事。
日本は幕府主導で早く開国してイギリスと手を組んでいれば幕末の悲劇も動乱も避けられた。
全国の優秀な志士が生き残り明治維新はもっとスムーズに行っていたはず。幕府はフランスと組んだ時点で滅ぶ事が決まっていたのだ オランダが自己利益のために流した情報をさも幕府が危機感を抱いて積極的に情報収集したかのように錯覚を抱くのってどうなんだろうね >>976
>治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
抗議がなかったなんてなんのソース見て言ってるわけお前?
しかもどれだけこれが問題であるかでどんだけ幕府がねばったか知らんのか?
鵜呑みにしたとか大間違いも甚だしいわww
治外法権に関しても和親条約時に一番紛糾した議題であり
ここで最終的に了承せざるをえなくなり、そのまま通商条約時に認めたという経緯なだけで
抗議もない問題視もしてないなどとどのツラ下げて平気でそんなこと言い出してるのかお前
>清がアヘン戦争で負けた条約と変わらんし
戦争に負けた清が結ばされた南京条約、およびそれに付随する五口通商章程と虎門寨追加条約が近代不平等条約の基準になったからくらいのことは知っておこうね
戦争で蹂躙された挙句に国家主権を削られ国土まで割譲しなくてはならなかったのと
戦争せず、平穏を守り、治外法権と関税自主権(関税は交渉の末決まってるので実際は自主権喪失してるわけではない)奪われただけで国土も無傷で収まったのとどこが同じじゃ?w
>金銀レートも適当だった為大量に金が流出した
レートは適当でなく外貨と邦貨の交換を嫌ったのと銀基準と金基準による認識の違いによるものだ
もちろん幕府の失策ではある
そのとおり金が海外に流出してしまったが小栗上野介がこれを正式にアメリカに認めさせてる
が、認めさせただけで改正は踏みとどまった
このときつくった貸しが後々アメリカを戦前まで日本の最大の友好国として存在させることとなる
>開国する気なら先に欧米に者派を遣しとくべきだった
自主的に開国する気はそもそもない
開国しなくていいのならいつまでもしたくないそれが方針
切羽詰まるまで開国意思ないので先に使節派遣することなどそもそも頭のどこにもない >>977
国際モラルからくる環境も時代も違う現代じゃ想像つきませんかそうですかww
ならアメリカ大陸移民がインディアンと同等だったか?
これなら時代背景も当時の価値観も違いだろうよ >>964
あなたは14歳14歳っていうけど13代将軍就任は慶喜16歳の時。
16歳なら、女性なら結婚もできる年齢。優秀であればなおのこと可能なはず。 ちなみに当時の年齢(数え年)で言えばその時17歳か18歳。不可能な年齢ではない。 >ただたとえ慶喜が30代で13代将軍に就任してたとしても
>各国との和親条約、通商条約の内容は変わることなく不平等な内容のまま同じもので締結してるから
貴方は嘘つきですね。13代将軍就任は1853年。
その時、和親条約もまだ結ばれていない。
修好通商条約にいたってはその5年もあとのこと。 >>982
なにをもって幕府が負けたと言ってるのかわからんが
戊辰戦争の勝ち負けだけでいうなら本腰入れて慶喜が戦わないから負けた
これだけのこと
イギリスだフランスだはそれほど勝ち負けには関係ない
ただ、イギリスと組んだほうがいろいろな面で有利に働く可能性は大きいというだけ
>アヘン戦争はただの侵略戦争でなくイギリスによるアジアの開化の側面を持っていたことに気付かなかった。
>世界経済システムに中国を組み入れるために仕方なくやった戦争でありそれに適応できなかった清国がたんに自滅しただけの事。
たしかにそういう側面もあるはある
世界経済システムに中国を組み込むために仕方なくというのは大嘘だがなww
自国の経済システムに組み込むために野心満々でやった戦争だろwww
こんな理由で戦争ふっかけられてこんなに蹂躙されるんだ…と諸国を震撼させた戦争だぞw
>日本は幕府主導で早く開国してイギリスと手を組んでいれば幕末の悲劇も動乱も避けられた。
幕藩封建体制が手枷足枷になるだけ
こんな既得権益の高いシステムがあって近代化の第一条件ともいえる中央集権化がどれだけできるのか大いに疑問
ぶっ壊し屋の登場で秩序を全部キレイにぶっ壊さないとなかなかそれはできないと思われる
たとえゆるやかに近代化できたとしてもロシアに飲み込まれて終わるな
なにかの影響でロシアが動かなかったとしても今度は市民革命によって打倒されてる可能性のほうが遥かに高い
つまりどうやっても悲劇も動乱もやってくる
>全国の優秀な志士が生き残り明治維新はもっとスムーズに行っていたはず。
スムーズに行っていたら戊辰戦争以上の全国士族の大反乱が勃発
はい、悲劇と動乱 >>986>>987
俺も大体の計算でそう言ってたのでしっかりと年齢把握してなかった点は謝る
ただ言わしてもらえば14だろうと16だろう18だろうと同じ
優秀な幕府の官僚機構があるので専制政治はさせてもらえない
もし専制政治を行うなら最初にこの官僚機構すべてをぶっつぶさなきゃならん
あとな、前例のないものは幕府はできんのだ
専制の前例は家康、秀忠、吉宗だけだ
その中で一番若かったのは吉宗
たしか就任時32くらい
だから俺が喩えで慶喜が30代だったらといったのはソレだ
前例がないため幕閣から専制政治など認めてもらえるわけがない
しかも10代で専制政治したなどという例が徳川幕府だけでなく、日本の有史から振り返ってもない
とりま18と仮定しよう
たとえ18だとしても、後見役を添えられてしまう年齢なのだよ
じゃなんで吉宗が前例のない年齢で専制できたのかは長くなるから知りたかったら自分でググって調べなさい >>988
は?
意味がよくわかりませんがw
例えて話した内容なのでソレを嘘つきとか言われましてもどうしていいやら…
>13代将軍就任は1853年。
>その時、和親条約もまだ結ばれていない。
>修好通商条約にいたってはその5年もあとのこと。
はい、まったくその通りでございますがナニか? >>986
>>987
あ、ちな、ツッコまれるかもしれんので足りなかった分補足
さっきの吉宗のアンサーの一部にもなってしまうことだが
秀忠のほうが就任年齢は若かった
ただし秀忠就任時には家康との二元権力による幕政運営であったために専制のカウントには入れてないから >>990
あなたが例に加えた秀忠の将軍就任は25歳だし、21歳から父の執政を支えている。
吉宗も22歳で紀州藩主(大名)として専制で政治を行っている。
たった三例しかない江戸幕府に限ってもなんの参考にもならないので
親政を行った天皇の即位時期をみると、宇多天皇は20歳、醍醐天皇は12歳、村上天皇も19歳。
律令制を立て直すべく親政に励んだ嵯峨天皇も22歳。
大改革で摂関政治を終了させた白河天皇も19歳。
本気で改革をしようと思ったら若くてもできる。 才知の秀でた気概ある16歳は、平凡な30歳よりはるかに功績をあげられる。まして病気
で重度の精神遅滞(脳性麻痺と言われる)を抱える家定ではもはや比較するまでもないでしょう。
孔子も言った。
後生畏るべし。焉んぞ(いずくんぞ)来者(らいしゃ)の今に如かざるを知らんや。
四十五十(今でいう30代後半から40代後半くらい)にして聞こゆることなきは、これ亦畏るるに足らざるのみなり。 >>984
横からだけどソースはウィキにある
>>治外法権も関税自主権も抗議なく結んでるし特に問題とも思ってなかった
>抗議がなかったなんてなんのソース見て言ってるわけお前?
「領事裁判権については締結の当時それが不平等条約であり、将来どのような惨禍をもたたらすかについて全く理解されておらず、むしろ日本側は進んで歓迎さえしたもので、ハリスをして意外の思いをさせるものであった」 だって、江戸幕府(将軍と、老中や幕臣たち)が、この不平等条約に署名をする許可を
得ようと朝廷に頼み込んで頼み込んで説得しまくったけど断られて、結局朝廷の許可
無しで調印したんだから。
幕府に抗議の声があったわけがないでしょ。 この条約調印を批判した、尊皇派(倒幕)志士たちを、幕府はどんどん捕らえて処刑した。
―安政の大獄 幕府がだらしなかったということを認めたくないやつは左翼。
日本で左翼が影響力を持ってるのは、明治初期の反政府運動の成れの果て。
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