>>955
家茂が将軍になると、25歳になった慶喜が後見職について家茂に代わって執政し、
朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる
公武合体を成し遂げた。
結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも
って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。もちろん、その時にはすでにもはや列強と渡り
合うにも、幕府を守るにも遅すぎたけどね。

12代将軍家慶の望んだ通りに慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして
第二の吉宗となった可能性もなくはない。