平安時代に律令制度が崩壊した、というのは誤りで、実は朝廷自らが放棄しただけ

民に負担を強いる律令制度はに覇王時代の朝廷が日本を統一するためには止むを得なかったが
民の怨嗟の声・アテルイを騙し討ちにした件など統一と引き換えに手を穢しすぎた朝廷が
次に取るべき道は「朝廷の教会化・ローマ教皇化」しかなかった

当時文治政策をとって繁栄していた宋(中国)もお手本となっただろう

平安中期以降の朝廷・公家たちに美食を禁じ質素な食事を潔しとする
「平安貴族版・ノブリス・オブリージェ」が誕生した
事実、衣装・平仮名・文学などは今でも日本の伝統文化として重要だが
料理に関しては ほとんど残っていない 彼らは彼らなりに努力はしていた

収入はわずかな自治領と有力貴族からの寄進に頼るようになり この形式が現代まで続くこととなる
これが日本の朝廷・皇室のスタイル