>>959
>朝廷からの命令で文久の改革を行いながらも、不可能とみられていた幕府が中心となる公武合体を成し遂げた。
前代未聞の朝廷からの圧力に屈しての改革
しかもキャスティングボード握ったのは官位もない外様大名の父
挙句に家茂の上洛で完全に政局は京都に掌握されてるのに幕府中心の公武合体成し遂げたとかようそんな嘘平気で垂れ流すなぁオイw
コレ、なんかの工作でそんなこと言ってんのか?wwww

>結果12歳で将軍になった家茂の政権は、完全に朝廷に牛耳られながらも、慶喜の力でも って薩摩を抑え幕府の発言力を強めた。
すでにこのとき幕府と慶喜は分裂状態だということ知らんのか?
発言力強めたのは幕府でなく一会桑政権
幕府はむしろこれによって更なる権力権威の失墜をしてる
一会桑政権と幕府がイコールだとおもってるならとんでもない無知
また慶喜は2年後には禁裏守衛総督という完全に京都側に取り込まれるとい状態になるというのにナニを言ってんだ…
しかも己を後押ししてくれた薩摩をパージすることに必死になって政局を停滞させる
政局顧みずその有り余る凄腕の政治力を無駄に薩摩の排除、強いては外様排除(春嶽の排除も)に全身全霊注ぎ込む異常さが薩摩を討幕へ舵を切らせることとなったというのに…
こと薩摩の討幕とは討慶喜のことだということをお忘れなく

後見職という事実上の14代将軍としてその期待された政治手腕と才能で専制政治行い辣腕振るった結果がコレだ

>慶喜が16歳の時に将軍になっていたら、手腕をはっきして第二の吉宗となった可能性もなくはない。
可能性の話になれば決してゼロだというわけでもないが、それは激しく、そして果てしなくゼロに近い話ではある
優秀な幕府官僚機構が14、5のガキに専制政治行わせるわけがない
13代就任じゃ早すぎるんだよ
かといって14代じゃ時勢的に遅い
13代就任時に慶喜が30代だったら大いに可能性はあったろうな

ただたとえ慶喜が30代で13代将軍に就任してたとしても
各国との和親条約、通商条約の内容は変わることなく不平等な内容のまま同じもので締結してるから
慶喜だったらこんな内容の条約締結はしなかったなんて世界史知らんやつが鼻くそほじりながら言っちゃうことだわそんなのww