武士の成立って [無断転載禁止]©2ch.net
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貴族武官か富裕武装農民かのどっちなん?
最近は双方の融合とかばっかりじゃん
"どっちもあり"じゃなくて、はっきりして欲しい >>361
いや、ゼロだよ
既存の用水路を流用した開墾とか、かつて田畑だったのが荒廃しただけの荒廃田の再開墾とかは本人死後には没収される建前で荘園化できないんだ
用水路の開拓から新田開発して荘園作るには、かなり多くの人を動員する大規模開墾が不可欠
国司か郡司か大寺社でもなければ、ほぼ無理 >>362
なぜ、一代で上層農民が成立する前提なの? (建前上)区分田は世襲できないし、
永年私財の対象となる新開発田じゃないと荘園として認めてもらえないことになってる(から、荘園整理令の対象にされる)じゃん >>364
例えば有力農民がどうやって成り上がっていくかというと
農地経営に長けた者が公有地(名田)の経営を請け負い、
決められた税を納付さえすればあとの収穫は自身の取り分となるという仕組みを利用して富を集積するわけでしょ。
その富を元手として貸付(私出挙)などを通じて労働者を集めさらに開墾地を私有地(荘園)として勢力拡大していくわけだから
荘園を作れないから有力農民になれないというのはちょっと違うかなと。
(もちろん受領や郡司、寺社が開発する荘園もある)
別に荘園として成立させても安泰というわけでもなくて、
国衙との紛争や隣地の荘園主が中央貴族に訴え出て負けたら容易に権利を剥奪されるような時代だったわけで、
だからこそ中央の庇護を求める寄進地系荘園が増大したり自力救済の武力として武士が求められたといえる。 まあ実際には農地経営に長けた者ってのは基本的にはノウハウやコネのある在地豪族の出自であって零細農民が成り上がるケースが少そうというのは同意するけどね >>365
ノウハウだけじゃなくて元手もないと、そもそも雇ってもらえないだろ >>367
生活に窮した農民が逃散することによって公地公民が崩壊したということは
逆に逃散せず自活してる農民は生産性の高い農地経営を実現できている有力農民の素質がある
そういう農民を活用したのが名体制であり
時流に乗った有力農民が開発領主として成長し そもそも古代には、種籾や農機具すら領主(郡司とか)からの貸与品で農民所有じゃないのになその上、年間100日ぐらいの労役に駆り出されるので、農閑期も忙しいんだ
個人で開墾なんてできないよ 個人が開墾した土地(割と小規模)を租税逃れのために貴族や自社に寄進したのが寄進地地系荘園だ そういうのは、何らかの集団の長など、庶民だけど徒手空拳じゃない人だろ >>373
個人の才覚を否定してたら豊臣秀吉なども説明できない 何なら普通に会社の社長でもある
そういった分業が中途半端で属人的(というより属家的)なのが中世の特徴 >>371
身分的には浮浪でも、たいていはその集団の長とか特殊な出自だろ 農地経営に長けてるから公田の経営を任されるわけで純粋な浮浪がいきなり請負契約できるわけではないよ
ただ実際に浮浪出自を含む多様な中間層が公田経営を足がかりに地方武士の母体となっていったので
貴族豪族層のみがその担い手ということではない
浮浪から数代かけて国衙や地域有力者との関係を深め成り上がったり…
そんなストーリーも想像できる もともと、各郡に平均2家の郡司領主の家を配してあって、当初は交代で郡司を出してたんだよ、ただし任期は終身制なので任命されたら死ぬまでだが。
律令の規定では郡司の任命は式部省だが、郡司の家系の人を最優先で選任する規定だったから、ほぼ世襲
過去に郡司をつとめた人から何親等以内は禁止とかで交代させる規定だったっぽいが。
これが、平安時代途中からなしくずし的世襲に変わると、郡司になれなくなる家が半数ほど出るわけだが、公職を持たない豪族となって残るだろ >>382
浮浪って公職についてない以前に戸籍記録の外ってことなんだけど 郡司は決して世襲制では無いということでせうか?
公職に就かない豪族は現代で言うところの一流民間企業勤務ってことでせうか?
この頃の浮浪者が後の『山窩』になるのでせうか? 律令制の崩壊に伴って地方行政権限の大部分が国司に委譲・集中してくると
郡司の権限は次第に縮小して旨味がなくなり旧豪族層は国司に仕える在庁官人になり、同時に名田経営を請け負う田堵になった
浮浪は移住先の土地に土着することもあった 国衙領や荘園が入り乱れ中央からの統制が弱くなる中で
実際に土地を支配する荘官下司郡司郷司保司といった職の重要性が増し
中央から派遣され土着する貴族の子弟と地域有力者が結ばれていったのが武士団形成の始まりといった印象
そしてそれらの職を地頭職として整理して侵食していったのが鎌倉幕府
実はその侵食に最後まで抵抗してたのが寺社だったりする >>384
各郡に郡司の家は平均で二つある
中央による選任が適切に行われなくなれば、片方が世襲して片方はあぶれるから無位無官にならざるを得ない 墾田永年私財法で土地を得た地方豪族と上層農民が土地を守るために武装したのが武士の起源。 >>388
豪族の関係者以外に富裕な農民なんて存在し得たのか
豪族関係だけど無官だから農民と書き記されてただけじゃないのか? 武士は地方から自生的に起こった。「軍事貴族」「貴種」「武家の棟梁」など、天皇・貴族を先祖に持ち、高い官位を有する武士は地方武士に担がれただけで、本来の武士ではない。 土地と農民を直接支配して農業経営に従事するのが本来の武士。 腐敗堕落した王朝貴族を押しのけて質朴剛健の坂東武者が主人公になっていく壮大なロマンが古代末・中世前期の日本史。 武士は自力救済の世相から自然発生的に生まれてきたものだろう。
ネトウヨは否定するかもしれないが、奈良時代から平安初期にかけての関東は韓半島からの渡来人が多く住み着いていた。日本列島の中でもひときわ文化的多様性に富んだ地域だった。製鉄技術は韓半島系の影響が強く軍馬の生産が盛んだったのも渡来人がそれを担っていたためであった。
日本刀の起源は蝦夷の蕨手刀。関東武士団は高句麗系渡来人の武装集団に東北アイヌの俘囚や在地の東国語集団が合流して形成されたものだろう。そして彼らが棟梁にまつりあげたのが皇族末裔の源氏や平氏だった。
中世初期の東国武士団は系図がかなり怪しい。これは当時の有力家系に仮託をしているからであり、実際のところは高句麗系や新羅系の渡来氏族の末裔というところだろう。 王朝貴族が国政を放棄して地方が乱れたから地方の有力者が治安維持のために配下を武装させて自警団を結成したのが武士の起源。 地方の有力者とは、旧国造・旧郡造の子孫だろ
律令制の施行前後の時期には、旧国造領を分割するなどして、国造子孫も郡大領など郡司家系にかえられた
そして、地方豪族2家程度を含むように郡を作り、2家から交代で郡司を任命した
郡司は終身制で解任されないから、前任郡司が生存してることは少ない、必然的に郡司の家系の当主で現役郡司でない方の人は無位無冠、律令の官制では農民だ
そういう立場の人が主に武士の元になったのだろう
だから、平安時代初期の兵士任用制度である健児制(こんでいせい)と武家政権下での大番役の相同性は歴史的必然 郡司が独力で郡郷経営できなくなったからか、旧郡司の人々が国衙に出向いて国司の下請け? の仕事してたことが記録に残ってるだろ、それができる程度の力が残っていた つまり
地方の有力者=旧首長 でなく
地方の有力者⊃旧首長 国司は1期6年の任期が終われば都に戻るからな、基本的には任地の縁は切れるだろ >>403
任期4年な
それに受領は帰京せず現地勢力と婚姻を結ぶなど既得権の保持に血道を上げたので
たびたび禁令が出ている 武士は国家秩序の外で生まれたアウトローの武装勢力。 我々が知っているような有名どころの武士は大体が血統的に皇孫や殿上人の末裔だろう
仮冒は、あったにしろ兄弟関係の捏造とかちょっとしたズラしが多く、ガッツリ嘘つくのはレアケースだったと思う
そういう誤魔化しは大抵バレるし、周囲も認めないから >>409
当時は妻問婚で、産まれた子は母の実家で養育されたので
父が皇孫・殿上人でも気風は地方豪族だったであろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています